「頼み事をする方として、こういう言い方もどうかとは思うが。なんだってお前という奴は、特定の問題に限ってこうもウスラトンカチなんだ?」
「はあ………」


 呆れるのを通り越して、むしろ感心した風の会長の向かいで。俺は女給のお姉さんが「おかわりはいかが」と注いでくれた湯飲みのお茶をちびちびと飲んでいた。
 別に熱すぎるからじゃない。お店の名誉のために言っとくが、味自体は朝比奈さんの甘露茶とだってタメを張れる。問題なのは会長と話を進めれば進めるほど、俺たち二人の相互認識の差がひどかった事が露呈してしまって、何というか非常にきまりが悪い事だった。


「まったく信じがたい。年頃の男女が休日に二人で出歩いているんだぞ? うわ怪しい!と思うだろうが普通」
「いや、それは…てっきり生徒会の資料集めか何かで図書館を利用しに来たのかと」
「だから俺たちの仲をバラすために、目の前でこれ見よがしにイチャついてやっただろうに。まさか、アレをただの悪ふざけとしか思わなかったのか?」


 はい、ズバリそうとしか思いませんでした。実際問題、俺と長門がSOS団の仲間同士だったものだから、単純にあちらも同様だとばかり思い込んでしまったのだ。

 それなのに俺はほんのしばらく前、「それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか?」などと会長に向かって偉そうに講釈をたれていたわけで、いやもう恥ずかしいったらありゃしないね。天に唾するとはこの事だよ。
 それでその、改めて確認しますが…先輩は喜緑さんとお付き合いをなさってる訳ですか。


「さっきからそう言っている。だいたいここに来る前にも、俺は『あいつと一緒だとヤニを吸わせて貰えないんだ』とボヤいていたはずだろう」
「ああ、はい。それは憶えてますけど」
「いくら何でも、俺だって半日くらいは我慢できる。…意味は分かるな?」


 えーとそれはつまり、お二人が半日以上一緒に居たという事で…。俺たちが出くわしたのは今日の午後一番の出来事だったから、要するにお二人は昨晩からずっと一緒に過ごしていた、と?
 俺が目線で訊ねると、会長もまた無言で頷いた。うーむ、あの楚々として折り紙付きの箱入り娘のような雰囲気の喜緑さんが、とっくにそのような事をご経験済みだったとは。考えるだに生々しくって、どうにもお尻の下がむず痒くなってしまうね。


「今どき珍しい話でも無かろう。男がいて女がいれば、つがいが生まれるのは生物学的にも自然な事だ。それを恋愛と呼ぶか、単なる情欲の慰め合いと捉えるかは人それぞれだろうがな」


 えらく淡々と会長は言い捨ててみせた。その余裕、俺たちは他人にどう思われようと構わないぜっていうノロケですか?
 はあ、分かりました。あなたと喜緑さんの蜜月っぷりは、まったく疑いようの無い事実のようです。


「さて、どうだか。ひょっとして俺は、あいつの肉感的な罠にあっさり籠絡された大バカ者かもしれん」
「そうやって自分を客観視できるなら、何の心配も要らないでしょうよ。って言うか、あなたが先輩でなかったら頭のひとつでも叩いてやりたい気分です」
「そいつはすまなかったな。その詫びにと言っては何だが、お前に彼女が出来た際には気の済むまでノロケ話を聞いてやろう。いつでも声を掛けてくれ、遠慮は要らんぞ」


 そう言って会長は、紫煙の向こうでからからと笑ってみせた。くそう、森さんたちに鍛えられてるだけあって、こっちの痛い所をズバリと突いて来られるお人だぜ。
 なんとか一矢報いてさしあげたいものだ、と青少年らしい対抗心を胸に抱いたその時。俺はふと、ある疑問に思い当たった。別に会長を槍玉に挙げるような物では無いが、でもちょっとした疑問だ。


「だったら、春の部活説明会の際のアレはどういう事なんです?」
「部活説明会? ああ、涼宮の奴がド派手なチャイナドレスを着込んでたアレか」

「ええ。あの時、先輩は喜緑さんがいる間は普段通りの辣腕会長を演じてたのに、喜緑さんがいなくなった途端、素の口調に戻ってたじゃないですか。
 喜緑さんが先輩の彼女で、ましてやあの人が宇宙人だって事まで知ってたなら、そんな必要は無いはずでしょう? それとも、あの頃はまだそういう関係じゃ無かったんですか?」


 俺の質問に、会長は咥えタバコのまま記憶を探るように、大きな羽根の扇風機がゆっくりと回っている天井を見上げた。


「ふむ。俺が江美里を押し倒したのが確か5月の事だから、その頃はまだ明確な男女の仲ではないな。だが、あいつの正体に関してはとっくに知っていたぞ」
「え?」
「逆に訊こう。お前、江美里がTFEI端末だと誰から聞いた?」
「それは…古泉からですが」
「俺もだ。ならば現生徒会の書記が本来は別の人物で、いつの間にかそのポジションに江美里が入り込んでいた事も知っているな?」


 質問の意図が分からないまま頷く俺の前で、会長は謎解きに挑む名探偵のごとく、指に挟んだタバコをくるくると円を描くように動かしてみせた。


「つまりだ。まず『機関』の中で勘のいい奴が、生徒会の顔ぶれに関して『何かおかしいぞ?』と気付いたんだよ。
 もちろん『機関』は、その裏付け調査に入る訳だが…ここで質問だ。現生徒会のメンバーが、全員『機関』の工作員だと思うか?」

「は? いや、さすがにそれは無いでしょう」
「その通りだ。主要メンバーは俺の息の掛かった連中で固めてはいるが、やはり過半数は一般生徒が占める。
 そんな中で、『機関』が調査を開始したとしよう。お前が調査員だとして、いきなり普通の生徒に『書記の人って、実は別の人物だったりしませんでした?』などという、ふざけた質問が出来るか?」
「………あ」


 言われてみればその通りだ。たとえば俺の部屋でハサミが無くなったら、俺はまず妹に、勝手に使わなかったかどうか訊ねてみる。そう、一番身近ですぐ確認を取れる人物に、だ。
 『機関』が生徒会のメンバーについて調査を行ったなら、外部協力者で生徒会に詳しい会長にまず事情を訊ねるのは、理の当然なのだ。


「そうして事実が判明すれば、もちろん俺にも警告が下される。『喜緑江美里の動向に注意してください』と、そう俺に伝えてきたのはやはり古泉だったがな。
 正直、俺はうんざりしたよ。会長役だって嫌々やらされてんのに、生徒会の中に宇宙人が入り込んでるから今度はその監視もしろ!と来たもんだ。俺の人生はとことん呪われてるのかと、あの頃は雑誌の裏広告のオカルトグッズを買う事さえ真剣に考えてたほどさ」


 トントンと会長の手の中のタバコの先が、灰皿の縁を叩く。燃え尽きて白んだ灰が、はらはらと崩れ落ちる。


「だのにまさか、その宇宙人をベッドに組み敷くようになるとはな。
 人生ってのはまったく訳の分からんものだ。おかげで俺は、ちまちまとつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなっちまったよ」


 フフッと軽い笑みと共にうそぶいて、会長は改めてタバコをひとしきり吸い、白く長い煙をふーっと吐いた。
 たったの二言三言で片付けはしたけれど、俺たちSOS団の中でもいろいろあったように、会長と喜緑さんの間にも葛藤やら衝突やら何やら、いろんな出来事があったりしたんだろうね、たぶん。


「ともかく端的な事実として、俺は春の時点でとうに江美里の正体は知っていた。無論、江美里の方も俺の素性は見抜いていたから、俺たち二人の間で演技をする必要など無い。そこまではお前の言う通りだ。
 では、なぜ俺は尊大にふんぞり返った物言いをしていたのか? 簡単な事さ、その場に居たもう一人の人物に対して、自分の仕事ぶりをアピールする必要があったからだ」
「もう一人の人物…。あっ、それってまさか?」
「気が付いたか? そうだ、古泉だよ」

 



「改めて説明するまでも無いだろうが。
 俺は『機関』の外部協力者だ。対して、古泉は涼宮ハルヒの言動に逐一対応する、現場の最高責任者。例えて言うなら古泉は支店長で、俺はその店の雇われバイトといった所だな」


 その例で言うなら、喜緑さんはさしずめ、株式会社情報統合思念体の派遣社員って所ですか。


「ああ。そして『機関』と統合思念体は、同業他社のごとき関係だと言える。
 さて、ではその支店長の前で、バイトくんと他社の派遣が節操なくイチャついていたとしよう。お前ならいい気分になるか?」
「個人的な気分の問題はさておき、仕事に関しては多少不安を覚えますね」
「だろうな、俺だってそう思う」


 わざとらしく眉をひそめ、会長は大仰に腕を左右に広げてみせた。


「俺と江美里は生徒会の同志ではあるが、それ以前にやはり『機関』の協力者であり、情報統合思念体のインターフェースだ。
 その立場を忘れて公私の区別無く振る舞っていれば、俺は『機関』に不審がられるだろうし、江美里の方も統合思念体から存在を疑問視されかねないだろう。『お前、ちゃんとお仕事やってんの!?』とな」
「じゃあ、そうならないために?」

「ま、そんな所だ。
 人前で行動している時、特にそれぞれの組織関係者と接している間は、俺も江美里も一線を画した行動を心掛けている。そして古泉も、俺たちが白々しい演技をしている事くらい承知しながら、しかしお前らの前では単なるSOS団の副団長として、こちらも素知らぬフリを通している訳だ。
 言っておくが、別に俺たちは特殊な例なんかじゃないぞ。誰しもが勤務時間中は私を殺し、望まれる自分を演じている。そうしなければ、単純に働きづらくなるからな。
 極論を述べるなら、『働く』とは『ペルソナを付ける事だ』とさえ言えるだろう。何もかも正直にブチ撒ける事が、必ずしも円滑な人間関係をもたらす訳じゃない」


 なるほどね、ようやく合点が行った。あの時、喜緑さんが居る時と居ない時で会長が態度を変えていたのは、古泉に対する「自分はきちんとケジメを付けてます。手を抜いた仕事なんてしてませんよ」という意思表示だったのだ。
 しかしまあ、何と言うか。


「シビアな話ですね」
「何であれ、仕事ってのはシビアな物さ。ましてや『機関』の連中はこの世界の存亡の一端を担おうってんだ、シビアにもなろうよ。
 むしろ変に正義や善意を振りかざされるより、俺としてはビジネスライクな付き合いの方がよほど信用できる」


 飄々と述べたその直後。しかし一転、会長は狼のごとく白い歯を見せて、にいっと笑ってみせた。


「逆に言うなら、やるべき事さえキッチリやっていれば、誰にも文句は付けられんのだからな。
 生徒会運営の中でちょっとばかり役得を享受しようが、プライベートの時間に江美里にチャイナ服やら何やらを着せようが、それは俺の自由って訳だ」


 着せたんですか。いや、どこかツッコミ所を間違えてる気もするが。


「例の説明会の時の涼宮は、かなり扇情的だったからなあ。俺もスラックスのポケットの中で自分の腿を思いっきりつねって、どうにか冷静なフリを保っていたほどさ。
 って事で、江美里にお願いしてみたんだが。あいつの方も、意外とノリノリだったんだぞ? 最初の内こそ非難じみた眼差しをしていたが、いざ服を手渡してみると『困った人ですね』とか何とかぶつくさ言いながら、自発的に髪を左右でお団子にまとめていたし」


 おお、分かっていらっしゃる。やっぱりチャイナの基本はダブルお団子ですよね。ポニテのそれも捨てがたいですけど、お団子髪から下に伸びる、白いうなじの稜線もなかなか…。
 って、何を言わせるんですか! う、羨ましくなんかないんだからねッ!?


「くくく、無理をするな。チャイナが嫌いな男などおらん。
 ことに江美里とチャイナの組み合わせは、珠玉と言っていい。見て良し愛でて良し、俺一人がこの艶麗さを独占して良いものかと、思わず自問自答してしまうくらいだ。もちろん他の野郎共なんかには、一目たりとも触れさせる気は無いが――」

 



「すいません、激しく胸焼けを催してきたのでそろそろ帰っていいですか」
「あああ、スマン! ちょっとばかり調子に乗りすぎた!」


 俺が腰を浮かせる様子を見せると、会長は慌てて引き止めてきた。勘弁してくださいよ、彼女ナシの身にとってあなたの独白はかなり毒です。


「そう言ってくれるな。常日頃から冷徹なカミソリ会長役を強要されているせいで、これまでは彼女自慢をしたくっても、こうして臆面もなく話せる機会などほとんど無かったんだ。
 それでもノロケ話程度なら、まだ我慢は出来る。人前でうっかりニヤケ笑いなんぞ浮かべてしまわないよう、ポケットの中で腿をつねっていれば済む話だ。だが――」


 と、そこで会長は不意に、大真面目な表情に戻った。


「だがもし今後、俺たちに何らかの不遇が生じたなら?
 俺の方に要因がある分には、まだいい。たいていの事なら江美里がフォロー出来るだろう。しかし江美里にとって不測の事態が生じた時、俺にはいったい何が出来るんだ?」
「それで、俺に相談役になってほしいってんですか」
「ああ。あいつを口説き落とすまでは、俺個人の裁量でどうにかやってきたが。それでも世間一般の恋愛に比べて、俺たちのそれには普通じゃない場面が度々あった。
 これから先は、さらに未知数だ。病気や妊娠などの体調不良から過度のストレスが掛かったりすれば、いかにTFEI端末と言えども自己保全を果たせなくなる可能性は否めない。ならばそうなる前に、一通りの情報収集だけでもしておくに越した事はないだろう」


 確かに会長の言には一理ある。長門は間違いなくSOS団の誇る万能選手だが、それでも去年の冬にはあいつが言う所の「エラーの蓄積」から、自分をコントロールできなくなってしまった。
 それに朝倉涼子が最初に俺を襲ったのも、確か「上の方が現場の状況を理解してくれない」とかいう理由からだっけな。


 もしも、あの時。事前に「現状に飽き飽きしている」という朝倉の心情を汲み取って、そのストレスを和らげる事が出来ていたら、あいつと共存する未来もあり得たのだろうか?
 どこでどうフラグをいじればそういう流れになったかは見当も付かないし、今更な繰り言だって事は分かってる。それでも俺の言動によって、これから起こり得るかもしれない喜緑さんの暴走を未然に防げたなら、それはすごく意味のある事だ。けれども。


「まだ分からない事があります。どうして俺なんですか」
「うん?」
「先輩はさっき、『相手がTFEI端末だと知っていて普段付き合いをしているような奴は、他に見当たらない』と言っていましたけど。
 古泉だって、俺と同じように長門と接していますよ? おまけに『機関』の情報網までバックにあるんですから、俺なんかよりあいつの方が、よほどそっち系の知識について詳しいはずです。
 先輩にとっても、古泉は身近な存在だった訳でしょう? だのになぜ今、わざわざ俺に話を持ちかけて来たんです?」
「ふむ、もっともな疑問ではある。だがその答えは、案外単純だ」


 だいぶ短くなってしまったタバコの先を、灰皿の底にぐりぐり擦り付けながら。会長はあっさりと俺の問いに答えてみせた。


「確かに情報量だけなら古泉は頼りになるさ。それは認める。『機関』という組織に対して、それなりの発言権さえ持っているしな。
 しかし根本的な部分で問題があるだろう。そう、ズバリ言えば――

 あいつは、うさんくさい」

 
 ………なんだって?
 口角を歪めて、吐き捨てられた一言。思いもかけない会長の侮蔑の言葉に、俺は自分でも意識していなかった衝動が体の奥から湧き立つのを覚えた。そしてその衝動に突き動かされるまま、気が付けばガタン!と、俺は今度こそ本当に席を立っていたのだった。




本名不詳な彼ら in 甘味処   その4へつづく

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最終更新:2008年07月06日 02:44