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    世間一般の高校生は部活の朝練などがなければ日曜日は昼まで寝ているものだろう。惰眠をむさぼる事は、怠惰さを親にたしなめられながらもそれを無視する時間的余裕と反抗心、更には例えば成績上昇を盾にするなどの交換条件を利用する頭があるという子供と大人の狭間にいる者ならではの特権的行為なのだ。
当然男子高校生たる俺にもその権利はあるはず。

    金曜日にどこか寝ぼけたような顔のハルヒが、
「今週の土日は休みにするわ。みんなも疲れてるでしょ」
と告げた時俺は疑った。自身の耳ではなくハルヒの言葉の真意をだ。
まずあのハルヒからみんなも疲れてるでしょなどという他人を労う台詞が出たことにひとしきり驚愕した。
しかしまあ待て、考えてみればコイツは長門が雪山で『風邪』をひいた時には逆に長門を困らせるほど心配していたようだし、その長門が疲れてパンクしたあの騒動の時もわざわざ寝袋を病院に持ち込んで俺の病室に泊まり込んでいたようだ。さぞかし病院に勤める方々は手を焼いたろう。
『いつまで寝てるつもりなのこのバカキョン』とか『階段落ちなんてもう流行らないわよ。ドジ』とかうるさかっただろうからな。
だいたい…いやもうやめよう。何だか空しくなってきた。目覚めた時に見たハルヒのレアな表情を思い出せば本気で心配してくれたのは間違いないと言い切れる。
つまりあいつが団員に対して労いの言葉をかけても不思議はないって事になるな。それにしてもあの時のハルヒは…えぇい、話が進まん。もう一つの疑問に移ろう。 

    えぇと、『みんなも』と言ったな。も、ということはあのハルヒが少なからず疲労を感じているという意味だろう。バイタリティの塊でできたあいつが疲れるのはそうそうない事だ。
しかもそれはたいてい厄介事のサインである。灰色の北校に俺を招待した時は机にへばり付いていたし、延々繰り返す夏休みに天体観測をした時もすぐに寝ちまった。
だったもんで、人並みの学習能力を持ち合わせている俺は休みとは言われたものの昨日土曜日はSOS団で喫茶店に行く時と同じ位に起床した。
もしかしたら古泉あたりが、
『実は少々厄介な事が起こりまして』
とか言ってくるんじゃないかと思ったのだ。決してハルヒの気が変わるのではなどと考えていたわけじゃないぜ。ましてや期待などするはずもない。
それはともかく結局のところ土曜日は何もなく終わったわけでこりゃ日曜日も本当に休みなのだろうと踏んだ俺は冒頭の主張に則って日曜は昼まで寝ると決意を胸に、早起きがもたらす三文の徳の対価と言うべき抗いがたい眠気に身を任せたのだ。

任せたのだが。

-------------- 

「ねーキョンくん」
「シャミどこ?」
「どこ?」
「どーこだーシャミーはー♪キョーンくんのべっどのなっかかなー」

    誰かは言うまでもない。休日に部屋に乱入してきて調子外れな歌を歌いつつ布団をペラリとめくるという暴虐極まりない行為をするのは妹しかいない。
コイツが俺を『世間一般の高校生』の範疇から外す要因の一つである事は間違いないようだ。妹がいる奴はかなりいるだろうが、こんな風な妹がいる奴はいない。断言できるぜ。
重いまぶたをムリヤリ開きつつ、ベッドに侵入を果たした妹の頭をがしっと掴み兄としての威厳をこめて言った。
「朝の散歩だろう。いつもこの時間はお袋が玄関開けて外に出してやってるじゃないか」
「そっかぁ。どこにいったの?」
俺としては厳しめな声を出したつもりだったのだがいつものケラリとした笑みでわかるはずもない問いを返してくる。
コイツはいつもそうなんだよな。昔から俺がどれだけ怒っても平然としてるんだ。それが分かって以来俺もあまり怒らないようにしている。
こういうと諦めているようだがそうじゃない。
いつかハルヒにそう評価されたように俺の妹とは思えないほど素直に育ったコイツは、怒られた事を気にしないのではなく平然としつつも正すという事をするからだ。
うむ、その点は花マルをやってもいい。頭を掴んでいた手を使って撫で回してやる。
「へへへ……」
目を閉じて猫のようなリアクションをとるのは自由だが俺はまだ寝たいんだ。ぽんぽんと頭を叩くと、妹は自分の部屋に戻っていった。

    さて、もう一眠りさせてもらうとしよう。とした時、携帯が鳴った。
ここで一つ確認しよう。俺に電話をしてくる奴と言えば限られてくる。加えて日曜の朝という時間的要素を考えれば誰かはほぼ決定だ。

ハルヒ

予想通りのそっけない文字がサブディスプレイに表示されていた。

『あらあんた起きてたの』
通話ボタンをプッシュするとふざけた事を平然とした声で言ってのける。妹といいハルヒといい、こうもタイミングよく俺の睡眠を妨害するのはなぜなんだ。
『やっぱりね、妹ちゃんに起こされなきゃぐうたらなあんたが休日にこんなに早く起きるわけないもの』
失礼な奴だ。そもそも一体何の用なのだろう。電話口から聞こえるむやみに元気の良い声は俺の眠気を吹き飛ばしていたから、頭は当然そっちに向く。
『別にこれといって用はないんだけど』
猛烈に切りたくなってきた。だが無言で切るのはマナーに欠けるからな。一応確認しておこう。

……切っていいか?
『あ、ま、待ちなさいよ』
慌てるハルヒ。大方休みにすると宣言したものの暇を持て余しているというところだろう。 
俺自身睡眠欲が消え去ってしまった今、今日一日何をしようか決めかねている。自分でも意外だが今から集合指令が出ても一向に構わなかった。そう提案するとハルヒは、
『ダメよそんなの』
とこれまた意外にもそれを却下した。何でだよ。
『だって他の皆に悪いじゃない』
俺は……
『あんたはいいの!』

やれやれ……。

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『何か話しなさいよ』
ハルヒはどうやら俺と話すことで暇を潰す事に決めたらしい。しかし俺は自他共に認める聞き役、ツッコミ役、合いの手役なわけで自分から話題を提供することは不得手なんだ。
『聞き役っていうかあんたの場合不平不満役でしょ』
お前に対するツッコミが不平不満になるのは仕方ないと思うぞ。
『うるさいわね!いいから喋りなさい』
テーマの決まっていないトーク程つまらん物はないな。
『むぅ……じゃあシャミセンについて!』
そうだな、シャミセンは実は人語を喋ることができるんだ。

などとはもちろん口にはできん。今朝の散歩中だとか、最近夏に向けて毛が抜けてきたとかいう下らない話をさえぎって、
『そうだ!』
とバカでかい声。何だ。
『猫なら家の近くにもたまにいるし、それより妹ちゃんとのエピソードが聞きたいわね』
ふむ、だが妹がどんな奴かはお前も知ってるだろう。あの通りだ。
『そうじゃなくて、あたしが知らない頃の妹ちゃんとあんたの話が聞きたいのよ』
知らない頃となると高校に入る以前ということになるな。ハルヒは一人っ子みたいだし、そういう奴からすれば兄姉弟妹がいる生活というのは興味があるもんかもしれん。
俺が一人っ子の生活がどんな感じなのか気になるのと同じように。
わかったちょっと待て、とハルヒに告げ記憶を辿る。目をつぶると今よりもずっと幼い妹の、よりによって泣き顔が浮かんできた。

そういや、アイツの泣き顔はこれしか見覚えがない気がするな……。

語るエピソードを決めた俺はゆっくりと思い出の糸を手繰りながら語り始めた。

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    サンタクロースを信じない賢しくも可愛くない幼い頃の俺は母親のお腹が大きくなっていることに気付いた時、お母さん最近太ったなぁなどと愚かにも思っていた。
更に愚かな事にうっかり口を滑らして母親にそれを言ってしまったのだ。
小さな俺は焦った。幼稚園の女の子はデブとかブスとかいう言葉を一番気にするからな。お母さんも怒るに違いない。もしかしたら泣いちゃうかもしれないと。
    母親の手が伸びてくる。叩かれる、とギュッと目を閉じた俺の頭が感じた感触は予想に反して優しいものだった。顔を上げると見たこともない表情の母親がいた。
「ここにはね、赤ちゃんがいるの。あなたもここから生まれてきたのよ」
今考えてみれば俺の手を引きお腹に触れさせたこの時のこの母親の表情こそが、慈愛に満ちた母の微笑というやつだったのかもしれない。

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『泣くわけないじゃないの、女は強いのよ。特に母はね』
やけに興奮した声でハルヒが割って入ってくる。
俺だって母親の偉大さの1%くらいは理解できるほどには成長したつもりでいる。SOS団での日々で女の強さというものは身をもって体験してきたしな。
金属片に貫かれても動じない長門、朝比奈さんのかわいらしい外見からは想像もつかない意志の強さ、鶴屋さんのいなせな生き方……
ハルヒ?わざわざ言うまでもないだろう。
『それで?黙ってないで早く続き喋りなさいよ』
この強引さ、態度のデカさだ。

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    母親のお腹は夏休みが終わる頃には大きく丸くなっていて、時々耳を当てさせてもらっては俺はそこに命が芽生えていることに幼いながら感動していた。
中から蹴ったのを聞いた日は興奮して眠れなかった程だ。幼稚園が始まると俺は同じ組の連中に弟が生まれるということを吹聴して回りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
    妹だったじゃないかって?何故だろうね、この時俺は生まれてくるのは弟だと勝手に思い込んでいたふしがある。男ってのは案外そんなもんかもしれん。
そして10月の半ば、正確には19日だな、妹が生まれた。

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『何よあんた、一番重要なシーンをずいぶんさらっと言うじゃないの』
そう言ってくれるな、それには浅ーいわけがあるんだ。
『吐きなさい』
ぐ……。あまり格好の良い話じゃないのだが、何となく話すのが心地良くなってきた俺は渋々という声を作り、
「妹が生まれるというので、俺の誕生日がおじゃんになってな」
『あぁ、そういえばあんたの誕生日って10月11日とかだったっけ。もしかしてそれでヘソ曲げて病院行かなかったとか?』

…………続きに行こうか。
『図星みたいね』
何で俺の誕生日を覚えているんだろう。そういえばハルヒが8日だっけ?で俺が11日、妹が19日と誕生日が10月に集中しているのは何の因果かね。
ともあれ電話口でクスクスと笑うハルヒを無視して記憶の海へのダイブを再開する。

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    あれほど興奮していたというのにそれまで毎年やっていた俺の誕生日パーティーがお流れになった事と期待に反して生まれてきたのが女だった事で、母親が妹を連れて家に帰ってきた時俺はぶすっとしていた……らしい。
そしてそのブータレ状態は事あるごとに現れ、妹が生まれてからしばらくの間俺はかなり聞き分けの悪いガキになったとの事だ。
    恥ずかしい記憶は可能な限り封印するのが俺のポリシーなのだが、親戚付き合いというのは基本的に思い出話で成り立つものなので、正月やお盆に集まった時にその辺の話は嫌というほど聞かされた。
いわく、妹が泣いているのを母親があやしている間家中の障子を破った。
いわく、妹が歩き始めたのを頑なに見ようとしなかった。
いわく、妹が初めて喋った時耳を塞いだ。等々。

最後のは間違いだと言い切れるのだが。

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『そういうの聞いた事あるわ。下の子が生まれると上の子が幼児退行するって』
どうもそうらしいな。俺には全く自覚はなかったのだが。
『ところでさ』
ハルヒが声色と話題を転換してきた。
『最後のが間違いってどういうこと?』
やけに純粋な口調で尋ねてくる。コイツはどうやら本気で俺の話に興味津々なようだ。……嬉しいのか?俺。時計を見れば話し始めてから既に一時間。電話代とか大丈夫なのか?
『大丈夫よ……いいから教えて』

何だコイツ……柄にもなく優しい声出しやがって。
気恥ずかしくなり咳ばらいをしてから語り始める。
これは鮮明に覚えているシーンだからな。上手く口が動くだろう。

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    ある日学校から帰ってきた俺は何を思ったか真っ先に妹のベビーベッドに向かった。母親は何やら台所で忙しくやっていたのを覚えている。
それまであまり妹に構うことはなかったのだが、その時俺はベビーベッドの縁から赤ちゃんのくせにでかい目をくりくり動かしうにゃうにゃ言っているのを観察しながら、
「俺がお兄ちゃんなんだからな。わかってる?お兄ちゃんは妹よりえらいんだぞ」
などと譫言のように繰り返していた。陰湿な奴である。
    そのうちただ呪文のように唱えているのに飽きて、嘘みたいに柔らかい頬をぷにぷにとつつきながら「お兄ちゃんお兄ちゃん」と言っているとそれが聞こえた。


「にぃた」


    1mほど飛びのく。恐る恐る近づき再びベビーベッドを覗くと、
「にぃ、にぃたぅ」
確かに言った。ニコニコしながら兄ちゃんってな。その後俺は縁を両手で掴み母親に呼ばれるまでずっと妹を眺めていた。
思えばこの時がまさに、俺が妹に対する愛情を獲得した瞬間なのだろう。
    実はこの事はお袋や親父には未だ話していない。両親は妹が初めて発した言葉は「にゃーにゃ」(猫の事だ)だと思っている。
それが間違いだって事は俺しか知らないのさ。いや、今話したから俺とハルヒだけになるな。
ともかく、妹の人生初の言葉はにゃーにゃでもましてや天上天下唯我独尊などではもちろんなく「兄ちゃん」だ。誰が何と言おうとそうなのだ。

--------------

『…………』

    陳腐な表現だが、電話の向こうから沈黙が聞こえてきたような気がしたのでこちらも話を中断する。しばらく待っていると、
『……ふぅん』
さんざんためておいてそれか。
『……』
またもや沈黙するハルヒ。何だ何だ?らしくないな。さっきの声といいいつものコイツからは予想もつかない振る舞いだぜ。
半ば本気で何かあったんじゃないかと気掛かりになってきた俺である。
『別に何もないわよ』
怒ったような口調で返してきたハルヒは続けて俺の結構大切な思い出を踏みにじるように、
『そのにぃたっての、ただむにゃむにゃ言ってただけなんじゃないの?』
などと茶化してきた。心配して損した。
『……けど妹ちゃんの事だから、案外ホントににいちゃんて言ったのかもね』
言ったんだよ、今は言わないけどな。
『ふふ、あんたがそう言うならそうなんでしょ』
投げやりではなく、優しく微笑みながら出したような声だ。どうしたんだコイツは。本当に調子が狂う。まぁいい、続きだ。

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    そんな俺的衝撃イベントがあってから俺は幼児退行状態から徐々に回復し、周りから常日頃お兄ちゃんなんだからと言われていたことも手伝って順調に兄らしさというか自覚のようなものを獲得していった。
やがて妹が歩き始め、舌ったらずながら会話ができるようになった頃には兄をやってくのも悪くないと思い始めていた。
学校から帰ってくると時々「にぃた、にぃた」と寄ってきたり、天井を指差して「むし!むし!」と虫の存在を周知してくれたりするちっこいのはかなり可愛かったからな。
    どんどん成長していく妹の遊び相手は俺の仕事だった。人の事は言えんが我が妹の頭の方も気にしていたので一番やった遊びはいろはがるたならぬあいうえおかるたである。
いつまで経っても『あ』と『め』と『ぬ』を見分けられない妹にイライラしながらも根気よく相手をしてやった自分を褒めてやりたいね。実際近所や親戚からはいいお兄ちゃんの評価を得ていたように思う。
一年に二回開かれるようになった誕生日パーティーや賑やかさが増したクリスマスなどのイベントもどこか一歩引いて大人になったつもりでいた。
    -それが思い上がりだったと気付かされたのは妹が4歳になりしばらく経った秋の事である。 

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    小学三年の俺のクラスでは授業参観が開催され、俺は参観日くらいは手を挙げた方がいいだろうと無い知恵を搾って考えいつもより積極的になり、それなりの正解率をたたき出した。
教室の後ろでは母親と妹がニコニコと授業を眺めている。うちのクラスには五年も歳の離れた兄弟がいる奴はいなかったし、着飾った母親は子供の目にはそりゃとても綺麗に見えたものだ。
九歳の俺は当時かなり鼻高々だった。この教室ではあんなに綺麗な母さんとかわいい妹のいる俺が一番だと思っていた。

    授業参観が終わると母親は懇談会に出席するとかで、妹を連れて帰るよう俺に言った。15分程度の道程を妹の手を引いて帰るのを任されるくらいの信頼はあったわけだ。
俺自身できるかななどと心配するまでもないと思っていた。妹と手を繋いでいるところを見られれば褒められるし、悪い気はしなかった。
    雲一つない晴天の並木道を妹と連れだって歩く。目についた物を指差して「にいちゃんあれなぁに?」と聞いてくるのに、「花だよ」とか「あれは鯉かな」とか適当に答えながらてくてくと。
家まであと少しというところでまた「あれなぁに?」と妹が問う。 

あれは……

箱だった。ただの箱じゃない。ただの箱は小刻みに動いたりしないからな。
中には捨てられたと思しき子犬が三匹入っていたんだ。

「ぶた?」

    後ろから覗き込んでくるのにいいや犬だと返し、俺はどうしたものかと考えていた。 餌も何もなくこんな箱に放り込まれているのだ。数日も放っておいたらきっと死んでしまうだろう。だが、母親の許可も得ずにこいつらを連れて帰るわけにはいかない。
つれてこうよと言う妹をなだめ、箱を日蔭に移して家に帰った。二人して後ろを振り返りながら。
    夕方帰って来た母親に話すとやはり飼う許可はもらえなかった。しかし何とか食い下がり、何とか翌日餌を持って様子を見に行く許可を取り付けた。

そして、だ。

--------------

はぁっ……とため息をつく俺にハルヒが声をかけてくる。
『大丈夫……?』
あぁ、大丈夫だ。それなりにキツい思い出なんでな。もう少しで終わる。
『うん……』

-------------- 

    翌日日曜日、俺は母親と共に箱を移動させた辺りにミルクと餌を持って向かった。ちなみに妹はまだ寝ていたので連れていかなかった。それで良かったと思う。

-箱は穴だらけだった。

母親が恐る恐る箱を開け中を覗きこむ。肩がぴくりと動いた。

9歳とはいえ俺にだって分かった。しかし信じたくなくて、箱の中を見ようと一歩前に足を進めた所で……

母親に抱きすくめられた。
耳元で「ごめんね、ごめんね」と母親が涙声で呟く。母さんが責任を感じる事なんてないのに。初めて聞く母親の泣き声につられて俺も涙をこらえていた。
無言で短い帰り道を歩き、玄関をくぐり二階へ向かうと妹が起き出していた。

「いぬは……?」

    無邪気な声がたまらなく残酷に響いた。
何も答えられず部屋に引っ込む俺をちょこちょこと追いかけてくる妹は、
「ねぇにいちゃん、いぬは?」

    死んでいたなんて言えるはずがない。自分でも何でこんなことを言ったのか不思議なのだがきっとごまかすつもりだったのだろう。最悪のごまかしかただが、

「もらわれっ子はお前だけで精一杯だってさ」

    今兄弟姉妹のいる連中の話を聞くとどういうわけか同じような事を言ったり言われたりした経験がある奴が結構いるらしいが、幼い弟妹がいる奴、忠告しとく。
……絶対に言うな。 

    しばらく黙っていた妹が俯いて肩を震わせ始めた。これが俺の見た最初で最後の妹の泣き顔だ。
最初は犬が飼えないのが嫌で泣いているのかと思った。しょうがないじゃないか、なんて的外れな慰め方をしたりしてな。

「やぁだ……うぇぇっ……あたしうちのこだもっん!」

    その言葉はハンマーみたいに俺の頭を打ち付けた。オロオロとするしか出来ない俺の元に妹の泣き声を聞き付けた母親がやって来て、妹を抱き上げる。
「どうしたの?」という母親に返す言葉はなかった。
    二人が階下に降り一人になると俺は考えた。今まで俺は妹を自分の評価を上げる為の道具みたいに思ってたんじゃないだろうか。そうじゃなきゃもらわれっ子なんて言葉は出てこない気がする。
涙が流れてくる。犬が死んでいた事、母親の涙、妹の言葉と俺の情けなさ。全部が一気に感情に襲いかかり抑え切れなかった。
    俺はバカでアホでクズだ。兄ちゃんなんかじゃない。そう思った。
母親に呼ばれても晩飯を食べる気にならず、暗い部屋の真ん中に座り込んでずっと泣いていた。 

と、ドアの向こうから小さい声が聞こえてきた。

「にぃちゃん」
「ごはんだよ?」
「いっしょにたべよ?」

凄い勢いでドアを開け、目の前の真ん丸い目をしたちっこいのを抱きしめたのは本当に体が勝手に動いた感じだったな。

その晩、俺は初めて自分から妹に「一緒に寝よう」と言った。

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『…………』
おしまいだ。
『なんか、今のあんたからは想像つかないわね』
ガキだったのさ。もう七年経ったからな。俺だって流石にもう本当の兄らしさを修得したはずだ。
『確かにあんた、兄っぽいっていうかおっさん臭いとこあるわよね』
褒めるかけなすかどっちかにしてくれ。
『あたしのやる事なす事に文句言ってくるし』
俺が止めなければ今頃お前はどこかに吹っ飛んじまってるだろう。周りの奴が野放しにしているから仕方なくだな……
『うるさいわね、とにかく、妹ちゃんはあたしにとっても妹みたいなもんなんだからアホな事言って悲しませるんじゃないわよ?今度泣かしたらあたしが代わりに姉になるからね』 
楽しげに叱ってくるハルヒ。泣かすことはもうないさ。
『それならいいのよ。あぁ、何だかやたら話し込んじゃったわね』
休みのはずだったのにな。
『明日からはまた活動再開だからね!今日はもうお疲れ様。また明日ね!疲れた顔してたら罰ゲームだから。じゃね』
慌ただしく別れを告げたハルヒにじゃあなと返した所で妹がシャミセンを抱いて部屋に入ってきた。

「シャミかえってきた~」
手の中で暴れるシャミセンをものともせずニコニコしてる妹。ハルヒなどに渡すわけにはいかん。コイツは俺の妹であり、呼び名はどうであれ俺はコイツの兄ちゃんなのだ。
    しかし妹がハルヒに懐いてるのも事実ではある。将来コイツがハルヒの妹になる可能性も否定はできな……いや何を考えているんだ俺は。
「キョンくん、ハルにゃんとなにしゃべってたの?」
やれやれ……やはりお兄ちゃんとは呼んでくれない。だがかまわん、俺の記憶の中にあの時の「にぃた」はしっかり刻み込まれている。

    話した内容が内容だったからだろうか、ベッドの隣にシャミセンと共にちょこんと座る妹を撫でながら、先程頭の中に浮かんだ妄言を打ち消しつつ久しぶりに一緒に寝るのも悪くないと思っていた。 





おしまい

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