▽▽▽▽▽
 
 あたしはタクシーを飛ばし、ようやく目的地の図書館にたどり着いていた。もうすぐ夜21時になろうとしているが、
さんさんと施設の明かりがついているところを見ると、古泉くんがうまくやってくれたみたいね。
「やあ涼宮さん、お待ちしていました」
「ありがと、古泉くん」
 入り口で待っていた古泉くんと言葉を交わすと、あたしは図書館に駆け込んだ。
 さすが古泉くんと言ったところだろうか、図書館の全てが開放状態になっていて、どこでも本を取り出せる状態になっていた。
しかし、礼を述べている暇はない。今はとにかく情報をかき集めないと。
「余り時間はありません。見るべきなのは医療関係のものでしょうから、そのカテゴリを集中的に探しましょう」
「そうね」
 あたしと古泉くんは、医療の本が並んでいる場所に入り、一つずつ片っ端から開き始めた。
ただ、内容を一つ一つ読んでいる時間はとてもないから、とりあえずそれっぽい本の目次を見て、必要そうなところを
洗い出していく。
 そんな作業をひたすら続けていたが、ふと時計を見てみるとすでに0時を回っていた。キョンが発病したのは
大体15時ぐらいだったから、あと15時間ぐらいしか残っていないことになる。
「これじゃ間に合わないわ。あたしは向こうの机で本を片っ端から読んでいくから、古泉くんはそれっぽい本があったら
じゃんじゃんこっちに持ってきて」
「わかりました」
 古泉くんの了承を確認すると、床に置いた本の山を持って机に向かった。
 
 午前3時。あたしはすでに30冊以上の本に目を通していた。だけど、ダメ。治療法どころか、キョンの症状と
一致する病気の情報すら見つからない。
 あたしは困り果てて、思わず天を仰いでしまった。あと、12時間しかないってのに、まだ手がかりすらつかめていない……
「新しいのを見つけましたので、お持ちしました」
 そう古泉くんが10冊ほどの本をあたしのそばに置く。あたしは弱気になっている自分の頭を一回こづいてから、
その本を手に取った。
 この程度で参ってどうする。一番辛いのはキョンなのよ。あたしがしっかりしなくてどうする。
 と、ここで古泉くんがじっとあたしを見つめているのに気がついた。時間がないので、あたしは本に視線を向けたまま、
「なに? 何かあったら教えて。どんな些細なことでもいいから」
「いえ……」
 あたしの耳に返ってきたのは、ばつの悪そうな古泉くんの声だった。
 しばらく答えるべきか迷っていたようだが、やがて意を決したようにまじめな口調で、
「涼宮さんに確認しておきたいことがあるんです」
「なに?」
「その……涼宮さんは恐らく心の底から彼のことを助けたいと思っているんですよね?」
 またその話か。病院でもみくるちゃんに聞かれたのに、いったい何だって言うの。あたしの心はもう決まっている。
「それは十分承知しています。涼宮さんは彼を助けるためにはどんな努力も惜しまないでしょう。
その決意がどれだけ固いのかも理解しているつもりです」
「ならどういう意味なのよ」
 ここであたしは古泉くんの言っていることの意図が読めず、一旦本から目を外し彼の方を見る。
古泉くんはどこか困ったような表情を浮かべていた。
「言い方を変えてみましょう。涼宮さんは彼をどうしたいのかと聞かれた場合、どう答えますか?」
「どうって……そりゃ、キョンを助けたい。他に言葉なんてないわ。約束したんだもん、絶対に助けるって。
それ以上に出せる言葉なんてないし、それで十分のはずよ」
「そう……ですか……」
 古泉くんの表情は、病院でみくるちゃんが見せた物と同じだった。何か期待していた答えと違うという落胆。
わけがわからない。一体二人はあたしに何を期待しているってのよ。
「悪いけど、今はそんな話をしている場合じゃないわ。禅問答みたいなのはキョンを助けてからにしましょう。何か異論ある?」
「いえ……」
 そう古泉くんは答えると、また本棚の方に戻った。
 
 あたしが気がついていないだけで、実はどこか気持ちの問題があるのかも知れない。だけど、それがどうしたというのか。
そんなこと、キョンが助かれば何の関係もないはずだ。今はとにかくそれに全力を尽くす。あたしにできるのはそれだけだ。
 
 翌朝7時。あたしたちは全ての本に目を通し終えた。
 だが、結局何の手がかりも見つかっていない。
「ダメでしたね……」
 古泉くんは疲れ切った表情で、床に座り込んでいた。あたしも本ばかり読んでいたせいか、目がチカチカしているのを
押さえ込むようにこすりつつ、
「……まだよ、まだまだ! 消去法は決して無駄じゃない。図書館がダメなら次に行けばいい。それだけの事よ!」
 
 あたしたちは図書館を後にし、一旦部室に向かうことにした。
 まだ諦めてたまるか。絶対に何か方法があるはずよ。それを見つけてやるわ。
 
 
▼▼▼▼▼
 
 俺は朝日と物音に気がつき、目を開けた。
 昨日は団長席で写真を眺めていたのまで憶えていたが、どうやらそれのまま眠ってしまったらしい。
頭を上げると頬にくっつていたハルヒの写真がへろりとはがれ、床に落ちていった。
 それをすっと誰かが手に取り、俺に差し出してくる。
「落ちましたよ。大切な写真だからきちんと持っておかないとダメです」
 少し間延びしたような声。見れば、朝日も反射してしまうような美しく可愛らしい笑顔があった。
メイド服に身を包んだその人は、朝日をバックにまさに天使といってもいい神々しさを醸し出している。
「昨日は大丈夫でしたか? 生徒会長の方には、僕の方から対応をお願いしておきましたので、
恐らく何の問題もなかったと思うんですが」
 せっかくのエンジェル降臨を楽しんでいたというのに、優男のニヤケ声が俺の気分をぶちこわしてきやがった。
おいおい、せっかくだからもうちょっとエンジェルボイスの余韻に浸らせてくれよな。
「涼宮さんは少し遅れてくるそうです。病気の進行を少しでも遅らせられればと、コンビニでサプリメントを買ってくると
言っていました。昨日は一睡もしていないのに本当に大した体力ですよ」
 ハルヒの奴、得体の知れないドリンクや薬物を買ってきたりしないだろうな。そんなものを呑まされたら病状が加速しそうだぜ。
 部室にはすでに3人いた。唯一、俺に声をかけていない奴は無言のまま部室の入り口付近で俺の方をじっと見ている。
 やれやれ。これは一体どうしたことか。
 俺は一番近くにいた天使降臨な少女を呼び止め、
「またハルヒが何かやらかしましたか? そうでもなければ、こんなへんぴなところにある文芸部室なんかに
来たりはしないでしょう。人手不足とかいってその辺りに歩いている人間をとっつかまえて、強引に勧誘したんでしょうけど」
「えっ……?」
 その可憐な少女の表情が困惑にゆがんでしまった。いかん、何かまずいことをいっちまったか?
 少女は無理に取り繕ったような笑顔を俺に見せ、
「や、やだなぁ。キョンくん、冗談が過ぎますよ。あたしは朝比奈みくる、いつもここにいたじゃないですか」
「はい?」
 何を言っているんだ、この少女は。こんな超絶美少女がいたら、SOS団に俺は喜んで参加しているぞ。
大方が俺がハルヒの奴に引っ張り回されるだけだからな、ここの活動は。
 ……しかし、朝比奈みくるさんか。いい名前だ。
「えっと、まだ寝ぼけているみたいですね。目覚ましに良いお茶を買ってきたから、すぐにそれを入れますね」
 そう言って手慣れた手つきでお茶を入れる準備を始めた。待て待て、お客さんにそんなことをやらせるわけにはいかないだろう。
「ちょっと待ってください。お茶なら俺が入れますよ。せっかく来てもらったってのに、それじゃ立場が逆じゃないですか」
「いいんですっ……良いから、あたしにやらせてくださいっ……!」
 そうそのエンジェル少女は俺の言葉にとりつく島もない。
 ほどなくして、お茶を入れ終えた少女はお盆に湯飲みを乗せ、俺に差し出してくる。仕方がない。
せっかく入れてくださったんだから、ここは素直にごちそうになりますよ。
 俺はその熱々だが、喉を通すには熱すぎない絶妙なバランスの保たれたお茶をすすり始める。
これはうまい。俺が適当に入れたお茶とはまさに天と地の差だ。冗談抜きでSOS団の入って欲しくなってきたぞ。
 とはいえ、ハルヒの強引な勧誘に俺が乗っかるわけにも行かないので、お茶を飲み終えるとその少女に深々と頭を下げつつ、
「ハルヒに変わって謝ります。こんな朝っぱらにそんなけったいな服装で部室に来させるなんて非常識にもほどがありますからね。
最近は大人しくなってほっとしていたんですが、また調子に乗りだしたみたいだから一つ言い聞かせておきますよ――」
 がたん。
 突如、その少女は手に持っていたお盆を床に落とした。そして、それを拾おうともせず……
 今度は部室中に、まるで小学生になるまえの子供が泣くような泣き声が響き渡る。
その少女がどでかい声を上げて泣き始めたのだ。
 俺は突然のことに気が動転し、近くでこっちを見ているだけだった優男の方に近づいて、
「お、おい、俺ひょっとして何かまずいことをいっちまったのか。すまねえ、妙な病気にかかっているせいで、
ちょっと記憶が混乱しているんだ」
 ――自分の言葉で思い出した。そうだ、俺は記憶と意識が徐々になくなっている病気にかかっているんだ。
何でこんな重要なことを忘れていたんだ? そうなるとまさか今ここにいる人たちは……
 あたふたとする俺に、その男は答えようともせず目頭を強く押さえ、そのまま壁に寄りかかってしまった。
 少女はひたすら泣き続けるだけだったが、優男の方はようやく口を開き、
「……覚悟はしていたつもりですが、この現実はあんまりです……いえ、あなたは何も悪くないんですよ。
全部、あなたを蝕む病気が悪いんです……」
 苦悩に満ちたうめき声のような言葉を吐いてきた。
 俺はさらに混乱を加速させてしまったが、さっき泣いている少女から返してもらった写真を見て、ようやく事態が飲み込めた。
 そこにはどこかの海辺で泣いている少女・優男・じっと見つめるだけの無表情少女が映っていた。
全員水着姿で楽しそうに微笑んでいる。
 ……そうか、俺はこの人たちのことをわすれちまったんだな。このくそったれな病気のせいで。
 俺は軽く頭を抱えつつ、
「すまない。どうやら全員SOS団のメンバーみたいだな。俺がすっかり忘れちまった……だけで」
「キョンくんっ! 本当に憶えていないんですかっ!? あんなに一緒に……ずっと!」
 泣いていた少女が俺の胸に飛び込んでくる。うれしさよりも罪悪感の方が強く募った。こんな事をされても、
俺はこの少女に対する感覚・記憶ともに何も呼び起こされないからだ。
「すいません。写真を見る限り、一緒にいたのはわかりますが、俺自身はもう……」
 少女は、俺の言葉に床に崩れ落ちて泣きじゃくり始めた。
 何もできない。何もして上げられない。
 そして、何もしてあげようと言う気にもならなかった。人間らしい感情も酷く欠落しているのか。
 今ならまだはっきりと認識できる。俺は着実に死に向かって進んでいるってな。
 ほどなくして、優男が少女を抱きかかえるように立たせ、椅子へ導く。しばらく子供をあやすように少女に何か話しかけていた。
 ようやく徐々に落ち着きを取り戻した少女を確認すると、その優男は俺の元にやってきて、
「状況を確認したいんですが、いいですか」
「……あ、ああ」
 そいつはメモ帳を取り出し、
「まずここはどこですか?」
「SOS団の部室だ。元々は文芸部の物だったけどな」
「なら文芸部員は一人だけいましたが、誰だかわかりますか?」
「ん……すまん、憶えていない」
「では、今この部屋にいるあなた以外の人で、憶えている方はいますか?」
「さっきも言ったが、誰も知らない――思い出せない」
「ならば、このSOS団の団長は?」
「それは忘れたくても忘れないだろうな、我らが団長涼宮ハルヒ様だよ」
 この答えに優男ははっとして、
「涼宮さん、涼宮さんのことは分かるんですか?」
「ああ、あいつのことならはっきりと憶えているぞ。それはもう入学式にぶっ飛んだ自己紹介をした時から、
昨日散々励ましてくれたことまでな」
 俺が今言ったとおりでハルヒのことだけは、鮮明に記憶が残っていた。今記憶の糸をほじっても、ハルヒのことばかり
脳裏にかすめてくる。
 ここで、ずっと黙ったまま俺を見つめていた無表情少女が俺に近づいてきた。そして、俺の両腕をつかむと、
「聞いて。突破口が見えたかも知れない」
 ……どういうことだ?
 その無表情少女は瞬き一つしない瞳で俺を見つめながら続ける。
「わたしたちは記憶から消去されるほどプログラムによる浸食が続いているが、それでも涼宮ハルヒの事だけは
はっきりと憶えているのはあまりに不自然。涼宮ハルヒが情報フレアを発生させ、あなたに干渉を行っているとしか
考えられない」
「悪い。思考能力も落ちているみたいだから、わかりやすくいってくれ」
 頭の中が飽和状態のようになっているせいか、まともに考えられない。無表情少女はしばらく黙っていたが、
「プログラムの浸食を涼宮ハルヒは止めることができるかも知れない」
「つまり、ハルヒがあの神的変態パワーを使えば、俺を助けられるってのか?」
「そう」
 俺は後頭部をかきながら、
「だが、どうしろってんだ。今からお前には凄い力があって――なんて説明しても信じるような奴じゃないぞ。
それに、あいつが願って俺が助かるっていうなら、とっくに助かっているはずだ。あいつの思い――俺を助けたいっていう気持ちは
鈍い俺だって強く感じ取っているからな」
「恐らく涼宮ハルヒの介入はプログラム内部で想定されていて、対抗措置が執られている。
だから、それを越える形で涼宮ハルヒがあなたの生存を願わなければ、効果はない」
 助けたい以上の願い? なんだそりゃ、俺も思いつかないぞ。
 だが、無表情少女の言葉に、エンジェル少女と優男がはっと気がついたように顔を上げる。
「あとは涼宮ハルヒにかけるしかない。彼女があなたをどうしたいのか、それを認識できるかが鍵となる」
 ――そう無表情少女が言い切ったタイミングでハルヒが部室に現れた。
「ごめん、遅くなったわ!」
 両手には山のようなコンビニの袋を抱えている。おいおい、どれだけ買ってきたんだよ。
「この際何でも買ってきたわ。贅沢いっている場合じゃないもんね。ほら、ビタミンとか亜鉛も大量に買ってきたわよ。
今すぐ残らず食べなさい」
「ちょっと待て。そんなチャンポンで喰ったら、別の病気でしんじまいそうだぞ」
 ハルヒはコップに複数のサプリをじゃらじゃらと詰め込みながら、
「あんたの病気は一筋縄ではいかない、非常識な物なのよ! だったらこっちも非常識で対抗するしかないわ。
ほら、どんどん食べなさい。みくるちゃん、手伝ってあげて」
 そう呼ばれたエンジェル少女が俺に来て、ハルヒの手伝いを始める。
 その間に、優男がメモ帳片手にハルヒと話し始めた。一言一言を聞くたびに顔色が変わっていくのは、
俺がハルヒ以外のSOS団のことをすっかり忘れてしまったことを聞いているからだろう。
 ――次にハルヒがとった行動は、ある意味必然でハルヒらしかった。
 パアァンと気持ちのいいほどに、ハルヒが俺の頬をひっぱたいた音が部室内をこだまする。
「あんた……あんたって奴は……!」
 続いて、俺のネクタイを締め上げ、
「どれだけみんながんばっているかわかってんの!? なのにあんたはホイホイと病気に任せて何でもかんでも忘れて!
キョンを助ける、キョンを助けたいの! だから、あんたも少しはがんばってよ!」
「やめてくださいぃ!」
 ここでエンジェル少女――ああ、朝比奈さんだったな――が俺とハルヒの間に割って入ってきた。
激高しているハルヒを盛んになだめようとしている。
 だが、ひっぱたかれても罵られても、俺は怒りどころか反論すらわき起こってこなかった。
 俺は朝比奈さんの肩をつかむと、
「いいですよ。ハルヒの言っていることは事実ですから。俺がこんなんだから、病気が簡単に進行――っ」
 突然――俺の周りの世界が回転した。まるで回転型の絶叫マシンに乗ったかのように足下と視界がふらつき、
そのまま床に倒れ込む。
「キョンっ!」
 そのまま頭から落下しそうになるが、すんでの所でハルヒがキャッチしてくれたおかげで難を逃れる。
しかし、強烈なめまいは収まる気配を見せず、もう立つことすらままならない。
「ああっ……どうしよう。ごめん、キョン。あたし、バカなことしちゃった。ごめん、本当にごめんなさい!」
 ひっぱたたいたことについてだろう、ハルヒはしきりに謝罪の言葉を並べた。
だが、俺はハルヒを責める気なんて全く起きず、揺れる視界のなか、ハルヒの頬にすっと手を当てる。
「いいんだ。気にするなよ。お前は悪くないさ。あっさり忘れちまう根性なしの俺が悪いんだよ……」
「キョン……!」
 ハルヒは痛いくらいにぎゅっと俺の頭を抱きしめてきた。かすかに触れた肌を通して、活発に動くハルヒの心臓の鼓動が
俺にまで伝わってくる。
「助けてあげる――絶対に助けるから!」
 ハルヒはそう大声で俺に呼びかけた後、まるで周りに聞かれたくないのか、俺の耳元に口を寄せてきて、
「どこまでもついていってあげる。だから安心して……」
 
 
▽▽▽▽▽
 
 午前8時。リミットまで残り9時間を切っている。
 あたしはみくるちゃんと古泉くんにキョンを託すと、有希と二人で街に出た。登校してくる生徒の逆送して走るあたしたちの姿を
周りの人間が奇異の目で見てくるが気になんてしていられない。今日も平日だから授業はあるけど、
そんなものに出ている場合じゃないんだから。
 あたしはもう藁にもすがる思いだった。医者もダメ、図書館で調べてもダメ、こうなったら有希の知っている古本屋をめぐって
それっぽいものを探すしかない。神社で祈ったり、境界に駆け込んだりもしてみたらと頭を過ぎったけど、
それでキョンが直るとはとても思えないから止めた。今あたしがやらなければならないことは、
キョンを助ける方法を探すこと。祈っていても見つかるわけがない。
 幸いなことに有希は本好きだったので、たくさんの古本屋を知っていた。それこそ、魔術書まで置いてありそうな物まで
置いてありそうな怪しげな店もあった。あと、昔あたしがいろいろ調べて回ったときに見つけていた、
民間療法も治療薬を売っている店も廻って効果のありそうな物を手当たり次第に確保するつもりだ。
 駅前までつくと、あたしは有希を連れてタクシーに飛び乗った。とりあえず、メモを片手に行き先を運転手に指示する。
 時計を確認すると、もう午前8時20分になっていた。この調子だと廻れる店はかなり限られてくる。
近場からどんどん目的地を潰して起きないと……
 と、有希があたしの方をじっと見ていることに気がつく。
「なに? 有希」
「一つ確認したいことがある」
 あたしはメモから目を離さず、口だけで答えた。
 有希は続ける。
「あなたは彼のことをどう思っている?」
「好きよ」
 何というかあっさりと本心が口に出てしまった――というか出てしまった。はっきり言ってしまえば、照れている余裕も
あたしにはないと言うことである。
「キョンが好きだから助けたい。でなきゃ、ここまでやれないと思う。そう――あたしはキョンが好き。だから、助けたい」
「わかった。それを聞いて安心した」
 そう有希は答えると、あたしから視線を外してじっと前を見つめ始めた。
 ……この子がこんな事を聞いてくるなんて。やはりキョンの死が近づいて酷く動揺しているんだろうか。
 
 まず一番近くにあった古本屋数軒を廻ってみたが、こぢんまりしているだけで、並んでいるのは大手の新古書店と
大して変わらない本ばかり並んでいた。時間をかけている余裕もないので、軽く本のタイトルだけを見回すと、
また次の目的に向かう。
「有希、もうちょっと変わったところはないの? こんなところじゃ図書館と大差ないわ」
「少し離れた場所に、変わった本を集めているところがある。そこに行けばいい」
 そう言って、あたしが持っている地図を指さす。今の位置からかなり離れているところか。
それなら漢方薬とか売っている店を廻りつつ、そっちに向かった方が効率がいいか。
 ――だが、こんな時に限って問題が発生する。乗っていたタクシーが渋滞に捕まってしまったのだ。
「裏道はないの!?」
 あたしはどうにか回避できないのかと訪ねるも、この周辺ではこの時間帯は局地的に渋滞が発生していて、
例えここをうまくかわしても、他の場所で引っかかるだけらしい。なお目的地を記した地図を見せて食い下がったが、
運転手が出した結論は至って簡単な物だった。あたしの行きたいところへ最も早く、かつたくさん廻るなら走った方が早いと。

 あたしは運賃を払うと、タクシーから飛び出し一目散に走り出した。息を切らせながら、全速力で走ること10分、
一番近くにあった薬を売る店に飛び込んだ。
 
 
▼▼▼▼▼
 
 あー、なん……だろ、か。頭が……ぼーっとしてきた。
「古泉くん! キョンくんの様子が!」
 耳元で朝比奈さんの声が響く。しかし、それもまるでトンネルの中で話しているように、乱反射して聞こえてきた。
 しばらくして、古泉と呼ばれる優男が、不安げな表情で俺をのぞき込んできた。
「大丈夫ですか? 何かしゃべれますか?」
「う、あーううあーいいい……」
 俺の口は完全にろれつが回らなくなって来ていた。考えがまとまらない上に、まともにしゃべることもできなくなるとは。
いよいよ俺も終わりが近いらしい。
「死なないでください! お願いだから死なないでっ」
 朝比奈さんが俺の頭をぎゅっと抱きしめてきた。全く俺は幸せ者だったんだな。
こんな人と一緒にずっと高校生活を送っていたんだから。
 次第に視界も濁り始めた。もう二人の顔もまともに見えなくなってきている。
 ……ハルヒ。もう俺はダメだよ。せめて最期にお前の顔は拝んでおきたい。だから、もう諦めて帰ってきてくれ……
 
 
▽▽▽▽▽
 
「そう……わかった。できるだけ早く戻る」
 あたしは古泉くんからの連絡を聞き終えて、携帯電話を閉じる。
 キョンの状態が限界に達しつつある。今は午前12時半。タイムリミットは3時間を切っていた。
しかし、目的の半分しか廻れていない上に、手に入った物と言えば適当に買いあさった漢方薬だけの状態だ。
 古泉くんは電話の中でこういっていた。
 キョンはあたしに会いたがっていると。少しでも顔を見たいと。
「…………っ!」
 あたしはどうすればいいのか分からず、ただ無我夢中に走り出した。心臓が破裂するほどになっても足は止まらず、
肺は悲鳴を上げて酸素を求め続けている。
 嫌だ。キョンに死んで欲しくない。
 でも、このまま街中をさまよっていてももう解決策が見つかるとは思えない。
 でも、ここで部室に戻ってもただキョンの死んでいく姿を見続けるだけになる。
 
 あたしは……あたしはどうすればいいのよ!
 
 ――ふいに、限界に達した足がもつれ、アスファルトの道路の上を転がるように倒れ込んだ。
全身に強烈な痛みが走り、全神経にしびれが駆け抜けていく。
 全身の酸素も足りないせいか、あたしは道路の上に突っ伏したまましばらく動けなくなった。
 ほどなくして、あたしが倒れたのと見た野次馬たちがあたしを取り囲み始める。
 あたしはある程度呼吸が落ち着いたことを感じると、すぐさま立ち上がろうとした――が足に来ているらしく、
全く立ち上がることができない。
 と、ここで遅れてきた有希があたしの肩に手をかけ、
「手を貸す。立って」
「あ、ありがと……」
 あたしは有希と二人三脚のように歩き出した。周りの野次馬たちも、無事を確認したのか次第に散っていく。
 そのまま数十メートル歩いたところで、有希が突然立ち止まった。そして、あたしをじっと見て、
「部室に戻ることを推奨する」
「なにバカなこと言ってんのよ。今戻ったって何もできることがないじゃない!」
 帰るならせめて手がかりだけでも見つけたかった。そうでなければ、必ず助けるというキョンとの約束を破ることになる。
 だけど、有希は迷いのない口調で言った。
「このまま探しても手がかりが見つかるとは思えない。このままではあなたは彼の生きている姿を見ることなく、
別れを迎えることになってしまう。そうなればあなたはきっと後悔する。それに」
 ――ここで一拍置いて――
「彼の最期を見届けるのはあなたしかできない。わたしはあなたがそうするべきだと思っている」
 あたしは有希の言葉に反論できなかった。
 はっきり言ってしまえば、もうこれ以上街中をさまよったところで無駄だろう。ただの自己満足的な行為になってしまう。
例え手がかりが見つかったとしても、今からでは準備ができるとは思えない。突然、空から万能薬が降ってきて
キョンがそれを飲んだらたちまち直ったなんて言うことにはなるわけがない。
 それに本音を言えば、あたしはキョンと一緒にいたかった。これ以上離ればなれになっているのは耐え難くなってきている。
このまま最期まで逢えないという事態になれば……
 アスファルトの乾いた地面に多数の水滴が落ちる。気がつけば、いつの間にか空は真っ黒に染まり、夕立がやってきていた。
その中の水滴にあたしの涙も混じって、地面に叩きつけられる。
 あたし……何もできなかった。キョンがあんなになっているのに、なにもできなかった……!
「近くでタクシーを拾う。迂回していけば20分で部室まで戻れるはず」
 有希の言葉にあたしはただ黙って頷くことしかできなかった。
 
 猛烈に続く土砂降りの中、あたしたちは屋根付きのタクシー乗り場にたどり着き、そこでタクシーがやってくるのを待つ。
 あたしはどうしようもない喪失感に染まり、有希の肩にしがみついたまま動けなかった。
 辺りはまるで夜のようになり、自動車のライトがあたしたちを照らしていく。
 ふと思い出す。みくるちゃんと古泉くんが言っていたことだ。 あたしはまだキョンに対して
何か遠慮しているところがあると言っていた。わからない。あたしはキョンが好きであることも認めているし、
助けたいというのは嘘のかけらもない心の底からの願いだ。なら、あたしに足りない物はなに?
「わたしも古泉一樹や朝比奈みくると同じ気持ちを持っている。彼に対して決定的に足りない何かがあなたにはある」
 まるであたしの心を読んだかのように、有希がしゃべり出した。
 足りない物。わかんないよ、有希。あたしの一体どこがいけないって言うの?
「あなたの彼に対する感情は全く問題ない。助けたいという気持ち、好きであるという愛情、どれをとっても固く強いもの。
過不足なく最良の感情を形成している」
「……ならいいじゃない。それがあたしの気持ちなんだから」
「それは違う。あなたはまだ到達できていない部分がある。その原因は恥ずかしさから来るものなのかもしれないし、
自分に対して――彼に対して遠慮しているからかも知れない。具体的なことはわたしにはわからない。
しかし、確実に言えることはあなたはもう一歩踏み出だせることに気がついていない」
 あと一歩。好き、助けたい。この先がまだある……?
 有希は続ける。
「これはわたしの推測。あなたはずっと彼に対して奇跡が起きることを望んでいた。
でも、あなたはその先が見えていないように感じる。奇跡の向こう側に存在しているものが」
 
 ――奇跡の先にある……もの?
 
 
▼▼▼▼▼
 
 あー、あはーははーハルーヒ、ハルー……
 
 
▽▽▽▽▽
 
 あたしは部室に戻ってキョンの変わり果てた姿を見て、思わず床に膝をついてしまった。
 顔面蒼白になり、目は明後日の方を向き、口からはだらだらとだらしなくよだれが垂れている。
「あ……ああ!」
 あたしは無我夢中で飛びつくようにキョンを抱きかかえた。
 ごめん……こんなになるまで何もできなくて!
「ごめんなさい。いろいろ手を尽くしたんですけど、あたしにはなにも……」
 そうキョンのそばでずっと看てくれていたみくるちゃん。ううん、もう十分よ。ありがと。
あとはあたしがキョンのそばにいるから。みくるちゃんは少し休んで。
 すでに時間は午後13時半を廻っていた。あと2時間半でキョンの命は尽き果てることになる。
 ……だけどもう打つ手はなくなった。少なくともあたしがここに戻ってきた時点で、キョンが助かる見込みはなくなった。
いや、最初から助けられる可能性なんて存在していなかったのかも知れない。あたしはただ自分を納得させるためだけに
街中を走り回っていただけで。
 
 嫌な沈黙が流れる。時計が針を刻む音が耳につき、それがあたしの喪失感をじわりじわりと広げていった。
 誰もなにも言葉を口にしない。
 
「あー、あハルはるひ……?」
 唐突にキョンがあたしを見て口を開いた。たどたどしく、もう言葉として成り立っていない
「なに? キョン。大丈夫、あたしはそばにいるから大丈夫……」
「かか、かえ、かえ……って……き……くれ……た」
 キョンはあたしの腕をつかみ、たどたどしい言葉を重ねる。次第にその手の力が入ってくるのを感じると、
まだキョンのあたしのことを憶えていてくれていることを感じ取り――たまらなくなった。
「帰ってきたよ。もうどこにも行かないから大丈夫……ずっとあんたのそばにいるから……!」
 あたしは思わず強くキョンの頭を抱きしめ、止めどなく涙を流した。
 
 助けられない。
 約束を守れなかった。
 キョンはこんなになってもあたしを見て……信じてくれている。
 でも、あたしは何もできない……
 
 
 ふと、あたしの脳裏にあることが過ぎった。
 あたしにできること。
 最後にできること。
 それは……
 
 
 唐突に校内放送が流れ、有希、みくるちゃん、古泉くんの名前が呼ばれ、職員室へ来るように指示が出る。
 3人とも微動だにせず、じっと黙ったままうつむいていたが、
「……大丈夫。キョンはあたしが看ているから行ってきて。向こうからこっちにやってこられて、
こんなキョンを教師たちが見つけたら大騒ぎになるから」
 あたしは3人にそう告げると、ほどなくして部室から出て行った。
 
 しばらくして、3人が戻ってこないことを確かめると、あたしはキョンを背負い部室から出る。
「あー、ああ……」
「大丈夫よ。ちょっと場所を変えるだけだから」
 そう言ってキョンを安心させると、人目につかないように学校から外に出る。
そのまま平日昼であまり人通りのない坂道を降りていった。雨は上がったものの、未だに薄暗い空は
まるで虚脱感で真っ黒に塗りつぶされたあたしの心を表しているかのようだった。
 
 ……一緒よ、キョン。絶対にあんたを一人で逝かせたりしないから……
 
 
▽▽▽▽▽
 
 午後2時半。あと30分でキョンはこの世からいなくなってしまうだろう。
 
 あたしはキョンを背負ったまま、数十階の高層ビルの屋上に立っていた。北高からタクシーで
一時間ぐらいの場所にある新築のものだ。別にここを目指していたわけではなかったが、街中をさまよっているときに
ふとこの高層ビルが目にとまったからここを選んだだけである。警備員やビル関係者に見つかるかと思ったが、
幸いなことに誰一人としてあたしの姿を気にとめる人はいなかった。まるであたしたちの姿が見えないのかと思ったぐらいだ。
 夕立の湿気の篭もった冷たく強い風が自分の身体を叩きつけてくる。
「あーあー」
 キョンはたまに声を上げるが、完全にものを言えなくなってしまっていた。たまに思い出したようにうなり声を上げるだけだ。
意識が混濁しているのか、あたしに背負われているということすらわからないらしい。
「あんたと出会ってからいろいろあったわね……」
 あたしの脳裏に様々な思い出が過ぎる。
 
 北高に入学した初日に見たあんた。
 あたしの自己紹介に唖然としてマヌケな顔をこっちに向けていたわね。
 
 あんたがあたしの髪型の変え方を見抜いたとき。
 正直ちょっと悔しかった。前の席に座っていたからといって、ただの凡人のあんたに見破られたんだから。
 
 SOS団設立のきっかけをキョンがくれたとき。
 当時は余り考えなかったけど、今では凄く感謝している。あれがなければ、あたしは中学のときと同じ状態だったと思うから。
 
 それからはいろんなことをした。
 野球もした。
 七夕もした。ついでにコンピ研の部長も探したっけ。
 合宿で孤島にも行ったわね。あれは古泉くんにしてやられたわ。やり返してやったけど。
 夏休みの終わりはこれでもかってぐらいに遊んだ。
 映画の撮影もした。あれは……ごめん、ちょっと調子に乗りすぎたかも。
 文化祭で歌うことになるとは思っていなかったわ。でも、結構気持ちよく歌えたからいいけどね。
 コンピ研とゲーム対決して。
 ラグビーを見に行って。
 冬は……
 
 
 今までのことを思い出していくたびに、瞳から流れる涙の量が増大していく。もうぬぐう必要も感じない。
 
 あたしは時計で時間を確認する。午後2時55分。思い出に浸っていたら、もうこんな時間になっていた。
すぐにキョンを背中から降ろし、抱えるようにして屋上の縁の部分に立った。真下には細い路地が通っている。
人通りも全くなく、自動車も走っていない。誰かにぶつかってしまうことはないだろう。
「あ、あー」
 下を見つめていたあたしに、キョンが手をかけてきた。あたしの顔を確かめるように頬をなで回してくる。
 あたしはとびっきりの笑顔を作って、
「大丈夫よ、キョン。あたしはここにいる。この高さならどうやってもたすかりっこないわ」
 涙が瞳の中に溢れかえり、キョンの顔がゆがんで見える。瞬き一つするたびに、水滴が飛散することを感じた。
 あたしはキョンをぎゅっと抱きしめると、
「一緒に逝こう……キョン」
 そう言って空中に身を投げた――
 
 
▽▽▽▽▽
 
 ゆっくりと落下感が加速し始めるのを感じたとき、あたしの脳裏にあの言葉が過ぎった。
 
 みくるちゃんが言った。
 あたしがまだキョンに対して何か遠慮しているのではないかと。
 
 古泉くんが聞いてきた
 あたしはキョンをどうしたいのかと。助けたいと素直に答えたら落胆した表情を浮かべていた。
 
 有希が言った。
 あたしの思いはまだ到達できていない部分があると。
 
 
 最期まで分からなかった。
 あたしはキョンが好き。
 あたしはキョンに生きて欲しい。
 生きてくれれば、またSOS団して楽しくやっていけるから
 死んでしまえば、もうあのキョンのいる楽しい生活は戻ってこないから。
 
 なにが問題だったのだろう。
 なにが足りなかったんだろう。
 
 ――不意に有希の言葉が脳裏に蘇る。
 
「これはわたしの推測。あなたはずっと彼に対して奇跡が起きることを望んでいた。
でも、あなたはその先が見えていないように感じる。奇跡の向こう側に存在しているものが」
 
 
 奇跡の先にあるもの。
 奇跡って言うのはキョンが生き延びるってことよね。
 じゃあ、その先になにがある?
 
 奇跡が起これば、続きができる。
 だから、奇跡が起こって欲しい。
 だから――
 
 
 
 ――あたしの思考がはじけた。
 
 あたしは……
 本当にバカだ……
 こんな時になるまで気が付けないなんて本当にバカだ……
 
 
 あたしはずっとキョンが生きて欲しいことばかり考えていた。
 キョンが生きてくれれば、結果としてまだまだキョンと一緒にいられる。
 SOS団として楽しく生きていける。
 
 でもそれは違う。
 間違っている訳じゃないけど、あたしの本心じゃない。
 
 あたしは何を望んでいる?
 あたしは何を望んでいるから、奇跡が起こって欲しい?
 あたしは何を望んでいるから、キョンに生きて欲しい?
 
 答えなさい、あたし!
 
 
 ――ゆっくりと身体が降下していくのを感じた――
 
 
 ……一緒にいたいから。
 
 キョンとずっと一緒にいたい!
 
 あたしの前の席に座っていて欲しい。
 部室でぶーたら文句を言っていて欲しい。
 不思議探検でどこかでこっそりとさぼっていて欲しい。
 あの中途半端な笑みを見たい。
 あたしの無理難題に文句を言って欲しい。
 
 それだけじゃない。
 
 ずっとそばに立っていて欲しい。
 その内キスもしたい。
 キスしてほしい。
 抱きしめられたい。
 抱きしめてあげたい。
 
 キョンと一緒に、またみんなで孤島に行きたい。
 キョンと一緒に、またみんなで映画を撮りたい。
 キョンと一緒に、またみんなで文化祭を楽しみたい。
 キョンと一緒に、また遠くに行きたい。
 
 
 キョンがいなきゃダメなの!
 
 だから!
 
 お願い!
 
 
▼▼▼▼▼
 
「――生きて!」
 俺の頭に、ハルヒの声がはじけた。
 どこからか吹き付けられる風が、痛みを憶えるほどに俺の全身にまとわりついてきている。
 
 ゆっくりと目を開けてみる。
 目の前にはなぜか涙が上に飛んでいくハルヒのドアップがあった。
 その顔は涙でぐしゃぐしゃになってしまっている。
 で、俺が真っ先に口に開いたのはこれ。
「……なんて顔してんだ、お前は」
 俺に言葉に、ハルヒは反発して睨みつけてくるかと思ったが、逆に信じられないほどの笑顔入りの感激の表情に様変わりし、
「キョン……キョン……!」
 そう言って俺の胸元に、抱きついてきた。
 ああ、もう状況が分からん。なんなんだこれは。だれか説明してくれ。
 ――って、今更気がついたんだが、俺たちもしかして落ちているのか!?
 俺が素っ頓狂な声を上げると、ハルヒはおずおずとこちらを見上げて、
「ご、ごめん、ちょっと早まっちゃった……」
 そう反省しきりのハルヒ。
 おいおい、勘弁してくれ。じりじりと地面が近づいてきているぞ。あと十数秒で三途の川に落ちちまう。
 だが、何となく見上げた上空を見て、俺はほっと胸をなで下ろした。
「あー、でも大丈夫だな。さすがはSOS団副団長様だよ」
「え?」
 ハルヒがきょとんしたタイミングで俺たちの落下速度が大幅に落ちる。上空から降りてきた古泉が、
俺の身体をつかんでパラシュートを開いたのだ。
「……ぎりぎりでしたね。さすがにちょっと肝を冷やしましたよ」
 古泉がはにかんだニヤケ顔を浮かべてくる。顔が近くて気色悪いが、まあ、今日は勘弁してやるか。
 ほどなくして、地上の方で騒ぎが起こる。オフィスの窓や通行人たちが俺たちを指さして、何事かと言っているようだ。
そりゃ、いきなり高層ビルの屋上から人が落ちてきて、さらにパラシュートが開けば目立つだろうからな。
 古泉は器用にパラシュートの進行方向を操作して、できるだけ人気のない方に向かって移動を始める。
「全くこんな大騒ぎを起こして、機関だけではもみ消すのは困難ですね。長門さんに助力を願わないと」
「おい、ハルヒがいるそばでその話は……」
 俺が焦って古泉の口を止めようとするが、逆に古泉は俺の胸元のハルヒを指さしてきた。
見れば、さっきまでの泣き顔はどこへやら、幸せそうな顔ですーすーとハルヒが寝息を立てている。
 俺はしっかりとハルヒを抱きかかえると、
「全く……こいつは人をこんなところに突き落としておいて……」
「涼宮さんはあなたのために徹夜で走り回っていたんですよ。まさか忘れたと言いませんよね?」
「言われんでもわかっているさ、そんなことは」
 ついふてくされたように返す俺に、古泉は素直になったらどうです?と苦笑を浮かべる。ええい、無視だ無視。
 俺の顔に太陽光が当てられる。見れば、分厚い雲の隙間から徐々に光が差し込み始めていた。
 ふと、俺は思いつき、
「なあ古泉。お前ハルヒを付けていたのか? でなけりゃ、こんなタイミングで俺たちを助けられないだろ?」
「ええ、涼宮さんとあなたが部室から姿を消したときは卒倒しそうになりましたが、何とか再発見できましてね。
いやあ準備もぎりぎりでしたよ。高層ビルに入る姿を発見したとき、これはもう飛び降りしかないと思い、
あわててパラシュートの準備をしてもらいましたからね。昔にちょっと機関の訓練絡みでやった経験がこんなところで
役に立つとは」
 お前の自慢話なんてどうでもいい。俺が聞きたいのは一つだけだ。
「もし――もしもの話だが、俺が復活しなかったら、ハルヒを助けたのか?」
「……さあ、どうでしょうか? きっとその時僕が感じたままに動くと思いますよ」
 そう俺の問いかけをはぐらかして、苦笑を浮かべるだけだった。
 
 
▼▼▼▼▼
 
「で、何で俺は助かったんだ?」
 俺は病院のベッドで、見舞いに来ていた長門に尋ねる。
 その後、どうにかして現場を逃げ出した俺たちは、そのまま病院に直行することになった。
危機的状況は脱したとは言え、まだどこかに悪いところがあるかも知れないということで、現代医療の先端技術を駆使した
検査を片っ端から受けさせられ、その後には能力が戻った長門による未知の病原体・何とかプログラムが
残っていないかの検査も受けた。
 結果はオールグリーン。俺は至って健康体であるということだ。やれやれ、ようやく一件落着か。
 ただ、体力的な問題や念には念を入れてと言うことで、数日入院することになった。翌日、ようやく連絡の取れたオフクロ達も
ついさっき見舞いに来たところだ。変な物を喰って食中毒になったということにしているが。
 その後、朝比奈さん・古泉が見舞いにして、それと入れ替わりで長門がやってきた。で、俺はせっかくなんで、
ハルヒの奴がどうやって俺を救ったのか聞いてみることにした。
 長門は首を少しだけ傾け、しばらく考える素振りを見せた後、
「抽象的な話になる。また事実ではなく推測でしかない。それでもいい?」
「構わん。教えてくれ」
 俺の了承を確認すると、長門は続ける。
「あなたを蝕んだ破壊プログラムはあなたの生命活動を奪うという、その一点のみを狙った。
その点を標的にあなたの時系列的存在存続を切断するという手段。同様に涼宮ハルヒも途中までは
あなたの生命活動が存続して欲しいという一点のみを願い続けた。点の消滅を避けようとしていた。
だが、それを予測していた破壊プログラムはそれを受け付けないように細工されていたと思われる」
 何が変わって、俺は助かったんだ?
「涼宮ハルヒは、最後にあなたに未来があること願った。それは点ではなく線となる。破壊プログラムが点を抜き去ろうとした
点に対して、涼宮ハルヒはその上から線を引いた」
 本当に抽象的な話だな、おい。
「現段階に置いても涼宮ハルヒの情報創造能力の詳細は不明。これはわたしの推測に過ぎない話。
だが、彼女があなたとともに先に進む――あなたが助かるという奇跡の先の存在に気がついたのは否定できない事実」
 なるほどね……
 ところでこんなふざけたことを仕掛けた奴は一体どこの誰なんだ?
 長門は少しうつむき加減になり、
「情報統合思念体はわたしに情報操作能力を復元させた後でも、何も教えようとはしない。
しかし、有機生命体の死を点でしか捉えられないことを考えれば、仕掛けたのは情報統合思念体に他ならないと思う。
急進派が仕掛けたのか、主流派が考えを変えたのか。それとも別の意志が働いたのか。どちらにしても
わたしがそれを知るすべはない」
 長門の口が少しだけ重くなっていることに、俺は責任を感じていることを感じ取って、
「気にすんなって。お前を責めるどころか、責任があるとすら思ってねえよ。はっきり言わせてもらうが、
お前とお前のパトロンは完全に別物だ。俺の中ではな」
 長門はこくりと頷く。ありがとうという感謝のサインだろう。
 しかし、ハルヒが俺の未来を願うとはね。全くハルヒはまだ俺を引っ張り回したりないってのかよ。
どんだけ突っ走ればこいつは止まるんだか。
「今度はあなたが気がついていない」
 はい?
「何でもない」
 唐突にかけられた長門の言葉の意味が分からず間の抜けた声を上げる俺だったが、長門はそれ以上語ろうとしなかった。
 しばらくして、長門はすっと立ち上がると、
「帰る」
 そう言って外に出て行こうとする。俺は待てよ、と声を上げて、
「いろいろ心配かけちまったな。ありがとよ」
「わたしは何もしていない。お礼を述べるなら、涼宮ハルヒに言うべき」
 そう言って俺の寝ているベッドのすぐ横を指さす。
 
 そこには寝袋にくるまったハルヒの姿があった。幸せそうな笑顔で寝息を立てている。
まあ、なんだ。冬に入院したときと同じってことさ。俺が回復するまでここで一緒に寝泊まりするんだと。
 俺はすっとハルヒの頬に手を当ててやる。あの時はここで起きたが、今は深い眠りに落ちているのか
目を覚ます気配を見せなかった。

 ――お前が願ったとおり、ずっとそばにいてやるよ、ハルヒ。


~~完~~

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最終更新:2008年06月22日 02:17