• 第2章  1日目



街は静まりかえっていた。まるで人間すべてが消えてしまったのではないかと錯覚してしまうほどに。わたし1人、夜道を歩いていた。ふと、北高の校門前で立ち止まった。時刻は午前3時を回っている。
わたしは本が好きだった。読むことも書くことも。時間を見つけては小説を書いている。小説を書くことは難しい。小説を書いていると行き詰まることがよくある。原稿を睨んでいても、アイデアは一向に浮かばない。そんなときは、散歩することにしている。今、散歩をしている理由はまさしくそれ。わたしの書いている小説の続きがどうしても書けない。クライマックスがどうしても書けないのだ。ハッピーエンドにすべきなのか、バットエンドにすべきなのか。読み手はどちらを望むのだろうか。わたしはどちらを望むのだろうか。

◆◆◆◆

 私は、ごく一般的な高校に通う高校1年生。この学校に通って半年になる。私の趣味は本を読むことで文芸部に所属している。私は人と話すのが苦手で、友達はいない。わたしはいつも休み時間になると教室から逃げ出し、部室に行って本を読めるけれど、本ならどこでも読めるが教室の空気が好きになれなかった。別にいじめられているわけじゃないけれど、あの場所にいると孤独を感じた。部室に行っても1人であることに変わりはないが、部室は落ち着いた。部室だけが私の居場所だった。

私には好きな人がいる。名前はわからない。彼との初めての出会いは近所の市立図書館。実は、私が本を読み出したのは高校生になってからで、それまで本に全く興味はなく、図書館に行ったことさえなかった。初めて図書館に行った時、本がところ狭しと並ぶ光景をみて感動したことを今でも覚えている。しかし、貸し出しカードの作り方を知らず、引っ込み思案な私は受付の人に訊くこともできず困り果てていた。そのとき困っている私に気づき声をかけてくれたのが彼だ。私は彼のことを今でも思い続けている。

ある日、顧問の先生に呼び出された。顧問と言っても名前だけで、普段、話すこともない。古文の担任でもある先生に呼び出されたとき、よほど古文の成績が悪かったのか、と心配したほどだ。文芸部のことで相談があると言われ、自身の成績に問題がないとわかりほっと安心したと同時に、とてつもない不安に駆られた。
「言いにくいんだが」
という前置きがわたしをさらに不安にさせた。
「このまま新入部員がいなければ、廃部になる」
不安が的中した。
「私としても、廃部は避けたいんだが、部員が1人しかいない部に部室と予算を提供することは学校として認められないそうだ。来年度の予算の素案が決まる今月末までに、新入部員が増えなければ存続は難しい」
廃部宣告だった。いきなりの告知。予想できていたとはいえ、その言葉を受け入れるのに数秒の時間を要した。

私は宣告を受け入れ部室に戻った。部室の扉を開けると、多くの本が私を出迎えてくれる。部室がなくなる。この本はどうなるのだろうか。この本棚はどうなるのだろうか。この部室は唯一私が安らげる場所。その大切な場所がなくなる。私はどうすればいいのだろう。私はその場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か。どうしたんだ」
振り向くと、そこに『図書館で会った彼』がいた。
「文芸部の部員か」
彼は廊下で泣き崩れる私にそっと手を差し出し、部室の椅子に座らせてくれた。
「どうしたんだ?」
「答えたくないならいいんだが」
彼は困惑しているようだった。答えないのは彼に悪い気がして、包み隠さず今日起こった出来事を話すことにした。
「う~ん」
彼は眉間にしわを寄せしばらく考え込み
「じゃあ、俺が入部しようか」
「え……」
あまりにも突然で私は固まってしまった。聞き違いに違いない。
「俺は本が好きだし、どこかのクラブに入りたいと思っていたんだ」
彼は照れくさそうにそう言った。
「すまん。迷惑か」
「そんなことはない」
私は、必死で否定した。私はあわてて、本の山をかき分け、ほこりがかぶっていた入部届を探しだし、彼に渡す。彼はその場で入部届けを記入した後、本棚を眺めたりしていた。こういう場合、部の活動内容等を説明するべきなのだろうが、私は緊張しすぎて顔を上げることもできず、本を読むふりをしてしまった。
あまりの急展開に放心状態だった私は彼が帰った後、ことの重大性に気づき、おろおろしたり、にやけたり、これは夢ではないかと不安にもなり、じっとしていられず動物園にいるライオンのように同じ場所を行ったり来たりした。運命の赤い糸なんてあるわけないと思っていたが、今日ばかりは運命の赤い糸が私の小指に結んであると言われても素直に信じてしまう。
そうして、私と彼の新しい部活が始まった。昼休みと放課後、彼が部室に行われた。といってもルールとして決まっている訳ではなく、彼も私もいつのまにか習慣づいてしまっただけなんだけど。昼休みは弁当を持ち寄り、食べながら最近読んだ面白い本の話をしたり、最近見たテレビのことなど、どうでもいい話もした。話といってもしゃべっていたのはほとんど彼だったが。それ以外の時間は本を読んでいた。特に会話はない。ただ本を読むだけなので、以前とやっていることは変わらない。しかし、部室の空気は一変した。

その日も、彼と一緒に昼食を食べ、その後、私は昨日読んでいた学園小説の続きを読み、彼はハードカバーの長編SF小説に挑戦していた。部室には穏やかな時間が流れた。静かな部屋に時折聞こえる本をめくる音が心地よい。こんな日がずっと続けばいい。そう思っていた。
どれぐらい時間が経っただろうか?短針が2周はしたと思う。ふと横を見ると彼はすうすうと寝ていた。その幸せそうな寝顔をみていると私まで和んだ。もしかしたらこういうことが幸せっていうものなのかもしれない。私は1人微笑んだ。


つづく
◆◆◆◆

これは、わたしの書いた小説だ。ヒロインは自分自身をモデルにしているが、文芸部が廃部宣告を受けたことも、それを救うヒーローが現れることもない。現実はきびしい。わたしは今日も1人、部室で本を読んでいる。
ちなみに、小説に登場する『彼』にはモデルになった人物がいた。『彼』とはわたしと同じ北高に通う生徒で、キョンというあだ名があるらしい。『らしい』というのは、朝倉さんからの伝聞だからで、わたしは彼と話すことがないからあだ名で呼ぶこともない。彼と話したのは、小説同様図書館で貸し出しカードを作ってくれたときだけだ。なんでも、朝倉さんは彼と同じクラスで、しかも席は彼の後という。世の中はなんと不公平にできているのだろう。朝倉さんは彼のことを普通と評していた。
「どうかって言われても、そんなに印象はないかな。もしかして、彼のことが好きなの」
わたしは全力で否定する。でも、すでに手遅れで
「そんなに気になるなら告白したら。なんなら話が仲介しようか」
と彼が好きであることが既成事実になり、さらに恋のキューピットまで申し出てくれた。

はあ

わたしは盛大なため息をついた。どうしてわたしは臆病なのだろうか。

そんなある日、信じられない出来事が起こった。あらかじめ言っておくがこれはわたしが夢想した小説ではない。現実での出来事である。

バン! 突然扉が勢いよく開き、『彼』が入ってきたのだ。
「いてくれたか……」
彼はなぜか、わたしを見て安堵の表情を浮かべ、扉を閉めた。
「長門」
「なに?」
わたしはできるだけ平静を装い答えた。図書館の一件以来接点のなかった彼が、なぜわたしの名前を知っているのだろう。もしや、朝倉さんの計らいではないだろうか。
「教えてくれ。お前は俺を知っているか?」
当然知っている。図書館の出来事以来わたしはずっと彼を思い続けている。戸惑いと喜びと緊張が同時に押し寄せてどうしていいか訳がわからなくなりそうな自分を落ち着かせようと、できるだけ平坦な声で言った。
「知っている」
それにしても、彼の問いかけの意図はなんだろう。彼は図書館のことをずっと覚えていて、わたしに会いに来てくれたのだろうか。
「実は俺もお前のことなら多少なりとも知っているんだ。言わせてもらっていいか?」
わたしは期待する。彼との接点は図書館しかない。彼が図書館の話をすると信じて疑わなかった。しかし、彼はわたしの期待を大きく裏切ることを言った。
「お前は人間ではなく、宇宙人に造られた生体アンドロイドだ」
彼の爆弾発言は、わたしの期待を宇宙の彼方にぶっとばし、わたしの頭の上にはいくつものハテナマークが回っていた。宇宙人? 生体アンドロイド? たしかにわたしはそういうものが出てくるSFを数多く読んでいる。しかし、わたし自身にそんな力がないことは言うまでもない。
「それが俺の知っているお前だ。違ったか?」
「ごめんなさい。わたしは知らない。あなたが五組の生徒であるのは知っている。時折見かけたから。でもそれ以上のことをわたしは知らない。わたしはここでは、初めてあなたと会話する」
わたしがそう言うと、彼はとても悲しそうな顔をした。そんな顔をされても……困るんだけど。
「……てことは、お前は宇宙人じゃないのか? 涼宮ハルヒという名前に何でもいい、覚えはないか?」
ないとしか答えようがなにので「ない」と答えた。
彼は不治の病にかかった患者が名医に頼み込むように、わたしに必死に懇願する。
「待ってくれ。そんなはずはないんだ」
彼の顔は真剣そのものだった。何かに追い詰められているような、そんな緊迫感がこちらまで伝わってくる。もし、これが演技なら文芸部でなく演劇部の門をたたくべきだと思う。
「思い出してくれ。昨日と今日で世界が変わっちまってる。ハルヒの代わりに朝倉がいるんだよ。朝倉が復活しているんだからお前も何か知ってるはずだ。朝倉はお前の同類なんだろう?」
朝倉さん? やはり朝倉さんが彼に何かを吹き込んだのだろうか。それとも朝倉さんの仕組んだどっきりなのか。
とにかく、演技とは到底思えない緊迫感ある表情はさらに磨きがかかり、恐怖さえ覚える。
彼はわたしの肩をつかみ、迫った。
「何の企みだ。お前なら解りやすくなくとも説明はできるはずだ」
彼の荒い息が私の顔に降りかかる。肩をつかまれ身動きがとれない。恐怖で心臓の鼓動が聞こえる。
「やめて……」
やっとのことで声を絞り出した。

彼は慌てて手を離し、後ずさりし
「すまなかった。狽籍を働くつもりはないんだ。確認したいことがあっただけで……」
彼は魂が抜けた抜け殻のように、椅子の上に崩れ、焦点を定めない目を泳がせている。そして部室を見渡して、頭を抱え込んだ。
彼の言っていることは支離滅裂だが、彼の必死さはホンモノだ。冗談とは到底思えない。何かある。きっと何か事情があるはずだ。

彼はゆっくりと頭を上げ、わたしを見て謝った。
「すまん」
その声には悲壮感が漂っていた。逆に心配になってくる。何か声をかけた方がいいのだろうか。
彼が座り込んで10分ぐらい経っただろうか。硬直状態が続いていたが、それを破ったのも彼だった。

彼は突然立ち上がり、パソコンを指で差して
「長門。それ、ちょっといじらせてもらっていいか?」
わたしは困惑した。小説の中でも、現実でも彼はわたしを驚かす役回りらしい。なんてことを言っている場合ではない。そのパソコンにはわたしが今まで書き溜めた小説が入っている。図書館のエピソードも書かれている。でも、断るのも不自然だし……
「待ってて」
わたしはデスクトップ上にあった小説フォルダをゴミ箱に移した。あとで、ゴミ箱から復帰させればいい。とにかく、小説を見られるわけにはいかない。
小説を隠した後、彼に言う。
「どうぞ」
「悪いな」
そう言うと、彼は何かの作業をする訳でもなく、よりにもよってパソコンのファイルを探し出した。まさか、わたしの小説を探しているのか。いや、小説の存在は知らないはず……
「ねえか」
彼はそう言い、席を立った。
「邪魔したな」
彼は帰ろうとする。せっかく話ができたのに……
なぜ彼が『ここ』にきたのか、なんて考える余裕はなかった。とにかく、神様がくれた、たった1度の機会だと信じたい。でも、そのたった一度のチャンスを生かすことはできなかった。彼がこのまま帰れば、もう二度と彼に会えない気がする。
彼の背中が遠ざかる。何か言え! わたし。
「待って」
わたしはあるだけの勇気を出して言った。彼は振り向く。
わたしは急いで本棚の隅にあった入部届を取り出した。
「よかったら、持っていって」
たった1枚の紙。でもそれは彼とわたしをつなぐ……かもしれない小さな希望だった。

 

つづく


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