• 第4章 3日目

 

彼とナツが印刷されたわら半紙を大量に持って帰ってきた。
「こうしてみるとすごい量だな」
「何言ってるの。これぐらいすぐにさばけるわ。増版が必要なんじゃないかしら」
2人は山積みになった紙を見て満足げだった。
機関誌といっても業者に発注し製本する予算などあるわけなく、2つ折りにした紙をホッチキスで留め、本にする。これが予想以上に面倒な作業で、100部すべて製本するのに3日を要した。
機関誌の表紙はナツが絵を描き、裏表紙には『北高生が好きな小説ランキング』が載っている。その次からランクインした小説の解説と書評が書かれている。また、文芸部オススメ本も何冊か紹介した。たとえ1人でもこの機関誌がきっかけで本が好きな人が増えたらどんなにうれしいことだろう。機関誌を初めて手に取った時、私は少なからず気持ちが高揚した。
私たちはさっそく部室の入り口に机を置きそこに機関誌を平積みした。

次の日、学校に来ていの一番で、部室に向かい機関誌の売れ行きをチェックした……が結果はさんざん、機関誌の積まれた高さは昨日と変わっていなかった。
昼休みに部室に行っても状況は変わっていない。
私は落胆し、といっても何かできるわけでもなく、憂鬱な気分になるだけだった。私は気を紛らわすため、コミカルな本を選び読むことにした。私1人しかいない部室は静かで読書には最適な環境だ。彼は今頃ナツと学食にでも行っているのだろうか。1人は慣れている……はずだった。でも何かが違った。なんだか部室が私の居場所じゃなくなった気がした。


◆◆◆◆

書けない。ペンが重い。文章の流れも悪い。
そして何よりこの続きがどうしても納得いかない。この話はあと原稿用紙1枚で完結する。でも、最後の1枚に書いた結末が、何か違う気がする。ずっと原稿を睨んでいたが気づけばもう朝だ。

わたしはその最後のページをくしゃくしゃに丸めて床に放り投げた。学校から帰ってからラストを書き直そう。そう思い、学校に行く準備をしようとした時、呼び鈴がなった。
それは朝倉さんだった。わたしはリビングの隅に積んである本の山に原稿用紙を隠し、床に転がっていた原稿用紙のボールを拾い、とっさに鞄の中に詰め込んでから玄関のドアを開けた。
「おはよう」
わたしはできるだけ元気な声で言うが
「長門さん。寝てないでしょ」
簡単に見透かされた。
「また小説?」
わたしは曖昧に返事をしながら、急いで学校の支度をした。わたしの支度を待つ間、朝倉さんは玄関で待ってくれた。

「小説は書けたの」
「うまく書けない。一応最後まで書いてみたけど、わたしの書きたかった話と違う気がして……どうしても結末が書けない」
「うまく書けないのは自分が心の奥底で書きたくないって思っているからじゃないかしら」
「どういうこと?」
「えーとね。たとえば、2人は愛し合っているんだけど、2人は結ばれないって話を書くとするじゃない。作者は書いているうちに感情移入しちゃって、2人には幸せになって欲しいって願っていても、ストーリーははじめから決まっているから変えられない。そういうときって、文章が書けなくなると思うの。長門さんも書きたい話と書かなければいけない話が一致してないから書けないんじゃないかしら」
確かにわたしが書こうとしている話はハッピーエンドではない。
でも、単純に2人が結ばれて幸せになりましたという話を書きたいとは思わない。
わたしが書きたい話は……なんだろう?

放課後、わたしは部室で彼を待った。しかし、彼は一向に来なかった。部室は沈黙が覆い、わたしは落ち着いていられなくなった。ふと鞄の中に入っていた原稿用紙に気づいた。わたしは気を紛らわすため、くしゃくしゃに丸まった紙をもう一度広げて、もう1度読み直した。

◆◆◆◆

昼休み、私が1人で本を読んでいたとき扉が開いた。彼が来たのではと期待したが、意外にも来たのはナツだった。
「どうしたの」
「ねえ。ユキはどうして文芸部に入ろうと思ったの?」
その問いかけは日常会話の延長線上にあるものでなく、私に真剣な答えを求めたもののように思い、私は少し戸惑った。
「……本が好きだったから」
「そう。私は、はじめから文芸部に入ろうと思ってここに来た訳じゃなかったわ。私がここにはじめて来たとき、それほど文芸部に期待はしてなかった」
ナツの声はいつもより3割ほど控えめで、少し様子が違うように感じる。
「実は、私はすべてのクラブに仮入部したの。どこのクラブもつまらないところばかり。入りたいクラブは1つもなかったわ。
『君は筋がいいからエースになれる』
『部員不足だったから来てくれてよかった』
どこのクラブもそんな台詞ばかり。誰も私自身を見てはくれなかった。でも、文芸部だけは違ったわ。ちゃんと私を見て、受け入れてくれた。この部室にいるときが、一番私らしい気がするの」
ナツは一つ一つの言葉を選びながら、ゆっくりと語った。
その表情は普段決して見せないような穏やかなものだった。彼女が語る言葉は、数少ない本音だと思う。
「ユキ。私、文芸部に正式に入部しようと思う」
その言葉を訊いた私はとっさに自分でも驚くようなことを言ってしまった。
「断る」
「え……」
ナツは固まってしまった。



私はナツに追い打ちをかけるようにこう言った。
「文芸部は定員割れで廃部が決まっているの。機関誌を配り宣伝して、新入部員が入ればいいと思ったけど何の成果もなし。悪いけど入部を認めることはできない」
「どうして! 廃部の話があるのは知ってるけどまだ諦めるのは」
「うるさい。あなたは本に興味あるの。いつも彼と雑談してばかり。文芸部は本を読むクラブなの。なりふり構わず部員を集めて、お遊びクラブにするつもりはない」
私は叫ぶように言い放った。
「……わかった」
ナツはそう言うと部室を出て行った。
ナツがいなくなった後、自分がしたことを思い返し身震いがした。取り返しのつかないことをしてしまった。

放課後、部室に彼が来た。
「よう」
私は会釈をした。
「ナツは体調が悪いとかで先に帰ったよ」
「そう」
うつむいていた私は向き直り彼を見た。
「ねえ」
「ん? なんだ」
「文芸部を廃部にしようと思う。もう部員が増える見込みはないわ。私たちはがんばった。けど結局、部員を増やせなかった。最初から無理だったのよ。こんな陰気なクラブに誰も来るはずないか」
気づけば目に涙があふれていた。
これでいいんだ。これですべて終わり。もう文芸部は私の居場所じゃない。
そこは教室と同じ孤独を感じる空間だった。私の好きだった文芸部はもうとっくにない。
どうせ文芸部は廃部になる運命だ。ちょうどいい機会じゃないか。
こころの中で彼に言う。さようなら。今まで楽しかったよ。
私は涙をぬぐいめいいっぱいの笑顔を作った。
「今までありがとう」


◆◆◆◆

わたしはクライマックスまで読み切り、背中を反り天井を見上げた。後味が悪い。わたしが書きたかったのはこんな話だったのだろうか。

外を見るともう日が沈みかけている。下校時間だった。彼はもう来ないのだろうか。窓辺に立ち静けさに抱かれながら、彼を待っていた。

コンコン
沈黙を破るノックの音に振り向く。
「よう、長門」
「あ……」
彼を見て安堵し、思わず息を吐いた……のだが、彼の後にポニーテールの女の子が立っていた。だけではなかった。
その女の子はさらに別の女の子を抱え、その後には真冬にも関わらず半袖短パンの体操服姿の男の子がいる。この集団はなんなのだろう。
「こんにちは」
その女の子は笑顔を振りまきながら、部室に入ってきた。
「そっちの眼鏡っ娘が長門さん? よろしく! あたし涼宮ハルヒ! こっちの体操服が古泉くんで、この胸だけデカい小さい娘が朝比奈さん。で、そいつは知ってるわよね? ジョン・スミスよ」
「ジョン・スミス……?」
彼の新しいニックネームだろうか。彼は私を見て肩をすくめていた。
「ふーん、ここがそうなの。SOS団か。何にもないけどいい部屋だわ。いろいろ持ち込み甲斐がありそう」
え? 彼女は文芸部に入部するつもりなのか。
「でさ、これからどうする? この部屋を拠点にするのはあたしとしても賛成だけど、交通が不便だわ。そうだ、時間を決めて駅前の喫茶店に集合ってことでどう?」
いったい彼女は何者なのだろうか。私の頭の上にはハテナマークが回り続けた。
その時!!

ピポ

突然、パソコンが電子音を発した。
部室にいた全員がパソコンに注目した。
彼はものすごいスピードでパソコンに飛んでいき、画面にしがみつく。
真っ暗な画面に白い文字が映し出されている。
Y U K I .N > このメッセージが表示されたということは、そこにはあなた、私、涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹が存在しているはずである。それが鍵。あなたは解答を見つけ出した。


「何? スイッチも押してないのに、びっくりするじゃないの」
「タイマーがセットされていたのでしょうか」
女の子と体操服な男の子がパソコンに寄り画面を覗き見ている。
「どういう意味? なんの仕掛けなの? ジョン、あんたやっぱりあたしをからかっているだけなの? 説明してよ」
しかし、彼はその人たちすべてを無視して私に言った。
「長門、これに心当たりはないか?」
画面にはこう書かれていた。

Y U K I .N > これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合はそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。ただし成功は保証できない。また帰還の保証もできない。このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行が選択された場合は起動せずに消去される。Ready?

何のことかさっぱりわからない。
「……ない」
「本当にないのか?」
前にも同じようなことがあった。不思議なメッセージが書いていた栞。あの時も私に覚えがあるか、と聞いてきた。
「どうして?」
彼は私に何か言おうとしたが、何も言わずパソコンに向き直った。顔は真剣だった。
「ねえ、ジョン。どうしたの? また変な顔してるわよ」
「ちょっと黙っててくれ。今、考えをまとめてるんだ」
彼は目をつぶり、深呼吸する。
そして、目を見開き
「すまない、長門。これは返すよ」
入部届けだった。
何も書かれていないその紙は、さよならを意味した。
「そう……」
闇に射すひとすじの光が消えた。



「だがな。実を言うと俺は最初からこの部屋の住人だったんだ。わざわざ文芸部に入部するまでもないんだ。なぜなら俺は、SOS団の団員その一だからだ」
彼はパソコンのキーボードに指を伸ばし、エンターキーを押した。

その直後――。

「うわっ?」
彼は悲鳴を上げ、その場で崩れ落ちた。
「キョン!」
私は叫び、駆け寄り、彼を支える。
その瞬間、強烈な閃光で前が見えなくなった。
「え!」
手の感覚がおかしくなる。
よく見ると、彼の肩をつかんでいるはずの私の手は何もつかんでいなかった。
誰もが絶句した。

彼が消えていた。

その時、わたしの頭はぐるりと宙を回った。
SOS団? 涼宮ハルヒ? 朝比奈みくる? 古泉一樹? 記憶が走馬燈のように駆け巡る。それは3年前突然彼がわたしのマンションを訪ねてきてから始まった。それが彼との出会い。そう彼との出会いは図書館じゃない!
情報統合思念体。情報爆発。観察者。ヒューマノイドインターフェイス……朝倉涼子の暴走。閉鎖空間の発生。終わらない夏休み。コンピュータ研との対戦。3年間の記憶がフラッシュバックし、わたしが何者なのかはっきりわかった。しかし――この世界には情報統合思念体はなかった。



わたしは世界改変後すぐに再改変が起こると考えていた。あるいは、彼が改変された世界を選び、再改変は起きず、私は普通の人間として生きていくかもしれないと。しかし、わたしが今いる世界はそのどちらでもなかった。彼が世界再改変をするためには、緊急脱出プログラムを起動させる歴史が必要だった。つまり、世界改変を行ったことで世界が分岐してしまった。一方は、再改変が起こる世界。もう一方は緊急脱出プログラムを起動させるためだけに創られ、彼が無事、元の世界に帰還すればなんの意味もなさない世界。つまり今だ。わたしはなんて愚かなのだろうか。こういう状況になるとは考えてもみなかった。

彼に愛されたい。そう願った。彼に振り向いてもらおうと必死だった。だから世界を創り変えた。しかし、そこにあったのは彼のいない世界だった。

まさか彼を失うなんて考えてもいなかった。彼だけじゃない。希望も、生きる目的も、何もかも失った。わたしはこれからどうすればいいのだろう。今のわたしに何の力も残っていない。涼宮ハルヒもただの人間だ。この世界では、未来永劫タイムマシンが開発されることも、宇宙人がやってくることも絶対に起こらない。
唯一の脱出手段、緊急脱出プログラムも一回限り。もう使えない。わたしがそう創ったから。
彼はもう戻ってこない……

わたしは彼が好きだった。しかし、彼は涼宮ハルヒのことを想っていた。わたしは涼宮ハルヒに嫉妬し、記憶を操作し別の高校に入学させた。SOS団もなくした。
だが、そんな偽りの世界を彼は否定し、いなくなってしまった。
偽りで塗り固められた世界。わたしの願望だけを反映させた世界。誰もこんな世界に住みたいと思わない。
わたしはバカだ。大バカ者だ。そんなことも気づかないなんて。
彼のことなんてなんにも考えていなかった。自分のことしか考えていない。
だからこんな小説を書いてしまうんだ。こんな世界を創ってしまうんだ。

もしも願いが叶うなら、彼に謝りたい。一度でいい。彼に会って謝りたい。

しかし、それはかなえられない夢だった。
わたしの目から、ゆるやかに落ちた。水じゃなくてもっと寂しい粒が

  • 第5章へつづく

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