「ちゅーぅりっぷの、こーいごころぉー ちゅーすればするほど…」

心を洗う天使の歌声。朝比奈さんの大塚愛は最高だ。なんか、涙が出てくる…
 
長門にカラオケのレッスンを受けるようになってから--つまり、あの人格改造キャンプに入隊してからと言うもの、
俺は最近変に涙もろくなってしまい今回のようにちょっとした事ですぐ涙ぐむようになっている。また、谷口達によると
授業中などイスに座っているときに不自然に体がこわばっていたり、普通に立ったり歩いたり
している時も体が左右に少し傾いたりしているらしい。自分では気付かないんだが。
その事を長門に告げると、「だいぶ『できて』きたな」と言われたが、俺には一体何が出来てきたのか見当も付かない。
あと、このまえハルヒから「あんた、なんか最近白髪増えた?」と言われた。

そう言えば、状況を説明してなかったな。
今、俺達SOS団は全員でカラオケボックスに来ている。予想はついていたと思うが。
ただ、ここで一つ意外な事は今回の宴席に朝倉が同席していると言う事だ。
長門によると
「現在各インターフェースの負荷が増大している傾向にあり、急遽バックアップの再設が検討された」
との事だ。そんな訳でか、数日前から朝倉はカナダより一時帰国したと言う形で復学しており、
長門によれば今後の働き具合を見て本格的に採用するかを決定するそうである。
カタログをめくる朝倉と目が合うと、ニッコリと微笑まれる。こいつの笑顔は、いまだに背筋に冷たいものが走る。

「今後の活動では、現在私が行っている処理の3分の1ほどを彼女に移管する予定。」
「これにより、今後の彼女の活動では涼宮ハルヒとの接触がより頻繁に行われる事が見込まれる。
従って今後彼女は涼宮ハルヒに対する心理的な親和性を高めておく必要があり、そのために今後彼女と
涼宮ハルヒとの間に懇談の場を設ける事は妥当と言える。」
「以上の様な観点から、今回彼女の帰国祝いの名目で、我々団のメンバーと朝倉涼子とで本日放課後
カラオケを行う事が妥当であると、情報統合思念体は判断した。」

いや、それお前だろ判断したの。思念体じゃなくて。あと、前半ってなんか本編でもありそうな展開じゃね?

歌い終わった朝比奈さんが、やんややんやの喝采で迎え入れられる。
「お、おそまつさまですぅ~」
お粗末だなんてとんでもない。こんないいもの耳にできるなんて、そうそうありつける機会じゃありませんよ。
身をよじって恥ずかしがる朝比奈さん。
和気藹々と進む宴席のなかで、今回ばかりは長門もおとなしくコーラを啜っている。ハルヒや朝比奈さんの嬌声と、
古泉、朝倉の笑い声、人も羨む麗しい青春の1ページがここにある。

「じゃあ決めた、私これにするわ」
朝倉がデンモクを取り上げ、リクエスト曲を入力する。一曲も溜まっていなかったため、リクエスト曲は即座に再生される。

 『あなたのとりこ/IRRESISTIBLEMENT SYLVIE VARTAN 作詞J.RENARD 作曲G.ABER』

「へえ、朝倉さんってシルヴィーバルタン歌うんだ。これあたしも好きなのよ。一緒に歌っていい?」
申し出るハルヒを、朝倉は笑顔で首肯する。懇談の目的は順調に達成されつつあるようだ。

 『Tout m'entraine irresistiblement』  
 『vers toi comme avant~』

ハルヒと朝倉の澄んだ声が響き渡る。
先ほど朝比奈さんの歌を天使の歌声と言ったが、ならばこれは天上のハーモニーだろう。
少女たちのシンクロした歌声に、その他のメンバーは半ば畏敬の念を持って耳を澄ます。一人を除いて。

曲のイントロが始まってからと言うもの、長門はレモンスライスが2枚浮かんだコーラを手にしたままぐっと顎を引き、
半眼になってモニタを凝視している。モニターの光が照らす白い顔はいつも通りの無表情だが、その目には称賛や憧憬ではない
何かが青白く燃えている。

歌い終わったハルヒと朝倉が、マイク片手にお互いハイタッチをする。
二人がお互いを称えるやり取りの間で、俺以外の誰が気付いていたであろう、
他でもない、長門の眉と眉が、1フェムトメートルほどくっきりと顰められていた事に。

手を取り合ってはしゃぐ二人に朝比奈さんと古泉の二人が加わろうとしたとき、モニタが光った。
 
 『CHA-LA HEAD-CHA-LA 作詞:森雪之丞 作曲:清岡千穂』

「えっ!?何?これ?誰か歌うの?」
ちなみに、朝倉がシルビーバルタンを入力してからデンモクには誰一人として触れていない。長門が情報操作で装置に直接入力したのだ。
黙って立ち上がり、マイクを取りあげる俺。つまり、そういうことなんだろ。
「何キョン、あんたドラゴンボールなんか歌うの?似合わないわね!」
何も言うまい。特訓の成果を出すだけだ。練習通りにやればいい。
イントロの流れるままに、マイクを口元に運ぶ。ここからでは表情は確認できないが、長門が、黙って頷いた。そんな、気がした。

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歌い終わって長門に目をやると、長門は振り向きもせずに口だけで呟いた。
「…75点」
75点、一応及第点と言う事か。しかし、世間的な評価はどうなんだろうと思って他のメンバーに目をやると、
残りの皆はそろって虚ろな目つきで斜め下を見つめたまま、何かを言いたいんだが言う訳には行かない、そんな雰囲気で沈黙を続けている。

「ドラゴンボールと言うより、セックスピストルズ、ですかね…」
固く結んだ唇から漏らすように、かすれた声で古泉が呟く。

いつまで続くかと思われた沈黙の中、空々しく新曲案内を繰り返していたモニタが一閃、新しいリクエスト曲の再生を始めた。
「…私の、番」
マイクを手に取り、ゆっくりと立ち上がる長門。またデンモクを使わない直接入力だ。
沈黙から解き放たれた一同が、助かったと言わんばかりにモニタに目を向ける。モニタに映し出された曲名は

  『メドレー 中島みゆき』

地獄の釜の蓋が、開いた。

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長門が歌う中島みゆき、それはさながら手負いの虎が目の前で咆え狂うが如き迫力で、聴衆全員瞬きすらできない。
歌声に込められたいわば蒸留された女の恨みとでも言おうか、限りなく透明の癖に、おそらく象ですら膝をつくであろう強烈な情念は
俺達の血管を瞬く間に駆け巡り、神経を染み透ってまるで脳髄に手を突っ込まれたかのような感情の渦へと否応なしに引きずり込む。
完全に麻痺させられた心身の中央で宙ぶらりんになった心臓は歌声の掌に鷲づかみにされたまま右へ左へと引きずりまわされ、
俺達は絶叫マシンに振り回される乗客のように頭を低くしてその場にしがみつき、ただただこの時間の終わりを待ち望む事しか許されない。
この歌、人が、殺せる。

目を閉じ、結んだ口の中で歯を食いしばっているハルヒ、固く拳を握り締め、これ以上ないほどに体を小さく縮みこませている朝比奈さん、
眉間に深いしわを寄せ、頭痛をこらえるかのように側頭部に手をやったまま1mmたりとも身じろぎしない古泉。そして、乱れ髪の向こうから
恨めしげな目つきで長門を睨み付ける朝倉。

そうした累累たる屍たちを尻目に、涼しげに席を中座する長門。
「…お先に、失礼」
そう言って後ろ手に部屋のドアを閉める瞬間、俺は目にした。扉の陰に隠れる長門の口元に、かつて目にした事のない笑みが浮かんでいるのを。

それから時間終了をつげる内線が鳴るまでの三十分程、俺達は各人座ったままうつむき、今日と言う日の出来事をそれぞれの人生でどう位置
付けるのかを考える作業に没頭した。

受付で会計を済ませ、朝倉とぎこちなく別れた俺達は、三々五々に帰路につく。
薄暗い夕暮れの帳の中、踏み切りの音が響き渡る。
雲を踏むかのごとき虚脱状態の俺の懐で、バイブレーター設定の携帯が鳴り響いた。

 『送信 長門有希
  25点分の底上げの為の練習をする。終了後、私の自宅まで来られたし』

煉獄は、続く。


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