• 6章 すべてを解く鍵


わたしが元の世界に帰還できたからくりは理解した。そしてそれを実施するにはわたしが再び過去に行かなければならない。
しかし、あれから1週間経っても彼が、再び過去に時間遡航するそぶりは見せなかった。このままほっておいたらあと1年ぐらいはやらないような気がする。彼はいつ実行しても問題はないと考えているのかもしれないが、近い未来にそれこそ階段から転落して大けがを負うような事件に巻き込まれる可能性がないわけではなく、再改変を遅らせることはリスクをはらむことである。
「彼に直接促してみては?」
と提案したのは喜緑江美里。
それは、できない。なぜならば世界再改変は彼の意志で行うことだから。わたしが促すのは筋が違う。
「困りましたね。あなたがそんなに強情だったとは思いませんでした。何かいい方法があればいいんですけど」

しかし、そんな心配は杞憂に終わる。

冬合宿から帰ってちょうど一息ついた時、電話が鳴った。
「長門。俺だ。今から12月18日に行こうと思っている。今からそっちに行ってもいいか」
「いい」
「今から1時間後に行く」
雪山での遭難事件が発端になったのか、彼はやっと決断したようだった。

しばらくして、彼と朝比奈みくるがやってきた。彼が朝比奈みくるに事情を説明し終えると休む間もなく時間遡航をすることになった。今から行く時間には、世界改変前のわたし、再改変をしようとする彼と朝比奈みくる(大)、そして朝倉涼子がいる。そこにわたしと彼と朝比奈みくるの3人が加わるのだから、空間的にも時間的にも多くの人が密集することになる。そのすべての人を欺かなければならない。
わたしは朝比奈みくるに世界改変直前の時間を伝え、その時間に移動した。

12月18日未明。その時間に着いたとき、校門の前に『わたし』が立っており、物陰には彼と朝比奈みくる(大)がいる。まだあれから1ヶ月も経っていないが、ずいぶん前のことのように感じられる。

『もし、困った事態に直面したら彼とはじめて出会ったときのことを思い出して欲しい。彼に対して行ったこと、それが鍵になる』

彼と初めて会ったのは今から3年前。
朝比奈みくると2人でわたしのマンションに訪れ、3年後の世界に帰りたいとわたしに懇願した。
そのときわたしは何を行ったか。
絶対に不可能と思えた元の世界に帰還する方法。それは驚くほどシンプルだった。
そう。答えは時間凍結を行い、世界再改変を3日後にずらすこと。

『目の前にいるわたし』が校門の前で右手を上げ宙に向かい呪文を唱え、世界改変が起こるその瞬間 ここにいるすべての人が『世界改変をしようとするわたし』に目が向いているその隙に、わたしは誰にも聞こえないように小さな声で呪文を唱えた。時間凍結の呪文を。

彼らは蝋人形のように動きが止まった。
それを確認した後、わたしは世界改変をしようとする『わたし』の前に立つ。この時、わたしの記憶では、『わたし』は驚いているはずなのだが、実際は逆に驚くほど無表情だった。こうして目の前に自分がいると、違和感がある。
「わたしは未来から来た。あなたに、忠告しなければならないことがある。世界再改変を円滑に進めるために次のことをしなければならない。必ず実行してほしい」
わたしは過去の記憶を辿りながら、わたしが聞いたことをそのまま伝えた。
それを聞いた『わたし』は
「あなたの忠告を受け入れる。必ず実行する」
と言ってくれた。
伝えるべきことは言った。しかし、ここで時間凍結を解除するわけにしない。今、時間凍結を解除すれば、彼が再改変を実施してしまうからだ。今わたしがここにいるのは、このときはなにも起こらず3日後に緊急脱出プログラムを実施する歴史があったからこそだ。『わたし』が世界改変を実施しても、そのまま時間凍結を続ける必要があった。

改変後の『わたし』は何も事情を知らず、闇の中へ消えていく。辺りは静まりかえっていた。わたしはその場に座り空を見上げる。ここには情報統合思念体もいなければ、観察対象もない。それは静かな夜だった。

◇◇◇◇

世界改変からちょうど3日後の夜。わたしは時間凍結を継続し続けていた。
しんと静まりかえった北高の前にこの時間の『わたし』がやってきた。彼が脱出プログラムによって消え、悲しみにくれていた『わたし』は悲壮感を漂わせ、校門の前に立ち止まり、右手を挙げ世界改変の呪文を唱えるまねごとをする。
『わたし』が立っている場所、ポーズ、服装、時刻、そのすべてが3日前と全く同じだった。その時を見計らい、時間凍結を解除する。彼らが3日後にワープしていることに気づくことはない。
わたしが元の世界に帰還できた訳。その答えは、再改変の時間を3日間ずらすこと。
世界改変後すぐに再改変があれば、再改変後の世界と、緊急脱出プログラムを起動させる世界の2つに分岐が起こる。しかし、脱出プログラム起動後に世界再改変を行えば、世界の分岐は起こらない。

絶対に不可能と思えた元の世界に帰還できた理由。
それは、そもそも『帰還』をしていないから。
脱出プログラム動作後に、パラレルワールドへの移動や時間遡航をする必要はない。彼と過ごした文芸部の思い出も、世界再改変もすべて同じ時間軸で起こったものだった。
緊急脱出プログラムの期限が3日以内だった理由も今ならはっきりわかる。世界再改変前に脱出プログラムを発動しなければ世界が分岐してしまうから。

3日後に移動したことに気付かない彼は、『3日後のわたし』に語りかける。
「お前のしわざだったんだな。やっぱりアッチのほうがいい。この世界はしっくりこねえな。すまない、長門。俺は今のお前じゃなくて、今までの長門が好きなんだ。元に戻してくれ。お前も元に戻ってくれ」
彼は『わたし』に銃口を向ける。そのとき、朝倉涼子がナイフで刺し、彼が倒れた。
そして、もう一人の彼が登場する。彼が倒れなければ、今のわたしがこの時間に来ることはなかった。朝倉涼子の復活はどうしても必要だった。
この後起こったことをあらためて説明する必要もないだろう。

こうして、世界改変の事件は終結し、平穏な毎日が戻ってきた。

マンションの一室に戻ったわたしはごろんと横になり、大の字になった。
あぁ、疲れた。本当に疲れた。わずか3日間。でもそれはとても長い3日間だった。
ふと部屋の隅に積んである本に目が留まる。
わたしはふと思い立ち、部屋の隅に積んであった本を持ち上げた。そこには、『あの3日間』にわたしが書いた小説の原稿があった。わたしは原稿を広げペンを持った。わたしが本当に書きたい物語を書くために。

◆◆◆◆

昼休みに扉が開いた。ナツだった。
「入部届けを顧問の先生に持って行くわ。入部届けはある?」
「入部届はない。文芸部は定員割れで廃部が決まっているの。悪いけど入部は受け付けていないわ」
「どうして! 廃部の話があるのは知っているけどまだ諦めるのは」
「うるさい。あなたは本に興味あるの。いつも彼と雑談してばかり。文芸部は本を読むクラブなの。なりふり構わず部員を集めて、お遊びクラブにするつもりはない」
私は叫ぶように言い放った。
「……わかった」
ナツはそう言うと部室を出て行った。

放課後、部室に彼が来た。
私は言う。
「文芸部を廃部にしようと思う。私たちはがんばった。けど結局、部員を増やすことはできなかった。最初から無理だったのよ。こんな陰気なクラブに誰も来るはずないか」
気づけば目に涙があふれていた。これでいいんだ。すべて終わり。
もう文芸部は私の居場所じゃない。そこは教室と同じ孤独を感じる空間だった。私の好きだった文芸部はもうとっくにない。どうせ文芸部は廃部になる運命だ。ちょうどいい機会じゃないか。
こころの中で彼に言う。
さようなら。今まで楽しかったよ。
そう思うとますます涙があふれた。
違う! 今でも文芸部は特別な場所だ。
今でも文芸部は好きな場所だ。
今でも文芸部は存続して欲しいと思っている。
私の中の心の叫びは次第に大きくなった。
私は彼が好きだ。だから彼とナツが仲良くなっていく様子を見たくなかった。私が文芸部で感じたのは孤独ではない。いとおしい人に愛してもらえない寂しさだった。私が廃部にしようと考えたのは定員不足でも、お遊びクラブにしたくないからでもない。ナツに嫉妬したから。このまま彼とナツが仲良くなっていくぐらいなら、今の状況を変えてしまえばいいと思った。文芸部がなくなれば2人が会う機会も減ると思った。でも、その考え方は違う。そんなことをして何が変わるというのだろう。大切なものを失うだけで何も変わらないじゃないか。変わらなければいけないのは私。私が変わらなければ何も変わらないのに。
私は取り返しのつかないことをしてしまった。あんなことを言ってしまったんだ。ナツはもう戻って来ない……これで許してくれる人がいたらそれは相当なお人好しだろう。もう、元には戻れない。いや。私は自分を変えると言ったんじゃないのか?!あれはデマカセだったのか?!ここで怖じ気づけば何も変えられない。ダメでもともと。たとえ1パーセントでも可能性があるならば、私が今やらないといけないことがあるじゃないか。

「ごめん。待ってて」
とだけ彼に言い残し部室を飛び出した。
鞄もなにも持たず校門を出て坂を駆け下りた。
帰宅途中の学生でごったがえす歩道を飛び出し車道を走り、途中の階段を3段飛ばしで降りた。息が荒くなり、足が悲鳴をあげた。必死だった。駅前の交差点に差し掛かったとき、その小さな背中を捉えた。

ナツの姿を捉えた私は出せるだけ大きい声で叫んだ。
「ナツ。ごめん」
ナツだけでなく周りの生徒も振り向いた。だが、そんなことをかまっていられない。
「さっきはごめん」
ナツは何も言わず私を見ている。
「あんなこと言ってしまってごめんなさい。私にとって、文芸部はただ本を読む場所じゃない。私にとってすごく大切な場所。 私は臆病だった……文芸部存続のことも、機関誌のことだってすぐに諦めた。でも、私は自分を変える。今までより、ずっと賑やかで楽しい誰もがうらやむ部にしたい。世界一楽しいクラブにしたい。そのためにはナツが必要なの。自分勝手なことだとはわかってる。もう一度チャンスを与えて欲しい。文芸部に戻ってきてほしい」
ナツは私の目をまっすぐ見て、小さく、でもはっきりとうなずいた。
それは承諾を意味した。
私は嬉しくなり思わず笑みが溢れ出た。
「ただし」
ナツは言った。
「私を楽しませること。私は掛け声だけで実態が伴っていないってのが一番きらいなの。世界で一番楽しいっていう目標を掲げるんだったら、本当に世界一になりなさいよ。もしつまんなかったらすぐ退部届け叩きつけてやるんだから」
「約束する。今までの文芸部がなんだったの?って言いたくなるぐらい楽しいクラブにするわ。そのかわり、今までみたいに好き勝手にはやらせないわよ。覚悟しなさい」
それはナツへの宣戦布告だった。


◆◆◆◆

原稿を書き終えて、わたしはほくそえんだ。
この半月でわたしは変わった。『性格』そのものが変わったわけではない。もののとらえ方が変わった。いや、変わっていたことに気がついたと言った方が正確かも知れない。傍観者から当事者に変わった。涼宮ハルヒを観察し、情報統合思念体に報告する役割だったはずのわたしが、情報統合思念体の計画を妨害し、SOS団を護る立場になってしまった。いつか情報統合思念体とSOS団が対立する時がやってくるかもしれない。そのときわたしは……

ふう

茨の道を歩まなければならない自分に対してついたため息なのか、朱に染まって赤くなってしまった自らを自嘲したものなのかはわからないが、そっと息を漏らし、空を見上げた。空には、わたしのため息など関係ないと言わんばかりに、たくさんの星が輝いていた。

エピローグに続く

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最終更新:2020年03月12日 03:29