<γ-1>

『絶対に訴えてやりますから!』

 ―見慣れた、いや見飽きた再現ドラマ専門俳優の怒りの声がリビングにこだました。無言で音量を操作するお袋とその隣でもぐもぐとやっている妹を視線の端で捉えながら、ハンバーグの最後の一かけを口に放り込む。
どうやら再現ドラマの中の男が婚約者の他にもう一人の女と付き合っていて、それが露呈したために双方から慰謝料を請求されているらしい。まさにステレオタイプの修羅場って奴だ。
親父がさっきから黙りこくっているのが気にならないでもないが、なぁに、この人に浮気をするような度胸も甲斐性もないだろう。失礼な言い草だけどな。
    しかし、実際にこのような状況に立たされたらどうなるだろうね。まさに八方塞がりといった所か。まぁよほどの色男でない限り実地で体験することはまずないとは思うが。
    悪趣味ではあるが二股かけるような男が一瞬にしてどん底に落ちる所を想像する。古泉がそうなったら端で見る分には面白そうだ。とりあえずあのニヤつきをキープすることはできないだろうね。
……いや、想像がつかないな。あいつは二股をかけるような柄じゃないように思える。
谷口は……ムリだな。二股かける前に挫折するだろう。国木田はどうだろうか。何かあいつは結構うまく切り抜けそうな気がする。ごめんごめん、とか何とか言って……


    ともかく、俺には関係ない話だね。朝比奈さんと鶴屋さんに取り合われる俺、なんてのは妄想はできても想像はできないしな。下らん、実に下らない。何か悔しい。

「ごちそうさま」

    部屋に引っ込むとしよう。食器をシンクに運ぶ俺に妹が、
「キョンくん、おふろ先入っていい?」
と尋ねて来たのにあぁと答えると、先程の男は70%の確率で慰謝料を払わないといけないという結果がちょうど俺の目に飛び込んで来た。
やれやれ、女は強し……だな。
--------------

    ぐだぐだと寝転んでいた俺を風呂上がりだというのにシャミセンを抱えて呼びに来た妹に続いて湯舟につかり、再び部屋に戻ってみると携帯のライトがチカチカと点滅していた。不在着信を示す色だ。誰からかなど考えるまでもない。
……この時間にかけてくる奴と言えばハルヒしかいないからだ。そうなると問題はただ一つ。一体何の用だろうか。 
    かけ直せばハルヒが何やら企んでいるらしい新入生勧誘大作戦の為に貴重な時間を大量消費する結果になるのは間違いなさそうだが、かけ直さなかった場合もぞっとしない結果になりそうである。
どちらがよりマシかを比較衡量し、結局着信履歴からハルヒの番号を―
おや……。
    予想だにしなかった名前がディスプレイに表示されている。すなわち『佐々木』と。……いや、予想していない俺が愚かだった。恐らく緊急の用事だろう。あの胸糞悪い連中に絡んだ―
    そう、名前も知らないあの可愛いげのかけらもない未来人、慇懃無礼な誘拐女子高生橘、真っ白な半紙に一点だけ滲んだ墨汁のような存在感を持つ周防九曜―
……ハルヒにしろ佐々木にしろ、今電話で呼び出されてする予感が悪い方であるのには変わりがない。ハルヒの場合は自身のトンデモぶりが厄介で、佐々木の場合本人も大概な奴だが何よりもツレが最悪だ。
    しばし携帯を握りしめ見つめながらかけ直すかどうか迷っていると手の中で震え出した。仕方ない、折り返しかけられたら出ないわけにはいかないだろう。やれやれ。

もしもし……

『あ、キョン?明日放課後暇よね?ちょっと付き合いなさい』
ちょっと待てハルヒか。
『何よ。そんなのかかってきた時に名前出るでしょ?……まさかあんたあたしの名前登録してないんじゃないでしょうね?もしそうなら団長不敬罪で罰則を与えるわ』
何だか元気のない声を出すハルヒに事情を説明すると更に沈んだ声で、
『…………明日佐々木さんと会うの?』
いや、それはまだ分からん。俺が風呂に入っている間に着信があったみたいでな。ともかく明日だな?佐々木が会うと言い出しても、時間がバッティングしないようにするさ。
『……そう』
何だその長門のようなリアクションは。という俺の言葉はハルヒには届かなかった。切られたからな。うぅむ…… 
    ……どうもハルヒは佐々木とは折り合いが悪いらしい。駅前でちらっと遭遇しただけなのに、ここまで露骨に嫌がられると二人の共通の知己としては心が痛むのだが。
しかしまぁ、俺としてもさっさとこの厄介な状況を打開したいのが正直なところだ。その為にはまず佐々木と共にあの犯罪者軍団を何とかしなければならない。具体的にどうするかなどということはわからないが、ともかく佐々木と相談して、
とここで俺の思考は中断された。また携帯が震えたのだ。
どうしたんだハルヒ。

『涼宮さんと電話中だったのかい?道理で繋がらないわけだ』

……やれやれ。二度同じ失敗を繰り返すとは。今度からはちゃんと発信者の名前を確認することにしよう。
『そうすることをお勧めするよ。市外局番06の電話番号からかかってきた時など、そうやって確認せずに出ると思わぬ事態になりかねない』
窘めるような口調で佐々木は言った。 

    ……で、用件は何だ?
『駅前での涼宮さんとの邂逅と、僕がらしくもなくこんな時間に三度も電話をかけてきた事から想像がつかないかい?』
相変わらず回りくどい言い方をする奴である。早く話したらどうだ、何か話があるんだろう。
『話があるのは当然さ、電話をかけているのだからね。とはいえ大事な話だ、フェイストゥフェイスで話すのが筋だと僕は思う。その話をする場をセッティングしたいと思って夜分に電話をかけさせてもらったというわけだ。
キョン、キミの携帯電話番号を教えてもらっておいて良かったよ。流石にこの時間にご自宅の電話を鳴らすわけにはいかないからね』
確かにな。大事な話は面と向かって話すべきというのには俺も同意する。で、いつにするんだ? 
『明日は都合がつくかい?大切な事は早く済ませたほうがいい、善は急げというしね』
……まぁそうだな。だが明日はハルヒからも呼び出しを食らっちまった。放課後とかいうざっくりした時間設定だからいつ解放されるのか想像もつかない。悪いが明日ハルヒと別れ次第こっちから連絡するって事でかまわんか?
さっきの電話で不機嫌そうだったからな、これ以上あいつの神経を刺激したくないんだ。
『…………』
佐々木?どうしたんだ。無駄に多弁なコイツらしくもなく沈黙を守っている。今日は誰もがそういうらしくない振る舞いをする日なのか。
『……構わない』
コイツまで長門の真似か?溜息をついて平坦な調子で返事をしてくる。
佐々木、元気を出してもらわないと困るぜ。面倒な事を片付けないといけないんだからな。わかってるだろ?
『……わかっているよキョン。では明日、連絡を待っている』
あぁ。じゃあな。 

    通話を終えふぅと一つ息をつき、すりよってきたシャミセンの下顎を撫でてやりながらベッドに沈み込む。明日はハードな一日になりそうだ。ハルヒと……そういえばあいつ、用件を言わなかったな。
いや大方の想像通りだろう。どうせ新入生勧誘の打ち合わせとか、その買い出しの手伝いとかそういう雑用めいた事をさせられるのだ。その後佐々木と作戦会議か。マジでキツいスケジュールだな。
    飯も風呂も済ましちまったし、今エネルギーを温存する為に出来ることといえば睡眠だけと言い切れるだろう。えぇと、学校→ハルヒ→佐々木、か……やれやれ。
    明かりを消し、シャミセンと共に布団に潜り込んだ俺が眠りに落ちるまでそう時間はかからなかった。

--------------

    寝息を立てる彼は知らない。彼の携帯電話が、超能力者からの着信を知らせようと光と音を発していたことを。 


    瞳を閉じた彼には、遠く離れた二人の少女の呟きが聞こえない。


『わかっていないのはキミだよ、キョン……キミは本当に中学時代から変わっていない』


『今頃佐々木さんと話してるのかな……明日、絶対に言わなくちゃ……』


    夢を見ている彼は想像もしていない。


    ―『ハードな明日』が訪れないということなど。 



<γ-2>

    彼はいくら呼び出しても電話に出なかった。寝てしまったのだろう。この非常時に、と思わないと言えば嘘になる。原因は恐らく……いや間違いなく春休み最後の日の佐々木さんとの一件。
    彼にも釘を刺しておいたのに、困ったことにあの人は素直じゃない……というかやけに疑り深く、自分が身近な女性から嫉妬される程好意を持たれているという事を頑として信じようとしないのだ。
    それは愛すべきキャラクターなのかもしれない。しかし彼のその性分が世界に危機をもたらす事もしばしばある。そして僕がその事を指摘すればするだけ、悲しいことに彼の頑なさは増してしまう。僕はいま一つ彼からの信用を勝ち得ていないようだ。

「古泉、急ぎなさい」
ネクタイを締めドアから出た僕を、森さんが車のドアを開けて促す。
    去年の同じ頃感じた感覚が再び胸を叩いている。今は急がなくてはならない。自嘲というか悲しみのような感情を抑え、僕は最近その存在感を増してきたSOS団の古泉一樹から機関の古泉一樹へと精神をシフトチェンジしながら黒塗りのタクシーへ乗り込んだ。
運転席の新川さんが一つ頷き、アクセルを踏み込む。車は夜を裂いてスピードを増していった。

-------------- 

    言いようのない感覚に導かれるままにそこへ到着した僕達を、想像通りに緊迫した状況が待ち受けていた。目の前に広がる灰色の海―閉鎖空間。

「一刻の猶予もないわね」
森さんが誰にともなく呟く。

「あの時と同じです、単独での侵入は不可能です」
先行した仲間の言葉を受け、森さん、新川さん、多丸兄弟が僕に視線を浴びせる。
「古泉、やる事は分かっている?」
分かっているつもりだ。電話に出なかった彼は間違いなくこの中にいるだろう。彼を見つけだし、元の世界に回帰させる。一度経験があるとはいえ、鼓動は前と同じかそれ以上に高鳴っていた。
だけど、それは僕にしかできない。『友人』を救うのは僕の役目だ。一方通行の友情かもしれないけれど……。去年はこんな事考えてはいなかったっけ。精神は完全にシフトチェンジ出来ていなかったらしい。
……それでもやらなくちゃならない。
「皆さん、お力をお借りします」
みんなが頷きを返し、僕を後押ししてくれる。しかし、

「ちょっと待ってほしいのです」

深呼吸し一歩踏み出した瞬間にかけられた声に僕の足は止まり、全員の視線が引き付けられた。

……声の主は、橘京子。

-------------- 

「お久しぶりです。みなさん」 
場違いな笑顔と弾んだ声で慇懃に頭を下げてくる。彼女の表情とは裏腹に、受け入れがたい者同士が対峙するこの場には冷たく重い雰囲気が充満していた。
    凍り付いた空気を壊す、とまではいかずミシミシとひび割れさせるように森さんが、
「何をしにいらしたの?」
無言のプレッシャーに動じる事なく、むしろ自信に溢れた表情で彼女は言った。
「そっちがきっと勘違いしてるんじゃないかと思って、いいことを教えてあげにきました」
「結構よ」
「まぁ、そう言わずに……絶対に驚くから」
にっこりと微笑み、彼女が涼宮さんの閉鎖空間と現実世界の境界面に近づき―

空中に手を伸ばし、何かに触れた瞬間。

僕達が超感覚で認識していた灰色の空間と一部重なった状態で、セピア色の空間が現れた。 

「……これは……」
「そう。佐々木さんの閉鎖空間です。キレイでしょう?」

    色の三要素の円を見た事があるだろうか。そこから一つ円を取り払った状態、と表現すれば我々のような能力を持っていなくても状況を想像できるかもしれない。
振り返ると僕以外も森さんをはじめとして正に絶句と言うに値する表情だった。森さんに完膚無きまでに気圧された経験があるはずの橘京子の自信の理由はこれか。
    涼宮さんの強大な閉鎖空間と同時に存在しているのみならず、それと重複している―これは我々のある種の信仰を覆すような推測をするに足る光景だ。つまり……
「涼宮さんとの二回の接触で、佐々木さんの中で眠っていた改変能力が目覚めたのだわ。ふふ、やっぱりあたしの思った通り、改変能力の真の所有者は佐々木さんだった」
反論が口をつく。
「違いますね、彼女は涼宮さんからその能力を掠め取っただけに過ぎませんよ」
「あら、掠め取った程度じゃこんな大規模な閉鎖空間は生み出せないわ。万が一そうでも掠め取る事ができただけで凄いじゃない」
「何にせよ先の話し合いによれば、あなたがたは佐々木女史の理性を根拠に涼宮さんの能力を否定し、それを無くそうという考えでしたね?この状況でも佐々木女史は理性的だと主張するおつもりですか?」
「この状況こそが佐々木さんの適格を証明するものだと思うけどな。これだけの閉鎖空間を生み出せて、それでいて涼宮ハルヒのような『危険思想』を持っていないんですもの」 
ふざけ……
「古泉!」
激昂しかけた僕を、森さんの手が止めた。離してください、彼女は許してはならない事を言ったんだ。危険思想だって?涼宮さんの事を何も知らないくせによくもぬけぬけと……
「落ち着きなさい。君が理性を無くしてどうする。今はやるべき事をやるのだ」
「ドライバーのおじ様の言う通りです。あたしはもう行きますから。お互い、冷静にならないと『鍵』の機嫌を損ねちゃうわよ?それじゃ」
    どこからか現れた仲間らしき面々と共に彼女はセピア色の境界面に触れ、一つの青い球体となって中に吸い込まれていった。途端に足の力が抜けて、僕はその場にへたりこんでしまった。

「古泉、我々も……」
「ちょっと待ってください」
息を落ち着かせ、冷静さを取り戻しながら僕はこの状況に関する自分の考え……というより不安を機関の面々に話し始めた。 

    一つ気になる事がある。この二つの閉鎖空間があの時と同質の物だとすると、我々は中へ入るのが精一杯で彼に任せるしかない。そして―
どうやら向こうにとっても、彼は『鍵』であると見られている。いや、実際にあのセピアの閉鎖空間にも多人数ででなければ侵入できなかったのを見ると、本当に……
    彼が涼宮・佐々木両者の鍵であると仮定しよう。二つの閉鎖空間を同時に消すことは可能か?否だろう。とすれば、片方の閉鎖空間が消滅したあと残された方……

『選ばれなかった方』はどうなる。

残された閉鎖空間はどうやって解決するのか。まさか、
「非情になりなさい、古泉。向こうはそれを承知している。その上でここに現れたのでしょう。ならば我々も同じ覚悟をとらねばならない」
『鍵』に選ばれる事で一時的に増幅される改変能力で、他方の改変能力を消す……それか、
「相手の存在そのものを消す……でしょうね」


-------------- 

    背中に痛みを感じ、やれやれベッドから転落したかと思ってはい上がろうと左手を伸ばした俺は、あるはずのベッドに何故か触れずに宙をかいたのに驚き、目を開けて見えた光景に再度驚愕した。
俺は高校一年間で見慣れた、特に最近は鶴屋家の花見やフリマなどに連日繰り出していたので目を閉じてもイメージできるほどお馴染みとなった場所にいた。
目の前には時計塔。バス停やら喫茶店やらのある……いやもったいつけるのは止めよう、俺はSOS団の指定待ち合わせ場所である駅前にぶっ倒れていたのだ。
    見慣れた景色だがいつもと違う所がある。やけに真っ白なのだ。こんなに小綺麗な場所じゃなかったぜ、ここ。それに何より……

    左見れば灰色、右見ればセピアなどという奇妙な場所では絶対になかった。遠く前方を見てみると、灰色とセピアが混じり合った奇妙な色合いの空が広がっている。上手く言えないが、灰色とセピアのカーテンで半分ずつ周りを覆われた白い部屋みたいな場所だ。 
    自慢してもいいほどに平凡な一般人たる俺だが、今までにハルヒ作の超常空間に二回赴いた経験があり、現在の状況がその内の一回に酷似している事には気付いていたし、
今左手側に広がる色がそれの物であるという事は簡単に分かった。だが、今自分がどこにいるのかは全くもって分からない。あの時は全面灰色だった。この真っ白空間も右側のセピアも初体験だからな。
とはいえやはり結局の所、かなり嫌な予感がするのも事実だ。こんな風に寝ていたと思ったら外にいましたという状況だけを考えれば、周りの色は違うけれど忘れたいが忘れられない強烈な記憶を想起せずにはいられない。
やはりあの時と同じなのか?じゃあ、またどこかにハルヒが……
キョロキョロと辺りを見回す俺の元に、セピア側から小柄な人影が接近してきた。あれは誰だ……?ハルヒか?いや違うだろう、あいつなら灰色側から来ないと理屈に合わない気がするぜ。じゃあ全く未知の存在か?
 思わず身構える俺の数メートル手前で、透明な壁にぶつかったようなリアクションの後こちらに微笑みかけてきた奴の顔には幸か不幸か確かに見覚えがあった。

「お前か……」


続く


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