◇◇◇◇
 
 俺は長門の部屋に上がり、カーテンの引かれていない窓から外を眺めていた。たまに上空を赤いランプ――
低空で飛んでいく飛行機が見える。そういやこの部屋に二人っきりってのも久しぶりだな。
「できた」
 振り返ってみるとカレーライス山盛りの皿を持った長門が立っている。しかし、
「一人分しかないが、お前は食べないのか?」
「必要ない」
 そう言いつつ長門はテーブルの上に皿を置く。
 俺は溜息をつきつつ、テーブル前にあぐらをかいて座った。一方の長門は先に用意していたお茶を注いでいる。
カレーとは違ってこちらは二人分だった。
「すまないな、わがまま言っちまって」
「わたしは構わない」
 長門の言葉。俺はじっくりと手を合わせてから、スプーンを取りカレーを口に運ぶ。
 オフクロとケンカ云々は長門のそばにいるためのでっち上げだから、夜飯はきちんと取っていたため満腹ではないものの
腹に何かを入れるような状態ではなかったが、ゆっくりと口に運んで飲み込んでいく。出してもらった以上は全部食べないと失礼だからな。
 しばらく食事を続けていた俺だったが、皿の上のものが残り半分ぐらいになった頃、長門がこっちをじーっと見ていることに気がついた。
俺の長門レーダでも判別しづらい雰囲気だったので、何を考えているのかは読めなかったが、何かを言いたそうにしているのはわかった。
 俺は一旦スプーンをおいて持参していたポケットティッシュで口を拭き、
「俺のことなら気にするな。別にお前に失望したとか怒ったとなんてこれっぽっちも思っていないぞ」
「…………」
 長門は沈黙で返す。
 しばらく二人で見つめ合う状態が続いたが、ほどなくして長門が口を開く。
「わたしはあなたとの約束を反故にした」
「約束?」
「守ると言った。だが、それを守らなかった」
「長門それは――」
 すぐに俺は長門に反論しようとしたが、彼女は俺の話も聞かず、
「朝倉涼子の襲撃は知っていた。だが、わたしは自らの活動停止を恐れ、内部エラーを継続的に蓄積させた。
その結果、あなたの危機的状況にもかかわらず何もしないという最悪の選択肢を選んだ。許される話ではない」
「おい――」
「なぜそのようなことを行ったか。わたしの最優先事項はあなた、そして涼宮ハルヒの保全にあった」
「長門」
「理解できない。自分で自分の行動が理解できない。喜緑江美里によって強制的に同期を受けてもなお判断が付かない。
わたしはまだあなたに対する脅威を排除することよりも、自らの存在持続を願っている。理解不能、理解できない――」
「……長門」
 俺は長門の独白があまりにも痛々しく感じてしまい、思わず両肩をつかんでしまった。そして言う。
「いいか、長門。喜緑さんや朝倉にも言ったが、それは当然のことなんだ。死にたくない、生きたい。俺だったそうさ。
お前が俺の代わりに死んでくれなんてこれっぽっちも思ってはいないが、死にたくないとは考えている。ある意味矛盾だ。
だが、間違ってはいないと思う」
「わたしはあなたを見捨てるという選択肢は取りたくない。また取るべきでもない。あなたの生命活動が停止すれば、
涼宮ハルヒは膨大な情報フレアを発生させ、最終的にわたしのインターフェースも停止する。朝倉涼子の排除を実施したときと
同じ結果が待っている。それにも関わらず、なぜわたしは――」
「理屈じゃないんだ。無理に理解したり説明しなくてもいいんだよ。というか不可能だ。俺も出来ないからな」
「結果が同じならば有益な方法を選択しなければならないはず」
「パトロンどもがどういう計算やシミュレーションをしているのか知らないが、仮に俺が生き残って長門が消えちまっても
ハルヒは同じことをすると思うぞ。以前とは違ってあいつにとってもうお前は欠かせない存在だ。いや、長門だけじゃなく、
朝比奈さんも古泉も、もうSOS団から一人として脱落者を出すことを許さないだろうよ。俺も同じだ。
だからお前が犠牲になるのは利害とか結果論とかから見ても決して正しい判断なんかじゃない」
「……しかし……わたしはあなたを失いたくない……」
 詰まったような声を上げる長門の頭を、俺は抱きしめると、
「ありがとな。お前がそこまで思ってくれているだけで俺は果報者だよ。だが、俺もお前と同じ気持ちで、長門に死んでほしくない。
生きるって言う選択肢を取ってほしい」
「…………」
 長門は何も答えなかった。
 
 その夜は長門と一緒に夜通しいろんなことを話した。
 最初にあったときのこと。
 SOS団結成の時のこと。
 ハルヒにいろいろ引っ張り回されたこと。
 ――――
 ――――
 ――――
 
 
 俺はまぶたの上からでも入り込んでくる光と、小鳥のさえずりが耳に入ってくることに気がついた。
 ゆっくりといつの間にか閉じていた目を開けると、部屋の中にまばゆい朝日が入り込んできている。
「……んん?」
 身体のだるさと思考能力の低下に思わず声を上げてしまった。何だ、まるで寝起きみたいな感じだが……
 だが、俺は何気なく天井を見て思わず目を見開いた。
「…………」
 そこには俺を見下ろす長門のドアップがあったからだ。しかも、頭がついているのは堅く冷たい床ではなく、長門の膝。
 つまり、あーなんというか……今俺は長門に膝枕状態って訳で……
「うわっ!」
 あまりのシチュエーションに俺は飛び上がってしまった。いかん、いつのまにか眠ってしまっていたのか!?
つーか、何で長門の膝枕で寝ているんだ俺は!
 俺はとんでもないことをしてしまったと思って両手で手を合わせ、
「すまん! いつの間にか寝ちまっていたみたいだ! 許してくれ!」
 そう深々と頭を下げて謝罪する。
 だが、そんな俺に長門は数ミリ首をかしげるだけ。なぜ謝っているのか理解できていないんだろうか。
 ほどなくして長門はすっと立ち上がり、
「お茶を入れる」
 そう言ってテーブルの上に放置されていた急須と湯飲みを手にとって台所に向かおうとする。ふと、カレーの載っていた皿に
視線を向けると、
「それとも朝食?」
 
◇◇◇◇
 
 俺はオフクロに無断外泊のことについて謝りの電話を入れてから――なんか返ってきたのは、小言のようでそうでもなさそうな
妙な話だったが――長門ともにマンションを出る。
 行き先は決めていない。登校の時間ではあるが、正直学校には行く気がしなかった。もちろん、運命の時間になったら
北高の俺の教室へは嫌でも行かなければならないが。
 家に戻るつもりもなかったので、私服の俺と制服の長門というアンバランスな組み合わせで住宅街を歩く。
 しばらく歩き、河川敷沿いの道に入った辺りで、俺の携帯電話が鳴った。時刻はちょうど北高では一時間目が終わり、
二時間目授業前休憩だ。発信相手なんて見なくてもわかる。
「何だ?」
『なんだ、じゃないわよ。何で学校に来ていないわけ? さぼり?』
 電話の向こう側からハルヒのキーキー声が響いてきた。俺は少し携帯を耳から話してハルヒの声を抑えつつ、
「そんなところだな」
『めずらしいわね。壊滅的な成績とは逆に、出席日数だけはしっかりしていたのにさ。嫌なことでもあった?』
「ベラベラしゃべれることなら素直に学校に行って、お前相手に愚痴っているさ」
 俺が返した言葉に、むすーっとしたような吐息が聞こえてくる。
 ハルヒはしばらく黙っていたが、ほどなくして、
『……ねえ、あんたひょっとして今誰かと一緒にいる? まさか有希じゃないでしょうね?』
 なんて勘の鋭い奴だ。こいつにはテレビ電話は必要ないな。口調と息づかいだけで全てを見抜かれそうだ。
 俺は内心の焦りを隠しつつ、
「いや一人だよ。何でそんなことがわかるんだ」
『あんた隠し事が下手だもん。すぐにわかるわ。有希は全然電話に出てくれないしさ』
 いつの間にか、俺の行動パターンをすっかり解析されている気がしてきたぞ。それはそれでぞっとする話だ。
 そんなハルヒに嘆息しつつ、
「とにかく一人だよ。あまりよくない気分なんでな。誰かに八つ当たりする前に一人でぶらぶらしていようと思っただけさ」
『ふーん』
 俺の頭にジト目のハルヒの顔が浮かんだ。なんだかんだでこいつもわかりやすい気がする。
 ほどなくして、ハルヒはわざとらしいため息をつくと、
『まあいいわ。誰にだってそう言う日はあるしね。でもなんか悩み事があるなら、団長であるあたしに相談しなさいよ。
アドバイスぐらいならタダでしてあげる。あ、でも解決するのはあんただからね。でないと意味がないし。今日も普通に部室にいるから
気が向いたら来なさい』
「ああ、わかったよ」
 そう言って俺は電話を切ろうとしたが、ふと――何となく、
「なあハルヒ」
『なに?』
「ありがとな」
 俺の言葉が想定外のものだったんだろうか、はっきりと言葉に詰まったような間が開いて、
『バ、バカいってんじゃないわよ。団長なんだから例えキョンみたいな平団員でも悩みを聞いてあげるのも仕事なの!
それだけなんだからね!』
 なんかやけにムキになって言い放つとそのまま電話を切ってしまった。全く向こうからかけてきておきながら一方的に切るなよな。
 俺は携帯をポケットにしまうと、
「すまん、もう大丈夫だ」
「…………」
 無言のままの長門と一緒に歩き出した。
 
 意味もなく三時間ぐらいぶらぶらと歩いた後、さすがに疲れてきたので通りかかった公園で一休みすることにする。
設置されていた自販機でペットボトルのジュースを買い、二人でベンチに座った。長門も飲み物がいるかと訪ねたが、
首を軽く振って断られた。
 俺はふたを開け、一気に半分ぐらいの水量を喉に流し込んだ。結構歩いたせいか喉がからからになっていたようで、
やけにうまく感じてしまう。
 しばらく飲んではぼーっとしての繰り返しを続けていたが、ふと長門がじっと俺を見つめていることに気がついた。
「ん、なんだ?」
 俺の問いかけに長門はしばらく沈黙していたが、やがて、
「……なぜ」
「なぜ?」
「あなたは自分の身に危険が迫っているのに、とても冷静に見える。わたしの知る限りの情報――また、以前の朝倉涼子の暴走の時とは
明らかに異なる。それはなぜ?」
 長門の指摘に俺はなぜなんだろうかと少し頭を働かせてみた。
 答えはあっけなく見つかった。
「俺にもはっきりとはわからないが、たぶんいろいろあって慣れてちまったんだろ。二度殺されそうになったし、
自分以外でも朝比奈さんが目の前で誘拐されたりとか、古泉たちの芝居だったとはいえ、殺人事件にも巻き込まれたからな。
あとは――」
 またペットボトルを一飲みして、
「きっと俺か長門かっていう選択になっているせいもあると思う。これが例えば交通事故に遭うけど絶対に避けられませんとかだったら
きっと大いに大いに荒れて、自暴自棄になって何をしでかすかわからなかったかもしれない。だけどな、言い訳じみているが、
俺が生きようとすれば長門が死んじまう――長門だからってのも変か。きっと顔見知りの誰でも同じことを考えていたはずさ。
ここで無理やりにでも生き延びようとするってことは、別の誰かの命を犠牲にするってことで――ええと、つまりだ。
それは俺が殺したもの同然ってことだろ? それじゃ人殺しじゃないか。そんなのはできねえ」
 そうはっきりと答えると、長門はうつむき、
「昨日あなたが眠っている間に、無意識下での言葉を述べていた。それは今まであなたが経験してきたことを
羅列した内容だった。あなたが歩んできた全てのこと」
 うあ、寝言言っていたのか俺は。相手が長門とはいえ、これは恥ずかしいなんてもんじゃない。穴があったら、
大ジャンプして飛び込んだあげく地下から蓋をしたい気分だ。
 さらに長門は続ける。
「あなたにはすまないと思っている」
 突然の謝罪に俺は少しむっとして、
「よせ謝るな」
 だが、長門は俺の言葉も聞かずに続ける。
「朝倉涼子の排除を明らかにわたしの内部エラーが妨害している。本来であれば、自らの記憶を消去して対処するべき話であるが、
わたしにはどうしてもそれができない――できない……」
「……バカ野郎」
 俺は長門の言葉に対して、少し怒気を込めた声を返した。そして言う。
「いいか、安易にそんなことを言うんじゃねえぞ。はっきりと言ってやるが、お前が生きてきた時間は決して無駄じゃねえ。
一分一秒全てがお前の財産で、消し去ったら二度と返ってこないものばかりだ。それを軽んじるようなことはやめろ」
「だが、それはあなたにも言える。このままではあなたは有機生命体の活動停止という形で全て失ってしまうことになる。
それでもいいのか。未練はないのか」
「……未練か」
 長門の言葉を復唱してしまう。
 未練なんて腐るほどあるさ。人生これからだと思っていたし、高校に入ってSOS団でいろいろなことを体験もしたさ。
心残りも無数にある。
 だが――
「これが究極の選択の結果なら仕方がないと思うしかないんだよ。俺か長門か。だったら俺は自分の命を差し出す方を選択する。
それだけだ。それ以外何も答えようがない……」
「わたしはある。涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹、そしてあなた。全てに未練がある。それが適切な対処の妨害要因」
 その言葉を聞いてから俺はすっと立ち上がり、
「その気持ちを大切にしてくれ。長門の仕事はもう次に言っているんだ。俺が消えた後、ハルヒがばかげたことをしないようにするっていう
すごく重要な仕事がな。かなり骨が折れるだろうが、お前に託したい」
「…………」
 長門はうつむいたまま何も答えない。
 俺は軽く嘆息すると長門に背を向けて、
「まだちょっと早いが、そろそろ北高に行くよ。やっかいごとだけ残して退場ってのは気が引けるが――ハルヒたちを頼む」
 そう手を振って、俺は北高へと足を進めた。
 ――決して背後を振り返ることなく。
 
◇◇◇◇
 
 北高生徒のいない昼下がりのハイキングコースを俺はゆっくりと上っていく。この時間帯に上るってのも新鮮だな。
まるで初めて歩いているような気分だ。
 しかし、長門に格好良く決めた俺だったわけだが、やはり所詮は凡人スペックだったためか、じわりじわりと運命の時間が
近づくにつれて足取りも重くなっていった。正直なところ、このまま逃げ出したらどうなるんだろうとか考えてしまう。
だが、それも無駄なことだろう。場所が変わるだけで朝倉が出現することには違いはないはずだ。
 ならば、どうにかして俺も長門も生きながらえる方法はないのか? もっと早く考えておくべきことだったのに、
なぜか今更ぽんぽん頭に浮かんでくる。
 例えば誰かに助けを求めてみてはどうだろう。古泉なんかどうだ? 機関はそれなりに大きい組織だからな。
襲いに来た朝倉にも対抗できる――駄目だ駄目だ。例え米軍全戦力を動員できたところで朝倉を倒せるとは思わないし、
仮に倒しでもしたらそれは長門の死を意味する。冗談じゃない。なんにも変わっていないじゃないか。
 なら未来人ならどうか。朝比奈さん(小)ではたぶん対応はできないだろうが、もうちょっと権力を持っていそうな朝比奈さん(大)を
どうにかして呼び出し、俺が生きていられるように過去や未来を改変してもらって……それも望み薄だな。というか、やるならとっくに
やっているんじゃないか? 未だにさっぱり朝比奈さん(大)から連絡はこないことを考えると、未来人でも手の打ちようがないか、
あるいは――あまり考えたくないがここで俺か長門に死んでもらった方がいいと思っているのかもしれん。
 ほかには……鶴屋さん? あの人は多少関わりがあるぐらいで基本的に一般人だ。巻き込みたくはないな。生徒会長じゃ
どうにかできるわけがない。喜緑さんは前にも考えたとおり今後は傍観しているっぽいから却下。
 ならばいっそのことハルヒというのはどうだ。切り札であるジョン・スミスは俺だとばらせば……それで何が変わる?
ハルヒがびっくりしていろいろ起こるかもしれないが、時間になったら結局朝倉は現れるだろう。全く意味がない。
へたをしたら事態をややこしくするだけかもしれん。
 ぶつぶつと考え込んでいたらいつの間にやら北高の校門前にたどり着いていた。昼間の北高を外から眺めると
やっぱり何かいつもの学校とは違うように見える。
 私服姿ということもあり、俺は教師に見つからないようこっそりと進入し旧館の陰に身を潜め、予定時間までやり過ごすことにした。
あとで校舎に入らなければならないが、放課後なら忘れ物をしたとか適当にごまかせるだろう。
 ふと旧館の壁に背中をもたれているときに気がつく。
「ちっ……」
 知らず知らずのうちに震える手に、俺は思わず舌打ちしてしまった。ちくしょうめ、ここにきてびびってんじゃねえよ。
俺は長門を救うために来たんだと考えろ。それなら誇りに思えるってもんだ。
 
◇◇◇◇
 
 ぼちぼち日が傾き、空に徐々にオレンジから深い青へのグラデーションが展開されるようになった辺りで、
俺はできるだけ人に見つからないように、旧館の裏から出て校舎に入った。ここでハルヒたちに見つかったら面倒だからな。
特に朝比奈さんと古泉はなんやかんやで引き留められたりしたら、一緒に朝倉に襲われて巻き添えになりかねん。
ここまで来てそれは勘弁願いたい。
 俺はそそくさと昇降口で靴を履き替えると、自分の教室へと向かった。まるで途中登る階段はまるでエスカレータを逆送しているように
――いや、たぶん俺自身が逆送してくれと無意識下で願っているんだろう。やたらと苦労して登る羽目になった。
 とはいえ、現実には逆送するはずもなく、一歩踏み出せば教室に近づくのは否定使用のない現実であって――ええい、いい加減
うっとうしいぞ、俺。
 …………
 …………
 …………
 そして、ついに俺の教室の前に来た。扉は閉まっていた。
 ここを開けば全て終わる。何もかもだ。いいことは何もないが――いや胃痛から解放されるのは助かるか。
 そんなことを考えつつ、俺はつばを飲み込み、一度大きく深呼吸して――
 
 教室の扉を開けた。
 
 
「あら、自分の足で来たんだ。思ったより度胸があるじゃない」
 夕日が差し込み赤いフィルターがかけられた教室の中に、朝倉涼子が一人立っていた。運命の時刻が下校時間ギリギリでよかったぜ。
真っ昼間の教室とかだったら大騒ぎになって面倒なことになっていただろう。
 俺はそういや最初に朝倉に襲われたときも同じような教室だったことを思い出した。あの時は誰の呼び出しかもわからなかったし、
朝倉が目の前に現れても殺されるなんてこれっぽっちも考えなかった。それがわかっていたらとっとと逃げ出していただろう。
ああ、当時の俺なら本気で長門に後よろしくとか行って逃げ出したかもしれん。一人でここにこれたのも人間的な成長の証だと
いうことにしておくか。
 俺は震える腕を押さえ、緊張でつっぱっている筋肉に逆らいつつ朝倉の前に立ち、
「度胸も何もねえよ。他に選択肢がなかったから来たんだ」
「ふーん。結構事なかれ主義なのね。以前はあんなに嫌がっていたじゃない。つくづく有機生命体の考えることはわからないわ」
「一方的に殺されそうになったあの時と、今の状況を一緒にするんじゃねえよ」
 朝倉の笑顔のままだ。思わず毒づきたくもなる。
 さあ、どうなる? どうする?
 ここで朝倉はすっと片手を背中に回し、次に俺の見える位置にそれが戻ったときにはあの凶悪きわまりないナイフが握られていた。
またそれかよ。ナイフマニアか? 俺を殺すならそんなものを使う必要なんてないじゃないか。
「だって本気でやっちゃったら、一瞬であなたを殺しちゃうじゃない。でもわたしはまだ諦めていないの」
 朝倉はそう言い放ったのと同時に、こっちへ斬りかかってきた。俺はすんでの所でそれをかわすが、足下のバランスを崩して
床に盛大に転んでしまう。
「でもやっぱり逃げちゃうのね」
 ナイフ片手に、こちらを見下ろしている朝倉に、俺の額から冷や汗がだらだらと流れ落ちた。
 なにやら腹の辺りがすーすーするから見てみると、ざっくりと俺の上着が切り裂かれている。幸いなことにかすっただけみたいで
身体には傷は付いていなかった。
 俺はちっと舌打ちをすると立ち上がり、
「とっとと殺せよ。それともいたぶるのがお前の趣味か?」
「そんな非効率的なことは理解できないな」
 すぐさま朝倉は再び斬りかかってきた。
 ナイフの刃先が顔面めがけて飛んできたが、わずかに軌道が逸れ、耳に風を感じるほどの距離を通過する。
 ここで気がついたが、いつの間にか教室内は夕焼けの紅ではなく新月の夜のような薄暗い状態になっていた。
出入り口どころか窓も全て壁に変貌しているから光なんて入ってこなくて当然か。以前と同じように朝倉が俺を逃がさないように
教室を外部とは封鎖したんだろう。
 絶命寸前を体験したおかげで、俺の全身から血の気が引く音が聞こえた。
 朝倉は俺にナイフを突きつけたまま、
「すぐには殺さないわ。まだ長門さんがここに来てくれるかもしれないからね。できるだけあなたを苦しめて、引っ張り出すつもりよ。
だから簡単には殺さないわ」
 この野郎。やっぱり異常者だ。狂っているとしか思えねえ。
 だが、いくら俺をいたぶっても長門がこんな光景を見ている訳じゃないから意味はないはずだ。
「その辺りは大丈夫。もう知っているでしょうけど、今のわたしと長門さんは事実上の一心同体。だから、こうやってあなたを
痛めつけているっていう状態は長門さんにも全部伝わっているわ。すごいエラーよ。自己崩壊でも起こしちゃいそう」
 この外道女め!
 さらに朝倉はナイフを高々と掲げると、
「ちょっとは傷つけた方がいいかしら――ね!」
 もう見事としか表現できない動きで、ナイフがきれいに弧を描く。空振りかと思ったが、すぐさま俺の右腕の肩付近に
しびれるような痛みが走った。見れば、袖の辺りが切り裂かれすぐに切り口付近が血に染まり始める。いってえなちくしょう!
 痛がる俺に対し、朝倉は少しがっかりしたような顔になり、
「まだ来ないわ。ねえ、そろそろ本気で長門さんに失望しちゃったんじゃない? だって助けに来てくれないのよ?」
 それだけは絶対にありえねえ。
 俺は無我夢中で朝倉から距離を取り、置かれていた椅子を持ち上げて殴りつけた。
「無駄よ」
 俺の渾身の一撃も朝倉に片手一本で軽々止められ――それどころか、椅子の方があっという間に変形してしまった。
しかもそれで終わりじゃない。椅子は長い先端の鋭い一本の棒になり、それで俺の肩辺りを突き刺したのだ。
 かつて味わったことのない痛みに、意識が吹っ飛びそうになったがすんでの所で俺は耐えきってしまった。やれやれ、いっそ気絶した方が
よかったってのに。
「痛い? でも安心して。ちゃんとあまり出血しないところに指したから、この程度じゃ死なないわ。痛みはひどいかもしれないけど」
「くそっ!」
 俺はその俺を貫いている棒を握って身体から抜こうとする。出欠がひどくなるかもしれないが、このままでは身動き一つとれずに
拷問状態になるだけだ。
 朝倉はくすりと笑みを浮かべ、
「あなたも強情ね。言っちゃいなさいよ。長門さんに助けてって。死にたくないって。そうすれば来てくれるかもしれないわよ。
わたしもそうしてくれると嬉しいな」
「ふざけんな! それだけは絶対にいわねえぞ!」
 そう全身を引きされそうな痛みに耐えながら叫んだ。くっそ、胸くそ悪いことに拷問は効果的とかばかげた考えが浮かんでくるぜ。
 あくまでも拒否の姿勢を貫く俺に対し、ほうっと朝倉はあきれた溜息をついて、
「あなたに来るなって言われているのが、長門さんの行動を抑える最後のキーになっているみたいね。それならあなたの口から
助けてくれと言わせるのが一番手っ取り早いか」
 朝倉はそう言うとナイフを振り上げて、
「片腕を切り落とすわ。大丈夫、失血死やショック死はしないように情報操作するから安心して。ただ痛いだけよ」
 その痛いってのが一番重要じゃねえか!
 俺は次に来るであろう激痛に耐えるべく目を閉じようとして――気がついた。朝倉の背後に誰かいる。
朝倉のちょうど頭の部分に空中停止している黒い人影がくるっと一回転して、そのまま猛烈な蹴りを朝倉の側頭部にお見舞いした。
 鈍い音が響き、朝倉が目にもとまらぬ早さで吹っ飛ばされた。その威力は半端ではなかったらしく、教室の机をボーリングのピンの如く
次々となぎ倒して最後は教室の後ろの壁に激突した。
 俺ははっと気がつき、
「長門!?」
「…………」
 朝倉を蹴り飛ばしたのは他でもない長門だった。
 俺は思わず、
「バカ野郎! なんで来た!?」
 そう怒鳴ってしまう。ここで朝倉を消してしまえばお前も消えちまうんだぞ。
 しかし、長門は俺の問いに答えずじっと朝倉を見つめていた。表情は相変わらず無表情だったが、もう俺でなくてもわかるぐらいに
全身から感情を噴出している。それは――
「ホント、何しに来たの?」
 机の残骸から朝倉が立ち上がって、今までとは矛盾したことを言う。だが、俺にもその意味はすぐにわかった。
 長門は一歩朝倉へ近づき、
「あなたを排除するため」
「嘘。長門さんの頭は未練でいっぱいじゃない。消えたくない、今を失いたくない。あまりにそんな言葉を繰り返すからわたしの情報も
混乱しちゃいそうだわ。でもその男を失っても涼宮ハルヒによる情報爆発が起きて、あなたも消滅するんだから、明らかに矛盾よね」
 朝倉はそう言うと、自称エスパーがやるような手品のごとく床に落ちていたナイフを手に戻す。
 ここで俺は自分に突き刺さっていた鋭利な棒が肩から消えてなくなっていることに気がついた。ナイフで切り裂かれた服も
新調したばかりの服のようにきれいに修復されて、身体の傷も癒されて痛みがなくなっていた。長門がやってくれたのか?
 その問いに長門は。
「まだ対処方法があるかもしれない」
「え、ひょっとしてあなたも生きてその男も助かる方法があると思っているの? ひょっとして時間切れを狙っている?
残念だけどそれはないわ。だって、あなたがわたしの情報連結解除を実施しない限り、わたしは止めることは不可能。
一番それをわかっているのは長門さんじゃない」
「なにかが起きる可能性は否定できない」
「そんな論理的思考から逸脱した――有機生命体のいうところの希望とか奇跡ってもの? そんなのを信じているなんて
本当に長門さんらしくないわね」
 笑みを浮かべる朝倉。
 ええい、いっそのこと舌をかんで死んでやろうか。そんな度胸があるなら、ここに来る前にとっくにやっているだろうがな。
結局のところ、俺もまだ『なにか』が起きてくれるのを願っていたのかもしれない。それは決して長門が代わりに犠牲になることでは
ないとだけは断固として認めはしないが――
「――うわっ!?」
 思わず情けない悲鳴を上げちまったが見逃してほしい。なぜなら、俺の身体がまるで原子分解でも始めたかのように、
手足の先からさらさらと散っていたんだから。
「あなたをこの封鎖された空間から外に出す。あとはわたしに任せてほしい」
 ぽつりと長門がこちらに背を向けたまま言う。表情が見えなかったためか、脳内で感じ取ったその顔は迷いに
にゆがんでいるような気がした。
「長門! 俺はこんなことは望んじゃいねえって言ったはずだ!」
「朝倉涼子への対応はわたしの仕事。それを果たすだけ」
 あくまでもこちらに視線を合わせないようにする長門。そんなことを言っている間に、俺の身体がもう顔を残すだけになっていた。
 と、ここで朝倉が口を開き、
「しょうがないなぁ。長門さんこんな状態じゃわたしも破壊するなんて気分になれないけど、期限まではもうちょっとあるから、
ちょっとだけ付き合ってあげる。それでも駄目なら、またあなたの前に現れるからよろしくね」
 やれやれと言いたげな表情を見せてきた。
 長門はそれを完全に無視して、少しだけこちらに視線を向けると、
「朝比奈みくる、古泉一樹、そして涼宮ハルヒに伝えてほしい」
 ――その目は未練と悲しみの色に染まっていた――
「さようなら――またあなたと図書館に行きたかった」
 
 俺の意識が暗転する……
 
◇◇◇◇
 
「痛て!」
 俺は背中から落下して、全身が硬直するほどの痛みが駆けめぐった。すぐに目を開けてみると、濃さを増した夕焼けのオレンジに
浸食され尽くした廊下が視界に広がる。どうやら、俺の教室の前にいるみたいだ。
 って!
「長門!」
 俺は背中の痛みも無視して教室中に駆け込んだ。しかし、そこは何事もなかったかのような無人の教室に机と椅子が広がるばかり。
叫び声もむなしく反響していった。
 冗談じゃねえよ。駄目だって言ったじゃねえか。お前が犠牲になったって同じなんだって言ったじゃねえか。それなのに――
 
 俺は脱力の激しい足を引きずり、校舎内を彷徨う。
 結局、長門が同期した未来とは変わったんだろうか。いや、まだ長門は迷っていたようだ。このまま朝倉を排除できなければ、
再びあの猟奇殺人鬼は俺の前に現れるだろう。
 正直、気分的には何度も繰り返しているようにその方がよかった。これじゃ、俺が長門を殺したようなものだから。
 どのくらいふらついただろうか。気がつけば、文芸部室の前に立っていた。ここに来てしまうのはやはり習性だからか。
それとも無意識にハルヒたちにすがりつきたい気分だからか。
 扉を開けて中に入ると、中には誰もいなかった。ただ鞄が置かれパソコンのファンが回りっぱなしなのを見ると、
ちょっと外に出ているだけだろう。
 俺はくたくたの身体が吸い付けられるように椅子に座った。
 なんもやる気がしねえ。ひどい倦怠感だ。
 …………
 …………
 …………
「――全くキョンはだらしがないのよ。団員である意識が足りないんだわ。明日その辺りをはっきりさせてやらないとね」
「しかし、彼がこのような行動を取ったのは初めてです。少々心配でもあります」
「キョンくん、何もなければいいんだけど……長門さんも全然連絡が取れないし……」
「有希は本当にどうしちゃったんだろ……大丈夫かしら」
 俺を包囲していた鬱々な沈黙を突破してきたのは、ハルヒたちの声だった。どうやら下校時間に近づいたため、部室に戻ってきたらしい。
 先頭で入ってきたハルヒはすぐさま俺の姿に気がつき、目を丸くする。
「ちょっと、あんた何やっているのよ?」
「俺はSOS団の平団員だろ? ここにいたっていいじゃねえか」
 ついつい無愛想な言葉を返してしまって俺はちくりと心が痛んだ。ハルヒも少々驚いたのか、少しだけ唖然とした表情を見せる。
だが、すぐにいつもの顔に戻って、俺の前に立つと、
「本当に元気ないわね。そんなリストラされたサラリーマンみたいな顔してんじゃないわよ。みんなに伝染しちゃうじゃない。
あ、そうだ。あたしが気合いと元気を注入してあげよっか。プロレスラーの儀式みたいに背中をパーンとやってね。
ほら背中出しなさい。あたしの手のひらの形をつけてあげるわ」
 やめろバカ。痛いだけで何にもならねえ。勘弁してくれ。
 そこに古泉と朝比奈さんがやってきて、
「しかし、安心しました。あなたの姿を見る限り、平常とは言い難いですが、こうしてここに足を運べるだけマシと言えますからね」
「キョンくん、お茶入れますか? 昨日とってもおいしいのを見つけて買ってきたんですよ」
 二人の言葉に、普段なら俺は安心感を覚えただろう。だが、今は逆に気分が沈んでいった。
 ちらりと窓際に置かれた無人のパイプ椅子を見る。あそこにはいつもなら長門が座っていた。口を開くことはないだろうが、
それでもその姿は確実に存在していた。だが、今はいない。一人かけたSOS団。それがここまで色あせて見えるとは――
 ここではっと気がつく。俺の前に立っていたハルヒの顔色が見る見ると変化して言っている。
 すぐさまハルヒは俺の胸ぐらをつかみあげ、
「有希ね? あんた有希のことでなんか悩みがあるんでしょ!?」
「い、いやそれは――」
「嘘つきなさい! 単純明快を地平線の彼方まで突っ走るあんたの嘘なんて、いたずらをした子供よりも簡単に見破れるわ!
有希に何かあったのね!? あんたはそれが何なのか知っているんでしょ、答えなさい! それともあんたが有希に何かしたって言うなら
絶対に許さないわよ!」
「…………」
 俺は口ごもってしまう。俺が何かをしたのかと言われればNOだが、身代わりになったのだからYESとも答えられる。
 あっという間に重くなった部室内の雰囲気に、朝比奈さんと古泉も身を硬直させていた。
 ハルヒの力強い視線に根負けした俺は、
「長門は……ひょっとしたらもう戻ってこないかもしれない」
「な……」
 予想外の返答だったのか、ハルヒは絶句する。だが、すぐに気を取り直してさらに俺を締め上げると、
「どういうこと!? 事情を説明しなさいよ!」
「詳しくは説明しようがないんだ。言えるのは長門は俺の代わりになろうとしている。まだ、そうなったとは限らないし、
あいつがどう判断するかはわからねえ。万一、長門がここに戻ってきたときは、俺が消えることになる」
「何よ……なんなのよそれ……」
 訳がわからないと、頭を抱えるハルヒ。そりゃこんな端的な説明じゃ理解しろって方が無理だよな。とはいえ、最初からじっくり説明すると
明日の朝までかかっちまいそうな上、作り話として受け取られかねん。
 と、ここでハルヒは急に頭を振り、
「ああもう、細かい事情はどうだっていいわ。有希が戻ってきたら、あんたから残らずほじくり返せばいいだけの話だから!
そんなことよりどうすれば有希がここに戻ってこれるの!? もちろん、あんたが代わりに消えるなんて言うふざけたことは
却下だからね!」
 ああ、そんなことは考えたさ。どうにか回避できる方法はないか、二兎を追って二兎とも手に入れる方法をずっと考えたさ。
だがな! 何にも思いつかなかったんだ! そんなことをかなえてくれそうな奴もいなかったんだよ! だからこんなことに――
「――ふざけんなっ!」
 ハルヒの限界を超えた怒声に、俺の聴力が吹っ飛びそうになった。同時に唾が降りかかるまでに顔を突きつけてくる。
その怒りで真っ赤に染まった顔に俺は渦巻いていたもやもや感が全て吹っ飛ばされる。
 俺を締め上げたままハルヒは続ける。
「あんた、なに勝手なことをやってんのよ! 考えた? でもなにも思いつかなかった? バカなことをいわないで!
たった一人――ひょっとしたら有希も一緒に考えのかもしれないけど、それでも二人よ? たった二人で考えて結論を出して
あきらめたって言うわけ!? 有希は無口ないい子だからほかに相談できなかったかもしれないけど、あんたは違うじゃない!」
「だったらどうすりゃよかったんだよ! 誰にも頼れず、助けも求められなかったんだぞ!」
「――あたしたちに相談しなさいよ!」
 ハルヒの言葉に俺ははっとなった。
 さらに続ける。
「相談してくれればよかった! そりゃ朝にも電話で言ったとおり、あんたと有希の問題なら解決できるのはあんたたちだけよ!
だけどね、相談にのって知恵を貸したりアドバイスするぐらいならできるわ! なのに、あんたはそれをしなかった!
それともなに? あんたはここにいる全員よりも賢くて、自分に思いつけないことはあたしたちにも思いつけないとでも
考えていたわけ? うぬぼれるのもいい加減にしてよ!」
 ――――
 ――――
 バカだ、俺は。
 大馬鹿野郎にもほどがある。
 そうだよ。なに勝手に考えて結論を出してあきらめてやがる。
 ハルヒの言うとおり、相談すればよかった。
 解決方法が見つかるかどうかなんてわからない。
 だが、自分の中で相談しても無駄だと考えるよりかはずっといい。
 こんな説教されるまで俺は全く気づけなかった。
 我ながら情けないと思う。
 本当の意味でハルヒたちを信じ切れなかったんだから。
 そうだ。
 ここにいる全員で考えればよかった。
 全員で立ち向かえばよかった。
 勝手に俺と長門の二人の世界に閉じこもらずに。
 結果が出るかどうかなんてしらねえ。
 んなもん、やってみないとわからねえだろうが。
 …………
 俺は顔を引き締め、ハルヒの肩をつかむと
「すまん。お前の言うとおり、バカだ俺は。それも究極的なバカだよ」
「わかればいいのよ。ぼさぼさしている場合じゃないわ。すぐに――」
「ハルヒ」
 ぐっとハルヒに顔を近づけると、
「長門に会いたいか?」
「当たり前よ! 今すぐにでも!」
「だったら願ってくれ。ほかのことなんて考えなくていい。長門に会いたい、助けたい。それだけを強く考えてくれ。
そうすればあいつのものにいけるはずだ」
 そんな俺の言葉に、ハルヒは少しだけ疑問符を浮かべたが、すぐに頭を振って目をつぶった。ぼそぼそと何かをつぶやき始める。
恐らく長門に会いたい的な内容を言い続けて自己暗示をかけているんだろう。
 俺は黙ってこちらのやりとりを見ていた朝比奈さんと古泉に振り返り、
「朝比奈さんたちも同じ気持ちでいいんですよね? 長門に会いたいって」
「は、はい! わたしも会いたいです――いなくなってほしくないですっ!」
「僕も長門さんに消えてしまわれては困りますね。副団長として団員の身を案じるのは当然のことですから」
 二人の返答に、俺は安堵しつつハルヒの肩をつかむ手の力を強め、
「みんなで行くぞ! 長門を助けにな!」
 
 
◇◇◇◇
 
 声が聞こえる。
「まだ吹っ切れないの? もう時間なんだけどな。これ以上は待てないよ」
「……わたしは」
「口だけでいくら言っても同じことよ。長門さんはわたしを排除できない。消えたくないから」
「…………」
 姿がぼんやりと見えてきた。呆然と立ちつくしている長門に詰め寄る朝倉がいる。
 と、ここで朝倉がすっと長門に向けて手を伸ばし、
「最後にちょっとだけあなたに損傷を与えてみるわ。わたしも消耗しちゃうけどそれは仕方ない。それでもあなたの意思が
変わらないなら――もうこれ以上は限界だから彼を殺してくるわ。それでわたしの役目も終わり。あーあ残念。
長門さんを完膚無きまで破壊したかったのに」
 その伸ばされた腕が光る凶器に変貌する。そして、長門めがけて振り下ろされようとした時――
「――うそっ!?」
「…………」
 二人とも絶句した。なぜなら、二人の間に割ってはいるようにハルヒが現れ、朝倉の凶器を手で受け止めていたからだ。
これを背後から見ていた俺はハルヒも一緒に叩ききられないか心配になったが、どうやらうまい具合に腕の根っこの部分をつかんでいるようで
その心配はなさそうである。
 ここでようやく俺は朝倉の封鎖した領域に戻ってきていたことが自覚できた。俺の脇には厳しい顔をした古泉と、少々怖がっている
朝比奈さんの姿もある。
 朝倉は状況が理解できないのか、困惑の表情を浮かべていた。長門も表情には出さないが、そういうサインを全身から放っていた。
 一方のハルヒは度胸が据わっているのか、それとも長門に手をかけていた朝倉に対して怒りを爆発させ周りが見えなくなっているのか
窓一つない異常な空間に全く疑問を持っていないみたいだった。おまけに子供が見たら逃げ出すほどの激怒の表情を露わにしている。
「朝倉っ……あんた有希になにやってんのよっ!」
 ハルヒの怒りMAXの叫び。ひしひしと長門を思う気持ちがこっちまで伝わってくる。
 この辺りでようやく朝倉は事態を把握したのか、呆れ顔になり、俺の方に視線を向けて、
「まさか……ね。こんな手で来るとは思ってみなかったわ。あなた、後先のこと考えているの?」
「後のことを考えている暇があったら、今の乗り切る方法を考える主義なんでね……!」
 そう朝倉をにらみ返す。するとふーんと言って、ハルヒに視線を戻すと、
「こんなところまで来るなんてどうかしているんじゃない? 放っておけばいいのに」
「ふざけたこと言うんじゃないわよ! 有希が――団員がピンチだってなら宇宙の果てでもブラックホールの中心でも行ってやるわ!」
「感心しちゃう。でも――まあいいわ。上の人はあなたが大事みたいだけど、今のわたしにはどうでもいい存在。
邪魔だからどいて――ね!」
 凶器に戻っていた腕が元に戻り、それを全力でつかんでいたハルヒの身体のバランスが崩れる。それをねらい澄ましたように
朝倉は見事なフォームでハルヒの脇腹に蹴りを見舞った。
 常識を逸した力が直撃し、ハルヒの身体はハリウッド映画のワイヤーアクションのように宙に舞った。俺は慌てて走り出し、
地面に落下して二次ダメージを受ける前にハルヒをキャッチした。床との接触を避けるために、彼女の身体を抱きしめて
クッションになる。俺自身もかなり痛かったが、思いっきり蹴られたハルヒよりかはマシだ。
「おい、大丈夫かっ!?」
 声をかけてみるが、ハルヒは苦痛のうめき声を上げるばかり。やばいな。骨とか内臓までやられちまったかもしれねえ。
 そこに長門が駆け寄ってきた。その表情はあからさまにゆがんでいる。ここまでストレートな感情を見せたのは初めてだ。
「なぜ……ここに……」
 呆然とつぶやく長門。それにハルヒは少しだけ目を開けて、
「なに言って……んのよ。団長なんだから助けに来て当然……でしょ」
 そこまで言うとまた苦痛に顔をゆがめてうめき声を上げた。
「もういい。しゃべるな!」
 俺は少しでも楽になればと背中をさすってやる。
 だが、ピンチは当然ながら継続中だ。朝倉がこっちに向かって歩いてきて、
「戻ってきてくれてうれしいわ。またこれで長門さんに負荷をかけられる。さっきとは違ってもう手加減しないわよ。
タイムリミットも近いから死んでも仕方がない――」
 途中で朝倉の言葉がとぎれた。突如として彼女の周囲が爆発し、衝撃が俺たちに降りかかってきた。
 なんだ、と思って見てみれば、赤い光球を手のひらの上に浮かべた古泉が朝倉の横に立っている。あれはカマドウマに投げつけたやつか?
ここだとあいつの超能力は使えるのかよ?
 古泉はゆっくりと納得顔で、俺たちの前に立ち、
「なるほど。TFEI端末が構築した異空間をまるごと閉鎖空間に書き換えたと言ったところですか。封鎖された空間なら
彼女の認めた人間しか入れないでしょうが――閉鎖空間なら涼宮さんが認めた人なら誰でも進入できますから。
当然、僕の超能力も100%使用使えることになります。さすが涼宮さんと言っておきましょう」
 誰に言っているのか、自分に言っているのかもしれないがそんなことを口にした。
 一方古泉の攻撃を受けた朝倉の姿はもうもうとあがる砂煙に見えなくなっていたが、ほどなく全くの無傷の姿が現れる。
ちっ、傷つかれても困るが無傷ってのもショックだぜ。
「涼宮ハルヒに力を与えられた者――ね? でもその程度じゃわたしを止めるのは不可能よ」
「これも副団長の仕事ですから。無駄だとわかっていても退くわけにはいかないんですよ」
 古泉は全力を出したのか、神人退治の時に見せた赤い光の球体を展開し、身構えた。
 俺は古泉に向けて、
「おい! 間違っても朝倉を倒したりするなよ! そいつは今長門と一心同体の状態だ! 倒したら長門も消えちまうぞ!」
「……なるほど。長門さんが全く手を出せなかったのはそれが理由ですか。了解しました。
しかし、手加減できるような相手でもありませんね!」
 そう言うと宙に身体を浮かべて朝倉に飛びかかる。
 一方の朝倉は距離を取りつつ、床に転がる机や椅子を鋭い鉄の棒に変形して古泉向けて次々と放ち始めるが、
古泉の超能力防壁の方が堅いのか全てはじき返した。逆に古泉の方も手のひらの光球を朝倉めがけて撃ちまくった。
それは見事なコントロールで全て相手に当たり、次々と爆発が起きた。
 俺は巻き添えにならないように朝比奈さんを俺たちの元に呼び寄せ、朝倉についてはとりあえず古泉に任せておくことにした。
 ハルヒの状況は思わしくなく、やはり痛みに悶えたままだ。
 なんとかしなきゃならん。何か方法はないのか? 長門を守って俺も生き延びる方法はないのか? あきらめるな。
何かあるはずだ、なにかが……
 ふと、長門は目をふるわせて呆然としていることに気がつく。
「おい長門! まだあきらめるんじゃねえぞ! お前も考えてくれ! 最後まであきらめるな!」
「……わたしが、わたしが消えれば全部終わること……」
「有希!」
 突然ハルヒが目を見開き、長門を怒鳴りつけた。そして続けて、
「団長命令よ! 最後の最後まで抵抗しなさい! いいわね!」
 そこまで言うとまた痛みに苦しみ始めた。
 俺は長門の目を見つめ、
「長門。俺もお前も間違っていた。どっちかが死ねば終わりなんてそんな解決方法しか考えてなかった時点でおかしかったと
気がつくべきだったんだ。もう俺たち二人の問題じゃない。SOS団全員の問題なんだよ!」
 俺の言葉に、隣にいた朝比奈さんもこくこくと頷く。
 長門はしばらく俺の目を見つめたままだったが、ほどなくして何かを考え始めたのか視線を落とした。
 一方、古泉は次第に朝倉に押し返されつつあった。戦い慣れている古泉はさすがとしか言いようがなかったが、
能力的には朝倉の方が遙かに上であり、その戦力差はいかんともしがたいようで、いくら曲芸飛行で相手を振り切ろうとしても
完全に後ろをつけられている。幸い光球の壁が朝倉の攻撃をはじいているため、身体に直接的なダメージはないが、
顔を見ただけで疲労がありありと広がっているのがすぐにわかった。
 ほどなくして朝倉は古泉の前に回り込み、
「その情報隔壁は邪魔ね」
 そう言うと真っ正面からつっこむ。古泉はすぐさま光球を数発撃ち込むが、すべて日本刀で銃弾をはじき返すように
光る凶器と変えた右腕でなぎ払った。さらに突きの姿勢を取ると、古泉周辺に展開していた赤い球体に突き刺す。
 少しだけ壁を打ち抜いたそれを、今度は力強く横に振るったとたん、赤い光球の壁がちりぢりに飛散した。
 驚愕の表情を浮かべる古泉に、微笑を浮かべた朝倉がさらに間合いを詰めて斬りかかった。
「くっ!」
 古泉はすんでの所で手に浮かべた光球を斬りつけられた凶器にぶつけた。同時に接触した当たりで爆発が起こり、
二人とも同時に吹き飛ばされる。
 朝倉は華麗な動きで地面に着地するが、古泉は気を失っていたのかなんの受け身も取らずに床にたたきつけられ、
俺たちの近くに滑ってきた。
 それを見た朝比奈さんがかけだし、古泉の足を引っ張ってこちらに連れてきた。かなりのダメージと疲労のようで
肩で息をしている。くそ、古泉もここまでか。
 一塊になっている俺たちに向かって再び朝倉が近づいてきた。表情はいつものように笑みを浮かべたまま。
 ええい、どうすりゃいいんだ。何かないのか、なにか……
 朝倉はすぐ近くまで来ると、俺に向かって手をかざし、
「残念。タイムリミットだわ。死んでもらうわよ――」
 そう言ったとたんだった。
 一瞬、俺は朝倉の姿が瞬間移動のように消えたと思った。しかし、それは勘違いであることにすぐ気がつく。
まるで突然頭上から何かに押しつぶされたかのように朝倉がうつぶせで床にめり込んでいるからだ。
 何が何だかわからない状況に俺は唖然としてしまったが、ほどなくしてそれをやったのが誰だかわかった。さっきまでうつむいたままの
長門がすっと立ち上がり、朝倉の前に立ったからだ。
 さらに長門は朝倉の頭をつかむと、まるで空き缶でも投げ捨てるように明後日の方向へ投げ捨てる。力を込めたようには見えなかったが、
実際には半端じゃない威力だったようで、放物線にはらなずほとんど一直線に壁に激突した。
「長門――」
 呼びかけようとしたがすぐに口が止まってしまう。明らかに殺気までの長門とは雰囲気が違った。
 長門はゆっくりと朝倉の倒れている場所に歩き出し、
「わたしは嬉しい」
 嬉しい? 長門の口からそんな言葉が出るとは思っても見なかった。
 さらに続ける。
「これだけわたしのことを大切にしてくれる人たちがいる」
 ――一歩踏み出し――
「これだけわたしのことを思ってくれる人たちがいる」
 ――もう一歩踏み出し――
「わたしはその人たちを守りたい」
 ――立ち止まり――
「誰一人として傷つけない。させない」
「長門……おまえ……」
 俺は驚きに身を震わせた。こいつがこんなことを言うなんて。いや、だが――だからといって、長門が犠牲になっていい話でもない。
 すぐに待てと声をかけようと思うが、それを遮るように長門はこちらに振り返って、
「朝倉涼子を排除する」
「それじゃお前が!」
「わたしが消滅するという結果は同じ。だが、重要なのはそこではない」
 なにを言って――そう言おうとしたが、朝倉が突然狂気じみた笑い声を上げたため、口を噤んでしまった。
 見れば、今までとは違うゆがんだ笑みを浮かべている。
「待っていた……それを待っていたわよ、長門さん!」
 そのまま高速移動で一気に長門に飛びかかり、左腕を長門めがけて切りつけた。一方の長門もそれを右腕で埋め止める。
得体の知れないパワーが働いているんだろうか、二つの腕が接触したところで激しいスパークが起きた。
「これで心おきなく破壊できるわ! 身体の破片も残らないぐらいに粉砕してあげる!」
「そうはさせない。先にわたしがあなたを排除する」
 じりじりと力をぶつけ合う二人。
 ここで朝倉が、
「聞いてもいい? どうして急に心変わりしたの? わたしを排除するとあなたも消えることはなにも変わっていないのに」
「それでも構わないと思ったから」
「吹っ切れたってこと? それともあきらめた? でもあなたはまだ未練がたくさん残っているわね」
「未練はある。それは当然のこと」
「当然? 言っていることがよくわからないわ」
「わたしはここにいたいと思っている。それは今でも変わらない。変わったのは別のこと」
「それはなに?」
「後悔だけはしないと決めた。ここであなたを排除しなければわたしは確実に後悔する。これだけわたしのことを思ってくれる人を
守れなければ必ず後悔する」
 長門の言葉。
 ……そうか。結果が同じなら、後悔しない方を選んだのか。それがお前の願ったことなんだな。
「有希……駄目よっ……!」
 ハルヒがうめくが、俺は首を振って、
「長門の決断を見守ってやれ……!」
 自分でもはっきりわかるぐらいの苦々しい声が口からこぼれ落ちだ。
 一方、長門の言葉を聞いた朝倉はさらに狂気に染まり、
「いいわ、最高よ長門さん!」
 そう言って長門の右腕をはじき、自分の左腕を振り下ろした。耳に残る嫌な音とともに、長門の左腕が肩口部分から切り落とされる。
さすがの長門もかなりの痛みを感じたのか、一瞬顔をしかめるが、朝倉が再び横殴りで斬りかかってきたため、修復もせずに
それを右腕で受け止める。
「そんなあなたが憎くて仕方がないわ! 叩いて叩いてそれでもまだ気が収まらない! 論理的でもなんでもないに不思議だわ!」
「論理的でないと気がついているならやめるべき」
 長門は朝倉の左腕をはじき返すと、くるりと腰をかがめて身体を右一回転させ、その勢いで振るった右腕が
朝倉の右足の膝下当たりを叩ききった。
「エラー行動に論理的な意味を求めるなんて愚問もいいところよ!」
 失った右足なんてお構いなしといわんばかりに朝倉は開いていた右腕で長門の頬を殴りつけた。首の骨が折れたんじゃないかと
思いたくなるほど、長門の頭がねじ曲げられる。
「あなたはすでに正気を失っている」
 負けじと長門は右腕を横殴りで振るった。身をそらしてそれを回避しようとした朝倉だったが、完全には避けきれず
腹の部分が避けて血が噴き出す。
「正気を失っているのはあなたよ!」
 またもや鉄拳を今度は長門の下腹部に食らわせる朝倉。さらに、
「情報連結している以上、あなたがおかしくなったからわたしもおかしくなっているのよ!」
 きれいな回し蹴りを長門ののど元――鎖骨当たりに撃ち込んだ。おいおい、押されているんじゃないか!?
 もはや二人の戦いは互いに自らのダメージを無視したノーガードの殴り合い――いや殺し合いだ。どっちが先に倒れるのか、
意地と精神力のぶつけ合い状態。
 長門も同じように判断したんだろうか、周りのものを次々と変形させて朝倉めがけて放った。直撃はまずいらしく、
朝倉は片足なしも関係なく高速空中移動で全てそれをかわしていく。
「だから、あなたがわたしを破壊したいと思う分だけ、わたしの憎しみは広がっていく! もう上の人も涼宮ハルヒのどうでもいいわ!
あなたさえ破壊できれば他に何もいらない!」
「あなたがわたしの一部ならば、そのような歪んだ行動は直ちに停止すべき」
「だったら、その歪みこそがあなたそのものなのよ!」
 朝倉は長門の頭上に飛び上がり、両腕を光る凶器に変形させ、長門を串刺しにせんと急降下を始めた。
 一方の長門も朝倉めがけて飛び上がる。
「あなたがわたしのエラーを表しているならば、わたしはそれを否定するためにあなたを排除する。
そして、自らの間違いを正す――正してみせる」
「よく言ったわ! 長門さん!」
 二人の言葉と同時に二人の身体が交錯した。
 朝倉の片腕の凶器が長門の肩を貫いている。
 長門の右腕は朝倉の胸を貫いている。
 二人はそのままの体勢でにらみ合っていた。
 …………
 短い沈黙の後、身体が傾いたのは朝倉だった。意識を失いかけているのかふらっと長門に抱きつくように倒れ込んだ。
口元からは軽く血が流れ出ていた。
 そして、言った。
「あーあ……せっかく戻ってきたのにまた負けちゃった。仕方ないかな。上の人の命令も無視していたし、所詮わたしは
長門さんのバックアップに過ぎないし。でもくやしいなぁ……」
 さらさらと朝倉の身体が粉末のように分解され始めた。
 長門は言う。
「あなたがわたしそのものだったということは否定しない。受け入れなければならない事実。だからこそ、あなたの存在は忘れない」
「……そう、ありがとう」
 その言葉を最後に朝倉は消滅した。
 同時に力尽きた長門も床に落下する。
「有希っ!」
「長門!」
「長門さぁん!」
「長門さんっ!」
 それを見たハルヒが脇腹を押さえながら立ち上がり、ふらふらとそこに駆け寄った。俺や朝比奈さん、古泉も駆け寄る。
 みるみる生気を失っていく長門の姿に俺はただ絶句するしかない。
「おい長門、しっかりしろ! 死ぬな!」
「有希、お願いだからがんばって!」
 俺とハルヒの言葉に、長門はもう首を動かすこともできないのか、視線だけ俺たちの方に向けた。
「わたしは失格。あなたたちはあれほどまでにわたしを想ってくれたのに、それにずっと気がつかなかった」
「そんなことない! 有希は立派なSOS団の一員よ!」
 もはや痛みのことなんてすっかり忘れているハルヒは今にも泣き出しそうになっていた。ちくしょうめ! 俺の代わりになった長門を
俺はじっと見つめることしかできないってのか!?
 長門はか細くなっていく声を絞り出すように、
「気にしないで。わたしは何一つとして後悔していない。あなたたちを守れた。とても満足している」
「……だからって納得できねえよ!」
 俺は思わずそう吐き捨てた。
 長門は続ける。
「……図書館に行ったこと、町を出歩いたこと、いろいろなことがあった……一つ一つがわたしにとって大切。
何にも代え難いものだった」
「その通りだ! だからまた明日も週末もいろんなところへ行こう!」
 俺の呼びかけにももう長門は反応しなくなりつつある。ついには目を閉じてしまった。
 そして、
「ありがとう。今まで楽しかった……」
 その言葉を最後に、長門は目を閉じたまま完全に動かなくなってしまった――そう今ここに一つの命が消えてしまった。
 ――――
 ――――
 ――――
 ハルヒはショックのあまり呆然としている。
 朝比奈さんはひたすら泣きじゃくるばかり。
 古泉も普段のスマイルの影も形もないほどに沈痛な顔になっていた。
「嘘よ……」
 ぽつりとハルヒが口を開く。
「こんなの認めないわ……どうして有希が死ななきゃいけないのよ。何一つとして悪いことしていないじゃない。
あんなにいい子で、読書が好きで、物静かで無口で……こんなの間違っているに決まっている……!」
「ハルヒ……」
「こんなのが現実だって言うなら……それこそ間違いよ! おかしいじゃない!」
 ハルヒの叫びに、誰一人として答えられない。
「有希が宇宙人でも幽霊でも化け物でもいい……有希を返して……返してよっ……!」
 …………
 …………
 …………
 幽霊?
 俺はふと脳裏に何かが引っかかった。
 なんだ、今何を俺は気がついた。
 幽霊って言えば意識の固まりみたいなのだ。長門は魂は存在するのかという俺の質問に対して、禁則事項と返した。
万一、あるという答えが真実というなら長門は死んでしまったが、まだ魂はどこかに浮遊しているということになる。
いやいや待て。インターフェースってのは有機生命体じゃなくて情報生命体っていう存在らしいから、機能停止ってのは
魂の抹消に値するのかもしれない。
 待てよ。だったらなんで朝倉は復活したんだ? 長門は言った。あの朝倉涼子は俺の知っているやつだと。
以前に情報連結解除とやらをされたのに、なぜ復活できる? 人間で言うところの生き返ったのと同じ意味だろう。
そんなことがあり得るのか――いや、現実にあったんだ。そうなると、長門も同じことができるはずと考えるのが妥当じゃないか?
 だが、どうすればいいのか皆目見当もつかん。
 そもそもそれなら長門はどこにいる?
 いるとしたら――情報統合思念体の中か? あそこの中に回帰したとは考えられないか? そうでなければ、朝倉が復活した理由が
説明できなくなってしまう。
 その仮説が正しいとしてもどうすればいい? 喜緑さんに助けを求めるか? それは無理だろう。やってくれるなら
とっくにやっていそうな気がする。
 ならあとできそうなのは――
「……ハルヒ」
 自然と口からその名前が出る。またしてもハルヒに頼むのも頼りすぎっていう気がするが、こいつ自身だって長門に会いたいって――
帰ってきてほしいと思っているはずだ。
 だったらそれを願わせればいい。
 そうすれば長門を連れ戻せるかもしれない。
 うまくいく保証はないが、この際何でも試すべきだ。
 今更隠すことなんて何もない。
 俺はハルヒの前に座り、
「……話がある」
 
 
 
 
 
 
◇◇◇◇
 
 真っ白で立体感も感じない空間。
 そこで俺と長門は二人っきりで向かい合っていた。
「迎えに来たぞ、長門」
「…………」
「どうした?」
「……受け入れられない」
「なんでだよ」
「わたしにはあそこにいる資格がない」
「どうしてそう思うんだ?」
「自分の身を投げ出してくれる人たちがいたのに、わたしは自らの保身を優先した」
「それがどうした」
「あなたとの約束も違えた。守るという約束を」
「気にしてねえよ」
「自分の存在を優先してあなたを見殺しにした。許されることではない」
「……あのな、長門」
「…………」
「何度も行ったが、それはごくごく当たり前のことなんだよ。自分の命を平然と投げ出せる奴の方がどうかしている。
仏様を助けるために、自ら火の中に飛び込むウサギなんていう話は言い伝えだけで十分だ」
「…………」
「そう言う意味では俺はむしろ嬉しいさ。お前が普通に人間らしい判断――迷いを見せてくれたんだから」
「だが……」
「それどころか、見捨てた未来をひっくり返して俺を助けてくれたじゃないか。その時点でチャラだよ。むしろ俺の方が罪悪感がある」
「覆したとはいえ、保身に走ったのは否定できない」
「それに、さっき資格って言ったよな?」
「言った」
「資格って自分で自分に与えるものじゃないだろ」
「…………」
「運転免許も大学受験も資格なんて、もらうものだ。自分で資格がないってのは変な話じゃないか」
「……ないのは事実」
「事実じゃない。だったら確かめてみようぜ」
「……え」
 長門を取り囲むように、ハルヒ・朝比奈さん・古泉が現れる。
 俺は言う。
「この中で長門がSOS団の一員でいることに賛成の人は長門に手をさしのべてくれ。正直に言ってくれていいぞ」
 俺の呼びかけに、俺を含めて全員が躊躇なく一斉に長門に手をさしのべた。
 つまり全員長門はあそこにいる資格ありってことだ。
「どうだ? これでもまだ自分に資格がないとか言うか?」
「…………」
「みんなお前に会いたがっている。嘘じゃない。だから勝手に自分を卑下にするな」
「本当に」
「ん?」
「本当に、わたしはいてもいいのか」
「当然だ。手を取れ長門」
「…………」
「帰るぞ」
 
 長門は
 潤んだ目で
 感極まった笑みを浮かべ
 
 
 
 俺たちの手を取った――
 
 
 
 ~おわり~


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