真夏のある日のこと。
 SOS団の活動もない休日の午後、エアコンの不調により、うだるような暑さに耐えかねた涼宮ハルヒは、涼を求めて酷暑日の街を彷徨っていた。
「涼み処の定番、図書館はやっぱり人でいっぱいだったか……」
 街中で配られていた、どこかのマンションの広告が入った団扇で扇ぎながら、街中を歩く。
「そもそもSOS団団長たるあたしが、人と同じ発想で涼を求めててどうすんのよ……」
 さすがのハルヒも、この暑さに思考が常人並みに変化していた。
「あぢぃ……」
 コンビニエンスストアでは、ごく短時間しか留まれない。北口駅前のショッピングセンターでは、時間は潰せるが座る場所がない。
「あ゛~……もうこうなったら、環状線にでも乗りに行くか!?」
 その路線は最寄りの駅からさほど遠くはないにしても、別に鉄ちゃんではないハルヒにとって、ただ列車に乗っているだけという行為は、到底耐えられる代物ではない。
「雪でも降って涼しくならないかな……雪……ゆき……ユキ……有希……?」

「呼んだ?」
「うひゃあぁぁっ!?」
 唐突に背後から掛けられた、見知った人の声に、ハルヒは飛び上がった。
「有希!? いきなり声掛けるからびっくりしたじゃない!」
 振り返った先に居た文芸部部長、そしてSOS団員の長門有希は、珍しいことに私服だった。あまりの暑さに、制服ではもたないと判断したらしい。
「……いや、あの、有希……? 私服なのはいいことだし、今日は凄く暑いってことも分かるわよ? だけど……」
 確かに、有希の服装は、理に適っていた。実に夏らしい。
「その格好じゃ、どう見ても男の子よ――――――――――――!!」
 Tシャツ、短パン、サンダルに麦藁帽子。体格と相まって、可愛らしい小学生の男の子にしか見えなかった。知り合い以外に、この姿を見て「女子高生」と思う者は居ないだろう。
「この服装は、知り合いに『似合うし、機能的だから』と薦められた」
「確かに、これ以上ないくらいに似合ってるけど、似合う方向性が違うというか、何というか……」
「……?」
「……ま、いっか。それにしても、あんたと街中でばったり会うなんて、珍しいこともあるものね。てっきり図書館か本屋に入り浸ってるかと思ったのに」
 とはいえ、海で遊んできた、という格好でもないわね、とハルヒは有希の姿を観察しながら言った。
「朝から図書館に居たが、人が多くなってきたので帰るところ」
「ああ、そういうこと。あたしもさっき涼みに行ってきたんだけど、人だらけで、あれじゃ落ち着いて読書なんてできないわね」
「涼みに?」
「うちのエアコンがぶっ壊れちゃってさ~、涼しい場所を求めて、このクソ暑い中を彷徨ってんのよ」
「……そう」
 有希はハルヒに真っ直ぐな瞳を向け、
「それなら、うちに来るといい」
「え、マジ!?」
 こくりと、無言でうなずいた。
 …………
 ………
 ……
 …


「お邪魔しま~す!」
 高級マンションだけあって、断熱がきちんとされている有希の部屋は、朝から無人で空調を効かせていなかったにもかかわらず、ひんやりとしていた。
「いや~~生き返るぅ~~~~」
「……飲んで」
 有希はエアコンのスイッチを入れた後、冷蔵庫からキンキンに冷えた杜仲茶を出してきた。
「……ぷっは~! くぅ~~~~~~っ!!」
 グラス一杯分を一気に飲み干したハルヒは、珍しく定時で上がったサラリーマンがビアガーデンで生中を飲み干したがごとき喜びの雄叫びを挙げると、そのままお替りを要求した。
「うまい! もう一杯!!」
「どうぞ」
 こうして何杯か同じやり取りを繰り返した頃には、エアコンも効いてきた。
 ハルヒは寝転んで全身からフローリングの冷たさを享受し、有希は借りてきた本の世界に旅立っていた。
 エアコンの音をBGMに、ページをめくる音と、時折グラスの中で溶けた氷が立てる音だけが響く。
(暑い時には、何もない部屋っていうのも、いいものね……)

 やがてすっかり体力を回復したハルヒは、何となく、読書する有希を観察していた。
「……そっか。座椅子、買ったんだ」
 孤島で合宿したときは、彼女は船の中で正座して読書していた。しかし今は、コタツの向かい側で、回転できる座椅子に座って読書している。
「……通販生活」
「買い過ぎには注意しなさいよ?」
「…………………………………………………………………………………………善処する」
「今の間は何よ、今の間は!?」
「気にしないで」
「気になるわよ!」
「…………」
「微妙な表情で見詰めるんじゃありません!」
「…………」
「しょぼーんってしてもだめ!」
「…………」
「こらー! 本で顔を隠すなー!!」
 第三者がこのやり取りを目撃しても、有希の表情が変化しているとは思えないだろう。それだけ微細な表情の変化でも、ハルヒはきちんと見分けていた。


 そんなやり取りもあった後、また落ち着きを取り戻した空間。ハルヒが一つ伸びをしたとき、それは起こった。
「ん? どうしたの、有希?」
 有希の体が、不意にピクリと動いた。
「……足」
「足? ……ああ、当たっちゃったか」
 ハルヒが伸びをしたとき、ちょうど前方に投げ出されていた有希の足の裏に、ハルヒのつま先が触れていた。
「を? ひょっとして有希は、足が弱いのかな?」
 ちょんちょん、とハルヒがつま先で有希の足の裏をつつくと、その度に有希の体がピクリピクリと反応した。
「うりうり~」
 ちょっと面白くなってきたハルヒは、次第に有希への攻めを強くした。
「……っ、うっ!」
「あ……」
 一際大きく有希の体が跳ねた拍子に、彼女は膝をコタツにしたたかに打ち付けた。
「……………………………………………………………………………………………………」
「ごめん、ごめんってば! そんな涙目で、訴えかける視線を向けないでよ……」
 ハルヒが必死に弁解するが、有希はハルヒにだけ分かる微妙な視線を送り続けていた。
 やがてハルヒがいっぱいいっぱいになったところで、不意に有希は視線を逸らし、明後日の方向に視線を向けた。
「え……!?」
 それで勝負はついていた。
 ハルヒが自分の置かれた状況を把握したときには、背後に回った有希に床に倒され、脚を極められていた。
 逸らした視線の先をハルヒが釣られて追いかけている間に、有希は超高速で移動していた。
「くっ、やるわね、有希! 今の技は、完全にやられたわ。でも、まだ負けないわよ!」
 極められた技を外そうともがくハルヒに、有希は冷静に宣言した。
「あなたはもう、昇天している」
 握り締め、中指の第二関節を突き出した有希の拳に、打撃が来るものとガードを固めたハルヒは、
「ひぎいっ!?」
 悶絶していた。
「ちょ、ちょっと、有希! やめ……」
 有希は構わず、固めた拳をハルヒの足の裏に突き立てて抉った。
「んのおぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!?」
「ここは胃」
 さらに有希は、拳を捻じりながら滑らせた。
「あおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!」
「ここは子宮」
 有希の責め苦は続く。
「これは足の裏にある各臓器の反射区を刺激するマッサージ」
「足裏マッサージでしょ! 知ってるわよ! すんごく痛いんだから!」
「特に痛い所が、何らかのダメージを受けている部位」
「分かったから、離してよ!」
 有希は無言でうなずき、掴んでいたハルヒの足を離すと、反対側の足を掴んだ。
「ちょっと、離してって言ってるでしょ!?」
「人体はバランス。片方だけの施術ではバランスを崩し、かえって悪影響を及ぼす」
 有希はハルヒの足の指を強くしごいた。
「んぎひぃっ!?」
「じっくり丹念に凝りをほぐす」
「い、いやあっ! 痛いのいやぁっ!!」
 ハルヒは涙目で、首を左右にフルフルと振りながら、イヤイヤをしている。
「にょああぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
 有希の拳が、無慈悲にハルヒの足裏に突き立てられた。
 …………
 ………
 ……
 …


「ひゅーっ、ひゅーっ……」
 じっくり丹念に足裏の凝りをほぐされたハルヒは、もはや虫の息だった。瞳孔が開いている。
「全体をほぐし終わった」
「も、もう勘弁して……お願いだからあっ……」
 普段のハルヒからは信じられないような、情けない声で有希に懇願する。
 有希は静かに、ハルヒの足を開放した。
「た、助かった…………」
 有希はそのまま台所に消えると、湯気の立つタオルを持って帰ってきた。
「仕上げ」
「あー……蒸しタオル、気持ちいい……」
 地獄から一転、今度は極楽を味わうハルヒ。恍惚とした表情で有希に身を任せる。
 ハルヒの足を蒸しタオルでくるんだまま、有希は静かに告げた。
「あなたが特に弱っているところは分かった」
 有希の言葉に、ハルヒは最も痛かった部分を思い出して、赤面した。
「恥ずかしがることはない。女性にはありがちなこと」
「やだ、そんなこと言わないで……」
 ハルヒは両手で顔を隠している。
「最後に、そこを……集中的に施術する」
 有希の言葉に、ハルヒは今度は顔を青くした。
「ちょ、有希、やめて! 後生だから!」
「あなたが特に弱っているところは……」
 有希は親指を立てた。
「いやぁぁぁぁ!! ソコだけは! ソコだけはー!」
 ハルヒは両手で顔を隠したままイヤイヤしている。
「肛門」
 有希の指が、ハルヒの足裏に深々と突き立てられた。
「アッ――――――――――――――――――――!!」
 ハルヒの悲鳴が部屋中に響き渡った。しかし、悲鳴はすぐにかき消された。
「このマンションの防音は完璧」

「……どうしたの?」
 有希はハルヒに声を掛けた。


 返事がない。ただのしかばねのようだ。


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