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 低い山々に囲まれた盆地には見渡すかぎり水田が広がっていた。時折吹く風が、まだ青い稲穂を揺らす。
 頂点に昇ったばかりの太陽はぎらぎらと地上に降り注いでいた。
 そんな中、水田を切り裂くように真直ぐ伸びた細い道を俺と妹を乗せたライトバンはかなりの速度を出して走っていた。
「スピード出し過ぎじゃないですか?」
 俺が尋ねている間にも赤丸で四十キロと書かれた標識が一瞬で後方に流れていった。
「なんこんくらい普通たい。慣れとるけん心配せんちゃよかよ」
 運転する伯母は自信たっぷりにそう言ったのだが、さっきの標識の下には真新しい花束やら缶ジュースが置かれていて俺をゾっとさせた。
 ちなみに伯母が訛っているのはここが熊本だからであり、俺とすっかり眠っている妹は帰省の最中であった。両親は仕事の都合上、遅れてやって来ることになっている。
 さて、そうこうしている内に水田は切れて、ブロック塀に囲まれた路地へ入ると流石に伯母もアクセルを緩めた。そのまま二三の角を曲がってから塀の切れ目に車を入れる。
 中には平屋造りの大きな家があって、その脇にはトラクターなどの農機具が置かれている土壁の蔵があった。どれも古めかしく、時代を感じさせる。
「さあ、着いたばい。みんな待っとるよ」
 俺は伯母に礼を言ってから、妹を揺すり起こした。すると妹はぱちぱちと目をしばたたかせて、
「キョン君。着いたの?」
「ああ。着いたよ」
 すると妹は勢いよく外に駆け出して行った。開け放たれたドアからむあっとした空気と堆肥の匂いが漂ってくる。
 
 俺は後部座席に取り残された妹と自分のバッグを持って、玄関から中に入った。その玄関はかなり広いのだが、今は靴で溢れかえっている。
 それらを踏まないようにして奥に進むと、低い天井の廊下の突き当たりにある襖を開けた。
 中では揃いも揃ったり三十名近い親戚一堂が酒宴を繰り広げていて壮観だったが、とりあえず積もる話は後にして挨拶をすることにした。
 俺が近付くと仏壇の前で地蔵のように座り、妹に抱きつかれていた着物姿の老婆は顔を上げて細い目をさらに細めた。
「ばあちゃん、ただいま」
「おきゃーり。妹ちゃんも一緒にお参りしなっせ」
 余談だが、ばあちゃんは俺や妹を合わせて数十の孫やら曾孫やらがいるので、一々名前など覚えていない。
 俺は仏壇に線香を上げてから、妹と一緒に少しの間黙祷を捧げる。
「なら、馬刺しやらあるけんねまらん内に食べ」
 よく分からんが、端的に言えばさっさと食えということなので空いている席に適当に着いた。
 
 ここで熊本の郷土料理を紹介しよう。まず、馬刺しである。スーパーに行けばたいてい馬刺しコーナーがあるほど熊本では一般的な食べ物だ。
 生姜醤油で頂くとさっぱりして美味しい。本来は小豆色だが、たてがみという部分は白くこってりとした味わいがする。
 お次はタイピーエン。熊本人なら誰もが知るわりとポピュラーな料理だ。給食でも出るぞ。野菜と肉を炒めたものに鳥ガラスープを入れて春雨と一緒に煮込んだものである。
 簡単に言えばチャンポンの麺を春雨に変えただけだがヘルシーで美味い。素揚げにしたゆで卵を乗せるのを忘れるな。
 いつまでも料理紹介といくのは趣旨から外れるのでこれが最後、辛子れん根だ。れん根の穴に辛子を詰め、辛子粉を混ぜた粉で揚げた一品である。
 ほくほくしたれん根の甘みと、辛子のピリッとした辛味が罰ゲームにぴったりだ。これは人間の食うものじゃない。お土産にしたら怨まれるぞ。
 と、脳内実況を繰り広げている内に腹が膨れてきた。妹は従姉妹を連れて外に遊びに行ったらしく姿はなかった。
「ありゃ。氷んなか。誰か買ってきてくれんね?」
 白岳という焼酎―これも後味が軽く美味い―を片手にさっきの伯母さんが訊いた。しかし、おっさん連中はみんなぐでんぐでんに酔っ払っている。
 
 すると、俺は一瞬鏡でも見たような錯覚に囚われた。俺と瓜二つ、髪を伸して少しフォトショで弄ったような顔をした女性が伯母さんへと近寄って行くではないか。
 たしか、何とかと言う二つ年上の再従姉妹だったと思うがこんなときくらいしか会わないので名前が思い出せない。
「伯母さん。あたしが行きますよ。この間、免許とったんで」
「ああ。キョン子ちゃん。行ってくるっとね」
 しかし、キョン子と呼ばれた女性は顔を曇らせて、
「キョン子はやめて下さい」
 当の本人としてはその気持ちがよく分かるのだが、伯母さんは豪快だった。
「よかたい。似とっとやけん」
 その一言でキョン子に溜め息をつかせて、車の鍵を渡すと奥に引っ込んで行った。
 すると、キョン子はこちらに険のある一瞥をくれてから手招きする。
 こっちこいってか。
 俺は仕方なくキョン子の後を追って、座敷から出た。
 脇に佇む、そっくり顔が一言。
「あんたのせいで、あたしまで変なあだ名つけられたじゃない」
 知らんがな。これではただのいちゃもんである。
「うるさい。いいから来なさい」
 と、どっかの団長のような台詞を吐いてキョン子はすたすた歩いて行った。
 まさか、買い物に付き合えとか言わないよな。
……。
…。

 
 そのまさかであった。結局、俺はキョン子にこき使われることとなった。
 帰ってからも親戚の餓鬼を引き連れて庭でスイカ割りをやったり、暗くなってからは花火をやったりして俺の休む暇などなく、帰省一日目が終わった。
 
 
 つづく。

 

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