寝不足で頭が締め付けられるような感触を引いたまま、朝食を食べ終え、予め磨いていた歯をもう一度磨き、顔を洗うと俺は自転車にまたがって学校を目指した。
 坂の途中で谷口に声を掛けられ、俺は「長門を知っているか?」と訊いたが、「誰だ、それ? 男か、女か?」とのことで、「お前は、バカだから仕方ない」と諭すように言うとアホが騒ぐのを無視して教室まで来た。
 教室では、もうすでに俺の後ろで不機嫌そうに座っているハルヒがいたが、生憎(あいにく)こいつから得られる情報とは限りがあるし、逆にヘタにつついて要らぬ厄介事を引き寄せてはたまらんからな。
 そういうわけで、朝の挨拶をし終えると、俺は昨日の考え事で寝不足になった頭を休めるべく昼休みまで眠ることにした。

  昼休み、谷口や国木田と弁当を食べることを辞退した俺は、ある一人の先輩を探した。 三年生側の校舎を歩いてみるが、そもそもあの人が何組にいるのか知らない俺は、やっとそこでこの行動の無意味さに気付き、いそいで生徒会室へと取って返した。
 生徒会室の前に立つと、俺は一つ深呼吸をする。 ここにあの人が居なければ、一体俺はどこを探せばいいんだか分からなくなり非常に困るからだ。 しかし、あの人ならこうやって俺が四苦八苦しているのを、俯瞰しながらほくそ笑んでいるイメージが練りあがってくるのは何故だろう。 俺はそんなことはないと頭を振って、ユックリとドアノブをひねった。

「ふふ、来ると思っていましたよ」

「……居てくれたんですね、喜緑さん…」

  そこには俺が待ちに待ち望んだ、黄緑色の瞳に黄緑色のワカメを貼りつけた、ウェーブのかかった髪を持つ先輩が―、

「帰ってください」

 嘘です。 冗談です。

  なぜか俺の心の表現が読まれ、非常に恐縮する俺に、喜緑さんは俺が一番訊きたかったことを訊いてくれた。

「『長門さん』のことですよね?」

「喜緑さんは、『長門』の事を覚えているんですね!
 教えてください、長門はどこにいるんですか! 一体、今はどうなっているんですか!!」

  よろこび勇んだ俺はいまの長門の居場所と状態を訊きだそうとしたが、喜緑さんは悲しそうにフルフルと首を横に振った。 そんな、喜緑さんでもわからないなんて…。
 俺は女の人の前であるにも係わらず、今まさに絶望に打ちひしがれようとしていると、この緑の先輩は耳を疑うようなことを言い出した。

「だって、

 『面白いこと』をすると聞きましたから…」

 はっ?

「誰に?」

「死神さんに」

「なんと?」

「『面白いこと』をすると…」

「………………」

「……………」

「………………」

  どうやら、頼りの宇宙人は敵にまわったらしい。

「ちょ、喜緑さん、なに言ってるんですか!
 長門があのどこの馬の骨とも知らない死神に、さらわれたんですよ!!」

「あらあら、死神出身とわかってるじゃないですか。 なに、言ってるんです?
 ご心配なく、彼女は無事ですよ。 今のところは、ね」

  どういうことだ、この先輩はいつどこで無名と関わりを持っただろう。 しかも、裏でなにやら遣り取りをしてそうだな。

「彼女たちは、いま長門さんが創った閉鎖空間に居ます。
 その空間では時間の進みがここと違いますから、明日には出てくるんじゃないでしょうか?」

 一体、中で何をしているんです?

「ですから、『面白いこと』を」

「………………」

  俺の背中に、悪寒が走った。 序でに、冷や汗も流れ始めた。 まさか、まさか長門の『さようなら』とは、『アレ』の『さよなら』なのか?
 まさか、今ごろその閉鎖された空間の中で、脅されて一つも逆らえないでいる一途で健気な俺の長門が、あの忌々しい無名と×××な組んず解(ほぐ)れつの展開に………、

「今直ぐに、奴の居場所を教えてください!!
 見付けしだい、殺してやります!! たとえ、殺せなくても殺します!!」

「安心してください、あなたが想像したようなことにはなってませんから」

  喜緑さんは暴れ馬を鎮めるようにドォードォーと俺を宥めると、話をはじめた。

「無名さんは、わたしに『無事、連れて帰る』と言いました。 ですから、
 おそらくは無事でしょう。 もし無事でなかった時は、死神であろうと容赦はしませんが…。

 だから、言いましょう。 長門さんの命は、あなたに係(かか)っていますと」

「………………」

「あなたの、『答え』次第です」

  喜緑さんの真摯な瞳が、俺を貫く。 俺の第六感が、これはヒントだと告げている。
 俺はこんなときまで世話になった先輩に頭を下げると、

「ありがとうございます。
 長門の無事を知ることが出来ただけでも、良かったです」

  そういって、俺は喜緑さんの許を去った。 去り際に、彼女の口が動いたように見えたのは俺の気のせいだろう。

「……頑張ってくださいね、キョンくん…」


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  俺は教室に戻ると、まだ食っていなかった弁当を平らげ、その後の午後の授業も睡眠学習ですごした。
 ハルヒに「あんたの脳みそはミジンコなみなんだから、しっかり勉強しないと来年大変よ?」とか言われたが、今の俺にとって来年だかの勉強の心配よりも、長門を救うため無名の謎の問題を解くことが先決であり、他の一切合切はぜんぶゴミ箱に棄てでも構いやしない。
 放課後になると、俺たちはいつものように部室で過ごしたが、やはり、俺にはいつも通りには感じれず居心地が頗る悪かった。 メンバーは変わりなく、ハルヒはいつものネットサーフィン、朝比奈さんはお茶の支給係、古泉は俺とのボード・ゲームに興じると俺は普段通りをそつなくこなした。

  自転車を走らせ家に帰ってきた俺は、昨日と同じようにして部屋に入り込むと、ベッドの上に座り込んだ。 そして、ポケットから取り出すが、それは昨日とは違って無名が書いた紙だった。 もちろん、栞も肌身はなさずポケットに入っているが、そこには長門からの別れの言葉だけでありヒントは無い。
 俺は無名の『サービス』として書かれた、『儂は死神、死を統括する者』という言葉を何度も読み返す。
 無名は『死神』、ということは『死の決定権』はすべて『無名にある』ということ。
 なら、俺はあの死神に「殺さないで」と泣きすがりついて頼みゃあいいのか? 悪いがそんなことは、ごめん被(こうむ)る。 それに、そんなことで長門の命を救えるとは到底思えない。
 俺は、あいつさえ無事なら死んだってかまわない。
 それなら、俺は『俺を殺してでも、長門は助けてくれ』と、あの無名に言うべきなのだろうか。 これが、唯一のあいつを助ける方法なんじゃないか?
 俺が半ばそれで良いんじゃないかと思い始めたとき、喜緑さんの『『答え』次第』という言葉を思いだした。
 そうだよ、無名の答えは『どういうものか』を『限定』していないから、『どんなもの』だって『答え』になる。
 なら、そこで、問題になるのは『答えの内容』だ。
 しかし、一体『俺も長門も助かるような答え』なんてどんなものが………、なるほどな。

  俺は、その『答え』とやらが解かってしまい苦笑した。 それは、あまりにも『純粋』であまりにも飾り気のない『想い』だということに気付かされたからだ。
 俺は若干くやしく思いながらも、この寸劇まがいのストーリーにキッチリはめられたことに「やれやれ」と一つ呟いた。 それから、俺は徐にベッドに寝転がって、独りごちた。

「……そうだよ…、いまの俺の行動が答えのようなもんだ…」

  俺は、なんとなく胸にホカホカとしたものを抱き締めながら、妹が夕飯に呼びにくるまでずっと天井を見上げていた。
 そして、家族そろって晩飯を食い、風呂に入ってから寝巻きに着替えると、俺はベッドに潜り込んで、ある『覚悟』とある『決意』を心に堅く誓って眠りにつくのだった。


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  さて、俺は今朝も元気よくではないが母親に「行ってきます」と告げて自転車を走らせたのだが、着いた場所はいつもの坂下の駐輪場じゃない。 そこは駐輪場は駐輪場でも、えらく高そうなマンションの駐輪場で、どう考えても制服のままの俺が来るようなとこじゃないのだが、さてさて俺はこんなところに何をしに来たのか。
 昨日の夜に誓った、ある『覚悟』。 それは、学校を無断でサボるというものだった。 喜緑さんが言っていた、『明日には出てくるんじゃないでしょうか』という言葉にはいつ・どこにが含まれていない。
 だが、俺の第六感は時間はわからずとも、長門が戻ってくるのは『ここだ』と告げていた。 708号室の、長門の部屋。 あのハルヒ消失事件の時に、長門に『しっかり文芸部室で待っててくれよ。 俺とハルヒが行くまでさ』と言った場所。 なら、俺もこの場所で『おかえり』とあいつに言うのが、筋ってもんじゃないのか?

  俺は、またもや五月のハルヒや昨日の俺と同じ手段で、長門の部屋まで辿り着くとノブをひねって、ドアを開けた。 昨日の帰りに消した電気をまた点けて、マンションの居間まで来ると、また電気を消してコタツの一角に座った。
 窓から入ってくる朝の光だけで充分だと思ったからじゃない、ただここは明るい分だけ部屋の広さを実感してしまうからだ。 こんな広い空間で、あいつは何を思って生活しているのだろう。 なにも思わずに生活しているのだろうか、いや、そんなはずはない。 あいつだって、孤独を感じているに決まっている。
 なら、俺はどうしてやればいいんだろうか? 野暮なこと訊くなっての、そんなこと決まってんじゃねえか。 もっとあいつを、連れ出してやりゃあいい。 もっと、もっと外の世界に連れ出して、あいつがこんな広い部屋でいる時間なんかなくしちまえばいいのさ。 あいつが寂しいと思う前に…、俺が寂しいと思う前に…、な。

  そんなことを思いながら時間が過ぎて、ちょっと早いが早弁でもするかと俺が弁当をあさりだしたところで、たたみの部屋から声が聞こえ始めた。

「大丈夫?」

「なに、こんな物如何って事無いわ」

「血だらけ」

「だから、如何した?」

「ユニーク」

「………ドS目……」

  えらく楽しそうな会話をしてるじゃないか、俺も混ぜてくれよ。 若干、こめかみにイラッとした証を生じさせながら、俺はふすまを思いっ切り開けてやろうと近付くと、扉は勝手にスーッとスライドさせられた。
 誰が開けたのかと思って、ふすまから三メートル程はなれた場所で立っていると、中から左目を押さえた血だらけの無名とそれに追随するように無傷の長門が出てきた。

「お前、大丈夫か? 血だらけだぞ?」

「ああ、『先(さっき)云った』と思うが、如何って事無い」

  無名が、やたらと『さっき言った』という部分を強調してくる。 なんの、つもりだ?

「まさか、主が居るとは知らず、『大丈夫?』と声を掛けてしまった長門嬢のfollowじゃよ。
 主が居る事が予め解かって居たなら、主に飛び付きに行ったんじゃろうが、儂に然う声を掛けた事で機を失ってしまったんじゃよ」

「「………………」」

  俺と長門は、呆然とした。

「わ、わたしは、そんなことしない」

  ちょっと赤い顔でしどろもどろになる長門に、俺はたった数日なのに何年ぶりかと思うような気持ちで言った。

「長門、……おかえり…」

「……ただいま…」

  俺と長門が見詰め合って、このままずっと見てても飽きないなと思い始めていると、

「ウォッホン!!」

  無名の咳払いで、台無しになった。

「所で、主。 『答え』とは、見付かったか?」

  無名がそういったのを聞くと、長門は驚いた顔を無名に向けてキッと睨んだ。

「どういうこと? わたしが『答え』を見付けたら、彼は助けてくれるんじゃなかったの?」

「一度たりとも、そんな事は云って無いのぉ。 『答え』を見付けろとしか。
 『見付けられ無かった』時は、主が消える事で此奴を救うと『云った』が、
 『見付けた』なら救うとは、儂は全く以って『云って居らぬ』な。 何処で、そんな事を聞いたんじゃ?」

「……っ…!! 卑怯者!」

  俺はあの生徒会長のときなみに怒っている長門をドォードォーと宥めて、無名に向き直った。 もともと、こいつに口で勝てるとは思ってないさ。 あの文章も、肝心なところは見事にハショってたしな。

「あぁ、見付かったぜ。 ようやくな」

  俺は無名にそう言うと、長門を俺のとなりに立たせて、昨日の夜に誓った『決意』を新たにする。 その『決意』とは、俺が見付けた答えを『言い切る』こと。 ヘタレな俺なら、逃げ出しかねないからな。
 俺は、となりで不思議そうに見上げてくる長門の肩にポンと手を置くと、無名にハッキリと明言してやった。

「俺は、死ねない。 『まだ、こいつを支えて行きたいから』
 俺は、死にたくない。 『まだ、こいつと一緒に今を生きたいから』。 それが、俺の『答え』だ」

  無名が俺と長門を交互に見て、場違いに咲いたレンゲソウくらいの微笑で「然うか」と言った。 それは、何もかもを見通した上での出てきた笑みのようにも感じたが、そう捉えるとはなはだ癪に障るので、自然とほころんで出てきたものだと解釈したい。 って、どっちにしても癪か?

「想い相通ずるとは此の事か。
 長門嬢よ、機会が有れば主の見付けた『答え』も此奴に聴かせて遣ったら、如何じゃ?」

  俺は「?」を浮かべて長門のほうを見えるが、ほんのりとほほを紅くして薄く口を開けたままカタマっている長門からはなにも読み取れなかった。 どうした、腹でもこわしたか?

「っと、儂はそろそろ死神共の世界へ帰ると為るぞぃ。
 長門嬢を忘れて居った者達も、今頃は喜緑嬢が情報操作とやらを為て呉れて居るじゃろ。
 じゃあの、此の色惚け共。 あぁ、然う然う、ちゃんと主の報告は『見送り』に為て置いて遣るから、安心せい」

  それだけ言うと、無名は長門の畳の部屋へと消えて行った。 呆然と残された俺たちだったが、俺はさっきまで考えていたことを思い出すと即、実行に移した。

「おい、長門。 さっさと、学校に行こうぜ。
 今からじゃ昼ごろになっちまうが、放課後みんなが部室に揃ってないと団長様が角だして怒ってくるからな」

  俺は、まだうなずきもしていない長門の手を引くと、いそいで玄関まで向かった。
 握った手からは、紛れもなくこいつがここに居るという証明が伝わってきた。 小さく、ヒンヤリとした手は徐々に俺の熱で温かくなり、それでも消えることはなかった。
 俺があの世界から帰って来たのは、間違いなくこいつに会いたかったからなんだろうな。
 そんなことを思いながら、玄関前まで来ると、

「何故じゃぁああー! 何故、帰れぬのじゃぁぁああーー!!」

  悲痛な死神の叫びが聞こえてきました、とさ。




   - Fin - 


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