刃はあばら骨を潜り抜けるように深々と刺さった。
「ああ、やっと終った。じゃあね」
行なった行為とは裏腹に朝倉はその見た目通りの幼い仕草で手を振ると、『情報連結解除』と呟き、崩れ始めた。
わずかに唇を曲げたその顔には達成感すら浮かばせている。
ふざけるな!
俺のそんな叫びはか弱く喉を震わせて、血の塊とともに吐き出された。
胸や腹の筋肉が勝手に痙攣を始めて、立っていることさえもままならなくなった俺は、その場にぺたりと座り込んだ。
消える前に一発ぶん殴ってやろう。
そんな思いだけで無理矢理に顔を上げた視線の先にはすでに朝倉涼子の姿はなかった。さらさらと朝倉の残滓だけが、ゆっくり風に流されていく。
宇宙人って奴はどうしてこうも自分勝手なのかね。
「キョン、今のなに!? キョン!」
一部始終を呆然と見ていたハルヒは思い出したように、俺の肩を掴んで振った。
やめろ。痛いだろうが。
やはり、口からは声の代わりに鮮血が溢れる。
「キョン! キョン!」
「涼宮さん、やめて下さい! 動かしてはいけません!」
古泉のにハルヒは素直に従ったが、それでも俺の肩を握る手は離さなかった。
「今から胸のナイフを抜きます。涼宮さんと朝比奈さんは出ていって下さい」
「嫌よ! あたしも手伝うわ」
ハルヒはその提案を拒否してから手に力を込めた。
「出ていって下さい!」
いつもイエスマンだった古泉が叫んだ。
それでもハルヒは出て行こうとはしなかったが、
「一刻の猶予もないんです! 出ていって下さい!」
古泉の怒号のような叫びにとうとう屈し、どこでもドアから外へと出ていった。
古泉がゆっくりとドアを閉じる。
 
 
 
しばらくして再びドアが開かれてから一番に駆け込んできたのはハルヒだった。
自分で自分を抓ったのか、涙のスジを浮かべた頬は腫れていてどこかむくれっ面のように見える。
「キョン! キョン!」
ハルヒの沈痛な叫びが、ぼんやりとした俺の頭の中に響く。
「できるだけの処置はしましたが……もう、長くは……」
と、古泉が目に涙を浮かべて呟くように言うと、
「ドラえもん! お願い、何とかしてキョンを助けて!」
ハルヒはドラえもんに詰め寄った。
「無理だよ……人の生死には関われない」
聞いたこともないような苦しげな声だった。
「嘘よ!」
「人の生死に関わるような道具はプロテクトがかかる。だから……ごめん」
「そんな……」
ドラえもんの言葉にハルヒはへたへたと座り込む。
「キョン君! キョン君!」
青ざめた表情の朝比奈さんが俺にすがりつくように叫んだ。
長門とドラえもんだけは、迫りくるその時への心構えをするように立ち尽くしている。
「……ハルヒ」
俺の口から自分の名前が出たのを聞いてハルヒは立ち上がった。
「何? キョン、苦しいの?」
俺は朦朧とする意識の中で、少しの逡巡をしてから、
「ハルヒ……こんな時だけど……いや、こんな時だから言いたい……」
と呟くと、ハルヒは俺の手を包むようにどこまでも優しく掴んだ。
「俺……お前のこと……」
弱々しい俺の言葉を聞き取ろうとハルヒの顔が間近に迫り、涙がいくスジも頬へと滴り落ちた。
「好きだった」
「……バカ」
ハルヒはこの一年間の中で一番複雑な表情を浮かべてそう呟いた。
ふとハルヒに握られた手から力が抜ける。
「キョン!? ねえ、キョン起きて! ねえ、ねえ!」
「キョン君!? キョン君!」
壮絶な二人の叫びが部室に木霊して、世界が浮き上るような感覚に囚われる。
 
「始まりました」
古泉がそう呟くと、ハルヒが俺の上に倒れ伏せた。
泣き疲れたようなハルヒのあどけない寝顔が俺に罪悪感を喚起させる。
しかし、今の俺たちにはやらねばならんことがある。
俺は立ち上がってハルヒを抱えると、どこでもドアへと歩みよった。
―――――
ドアを閉じた古泉の表情は先ほどとうってかわったように明るかった。
酸欠状態ではっきりしない頭で古泉の急変の理由を考えたがちっとも要領を得ない。
「ちょっと痛いですが、我慢して下さい」
そう言うなり古泉は無造作に地面に刺さった杭を抜くかの如く、俺の胸に刺さったナイフを抜いた。
悲鳴とともに吐血した俺に布のようなものが被せられると、嘘のように痛みが引いていった。
「もう大丈夫ですか?」
「たぶん」
誰もいない空間からドラえもんの声がして、風呂敷が宙を踊った。
「もう隠れなくて大丈夫ですよ」
それを受けて、瞬いた間に石ころ帽子を手に持ったドラえもんが姿を現した。
タイム風呂敷か、と呟いても血が込み上げてくることはなかった。どうやら、傷の方は回復したらしい。
「あなたが朝倉涼子に刺されたときはどうしようかと思いましたよ」
そう言って肩をすくめた古泉の面はいつものニヤけた面だった。
何を企んでるんだ。
そうでもなければ、こいつがイエスマンの仮面を脱ぎ捨ててまでハルヒを遠ざける理由はない。
「あまり長くては怪しまれますから、手短に話します」
ああ、そうしろ。ただし、つまらん理由だったらぶん殴るぞ。危うく死にかけたんだしな。
「肺に穴が開いただけですから、後数十分はもったと思いますが」
じゃあ、どれだけもつかお前の身体で試してやろうか。
「冗談はさておき、本題に入ります。さっきあなたが刺された時、この“鏡面世界”が揺らいだのが分かりましたか?」
刺されている最中にそんなことに気付く奴がいるのか。
「それはそうでしょうね。しかし、その揺らぎは大したものではありませんでした」
なぜだか分かりますか、とでも言いたげだが知るわけがねえだろ。
「この作戦の発案者とは思えない発言ですね。作戦の根幹を思い出して下さい。これは涼宮さんの夢という設定の元に行われている舞台なんですよ。ですから、それをいまだ疑っていない涼宮さんも貴方が死ぬとは思っていません」
ハルヒはまだこれが夢だと信じてたのか。
「ええ。しかし、それを崩す方法があります。それは」
と古泉はわざとのように一拍空けてから、
「あなたの死です」
ちょっと待て。俺の死ってどういうことだ。
「いえ、死んだフリで結構です」
だから、なぜ死んだフリをしなければならん。
「あなたの死により、涼宮さんはこの“鏡面世界”の夢から早く目覚めたいと願うでしょう。そうすれば必ずこの世界は揺らぎ、崩壊を始めるはずです」
俺はまったく話が掴めず、腹が立ってきた。
「崩壊させてどうなる」
「ドラえもん君の帰る道が開かれます」
つまり、俺がくたばったフリをすることでハルヒがこんな夢なら覚めちまえ、と思えばドラえもんが帰れるってことか。
「そういうことです」
古泉はにやりと笑ってから、
「ここで一つ演出家としての提案なんですが」
そう言って俺の耳元で囁いた。
―――――
古泉の提案が成功したらしく、地震のような揺れが続く。
突然立ち上がった死人をほうけたように見つめる朝比奈さんはドラえもんに任せた。
俺は古泉によって眠らされたハルヒを抱えたまま、自宅を思い浮かべてからどこでもドアを開いた。
しかし、その向こう側には俺の部屋ではなく文芸部兼SOS団の部室の延長だった。
どうしてだ?
「この空間の座標は非常に不安定」
理由は知ったこっちゃないが、どこでもドアが使えなくなるのは予想外だ。
「タケコプターでいくしかありませんね」
どうやら迷っている暇はないようだ。断続的な地震の中でグラウンドが陥没していく。
頭にタケコプターを乗っけた俺はハルヒを抱えて飛び立った。
建物が次々と飲み込まれていく中で、俺の自宅は奇跡的に無事だった。
屋根が一部半壊しているのはハルヒの破壊活動のせいだろう。
窓を叩き割ってから侵入を果たした俺たちは、ひきっ放しにされていたお座敷釣り堀から元の世界へと戻った。
「長門さん、次元の歪みはありますか?」
長門はこくんとうなづいて、俺の机の引き出しを指示した。
あの不思議空間か。
俺は開け放った引き出しにドラえもんを押し込むと、
「後は分かるか?」
「大丈夫。動いてるよ」
タイムマシーンがゆっくりと進みだした。
「いつか、また会おう」
「断る。二度と会わん」
ドラえもんは妙な笑い声をあげて真っ暗な空間へと吸い込まれていった。
引き出しを一度閉めてからまた開くと、そこにはいつしか使われなくなった文房具たちがひしめくただの引き出しになっていた。
それを見て俺は机に背を預けるように座り込んだ。
 
流石に今日はいろいろありすぎた。
ドラえもんが現れるわ、ハルヒと朝比奈さんは巨大化するわ、過去の長門には蹴られるわ、朝倉には殺されかけるわ…………あっ。
俺は気付くとポケットにあったものを取り出していた。
それは白い布性の袋。そう、スペアポケットだ。
俺はそれを投げ捨ててから、ハルヒを見やった。
俺のベッドで完全に寝ているにも関わらず、その閉じられた目からは止めどなく涙が流れている。
 
 
SOS団の目的は、未来人や宇宙人、超能力者を探し出して一緒に遊ぶことだ。
ただし、どうやらそこには一つ付け足さなければいけない単語があるようだ。
 
 
“SOS団のみんなで”と。
 
「キョン君電話ー」
子機と夜行性にも関わらず朝から起こされ不機嫌そうなシャミセンを抱えた妹が扉を開いた。
窓の外でちゅんちゅんと鳥が命がけの縄張り争いを敢行している。時刻は六時半。
あれから朝比奈さんに理由を説明してから、眠るハルヒをスペアポケットに唯一入っていたどこでもドアで家まで送り届け、解散したのが五時を回っていた。
そこから血まみれの服を処分し、一息ついて朝風呂に入ったところだ。
危うく風呂場で眠りかけていたのだから感謝すべきか、こんな時間に電話してきたことを非難すべきか悩むところだが、昨日から一睡もしていない頭では判断つきかねるので俺は電話に出た。
『…………』
「長門か?」
『そう』
当ててしまった。成長というべきなんだろうか。
しかし、長門とは一番最後に別れた。どこでもドアを調べたいとか言って持って帰っていったはずだがなんかあったのだろうか。
『そう。できればすぐに私の家に来て』
長門からの電話も初めてだし、呼び出されたのも初めてだ。
あの長門が呼び出すってことは余程不味いことが起きたに違いない。
俺は分かった、とだけ言ってから電話を切った。
身体を拭いてから、服を身に着けて家から出ようとした刹那、今度は携帯が鳴った。
『もしもし。キョン君、あたしです』
「朝比奈さんですか」
この人には未来が助かったには助かったが嘘をついてしまった。その気まずさから次の言葉が中々出ない。
『昨日のことならちょっとびっくりしましたけど、気にしてませんよ』
「はぁ……それじゃなにかあったんですか?」
朝比奈さんは一呼吸置いてから、
「ええっと、指令が二枚きました」
助けて貰ったそうそう指令とは恐れいる図太さだ。
「……それで、一枚目を空けたらキョン君と人気のない場所で二枚目を開けよと、書いてあったんです。キョン君、今からお暇ですか?」
長門のところに呼び出されているんですが。
「えっ?長門さんがですか?……じゃあ、あたし長門さんの家の下で待ってますから終わったら来て下さい」
電話が切られてから、俺は自転車を漕ぎだした。
その道すがら指令をあれこれ考えたのだが、結論の出ないまま長門のマンションについた。
インターフォンを押すと、
『入って』
とだけ呟かれた。
言われるがままに長門の部屋に入る。
今度は、過去の長門も大量のネズミもいませんようにと願ったのは通じたようで、ぽつんとたたずむ玄関にたたずむ長門が出迎えてくれた。
「何があったんだ?」
「これ」
長門はそう言うと、俺の手に金属の玉を二つ繋げたようなものを渡した。
これは、どこでもドアのノブじゃないか。
「そう」
「どういうことだ?」
「分解中に内包されていた次元短縮装置が崩壊した」
壊れたってことか。
そう呟いた俺は登校が楽になるとか、偶然を装って朝比奈さんの禁則事項的光景を見るとかそんなことを嘆く言葉よりも早く、
「大丈夫なのか?」
と尋ねていた。
長門はこくんとうなづいてから、
「ごめんなさい」
と言ったような気がする。
それ以上何も話すことがなくなり、どこでもドアと引き換えに宇宙人の謝罪とそのノブを得た俺は長門宅を後にした。その足で近くにある公園によると、すでに到着していた朝比奈さんが手を振っているのが見えた。
 
 
隣りのベンチに腰掛けてから、朝比奈さんはおもむろに茶封筒を取り出して神妙な面持ちで封を切った。
ふぁさりとルーズリーフに幾何学的な模様が一行書いてあるのみの指令書を見た朝比奈さんの顔が真っ赤に染まった。翻訳コンニャクの効果がいまだ残っていた俺にもその内容を伺い知ることができた。
「キョ、キョン君!」
そう叫んだ朝比奈さんの声は裏返っていた。
「はあ。指令書にはなんて?」
分かってはいるが目の錯覚という可能性も捨て切れずに張本人に尋ねてみた。
「め、目をつむって下さい」
ぶっ倒れそうな朝比奈さんの言動から察するに俺の予想は的中したようだ。
俺は期待感から胸だけでなく鼻の穴まで広げないように細心の注意を払ってから目をつむった。
ゆっくりと朝比奈さんの顔が近寄ってきて、なんとも言いがたい香りが立ち込めた。例えるなら、日光を沢山吸い込んだふかふかのクッションのような………
ちゅっと小鳥が雛に餌をやるように、わずかに唇と唇が触れた。
「し、指令は終ったからあ、あたしはこれで……」
“あなたの横にいる男にキスせよ”という指令を完遂した朝比奈さんはカクカクとロボットのような歩き方をして去っていった。
刺されもしたがこれはこれで役得かもしれん。
 
俺は恐らく薄気味悪い笑顔を浮かべながらむにむにと自分の唇を撫でまわしていると、またもや俺の携帯電話が鳴りやがった。
名前だけ見て古泉だったら切ると心に決めて、表示された名前を見た。
涼宮ハルヒ。
出た場合と出ない場合を想定してから、俺は電話に出た。
『キョン! 大丈夫?』
「なにがだ?」
『あんた刺され……えっ? えっ?』
ガサゴソと衣擦れする音が響いてから、
『な、なんでもないわ』
起きてから俺の姿が見つからず電話してから、夢だったと気付いたってところか。
「なんだ夢でも見たのか?」
『違うわよ! えっと、そう。今日、十時からミーティングするわ! 遅れたら罰金だからね』
切電音が虚しく響く。
俺は藪をつついて水爆が出てきたような気分を味わってから時計を見やった。
時刻は八時に迫ろうかというところだ。
自宅に帰り着いた俺は何をすべきなんだろうか。
今から行くのはバカというものだし、寝ると確実に日中は起きる自身がない。
 
そう思いながらベッドに座り込むと、ポケットの中身に気付いた。
そう言えばドアがなんか緩い。これ、合うのかな。
工具箱を持ってきてネジを緩ませてから、それをノブのあった場所にあててみた。
ぴったりと合致した。
二三のネジで固定してから具合を確かめると緩みもなくハマる。
それをつけるのに俺が不器用なせいもあって出発するのに丁度よい時刻になっていた。
俺はどこでもドアと化した扉を開くと、頼んでもないのに不思議が舞い込んでくる世界へと飛び出した。
 
俺の部屋だけは普通の空間であってくれ、と願いながら。
 
 
 
 
おわり


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