腕を組み、真正面から俺の顔を見据えるハルヒ。自分の勝利を微塵も疑わない顔だ。

「何?エロ本?つまんないもの学校に持ってきてんのねえ」

自信に満ちた、張りのある声。
こちらの急所をつき、一気に勝負の流れを自分のペースに引きずり込もうとする。
大抵の場合、と言うかこいつと出会ってからほぼ10割近くの率でこいつは俺の急所を正確に捕え、
その後の俺の行動を意のままのものにしてきた。だが、今回ばかりはさすがのこいつも勘を外したようだ。

しかし、俺はと言えばこのハルヒのミスディレクションと言うまさに千載一遇のチャンスを、全く生かす事ができない。
相手のミスに乗じて攻め入ると言った事が頭にひとかけらも浮かばず、ただその場に往生する事しか出来ない。
たとえば、目の前に檻の中でライオンが怒り狂っていたとして、どれだけの人がそのライオンに対して気持ちの上で優位に立てるというだろうか。
おそらくほとんどの人は、自分が安全だと言う事すら頭の中から消え失せてその場に立ちすくんでしまうのではないか。

そんな俺に対し、ハルヒはと言えば自分の言葉に思ったよりもひるまない俺に一拍ほどの戸惑いを見せたが、すぐに心身をニュートラルポジション、
隙のない正眼の構えに戻して俺の顔をまじまじと見つめはじめた。

「さては…」
来た。こちらの心を崩す牽制の一言。こうした何気ない一言でこいつは相手の心を萎縮させ、次の一撃で間違い無く仕留める。
「あんた、まさかなんか変な趣味あるんじゃないでしょうね!?」
猛烈な一撃だった。もし俺が何か人には言えない特殊な性癖を持っており、今そうした類の何かを持っていたとしたら、まず間違い無く
その持っている物から、自分がその性癖を抱くようになった由来に至るまでを次から次へと引きずり出されてしまっていただろう。

しかし、今回ばかりは勝手が違った。
天下に名だたる万能選手の涼宮ハルヒも、まさか俺のこの懐に100万からの金があるなどという事はとうとう考えが及ばなかったようだ。

『な、何だっていいだろ。…俺の、プライバシーだよ。』
絞り出すような一言を、吐き出す。奇跡だ。逃げ切った。俺は、俺が、ハルヒから、逃げ切った。
この学校に入って、こいつと出会って以来、一度としてこんな事は無かった。いつだって隷属の鎖の下につながれ、財布の中身から家族との
会話まで逐一こいつに把握されていた俺が、今日この日、とうとう逃げ切ったのだ。

プライバシー、と言う俺の一言を聞いて、ハルヒは二拍、いや三拍ほどポカンと口を半開きにして過ごしたものの、すぐにその開いた口を閉じると
閉じた口の端を吊り上げ、目を薄気味悪く細めて頷いた。

「そうね。プライバシーね。いいんじゃない?いいと思うわ。うん。プライバシー。そうよね。」

易々と引き下がる事で却ってこちらを心理的に動揺させる常套手段だが、俺はと言えば情けないほどにその常套手段に絡め取られてしまい
目は泳ぎ、息は弾んでまったく落ち着かない。
 みっともないほどの動揺丸出しでぎこちなく席につき、机にしがみつく。そのまま午後の授業へとは移ったものの、後ろの席からはハルヒの
まさに練り込まれたタイミングでの「プライバシーかぁ」のつぶやきが俺の心臓を貫く。


しかし、これからどうする?
考えてみれば、この金をどこに置いておいたらいいのだろう。家の自分の部屋に隠すのは避けたい。学校に隠すのも不可能だ。
となると、残された堅実な手段はと言えば、誰かに預けておく、これしかない。そして誰に預けるかと言えば、…これはもう、聞かれるまでもない。

6時間目の終わりの鐘が鳴るや否や、俺は淀みなく道具をカバンにしまい、そのまま廊下へと歩み出ると脱兎のごとく部室棟へと駆け出した。
俺の1年余の経験上、長門はまず絶対に1番に部室にいる。そして、これはあまり期待してはいけないのだが、ハルヒは大抵の場合団活には遅れてやってくる。

たとえ1分でもいい。俺とハルヒとの到着の間に時間があれば、俺は長門に事情を説明し、金を預ける事ができる。いや、相手は長門だ。何も言わずに
封筒を握らせ、「預かってくれ」の一言で何も言わずに預かってくれるだろう。

息を弾ませながら部室棟の廊下を駆け、我がSOS団の団室へと辿り着く。精一杯急いだんだ。たとえハルヒがあの後すぐ追いかけて来ていた
としても、2、30秒の間はあるはずだ。

木製のややきしむ扉を力一杯開き、部屋に顔を突っ込む。そこには、いつも俺達を助けてくれる、無口の万能インターフェースが椅子に座って…
そう、椅子に座って、分厚いハードカバーを読んでいる。
そして、陶磁器の人形のように佇む長門を遮るかのように、我等が団長、涼宮ハルヒが両腕をアキンボウに組んで仁王立ちに佇立していた。
顎を斜め上に向けながら、口の端をこれでもかとばかりに引き上げ、目尻から真っ黒な瞳が俺に向けられる。

「さて、プライバシー公開のお時間ね、キョン。」


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