『梅雨空に舞う雪』

 

 

番外編:落花流水の……

 

「え、帰るんですか? キョンくん」

「いや、世話になった」

「よかったら三人で川の字に……」

「すまん、あとは二人で水入らずにしてくれ」

「わかった、では、また来週」

「おう、ありがとな、長門」

「試験がんばってくださいね」

 

ガチャン。ドアの閉まる音と共に、キョンくんは逃げるように帰って行きました。私は隣に立っている有希さんの方に振り向いて、

「やっぱり、帰っちゃいましたね……」

と、話かけました。

「わたしが予想した通り」

「さすがです、キョンくんのことはお見通しですね」

有希さんはそれ以上何も言いませんでしたが、キョンくんが泊っていってくれることを少しばかり期待していたのかもしれません。私としても、キョンくんと有希さんと三人で、いろんなお話をしたかったんですが、残念です。

 

実は、夕方にキョンくんから電話があったあと、私から有希さんに、

「今日は土曜日だし、三人で朝まで一緒に過ごしたい」

ってお願いしたんです。有希さんは、

「おそらく彼はそうはしない。九十九パーセント帰るはず」

と、言っていたんですが、私が、どうしてもってお願いすると、

「では、できるだけ引き止めてみる。期待はしないように」

と、しぶしぶOKしてくれていたのでした。でも、まさか有希さんがお風呂にまで一緒に入ろうとしたのは、予想外だったのですけれど……。

 

有希さんはリビングに戻って残された湯飲みを片付け終わると、

「お風呂に行く」

と、言って着替えの用意を始めました。

「わたしも一緒に入っていいですか」

「さっき、彼と入ったのでは?」

「そうなんですけど、キョンくん、ものすごくあわてていて……。入った気がしないので……」

そう言うと、有希さんは、

「カラスの行水。たぶん彼は恥ずかしがったと思われる」

と、言って小さく首をかしげました。キョンくんに言わせると、三ミリほど、かな? 私にもかなり有希さんの表情の微妙な変化がわかるようになってきたんです。

 

私が有希さんのマンションにお世話になってから、お風呂にはずっと一緒に入っています。有機アンドロイドと液体宇宙人が一緒にお風呂に入っているのって、おそらく銀河でもここだけではないかな?

有希さんのお肌は白くてとてもきめが細かくてうらやましいです。私がそのことを言うと、有希さんは、

「わたしの肌を構成する材質によりそのような特徴を持っているだけ。あなたこそ、みずみずしい肌をしている」

と、言ってくれました。私だって液体宇宙人なのだから、みずみずしいのは当然なのかも知れません。

朝比奈さんやハルヒさんほどではないんですが、有希さんってスリムな体にしては胸も結構あるんです。着やせするタイプなのかもしれません。私も、もう少したくさんの分散体が集合することができて、高校生ぐらいの体として構成されたら、有希さんぐらいのプロポーションになれたかな。

 

背中の流し合いをして、百まで数を数えてお風呂から上がりました。私も有希さんも人間ではないので百まで数えて温まる必然性はないんですけど、有希さんは、百まで数えるまで許してくれません。なんでも、キョンくんから子供の頃の話として聞いたそうです。おもしろいですね。

 

お風呂上りに一息ついた後は、有希さんは寝るまでの間は読書の時間です。というか、時間があれば本を読んでいることがほとんどなんですけど。

「キョンくんって優しいですね」

読書の邪魔かもしれないのですが、私は有希さんに話しかけました。

「彼は……、思慮深く思いやりのある人」

「好き、何ですよね、キョンくんのこと……」

ずっと有希さんと一緒にいたので、有希さんがキョンくんの事を想っているのはなんとなくわかります。たとえ、いつも無表情でも。

「……好きか嫌いか、どちらかと言えば、好き、であることは確か」

有希さんの頬が少し赤くなった気がするのは、お風呂上りだったからかな?

「ハルヒさんとはライバルですよね」

「彼は、涼宮ハルヒにとっての鍵。わたしと涼宮ハルヒがライバルということはない」

「鍵って、なんですか?」

「涼宮ハルヒは彼を選んだ。彼と共に行動することによって、自らの無限の力をコントロールするための最上のパートナーを得ることができる。あの二人は結ばれるべき」

「えぇと、でもキョンくん自身はまだハルヒさんのことを選んだわけではないですよね。今からでもチャンスはあるんじゃないですか?」

無邪気に言ってしまった私に対し、有希さんは微妙に困惑を浮かべているように見えました。

「今のところ、彼は自分自身が涼宮ハルヒの鍵であることを認めていない。しかし、彼が鍵としての役割を果たせない場合、涼宮ハルヒの力が解放され混乱が生じることが予想されている」

「…………」

「そのような事態を起こすこと、すなわち彼が鍵であることへの干渉は、常に彼に対する危険を伴う」

そういって、有希さんは朝倉さんという急進派に属するヒューマノイドインターフェースのことを話してくれました。キョンくんの危機的状況にぎりぎり間に合ったこと、その時の出来事をきっかけに有希さんは眼鏡をかけなくなったことなどです。

「そうなんですか、眼鏡は無い方がいいって……」

「彼には眼鏡属性はないということ」

「眼鏡属性って?」

「萌え要素のひとつらしい」

「萌え要素?」

有希さんの口元がわずかに動きました。普通なら苦笑いと言うのでしょうか。

「彼に直接聞いてみる方がいい」

有希さんはさらに続けて言いました。

「わたしがみたところ、あなたにも多分に萌え要素が存在する」

「私にも、ですか?」

「そう」

うーん、わかるような、わからないような……。そういえばハルヒさんが朝比奈さんのことを『萌えキャラ』と言っていたこともありました。やっぱりキョンくんに聞いてみた方がよさそうです。

 

しばらく微笑みながら私のことを見ていた有希さんでしたが、やがて少し表情を固くして話し出しました。もちろん表情の変化はわずかですが……。

「また、わたし自身も彼に迷惑を掛けたことがあった」

「えっ?」

その後、有希さんは、去年の十二月に起こしてしまった世界改変のこと、それに至った経緯やエラーの蓄積などについて、一つ一つ丁寧にお話してくれました。

「最後には、彼は大怪我をすることになってしまった」

「…………」

私は言葉を失ってしまいました。何も知らないで、少し調子に乗ってしまった事を後悔しました。

「当面は現状を静観し維持すべきと、情報統合思念体も、その他の関係者も判断している」

有希さんはそっと目を閉じると、しばらくそのままのきりりとした姿勢で何か考え事をしているようでした。

「ごめんなさい、そんなことがあったなんて……」

「気にすることはない、あなたには知る由もなかったこと」

有希さんは、五ミリほど首をかたむけて、優しい黒い瞳で言ってくれました。

 

少しの沈黙の後、最後に有希さんが静かに言いました。

「世界改変による問題が一応の解決を見た時、情報統合思念体により、わたしへの処分が検討されていた。もし、わたしが消えてしまうような処分を受けるならば、彼は『何としてでもお前を取り戻しに行く』と言ってくれた。わたしは、彼がそのような言葉をかけてくれたことに対して、とても……感謝……している」

「…………」

有希さんは、両手に持った湯飲みを少しくるくると回した後、残ったお茶を飲み干すと、

「すっかり冷めてしまった。淹れ直してくる」

少し慌てた様に席を立つと、急須を持ってキッチンに向かっていきました。

 

その後姿を追いながら、私は考えを巡らせました。

有希さん、今もキョンくんのことを大切に想っているんですね。

有希さんのいうエラーは今でも発生しているに違いありません。

でも、そのエラーと呼ばれるほのかな想いは、消えることも満たされることもないのでしょう……。

 

 

その後は、有希さんが淹れ直してくれた温かいほうじ茶を飲みながら、情報統合思念体のことや、地球のこと、この周辺の宇宙のことなどをお話しながら過ごしました。いつもながら有希さんの深い知識には驚かされます。

 

やがて日付が変わるぐらいの時間になったので、そろそろ布団に入ることにしました。

歯磨きをして、サイズ違いのおそろいのパジャマを着て、お布団の敷いてある和室に入りました。部屋の片隅には、結局使われなかったもう一組の布団が置いてありました。

いったんはそれぞれの布団に入ったのですが、なんとなく今日は有希さんのそばにいたかったので、私は隣の布団の方を向いて話しかけました。

「有希さんの布団で一緒に寝てもいいですか?」

「二人では狭いけれど?」

「いいんです、今日はそばにいたいんです」

「わかった、どうぞ」

私は隣の布団にもぐりこむと、有希さんの腕に巻きつきました。有希さんの優しさに暖かく包み込まれた私は、すぐに眠りに落ちた様でした。

 

 

Fin.

 

戻る


|