「みくるちゃん、全然なってないわ。肩たたきって言うのはね、ひと打ちひと打ちのその度に目の前が真っ暗になって、
胸の底から冷たい息がのどに漏れ出てくる、それぐらいの鋭さがなくっちゃだめよ。え?できない?それは拳が弱いのよ!!」

 

ハルヒはスチール椅子に腕組みしてふんぞり返って朝比奈さんに肩を叩かせ、盛んに駄目出しをしている。その隣では長門が黙々と古泉の肩を揉む。

俺はと言えばハルヒに手のひらの親指の付け根のふくらみから膝の裏のふくらはぎの端、足の甲の親指と人差し指の骨の間といった激痛ポイントを嫌と言う程揉み込まれたあげく「間接のカスを取るのよ」と言う名目で体中の間接を逆ねじに捻られ、長机の上で身じろぎ一つできずその光景を眺めている。

 

それもこれも、来るべきSOS団の新事業、「メイドマッサージ」開業に向けた練習、と言う名目だ。

 


案が出揃ってしまった会議は自然決議を迎える事となり、そこで早々に決を求めたハルヒにより総員での採択を行ったのだが、そこで意外な事が起きた。発案者全員が自分の案に票を入れたのだ。
紛糾しそうになった場を静めたのは「最後の判断は出資者がすべき」と言う長門の鶴の一声であり、結果最後の判断は俺がする事となった。権利は人一倍小さく、しかし取らされる責任は常に誰よりも重い。
それが、雑用係たる俺の変えられぬ立ち位置だ。

 

全員の顔を見渡す。ハルヒのメッセージ性抜群の目線と朝比奈さんの懇願するような眼差し、そして古泉の『信じていますよ』とでも言いたげな余裕綽々の表情と、長門の俺がこれからどう判断するのか、それを値踏みするような氷の瞳。ハルヒが視線を俺の顔面にロックオンしながら「は や く」と口だけで繰り返しているのに空恐ろしさを感じつつも、再び古泉の顔を見る。口角を軽く持ち上げ、涼しげな眼差しで俺を見つめる。こんな時すらも自信を揺るがせない素振りのこいつが憎憎しくはあるが、致し方ない。

 

『古泉の意見が一番適当だと思う。こいつの案にしたい。』

 

全員の口から、ため息が漏れる。

ハルヒの案はやはり論外だ。実際ハルヒ自信は例のパワーがあり、長門は無論大丈夫だろう。出先でいくら危険な展開になった所で、この2人ならば自力で切り抜けられる。しかし朝比奈さんはどうだ。もしひきこもりが錯乱でもしたその時に、この人の細腕で抵抗できるのか。それにやはり人の心の闇と言うもの、俺達高校生程度がどうにかできるなんて考えない方がいいだろう。

 

朝比奈さんの案。花屋さんと言うのは可もなく不可もなしだ。しかし、ハルヒが毎日ただただ花に水をやるだけの作業に
満足するとはとても思えない。この人は要はハルヒの案でさえなければいいのだろう。
長門の案もやはり刺激に乏しい。儲け話としては堅実なのかもしれないが、よく考えてみたら実際に作業をするのは
ほとんど長門一人だ。こいつが何かを積極的に始めたいと言う意思を見せはじめてくれた事は俺にとって喜ばしい事ではあるが、今回はパスだ。長門よ、わかってくれ。

 

そこで行き着くのは古泉の案だ。なんだかんだ言って、最後はやはりこいつの提示した案に乗る事になる。
人の体を扱うマッサージ業、しかも接するのは俺達の生活圏外の赤の他人、扱う金はその直前までその人の財布にあった生の世間の流通品だ。ハルヒが求める刺激として十分だろう。もちろん、言わん事か「組織」のバックアップがある。ハルヒの退屈を満足させつつ、掌の上から逃さない、いつもながらの周到な計画、結局これが一番無難だ。

 

俺の判断を聞いて、ハルヒは腕組みをしてしばし沈黙した後、あっさり「わかったわ」とそれを認めた。

 

「まあ、マッサージって言うのにも多少興味はあったところだしね。それに、まあそれだってお客さんに、つまり市場にじかに接することができる商売だしね。それでいいわよ。認めてあげるわ。」

 

ハルヒの承認を得られた安堵に胸を撫で下ろす暇もなく、ハルヒの「それじゃ、練習と行きましょうか」との言葉とともに襟首を掴まれ、長机に引き倒された俺がどうなったかは、冒頭に記したとおりだ。

 


やっと動くようになった体を引き起こし、糸が絡んだ操り人形のようにぎこちなく立ち上がると、全校生徒の下校を知らせるベルが鳴り響いた。

 

「あっ、もうこんな時間なの。今日は有希が本読んでないからわからなかったわ。じゃあ今日の活動はこれまで、みんな解散ね。」

 

数十分間肩を叩かせ続けられた朝比奈さんが、「ふひぃ」と声を挙げてしゃがみ込む。おいたわしい限りです。そしてもう一組のマッサージペアである長門と古泉だが、ここに意外な事が起きていた。既に古泉から手を離し、古泉の座る椅子のそばに佇立していた長門の指差す先には、組んだ腕もそのままで、寝息も健やかに熟睡する古泉の姿があったのだ。

 

こいつがここまであられない姿をさらしている所は、おそらく初めて目にするだろう。こいつも機関の一員として、やはり相当疲れが溜まっているのか。あまりにも無防備なその姿には声を掛ける事すらためらわれたものの、時間なので「古泉」と声を掛けてみたがそれでも起きない。2度、3度と声を掛けても眠りの淵から戻ってこない。どうしたものかと考えているとおもむろに手を伸ばした長門が古泉の組まれた手の指先を4本まとめてきゅっと握り、するとうわっと言う声とともに目を覚ました。

 

目を覚ました古泉はいや寝てたんですかこれは失礼しました。いやあこれからは長門さんに背は見せられませんね、と動揺を隠せない声色で弁解を繰り返し、それでその日の活動は終了となった。

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最終更新:2008年08月06日 23:01