高校生最後の年となった、ある休日。
俺はいつもの喫茶店でハルヒと待ち合わせをしていた。


めずらしい事に今回は俺の方が先に到着したようで、ハルヒの姿はいまだに見えない。
大抵は、どんなに早く来ても俺の方が後になってしまい、奢らされる事になるのだが。


俺は喫茶店の壁にかけてある時計の方をチラリと見た。約束の時間までは、まだ少しある。


と、その時…


「失礼、ここは空いているかな」


いやその場所は連れが座る事になっているんで…と、言おうとする前に、その相手は俺の対面に座り込んでいた。
誰なんだこのずうずうしい人は、と思い相手の顔を見やって、俺は愕然とした。


 

── 全知全能の神 ──


 

「やあキョン、久しぶりだね」
佐々木?
相手が佐々木だと解るまでに少し時間を要してしまった。久しぶりに会った佐々木は、あまりにも色褪せていて…枯れていた。
「くつくつくつ。そんな顔で見ないでくれよ、よりいっそう僕が哀れになる」
あの独特の笑い声が、酷く耳障りな咳音になっていた。


高校2年生の春、SOS団と佐々木団との間で行われた戦いは、様々な事態を招き寄せ、最終的に俺がハルヒの能力を佐々木に移してやる事で、幕が引かれることになった。
俺は能力を佐々木に移してやる条件として、なかば人質にされていた長門を開放する事と、今後SOS団のメンバーに対し危害を加えない事を約束させていた。
それに対する橘京子からの回答は、ならばお互いを干渉し合わないようにしましょう、という物だった。


あの時以来、俺は佐々木と会っていない。実に1年ぶりぐらいの再会だ。


佐々木からはかつてのような滑舌さが失われており、ろれつも上手く回らないようだった。
あまり人と会話をしていない。その事実が佐々木からありありと伝わってきた。


「その通りだよキョン。人と話すのは久しぶりの事だ。だって僕には人と話す必要性なんか、無いのだからね」
俺はギョッとして佐々木を見つめてしまった。いまのは口に出したりしていないぞ。
「簡単な事だよ、キョン。僕は君の頭の中身が読める。なぜかって?僕がそう望んだからさ。僕がそう望めば、世界はそのように変化する。情報改変能力をちょっぴり使っただけさ」
人の頭の中を読むなんて、あまり良い趣味じゃないぜ、佐々木。
「失敬。不快に思ったようだね。なんなら今から君の頭の中を、その事について不快に思わないように変化させてあげようか?」
止めてくれ。
「冗談だよ。簡単なことだけどね、くつくつくつ」


「君は最近、涼宮さんと勉学に励んでいるようだね」
ああ、ハルヒと同じ大学に入りたいからな。あいつがそうしろとうるさいんだよ。
「くつくつくつ。いいね、そうやって何かに打ち込めるというのは、実に羨ましい。僕はもう、そういう気持ちを失って久しいよ」
お前だってそうだろ、有名私立の進学校に通ってるんだから。
「勉強?そんなものはとっくの昔に止めてしまったよ、キョン」
なんだって?
「何の為に僕は勉強するんだい?テストで良い点数を取るため?それならいくらでも情報改変して、全科目満点にする事だって容易いよ。
知識を得るため?それならいくらでも情報改変して、知識を得た事にしてしまえば良いだけだ。僕の脳みそを少し弄って、記憶を書き換えるだけ。実に容易いよ」
しかし、お前には行きたい大学とか、やりたい仕事とかが…。
「大学に入るのなんて簡単さ。情報改変して受かった事にすれば良い。就職についても同様だよ、キョン。面倒な就職活動をパスして、その会社に在籍している事にできるんだから」


俺は佐々木の眼をまじまじと見つめてしまった。どこか病んでいるんじゃないか、俺にはそう思えてならなかった。


「僕は病んでなどいないさ、キョン。この能力を得れば最終的にはみんなこの境地にたどり着くと思うよ。遅かれ早かれ、ね」
だがお前、何でもかんでも情報改変して手に入れて、それで嬉しいのか?自分で努力して手に入れたもののありがたみとかがなあ…。
「くつくつくつ…くくくくくくくくくくっつ、失礼。君からそんな話が出てくるとは。あのオウチャクモノの君からね」
佐々木は耳障りな音でしばらく笑い続けた後、
「うん。僕もそう思ったよ最初の数週間ぐらいはね。だがね、努力して手に入れたものと情報改変して手に入れたものと、どれほどの差があると言うのかね。
少なくとも何も知らない第3者から見れば差は無いと思う。となると、後は自分の自己満足の世界さ」
佐々木は面白そうに小首をかしげ、
「努力して手に入れた場合、何が自分に残されるんだい?何かを成し遂げた達成感?自分の力でやった実力?
くだらないと思うよそんなのは。どうしてもそれが欲しいと言うのなら、脳の一部の器官をいじる事によって得る事も可能だよ。脳内麻薬ってトンデモ話が昔流行ったよね。
そもそもさ、僕が情報改変して得る事に達成感を感じる可能性だってあるわけだし。それに情報改変能力だって、立派な僕個人の能力さ。その能力で何かを成し遂げて、恥じる事など何も無い」


「ホントの事を言うとね、キョン。そんなこと自体にも意味はないんだよ。就職する必要なんか、僕には無いんだ。就職なんかしなくても、僕はなんでも思っただけで手に入る。
思っただけで何かを消せる。思っただけで何かを変えれるんだ。いつでも好きな時に。気がかわって変えないことにするのだって自由なんだよ」
まるで喜劇役者のようにおどけた仕草で、手をヒラヒラとさせる佐々木。


「そして僕は気がついてしまったのさ。どんな事でも自由に改変できるのなら、つまりは改変する意味なんかないんじゃないかって」
…何?


「だってそうだろう?僕がその気になれば、この瞬間にでも世界を消失させる事だってできる。また作り直す事も容易い事だしね。そんな世界にどれほどの意味があると言うんだい?あってもなくても変わんないじゃないか。
ロト6で3億当てたとか騒いでる人がいるけど、だからどうだっていうんだろうね。僕はアメリカの国家予算の数倍の資金を瞬時にして得る事ができ、瞬時にして失う事ができる。
君が恋しくなったら、僕は自分の周りに1000人のキョンをはべらす事だってできる。…そんな偽者をはべらせても意味が無いって?
そんな事は無い、僕が望めば今目の前にいる君を偽者にして、1000人の方を本物にすることが出来る。僕がそう思えば、世界はそう変わるんだから」


「だけどさ。…そんな事をして一体なんになるというんだろう。何のために僕は改変しているんだい?何でも僕は自分の思い通りに変える事ができる…つまりは、何も変えないのと変わらない・・・つまり、つまり…」


佐々木ははあっと溜息をつき、


「どういえば君にこの事を伝える事が出来るのか、いや、伝わったと言う風に世界を変えてしまおうか?そもそも、君に伝える事に意味などあるのかね。それに、君に伝えたからといって何かが変わるわけでもないんだ」


唾を飛ばしながら、呂律の回らない舌で、一気にしゃべりだす佐々木。
俺はその姿に狂気を感じ取った。


「狂っている、狂っているか…キョン、全知全能であることは、狂っていることなのかもしれない。あるいは人間ごときでは扱う事が無理な能力なのか。全知全能とは盲目白雉と同じ意味か」


「最初のうちは楽しかったよ、キョン。欲しい本も服も情報も知識も遊びも、なんでも手に入るもんだから、いろいろやりたいことをやりまくったよ。もう、やりつくして飽きるぐらいにね」


「そう…そんな事はすぐに飽きてしまう、1ヶ月と持たなかったよ。いくらでも時間のありあまるニートにして、アラブの石油王以上の大金持ちの気分さ。なんでもできる」


「やりたいことをやりつくしてしまう…いや、違うな。そのうち、こんな事をしてなんになるんだっていう、そんな気持ちになってくる。なにもかもが、無意味で無価値に思えてくるようになるのさ」


佐々木は弱々しく喫茶店のテーブルに突っ伏した。


「僕はね、キョン。この世界がまるで牢獄の様に思えてきたんだよ。この世界に存在する事象で、僕の知らない事なんて何一つ存在しない。僕の意のままに操れない事も何一つ存在しない」


「退屈、暇、無意味、無価値、無感動…。何をやっても色褪せて感じる。だって何でも自分の思い通りに出来るから…ああ、この状態を、うまく君に伝える事が出来ないのがもどかしいよ、キョン。
いっそのこと、君に上手く伝わったという風に、世界を改変してしまおうか。それなら容易い」


佐々木、お前どうしちゃったんだ。
橘や九曜達は、お前をサポートしてくれないのか?


「あたしなら、ここにいますよ」


声のした方を見てみると、今まさに橘京子が喫茶店の中に入ってきた所だった。


「あたし達は、お互いに干渉し合わない取り決めになっていたはずです。何故、あなたが佐々木さんに会っているのですか?」
俺に言うなよ。佐々木の方から俺に会いに来たんだぜ?
「そうですか。ならば、お話の方はここまででもういいでしょう。佐々木さん、行きましょう」


橘は汚い物でも見るような目つきで俺を一瞥しながら、
「あなたには感謝しています。佐々木さんに本来の能力を取り戻させてくれたのですから、ですが、それだけの話です。今後はあたしたちに係わり合いにならないよう…」
わかったよ、うるさいな、まったく。
この女は、俺が佐々木から能力を取り上げてまたハルヒに戻すつもりなんじゃないかと、酷く警戒しているのだ。


「さあ、佐々木さん」
橘に促され、佐々木がめんどくさそうに立ち上がる。
「なあ、キョン。最後に1つだけ良いかな。僕にはこの牢獄から抜け出す方法が1つだけあると思うんだ」
…。
「それはね、この世界の全てをいきなり消失させて、その次の瞬間に僕が自殺をすることさ。そうすれば、僕はこの牢獄から抜け出る事が出来るかもしれない」
佐々木、お前…。
「くつくつくつ。冗談だよ、キョン。そんな顔をしないでくれ。今のは忘れてくれていい。いや、僕が世界を改変して忘れさせて上げよう」


そういい残し、佐々木と橘は連れ立って喫茶店から出て行った。

 

今にして思えば、高2の時、喫茶店で聞いた橘京華の話はあまりにもうま過ぎる、出来過ぎた話だったように思える。
まるでカルト宗教の入信案内か、ねずみ講の勧誘員のように、美味しい部分だけを見せておき、それでいて全ては語らない、詐欺師のような物に思えるのだ。
「能力」がハルヒから佐々木に移った場合、佐々木がこうなってしまう事を、薄々この女は感づいていながら、教えなかったのではないだろうか。
確かに嘘は付いていない。言わなかっただけなのだから。しかしアンフェアな態度。
この女は朝比奈さんを誘拐し、ハカセ君を車で轢き殺そうとした相手なのだということを、忘れるべきでは無かったのだ。
うまい話には裏がある。当たり前のことじゃないか。


ハルヒが自分の能力を自覚していなかったのは、ハルヒが自分に科した防衛策の一つだったのかも知れない。
この世のすべての事象を好きなように操作する事ができると言う事は、この世のすべての事象に対して何も意味が無いのと同じ事。
なんでもやれると言う事は、なにもやることが無くなる事。
RPGでレベル999まで上げたキャラクターが、一撃でボスキャラを屠る事が出来るようになった時、そのキャラクターはその後何をやればいいのだろう。
それを悟った佐々木は枯れ果ててしまった。
それを回避するために、ハルヒは自分の能力を自覚しないという方法を取ったのではないか?


佐々木は、ハルヒと同じように「能力を自覚しない」という決断ができるだろうか。


だが能力を自覚しないと言う事は、無意識の内に世界を改変してしまう可能性が出てくるということだ。それこそ、かつてのハルヒの様に。
それを許すことは佐々木にはできないと思う。ハルヒにはできてもだ。佐々木はそういう性格で、ハルヒはそういう性格だからだ。
それを知っていたからこそ、橘京子は佐々木の方が適任だと言ったのだ。その方が世界は安定すると。


ハルヒから佐々木に能力が移った事により、確かに無意識の内に世界が改変されてしまう危険性は無くなった。
だが、その結果佐々木が背負う事になった重荷は、死よりも辛い負担となっているのではないだろうか。


…などと物思いに耽っている所へ、


「遅れてメンゴメンゴ!なんか道が混んじゃっててさあ、いつもはこんな事ないのに」


ハルヒが喫茶店の中に入ってきた。
まさに佐々木たちが帰っていた、その数分後、入れ替わるようにしてやってきた事になる。
これも、あらかじめ佐々木がそうなるように世界に仕込みを入れておいた結果なのだろうか。


「ん?どうしたの?何か考え事?」
いや、別にたいした事じゃない。
「そう?…ならいいけど。でさ、キョン。今日はいつもの受験勉強の合間の息抜きなんだからね、行きたいところは山ほどあるんだから、今日はとことん付き合ってもらうわよ」
ハルヒは100ワットの笑顔を振りまきながら、俺を席からひっぱり出そうとする。
俺はあわてて領収書を掴むと、椅子から立ち上がった。


しかし、こいつは本当に変わらないなあ。
能力があったときのハルヒも、佐々木に能力を受け渡したハルヒも、本人にその自覚が無いせいか、まったく何も変わらない。相変わらずのハルヒパワーで、俺をどこまで連れて行くつもりなんだろう。


支払いを済ませた俺が、ハルヒと共に喫茶店を出る頃には、俺は佐々木のことを気にしなくなっていた。


俺がそれほどまでに薄情な奴なのか、それともハルヒの笑顔の前にそんな事象は消し飛んでしまったのか、あるいは佐々木の改変能力が発揮されたのか。


そのうちのどれかなんだろうね。


 

─ 終 ─


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