ハルヒの弾んだ声がいつかの朝倉のナイフみたいに胸に突き刺さったような感覚を覚える。ヤバイ。
「待て、追うなハルヒ!いいから家に来るんだ全速力で!」
携帯に向かって叫んだ俺の声は裏返っていた。意味もなく部屋をうろうろと歩き回る。
「っ!ちょっと何そんなに慌ててるのよ…別に追うつもりはないわよ」
さっきから俺を安堵させたりヒヤリとさせたり心臓に悪いヤツだ。ともかく家に来てもらわないと困る。それから古泉や長門に相談して…
「たまたまあんたの家の方に向かってるから尾行してるように見えるだけであって…」
「回り道して来い!」
コイツ、わざとやってるのか?
ハルヒのいたずらっぽい小声が、安堵側に傾いていたシーソーをガタンと恐慌側に変える。今健康診断を受けたら確実に不整脈だろうね。

ともかくもうこっちから行くしかない。…例えこれが藤原による心理的揺さぶりだろうと(いかにもそんな悪趣味な事をしそうなヤツだ)、
古泉に言われた通り少しでも『可能性』があれば潰さなければならない。
と、俺の考えはほんの数分前とは180゚変わっていた。すまん古泉、お前の気持ちがやっと分かった。朝比奈さんを信じる信じないの問題じゃないんだよな。
まがりなりにも恋人である俺がハルヒを心配せずにぼんやりしてお前達に任せるってのはなっちゃいない。いや最低だ。 

曇りだというのに汗だくの俺をよそに、携帯からは暢気な声で、
「何であんたそんなに必死なのよ?まさか…あの萌えOLと知り合いか何か?やましい事があるんじゃないの?」
と聞こえてくる。
くそっ、服装はジャージでいいだろうと思ったのにこんな時に限って無い。洗濯中か?
「ちょっと答えなさいよキョン!黙秘は肯定と見なすわよ」
仕方ない、寝間着のスエットのままだが文句は言ってられん。机の上の財布とノートを引っつかむ。

そして転がるように階段を降り外へ出た俺は、洗ってない顔にスエットと言う姿で駅の方へと猛ダッシュを開始した。

間に合ってくれ…!

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「彼の家へ向かってみましょう。日曜ですし、涼宮さんが行っている可能性もあります」
「急いだほうがいい」
「そうですね。しかし、涼宮さんを彼の家に保護するという目的に気を取られすぎて彼女がまさにそこへ行くかもしれないという事を失念していました」
「気にしないでいい」
「…ありがとうございます」
「わたしのミス。未来との同期を放棄していなければ全ての事態を予測できた」
「それこそ気にしないでいい事ですよ」
「……」
「……」

「いた」
「あれは…!」

「朝比奈みくるの異時間同位体、それに…涼宮ハルヒ」
「まさか本当に…?」
「止める。絶対に」

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「いいかハルヒ、後でワケは話してやる。だから今は何も言わずに俺の言うことを聞いてくれ」
「ん…分かったわよ、急いであんたの家に行けばいいんでしょ?あんたと萌えOLの関係は聞かせてもらうからね。納得行く答えじゃなかったら……」
そうじゃない、ただ急ぐんじゃダメだ。その人に近づいちゃダメなんだよ…

いっそ藤原に言われた事を全て話してみようかとも考えた。
だがハルヒの事だ、その萌えOLは未来人だなどと言ったら逆に尾行速度を上げかねない。いや絶対上げる。走り出すかもしれん。
何より説明する余裕がない。どうすればいい…ハルヒを足止めする方がいいのか?いややはり回り道をさせて、
「あ、あれ…有希と古泉くんじゃない。向こうから走ってくる。偶然ね」
ナイスだ!走りながら思わずガッツポーズを取る。あいつらが来てくれれば何とかなるかもしれない。
混乱する思考の中に救援が来てくれた。少しばかり気が楽になる。

…だがね、昔の野球選手が言っていた。勝ったと思った瞬間が負ける瞬間だと。そんな事は全く気にせず細心さを欠いた俺は、
「よし、二人と合流してくれ」
などと言ってしまった。何てバカなんだろうね。自分の浅はかさにウンザリするぜ。俺の言葉を受けたハルヒがどんな行動をとるか予測できないなんてな。
すなわち、
「有希!古泉くーん!」

…叫んだのだ。恐らくあの顔中に花を咲かせたような笑顔で、手をぶんぶん振りながら。
いや、実際振っていた。遠くに四つ影が見えてくる。古泉と長門、そのずっと向こうから、こちらに向かってくるハルヒ。

そしてその間には- 


ハルヒの方へ振り返ろうとする朝比奈さん(大)の姿があった。 


冗談じゃないぜ。何なんだこの状況は。何故振り返るんだ。何をするつもりなんですか、朝比奈さん!
「わわ、おっきい声出したのが気に障ったのかしら。何かこっちに来るわ」
朝比奈さん(大)はゆっくりとハルヒの方へ向かっている。古泉と長門が加速する。無論俺も。
くそ、こんなに走ったのは久しぶりだ。息が上がってきた。
だがこの状況はどう考えてもマズイ。朝比奈さん(大)がハルヒに『何か』しようとしてるのは間違いないだろう。
今まで彼女は俺や長門としか接触してこなかった。ハルヒと接触するのは絶対に回避していた。
SOS団に属する奇天烈軍団が己の正体やハルヒの力を秘匿していたのと同じ理由からだろう。
それなのに。それなのに今、朝比奈さん(大)の足は間違いなくハルヒの方向へ向いている。
しかもいくらこっちが走っているとはいえ距離が違いすぎる。立ち止まったハルヒにどんどん近付く朝比奈さん(大)。 

「逃げろハルヒ!走れ!」

叫んで加速する俺の目の前に、脇道から突然車が現れ視界を塞ぐ。危ねぇなこの野郎!っていうかどきやがれ!こっちは急ぎなんだ!
頭に血が上り思考力が低下していた俺はその車が何を考えて十字路のど真ん中で止まったのか、そんな事には頭が及ばなかった。
横をすり抜けて進もうと再び足を動かしかけた俺の腕を助手席から伸びてきた腕が掴み車内に引きずり込んだ時初めて、その車がワゴン車だと気付き…


気付いた次の瞬間には、俺の意識は首筋に当てられたそいつの指先に沈められていた。

完全に意識を失う寸前朝比奈さん(大)の背中がハルヒに一気に近づき、ハルヒが足元から崩れ落ちるように倒れ伏したのが窓の向こうに見えた。







ハル…ヒ…!


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