◆
 
 
 
 朝。俺は寝起きに見た携帯電話の示す時刻に目を丸くし、危うく学校を目指して家を飛び出さんとしていたところを
 俺にすこし遅れて目を覚ました長門によって静止された。
 
 「今日は、土曜日」
 
 片手で不器用そうに眼鏡を掛けながら、長門は言った。
 ただ寝ぼけていたから、曜日の感覚がなくなった。というわけでもないだろう。
 昨日一日で、俺の脳に飛び込んできた出来事があまりにも多すぎて
 俺の脳の許容量はとっくに振り切れていたのかもしれない。
 
 何しろ、朝一で朝倉が消え、気も休まらぬうちにハルヒの死を聞かされ。
 そして、夜はと言えば……
 

 
 「……あの、私、服を」
 

 
 いつの間にか、ぼんやりと長門を見つめていた俺に向かって
 長門は恥じらいなのか、戸惑いなのかわからないような表情で目を泳がせながら、そう呟いた。
 
 一瞬の間の後で、俺はあわてて、長門の肌から視線を逸らした。

 
 
 
 
     ◆
 
 
 
 あー、さて。
 ……これ以上、自分をバカ呼ばわりして時間を潰しても、何も変わりはしない。
 色々なことを頭の中に詰め込まれすぎた所為で、それが分からなくなってた。
 けど、今なら分かる。
 長門。お前のおかげだよ。
 

 
 俺は探すよ。
 

 途中であきらめたりしない、見つかるまで探してやる。
 俺は帰らなくちゃならないんだ。
 俺がもともと居た、あの世界へ。
 それが俺にとっての、正しい世界なんだ。
 そして……長門。
 お前にとっても、きっと。
 
 
 
     ◆
 
 
 
 コタツとフローリングの上に、窓から差し込む午前の光が差している。
 その日光を避けるようにして、リビングの隅。制服姿の俺と、ハイネックのセーターに身を包んだ長門とが、まるで将棋の対局でもおっぱじめようとしているかのごとく、正座をして、小ぢんまりと向かい合っていた。
 
 
 
 まず、一つ一つ整理して考えてみよう。
 と言っても。俺の頭の中に散らばっているものといえば、いまだに現状を理解できていない俺が、貧困な想像力で導き出した仮定事項に過ぎないガラクタばかりであり、それらを並び替える事で、たとえ何かが導き出されたとしても、それがこの闇雲の世界を切り裂く、光の矢となってくれる確率が、はたしてどれほど在るだろうか。という話ではあるのだが。
 しかし。今は俺たちにできることをやると決めたのだ。
 
 
 涼宮ハルヒが死んだ。
 まず、何故ハルヒが死ななければならなかったというのか。
 
 あるいはそれは、この平凡な世界が当たり前に進んでゆく上で、この世界における涼宮ハルヒの運命が、昨日の午前までで終わっていたという、ただそれだけのことなのか。
 その可能性はゼロではない。
 そもそも。俺は勝手に、涼宮ハルヒこそが、この世界の謎を解き明かす最大の鍵のように思っていたが、かつての世界で非常識の役割を担っていた人々が、軒並み平凡な人間へと変わったこの世界において、果たして涼宮ハルヒは、本当に俺にとって、鍵となり得る存在だったのか? それすらも分からない。
 

 
 この世界にハルヒが存在していたことに、意味はあったのか?
 そして、この世界のハルヒが死んだことに、意味はあるのか。
 

 
 その問いかけに対する俺の返答は、こうだ。

 

 『なかった/ないのかもしれないが、あった/あると思う。
  何故なら。ハルヒの死という出来事は、単独で起きた事件ではなかったからだ』

 

 
 昨日、涼宮ハルヒがこの世界から消え去った。
 それと同時に。俺の前から消えた人間が居たじゃないか。
 
 「朝倉だ」

 
 俺がその名前を呟くと、長門が一瞬体を震わせたような気がした。
 
 一昨日の夜を最後に、俺たちの前に姿を現して居ない朝倉。
 朝倉が消え、涼宮ハルヒが死んだ。
 この二つの出来事の間に、繋がりがあると考えてしまうのは、俺の例の病気の所為なのだろうか?
 

 そう。やはり―――朝倉涼子は、ただの平凡な女学生などでは、なかった。
 そう仮定して、話を進めさせてもらう。
 

 
 では、朝倉がハルヒを殺したのか?
 それは分からない。そう断定できるわけじゃない。
 ただ、朝倉が何らかの形で、ハルヒの死に関わっていた。
 それだけは間違いないと、俺は断言できる。ああ、できるとも。
 そうでもしなければ、臆病者の俺は、動くことも出来なくなっちまうからな。
 

 
 ハルヒが仮に、鍵であり。
 朝倉が仮に、ハルヒの死に関わっていたとする。
 ハルヒが鍵であるが故に死んだとし。
 ならば朝倉は、ハルヒが鍵であることを知っていたのではないか?

 
 ……むちゃくちゃだと思っただろう。正直言って、俺もそう思う。
 では、もっと分かりやすく言ってやろうか。

 

 
 つまり。
 俺が今思いつける手がかりらしきものは、朝倉ぐらいしかないんだよ。
 

 
 消えた朝倉を探す。
 それが今、俺たちができる、ただ一つのことである。
 反論があったなら、代替案を添えて、今日中に俺に提出してくれ。
 
 
 
     ◆
 
 
 
 時計の針が十時を回るのを待って、俺と長門はマンションを出た。
 
 「学校に行こう」
 
 朝倉を探すために何をするべきか。俺たちが考えた結果、導き出された最初の一手は、それだった。
 昨日今日と、長門は何度か、携帯電話を用いて朝倉とコンタクトを取ろうとしているらしい。
 しかし、先方は終始だんまり。まあ、おかけになった番号は現在使われておりません。などと言われていないだけマシというものか。
 となれば、次は目撃証言を募ってみようという、単純な考えだ。
 朝倉は校内ではちょっとした有名人である。北高の生徒たちの中に、昨日今日で朝倉を見かけたというものがいるかもしれない。
 あいにく今日は土曜日であり、話を聞くことができるのは、部活動に勤しむ生徒たち限定だが。
 
 
 
     ◆
 
 
 
 さて。休日の学校内を長門と巡るうちに、一時間あまりの時間が経過していた。
 時刻は丁度正午過ぎ。俺と長門は、あらかたを回り終えた後、いつもの文芸部室にて休憩を取っていた。
 端的に言うと、収穫はゼロ。誰一人として、朝倉涼子の姿を見たという生徒は存在しなかった。
 まあ、正直に言わせてもらえば、こんなことは想定の範囲内である。
 こうしてすこし聞き込みを行うだけで、とんとん拍子に朝倉涼子の足取りが掴めるなどとは思っていなかったさ。
 ……そうなってくれたなら、ありがたいことこの上なかったのだが。

 

 
 俺は長門が淹れてくれたホットティーをのカップを片手に持ったまま
 一月前のあの日と同様に、本棚に並べられた書物の背表紙に目を通していた。
 

 
 「……やっぱり、ないか」
 

 
 あらかた目を通し終えた後で、呟く。
 俺が探しているのは……おそらく、皆さんの想像通りのものだろう。タイトルは忘れてしまった。俺がこのSOS団に入った直後、長門が俺へのメッセージと共に託してくれた、あの一冊だ。
 一月前、初めてこの世界の文芸部室を訪れたときも、俺はあの一冊の本を探し求めて、この本棚をくまなく探したのだ。
 今、こうして改めて探してみたら、こんなところにちゃんとあったじゃあないか。……そんな展開をうっすらと期待していたのだが、世界はそれほど甘くもなく、俺はそれほどうっかりさんでもなかったようだ。
 
 「あの本、なんつったかな」
 「ダン・シモンズ『ハイペリオン』」
 「は?」
 
 不意に。背後で長門の声がして、俺は思わず声を上げながら、振り返った。
 パソコンの前に腰をかけ、何ということはない、不思議な表情で俺を見ている長門。
 お前……今、なんて言った?
 

 
 「その……探してる本って、もしかして、ダン・シモンズの『ハイペリオン』?」
 

 
 ああ?
 ハイペリオン?
 ああ。そうだ。言われてみれば、そんなタイトルだったかもしれん。
 やけに分厚い癖に、表紙には陳腐なカタカナのロゴが書いてあって……

 

 

 「おい、ちょっと待て」

 

 

 何故、この長門が、俺がその本を探していると分かるんだ?
 
 「長門、その本、あるのか」
 「今は、ない」
 
 長門はすこし考えるように首をかしげ
 
 「……確か、前に、朝倉さんが……借りていった」
 
 何だと?
 朝倉涼子が、あの本を。長門、そりゃいつの話だ。
 
 「……あなたが始めてこの部屋に来る、すこし前」
 
 つまり。
 十二月十八日の放課後。なんだな?
 
 「……そう」
 
 
  

 

 

 
 ―――決まりだ。
 俺の頭の中で、噛み合っていなかった部品と部品が、今、この瞬間。
 どでかい音を立てながら、確かに、繋がった。
 

 

 
 朝倉涼子なら。
 奴なら、以前長門が、あの本を通じて俺にメッセージを託したことも知っているはずだ。
 

 

 朝倉涼子なら。
 奴なら、俺が。長門のメッセージを求めて、あの本を探すことも、予想できるはずだ。
 

 

 
 朝倉涼子なら――――

 

 
 
 「長門、朝倉の家に行こう」
 「え、あ、朝倉さんの?」
 

 
 間違いはない。
 やはり朝倉涼子だったのだ。
 

 
 

 
 朝倉涼子は、俺の知る朝倉涼子だったのだ。
 

 

 
 
 俺が見つけるべきだったものは全て、あの女の先回りによって、隠し遂せられていた。
 何故だ?
 朝倉は何故、俺の邪魔をしたのだ?
 

 
 すこし考えれば、見当はつく。
 そうだ。
 

 

 

 あの女は、もう一度消えたくなかったのだ。
 

 

 
 一体誰の気まぐれで、この世界が生まれたのかは分からない。
 だが、朝倉は間違いなく、この世界の発生と共に、再び存在を手に入れた。
 そして……そうだ。何よりも。
 

 
 長門。
 

 
 朝倉涼子は、もう二度と、長門有希から離れたくなかったのだ。
 だからあの女は、俺がこの世界を解き明かすことを妨げたんだ。
 
 だとしたら―――そうだ。やはり、ハルヒを殺したのも―――――

 

 

  
 「うわっ」
 

 

 
 俺が、ドアノブを引きちぎるような勢いで、廊下への扉を開け放った瞬間。
 目の前で、どこかで聴いたような、粘り気のある男の声が聞こえた。
 
 「え……」
 
 例によって俺を追いかけてきてくれようとしていたのだろう、俺のすぐ斜め後ろへとやってきていたらしい長門が、開け放たれた扉の向こうに居た人物を見て、声を上げる。
 

 

 

 そして、俺もまた。そいつの顔を見た瞬間―――いっそ、笑っちまいそうになったね。
 

 

 
 「……あの、すみません。何が……おきているんでしょうか?」
 

 

 
 何がおきているか、だと?
 てめえ、何を今頃出てきておいて、俺のセリフを奪ってるんだ。
 そのセリフはな。一月前から、俺がお前に投げかけたくて仕方なかったセリフなんだよ。
 

 

 
 「……会いたかったぜ」
 「はい?」
 

 
 数多のセリフが頭をよぎった果てに、俺の口からこぼれたのは、そんな一言だった。
 そいつは、本当にワケが分からないと言った様子で、眉を顰めながら、俺の顔を凝視している。
 
 
 一月ぶりに見る、古泉一樹の顔。
 それはいつものニヤけ面とは程遠い、戸惑いを絵に描いたような困り顔だった。

 

 
 

 

 

 

 

 

 つづく

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最終更新:2008年09月06日 00:31