「これは来るべき格闘新時代の夜明けなのよ!」
SOS団のアジト。つまり文芸部室の団長専用椅子の上に立ち、高々と宣言しているのは誰あろうSOS団団長、つまり涼宮ハルヒだ。
宣言と共に高々と拳を突き上げての決めポーズまでしてやがる。
見る人が見れば、その姿は雄々しく凛々しく気高く美しい薔薇のように見えないこともないかも知れないが俺には見えないね。まぁせいぜい草むらに名も知れず咲き誇っていてくれ、と溜め息を吐くのが精一杯だ。
だが、このシベリア凍土もびっくりな空気の凍りつきっぷりを打開するには、多分俺がツッコミを入れるしかないんだろうな。まったくもってやれやれ、だ。
「まー落ち着けハルヒ。話はわかった。多分四分の一くらいは理解したと思う。だがなハルヒ、その指レスとやらは指相撲とはどう違うんだ?」
我ながら至極真っ当な質問だと思う。これ以上の明快さはないだろうね。
そもそも事の起こりは部室に入ってきたハルヒが、突然「指レスやるわよ! 指レス!」と宣言したことに端を発する。
ちなみに読み方は『ゆびれす』だ。語感だけなら確かに新しそうではある。似た言葉でユビキタスとかなんとかそんなのがあったよな……なんだっけそれ。
だがハルヒの大雑把過ぎる解説――つまり親指以外の指を選手同士が絡ませ、親指同士でフォールもしくはギブアップを奪い合う――では、先ほどの俺の質問が出るのも致し方ないだろう。
「なーに言ってんのよ! そもそも今までの指相撲っていうのは、その名称的概念から間違ってるんだからね! だからこそ今、指レスなのよ!」
わからん。ぽっきりとわからんぞ。指相撲と指レスとやらの違いが、ギブアップが認められるかどうかってなところだけしか俺には認識できん。
「ふふん。これだから素人は困るのよ」
多分この部室にいるヒト型の存在で、その指レスとやらの玄人なのはお前だけだぞハルヒ。俺たちはマジョリティで、お前はマイノリティだ。
「いーい? そもそも相撲っていうのは土俵を割らせるか、足の裏以外を土俵につけた時点で勝敗が決するでしょ?」
まぁそりゃ確かにそうだ。それ以外にも禁じ手とか勇み足とか色々あるらしいが、そういう細かいの抜きにすればそれで間違いないな。
「じゃあ聞くけどね、指が土俵を割る? 指以外が土俵につくってどういうこと? ね? 指相撲って、ちっとも相撲じゃないのよ!」
……うむ、わからんでもないが、それをいったら腕相撲だって同じ事だろう。ん? いや、腕相撲は手の甲がついたら負けか。なるほどこれは相撲といえば相撲だな。
いやいや、だからといってだな――。
まぁ無駄か。このまま議論を続けたところで、いずれ言い負かされるのはいつものことだ。俺如きがあがいたところでハルヒの思いつきがどうなるわけでもない。そんな諦観に溜め息を吐いて我ながら呆れつつ、俺はハルヒに説明の続きを促した。
◆ ◇ ◆
さて、涼宮ハルヒWFWF会長によるルールの説明は次の通りってことらしい。
・試合は3カウントフォール、もしくはギブアップで勝敗を決する。
・ただし3カウントは厳密に三秒間ではなく、レフェリーのコールに従う。
・ギブアップの意思表示はタップアウト、もしくは口頭での宣言による。
・反則は5カウントまで許されるが、レフェリーに従わない場合は反則負けとなる。
・場外カウントは10まで。それ以上は試合放棄としてリングアウト負けとなる。
……えーと……ハルヒよ。これってどう考えてもプロレスだよな。
俺は色々ツッコミたいところをグっと堪えて、ホワイトボードに書かれた項目の一つ一つを整理しはじめた。
まず最初に明らかにしたいんだが、WFWFってなんだ? ますますもってプロレスっぽいんだが。ワッフルワッフルとでも読めばいいのか?
「ホントにあんたはバカキョンねー! ワールド・フィンガー・レスリング・フェデレーションに決まってるでしょ?」
訳すると、世界指レスリング連合。って最初っから世界規模なのかよ!
……まぁどこの国と連合してるのかなんてのはさっぱりわからんが、つっこんでもまともな答えが返ってくるとは思えんしな。これは放置しておくとしよう。
フォールはわかるよ。こうみえてプロレスはガキの頃結構観てたクチでな。
だがギブアップってどういうことだ? 親指で親指に関節技や絞め技をかけるなんて無理だろ? そもそも関節技っつったって、親指の関節の数なんてそんなにねーし、絞めるったってどうやるんだよ? 指の動脈でも抑えるのか? 鬱血するだけだろうに。
「ばっかねえ、そんなのは研究と特訓でなんとかなるのよ! 大体ルールとしてギブアップを用意しないでどうするのよ? あんた戦意喪失した相手をフォールしないで一方的に嬲るつもりなわけ?」
う……ま、まぁそれはわかった。じゃあ反則はどうなるんだ? 例えばこう、ひっかいたりするとか、そういうのか?
「そうね、スクラッチは重大な反則だわ。それにチョーク、サミング、ローブロー、バイティング……もちろん凶器攻撃もよ」
……指相撲如きに凶器攻撃まで持ち出すか普通?
「わっかんないわよー? ヒールスタイルだって立派な個性なんだからね! それと、指相撲じゃなくて、ゆ・び・れ・す!」
「ひ、ひぃ~」
おいおい、昭和の悪役レスラーみたいな表情で手をワキワキさせんな。朝比奈さんが怯えてるじゃないか。
「ふっふっふ~……」
だから、やめなさいっての。それにまだ質問があるぞ。このリングアウトってのはどういうことだ? リングがあるわけじゃないし、リングが無い以上リングアウトだってできんだろ。
「あんたは、ほんっとーに考えが浅いわね! みくるちゃん、ちょっと手貸して!」
「え、は、はぃい~」
明らかに顔を恐怖にひきつらせながらも、ハルヒに右手を差し出す朝比奈さん。お前、その白魚のような御手に傷つけたりするなよ?
「わーかってるわよ。みくるちゃーん? それじゃちょっとデモンストレーションしましょうか~?」
だから奇人顔はやめなさいっつってんだろうが。朝比奈さんが失神するぞ。
◆ ◇ ◆
そんなこんなで、ハルヒ会長によるデモンストレーションが始まった。
まずはフォール。これは従来の指相撲と同じだ。抑え込んでワンツースリーの3カウントで決着。うん、まぁこれはわからんでもない。
続いてリングアウト。これはちょっとハルヒの発想に驚かされることになった。
本来、互いの指をしっかり組んで行うのが指相撲なのだが、ハルヒはその掌をぐいっと開いたのだ。当然間合いが拡がり相手の射程圏外に出ることになる。
なるほど、確かにリングからのエスケープだ。つまりその状態を10カウント以上続けると、試合放棄としてリングアウト負けってことだな。
で、次の問題は関節技だ。これもデモンストレーションとしてハルヒが行ったのだが、ハルヒは自分の親指を押さえ込もうとする朝比奈さんの指をかいくぐってかわすと瞬時に絡みつき、親指先端で関節部分を押さえ付けた。
ええい、お前の親指はヘビか!
しかし、見方によっては両者が互いに押さえ込んでいるようにも見えるそれは、
「いたたたた! いたぁあいぃ! 涼宮さんいたいでしゅぅ~!」
という朝比奈さんの苦悶の表情と悲鳴を引き出した。
どこか関節が極まってるってわけか? 単に握力で痛めつけてるだけなのか? そんな俺の疑問を余所にハルヒは朝比奈さんに降参を迫る。
「みくるちゃん、ギブしなさい!」
「ふぇえ? ぎ、ぎぶ! ぎぶぎぶですぅ~!」
と、こんな感じで朝比奈さんを半べそ状態にして勝ち誇るハルヒ。
効果のほどはわかったが……これ関節技か? まぁ確かに、こういう状態になったらギブアップしないと怪我……まではいかんだろうが、赤くなったりするだろう。朝比奈さんの涙目程度では痛みのほどはわからんが、ギブアップ裁定はあった方が良いだろうな。
「とまぁ、こんな感じよ! わかった?」
満足げに団員達を見渡すハルヒ。
ちなみに反則技のデモンストレーションは俺が犠牲になった。
ちくしょうめ。ハルヒのありとあらゆる反則技――爪を立てたり引っ掻いたりに――よって、既に俺のお父さん指は満身創痍だ。
それにしても人差し指を使ってのインチキ連携サポートまで考えているとはな。いわゆるセコンドの介入というヤツなんだろうが、どこまでマニアックなんだ。
さて。一段落ついたところで、俺はハルヒにかねてからの質問をぶつけてみた。
「ハルヒ、お前夕べなに観たんだ?」
「ん? なんかCSの映画チャンネルでプロレス映画特集やってたのよ! おーもしろくってさあ!」
ビンゴである。まぁどうせそんなこったろうと思ってはいたんだがね。
溜め息を吐く俺を無視して、嬉々とした表情で夕べ観た映画の数々を紹介するハルヒ。
……なんだイカレスラーって。『レオン』のジャン・レノが神父でレスラー役? ウソだろ? マスカラスが仮面ライダーみたいなヒーロー? シリーズ化してるのか?
ああ、その映画はタイトルだけ知ってる。お父さんがなんとかってやつだろ。ガチボーイ?……学生プロレス? なんだいそりゃ?
……どうやらハルヒは、かなりディープな世界を覗いてきたらしい。まぁコイツのことだ、どうせ飽きるのも早いんだろうけどな。
しかしまぁコイツにもそこそこの常識が芽生えてきたのはありがたいことだ。昨夜プロレス映画を観た、面白かった、だからプロレスがやりたくなった。で、翌日部室に来てみたらSOS団がプロレス団体になっていた――なんてことにはならなくて済んだわけだしな。
結局は新ルールの指相撲だろ? 可愛いもんじゃないか。
それに――俺は少し考えて、口元をわざとらしくないように隠してから、密かに頬を緩ませた。
ハルヒにゃ悪いが、指相撲の腕には少々覚えがないわけでもない。指の腕ってなんかヘンだが、まぁ気にするな。
田舎に集まったチビ共を相手どって左右の手を用いて勝負すること数百戦。おっと、リアルな話だぜ? 子どもの体力と負けん気は無限大だからな。
時には両手対片手というハンディキャップマッチもあったわけだが、そんな状況下でのバトルを含めても、俺の戦績は――無敗だ。
わざと負けてやることよりも、ギリギリまで引っ張って、惜しかったと誉めてやった方が、チビ共も喜ぶからな。大人げないとか言うなよ?
そんな様子を見た親戚の兄さんらや、酔っぱらったおっさん達にも挑まれたが、こちらも全て返り討ちにしてきた。
ハルヒの提唱する指レスルールは縛りが多いが、俺が積んできた“なんでもあり”の指相撲に比べりゃ、制限がある分、ラクなだけだ。実戦経験の数が違うってわけさ。
つまり……俺が負ける要素はない。
◆ ◇ ◆
「というわけでぇ……」
言いながらハルヒはペンで自分の親指になにか描いている。今更だが器用なヤツだな。左でもペンに不自由しないとはね。
「それぞれ衣装とかリングネームとか考えてねっ!」
びしっと差し出された右のグッドサイン。その親指の先っちょには、若干不遜気味なピースマーク顔と前髪にカチューシャとリボンが描かれていた。ホントに器用だな。
「わあ~! 可愛いですねぇ~!」
朝比奈さんが喜んでいるが、どう考えてもコイツのはヒール顔ですよ? まぁそんなこと言ってもわからないでしょうけど。
「みくるちゃんにも描いてあげるわよー! ただ指をぶつけ合うだけじゃつまらないしねー。有希と古泉くんはどうする?」
そう言われた二人は、おのおの自分の指を見ていたが、どうやらハルヒに描いてもらうことにしたようだ。
「キョン、あんたはどーすんの?」
まぁ俺は俺で準備するさ。
「ふーん。ま、いいわ。でも5人で対戦じゃ一人余っちゃうわね」
まー確かに。でも、別にいいんじゃないか? 総当たりとかでやりゃあいいんだから。
「ばかねー! リーグ戦なんてのはもっと団体の基盤がしっかりしてから打つべき興行でしょー!」
団体に興行、ね。どこまで拡大させるつもりなんだ? あ、世界か。
まぁそれならそれで国木田や谷口に声かけてみるか? どういう組み合わせになるかわからんが、朝比奈さんと指相撲できるかもしれんなんて言ったら、ホイホイ着いてくると思うぜ?
「そーゆー不純な動機はねー……まいっか、じゃよろしくね。あ、そだ。鶴屋さんはどう?」
「は~い! 聞いてみますね~」
朝比奈さんは早速ハルヒに描いてもらった指先の顔にご満悦の様子だ。
自分の指をうにうにと動かしながら微笑む姿は、なんかもう色々たまらんね。試合が組まれたら時間切れまでロックアップしていたいところだぜ。
「うふふっ、ほら! メイドさんなんですよぉ~!」
ああ、ホワイトブリムまで描いてもらったんですね。とっても可愛いですよ。ええ……って、指までもメイド扱いなのかこの方は。
「そーすると……あたし達が5人で、谷木田と鶴屋さんで合計8人ね。あら、トーナメント組めるんじゃない?」
リーグ戦がダメで、トーナメントならOKという理由を教えて欲しいところだか、まぁいいか。あとクラスメイトを勝手な略称でまとめるな。
で、組み合わせは例によってクジ引きか?
「そうね~。一回戦で団員同士が当たっても面白くないから、なるべくバラけさせたいところだけど……」
ふむ。そしたら団員側と外部とでクジを分けたらどうだ? で、団員側で残った2枚のクジで試合にすればいい。これなら1試合以外はバラけるだろ?
「それ採用! たまには役立つこと言うじゃない!」
ま、その方がゲストも招聘しやすいしな。いや、この場合はガイジン枠かなんかか?
ともあれ、そんなどうでもいいことを考えながら、その日はそれぞれ準備することになった。試合はゲスト三人の都合が付き次第だそうだ。
つまり鶴屋さん次第ってことだな。谷口と国木田に特別な予定があるわけもないだろうし。連中は明日の朝、誘ってみりゃいいだろ。
さーて、自分の指に何を描いたもんだかね……。
「……」
ん? 長門どうした?
音も立てずに俺の前に来た小柄な気配に目を向けると、長門がたった今ハルヒにラクガキされたばかりの親指をサムズアップさせて俺に見せている。
「……どう?」
へえ、お前のは猫耳つきなのか。なんか似合ってるじゃないか。目が無表情っぽい丸なのが少し気になるけどな、可愛いんじゃないか?
なんだかんだ言って、いつだったかも見せたハルヒの絵心は大したもんだと思う。特徴をとらえたディフォルメがいいね。
「そう。……あなたは?」
あー……まぁハルヒほど絵心があるわけじゃないが、俺は俺でなにか考えるよ。
「そう」
ちょっと不器用そうにカクカクと親指を動かしている長門。指相撲なんかやったこと無さそうだが大丈夫なのか?
「平気。情報操作は得」
例によってインチキはなしだぞ?
「……そう」
まぁお前なら少し練習すれば負けないだろうし、負けたところで別になんかあるわけじゃないしな。親指で親指を押さえ込むだけでいいんだ。
フェイントを使ったり、つついて焦らしたりとか、まぁテクニックもあるけど、そんなに気にすることでもないしな。なんだったら今練習するか?
ほんのわずかに顎を引いて首肯する長門。よし、じゃいっちょもんでやるか。
「……揉むの?」
えーとだな……意味を説明しようとして思案しつつも、結局それを放棄した俺は、長門の練習相手を務めはじめた。
しっかし長門の小さい手じゃあ、あまり力が関係ない種目とはいっても若干不利かもしれないな。
「大丈夫、情報操作で手のサイズと握力を」
インチキはいけませんってば。
◆ ◇ ◆
「いやはや、いつものことながら涼宮さんの発想には驚かされますね」
ん? まあな。
放課後ハイキングコース(下り)の途中で声をかけてきたニヤケ面が、親指を立ててみせる。ほー、お前のもよく特徴つかんでるじゃないか。ニヤケ面(小)って感じだぜ。
「ええ、小さいいっちゃんです」
そう言いながらサムズアップした指先を軽く曲げて、ニヤケ面(小)に会釈をさせる古泉。
朝比奈さんならともかく、お前がやっても可愛くもなんともない。ネーミングに関してはスルーしてやるから感謝しろよ。
で、なんだ? またこれで負けると、あの変態空間がどうとか言い出すんじゃなかろうな。
「それはないと思いますよ。涼宮さんは現在安定してらっしゃいますし。仮にこの……指レスですか。それで負けたとしても、それさえも楽しむことでしょうね」
ならなにも問題ねーじゃねーか。
「そうですね。文字通り小さなレクリエーションとして楽しめば、なにも問題ないでしょう。ですが――」
なんだよ。持って回った言い方をするなっていつも言ってるだろ?
「これは失礼。では直球で。涼宮さんは恐らくあなたと試合をしたい、そう望んでいるでしょうね」
俺の指でも折るつもりか?
「まさか。違いますよ。まず涼宮さんは勝ち上がるでしょう。できれば、あなたとは決勝までカードが組まれないといいんですが……。おそらく決勝戦は無制限一本勝負。あとは……お解りになるでしょう?」
ふむ、お前の言ってることは、相変わらずまるで理解できん。
だがお前の期待に応える応えないは別として、俺もそうそう負けるつもりはないぜ。仮に初戦でハルヒと当たったとしても八百長も接待ゲームもなしだ。
「ふふっ。それならそれで、それもまたいいでしょう。それでは試合を楽しみにしていますよ」
そう言うと古泉は俺から離れていった。やれやれ、やたらと代名詞を連発しやがって。一体何を言いたかったんだかね。
明けて翌日。朝のHR前に誘ってみると、谷口と国木田は二つ返事でOKしてくれた。
ハルヒにどんな目に遭わされるかわからんという未知の恐怖よりも朝比奈さんと指相撲できるかもしれないってことに魅力を感じたらしいな。
「朝比奈先輩だけじゃないぜ? あの長門有希と指相撲ってのも悪くない。悪いが握力には自信がないわけじゃないしな! あの白い指を組み伏せて押さえ付けてこう……」
まるで変質者だな。自重しないと指じゃないところを攻撃されるぞ。うちの団長……じゃなくてWFWF会長殿にな。
「あははっ! でも指相撲……じゃなくって、指レスかあ。そういえば中学の時にも少し流行ったよね。もちろん、指相撲の方だけど」
そういえばそうだったな。まぁ給食の余り物争奪戦をやってただけだったが。
「うんうん。あの時は結構キョンも熱くなってたよね」
ん? そうだったか?
「やだなあ。揚げパン争奪戦で驚異の十人抜きをしたのはキョンじゃないか」
あーそういえばそんなこともあったかも知れないな。まぁブランクもあるし、今はそんなこともできないだろうさ。第一、そこまで熱くなる必要もないしな。
そんな風に韜晦してみせる俺に国木田は、ふと思いついたように尋ねてきた。
「そういえば、そのトーナメントに優勝したら何かあるのかな?」
「そうだそうだ! なにか優勝賞品くらい当然出すんだろ?」
そーいやそうだ。団長の思いつきに毎度唯々諾々と付き合わされる俺たちはともかく、団体外からの招聘選手にはそれなりの賞品を出すべきだろうな。
ま、昼休みにでもハルヒと相談しておくわ。
「期待してるよ。中学のときに取り損ねた揚げパン以上のものがいいかな」
「食べ物なんかよりも、朝比奈先輩とツーショット写真とか、俺はそういうのがいいぞ! 頼むぜキョン!」
へいへいっと。そんじゃ放課後な。昼休みは多分部室でミーティングだからさ。
◆ ◇ ◆
さて、放課後の文芸部室……つまりSOS団のアジトは本日盛況となっており8名が在室。いつもの五人に加えて三人の参戦選手を迎えているってな状況だ。
ちなみに長机は壁際に寄せられ、中央のホワイトボード前に向かい合わせのパイプ椅子と、レフェリー用の椅子が設置されている。ここが試合会場ってことだな。
ホワイトボードにはトーナメント表が書かれているが、涼宮ハルヒWFWF会長の試合開始宣言後、既に2試合が終わっているので、勝利者2名の進路が赤くなぞられている。
勝ち進んだのは、バトルシップ・ユキとザ・グレート・ハルヒ。一回戦負けしてしまったのは、“ゴッドハンド”ドッポ・クニと、“謎の東洋人”タニ・グチだ。
どうでもいいが、このネーミングセンスはなんなんだよハルヒ。
既に敗退してしまったから今更ではあるが、国木田は国木田独歩からの発想で某格闘マンガの空手家と実在の牛殺しをかけたのはわからんでもない。でも谷口のは適当過ぎるだろ。
「いーのよ。所詮噛ませ犬なんだから」
身も蓋もないこと言うな。見ろ、国木田はともかく谷口なんか流血までしたのに。
「ヒールレスラーの引き立て役なんだから流血くらいあったりまえでしょー」
「涼宮! お前きったねえぞ! いてててて」
「制裁よ制裁! あんた目も手つきもいやらしいんだもん!」
まぁそれは否定しないがな……試合開始早々、ハルヒに鋭い爪を立てられた谷口は、反則5カウント前にあっさりとギブアップを宣言した。秒殺だったな。いくらなんでも弱すぎだろ。
まぁ朝比奈さんに絆創膏貼ってもらってニヤケてるし、別にいいか。
「いやー長門さんが、あんなに指相撲強いなんてねぇ」
一方の国木田はさばさばとした表情だ。
こちらは割と普通の試合だったんだが、押さえ込みに入ろうとした国木田を巧みにかわしてのホールドで長門の勝利だった。ちなみに昨日俺が長門に伝授した戦法の一つでもある。師は鼻が高いぞ。うむ。
しかし国木田よ、長門だってそんなに握力強いわけじゃないだろう。押さえ込まれたところで外せなかったのか?
「うん、それがね、上手いこと関節を押さえられちゃったから外すに外せなくてね。まさか柔よく剛を制すなんて言葉が指相撲……じゃなくって、指レスにも当てはまるとは思わなかったよ」
へえ。こりゃ長門は強敵になるかもな。
「かもしれないねー。やってみて実感したけど力とかはあんまり関係ないと思うよ。まぁ頑張ってよキョン。僕の分もね。あははっ」
そう笑いながら朝比奈さんお手製のクッキーを口に放り込む国木田。朝比奈さんが参加賞として用意してくださったものだ。あのお方の心配りには本当に頭が下がるね。
ちなみに優勝賞品は、なんと豪華なことに学食の食券3回分だ。まぁ参加費用で集めた一人200円が変換されただけなんだがね。
朝比奈さん手ずからのお茶とクッキーの代金だと思えば安すぎるくらいだろ。
さて第三試合は、その朝比奈さんと鶴屋さんの友人対決となっている。俺は第四試合。SOS団側のクジで余ったのが俺と古泉だったからな。
「さー! みくるっ準備はいいっかいっ?」
「は、はい~! 頑張りますぅ!」
選手席に座った二人。この光景を写真に撮るだけでも客が呼べそうだよな。
ちなみに朝比奈さんの親指は昨日のメイドさん顔の下はピンクの蛍光ペンでコスチュームが描かれている。
対する鶴屋さんは緑色のコスチューム。いずれもワンピースの水着で、いわゆる女子プロレススタイルだな。
「っと……その前にぃ。ね、ハルにゃん! 普通にやるんじゃおもっしろくないからさぁ……ちょいっと賭けをしてもいいかいっ?」
鶴屋さんが、悪戯っ子のような表情で審判席のハルヒに語りかけた。こういう提案を拒むハルヒではないだろうが、一体なにを賭けるんですか?
「えっへっへぇ! あのねっ! この試合にあたしが勝ったらさっ。今度ウチで一緒にお風呂に入るときに、みくるのうなじをカミソリで剃り剃りってさせてもらいたいのさっ」
「えぇええぇぇぇえー?!」
朝比奈さんは震えあがってる。っていうかよく二人でお風呂入るんですか。想像してもいいですか。持てあましてもいいですか。海は死にますか山は死にますか川はどうですか。
そんな俺の妄想エクスプレスを余所に、ハルヒは快諾の様子だ。
「いいんじゃない? でも、みくるちゃんったら、なんでそんなに嫌がってるの? やってもらったら楽でいいじゃない?」
「だ、だってぇ怖いじゃないですかぁ~」
「まぁウチのは安全カミソリじゃないからねっ! 何度言ってもいやだーっていうのさっ。でもねっ、みくるのやわっこーいうなじの後れ毛を、こう剃り剃りってしたら、あったし、めがっさ興奮すると思うんだよねぇ~!」
いつぞやの映画撮影時に演じた洗脳された友人役のような表情を見せる鶴屋さん。なんかこう、危ない趣味の人みたいですよ?
「まだキョン君には、ちぃっとわっかんないっかなぁ~」
わからないままでもいいと思います。うなじは割とっていうか、結構好きですが。
「いいわよー! でも鶴屋さん、あなたが負けた場合は? どうするの?」
「そっだねえ……じゃ、お風呂入ったときに、みくるのおっぱいもみもみするのをやめてあげるにょろ!」
「ちょ、ちょっと鶴屋さぁ~ん!」
朝比奈さんは真っ赤っかだ。ちなみに谷口はハルヒとの試合で負った負傷カ所以外から流血している。そこには絆創膏貼れないからな。自分でなんか詰めとけよ?
「なーんか、鶴屋さんに一方的に有利なような気がしないでもないけど……まーいいわっ! じゃ、この試合はWFWF認定カベジェラ・コントラ・ムネモミね!」
スペイン語と日本語のちゃんぽんな上に、聞いてる方が赤面するような試合形式が発表され、第3試合のゴング(ゴーフルの空き缶をペンで叩くだけだがな)が鳴った。
◆ ◇ ◆
えーと、ただいまの試合結果は2分08秒、めがっさボディプレスからの体固めでエル・グルージャ・ツルヤの勝ち……っと。
トーナメント表に赤線を入れて試合結果を書き込む。
ちなみに敗者であるキューティーみくる選手は、勝者の鶴屋さんにうなじを弄ばれて既に失神寸前だ。合掌。
っていうか一緒にお風呂に入らないという選択肢はないんですか。
さて、これで準決勝のカードが一つ決まった。ハルヒvs鶴屋さん。これはなかなかの好カードだな。オリエンタルヒールとハポネサ・ルーダの対決か……流血沙汰は勘弁してくれよ?
続く一回戦最終試合は俺と古泉の対戦だ。トーナメント表には「キョン“THE AGENT”スミス」と「スマイリー・イツキ」の名前が並んでいる。
古泉の右親指はハルヒ画伯による似顔絵+胸の部分には赤い丸印。カラータイマーなら既に三分経過済みじゃないか。闘る前から負け確定だな。
「あなたのそれも喪服みたいですけどね。ご自身のお葬式に備えてらっしゃるんですか?」
ふふん、減らず口を叩けるのも今のうちさ。せいぜい吠えとけ。
ちなみに俺の親指は、某ハリウッドな超大作映画で大量に出てきた敵キャラをモチーフとした黒いサングラスに黒いネクタイ&スーツが描かれている。
ハルヒ画伯の腕には及ばんが、そこそこの出来だ。顔描くのが面倒だったのでサングラスにしたとかそういうワケじゃないぞ。ホントだ。
あ、二つ名の方は「ジ・エージェント」って読むようにな。「ザ」って読むと中学生にもバカにされるぜ?
「わかってるわよ、あんたじゃあるまいに。さ、じゃーはじめるわよー!」
正面に座ったニヤケ面の指と自分のそれをガッチリ組み合わせる。ハルヒの合図と共に長門がゴング(しつこいがゴーフルの空き缶だ)を鳴らした。
まずは力試しと行こうか。俺はリミテッドエスパーのスマイル顔の側頭部に自分の頭をあわせて軽く押してみる。古泉も同じように仕掛けてくるが、甘いな。
力を拮抗させる反応を少し遅らせて、押し返してくる指をローリングしていなす。そして即フォールだ。
「ワン! ツー!」
自らリリース。こんな初歩の手におたついてるようじゃ俺の相手は十年早いな。ウチの従兄弟共はそろそろ引っかからなくなってきたぜ?
「……やりますね」
ちょいちょいと追いかける古泉、少し距離を取って適当にあしらう黒服。ふと思いついて、指レスルールを応用してみた。そのまま距離をとって場外エスケープ。
「キョン! リングに戻りなさい! ワン! ツー! スリー! フォー!」
たっぷりカウント7まで待ってから、親指は少し曲げ気味にしたままで再び指を組み合わせる。そして獲物が餌にくいついてきた。
「ふんもっふっ!」
気合一閃、黒塗りの爪、つまり俺の後頭部を押さえ込みにかかるスマイリー・イツキ。
もちろん誘い技だ。押さえ込みにかかった瞬間、指を引いてかわしつつ外巻き込みで押さえ込む。そのままホールド。
「ワン! ツー! スリー!」
試合終了だ。悪いな古泉。
「やれやれ、参りましたね。こうも鮮やかに引っかかってしまうとは」
全くだ。お前は勝負事に向いてないんだよ。
「かもしれません」
とぼとぼと選手席を離れる古泉。なんだ勝つつもりだったのか。
悪いが十年早いぞ。リベンジは……まぁ学食の食券でも賭けてくれりゃ受けて立たんでもないさ。
こうして準決勝第二試合は俺と長門の試合になった。
◆ ◇ ◆
「めがっさボディプレスっ!」
「なんのっ!」
「スモチ固めっ!」
「まだまだっ!」
準決勝第一試合は白熱した展開を見せていた。といってもあくまでも親指同士の闘いなんだがね。
一回戦では壮絶なまでの反則技でギブアップを奪って見せた悪役指レスラーのハルヒ。
一方、英語ならベビーフェイス、スペイン語ならリンピオのキューティーみくること朝比奈さんに、強引なカベジェラ戦をつきつけたルーダの鶴屋さん。
この二人の対戦だから、さぞかし荒れるだろうと思いきや、お互い反則なしで普通にいい試合になっている。
しかしま、なんだね。ハルヒも黙ってりゃ悪くない見栄えだし、鶴屋さんはスマートだがティーンズ誌の表紙を飾れそうな美少女さんだ。
その二人が椅子に向かい合って、楽しげにちまちまと指相撲している姿ってのは、なかなかに悪くない。
谷口も国木田も同感なんだろう。一回戦負けで退屈するかと思いきや熱心に観戦してるしな。
ちなみにレフェリーは同じく一回戦負けした古泉が務めている。長門はタイムキーパーとゴング係だ。
さて、試合はというと拮抗した状態に業を煮やしたのか、ハルヒがトリッキーな手を使って終止符を打った。では再現VTRスタート。
「やるじゃない鶴屋さん!」
「ふっふっふ! ハルにゃんもなかなかやるにょろっ!」
「でも、決勝戦もあるからね。あんまり時間かけてられないわっ」
「どーんと来いにょろ!」
「……あれ、鶴屋さん。口にクッキーのカスついてるわよ?」
「あ、え?」
くいっ。ぐっ。
「ワン! ツー! スリー!」
――カンカンカンカンカン。
ってな具合だ。どこまでも卑怯というかなんというか。まぁこれもテクニックの内ではあるんだろうけどな。
要は注意を逸らされた鶴屋さんはあっさりと押さえ込まれて敗北ってわけだ。
「くっやし~! あんな古典的なやり方で負っけるなんてなぁ~っ! めがっさくやしいにょろ~!」
鶴屋さんは朝比奈さんに泣きついていらっしゃる。困った笑顔で慰める朝比奈さん。ああ、この二人はいいなあ。目の保養、目の保養。
「ライ・チート・スティール! これもヒールのテクニックよっ!」
全くそんなマニアックなセリフまでどこで憶えてきたんだかね。邦訳すれば「ズルしていただき」ってこった。
「さ! 次は有希とキョンね! どっちでもいいわ、決勝は秒殺で終わらせてあげるから、せいぜいお互い削りあいなさいっ」
文字にすれば、おほほほほほとなりそうなワザとらしさ満点の高笑いを上げて、ハルヒは頬張ったクッキーを紅茶で流し込んでやがる。
喋るか食べるかどっちかにしなさい。行儀の悪い。
「賞品はカレー三食分。大盛りも可……負けない」
一方、静かに闘志を燃やしているのは我が部を誇る無口キャラにして文学少女の長門有希だ。カレー限定の食券じゃないんだけどな。
本日のリングネームはバトルシップ・ユキ……戦艦長門ってことなんだろう。相変わらずのネーミングセンスだなハルヒ。
「私は不沈艦」
どこで調べてきたんだかしらんが、ぽつりと言う長門である。声は小さいが表情には自信がみなぎっている。やる気満々ってわけか。
確かにそんな二つ名を持ったブルファイターもいたが今は引退済みだぜ? まぁ戦艦長門は終戦まで生き残った唯一の艦だし、ビキニ沖の水爆実験でも最後に沈んだという強者でもあるけどな。
しかしな、長門。昨日の弟子に今日の師匠が簡単に不覚をとるわけにはいかんのさ。さ、かかってきなさい!
白皙の指と俺の手が、がっちりと組み合わせられる。
細く小さい指先には猫耳つきの長門の似顔絵。若干リトルグレイっぽくもあるが、つぶらで無表情な黒目が愛らしい。ハルヒ画伯の力作だ。
「……いく」
ゴングと同時に高速で指を動かし、黒服を小突き回す猫耳娘。
かわしきれるもんじゃないが別にダメージがあるわけじゃない。安全圏に逃げるまでもなく、ひょいひょいといなす俺。
と、一旦指を曲げて退いた長門が、超低空高速タックルで俺の指を狙ってきた。
そのまま下から黒スーツの下半身(第二関節部分だぞ)を絡め取らんと攻め立てる。なるほど鍛錬したじゃないか長門。
だが、俺も回転方向をあわせてヘッドスリップで逃げる。追う長門と逃げる俺は中空でクルクルと回転させあう。
「やーるじゃない! キョンも有希も!」
「ふぁ~すごいですぅ~」
「試合を裁く立場ではありますが、思わず目を奪われますね」
「有希っこ~! やぁっちゃえ~っ!」
といった感じで、歓声まで飛んできているが、確かにハイレベルな攻防だ。回転体……なんてのは大袈裟だな、たかが指相撲だし。
だが、そんな攻防も二人同時に距離を取ったところで一段落だ。指の付け根の筋肉がきしむね。なにしろここまで防戦一方だからな。
さて――。
俺は、ふ、と一息吐くとそのまま指を弛緩させて倒してみせる。俺の黒服スミスは俯せになってグッタリってな具合だ。
長門はぴくりと反応したものの、様子を見ているようだ。
「あ……キョン、本気だね」
おっと。国木田、ネタばらしは無粋だぜ?
「あははっ! わかってるよキョン。でも長門さんに通じるのかな?」
やってみなくちゃわからんさ。
「んー? なんか知ってんのか国木田」
「まぁちょっと、ね。中学時代に編み出した技だよ。揚げパン5本を根こそぎ奪い去った妙技……ってとこかな」
「へぇっ! それじゃ注目しないとだねっ!」
どうした長門。罠だと思っても攻めて来なきゃ試合は決まらないぜ?
「……」
わずかに首肯する長門。素直な弟子をもって師匠は嬉しいぞ。だが……勝負となれば話は別だ。
無防備に晒された俺の後頭部、その第一関節を狙ってカギ状に曲げられた長門の親指が高速で振り下ろされる。
刹那――。
「んっ……!」
「ワン! ツー! スリー!」
長門の身を竦めるような反応と鼻から漏れた音に続く古泉のカウントは、確かに三つ数えられた。
一瞬の出来事だ。タネを知ってる国木田と、やられた長門以外は何が起こったかわからんだろうな。みんなあっけに取られている。
ま、とにもかくにも試合終了だ。残念だったな長門。
「……ずるい」
んー? ずるかないぞ。ルール上は反則でもないしな。若干裏技気味ではあるが、これも戦法の内さ。弟子には教えない技もあるんだぜ?
「……」
あー……わかったわかった。そうしょげ返るなって。俺が優勝したら一食分カレー御馳走してやるから。な?
「なら、いい」
やれやれ、だ。長門、この約束は口止め料だからな? カレー食べたかったらハルヒにはさっきのバラすなよ?
「……わかった。できれば、大盛りで……」
はいはい。
そんなわけで、俺は無事に決勝進出。遂にハルヒとの決戦を迎えることになったのである。
◆ ◇ ◆
「なぁキョン。さっき長門と試合したときのアレ、なにやったんだよ?」
企業秘密だ。
「けっちくせぇなあ。いいだろ? なぁ教えろよ~」
決勝戦を前にした休憩時間、俺にまとわりついてきているのは谷口である。そんなに目を輝かせても教えねーぞ。
大体このイベントがまたあるわけじゃないだろうからな、お前があの技を身につけたって仕方ねーだろ。
「ちぇっ……まぁなんとなく想像はつくんだけどもなっ。へへっ、お前もなかなかやるじゃんか。テクニシャンってか?」
なんの話だかさっぱりわからんぞ。
俺は内心、谷口の鋭さに舌打ちしながらも素っ惚けてみせた。
「とぼけるなよキョン。フォールに行く前の長門の反応! ありゃあどう見たって……」
さ、そろそろ試合だ。そういうわけで、この話は終了。そうそう、お前、朝比奈さんのお手製クッキー全部食っちまうなよ?
「わーかったよ! ま、せいぜい頑張ってこいよ。涼宮の反則技に耐えられたらな!」
反則ねえ……。
俺は決勝戦を前に親指のペインティングに修整(?)を施しているハルヒを視界の隅に置きながら、ちょっと考え込んでいた。
デモンストレーションでハルヒが見せた、古典的とも言える反則技の数々は、まぁさして問題じゃない。
関節技なのかなんなのかよくわからないアレも結局は実戦投入はされてないみたいだし、警戒はしておくにこしたことはないが、まぁ大丈夫だろう。
ハルヒの指の動きは確かに速いが、いなせないわけじゃないしな。距離をとればどうにかできる自信もある。
警戒すべきは、あの小狡く悪辣で遠慮も容赦も呵責もないヒール指レスラーが、予想もつかないような反則攻撃をしてくることだけだ。
「さーて! それじゃあキョン! いよいよ決勝戦よ!」
指のお色直しを終えたハルヒがサムズアップしながら俺に声をかける。
ちなみにザ・グレート・ハルヒはペイントレスラーという設定のようで、一回戦は顔を赤く塗った上に黒で「SOS」の文字。二回戦は青の上に修正ペンでSOS(これは試合中に全部剥げた)。
で、今は――。
「悪魔面相バージョンよ!」
赤を地にして、目のあたりを緩やかなV字の黒ラインが顔の左右に渡っている。両頬には「春」と「火」の文字。解る人には解るアレだ。
まったく、十色極細マッキーだけでよくやるよ。感心するね。
でもなーハルヒ。お前、いくらなんでも試合中に毒霧とか出すなよ?
「指からそんなものが出るわけないじゃない! ばっかねー」
いや、お前なら本体の方にやりかねないと思ったからさ。
「……そのアイデアがあったかぁ~! くーっ! みくるちゃん! かき氷のシロップ原液とかこの部屋にないのっ?」
藪蛇だったようだ。っていうかファンタジーをうっかりネタバラシするんじゃない。あれは毒液なんだ。そういうことになってるんだぞ。
「……あんたって、実はプロレスオタクなんじゃないの?」
ぐっ……! ほっとけ! 野球やサッカーに興味を持たなかった男子は一度は通る道なんだよっ!
「ふうん。ま、いいわ! じゃ決勝戦、時間無制限一本勝負! はじめるわよっ!」
こうして第一回WFWF興行@北高SOSアリーナ大会のメインイベントは、その火蓋を切って落とされた――。
◆ ◇ ◆
打ち鳴らされたゴングの残響とともに先に動いたのはハルヒだった。「おりゃー!」なんて言いながら指を振り回してくる狂乱ファイトっぷりだ。
全くこいつは偉大なる剣豪にして兵法家であった宮本武蔵先生を知らないのかね。
後の先、つまり敢えて先手を打たせてから、それを捌いて機を得る、それぐらいの事はして欲しいもんだ。
まぁコイツの頭の中にあるのは先手必勝・一撃必殺・猪突猛進ってなあたりなんだろうがね。
俺の親指はハルヒの威嚇的な攻撃を軽くいなす。まったく、メインイベントなんだから開幕ダッシュなんて無粋な真似はやめて欲しいね。
そんなわけで、俺は正統派らしくザ・グレート・ハルヒの肩に黒服スミスの肩を押し当てて滅茶苦茶な動きを制すると、横からの押し合いを挑んだ。プロレスでいうなら手四つってところなのかね?
「ぐぬぬぬぬぅ~……」
受けて立ったハルヒも俺が押し込む力に対抗しようと指に力を込める。どうやら真っ向勝負で来てくれるようだな……ってあいたたたっ! こらハルヒ! いまガリっつったぞ! 音したぞ音!
「へっへーんだ。力比べにまともに付き合うヒールがいますかっての! ほーらフォールしちゃうわよ!」
「ワン! ツー!」
あっぶね! 俺は慌てて手首ごと腕を振るとハルヒのフォールから抜け出した。おーいて。ササクレになったらどうしてくれるんだ。
「男のくせにそんなことでグダグダいわないの! ほらほら!」
そういうやザ・グレート・ハルヒは水平に構えた爪で、俺のエージェント・スミスを切り裂かんとばかりに襲いかかってくる。いてっ! お前! 爪になんか細工してるだろ! 尋常じゃない鋭さだぞ! 刺さってるって!
「あーらよくわかったわね。さっきペイントしてる間にちょーっとね。あとで爪切らないとだわ~」
暢気にいってやがる。よく見ればハルヒの親指に伸ばされた爪は鋸刃みたいにギザギザに研がれているようだ。お前、女の子の身だしなみとかどうでもいいのか?
「いーのよ。どーせ切るつもりだったし! それそれっ」
素早くかわしつづける親指に業を煮やしたのか、ハルヒはそのギザギザ爪をリング、つまり俺の人差し指に食い込ませやがった。いってーっつーの!
文字通り悪戯をしまくる親指を抑えつけるべく指を伸ばすが、ひょいとかわされる。くーっ! こいつ場慣れしてやがる!
「まだまだ行くわよー! ほーら!」
いたたたたたた! レフェリー! 反則だぞ! カウントとれ!
「あ、はい。ワーン……ツー……スリー……」
遅い! お前もグルか古泉!
俺は、試合に介入してきたハルヒの人差し指に後頭部を抱え込まれ、喉元にギザギザ爪を食い込まされながら、スローモーなカウントを数えるレフェリー古泉に抗議した。古典的過ぎるぞ。
「……フォー……」
「おーっと! えへへへへっ。よいしょっ!」
のんびり過ぎるカウントだったが、さすがにファイブを待たずにズタボロの黒服を解放する悪役レスラー。だが、それも束の間、すぐにフォールに入ってきやがった。
あーぶーねっ! よっと!
「まだまだ元気みたいねーっ! 伊達に揚げパン独り占めしてなかったってことかしら?」
ニヤニヤと底意地の悪いチェシャ猫笑いを浮かべるハルヒ。俺は掌を伸ばして場外へエスケープすると、余計なエピソードを語った国木田をジト目で睨み付ける。
「あはははは! がんばれキョーン!」
棒読みの声援なんかもらったところで嬉しかないね。憶えてろよコンチクショー。
しかし、反則まみれとはいえすかさずフォールに来るあたり、伊達に言い出しっぺじゃないって感じだ。試合はすっかりハルヒのペースだな。
よし……ならば――。
「おー。出た出た! やっちまえキョン!」
「はわぁ~……さっきの長門さんのときにやった技ですね~」
「でたねっ! 有希っこを一蹴した必殺技ぁっ! キョンくんっ! あったしの仇をちゃーんととるにょろ! 食券一枚増やしてあげるからっさっ!」
そんな声援をバックに俺がとった構えは……対長門戦で見せたノーガード戦法だ。ま、もちろんこれは囮なんだがね。
さっきの長門戦を観ているわけだから、もちろん警戒されるところだ。時間無制限だしな、罠と解っていて飛び込むバカはいない。
だが相手は直情型を絵に描いて額に入れた上に展覧会に特設展示したようなハルヒだ。それにこいつは『わかってる』ヤツだからな。必殺技を出されれば、それを破ってなんぼだと思うはずだ。
というわけで……。
「こざかしい! とりゃーっ!」
脱力状態で据え置かれた俺の親指に爪を突き立てんと襲いかかるハルヒ。そして俺は“裏技”を発動させた。
「っ! きゃっ!」
聞いたこともないような甲高い声を上げて身を捩るハルヒ。カラフルに装飾された、その親指も動きが止まる。
――今だっ! ばちこーん!
ってえな! なにしやがんだ!!
「それはこっちのセリフよバカキョン! セクハラ男! 変態っ! エロキョン!」
分身たる親指ではなく本体の頭頂部に思い切り平手を喰らった俺を、真っ赤な顔で見据えるハルヒ。
散々な言われようだが、別にそんなことはした覚えがないぞ? ただ……。
「だ、だってあんた今くすぐったじゃないの!」
そう。くすぐっただけだ。
要はこういうことだ。俺の“裏技”ってのは、囮にした親指に相手の意識がいったところで、組んで土台となっている他の四指の一番下の指――つまり小指で、相手の掌やら手首やらをくすぐって怯ませる……とまぁそういう技なのだ。
やられたハルヒが予想を越える過剰な反応を見せたのには驚いたがね。こいつ相当なくすぐったがりなのか?
「別に反則じゃねーんじゃねーか? お前のやってることに比べたらかわいいもんだろ」
ナイス弁護だ谷口。俺の分のクッキー食べていいぞ。一枚だけな。
「やられるとわかっていても、あれは怯むよねぇ。あれで僕の揚げパンも持って行かれたんだもん」
さっきから揚げパン揚げパンと、あんまり連呼するなよ国木田。そんなに根に持ってるのか。
ところでだな。どれだけ悪徳レフェリーでも、さすがにそろそろ3カウント入っていいんじゃないか古泉よ?
「あ、そうですね。ツー……ス」
「え? あ! おぉっと!」
おいおい、腕ごとふりほどくヤツがあるか。場外どころか会場外までエスケープしてるぞ。
「うるさいっ! 仕切り直しよ仕切り直し! 正々堂々反則抜きでやりなさいっ!」
くすぐりは反則じゃない上に、反則オンパレードだったのはお前の方じゃないか。どの口がそんなこと言えたもんかね。
「団ちょ……会長権限よ! 今のは無効! 再試合!」
まったく、あんまり俺様ルールを押し通すと嫌われるぜ? まぁぶつぶつ言いながら応じる俺も俺だがね。
◆ ◇ ◆
そんなわけで再試合。なぜか顔を真っ赤にしたままのハルヒと俺は、再び指を組み合わせて対峙している。
そして再試合のゴング。
「おりゃっ!」
よいしょっ!
鳴り響いたゴーフル缶のマヌケな金属音と同時に、俺とハルヒは真っ向からぶつかり合う。指レスラーの頭と頭、指で言うなら第一関節同士を血判でも捺し合うかのように押し込む。プロレスでいうなら、がっちりロックアップってところだ。
「や、やるじゃないの……」
ぐぐっと押し込まれたハルヒが漏らす。
お前もな……っ!
押し返されるのを堪えながら言い返す俺。考えてみりゃ、コイツは俺を引っ張り回せるくらいの力があるわけで、どこにどういう筋肉がついてるんだかしらねーが、大した力の強さだ。
俺もハルヒも相当力をいれている。この硬直状態が動く、つまり筋力の限界か心が折れた方が、押さえ込まれるのは目に見えている。
まぁそれでも男女の体力差から言って俺が負けるわけはないのだが、ハルヒのギザギザ爪が指の先端に食い込んで痛い。まぁ今はわざとやってるわけじゃないので不可抗力なんだが、体力差を補って余りあるハンデだ。
「ぐぬぬぅ~っ!」
むむむぅ~っ!
お互いに気合いを入れながら押し込みあう。指の付け根が攣りそうだぜ。白熱した力比べにギャラリー達も静か……って、どうしたんですか朝比奈さん? なんかもじもじしてらっしゃいますけど。ん?
指からは気を抜かずに周りを見れば、国木田も谷口も、鶴屋さんまでニヤニヤしている。ちなみに長門は既に読書体勢だ。古泉は……元々ニヤケ面だからわからん。まぁ心なしか普段より嬉しそうではあるが。
なんなんだ? どうしたんです朝比奈さん?
「え、だってぇ~……そのぉ~……」
「まぁなぁ……」
「うん、そうだねぇ」
「あっはっはっは!」
朝比奈さんはもじもじ。谷口は呆れたようなニヤニヤ面。国木田はそれに同調して、鶴屋さんは大笑いだ。
え、なんか可笑しいんですか? 割と真剣にやってるんですけども。
「ちっがうよぉ! だってさキョン君っ、ハルにゃんとキョン君の指には顔描いてあるにょろ?」
ええ、俺の方は随分落ちてきちゃいましたけど。
「うんうんっ! でもねっ、そんな指同士がさっ! さっきからプルプルしながら、ぶっちゅーって顔くっつけてるんだよっ! こりゃ~みくるじゃなくったって顔が赤くもなるっさぁ! お二人さん、めーがっさ熱いにょろ~!」
そう言ってまた高笑いする鶴屋さん。顔を赤くしたまま「やだもぉ~」とかいいながら、鶴屋さんをぽかぽか叩く朝比奈さん。
相変わらずニヤニヤの国木田。「やってらんねぇーや」と谷口。おわっ! 長門、いつのまに?!
「……噴火寸前」
え? 長門が指差す方向には俺の対戦相手、即ちハルヒがいるのだが……見れば耳まで真っ赤になっている。力の入れすぎか? それともトイレか?
「……もおおおお! バカーーっ!!」
「……噴火」
◆ ◇ ◆
結局、試合は俺の勝ちとなり優勝賞品の食券3枚+鶴屋賞の1枚を手に入れることとなった。
――まぁハルヒの暴走による試合放棄というか左手の乱入という重大な反則による失格というか、そういう形で転がり込んできた勝利なんだがね。
……昭和のファンだったら暴動起こされてるぞ?
ま、そんなこんなで最後は全選手……というか全指で整列しての記念撮影をして第一回WFWF興行は終了となった。
部室のコルクボードの写真群には、被写体が全員でサムズアップしているという見た目だけは妙に爽やかな写真と、指レスラーだけのアップ写真の2枚が追加されている。
で、第一回興行でハルヒWFWF会長は指レスに飽きて、めでたしめでたしとなったかというと……。
「キョン! 今日こそ決着をつけてあげるわっ! 炎の十番勝負三戦目、時間無制限三本勝負! いくわよーっ!」
全然飽きていないのであった。
あのな、ハルヒ。やるのは別に構わんが、なんでお前はレフェリーやってくれるヤツがいないときに限って勝負を挑んでくるんだ? 巌流島のノーピープルマッチでも気取ってるのか? おまけにロックアップしかしてこないし……。
「う、うるさいわね! いいの! 今日こそ実力で倒してやるんだから! ほら! さっさと構える! ほらほら!」
そして今日もSOSアリーナに、ゴーフル缶のゴングが鳴り響くのであった。
まったく、やれやれだ。
<了>