「……なにこれ?」
「……見ての通りだろ」
 真夏の太陽による弱いものイジメが絶賛開催中の快晴の午後。道端には二つの影が立ち尽していた。
「……見れば分かるわよ、そんなこと」
「……それもそうだな」
 日差しはじりじりと肌を焼き、風といえば近くの室外機から送られる鬱陶しい熱風のみという、この上なく不快な状況において、何故俺たちは立ち尽しているんだろう?
 ……うん。エセ哲学風に問い掛けてみても、この暑さじゃ現実逃避にすらなりゃしない。
「……あたしが言いたいのは神様とか仏様とか、そういうものに対する不満よ」
 こちらもまだ現実を認めたくないのか、心なしか言葉に力がない。
 そうだな。どこかの副団長に言わせりゃお前が神様らしいぞ?ということはだ、その説を採用するなら文句を言っている相手はお前自身であり――

「なんで閉まってるのよ!あたしのプールは!?ウォータースライダーは!?」

 俺の現実逃避的思考遊戯は、有無を言わさず現実を認めさせるようなハルヒの叫びによって強制的に中断させられた。
 ……前言撤回。それでもハルヒは元気らしい。


 今日俺とハルヒは市内にあるレジャープール施設に来ていた。
「キョン!あんたは悔しくないの!?」
 連日の猛暑や遊びたい欲求に耐え、テスト期間を戦い抜いた俺たちにとって、そこがどれだけ魅力的な場所かは、この国で義務教育を受けた者なら想像に難くないと思う。
 ……それなのに、
「そりゃ悔しいが……」
 入り口に貼られた簡素なコピー紙には臨時休業の文字。
「……機械のトラブルじゃあどうしようもないな」
 正直な話、この張り紙を見た瞬間、炎天下を歩いてきた疲れが一気に出たらしく、最早怒る気力すらなかった。
「だらしないわね!一年の内で夏しか働かないんだから気合いでなんとかしなさいよ!」
 無機物に対してなかなか無茶をおっしゃる。
「あーもう!わざわざ今日じゃなくてもいいじゃないの!」
 ……そう。今日は前から約束していた……その、なんだ、いわゆるデートの日だった。
 試験の前に約束した日から今日まで、ハルヒがこの話題を口に出さなかった日はない。それだけ楽しみにしてたんだろう。……まぁ、俺も結構楽しみだった。
「……だけど、こればっかりは仕方ない。今日は帰ろう」
「う~……」
 臨時休業の張り紙を親の仇とばかりに睨み付けるハルヒ。……もしかしたら今古泉の携帯が鳴ったかも知れない。それほどハルヒの目には悔しさの色が見てとれた。
 ……頑張れ、古泉。
「……はぁ~……」
 しばらくして、張り紙とのにらめっこに敗北したハルヒは、がくりと肩を落としてトボトボと歩き始めた。それを見て俺もハルヒの隣に並ぶ。
「……」
「……」
 テスト前以来久しぶりに二人並んで街を歩いているというのに、なんとも気まずい雰囲気だ。
「……まぁ、夏はまだ始まったばかりだし、機会はいくらでもあるさ」
 そんな気休めの言葉も今のハルヒには届いていないようで、その眼差しはどんよりと沈んでいる。
「……この後どこか寄るか?」
 流石にこのまま帰っては後味が悪いだろうし、俺も……その、もう少し一緒に居たかった。
 ……けれど、
「……ごめん。こんな格好だし、今日は帰る」
 こんな格好?
「その格好で何か問題あるのか?」
 ハルヒの格好はTシャツにデニム地のミニスカートという、至って普通の服装だった。特に問題があるようには見えないが?
「中に水着を着てきたのよ……」
 ……それはまぁ……なんというか……。
「せっかく新しい水着も買ったのに……」
 そう言ってハルヒはちらっと自分の胸元を覗き込む。Tシャツの隙間から僅かに覗いたそれは、ハルヒらしい明るい黄色の水着。
「……ッ!」
 ……その仕草にドキリとして、慌てて顔を逸らしたのが失敗だった。
 俺のリアクションに気付いたハルヒが、ニヤーっとした笑みを浮かべて下から顔を覗き込んでくる。
「……キョーン、なーに顔を赤くしてるのかしら?」
 ……この日差しだし、ちょっと日に焼けたのかもな。
「嘘。あたしの水着を見て顔を赤くしたでしょう?」
 ……いや、水着そのものよりは、むしろ全体的な仕草というか、チラリズムというか……。
「ほら、はっきり言ってみなさい。あたしの水着姿を想像して興奮したって」
 さっきまでの不機嫌はどこへやら。俺の態度が嗜虐心を刺激したらしく、ハルヒはニヤニヤしながら楽しそうに俺に絡んできた。
「ねえ?正直に言っちゃいなさいよ?」
 ……黙秘権を行使する。
「それって興奮したって言ってるようなものじゃない?」
 う……。
「ははーん?さては、あんた動揺してるわね?」
 う、うるさい!俺の顔が赤いのは日差しのせいだ!異論は認めん!
「あ、ちょっとキョン?」
 これ以上の尋問に耐えられる自信がなく、俺はハルヒを置いていくように足を早める。
 ……ああそうだよ。興奮したよ。ついでに今日お前の水着姿を見れなかったことが今更残念になったよ!悪いか!?俺だって正常な男だ!
「……」
 などとぶち撒けてもハルヒは調子に乗るだけなのでもちろん言わないが。
「ねぇ、なんでそんなに急いでるの?キョン」
 早足で歩く俺のすぐ後ろをハルヒがぴったり着いてくる。顔は見えないが、声の調子だけで楽しそうなのが分かる。
 ……少しは俺を怒らせたかもって気にしろよ。ここは無視だ、無視。今後のためにも少し懲らしめねば。
「……あ、そうだ。キョン、ちょっとこっち向いてみて」
 無視。
「聞いてるの?」
 無視無視。
「こっち向きなさい。団長命令よ」
 ……くそ、全然気にしないな、こいつ。
「キョーン」
 ……あー分かったよ。向けばいいんだろ、向けば。
 全く悪びれないハルヒに意地を張るのが馬鹿らしくなり、その言葉に従う。
「ほら、向いたぞ。一体なんだ?」
 ……直後、ここで素直に言うことを聞くから俺はハルヒに勝てないのだと痛感することになった。

「ばぁ」

「え……?」
 まず視界に飛び込んできたのは、イタズラっぽく笑うハルヒの楽しそうな顔。
「なッ!?」
 次に見えたのは、くいっと指で広げられたTシャツの胸元。そして、その奥には前屈みになったことで露になった二つの膨らみ……って、
「な、何してんだよ!?」
「これで言い逃れ出来ないわね?」
 と言って、ふふん、とハルヒは満足気にふんぞり返った。
 ……言い逃れってお前……。
「それは反則だろ……」
「勝てばいいのよ、勝てば」
 ……いや、それ以前にこれは勝負だったのか?
 完全な不意打ちに、治まったと思っていた顔の熱がぶり返す。俺の顔がどうなっているかはハルヒのしたり顔を見れば火を見るより明らかだろう。
 ……だが、八割方仕留めていても、獲物に追い討ちを掛けるのがハルヒという人間だ。
「で、何か言うことはないかしら?」
「ぐ……」
 ……経緯はともあれ、先程より遥かに赤くなっているであろう俺の顔を、今更日差しのせいにするにはいささか無理があるだろう。
 ……勝ち負けで言うなら完敗だ。むしろ勝つ方法があったなら誰か教えてくれ。今後の参考にしたい。
「……」
「……」
 僅かな沈黙。その微妙な空気に俺が根負けして口を開こうとしたその時、
「……やっぱりいいわ」
「へ?」
 ハルヒは唐突にそんなことを言った。
「……いいって、どういうことだ?」
 俺の言葉にハルヒはわざとらしく溜め息を吐く。
「鈍いわねぇ……要するに」

「水着の感想は今度のプールで見てからね、ってことよ」

 そう言ったハルヒは、真夏の太陽にも負けない眩しい笑顔で、
「……あ」
「分かった?」
 今日初めて見せたその満面の笑みに、俺はただ無言で頷くしかなかった。
「よろしい」
 ……この笑顔になら連敗続きでも構わないと思える俺は、もしかしたらハルヒの尻に敷かれているのだろうか?
「……」
 そんな風にぼけっと見惚れていると、ハルヒは俺を置いて駅の方向へと急に歩き始めた。
「……あ、おい!もう帰るのか!?」
 何も言わず、足早に去ろうとするハルヒへ慌てて声を掛ける。しかし、ハルヒは一度こちらを振り向き、
「また後でメールするから!」
 とだけ言って人混みへと消えていった。
 その場には呆気に取られて置き去りにされた男が一人。
「……本当に帰りやがった」
 機嫌が直ったならせめて昼飯くらいはと思っていたんだけど……。
「どうしたんだ、一体?」
 どこか急いでる感じだったけど、俺と出掛ける日に他の用事があるとも思えないし。
「……うーん?」
 そんなハルヒの態度にいまいち釈然としないものを感じながら、俺も帰路に着く。
 ……その不自然な態度が、水着を見せたことが後になって恥ずかしくなったからだと考え付いたのは、俺が家に帰り着いてからだった。


END


|