それは、ふと思いついての行動だった。
学校へ向かう途中、俺は交差点を歩いている猫を見た。
それ程交通量がある道ではないが、通勤時間だけあってそれなりに車は走っている。
ちょうどその日の朝、俺は猫が車に跳ねられるというなんとも後味の悪い夢を見た事もあり
俺はなんとなくその猫の様子を目で追っていた。
そういえばちょうどあんな柄の猫だったような?
夢の中の猫と現実の猫が重なって見えてくる。そうだ、ちょうどこんな感じの場所で
この数秒後に、黄色信号を無理に突っ切ってきたトラックが左折してきて……。
俺のナレーションに合わせたかのようにトラックの姿が現れたとき、自然に体は動いていた。
距離にしてたった数歩の違いで夢の中では助けることの出来なかった猫は、あっさりと
俺の手に襟首を捕まれもがいている。直後に通り過ぎていくトラック。
……運がよかったな。
俺は引っかき傷を作られる前に猫を車の少ない歩道へ下ろしてやった。
せっかく助かったんだから長生きしろよ?
俺の言葉に威嚇したうなり声で返して、猫は路地裏へと走り去っていく。
なんとなくいい事をした様な気分で、俺は再び学校へと足を向けた。
とまあ、そんな事があったんだ。
昼休み、なんとなく訪れた部室で当たり前のように窓際に居た長門に俺は今朝の出来事を話していた。
他に世間話のネタが無かっただけなんだが、長門はいやに真面目な顔で俺を見ている。
なんだ、まさかこれもハルヒがどうとか言い出すんじゃないんだろうな?
「涼宮ハルヒは関わってはいない、ただ」
ただ?
「貴方の見たという夢に興味がある」
そう言われても猫の部分を覚えていたのも偶然なだけで、普段の夢とかわらず殆どの部分は覚えていないんだが。
長門はしばらく何か考えていたようだが、やがて本棚から一冊のノートを持ってきた。
これは?
「ノート」
受け取って開いてみる、白紙、白紙、白紙……白紙っと。
そうだな。実にA4なノートだ。で、これが何なんだ?
「気が向いたらでいい。朝起きた時に夢の内容を書いて欲しい」
寝起きなら確かにある程度は覚えている自信はあるが……。
長門。自分で言うのもなんだが俺は朝が弱いから、お前の期待に答えてやれるかどうかわからないぞ。毎日
夢を見るって方でも無いしな。それでもいいか?
肯く長門、まあそれでもいいって言うんだから書いてみるか。これがハルヒだったら適当に誤魔化して終わるところだが
いつも世話になってる長門の頼みだ。
俺は長門から受け取ったノートを持って、クラスへと戻って行った。
――その日の夜、寝る前になってようやく俺は長門の頼みを思い出し、さっそく枕元にノートとシャープペンシルを置いた。
さて、どんな夢を見ることになるんだろうな?
そんな期待を持っていたせいか中々眠気はやってこず……と考える内に寝てしまったようだ。
夢ってのは普通、どことなくリアリティーが無かったりするものであるはずだろう。
だから俺はその時見たものを最初、夢だとは思わなかった。
そこはどう見てもSOS団の部室であり、俺は制服を着ていた。窓の外はまだ明るく窓際に長門の姿もある。
いつの間にか寝ちまってたみたいだな。
軽く伸びをしながら体を起こす、いったい今は何時なんだ? 昼休みのような放課後の様な。
ポケットに手を入れてみるが、何故か携帯が見つからない。
あれ、どこかで落としたかな……。長門、俺の携帯を知らないか?
「……」
無言で視線を向けてくる長門の手には、何故か俺の携帯があった。
なんだ、お前が持っててくれたのか。
受け取って時間を確認してみると、電池が切れているのか画面には何も写っておらず電源ボタンを長押ししても
なんの反応もなかった。昨日の夜、確か充電してなかったっけ? まあいいか。
外の様子を見てみるとグラウンドには人影はなく、見回しても歩いている生徒の姿は見つけられなかった。
どうやら今は放課後らしいな。さて、今日はもう帰っちまっていいんだろうか?
出口へと体を向けた俺を引き止めるように、制服の端を引っ張る華奢な白い手が伸びている。
「……」
無言のまま何かを訴えるかの様な目で、長門が俺を見上げている。
何だ。どうかしたのか?
長門は何も答えず、ただ俺の制服の端を掴んだまま時折否定するように首を振っていた。
帰るな、って事か?
肯く長門。
……まあ、何か理由でもあるんだろうな。
俺はパイプ椅子を一つ窓際まで持ってきて、長門の隣にそれを置いて座った。
後になって考えて見ればおかしい事なのだが、その時の長門は本を読んでおらず俺をじっと見ているだけだった。
俺はそんな長門と見つめあいながら、のんびりとした時間を過ごしキョン君! 朝だよ! 起ーきーて!」
妹のヒップドロップによってに起こされるた俺は、不思議な程にはっきりと目が覚めていた。
おかげで長門のノートの事も思い出すことができ、何してるのーと覗きに来る妹を押し返しながらその夢の内容をノートに書きとめた。
さて、いったいどんな深層心理がここから導き出されるんだろうね? 少し楽しみでもある。
その日の昼休み、弁当と例のノートを持ってさっそく部室へと向かった。
「……」
俺のノートを受け取ったいつものように長門は沈黙している。俺の字が読みにくいなんて事は……無いともいえないな。
長門はノートを広げたまま全く動かないでいる。ともかく待つしかないらしいな、先に弁当を広げる事にしよう。
しかし弁当が食べ終わっても長門に変化は無く、俺はそんな長門を見ている内にいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
静かな部室の中、俺はまた夢を見たらしい。それも何故か昨日の夜と同じ夢を。
長門の隣に座って、ただのんびりとした時間を過ごす……こんな夢なら何度でもいいかもしれないな。
しかし、夢って奴は終わりがあるから夢だったらしい。
――なんだ、誰かの声がする。長門のような静かな声でも、朝比奈さんのような心安らぐお声でもなキョン! あんたさっさと起きなさいよ?」
言葉と同時に頭部に当たる硬い何か。俺ぐらい殴られなれてくると分かるぜ、これは英和辞典で殴ったのはハルヒだな。
「ずいぶんぐっすりと眠ってたみたいね」
たった今まではな、もう休み時間は終わりなのか?
携帯でアラームをセットしておいたと思ったんだが、あれ。電源切れてたのか。
「とっくに終わってるわよ! しかも何なのこれは?」
そう言ってハルヒが俺の前に突きつけたのは、俺が長門に渡した例のノート……。って!
「あんたこんな妄想を有希に読ませて何するつもりだったのよ? 返答しだいじゃただじゃおかないからね」
前払いで英和辞典で殴っただろ? それで勘弁してくれ。
ここで実は長門の夢判断だったなんて話をすればしたで「あんたそんな夢を見てるの?」とハルヒが言い出すのは目に見えてる。
俺は下手な言い訳はせずに、これ以上遅れれば岡部に叱られると説得してハルヒを先に部室から追い出した。
去り際に見た窓辺にはまだ長門の姿があった。
長門、お前も早く教室に行けよ?
肯く長門の姿を見てから、俺も部室を後にした。
俺達が出て行った後、長門が自分の隣に置かれたもう一つのパイプ椅子を片付けていた事を俺とハルヒは知らない。