太陽がゆっくりと尾をひきながら沈むころ、僕は鶴屋邸を訪れていた。
 鶴屋さんは“機関”のスポンサーであり、莫大な資金を提供してくれている。それゆえ、僕は“機関”を代表して一週間の出来事を報告していた。
 門から入ると鶴屋さんの言伝を受けていた家政婦にすんなりと鶴屋さんの部屋の前まで通される。僕は襖の前で、報告内容をざっと推敲してから声をかけた。
「古泉です」
 すると、襖を隔てた向こう側から、
「やあ、古泉君。入って入って」
 と鶴屋さんの元気な声がした。
 襖を開けると、既に鶴屋さんは座布団の上に坐して僕の到着を待構えていた。
「わざわざありがと。ささ、座って」
「では、失礼します」
 森さんに教えられた通り、座布団を一度裏返してから座る。すると鶴屋さんはまるで紙芝居を待つ子どものように目を輝かせて、長く綺麗な髪をかき上げた。
 これが開始の合図になったのはいつからだろう。二人だけのサイン。それが、妙にくすぐったくて、心地良かった。
 では、と僕は話し始める。定期報告とは言っても、一週間の出来事を面白おかしく語るだけだ。
 始めは事務的な話だけだったのだが、鶴屋さんがあまりにも楽しそうに聞いてくれるので自ずからそういう話方になってしまった。
 そして、今日も鶴屋さんは最良の聞き手となって熱心に耳を傾けてくれる。
 だからこそ、そんな鶴屋さんの顔に時折、暗い影が刺すのが気になってしまう。
 
「あの……鶴屋さん。なにかお悩みでも」
 話を終えた僕はとうとうお腹を抱えて笑い転げる鶴屋さんに尋ねてしまった。
 鶴屋さんの動きがぴたりと止まり、真顔に戻る。
 大切なものを壊してしまったような喪失感や失敗感が僕をすっと包んだ。
 部を弁えずに何を聞いてしまったんだ。僕と鶴屋さんは友人ではない。僕は“機関”の代表で、鶴屋さんはスポンサーなのに。
「すいませんでした。僕はこれで」
 と、謝罪して逃げるように立上がると、
「あっはっははは」
 鶴屋さんは大声で笑い始めた。
 その瞬間、僕は全ての事態を把握した。ハメられたのだ。
 騙されたことよりも、鶴屋さんが怒っていないことに思わずほっとしてしまった自分に苦笑する。
 鶴屋さんは笑い疲れたように息を吐いてから、ゆっくりと座り直した。
「あーもう。古泉君。すぐ引っかかるんだから」
「鶴屋さんも人が悪いですね」
 僕が頭をかきながらそう言うと、鶴屋さんはくすりと笑ってから、
「いやあ。古泉君の話聞いてたら凄く楽しそうで」
 と、照れたように呟いた。
「だったら、今度のミーティングに参加してはどうですか? 涼宮さんもきっと喜びますよ」
 しかし、鶴屋さんは首を横に振る。
「あたしは一歩引いたところから皆を見るの。今でも干渉し過ぎてるのに、これ以上はダメにょろ」
 理由は聞けなかった。それこそ、部を弁えない行為であり僕には僕の、鶴屋さんには鶴屋さんの理由があるはずだ。
 
「それに、あたしは皆の楽しそうな様子を見るのが好きだよ」
 だったらどうしてそんな無理矢理作ったような笑顔を浮かべるんですか。たしかに、人が何かをやる姿を見ることは楽しいかも知れません。だが、自分もやりたいと思わないんですか。
 そう言えない自分がもどかしくて、情けなくて僕は自分自身を笑った。
「古泉君は優しいんだね」
 ふと鶴屋さんがそんなことを呟いた。
「え?」
「だって、今あたしのこと心配してくれてたでしょ?」
 鋭い発言に心を見透かされたような気がして、思わず顔が熱くなる。
「あっはははは! ほんとうに考えててくれたんだ」
「鶴屋さん。いい加減にして下さい!」
 僕は内心を隠すためにわざと強めの口調で言うと、鶴屋さんの表情が一辺して暗くなった。
「……ごめんね。嫌だった?」
「いえ、そんなわけでは」
「……嘘つかないでいいにょろ。無理矢理こんなことさせてるのに……あたし、何やってるんだろ」
 そんなことを言って顔を下げた鶴屋さんの肩がぴくぴくと小刻みに揺れている。顔は見えないが、恐らくは必死で笑いをこらえているのだろう。
 この人はどこまで人をからかうのが好きなんだ。
 そんなことを考えている内に、僕は細やかな復讐を思いついた。
「そんなことありませんよ。僕は鶴屋さんのこと……好きですから」
 鶴屋さんはぱっと顔を上げ、驚いたような表情で僕を見つめた。次第に朱がさしていくのが手に取るように分かる。
 それが無償に可愛くて僕の口から微笑が零れ落ちた。
 
「騙した?」
「そうと言えなくもないですね」
「あっちゃー。引っかかっちゃった。古泉君うまいね」
 そう言って鶴屋さんはぺろっと舌を出すと、すっかり冷めたお茶に手を伸した。
 もっと悔しがってくれると思ったのに、と僕の方が肩透かしを食らってしまった。
 しかし、鶴屋さんの手がカタカタと小刻みに揺れているのに気付いて僕の企みの成功を知る。
「では、これで失礼します」
 僕はわざとそのことを無視して自分の分の湯飲みを空にしてから立上った。
「えっ? あっ、うん」
 僕と鶴屋さんは互いの出方を伺うようにおし黙ったまま門まで辿り着く。
「古泉君。今日はありがとね」
「こちらこそ、美味しいお茶をありがとうございました」
 結局、鶴屋さんが悔しがってくれることはなく少し残念だったが、僕は頭を下げると鶴屋邸を跡にした。
 少し離れてから、鶴屋さんは小さくなった僕の背に向って、
「次は引っかからないからねー!」
 と、大きく手を振りながら叫ぶ。
 長く、綺麗な髪が闇に広がり鶴が舞うように踊る。そのダンスは僕がすっかり見えなくなるまで続いていた。
 
 
おわり
 


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