現状を説明しよう。

 今、俺のわき腹―ちょうど肋骨の下辺り、すなわち肝臓だろう―部分にナイフが刺さっている。

 は? 何だそれ?

 んなことを思ってるのはわかるが、俺からするとかなり切実な状況だ。何より黄昏の教室と某同級生兼委員長兼対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースを思い出しちまう。ヤダね。

 とりあえず俺からすると1ミリ秒の余裕もないが、物語を進めるためだ、仕方ない。回想スタート。その前に一旦、タイトルコール入りま~す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【団活、事件、図書館にて】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「図書館へ行きましょう!」

 

「は?」

 

 放課後、俺がSOS団団室―正確には文芸部部室だが―へ到着し、入室した最初の会話がこれだ。

 ドアを開けると、そこにはいつもであれば居ないか、団長席にどかっと座っているのが常のSOS団団長、涼宮ハルヒが両手を腰に当てて仁王立ちしていた。

 上から中の様子を覗き見ると、朝比奈さんは制服姿で困ったような笑みを浮かべて所在無げにたたずみ、長門はハードカバーではなく珍しくも文庫本を、それも閉じた状態で膝に置き、いつもの席にちょこんと座ったままこちらを見つめている。古泉? ああ、あれならいつものニヤケでこっちを眺めてやがるぞ。

 で、何とおっしゃりましたか団長殿。

 

「図書館よ図・書・館! ちなみに発案者は有希だから!」

 

 成程、おおよその見当はついたぞ。

 大方、退屈していた団長殿がどこか暇をつぶせる場所はないかと喚き、回答者指名を長門に向けたのだろう。そして長門からすれば答えは一つしかあるまい。すなわち……

 

「……図書館へ……」

 

 ああ、そうだな。お前にとっての最大の娯楽施設だもんな。

 突然に聞かれたんだ、古泉だって打開案を持ってないだろうから何かを答える事は考えにくいし、朝比奈さんであれば「え、えっとぉ~……」と回答を少し引き延ばしてから、若干舌足らず気味な口調で「わかりましぇ~ん」などと回答されるだろう。うむ、我ながら中々現実味のある推測だ。

 後は簡単だ。いつもは消極的な長門が、他発的ながらも自らの意思で提案したのだ、ハルヒが見逃すはずがない。

 そこで、ここに案が可決される、という結論に帰結するのだ。

 

「今からなのか?」

 

「今からなのよ!」

 

 言い忘れていたが、今日は何やら授業が短縮されており、五時限目で切り上げられている。よって、時間は十分にあるのだ。

 ここから図書館はそんなに近いとは言えないが、ギリギリ歩いていける範囲内だし、図書館であれば如何にコイツと言えど走り回ることもあるまい。

 途中で飽きて外へでるのではないか、と推測される方がいれば、そこには少しだけ「鋭い」と評価しよう。しかしいかんせん、これはあの長門の提案だ。飽きたとしても、無下に放棄する事は考えにくい。つまり、今日の団活は図書館で決行で決まりだろう。

 

「わかったよ。行こうじゃないか」

 

「フフン、聞き訳が良いわね」

 

 偉い偉い、とうんうん頷かれたが、まぁ無視しよう。

 見ると、他の三人は既に荷物の準備を済ませて居るらしい。準備万端だな。

 かくいう俺も、今団活に来たのだから準備をする必要もない、既に完了だ。

 少し気になって、長門をみる。

 いつもどおり無表情だが、僅かに嬉しそうにしている。

 長門は変わった。いや、違うな。『変わっているところだ』、と現在進行形文で言うのが正しいだろう。

 具体的にどこが変わったかと言われると、結構ある。

 例えば、前はシャギーがかった短めの髪を無造作に垂らしていたが、ちょっと前に少し伸びてセミロングっぽくなっていた。だがそのせいで髪が目に当たりそうだったので、俺がそれを指摘すると長門はゆっくりとこちらを見てから、「……どうすればいい?」と聞いてきたのだ。

 何となしに嬉しくなった俺は、中学生だった頃に佐々木から聞いた、あいつの行きつけの美容院をおぼろげな記憶から引っ張り出し、その名前を近辺マップで探して、早速そこへと連れて行った。

 いい具合に仕上げられた長門のセミロングは素晴らしく似合っていたし、また新鮮でもあった。

 このまま伸ばすのもいいかも知れないな、と口にすると長門はしばらくこちらを見つめて、「じゃあそうする」と言ったりする。それで俺は更に嬉しくなって、口元をほころばせてから長門の頭をゆっくりと撫でてやるのだ。

 そんな感じに、長門は人間としての一般生活に興味を示し始め、最近ではハルヒや朝比奈さん、鶴家さんにひいては俺の家(恐らく妹やお袋目当てだろう)にまで泊まりに来たりする。曰く、「有機生命体としての生活を熟知し、その方向から自立進化の可能性を見出す」と言っていたが、ただ単に楽しんでいるだけな気がするのは、俺だけではないだろう。

 ……ああ、当然だが古泉の家に行ったと言う話も噂も聞かん。それについて古泉が冗談っぽく「寂しいですねぇ」とぬかしていやがったが案の上、長門にこれより怖いものはないというほどに冷たい、絶対零度など序の口だとでも言いそうなほどの眼で睨み付けられ、古泉は珍しくかつ滑稽にもニヤケ笑いを瞬間凍結させて固まっていた。こいつにも怖いと思う事はあるんだなと笑ったもんだ。

 情報統合思念体も少し変化がある、というのは喜緑さんの話だ。

 何でも、世界中に派遣されたインターフェースから送られるデータに、必ずと言っていいほどに大量のバグデータが入っているらしい。長門や喜緑さんの変化も考えてみると、それは有機生命体としての“感情”だろうと俺は推測したし、それを伝えた。

 すると驚く話を聞いた。情報統合思念体がそれに興味を示したのだ。

 “感情”というある意味アナログで、常に変化すると言う特色を持つデータは、思念体に対して何らかのヒントを、自立進化の鍵を与えてくれるかも知れないと考える派閥が生まれたらしい。主流派と穏健派が合併して出来た、交流派だ。

 交流派は、涼宮ハルヒによる自立進化の可能性の模索という任務ではなく、単に有機生命体とのコンタクトを目的としたインターフェースを世界中へより多く送るべきだと主張する派閥らしい。

 長門は喜緑さんと並んで、その筆頭だ。二人はハルヒの観察と有機生命体とのコンタクトを兼任し、この学校に在留している。

 そういえば派閥の変化があったからか、喜緑さんは最近俺とよく会う。理由を聞くと、俺は思念体とその一味に“尊敬”されているらしい。新たな自立進化の可能性の発見は、それほどまでに価値が高かったらしいな。凄いぞ、俺。思念体はその内、俺と対談をしたいとも聞いている。世界初の、超巨大情報生命体との直接コンタクト。何というか……。

 勿論、長門以外も変わっている。

 朝比奈さんは最近コーヒーを入れる練習を始めたし、時々古泉に代わって俺の相手をしてくれるようにもなった。やはりちょっと一方的な勝負にはなるが。ちなみに長門も何回か俺を相手にしたが、ありゃ勝負にならん。某第七世代有機コンピュータの援助を受けても、勝つ事はできるのだろうかと言ったもんだ。

 古泉は古泉で……えーっと……そのだな……。うむ、スマン。ぱっと思いつかんぞ。

 だがまぁあれだ、何となく変わった。うん、何となくな。何となくだがな。ああ、変わってるぞあいつは。

 ハルヒだって、最近は人の迷惑にかかる事はできるだけ避けるようになった。俺たちに対しては相変わらずだが、他の一般人に対しての傍若無人さは少なくなったな。俺がこれまで、口を酸っぱくして説諭を繰り返したのも原因の一つにはなってるだろう。よくやったな、俺。

 俺だって、主観的に自覚できる事は数える程度だが、それでも少しは変わったつもりで居る。そうだな、本は読むようになったぞ。成績も、長門とハルヒの共同戦線による教育のおかげでだいぶ上がった。国木田に少し及ばない、という程度になったか。大学の選択範囲も広まっただろう。

 

 と、まぁそんな感じに一人物思いに耽っていると、図書館に着いたわけだが。

 

「着いたな」

 

「着きましたね」

 

「つ、着きましたぁ」

 

「……着いた」

 

「着いたわねっ!」

 

 どれが誰か、と書かずともどれが誰か判断できるというのは、何とコメントするべきなのだろう。まぁ個性豊かなんだな。

 そのまま、ハルヒは朝比奈さんの手首をつかんだままズンズンと中へ入って行き、それから少し遅れて、古泉・俺・長門と横に並んだまま、図書館の自動ドアをくぐる。

 

「よしっ、じゃあ各自不思議がないかどうか、引っかき回してなさい!」

 

 待て。

 

「冗談よ。じゃあ改めて、各自、自由に本を読みなさい。騒いじゃダメよ、SOS団の恥となるわ」

 

 この時点で気を付けるべきはお前だろうが。

 

「うっさいわねぇ。……じゃ、そういうことだからね。もし勝手に図書館から出たりしたら……」

 

 「死刑だから!」、と言い残して、我らが団長はどこかへ走り去ってしまった。こら、図書館は走るんじゃありません。

 

「さて……。では団長の言う通りに、ここれ僕たちも自由行動と言うことにしましょうか」

 

 何故お前が仕切る。……ああそうか、お前副団長だったな、お疲れさん。

 とりあえずそれぞれ、「そうだな」「ひゃ、ひゃあい…」「…………」、と肯定の意を伝え、古泉は『ボードゲームの歴史満載コーナー』とか書かれた明らかに不可思議な方へ、朝比奈さんは『手芸・趣味コーナー』へと歩いて行ってしまった。

 残るは俺と長門のみ。

 

「んじゃ、いつもどおりでいいな?」

 

「……いい」

 

 いつもどおりと言うのは、俺はロビー近くの席で適当な本を読むかゆっくりと休むかで、長門は俺の隣へ重そうな本を抱えてきてからそこで本を読む、というイベントのことだ。

 そうして俺は、安眠の海へとバックロールエントリーをかましたわけだが……。

 

 

 

 

 

 きゃーーっ、という何ともありきたりである意味滑稽さすら感じられるような、それでいて現実に聞くと何とも緊張感のみなぎる悲鳴で、俺は突然に目を覚ました。寝起きに弱い俺が珍しくもいきなり本気モードで起動できたのは、奇跡以外の何者でもない気がする。

 

「何だ!?」

 

 目に映る光景はやはりベタ過ぎて滑稽さすら感じるものだった。

 どこにでもいそうな平凡な顔立ちのヒョロい男が、質は知らんが大きさだけなら朝倉の時以上の物騒なナイフを振りかざして暴れ回っていた。その男の周りに人はいない。

 

「はっはっは……そうだよ、ボクは怖いんだよ。ボクは強くて、ボクは頭がよくて、だ、だからみ、みんながボクを怖がるんだ。ボクを恐れるんだ……」

 

 何だこのバカは。

 ナイフを持つことで強気になって、自己誇張と自己過大評価を繰り返して、訳のわからん妄想に取り付いて現実を逃避している。そんなバカ。

 第一、こんな典型的な犯罪まっしぐらバカが現実に現れる、ということ自体が馬鹿馬鹿しい。ベタ過ぎる。十数年前のサスペンスドラマでもこんな轍は踏まんだろう。

 不意に、長門が心配になってすぐさま横を見る。

 居た。

 いつもと変わらない様子で本を構えて、そのバカの方を眺めていた。確かに『見る』というより『眺める』という表現が合いそうだ。

 そうだよ、考えてみれば長門がコイツに引けを取るはずがない。物理的にあり得ないだろう。

 長門はナイフを持った殺人未遂宇宙人を相手にして勝利しているのだから、こんなヒョロい男の100人や200人程度……

 

「うかつ」

 

 ……長門さん? 何とおっしゃいました?

 

「うかつ。または南無三」

 

 え、えーと、いかがなされたのでしょうか?

 

「現在、私は情報統合思念体とのリンクを解除した状態にある」

 

 な、なんでまた……。

 

「情報統合思念体の、休日」

 

 嘘だろ。

 

「真実。感情を表現可能になり始めたインターフェース、特に交流派では情報統合思念体を父と考えることが広まった。そして子どもは父親を心配するものだと言う考えが僅かに生まれ、情報統合思念体は言いくるめられる形で本日を休日とした」

 

「つ、つまりなんだ、今の長門は……」

 

「一有機生命体と同じ。言ってみれば、一人の人間」

 

 そいつはよかった。いつもであれば諸手を挙げて喜ぶことだな。

 しかし現状はいけない。日本の警察をこういう時には優秀らしいからそこまで危険とも思えんが、不安はつのるな。

 

「大丈夫、貴方は私が守る」

 

「馬鹿言え。今のお前は力がないんだろう、生身の女の子に守られてちゃ情けなくて死んじまうよ」

 

 だから、今日は全力を持って、逆に俺がお前を守ってやる。

 あークサいな。だが仕方ないだろう、本意だし。ベタな状況にはベタなセリフがお似合いってもんさ。

 しかしな、ベタな状況・ベタなセリフと来れば後一つ待ってるもんだ。すなわち、

 

「おぉい、お前ら何イチャついてんだよぅ!?」

 

 ベタな展開。

 男がこっちに全力疾走してきやがった、来るなよバカ。

 とりあえず俺は構えて、長門を背中に隠す形で立ちはだかる。長門が一瞬非難の声を上げた気がしたが、この際無視だ。

 

「うわああぁぁぁぁっ!!!」

 

「のわっ!」

 

 無礼にも、出会い頭にナイフを振り下ろしてきやがった。

 だがドドドドど素人丸出しなだけあり、超大振り。隙がありすぎ。プロ以上のレベルのナイフ使いをみたことがあるだけ、俺も冷静だ。ちょっと恰好悪い悲鳴は出たがな。

 男が振り下ろしてくる腕の側面部を軽く弾いて、流す。あれだな、側面部の配慮も防御も甘い。だから俺に受け流される、簡単にさばかれる。うむ。

 案の定、勢いマックスで受け流された分、そのまま慣性の法則で止まらずに、それどころか当てる気で居た為につっかえてバランスを崩しやがった。

 不恰好にもこけかけている男の、またしても無礼にこちらへ向けられた尻へ思いっきり蹴りを入れて、こけさせる。

 

「うわぁっ!!!」

 

 どさっというやはり恰好のつかない音を立てて、恰好のつかない体勢で派手にこけるバカ。

 

「な、何すんだよぅ!?」

 

 正当防衛だバカ。悪いかコノヤロウ。

 適当に相手をしてやると、バカがゆっくりを身体を起こしてきやがる。ちっ、むしろたこ殴りにして気絶させるべきだったか。

 

「あ、そっかぁ……。うふふふふ、そっかそっかぁ!!」

 

 何がだ気色の悪い。自分の異常さが身にしみたか。

 

「そうだよね、そうに決まってる……。キミはボクの怖さがよくわかってないんだよねぇ」

 

 怖いのはその思考回路で、よくわからんのはお前の行動だ。

 

「うふふ、そう言ってられるのもいまのうちぃ」

 

 そういうとバカがポケットから何かを取り出した。あまりに自然な動作だったから、飴でも出して「食べるかい?」などと聞いてくるのではないかと思ったが、実際に取り出したのは相当に物騒なものだった。

 

ズドン。

 

 そんな感じの音だったと思う。

 気がつくと、俺の少し手前の床が抉れていた。

 

「やっぱりだぁ。キミはわかってなかったんだよ。でも大丈夫、今のキミはわかったような表情をしてるもん」

 

 拳銃だな。もう明らかに拳銃だ。手に入れにくくて、仮に手に入れても粗悪品しかないこの日本でどう手に入れたのかは知らんが、素人目に見てもしっかりとしたものだ。硝煙の匂いがこちらにも漂ってくる。

 

「長門!!」

 

 再び気がつくと、俺は力任せに長門の小柄の体を本棚の影の方へと投げていた。思いのほか、いい具合に飛んでいく。あれだな、火事場のバカ力。バカはコイツだが。

 

「ふふっ、偉いねぇ、女の子だけでも守ってあげるんだぁ。でもねぇ、キミが死んじゃえばあの子もみんなも死んじゃうんだよ。残念だったねぇ」

 

 んな訳があるか。警察をなめんな。

 第一、その理論だと俺が死ななければいい話だろうが。

 俺はまた力任せに、今度は長門の読んでいたぶ厚い本をバカへと投げる。時間を稼いで、思いっきり殴ってやる。一瞬で十分だ。

 

「無駄だってばぁ」

 

ズドン。

 

 二回目に聞く銃声は酷く軽薄な音に聞こえた。

 銃弾は本に当たって、本を叩き落とし、俺の上の方を通過して行った。

 俺は把握する。やば。

 先ほどのバカと同じだ、走り始めた身体を急には止められん、そのまま二歩くらい走ったところで、三回目の銃声が聞こえた。

 

ズドン。

 

 一瞬何かにつっかえたように感じると、既に倒れていた。理性で「痛ぇな」と思った瞬間、感じたのは激痛。膝、膝だ。膝を撃ち抜かれたらしい。口から濁流としてやってきた情けない叫びを、何とか噛み堪える。

 

「ぐっ、が……っ!!!」

 

 何とべたべたな展開かっ!!!

 ふざけてんじゃねぇぞ、と誰に対してでもなく心内に叫ぶ。

 

「痛い? 痛いよね? これでキミは動けない~」

 

 くそっ、上機嫌にへたくそな鼻歌歌ってんじゃねぇ。

 

「まあまあ。キミへのとどめだけど、キミさ、ムカつくからね。うんと苦しんでもらわなきゃ」

 

 そこで一拍置くな。生々しいんだよ。

 

「ピストルは勿体無いなぁ。銃弾って買うの大変なんだもん。だからキミはぁ、ナイフで死んでもらいま~す」

 

 そこで、やっと冒頭へと戻るわけだ。

 体中が熱くなる。そして走る激痛。膝の痛みなんて忘れた。これはキツい。

 

「ぐ……っが、あああああぁぁぁぁぁっぁあああ!!!」

 

 噛み堪え切れん、凄まじい。

 これはヤバい。いつぞやの五秒前とは訳が違うぞこれは!

 

「うふふ、いったいでしょぉ? 肝臓は人間の急所でね、刺激を与えると激痛で、損傷を与えると大出血するんだぁ」

 

 へぇ、そうかい。そんな相槌を打てそうな、気楽な声だ。しかしやはり、狂った声色である。

 ここに来て、やっと痛みに慣れ始めて、絶叫を堪える。余裕があるわけじゃない、少し順応しただけで、苦痛の具合は全く変わらん。

 意識が飛びそうなほどの激痛。更に出血のせいもあるのか、目がかすむ。

 かすかに残った意識が、大声を捕らえた。

 

「キョン!!!」

 

 ハルヒだなありゃ。ちらりと見えたが、堂々と出て来てやがる。バカか、さっさと逃げろよ。

 そう思った瞬間に、バカ―この狂乱男だ―が倒れた。何が起こったのかを、意識よりも小さくなっている思考能力が教えてくれた。

 長門だ。如何に生身でも、運動能力で言えば通常より数倍上だったなそういえば。インターフェースの力は情報処理だけじゃなかったことを今更思い出す。

 後で知ったことだが、長門は思いっきり男の鼻の頭を殴り、あごを捉えてまた殴り、意識が昏倒した所に全体重を乗せたかかと降ろしを眉間へ叩きこんだらしい。

 そこで、男はぶっ倒れてKOだ。実を言うと俺もなんだが……。

 薄れ行く意識の中で、俺のとても馴染んだ、それでいてほとんど聞いた事のない大きな声で、俺のあだ名が呼ばれるのを知覚した。

 

 

 

 

 

 目が覚めると、そこには見覚えのない真っ白な天井が見えた。

 ここで「知らない天井だ……」と某サードチルドレン風に言えたら満点だろうが、生憎俺にそこまで余裕はなかった。

 僅かに本のページを繰ると音が聞こえる。

 

「……な、ながと、か……」

 

 俺の声は存外にかすれていて驚いた。

 ぼんやりとした視界の中で、長門はゆっくりと微笑んだ。おい、微笑むのはもっと意識がハッキリした時にして欲しい。ぼやけててよく見えんぞ、貴重なのに。

 

「……そう」

 

 俺はベタな展開続きの最終で微妙にベタから外れたシナリオに対してちょっと悪態をつきながら、言い忘れていたことを口にする。

 

「おはよう」

 

 

 

 

 

 さて、後日談と言うわけだが。

 俺はどうやら、あれから二日寝ていたらしい。これまでに前例のない、大寝坊だな。

 昏睡状態とも言う。一応だがな。出血多量で一時期はマジでヤバくて、諦めざるを得なかったらしいが、途中で超を付けていいほどに奇跡的に、回復傾向となり、途中でその急傾斜は終わったが、あとは命に別状はないし、最悪自宅療養でも回復が見込める状態だったらしい。

 恐らく、『奇跡』ではなく『必然』でろうことは俺にもわかっていた。ハルヒだって、一応心配くらいして、回復くらい願ってくれるだろうし、曰く俺を“尊敬”している統合思念体一味も回復に援助はしてくれただろう。勿論、我らが万能無口文学少女を先頭にな。

 あのあとは大変だったらしい。長門が倒した男は病院で適当な手当てを受けた後警察へ護送、逮捕。その速やかさには『機関』も関係してるんだろうよ。どうせなら未然に防いでくれ。

 そして長門は急いで統合思念体を叩き起こし、リンクを復活させて、後後怪しまれない程度に制限された能力をフルに使って応急手当をしてくれたらしい。それが無けりゃ救急車がつくまでにショック死だったそうだ。怖い怖い。

 見舞いに来た古泉によると、朝比奈さんは勿論(でいいよな?)、ハルヒや長門までもが泣いていたらしい。驚愕ものだが、嬉しいね。ちなみにお前はどうなんだ、と好奇心で訊いてみると、あのアルカイックスマイルのままマジで目を潤ませるので、質問を必死で撤回したもんだ。

 そして見舞いに来た朝比奈さんは、感極まって泣きながら俺に抱きついてくると言う嬉しいプレゼント、というか誤算を与えてくれた。何よりの見舞い品です。

 それで見舞いに来たハルヒは、無茶な行動に出た俺を、自分の事は棚に上げてガミガミと叱り、時々微妙に俺の体を気遣う言動を披露してくれた。今気がついたが、こいつは恐らく、好きなやつにもこのようにツンデレを振舞うのかも知れない。そう考えた俺は、ハルヒが好きになるやつに向かって静かに黙祷をささげた。苦労するぜ、あんた。

 そうして、この人だ。

 

「…………」

 

 これまで、SOS団や家族を初め、佐々木やその一味やら鶴家さんやらミヨキチやら、更には森さん達までもが見舞いに来てくれたが、来たそうそうにじっと睨み付けてくるのは長門が初めてだった。ハルヒですら、最初は俺を気遣ったと言うのに。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……あ、あのー」

 

 長門さん? と問いかけを発する前に、また長門に睨まれ、沈黙する俺。ええい、情けない。また三点リーダの撃ち合いか? 疲れるんだぞこれ。……いや、俺は疲れんだろう、何が疲れると言う? まぁいいか。

 まあそう言う感じにじっと俺を睨む長門だが、不意にそれが揺れた。小刻みに震えている。

 

 気がつくと、俺は長門に抱き締められていた。

 なっ、なななななななながとさんっ!!!?

 

「黙って。貴方は今、私の好きにされるべき」

 

 そそそ、そうですかっ!?

 

「……そう」

 

 い、いきなりアグレッシブな長門に驚きつつ、俺は気付いた。

 ああ、こいつは自分を責めてるんじゃ無いだろうか。

 もしあの時能力が完全で在れば、速攻で気付かれないように武器の情報連結を解除して、あとは放っておき、何か行動に移せば物理的に妨害する。そうすれば俺は怪我をせず、命も危険に晒されなかったのではないか、と。

 そう思ったおれは、かろうじて動く右手で、ゆっくりと長門の頭を撫でてやる。

 

「……長門」

 

「……なに」

 

 疑問文ではないのは何故だろうか。俺はそれをどこかに放り投げて、続ける。

 

「髪、まただいぶ伸びてきたな」

 

「……そう……」

 

 拍子抜けしたように、長門は先ほどまで微妙に強張っていた体の、全身の力を抜いた。

 

「また、美容院行こうな」

 

「……了解した」

 

  退院後、長門の肩甲骨の辺りにまで伸びた髪を切りに行ったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

「ねぇ有希」

 

「なに?」

 

「何でピンポイントでポニーテールなの?」

 

「…………エクセレント」

 

 俯いて、少し顔を紅くさせる長門。

 久々に長門に対してムカッ腹の立ったハルヒであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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最終更新:2021年02月04日 20:51