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「ねえ、ちょっと」  
 くいっと俺の服が引かれ、
「なによ、あれ。何であんたがあそこに居るの? ここは何処なのよ?」
 中学ハルヒは現状況の雰囲気だけは察知しているのか、息を潜めて俺に尋ねてきた。
「ここは……その、なんだ。北校の校門前で、あれは過去の俺だよ」
「過去のあんたは何してんの? あそこで、この長門って人に話しかけてるみたいだけど」
 ん……それについては話してる暇が無さそうだな。と考えた俺は、
「とにかく……そろそろ事態は動き出すから、もう少し見守っててくれ」
「でもさ、あたしは何をやればいいの? 見てるだけ?」
 ……どうだろう。朝比奈さんは何か知っているだろうか。
「あたしも、その、詳しくは聞いていません。知っているとすれば……」
 と言いながら、自分の未来である女性の後姿に不安そうな視線を向けた。
「それと……」朝比奈さんは視線を落として、「……すみません。キョンくんに、何度もこんな場面を見せることになってしまって。そして、それを止めることが出来ないあたしも――」
 確かに何度も見たい映像じゃないが、それを言うなら朝比奈さんこそ気の毒だ。単純に考えて俺の倍はこの場面に立ち会わなければならないのだから。
「あ、」
 これは誰の声だか分からないが、ここにいる長門のではない。俺かハルヒか、朝比奈さんか。何故この声が漏れ出したのかと言えば、答えは簡単だ。


 ――刺された。目の前の『俺』が、朝倉に。


「――キョンくん!」
 朝比奈さんが慌てて走り出すと、すぐさま見えない壁にぶつかり「あ……!」っと前回と同じ行動を繰り返した。
「長門さん!」
 朝比奈さんのセリフを合図に、俺も走り出す。
 ……が、俺の足はすぐさま停止した。
「な……?」
 ――長門が展開しているフィールドが、解除されていない。
「ちょっと……。あの女の人、あんたを――」
 驚愕の色を隠せないハルヒが、こぼすように呟く。そして校門の前では、朝倉が倒れている『俺』に向かって何かを話している。何か、とは言うものの、その内容を俺は知っているのだが。
「えっ……長門さん!? 何してるんですか! 早くしないと……キョンくんが!」
 こうしている間にも朝倉は『俺』へと近づき、ナイフを『俺』に突き立てんとしている。
 と、そのとき。沈黙を貫き通していた長門が疾走し、朝倉のナイフを掴みにかかった。
「朝比奈さん! 俺たちも行きましょう!」
 残されて呆気に取られている朝比奈さんに呼びかけ俺たちも駆け出し、数瞬遅れの俺たちが現場で見たものは、すんでの位置で朝倉のナイフを素手でホールドした長門の姿であり、朝倉は急に伸びてきた手に戦慄を走らせた後、
「誰!?」
 と吃驚し、付近で腰を抜かしている眼鏡の長門はこの光景を目の当たりにすると、
「あ……?」
 疑問符付きの小声を出した。その間に朝比奈さん(大、小)は刺された『俺』へとすがりついて、朦朧としている『俺』に話掛けている。この光景……朝比奈さん(大)が言っていたように、刺された俺が見ていたものそのままだ。こうして客観的に見ると、体験したときよりも事の流れが速いように思う。やはり、人は死が近づくと時間を長く感じるのだろうか。
「なぜ!? あなたは……!? どうして……」
 と朝倉が叫んだところで、二人の朝比奈さんは、俺の記憶する言葉を『俺』に言い放っていた。
 ……そして現在の俺は、この時の朝倉の言葉に続きがあったのを知ることとなる。
「そんな状態に、なっているの……?」
 この言葉は朝比奈さんたちの言葉にかき消されて、刺された瞬間の俺には聞こえなかったのだろう。
 俺は倒れている『俺』の側に転がる長門銃を拾い上げ、自分に向かって、
「すまねえな。わけあって助けることはできなかったんだ。(分岐点を作るために必要だったとよ)だが気にするな。俺も痛かったさ。(見ているだけで思い出せるね)まあ、後のことは俺たちが何とかする。(ハルヒだっている)いや、どうにかなることはもう分かっているんだ。(この問題を解決したから、あの三日間が生まれているらしい)」
 そして俺の姿を死にそうになりながら確認しようとしている『俺』に、
「お前にもすぐ解る。今は寝てろ」
 そうして『俺』は死の眠りにつくかのように気絶した。
 ……俺の台詞は、思い出しながら復唱しておくまでもなくすらすらと出てきていた。やはり現在の俺の行動が、この日の基点になっているのだろう。
「ひょっとして、死んじゃったの?」
 背後からハルヒの声がした。死んでるっぽいが、この俺は幽霊でも何でもないということから、こいつはまだ生きてると断言できるな。
「キョンくん! しっかり……!」
 朝比奈さん(小)が『俺』を揺らし、三途の川の橋渡しをしようとしている。だから、あんまり揺らすと死んじゃいますよ?




 さて。これから俺は、朝倉が消えて世界が修正された前回とは違った結末を迎えなければならない。あの三日間に繋がるようにしなければならないのなら、長門銃――再修正プログラムは使わないのだろうか。
 俺は朝倉と長門の姿を確認する。長門が掴んでいる朝倉のナイフはきらめくことなくズルリと抜け出し、朝倉は後方へと飛び退いた。長門はしゃがみ込むと『俺』の傷口に触れ、おそらく治療であろう行為を行った。そして朝倉の方へとにじり寄り、一定の間合いを保って得も知れぬ緊迫感の飛び交う拮抗状態を作り出す。倒れ込む『俺』は上半身を朝比奈さん(大)の膝の上に抱えられ、永眠に似た安眠を惰眠の如く貪っている。変わってもらいたいが、今は朝比奈さんの母性に甘えている場合じゃない。
 朝倉、と呼びかけようとしたときだった。
「あんたたち、長門さんに何したのよ……」
 愕然とした面持ちを下げた朝倉が、虚ろな長門を瞳に据えたまま言い放った。
「わたし……? なぜ……? どうし……て……」
 眼鏡の長門はへたり込んだまま、この混迷した状況を把握出来ずに当惑している。朝倉はその長門の姿を確認すると、激情によりわなないていた蒼髪にフッと冷静さを戻し、
「……そっか。もう関係ないのよね。そこの長門さんがどうなっていたとしても。あなたが、長門さんなのだから」
 関係ないわけがない。今の長門は長門であって長門じゃないが、そこの眼鏡姿の長門も……長門じゃないんだよ。
 長門銃を片手に歩を進めた俺が朝倉に向かって話すと、血の付いたアーミーナイフを持ったそいつは秀麗な笑顔を作りながら、
「この子が長門さんなの」
 すっと横へ歩き出す。俺の長門は右足を半歩前に出して距離を詰めようとするが、朝倉はそんな所作を気にもかけない。
「じゃあ聞くけど、あなたの言う長門さんって何? ここにいる、長門さんが望んだ姿の彼女が長門さんじゃないなんて、何を根拠にそう言えるのかしら」
「……長門が自分を作り変えた、ってのが根拠だろう」
 俺は続ける。
「俺たちと一緒に過ごしてきた長門が長門だ。そして長門はさっき、そんな今までを消し去って別の長門に変わっちまったんだ。だから……ここにいる長門は、長門じゃない」
 言いながら、不安そうな顔を眼鏡の下に貼り付けている長門を見て申しわけなく思っていると、
「どうして?」
 朝倉は笑顔を崩さないまま、
「長門さんが望んだ自分の姿である彼女こそが、本当の長門さんじゃないの? あなたがこの長門さんを否定するのは、つまり長門さんの願望を押さえつけているのと変わらないわ」
「違う。人が変わるときってのはもっと別にある。こんな方法じゃありえない。これじゃ、何も変わってないのと一緒だ」
 朝倉は一瞬呆けた顔を浮かべたが、すぐにまた余裕のある笑顔へと戻し、
「どういうことかしら」
 俺は怯えている眼鏡の長門を一瞥し、朝倉に視線を戻すと、
「……俺はこの日があったから、自分の気持ちに気付いて変わることが出来た。それは俺が一人で過ごしていたら、気付かなかったことだと思う。人が変われるのは、そいつの側に人が居て、そして自分を自分で受け入れることが出来たときなんだ。自分を無理に変えちまうってのは間違いで、変わりたいなら、まずは自分のことを知らなけりゃならないんだ」
「自分のことって?」と聞く朝倉に、
「長門の場合はエラーだのバグだのと言っている部分がそうだな。それはこいつの感情なんだよ。その正体に自分で気付けなかったから、そして、俺もその大きさに気付かなかったから……長門は、世界を変えちまったんだよ」
 ふふ――。朝倉は不意にくすぐられたかのような笑いを出し、その姿を見て疑問符を浮かべている俺に整然と、
「それは間違い。感情? そんなの、長門さんは持っていないのよ。長門さんが何を思ってこの姿に自分を変えたのか、あなたに分かる?」
 う……。猛烈に否定したいことを言っているが、後半の部分には閉口せざるを得ない。……それを、俺はコイツに尋ねに来たんだ。朝倉は少し顔をしかめている俺に優しく諭すように、
「長門さんが今日の行動を止められなかったのには理由がある。それは、起こす理由があったから。だから彼女は世界を改変したの。その理由っていうのは単純。長門さんは人間になってみたかったのよ。でもそれは彼女の望みを叶えるためのもので、長門さんの望みは他にあるの」
 朝倉は俺の長門のほうへと体を向け、俺のことなどまるで見向きもしないように、
「長門さんはね、『心』が欲しかったの。どうしてそんなものを彼女が欲しがったのかといえば……それは、あなたたちが原因」
 立ちつくす俺や、大人の朝比奈さんをくるっと見回して、
「クリスマスなんていう記念日に浮かれるあなたたちを見て、長門さんは思った。わたしは、彼らのようにその日を楽しめるのだろうか、今、わたしは楽しいのだろうか。なんてことをね。そしてクリスマスという日の持つ意味が、長門さんを世界の改変へと走らせた」
「クリスマスの……意味だって?」
 俺が言葉を出すと朝倉は穏やかに、
「人にとってクリスマスは、神様が人間の子として生まれ出たことを祝うとされている日。この国では、サンタクロースがプレゼントを与えてくれる日でもある。そこで長門さんは思ったの」
 不意に朝倉の双眸は俺へと向けられ、俺の瞳を見つめながら……こう呟いた。


『わたしは……『心』が欲しい。その心というものが有機的な活動によって与えられるのならば、わたしは……人間になりたい』


 長門の『望み』らしい言葉を言い終えると、軽い溜息を吐くように肩の力を抜き、
「だけどね、『人』になりたいと願った人外の存在が辿る顛末っていうのは、大抵相場が決まっているものなのよ。そして長門さんもその例に漏れなかった。つまり……」
 一瞬。朝倉の姿が消失し、次に眼鏡の長門の背後へとふわりと登場したかと思えば、座り込んでいる長門の首元に両腕をまわし、後から抱きついた格好のまま、 
「この子のように夢が叶い人間になるか……あなたが連れてきたそこの人形のように、壊れちゃうってこと」
「……ぐ」
 それは違う――と言いたいところだが、異議となる言葉が出てこない。
 ――くそ、なんて皮肉だ。そういう系統の物語のオチは確かにそういった末路を辿ることが多い。だが、どっちの結末を取ったとしても、長門にとっては――
「わ……たし……? なんのこと……」
 ふるふると小刻みに震える手を自分にからむ朝倉の両手に添え、背後へと向き返す眼鏡の長門。朝倉は長門の頬をスッと撫でつけ、
「あなたは、人の『感情』に魅せられてしまったのね。だけど人間の世界は、優しいあなたが生きるのには適していない。でも安心して? あなたはわたしが守ってあげる。願いを聞いてくれるサンタクロースなんてものがいない代わりに、わたしが長門さんの願いを叶えてあげるから」
「……どういうことだ」
 朝倉は軽く目を閉じるとスッと立ち上がり、
「長門さんが欲しいと願う『感情』っていうものは、有機生命体がその脆い身体を守るために、進化の過程で形成されてきたプログラムだと思念体は捉えてる。自分にとって有益なものを選び、害をなすものは忌避するといった行動を取らせるためのね。一言でいえば、『死』を回避するプログラムってところなのかな。情報生命体である思念体には死の概念がないから、わたしたちはそんなものを持っていなかった」
 眼鏡の長門を哀愁の目で見下ろしながらそう話すと、俺へと視線を戻し「そしてね、」と続けて、
「長門さん以外のわたしたちインターフェイスは、人類との相互理解の方策を打ち立てるために、涼宮ハルヒの能力発現から間もなく人間社会に溶け込んだの。そこでわたしは色んなものを知ったわ。人間の性質の特異性や、他の有機生命体との相違点。それらの情報を多様に組み上げながら、わたしは人間という存在に対応していった。そして長門さんは、それらがないままに涼宮ハルヒやあなたたちへと接触してしまったの。本来なら観察の役割しか持たなかった彼女が、あなたたちに触れられてエラーを起こすようになった。――そして今日、長門さんは世界を改変するに至ったの。それは自分の身の上に不満を持っているようなあんたに、元の世界がいいか、この長門さんが人間として生きる……あんたにとっての常識的な世界が良いかを選ばせるためでもあり、人間になった自分をあんたに見てもらうためでもあった。そしてあんたは、元の世界を選んだのよね」
「……ああ。その判断は間違っちゃいなかったと思うぜ。ただ、長門の望みを聞いてやれなかったのは最低だった。だから俺は長門のために、またここにやってきたんだ」
 そう。と朝倉は興味がなさそうに言い、
「わたしは長門さんのために、彼女が人間に抱いた幻想を……現実のものにしてあげるわ。彼女を脅かす人間を消去して、この人間になった長門さんが笑顔で生きていけるための世界を作るつもり。それが、あたしから長門さんへの――」
 ……恐らく朝倉はこの後、クリスマスプレゼント、と続けるつもりだったのだろうが、他のヤツが言葉をはさんだおかげで言うことが出来なかった。どんな台詞が飛んできたかといえば、
「バッカみたい」
 これを言ったのはもちろんハルヒだ。ハルヒは自分より年上であるはずの女に向かって、
「あんた賢そうな顔してるけど、てんで分かっちゃいないわ。あたし思うんだけど、機械や人形や動物なんかが人間になりたいっていうとき、なんで自分の体を人間にするために行動するの? そりゃあ体も精神に影響するんだろうけどさ、心の結びつきを考えると、人か動物かなんていう違いってのは男か女かって程度の意味しかないはずなのよ。だからあたしは、動物が人間になりたがるのはとても動物的だと思うけど、逆にね、それが自分自身をちゃんと理解して、自分らしく人間と接している姿には、たとえそいつが何であろうと、あたしはそれにひどく人間味を感じるの。大事なのは中身なのよ。人間の体してたって人間じゃないような奴なんて沢山いる。結局体なんてね、自分という存在の入れ物にしか過ぎないってこと。この長門って人が宇宙人なら、それをネタにして人間と笑い話でもしてればいいじゃない。宇宙人だってのが気になるっていうんなら、相手はそんなの気にすることないって教えてあげればいい。宇宙人だろうが人間だろうが、その人たちの本質的な関係には何の意味もないんだから。それに……」
 少し朝倉の姿を視認するような間を空け、確認が終わると、
「あんたも宇宙人なんでしょ? じゃあ、この長門って人も『心』を持てるはずよ。だって、あんたはこの人が心配で、この人のために動いてるじゃない。それって、『心』がないと出来ないことだから。あんたが『心』を持っているんなら、この人も……」
 ――と、今度は朝倉がハルヒの言葉の終わらぬうちに、
「そうね。確かにわたしには『心』があるのかもしれない。でもね、あなたが正しいのはそれだけ。他は間違ってるわ」
 ハルヒは片方の眉をピクリと吊り上げ、朝倉は不敵な笑みで、
「知ってる? 有機生命体独自の『心』っていうシステムの中でも、人間のそれは特殊なの。一言で言うなら、ウイルスと同じ。わたしに『心』が生まれたのは、人間同士のネットワークに繋がったことによって『心』が伝染したからに他ならないわ。そして長門さんは優秀な端末であるがために、そんなウイルスじみた『心』なんてものを持たなくて済んでいるの。長門さんが人の心を持ちたいのなら、人間になるしかないのよ。そして人間の『心』から生まれる感情の喜怒哀楽っていうのはね、人が社会に組み込まれたときを境に変質しちゃうの。それがどういうことなのか……わたしが教えてあげる」
 朝倉はナイフをくるくる回し、その自分の手元に目線をやったまま、
「――人間は、何も知らない子供の頃には自分の周りがとても輝いて見える。世の中は何て素晴しいんだろうって、自分の周囲と人の綺麗な部分しか見えていない人間は思いさえするわ。だけど人が世界を知ったとき、自分という絶対的な存在が、人間社会の中で相対的なものへと変容したときに……その人が見ている世界は一変するの」
 ハルヒは一瞬身じろぎし、苦い顔を呈した。そんなハルヒの姿を見て……俺はいつかのハルヒの野球観戦の話と、それに伴うハルヒの憂鬱な表情を想起した。
 朝倉はチャッとナイフの柄を掴むと、
「他人の幸せと自分の幸せを見比べて、やがて、自分の幸せはとてもちっぽけなものだと感じるようになる。そして妬む。自分の存在や取り巻くものに不満を覚え、何故自分は……といった怒りを表すようになるのよ。そしてそんな自分を哀れみ、悲しみの中に身をおく。そして最後には……世界が、自分にとって全く楽しいものではなくなってしまうの。……そうね、涼宮ハルヒ。これをもとに、わたしがあなたの未来を予言してみようか」
 シュッ、と血のついたナイフの切っ先をハルヒに向けて、
「世界に憂鬱を覚えたあなたは溜息をつくかわりに、そんな退屈な日常を変えるため、消失してしまった喜びを探すために暴走を始める。そしていつまでたっても何処まで走っても『それ』がみつからないことにあなたは次第に動揺を覚え始め、それが誰かの陰謀であることにも気付くことなく、行き場のない感情を抑えきれなくなって憤慨するの。それでもあなたは走り続ける。だけど、それは逃げるという行動に変わって、やがて分裂した道、二つの行き先へと辿り着くことになる。フフ。残念ながら、あなたがそれからどっちへ行くのかは解らないわ。だってさ……」
 朝倉はナイフの背を肩にトントンと当てながら……冷めた声で、こう言い放った。


「――着いた先が天国か地獄かなんて、死んでみなければ分からないのだから」 




 ……ハルヒは面食らったように声を出さず、そのまま、一向に二の句を継げずにいた。そんなハルヒを見て俺は、何も言い返せない自分が……腹立たしかった。
 俺とハルヒが押し黙っている――そのときだった。
「――違いますっ!」
 この目一杯の否定の意味を込めた声を、俺は聞いたことがある。それは喫茶店で藤原の話を聞いていたときに、俺の朝比奈さんが放った言葉だ。つまり静まり返った俺たちのなかで、この渾身の否定句を飛ばしたのは朝比奈さん(小)だった。
「……あら、小さい未来人もいたの? 何が違うのかしら。教えて欲しいところね」
 そういえば、朝比奈さん(小)の姿は朝倉には見えてないのか。俺から見える小さな朝比奈さんは視線を地面に落とし、
「……人は、やがて死にます。だけど涼宮さんは、それを逃げ道になんて絶対にしません! だって……」
 そして朝倉を意気のこもった目で見据え……、
「涼宮さんの未来には、キョンくん……そして、SOS団のみんなが待っているから!」
 ……どうやら、こちらの預言者の方が一枚上手だったようだな。気持ちいい位にナイスな啖呵だ。さぞかし朝倉も表情を歪ませて――、
 と思ったがしかし、当の朝倉は呆れ返ったような風体で、
「何言ってるのよ。その涼宮ハルヒの作ったSOS団こそが現実逃避の最たるものじゃない。あの涼宮ハルヒもやがて気付くわ。自分の行動の虚しさに、そして自分が……いつも独りだったってことにね。その事実を知って驚愕することになるのは、自分勝手な彼女が受ける当然の報いよ」
 朝倉は視認できない朝比奈さん(小)の代わりに大人の朝比奈さんを見つめ、 
「あなたにとって涼宮ハルヒはどんな存在なの? あなたの未来は、彼女をいいように利用しているだけじゃない。情報統合思念体はね、彼女を進化の可能性の一つとしか捉えていないわ。そして機関とかいう人間たちも、常に他者の前では仮面をかぶり、自らを晒そうとはしない。涼宮ハルヒに限らず、それぞれが結局は自分のため、己のエゴによって行動しているのに過ぎないの。SOS団とかいう集団こそ、涼宮ハルヒを独りにしている原因なんじゃないかしら」
 俺の朝比奈さんまでもグッと言葉をなくし、俺は目を細め、ハルヒは朝倉をキッとにらみつけ、長門は虚ろな瞳、朝比奈さんは震える眼で……目前で嗤う女の姿を捉えていた。朝倉は血みどろのナイフをスッと降ろすと、  
「でも安心して。それは人として当然の動きなのだから。フフ。わたしが見てきた人間の正体を教えてあげよっか」
 誰も答えることなど出来ずにいると、もとより返事など求めていなかったように朝倉は喋り出し、
「……他者と交わることによって歪んでしまった人間の感情はね、自分の中だけに向けられているときはまだいいの。だけど、それが他者に向けられたとき、人は自身の向上を忘れ、他人の評価を下げることによって自らを成立させようとする。人の失脚や誤ちに幸福を感じ、自分と違うもの、自分より優れたものを排除しようとする。人が他人のために悲しむのもね、結局は自分に不利益があるからなのよ。そして人は自身が楽をするために同じ人間である他人を利用し、その利益を搾取する。そんな『他』との関わり合いこそ、人間がここまで進化してきた理由」
 このとき既に笑顔は消え、愛想をつかした者を見るような卑下した目線で……朝倉は語り出した。
「情報統合思念体は涼宮ハルヒという人間に進化の可能性を感じたのだけど、それは間違いだった。だって現状の人間の進化なんてさ、さっきわたしが言ったように、優秀な存在を残すはずの『淘汰』という現象が、現存するものを食いつぶすだけの行為に変わってしまったものなのだから。つまり、既に人間の進化も頭打ちなのよ。後は、自分たちが堕ちていくことに気付かぬまま身内同士潰しあっていくだけ。それに涼宮ハルヒの情報創造能力だって、現実を認めることが出来ない駄々っ子が創出した……とても幼稚な力。その程度の存在でしかない涼宮ハルヒになんて、情報統合思念体を進化たらしめるヒントなんてあるわけない。いえ、最初から思念体には、自律進化の閉塞状況を打破する方法なんてなかったんだわ。意思統一が不完全な情報生命体の集合であるわたしたち……いえ、彼等には、人間と同じように滅びの道しか残されていなかったの。それを考えてもね、長門さんが世界を作り変えたのは正解だった。元の矛盾だらけの偽りの世界より、長門さんの修正した世界のほうがずっと真実に近いから。でも、真実は常に正しい者に寛容というわけではないのも確か。むしろ、正しい行いをする者こそ馬鹿を見るような世の中なのよ。わたしは長門さんの世界から……そういった、人を笑いながら踏みにじるようなヤツを排除する。この世の悲しみを全部消せば、みんながみんな笑える世界になるはずなの。ねえ、あんたもそうだと思わない? だから、それは必要ないの」
 朝倉はそう言うと片手を空にかざし――空気を、掴み取るとるような動作を始めた。
 ……待て。これは……、長門が世界を変えたときの――。
「――まさか、そんな……」
 小さい朝比奈さんが凍りつく。そして俺の手に握られていた長門銃は微小な光の粒へと姿を変えサラサラと消失していき、現在俺たちが置かれている状況を不穏に示唆していた。
 ――まるっきり頭になかった。この世界も時間平面で出来ているなら、ハルヒの情報創造能力もどこかに存在するはずなんだ。
 そしてその能力は、ハルヒにも、長門にも備わっていない。とすると、その能力の行き先は…………朝倉。あいつに……。
 つまり朝倉は、ハルヒの能力でこの長門が作り変えた世界をさらに改竄するつもりだったんだ。この世界から悪人を消す――気の弱い眼鏡の長門が、他の奴らから傷つけられないために。
「フフ。何といっても、やっぱりこの能力には驚かされるな。その長門さんがまるで障害じゃないもの」
 朝倉は勝ちを確信したような声調で、
「そこの『人形』の情報統合思念体との接続と、端末が有する情報操作能力もキャンセルさせて貰ったわ。つまり、もうあなたたちに切り札は残されていない。……わたしは今から、この情報創造能力で世界を整理する。誰もがみな平等で、孤独など存在しない世の中を作るために。わたしは長門さんのためにこれを行うのだけど、あんたらにとっても欣快にすべきことなのよ? 一人では決して生きていけない人間が、他者を食い物にすることなく歩んでいけるようになるのだから。それこそが人と人との繋がり方で、最も正しい――」
「――違う!」
 俺の叫びに、朝倉は虚をつかれたように笑みを消した。
「……自分にとって要らないもんを消し去って、都合のいい世界を作るなんてのは絶対に間違ってる。それで良いわけがないんだ!」
 当たり前だ。自分のエゴを人に押し付けるヤツは最低だが、そいつを消すなんてのも個人のエゴによる行動でしかない。例えそんな風に平和な世界を作ったとして……長門が、本気で笑顔になれるはずもない。誰だってそうだ。何故ならな、それこそ偽りの、嘘で塗り固められた土台に立つ、虚しいだけの世界でしかないからだ。
「じゃあ、」朝倉は冷ややかな視線で、「あんたは人間の関係をどう思ってるの? 弱者が強者に蹂躙されるのは仕方のないこと? 隙のある奴が悪くて、それを付けねらうのは当然? 小さい輪のなかで互いに傷を舐めあい、意味のない肯定を交わすのが弱者の生き方? あのね、人は誰しも心に壁を作っているのよ。それは、他者の侵入を許さないため。脆い自分を守るため。口ではどんなに仲間意識を語ってもね、絶対的に人間は孤独なの。だからわたしは、人が壁を作らなくてもいい世界を創造する。心の侵犯者を排除すれば、心に壁なんて必要なくなるわ。だって、世界に自分を傷つける者などいないのだから。そうなれば、みんな自分から外へと歩きだす。そして健やかな心を持つ人間がこの世界を調律していくのよ。歪んだ人間の感情なんて自身の進化においてはじゃまっけなノイズでしかない。自律進化を阻害する粗悪な遮蔽物でしかないの」
「……確かに、歪んじまった人間はいるさ。けどな、そんな奴らのために、歪んだ心を直すために、人は一人じゃないんだ」
 俺は朝倉の整った顔に苛立ちを見出したが、構わず、
「足を引っ張り合うだけが人間じゃない。人が人と寄り添うのは、感情が後ろ向きになっていること、進むのをやめちまって立ち止まってることをそいつに気付かせるため、そして自分が気付くためなんだ! そうやって前を向き合って、互いに自分の道を歩いていくのが人間の繋がり方なんだよ! ――そしてハルヒ。俺は、お前に言っておきたいことがある」
 幼いハルヒは哀切のこもる顔をなだらか俺へと向け、俺は朝倉を見やったまま、
「俺の知ってるハルヒは、いつも高らかに笑ってる奴なんだ。だからお前が他人の幸せを妬むようなとき、俺はそんなのは違うと叱ってやる。自分の存在がちっぽけに思えたときは、俺の中で、ハルヒというやつの存在がどれほど大きいものなのか教えてやる! そしてもしも世界が、お前の目にはツマラナイもののように映るんなら……」
 ――俺は、お前が俺にそうしてくれたように……、


「俺がお前の世界を大いに盛り上げてやる!」


 そして俺は眼鏡の長門を見て、
「長門。俺がこの世界が楽しいと言えるようになったのは、この日……お前のお陰なんだ。だから俺は……俺たちSOS団は、元の世界を、長門が泣いたり笑ったり、不満だって言えるような世界に変えていく。けどな、それは俺の親友の言葉を借りるなら、価値観の変容によるものだ。お前はもっと笑っていい。泣いていいんだよ。そうするために必要な、立派な心がお前にはある。――お前はただ、感情の出し方を知らないだけなんだから」
「……わたし、が――?」
 眼鏡の長門は戸惑いを隠せず、震える声で小さく呟く。
 
 ……気付いてくれ、長門。お前は、お前のままでいいってことに。


 「長門。俺は、元のお前に戻って欲しい。長門は長門じゃなきゃダメなんだ。だから――」
「――ふざけたこと言わないで!」
 逆上したような声を張り上げ、今までとは打って変わり怒りをあらわにした朝倉は、
「今まで自分たちの行動がどれだけ長門さんを傷つけていたかも知らなかったくせに、都合の良いことばかり彼女に吹きこむんじゃないわよ! そうやってまた長門さんを苦しめるつもり? わたしはそんなの許さない! ……そろそろ気付きなさいよ。あんたはそうやって長門さんを悩ましてるだけなの! 堕落した人間の馴れ合いなんか、彼女に求めないで……!」
 激しい感情をぶつける朝倉に眼鏡の長門はびくりと体を強張らせ、朝倉の辛辣な言葉に俺もたじろぐ。
 すると朝倉はまるで原発がメルトダウンを起こしたときのように急に静まり返り、体を少しずつ前へと進めながら話し出した。
「――そうよ。こうなったのも、全てあんたらが原因なの。あんたは長門さんを傷つける。死ねばいいんだわ。でも……」
 ザッと足を踏み鳴らし停止した朝倉の体はハルヒへと向けられ、
「すべての始まりはあなたなのよね。あなたこそ死ぬべきよ。あんたが長門さんを傷つけるより先に、わたしがあんたに『死』と痛みを与えてあげるわ。涼宮ハルヒ、それがあなたへのクリスマスプレゼント。最初で最後のね。しっかり受け取って頂戴――」
 朝倉はナイフを腰元に構えると、滑空するようにハルヒの元へと飛びかかる――!
「……ハルヒ! やめ――」走り出そうとした俺に急激な頭痛が襲来し、「う………」と堪らずよろめいた俺は片手を額に当てて停止した。


 ――なんだ……!? 頭の中に、聞き覚えのある女の声が響きわたる――。これは、喜緑さん…………?


「な………」「あ………」
 中学ハルヒと眼鏡長門は朝倉の突然なる凶行に、長門は文字通り腰を抜かしたまま、ハルヒは身じろぎ一つ出来ないで凍り付いてしまっている。くそ、このままじゃ……。
 だが次第に俺の頭痛も激しさを増し、それに伴い喜緑さんの声が言葉となって明確になっていく――。


『パーソナルネーム『長門有希』へのアクセス要望を確認。自動解凍処理プログラム起動。制限解除コード解凍完了。解除コード××××。同期可能な状態への復帰を確認。当該対象への同期を開始します――』


「――ぐ。一体、何が起きて…………」
 いや……。待て……。微かに他の声も聞こえる……? これは……アイツの――――。


 そして俺の目の前で、朝倉は――――。



第十一章

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