私の席が、この世界では、以前涼宮ハルヒの席だった場所にあるということは、私の手帳に記されていた席順表で、あらかじめ把握しておいた。
 今後、この世界で、クラス委員の朝倉涼子として生きてゆくのだから、できるだけ奇妙な言動はしたくなかった。下調べは入念にしておくべきだ。
 

 さて、久しぶりの登校の瞬間だ。私はなんだか不思議な高揚感を感じ、ニヤけた顔を引き締め、教室のドアを開けた。
 その瞬間、室内の生徒たちが、一度に私に視線を向ける。
 ……一瞬。その視線が、謎の人物を前にした奇異の視線だったら、どうしようかと不安になる。
 しかし、次の瞬間、クラスメイトたちは表情を緩ませ、歓声を上げながら、私を迎え入れてくれた。
 

 「風邪よくなった?」
 

 一番に駆け寄ってきた女生徒が、私にそう問い掛けてくれる。
 

 「うん、もう大丈夫よ。午前中に病院で点滴打ってもらったらすぐ良くなったわ」
 「よかった、さびしかったんだから」
 

 見覚えのある女生徒が、笑顔で私に両手の平を向けてきた。私はあわてて鞄を持ち替え、手を合わせて、指を絡ませる。ああ、そういえばしたなあ。こんな握手。
 

 「家にいてもヒマだから、午後の授業だけでも受けようと思って」
 

 よし。違和感ナシ。誰も私を不審がってなんか居ない。
 幸いなことに、涼宮さんの消失を除いて、このクラスに、私を戸惑わせるような異変は起きていなかった。
 私はごく自然に生徒たちと会話をし、自分の席を目指す。私の席に、クラスメイトの一人である国木田君が座っているのを見つけ、一瞬、私の下調べが間違っていたのかと肝が冷えたけれど
 

 「あ、どかないと」
 

 彼は私の姿を見ると、すぐに小さなお弁当箱を持ち上げ、席を開けてくれた。
 よし。セーフ。
 あとは自然に……
 
 自然に……やばい。
 私の席の前に、約一名。明らかに自然でない表情を浮かべている人物が居る。
 ああ、できれば何も見なかったことにしたい。
 どうしよう。とりあえず、常套句を口にしておくべきなのかしら。
 いいよね、それで?
 

 「どっ」

 
 やばい、どもるな、朝倉涼子。できるだけ不自然でないように振舞うの。
 そうよ。この男は、ただ寝ぼけているか何かで、私を凝視しているだけかもしれないじゃない。そうよ、きっとそう。

 落ち着きなさい。ね、涼子ちゃん?
 

 「どうしたの?」
 

 よし、言えた。そのまま続けざまに、目の前でクチをぽかんと開けたまま硬直している間抜け面にまくし立てる。あくまで自然に。
 

 「幽霊でも見たような顔をしてるわよ? それとも、わたしの顔に何かついてる?」
 

 よっし。噛んでない。
 更に此処で、自分は何も後ろめたい記憶などない、純真な女学生であることのアピールをするのよ。そう。心の広い女学生、朝倉涼子をアピールするの。私は国木田君に視線を向け、目一杯の、でも自然な笑顔で口を開く。
 

 「あ、鞄を掛けさせてもらうだけでいいの。そのまま食事を続けてて。私は昼ご飯食べてきたから。昼休みの間なら、席を貸しておいてあげる」
 

 一発オーケー出ました。
 あとは言葉どおりに、国木田君の座っている席のフックに鞄を掛ける。そして、教室の前方で、すでに私の分の席を確保しておいてくれている女学生たちに向き直り、あくまで自然な足取りで、その輪の中へと入ってゆく。
 完璧よ。どこからどう見ても、何の変哲もない女学生だわ。
 この完璧な振る舞いにけちをつける奴がいたとしたら、それはきっと生まれてこの方、猜疑心以外の感情を抱いたことのないネクラ人間か何かよ。人生嘘で生きている猜疑心の塊ね。

 

 「待て」

 

 ……アウト。
 私の背中に、無駄に渋い声がかけられる。
 どこも自然じゃない、昼休みの教室にはこの世で一番似合わないセリフと声色。私の必死の演技がすべてパア。空気読みなさいよ。良くそれで女子から総スカンを食らわないものだわ。
 ああ、もう。聞こえないフリをしよう。このまま振り返らずに、昼休みの談笑の中に逃げてしまおう。それで万事オーケーよ。うん、大丈夫。完璧。彼だってわかってくれるはずよ。
 

 「どうしてお前がここにいる」
 

 あーもう。
 

 

     ◆

 

 

 ……正直、彼には申し訳のないことをしたとは思っている。
 あの日、思念体に操られた意識とナイフをぶら下げて、私は彼に襲い掛かった。それはもう、いい感じに。芝居めいた口調とシチュエーションの中で、本気で殺そうとした。
 人間に近い感覚を手に入れた今だから分かるけど、クラスメイトに夕暮れの教室で殺されそうになるというのは、きっととんでもなく怖いことだし、忘れがたいことだろう。
 それも、分かる。
 

 しかし。
 

 何も今。世界中の誰もが、以前の私を忘れてしまっているような、このうたかたの夢のような中で。

 あなただけが、それを覚えていてくれなくたっていいじゃないの。
 

 ねえ、キョン君?

 

 ……彼の言い分を聞く限り、どうやら彼だけは、すべてを覚えているようだった。
 彼は間違いなく、私があの日、ナイフをむけた、あの彼なのだ。
 そしてどうやら、彼は私が現れる瞬間まで、自分がこのむちゃくちゃな世界に迷い込んでいることに気づかなかったらしい。多分、長門さんにも会っていないのだろう。

 

 彼は良くわからないこと―――私には実際のところ、全部わかっていたんだけど―――を大声でまくし立てた挙句、私から逃げるようにして、教室から出て行ってしまった。
 彼が帰ってきたのは、午後の授業が始まって数分が経ってから。教師に小言を言われながら、席に着く寸前、まるで親の敵をにらむような視線で私を一瞥した。そして午後の授業の間中、困惑と嫌悪の入り混じったような負のオーラを、えんえんと背中から滲み出させていた。

 

 ……午後の授業の内容なんて、ほとんど覚えていない。
 私は目の前の陰鬱な背中に負けないよう、全身から可能な限り陰鬱なオーラを発しながら、キョンという新たなパーツの存在を考えつつ、この世界についての思考をめぐらせていた。
 ていうか、本音をいうなら、こいつが居ようと居まいと、私は長門さんとラブラブな日々を過ごせればそれでいいんだけど。
 この男が居る以上、どうせ、きっと、余計なことをしてくれちゃうんだろうし。
 

 もう殺ってしまおうか。
 ……それはさすがにやばいか。今の私は、普通の女学生なんだし。
 

 

     ◆

 

 

 キョンが以前の世界の記憶を所持している。
 この時点で、俄然あやしくなってくるのは、やはり涼宮ハルヒ原因説である。
 しかし、さきほどこの男が大騒ぎをした際、私たちはクラス名簿を持ち出して確認したのだ。
 涼宮ハルヒなどという人物はこのクラスに存在しないし、クラスメイトたちも、そんな人物は知らないのだということを。
 

 ・私がインターフェースの記憶をそのままに力を失い再構築され
 ・キョン君も以前の記憶を所持したままで
 ・長門さんは普通の女の子と化し
 ・自分と九組が北高に存在しない世界
 

 そんな世界を、果たして、涼宮ハルヒが望むだろうか?
 というか。涼宮ハルヒの望んだことでこの世界が今のように変化しているというのなら、やはり、この私。朝倉涼子が組み込まれていることが、どう考えてもおかしいのだ。
 彼女にとって、私はそんなに重要な存在ではないはずなのだから。
 ……たぶん。

  

 

     ◆

 

 

 ……
 ああ、思い出したくないなあ。
 私はこの時点で、うすうす分かっていた。
 もう一人。もしかしたら世界ぐらいならなんとかできそうで
 この男、キョン君の記憶をそのままにする動機が、もしかしたらありそうで
 ついでに、私という存在を組み込む動機も持ち合わせていそうな人物が。
 いるじゃないか。
 

 「キョン君のこと好きなんでしょ、分かってるって」
 

 何故私はあんなことを言ったのだろう。
 ああムカつく。
 

 

     ◆

 

 

 放課後、私はできるなら、長門さんの下に向かいたかったのだけれど、友人たちに捕まってしまい、彼女たちと共に街に行くことになってしまった。
 教室を後にする際、私は精一杯の皮肉を込めて、私の前の席で気分を腐らせている間抜け面に向けて、目一杯に心配そうな表情を見せてやった。
 せいぜい困惑すればいいんだわ。
 バーカ。

 

 

 

 クラスメイトたちと町を巡りながら、それとなく、私の知る町並みと異なる部分がないか気にしてみたものの、その日確認した限りでは、私が今日何度目かのエクスクラメーションを浮かべなければならないような、決定的な変更点は見つけられなかった。
 フルーツパーラーでオレンジケーキを食べ、新しく出来たというファンシーショップを巡った後で、私は女生徒たちと別れ、一人となった。
 時刻は午後四時半。若く活気ある少女たちが数人集った割には、手早く訪れた開放の時だ。
 すでに空は薄暗く、街のあちこちでは電飾に明かりが点り始めている。
 ……帰ろうか。
 そう思った矢先、私の携帯電話が振動した。
 長門さんだろうか。鞄から電話を取り出し、モニタに表示されている名前を確認する。
 メールでなく、通話である。

 

 

 

 

 >古泉一樹

 

 

 

 

 

 誰これ?

 

 

 

 つづく

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最終更新:2008年09月02日 22:32