• 第1章 消失前夜



わたしは世界を改変する。そして、改変後すぐに彼によって世界は再改変される。しかし、再改変後の世界がどうなるかは分からない。『再改変後のわたし』が同期化を拒むからだ。なぜ未来のわたしは同期化を拒むのか。わたしはその訳をうすうす感づいていた。

世界改変後に、わたしはいないのではないか。

同期化をすれば未来を知ることになる。当然、わたしの寿命もわかってしまう。
世界改変によって情報統合思念体を抹殺したわたしにそのまま観察者としての役割を任せるとは到底思えない。間違いなくわたしは、処分される。未来のわたしは知られたくなかったのではないか。わたしの最期を。

◇◇◇◇

授業が終わると一目散に部室に向かうため、部室に来るのはいつもわたしが最初。そして、2番目に彼が来ることを望んでいる。
今日もわたしが一番。1人、部室の片隅で本を読んでいる。

「やあ、どうも」
二番目は古泉一樹。今日はハズレ。
「長門さん。こんにちは」
古泉一樹はにこやかに微笑み、わたしに近寄り、小さな声でわたしに話す。
「長門さん。近日中に何か大きな事件が起こるのではないのですか」
「………」
「最近、あなたたちヒューマノイドインターフェイスの動きが活発化しています。また、朝比奈さんたちの組織のエージェントも続々とこの時間帯にのりこんできています。その数は涼宮さんが閉鎖空間を発生させた時に匹敵します。
長門さん。何か知っているんですね。教えてもらえませんか。おそらく、数日後、いや早ければ今日中にも何か世界を揺るがすような大事件がおこるはずです」
「わからない」
嘘ではない。本当にわからない。わたしは適切な回答を伝えることはできない。
「なぜです。涼宮さんがらみなのでしょう?我々機関とあなたたちとは利害が一致するはずですが」
「あなたには関係のないこと」
わたしは何も教えるつもりはない。
古泉一樹は笑顔を作り、
「わかりました。聞かないことにします」
と言った。

わたしは本を開く。しばらくの沈黙の後、朝比奈みくるが入ってきた。
朝比奈みくるは涼宮ハルヒの命令に従い、メイド服に着替えるのが日課。涼宮ハルヒは朝比奈みくるにメイド服を着せることにより、涼宮ハルヒの認識する『一般的な学校のクラブの部室』とは異質な雰囲気を作ろうとしている。
朝比奈みくるが着替えを終え扉を開けると、外で待っていた古泉一樹と一緒に、彼が入ってきた。

「キョン君。すぐお茶煎れますね。」
「ええ。ありがとうございます。」
朝比奈みくるはうれしそうにやかんでお湯を沸かし始めた。
彼はお茶という飲み物を好む。お茶は99%が水分であり栄養価はほとんどない。しかし、お茶には物理的に説明できない効果を発揮するようだ。わたしにはそれが何か理解できない。人間の行動を理解するのは難しい。

「ゲームでもしませんか」
古泉一樹は彼にそう言うとTRPGのボードを取り出した。ゲームは有機生命体の不確実性を顕著に示すもの。有機生命体には『勘』というものがある。この『勘』の正確性を競うものがゲーム。例えばオセロ。このゲームは白と黒の石を置いていき、最終的にどちらの石が多いかで勝敗を決める。オセロの配列パターンは10の58乗通りしかなく、数学的には必ず先手黒が勝つ。しかし、有機生命体のである人間は10の58乗通りの配列パターンを記憶できる能力はなく、勘で石を置く。よって同じ相手とオセロをやっても毎回結果が変わる。わたしはいつも彼を応援している。古泉一樹に負ける姿を見たくはない。しかし古泉一樹は有機生命体特有の『勘』という能力に長けている。彼に勝ち目はない。今日も劣勢だ。仕方がない。わたしは今回も彼が勝つように情報操作を行う。

ドン

勢いよく扉が開く。
涼宮ハルヒが入ってきた。扉を閉めるなり
「クリスマスイブに予定ある人いる?」
満面の笑み。
「予定があったらどうだってんだ。まずそれを先に言え」
涼宮ハルヒは彼のもとに近寄る。
「ってことは、ないのね」
彼は黙り込んだ。
全員の予定を聞いて回り、涼宮ハルヒは宣言した。
「そういうことで、SOS団クリスマスパーティの開催が全会一致で可決されました。でさ。こういうのは雰囲気作りから始めるのが正しいイベントの過ごしかただわ。この殺風景な部室をもっとほがらかにするの。あんたも子供の頃にこんなことしなかった?」
「するもしないも、後もう少ししたら俺の妹の部屋がクリスマス仕様になる。しかも妹は、未だにサンタ伝説を信仰しているようだが」
「あんたも妹さんの純真な心を見習いなさい。夢は信じるところから始めないといけないのよ。そうでないと叶ものも叶わなくなるからね」
涼宮ハルヒらしい言葉。彼女はありふれた普通の日常とは違う生き方を望んだ。世界の誰よりも面白い人生を目指した。それは途方もない夢。その夢は誰にも理解されなかったが、孤高を貫き夢は捨てなかった。そして、今も立ち止まることなく走り続けている。
一方、わたしはそんな彼女をただ、観察している。ただそれだけだ。
わたしの夢はなんだろう。

「でさ、キョン。クリスマスパーティを盛大にやるのはいいとして、何がいい? 鍋? すき焼き?」
「それでは店を予約しなければなりませんね」
「あ、それは心配しなくていいわ。ここでやるから」
「ここでやる?学校内それも古ぼけた部室棟でそんな料理していいわけないだろ」
「いいわよ。もし生徒会や先生達が乗り込んできたら、あたしの素晴らしい鍋料理を振る舞ってあげるわけ。そしたらそいつらもあまりのおいしさに感涙にむせび泣きながら特例を認めるに違いないって寸法よ。寸分の間違いもないわ。完璧よ」
涼宮ハルヒはふんぞり返り、彼はやれやれとでも言いたげな顔をしていた。部室は、クリスマス仕様にするまでもなく、ほがらかな雰囲気となっていた。

◇◇◇◇

いつもと変わらない日常が広がっていた。毎日学校に行き、部室で本を読み、家に帰り金魚を眺める。それは不気味なほど平穏な日々だった。このまま何も起こらず18日が過ぎていくのではないか。そう思えるほど平穏だった。しかし、現実はそう甘くはなかった。
わたしが学校から帰り普段と変わらずマンションの一室で明日学校へ登校するために待機しているときに、それは起こった。

しんと静まる真夜中、何の前触れもなくベルが鳴った。ドアの前に立っていた人が全く予期していなかった人物だったので少し驚いた。
「夜分遅くにごめんなさい」
喜緑江美里がそこにいた。
「少しお話ししたいことがあるのですがよろしいかしら」
わたしは戦慄した。喜緑江美里とは友好関係にあるが2日後には大事件が待っている。とりわけ穏健派は『静観』が基本スタンスだ。世界改変を阻止するためわたしを消し去ろうとしても不思議ではない。間違ってもわたしに世界改変の手助けをすることはしない。
わたしは平静を装い喜緑江美里を部屋に案内して、お茶を煎れた。
わたしが彼女の前にお茶を出すと彼女は、笑顔を浮かべ
「ありがとう。長門さんも人間生活に慣れてきたんですね」
と言いながら湯飲みを持ち、こう続けた。
「朝倉涼子のことをまだ気に病んでいるのでしょ?」
「わたしは正しいことをしたまで」
「そう割り切っているならいいのですが、あなたはまじめ過ぎるところがあるので」
その言葉に少し驚いた。喜緑江美里はまじめでないことがあるのだろうか。
「私たちヒューマノイドインターフェイスは有機生命体とコミュニケートできるように、『感情』を持っています。そのため、情報統合思念体本体とは違い不完全な存在です。例えば情報統合思念体の指令をうっとうしいと感じたことはあるでしょう」
わたしは答えなかった。
「そう感じるのはエラーでもなんでもありません。極めて正常なことです。これは私たちが『感情』を有しているからこそ起こる現象です。自分が完璧であろうとする必要はないと思いますよ。たまには自分の欲望に忠実になってはいかがしら」
世界改変を勧めているように聞こえたので、その言葉はわたしにとって予想外だった。しかしなぜ?
「あなたの意図がわからない」
「ひどい言い方ですね。安心してください。わたしが今ここにいるのは情報統合思念体からの指令ではなくわたしの意志です。ここ最近のあなたは追い詰められているようだったから。
朝倉涼子がいなくなり寂しいのではないかと思いまして。わたしも孤独だったから……あなたを見ていられなかったの」
彼女は本当に心配そうにわたしを見る。それは意外な一面だった。わたしは何を言っていいかわからず黙り込んでしまった。
「本当は変えたいんでしょう」
彼女は唐突に切り出し
「あなたは何を躊躇しているの? 」
と続けた。
喜緑江美里は世界改変の事実はおろか、わたしの心の中まで把握している口ぶりだった。まさか、世界改変の事実が情報統合思念体に筒抜けになっているのではないか。
「安心して下さい。わたしがこの事実を知っているのは、未来のあなたが教えてくれたからです」
未来の私が? どうして?
「それは教えられませんわ。未来のあなたに口止めされていますから。本当は、ここに来るのも止められていたんですけど、あなたの様子を見てたら、どうしても話がしたくなりまして」
そう言う彼女に敵意も悪意も感じとることができず、わたしは彼女の言葉をあっさり信じてしまった。
「わたしは変化を望んでいる。でも、彼はそれを望んでいない」
「彼が脱出プログラムを起動したこと?」
「世界は彼によって元に戻される。仮に実行しても何も変わらない」
喜緑江美里はフっと笑った。
「長門さんらしいわ。確かに彼は望んでいなかったかもしれない。でも、それは意味のないことなのかしら。あなたがそれを行うことで世界は変わらなかったかもしれない。けど彼の気持ちは変わらないかしら」
「彼の気持ち? あなたの意図している意味が解らない」
「あなたの行動によって、あなたの気持ちが彼に伝わるのではないでしょうか。あなたには心に秘める強い気持ちがあるのでしょう。彼にその気持ちを伝えればどうかしら」
「わたしが意志を持ち彼に接触することは観察者として失格」
「あら、それは面白い認識ですね。観察者と傍観者は違います。あなたの行動が観察者としての役割を放棄することにはならないと思いますよ」
さらにこう付け加えた。
「それに人間と付き合うことは決して悪いことではありません。有機生命体のことを理解することは、観察活動においても大切なことです。なにより、楽しいですし。わたしも生徒会長と付き合っていますがなかなか貴重な経験ができますよ。確かにあなたの場合は相手が相手ですから少し自重していただかないと困りますが。それでも涼宮ハルヒにバレない程度なら問題ないでしょう」
喜緑江美里の激白には正直驚いた。

わたしは職務を円滑に行うため自らの行動に制限を設けてきた。情報統合思念体の指令に逆らいたいことも何度もあった。しかしそれはエラーだと言い聞かせてきた。しかし、喜緑江美里はそれを否定した。確かにいくら鈍感な彼でも、世界改変をすればわたしの気持ちを理解してくれるはずだ。世界改変を行うことは絶対にないと思っていた。しかし、今、わたしの心は揺れ動いていた。

喜緑江美里が帰ったあと、わたしは彼に電話をした。彼にお面を渡そうと思ったのだ。夏休みが終わりすぐに渡せばよかったのだが、わたしは躊躇し、今まで渡せずにいた。明日何が起こるか分からない。渡すなら今日しかないと思った。彼から電話がかかってくることは何度もあったが、わたしからかけることははじめてだと気付き、少し可笑しくなった。
「あなたに渡したいものがある。公園まできてほしい」
電話の向こうで彼が動揺しているのがよくわかった。公園で待つこと30分。彼が自転車に乗って現れた。
「待ったか」
「今来たところ」
「用事ってなんだ」
彼は医師から身体を蝕む病の告知を受けるため診察室に呼ばれた入院患者のように、どこか落ち着かない様子だった。
「これ」
わたしは差し出した。エンドレスサマー『9874回目の夏の彼』から渡されたお面を。
「覚えている?夏休みのこと」
「ああ。ハルヒのキテレツなパワーで繰り返しやってきた夏休みのことか」
「そう」
「あなたに記憶はないが、9874回目の夏、あなたはこのお面をわたしに託した。そして、あなたに渡すように頼んだ」

わたしは9874回目の夏に起こったことを伝えた。
「過去の俺には悪いが全く記憶がない。でも、俺は過去の俺に感謝している。8月30日、ハルヒが夏休みの終わりを言い渡して帰ろうとしたとき、俺は今まで受けたことのない既視感に襲われたんだ。それは、過去1万5千回分の過去の俺の声なんだってそう思ってる。あの既視感がなかったら俺はいまだに夏休みをさまよっているさ。当然、9874回目の俺にも感謝している。俺だけじゃない。過去の古泉にも、過去の朝比奈さんにも、もちろん長門にも」
彼は微笑みわたしに言った。
「ありがとう。このお面は大切にする」
わたしは安堵した。
「しかし、夜景か。俺に記憶がないのに、長門だけ俺と2人で行った記憶があるなんて不公平だな。今から行くか。その方が9874回目の俺も喜ぶような気もするしな」
「あなたとは行かない。彼との大切な記憶を汚されたくないから」
彼は呆けている。
「……冗談」
とわたしが言うと彼の顔は緩み
「勘弁してくれ。普段冗談を言わんから本気と勘違いしちまう」
わたしと彼は再びあの展望台へと向かった。

展望台は風が強く、わたしの髪がなびいた。吐く息が白く濁ったのをみて時間の経過を感じざるを得なかったが、そこにはあのときと同じ景色が広がっていた。夜景を眺める彼の横顔はどこか哀しさを漂わせ、9874回目の彼が消えた時の記憶がフラッシュバックした。彼を見て思う。わたしは彼が好きだった。好きで好きでたまらなかった。もしも願いがかなうなら、普通の人間になり、彼と笑い合い、喜び合い、励まし合いたい。思いを寄せる人を見て頬を赤らめ、驚くことがあれば、おどおどする、どこのでもいる女の子になりたかった。たとえわたしが消えるとしても、やってはいけないことだとしても、一度でいいから彼に微笑みかけたかった。
涼宮ハルヒの能力を使えばそれが可能だった。
わたしは世界改変を起こすことを事前に把握すればエラーを取り除き未然に改変を防ぐことができると考えていた。しかしそれは違う。事前にわかってしてしまったからこそ、世界改変をしてしまったのだと思う。世界改変をする時期はいつでもいい。未来になぞる必要はない。しかし、この機会を逃したら……今、世界改変を行わなければ、わたしはずっと逃げ続けてしまう。ここで決断できなければ、ずっとできない。そういう想いがわたしの頭の中を支配し、わたしに決断を迫った。

わたしは北高の校門の前に立つ。
辺りは暗く、街は寝静まっている。空には星が輝いていた。

わたしはふと考える。もし、彼の記憶も改変すれば……
何も未来の規定事項に沿う必要はない。彼の記憶を改ざんし脱出プログラムも用意しなければ、わたしの望む世界が永遠に続く。
しかし、それだけではできなかった。今でも9874回目の夏休み、彼の最後の微笑みがわたしの脳裏に焼き付いている。彼の記憶を操作することだけはできなかった。

右手を宙に向ける。宙には星が輝いていた。世界よ。許して欲しい。わたしのわがままを。

そっと目をつぶり、世界改変を行おうとしたそのとき、驚くべきことが起こり、呪文を唱えることをやめた。わたしの前に『わたし』が立っていた。
「わたしは未来から来た」
わたしは息をのみ、黙って目の前のヒューマノイドインターフェイスを見つめた。同期化を拒否し続けた『わたし』がわざわざ会いに来るのだから相当重要なことだろう。わたしの前に立つ『わたし』は続ける。
「あなたに、忠告しなければならないことがある。世界再改変を円滑に進めるために次のことをしなければならない。必ず実行してほしい」
「まず、この後、この場所で世界改変を行うこと。その3日後、同じ場所、同じ時間に同じ動作をしてほしい。もちろん再び世界改変をやる必要はない。マネだけでいい。
次に、彼が3日以内に脱出プログラムを起動するように『しおり』に期限を明記すること。
最後に、朝倉涼子を復活させること。
また、あなたが危機に直面したとき、あなたを護り、あなたに銃口を向けた人間を殺すようにプログラムしておくこと。たとえそれが誰であっても」

わたしはそれを聞いたとき聞き間違いではないかと思った。わたしに銃口を向ける人が誰かを知っている。なぜなら、彼に銃を渡したのはわたしなのだから。
未来のわたしは本当にバグを起こしたのだろうか。
わたしは言う。
「彼を傷つけるようなことはできない」
「心配ない。わたしが彼を助ける。彼は殺させない。このプロセスは再改変に必要不可決。必ず実行する必要がある」
信じていいのだろうか。
「わたしは彼を何よりも大事に思っている。どのようなことがあっても、彼を殺すような行為は絶対にしない。信じて」
たしかにそうだ。『わたし』はわたしだ。彼の死を望むはずがない。
しかしなぜ。
「今は教えることができない。あなたにはこれから起こることを直接体験してほしいから」
「最後にもう1つ。もし、困った事態に直面したら彼とはじめて出会ったときのことを思い出して欲しい。彼に対して行ったこと、それが鍵になる。世界改変の成功を祈る」
時刻はちょうど午前03時00分を指し示していた。わたしは『わたし』の意図が全く分からなかったが、目の前にいる『わたし』が本心から世界改変の成功を祈っているのか、誰かに脅されて嘘を語っているのかを見分けることぐらいはできる。
何よりわたしの前にいる『わたし』はやわらかな表情と生きた目をしていた。
『目の前にいるわたし』は信用できる。
「あなたの忠告を受け入れる。必ず実行する」
と『わたし』に伝え、再び右手を挙げ、
そっと呟いた。禁じられた言葉を。

◇◇◇◇

このとき、わたしはこれから起こる出来事を全く予期できていなかった。この後、事態は込み合っていて、複雑な段階が物語を創っていくことになる。
わたしはちゃんと考えるべきだった。
なぜしおりに期限を明記する必要があるのか。
なぜ朝倉涼子を復活させたのか。
なぜ喜緑江美里が世界改変を勧めたのか?
彼も朝比奈みくるも、そしてわたし自身も知らない隠された真実を知るのは今から3日後のことになる。



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