第5章 幻想

彼が消え、要を失ったSOS団は空中分解した飛行機のようにバラバラになり、わたしは再び1人になった。とっくに下校時間は過ぎていたが、椅子に座わり机の上に顔を伏せて、自分でも驚くぐらい泣き続けた。泣けば少しは楽になるかと思ったが、まったく楽にはならなかった。この世界には希望がない。生きる目的も失った。わたしはどうすればいいのだろう。気がつけば辺りは暗く、学校にひとけはない。
時刻は3時10分前。世界改変からちょうど3日が経っていた。

『世界改変の3日後、同じ場所、同じ時間に同じ動作をしてほしい。再び世界改変をやる必要はない。マネだけでいい。そこで初めてあなたはこの改変の意味を知る』

未来のわたしはそう言った。その3日後がまさしく今だ。今頃、パラレルワールドにいるもう一人のわたしは校門前に立ち再改変の成功を祝っているのだろうか。わたしは部室から出て校門に向かう。もしかしたら、何か起こるかも知れないという淡い期待もあった。

校門前に立つ。音のない世界に舞い降りたのではないかと錯覚するほど、街はしんと静まりかえっている。3日前のわたしは何を思い改変を行ったのか。そう、彼が好きだった。彼に愛されたい、その一心だった。
無意味とわかっていたが、世界改変をした場所に立ち右手を挙げて呪文を唱えた――が何も起こらない。
当然だ。辺りは残酷なほど静かだった。
もう一度彼に会いたい。

その時、何もない闇の中から彼が現れた。物陰に隠れていたわけではない。本当に何もない空間から姿を現した。人間は何もないところから現れることはできない。何より彼はもうこの世界に来ることはできない。幻覚だとわかった。
「よう。俺だ。また会ったな」
幻覚の彼は声をかけ歩み寄った。ここ数日、わたしを驚愕させる出来事が立て続けに起こった。それはあまりに刺激的でわたしにエラー情報を蓄積させたのだろう。要するに疲れていたのだ。エラー情報の蓄積により異常動作が発生し、わたしに幻覚をもたらした。
幻の彼は言う。
「お前のしわざだったんだな」
彼はやりきれないような、悲しむような表情を浮かべた。
「やっぱりアッチのほうがいい。この世界はしっくりこねえな。すまない、長門。俺は今のお前じゃなくて、今までの長門が好きなんだ。元に戻してくれ。お前も元に戻ってくれ」
その言葉に押しつぶされそうだった。わたしはあなたに愛されたかった。愛して欲しかったのに彼はわたしを見ていなかった。なのに、なんで今更そんなことを言うのだろう。せめて改変する前にその言葉を聞きたかった。
「また一緒に部室でなんかやってようぜ。こんな要らない力を使って、無理矢理変わらなくていい。そのままでよかったんだよ」
わたしも元の世界に戻りたい。もう一度、元の世界に戻ってSOS団として部室で過ごしたい。涼宮ハルヒの元気な声も、古泉一樹の微笑も、朝比奈みくるのコスプレも何もかも懐かしく思える。世界改変を行ったことを後悔した。もし、もう一度やり直せるならわたしは絶対に世界改変なんてしない。でも、今それがわかってもどうすることもできなかった。

「すまん」
彼は突然謝り、ピストルをわたしに向けた。
この場で撃ち殺して欲しい。たとえこれが現実で、ここで死ねことになってもいっこうに構わない。今のわたしに生きる意味などあるのだろうか。
しかし、わたしの思いと裏腹に、彼は引き金を引くことに躊躇し、銃が震え、彼の顔が歪んだ。その表情はあまりにリアルで、わたしのこころをえぐった。
早く引き金を引いて欲しい。そう願っていたのに、わたしが撃たれる代わりに幻覚は体が凍り付くような恐ろしいものを見せつけた。彼が刺されたのだ。朝倉涼子に。彼の脇腹にナイフが刺さっていた。地獄絵だった。
殺人鬼と化した朝倉涼子はわたしが創り出した。気が変になりそうだった。
「ふふ」
朝倉涼子は不気味な笑みを浮かべ、わたしを見る。
「そうよ長門さん。わたしはちゃんとここにいるわよ。あなたを脅かす物はわたしが排除する。そのためにわたしはここにいるのだから。あなたがそう望んだんじゃないの。でしょう?」
違う! わたしはそんなこと望んでいない。やめて、お願いだからやめて! わたしはもがく。
しかし、幻覚は終わらない。

わたしの願いは届かず、朝倉は不敵な笑みを浮かべナイフを振り上げる。
「トドメをさすわ。死ねばいいのよ。あんたは長門さんを苦しめる。痛い? そうでしょうね。ゆっくり味わうがいいわ。それがあんたの感じる人生で最後の感覚だから」
お願い! 目を覚ませ! この悪夢から覚めろ!  わたしは叫ぶ。

その時、
振り下ろされるはずのナイフはピタリと止まり、砂と化していく。
そこに立っていたのは『もう1人のわたし』だった。
「そんな……なぜ?あなたが望んだんじゃないの。どうして」
朝倉涼子は消えていった。
わたしの願いが通じたのだろうか。

しかし、彼はすでに致命傷を受け、みるみる顔色が悪くなっていく。その彼の体を朝比奈みくるが揺らす。そのうしろに朝比奈みくる(大)、そして、もう1人の彼。そしてわたし。いつしかわたしの目の前には多くの人がいた。わたしの機能停止も近いのだろうか。幻覚の世界は混沌として何がなんだかわからなくなってきた。

わたしに再び銃口が向けられる。銃を持っていたのは『もう1人のわたし』だった。
そしてなんのためらいもなく引き金を引いた。
しかし、弾が込められているわけではなく、わたしは傷つくことも、倒れることもなかった。幻覚だから当然だ、と考えるわたしにもう1人のわたしはこう言った。
『目を覚ませ。これは幻覚ではない。あなたは元の世界に帰還した』
わたしは驚き、辺りを見直す。意識を失い倒れている彼。わたしを見るもう1人の彼。健やかに眠る朝比奈みくる。すこし緊張した面持ちで様子を見守る朝比奈みくる(大)。
すべてが幻覚ではなく現実のように見えた。幻覚ではない? 元の世界に帰還? そんなことはできるはずがない。しかし、この状況は……
わたしには訳がわからなかった。
「同期を求める」
「断る」
わたしは今置かれている状況が理解できない。次に何を行動すべきかもわからない。
「なぜ」
「したくないから」
「情報統合思念体の存在を感知できない」
「ここにはいない。わたしはわたしが現存した時空間の彼らと接続している。再改変はわたし主導で行う」
再改変? やはりわたしは今、再改変の現場にいるのだろうか。しかし、どうやって。
元の世界に戻れることを心から望んだ。しかし、なんの前触れもなく、いきなり戻りましたと言われても混乱するだけだ。やはり幻覚なのだろうか。そんなわたしの困惑をよそに『もう1人のわたし』は、続けて言う。
「再改変を行う。再改変後、あなたはあなたが思う行動をとれ」
わたしが思う行動??何をどうすれば?などと考えている暇もなく、時空が歪み世界が暗転し、地球上の元素構成が書き変わっていった。

世界再改変が行われた。

◇◇◇◇

救急車のサイレン。
階段から落ちた彼が搬送される。
それを傍らで見守るわたし。

12月18日早朝、世界改変および再改変が発生。その日の午後、彼が階段から転落。救急車で運ばれ、現在病院で入院中。偽りの記憶が刷り込まれていた。

目が醒めるとそこは、マンションの一室だった。明かりはついておらず、暗闇が広がるリビングの真ん中にわたしは座っていた。元の世界に帰って来られた。しかし、わたしが元の世界に戻ることができた理由は何一つわからなかった。

『パーソナルネーム、長門有希。連絡事項がある』
情報統合思念体からの連絡。
『情報統合思念体の存在を抹消した罪に処分を下す。重大な罪のため処分内容を主流派だけで決定することはできない。処分内容は現在協議中。追って連絡する。それまでマンションを空間閉鎖する。その場で謹慎せよ』
わたしは覚悟した。おそらくわたしが再び観察者として活動することはできないだろう。情報統合思念体を抹殺したのだ。それは避けられない。

でも……

再改変後、あなたはあなたが思う行動をとれ
わたしの言葉がよみがえる。わたしにはやらなければならないことがある。処分が下りこの世界からいなくなる前にどうしてもしなくてはいけないこと。

一言でいい。彼に謝りたい。

わたしは情報統合思念体の命令を無視して玄関に向かう。玄関の扉は厳重に空間閉鎖されており外に出られないことは自明だった。それでも、冷静さを失ったわたしは扉を引っ張った。お願い。開いて。力一杯扉を引くが扉はびくともしない。
ねえ、お願いだか開いてよ。わたしは扉に向かって叫んだ。外気に接し冷えきった扉はわたしの叫びに耳を貸すことなく前に立ちはだかった。それでも扉を引っ張った。何度も、何度も引っ張った。
その時、

ガチャ

光が射す。
そして光は人影を映した。扉の向こうに喜緑江美里が立っていた。
「長門さん。今は事情を話す暇はありません。今すべきことは、あなたが一番よくわかっているはずです。こうしているうちに主流派の刺客が来ます。とにかく急いでください」
わたしは彼女の言葉に甘え、走り出した。


わたしは彼のいる病院に向かった。面会時間はゆうに過ぎていたが、幸い彼の病室が個室だったので誰にも見つかることはなさそうだ。
ドアを開けると、待ち構えていたかのように彼はわたしを見ている。ついさっきまで一緒にいたのだが、久しぶりに会う懐かしさを感じた。しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。わたしは端的に言った。
「すべての責任はわたしにある」
彼は優しい眼差しでわたしを見た。
「ごめんなさい」
謝るわたしに
「脱出プログラムを残してくれただろ。充分だよ」
彼は怒るどころか、微笑み、礼をした。
そんな彼の顔を見るのもこれが最後になるだろう。
「わたしの処分が検討されている」
「誰が検討してるんだ?」
彼は一転鋭い目付きでわたしを睨んだ。
「情報統合思念体」
「くそったれと伝えろ」
彼は手を伸ばし、わたしの手を取った。
「お前の親玉に言ってくれ。お前が消えるなり居なくなるなりしたら、いいか?俺は暴れるぞ。何としてでもお前を取り戻しに行く。俺には何の能もないが、ハルヒをたきつけることくらいはできるんだ。そのための切り札を俺は持っている。ただ一言、『俺はジョン・スミスだ』と言ってやるだけでいいんだ。ああ、そうとも。俺にはヘチマ並みの力しかないとも。しかしハルヒには唐変木な力がある。お前が消えちまったら一切合切をあいつに明かしてすべてを信じさせてやる。それから長門探しの旅に出る。長門の親玉が何をして長門をどこに隠そうが消し去ろうが、ハルヒなら何とかする。俺がさせる。ついでに古泉と朝比奈さんも巻き込んでやろうじゃないか。宇宙のどこにいるのかも解らん情報意識体なんぞ知ったことか。んなもんどうでもいい。お前は俺たちの仲間だ」
彼はわたしを強く見据え続ける。
「つべこべぬかすなら今度こそ世界を作り変えてやる。あの三日間みたいに、お前はいるが情報統合思念体なんぞはいない世界をな。さぞかし失望するだろうぜ。何が観察対象だ。知るか」
彼は怒り、そしてわたしの手をさらに強く握りしめた。彼の言葉には流れ出す強い力があり、彼の手からは暖かさが伝わった。
「伝える」
わたしは多くの時間、彼と行動を共にしてきた。彼のことはなんでも知っているつもりだった。しかし、これほど激しく怒る彼を見たことはない。このときほど彼が頼もしく思えたことはないし、いとおしく思ったことはない。わたしは本当に嬉しかった。わたしは感謝の気持ちをめいいっぱい込めて、言った。
「ありがとう」
わたしの言葉を聞いた彼は優しく手を握り直して微笑んだ。


12月22日。真っ青な空。大地を照らす太陽。すべてがすがすがしかった。
わたしは学校に向かっている。
昨日、彼と別れた後、情報統合思念体から処分が下された。その内容は、

『引き続き涼宮ハルヒの観察を続行』

情報統合思念体の存在を消し、さらには謹慎の命を破り彼に接触したわたしに処分が下されなかった理由は1つ。彼の言葉がわたしを護ってくれたから。彼には感謝してもしきれない。

放課後、わたしは1人部室で本を読んだ。SOS団の部室で。

突然、扉が開いた。
「涼宮さんは?」
喜緑江美里だった。
「今、彼のお見舞いに行っている。今日の活動は休み」
「そう。あなたは行かないの?」
「行くつもりはない」
「冷たいのね」
喜緑江美里は笑みを浮かべそう言ってから、部屋の隅にあるパイプ椅子を広げ、そこに座った。
「お疲れさま」
「ありがとう」
「どういたしまして」
わたしと喜緑江美里は、互いに笑いあった。
「でも、どうして、あなたがわたしを助けてくれるのかがわからない」
「今日はその話できました。過去のあなたが世界改変を実施するように促す必要があります」
「過去のわたしには世界改変をしてほしくない」
「世界改変は必要です。穏健派にとっても、あなたにとっても」
「どういうこと」
「世界改変をしたことで、あなたはSOS団を守ったから。あなたは知らないでしょうが、情報統合思念体の中で急進派の主張が勢いづいていました。観察対象涼宮ハルヒの情報創造能力が弱まっています。そのことに業を煮やした主流派は急進派と組み、新たな情報爆発を人為的に発生させることを考えたんです。計画は11月ごろから進められました。長門さんはエラーが蓄積し、計画の妨害を行う可能性があるため、計画を隠すようにしろと言われていました。わたしたち穏健派はこの計画に反対でした。しかし、情報統合思念体の大勢が賛成に回り、意見を覆すことはできませんでした。そこでわたしたち穏健派はあなたに賭けることにしました」
「わたしは何をすれば」
「何もする必要はありません。すべて済みましたから。主流派の計画は中止です。なぜだか分かりますか?彼の言葉です。『彼』の言葉によって、このまま計画を進め、SOS団に危害を加えれば涼宮ハルヒが自らの能力を自覚し、情報統合思念体と敵対する危険性があるという意見が大勢を占め計画は中止になりました。つまり、SOS団を護るために、彼の言葉を引き出す必要があり、そのためには、世界改変が不可欠だったんです」
「世界改変をしなくても彼に直接事情を話せば済む」
「それはできません。彼に情報統合思念体がSOS団に危害を加えようとしていると伝えると、情報統合思念体とSOS団に対立関係を生む可能性があります。ですからあなたには世界改変をやってもらわなければなりませんでした」
そんなことが起こっていたなんて全く知らなかった。以前、古泉一樹が言っていた情報統合思念体の活動が活発になっているという情報はこのことを示していたのか。とにかく、わたしがこれからもSOS団の団員として活動できることは何より嬉しかった。
しかし、ただ喜んでいるわけにはいかない。わたしには解明しなければいけない難問がある。
「あなたに聞きたいことがある。私が改変された世界からこの世界に戻って来られたこともあなたが関係しているのか」
「どういうことかしら?」
わたしはこの4日間の出来事、すべてを話した。
喜緑江美里はしばらく考え
「私はその件に関しては何も把握していません。長門さんの話から推測すれば、脱出プログラム動作後に何者かの力によって3日前に時間遡航したと考えるのが妥当ですが」
「それはない。何者かが時間操作をしたならば気がつくはず。そのような形跡は全くなかった。それにその世界ではタイムマシンは存在しないはず。時間遡航は不可能」
「困りましたね。何かヒントがあればいいのですけど」
その言葉がどこか突っ掛かるような気がした。何か大切なことを忘れているような……

結局答えは出ず、喜緑江美里は帰って行った。
わたしは、いつものように金魚にえさをやろうとしてえさが空箱になっていることに気付いた。そう言えば餌を買うのを忘れていた……ん?何かがおかしい。えさが無くなったのは、改変された世界のことでこの世界ではない。たしか世界改変前には、少しは残っていたはずだ。
まさか……わたしは部屋の隅に積んである本を持ち上げた。
そこにはこの世界に存在するはずのないものがあった。
やはり。そういうことか。
でも、どうやって?
『何かヒントがあればいいのですけど』
喜緑江美里の言葉をふいに思い出す。
ヒント……?
そうか。わたしはとんでもないミスをしていた。あんな重要なことを忘れるなんて。
世界改変前、未来のわたしはこう言っていた。

『もし、困った事態に直面したら、彼とはじめて出会ったときのことを思い出して
欲しい。彼に対して行ったこと、それが鍵になる』

どうして今まで気づかなかったのか。これは明らかに未来のわたしからのメッセージだ。彼とはじめて出会ったときのこと。思い出すも何も、今でもはっきり覚えている。彼とはじめて会ったのは今から3年前の7月7日。彼は朝比奈みくると一緒にわたしの住むマンションに訪ねてきた。そのとき、彼に対して行ったこと。
そうか。そういうことだったのか。欠けていた最後のピースがパチリとはまった。

なぜ、わたしが元の世界に帰って来られたのか。
なぜ、朝倉涼子を復活させる必要があったのか。
なぜ、脱出プログラムの期限が3日以内だったのか。
なぜ、彼が階段から転落し入院するという偽の記憶が創られたのか。
すべての謎が1本の線に繋がった。
そして、わたしが何をすべきかも解った。彼と世界改変の現場に行き、やらなければならない。彼も朝比奈みくるも。過去のわたしをも欺く世界再改変を。

第6章につづく


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