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※欝モノ・古長風味注意

 

 

 

限界だった。

深夜に悲鳴を上げて跳ね起きた。何度目かはもう記憶にない。
眠るのを諦めた。心臓の音と××の音ばかりが五月蝿くて堪らず、いっそ刃を突き立てればこの耳を侵す煩わしいものを止めることが出来るだろうかと精神病患者の如く考えたりもした。実際に思い立って、果物ナイフの切っ先を睨みながらいつこれを胸に突き刺そうか耳に突き刺そうかとタイミングを見計らいながら過ごした晩もあった。七日前だか十日前だか曖昧だけれども、そのときは姿見に映った己の血走った眼に我に帰ったのだった。だけれど昨日は――昨日は危なかった。何せ食い込ませてしまった。
血は少量だった、まだ。寸でのところで袋小路の思考を、「暁」が呼び戻してくれた。神経を徐々に狂わせていく僕の破滅思考が晴れ間を見せるのは、「暁」を見越したときだ。余りの美しさに眩暈がし、これだけは失いたくないと泣きじゃくりながら誓い、「暁」もまた僕を抱き締めてくれるのだった。
ああそうだ、夜明けだけが。夜明けだけが唯一、僕を生かしてくれる。それを喪った日にはもう僕はここに存在すら出来ない。誰も彼も消えていってなくなる、「彼」の次には朝比奈さんがいなくなり、次はどうなったとしても僕か彼女か世界かしかないのだ――ああ、なんて世界。なんて世界!
 
 
 
 
 
 

 
  
  
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『……長門さん、ですか』
「そう」
『すみません、こんな時間に』
「いい。……今日は、どう?」
『――自宅に……居る筈なんですけどね。おかしいんです。世界が、灰色で。閉鎖空間に侵入した記憶はないのに、何時の間にか閉鎖空間に捉まっている。まるで金属の檻に囲われたようです。僕は本格的に可笑しくなってしまったのかもしれない』
「落ち着いて。あなたは正常、混乱しているだけ」
『そう、ですか。そうなんでしょうか』
「そう。わたしとコミュニケートが可能であることがその証拠。涼宮ハルヒの影響を直に受けて、一時的にナーバスになっているだけ」
『……だったら、いいのですが……長門さん』
「なに」
『僕は、もう、どちらが現実でどちらが閉鎖空間か分かりません』
「………」
『お願いがあります、長門さん。あなたにしか頼めない』
「古泉一樹――あなたは、」
『僕は正気です。そう、望みます……』
 
   
   
  
  

 
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限界だった。

傍目から見て、それがわかった。
彼は痩せた。激務に追いつかない身で、食事もまともに喉を通らず、夜眠ろうとすれば悪夢に魘される。
彼が追い詰められたのは必然ともいえた。彼はその能力ゆえに、最も涼宮ハルヒの影響を受け易い存在でもあったのだ。破滅に突き進んだのは彼だけではなく、彼の同僚たちも同じだった。機関は既に機能を停止している。彼らはただ、刷り込まれた業務を実行するためだけに集っている。
古泉一樹に、また「症状」が現れた際には時を選ばず連絡するように課したのは正しい判断だった、とわたしは思う。彼は蜘蛛の糸のような細い臨海線上で、バランスを保っている。いつ途切れてしまうか分からぬ道を、危うくふらつきながら。傾けられれば倒れて崩れてしまう――わたしが、最も恐れる事態。

彼はわたしの言い付け通りに、定期的に連絡を寄越した。
わたしは時折彼の様子を見る為に、彼の家を訪れた。
もはや二人しかいない。わたししか、彼を救える者がいない。

彼は眠りたい、としきりに叫び、けれども眠ることを極度に恐れた。僅かにでも眠れば目覚めたとき総てが灰色に塗り換わってしまうのではないかという疑心にかられていた。七日間の不眠。掴み掛られ剥ぎ取られた。いつこうなってもおかしくはなかった、わたしは抵抗しなかった、彼は叫びながら泣いた。
わたしが彼を強制的に眠らせたとき、……決断の日は迫っていた。
わたしは、決めかねていた。約束はしていた。していたけれど。

わたしもだ。狂い始めていた。独りにはなりたくなかった。
わたしの不始末を糾弾し、わたしに縋るための音が鳴る。
 
  
  
  

 
  
  
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思い出の中の彼らとの世界は、なんて甘美であったことだろう。あのままで居られたなら。総ては噛み合わない歯車によって滅裂してしまった。今やあの部室のことですら遠い過去の産物だ。学校自体にもう足を運んでいない。初めは頻発する閉鎖空間の処理に追われたためにその猶予すらなく、今は通う意味自体がなくなった。あそこにはもうだれもいないのだ。僕らの神は、愛した人たちは、消えてしまった。
灰色の濃度を増して、どろどろと現実との境界を失くしていくこの地上を何時まで食い止める事が出来るだろう、無力なこの僕に。宝玉の街。闇に光るオブジェのようなそれらを、蹂躙する神の人々をいつまで僕は狩り続けられる。誰も彼も見えなくなってしまうのに、叫びを上げながら僕は邁進し、赤い光を振り上げ、狩人であり続けなくてはならないのだ。


眠らせてくれ、眠りたくない、ねむらせて ねむりたく ……


―――そうしている内にも鳴る。ああ五月蝿い。五月蝿い、五月蝿い音がまた鳴り始めた!
今日の夜明けはまだだ。いかなければ。今日は会えなかった。ごめんなさい、ありがとう、おやすみなさい、いつも言っている、これが今生の別れの台詞になるかもしれない。出来る限り残しておこうこの場に僕が生きていられる限りの総てを僕が吐き尽くせるうちに早く早く早く早く。


「はやく……」

ひとつだけ、プッシュした。自力で。己の正気の心で。命を振り絞って。
  
  
  

   
 
   

 

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「分かっちまったんだ。どうしようもない。俺には他に方法が見つからない。あいつを自由にしてやれる遣り方が、……ない。ないんだ」
「――それがあなたの選択なんですか」
「そうだよ。なあ、古泉。俺は選ぶ。壊しても、選ぶしかなかった。あいつは全部知っちまって、放っといたら壊れるだけだ。俺は助けたかった。だけど俺は無力だったんだ。俺たちがあいつにしてきたことがどれだけ残酷だったか、考えもしなかった。あいつがどれだけ孤独だったかなんて――」
「分かっています。そんなこと…!僕だって。でも、あなたにそんなことが出来るとは思えない」
「できるさ」
「あなたは優しい人だ」
「俺は優しくなんかない。我侭なだけだ。俺は、いつだってそれなりにお前たちに協力してきたよな。それは俺が、やっぱりそういう生活を心の何処かで望んでたからだ。嫌だったら指の一ミリくらいもお前たちのために動かしたりはしなかったさ。あのときのキスも、俺がこの世界を選んだのも、全部俺がやりたかったからやったことだった。今回も、そうだ。俺は、世界のためにあいつにキスしたわけじゃない。そんなわけがない……!!」
「……」
「古泉。俺は、多分帰って来られないだろう。俺にあいつが止められるならいいんだが」
「………ご健闘を、お祈りしています」
「ああ。お前もな」

   

  

 

   

 

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彼の、最期の、救いを求むる音を受け取ってわたしは表へ出た。

ざあざあと激しい雨が降っている。世界が灰色に霞んでいたがこれは水に視界が煙っているだけだ。わたしは現実を未だに認識することが適っている。彼にとってははどうだろう。此処は彼にとっても閉鎖空間だろうか。狂気に蝕まれた身はあらゆる事象を変革する。涼宮ハルヒの狂気は古泉一樹を狂わせ、わたしを狂わせ、最後には世界を狂気の渦に落とし込むだろう。彼女の嘆きは天災だ。暴風雨は何もかもを巻き込み、無くしてしまう呪いのようでもある。
カウントダウンは始まっている。超能力者が総て侵食され切ってしまえば、もう誰も狩る者はなくなるのだから。塗り替えられ、世は一から創始される。わたしは彼の声を受け取るまで、正直なところそれでもいいかもしれないと思い始めていた。古泉一樹の絶望をこれ以上相手にし続けることは苦痛であったし、彼の眼が生気を失っていく様を見ていたくはなかったから。それでも古泉一樹はわたしに願った。決断は委ねられた。

雨に濡れた靴はまるで水を踏むようだった。水を被り過ぎて最早濡れている感触もない。ただ冷たかった。雨の中に座り込んで此方を見上げたはしばみ色の瞳が瞬いた。小さく首を傾けて彼が笑っている。終わらせようと笑っている。

 


 
  
 
 
 

 
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此の世の何者よりも巨躯を誇る神の人は腕を振り回し高層ビルを瓦礫に変え咆哮する。青い光がまるでシャボン玉のように弾けて眼に突き刺すような眩さを一辺に齎した。あの発光体に抗するように飛び交う赤い光はもうなかった。これまではまだ少し残っていたのだが彼等も限界が来ていたのだろう。僕も飛ぶのはもう止めた。高見の見物に徹することにして、地べたに座り込むと、世界が順々に壊されていくのを観衆の一人を演じながら見守っていた。くるりと反転した神の人が標的を定めるように無造作に腕を此方に振り下ろすのを見ていた。炸裂する。水が降り掛かる。僕の脳ごと薙ぎ払われる想像をしたが熱さは何処にもなかった。
気付けば、目前に「暁」があった。
僕はそれで少し世界を取り戻した。雨――ああ、今は、雨が降っているのか。よく眼を凝らせば灰色の中に降り続いている。閉鎖空間の中にまで遂に雨が降るようになったらしい。

「暁」は近づいてくる。

この瞬間を果たして僕は待ち望んでいたのか、来なければいいと深層では願っていたのか、僕には分からなくなっていた。最終通告。だって僕が「暁」を呼んだのだから、当然と言えばその通りだったのだ。「暁」はきっと人々の明日を繋いでくれるだろう。狂った神様の道連れになった道化師たちを一斉に排斥して。一緒に居られたらそれが一番良かった、皆が幸福にあれればそれが最上だった。だけれどももう無理なのだ。そして狂った神様がまた世界を創り直すのを許すわけにはいかない。


反射的に腕が動いた。握り締めていたボタンを押す。


――メッセージを再生します。

 

『  あなたに感染しきるまえに   』

 

――メッセージを再生します。

 


『   さん、    ください、    します。』

 

「暁」が、静かに輝いた。
泣いているようだと、僕は思った。

 


 

――嗚呼だけどこれで、やっと聞かないで済むのだ、あの耳を患わせる電子音から離れられるのだ。
僕は「暁」に微笑みかけた。幕引きを願う合図だった。
次に眼が覚める日は、優しい朝でありますようにと祈った。優しい彼等と共に笑っていられる地獄ならばなおいいと、思った。

 

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