「ドナルドを探しに行くわよ!」
一週間の学業が全て終了したという、達成感と脱力感に満ち溢れた金曜日の放課後。俺は慣性の法則に基づいて文芸部室へ向かい、小泉の持ってきたチェッカーなるボードゲームでだらだらと時間を潰していた。朝比奈さんの御手から差し出されたホット聖水をありがたく頂きながら、相変わらずゲームに弱いニヤケ面から三回目の勝利を奪い取ろうとした刹那、パソコンの画面とにらめっこを興じていた我らが団長様が唐突に宣言した。ドナルド?誰ですか?
「あー、ハルヒよ。お前が言っているドナルドってのは、夢の国でネズミと戯れてるアヒルのことか?」
ハルヒのトンデモパワーによって瞬間冷凍された部室内で最も早く解凍することに成功した俺は、しぶしぶながらハルヒに質問した。損な役だと分かってながら演じてしまう己が情けないぜ。
「はあ?そのドナルドじゃないわよ。あたしが言ってるのは・・・ほら、こっちのドナルド」
ハルヒは小馬鹿にした口調で答えると、ぐるりとノートパソコンを回して俺たちにも見えるようにした。画面の中では、古泉のそれよりもいっそう胡散臭い笑顔を周囲にばら撒いて、ハンバーガーを食そうとしているピエロ一人。
「正式な名称はドナルド・マクドナルド。日本以外ではロナルド・マクドナルドらしいけどね」
ああ、世界一有名なファーストフードチェーン店のキモいマスコットのことか。そういや何年か前、家族でマクドナルドに寄ったら、店内に置いてあったドナルドのマネキンにビビッた妹が泣き出したことがあったなぁ。今となっては良い思い出だが、こいつはマスコットとして問題があると言わざるを得ない。しかし、この世の不思議を追い求めるハルヒが、何故に不気味なだけで不思議の「ふ」の字も出て来そうにない道化師に興味を持つんだ?こいつのおつむの中はさっぱり理解できん。いや、理解できたら脳外科にお世話にならにゃならんか。
「でね、さっきネットで暇・・・情報収集をしてたら、学校の近くに新しくできたマクドナルドの開店初日にドナルドが目撃されたって情報を見つけたのよ。グローバル化に乗じて勢力を伸ばした超巨大ファーストフード店。その成功の裏には知られたらまずい秘密が絶対あるはずよ。例えば、ハンバーガーの肉に牛肉じゃなくてネズミの肉を使ってるとか、ライバルチェーン店に工作員を送り込んで営業妨害させているとかね。で、悪の多国籍企業の手先があたし達のすぐ近くに来たのよ。臭うと思わない?思うでしょ?これは調査する価値大ありよ!」
「具体的には何をするんだ?」
「ドナルドをとっ捕まえて、マクドナルドがこの街で何をしようとしているか聞き出す。普通の店員に効いても駄目よ。あいつらは下っ端だから情報なんかほとんど与えられていないわ。その点ドナルドはマクドナルドにとってキーパーソンだから重要な情報も持ってるはずよ」
ははは、こやつめ。要するに暇だから適当に不思議そうなものをでっち上げただけなんだろ。まあいい、ツチノコだのスカイフィッシュだの空想上の生き物を探しに行くと宣言して、人里離れた山奥で汗水たらした挙句、遭難して新聞の一面を飾るよりは、空調の効いた文明的空間で少々場違いな道化師と鬼ごっこをやる方がよっぽどましだ。ここまで思考をめぐらせると、舞台の裏方でせっせ暗躍するハルヒを退屈させない隊が存在していたことを思い出した。俺は投票日前日に街頭で演説する衆院議員立候補者よろしくしゃべり続ける団長に相槌を打ちつつ、横にいる超能力者兼ハルヒを退屈させない隊隊員にそっとささやいた。
「おい、これもお前の機関が用意したハルヒを退屈させないためのプランなのか?」
「まさか。いくら我々が涼宮さんの心理分析に長けているといえども、彼女がいつ、どのようなものに興味を持ち、どのサイトにアクセスするかまでは予測するなど不可能です。仮に予測できたとしても、機関なら有名企業のマスコットなどではなく、より周囲に影響の出ない無害なものを用意しますよ」
ハルヒに聞こえないように持論を展開すると、古泉は肩ををすくめてみせた。最近どたばた騒ぎとご無沙汰だったから、ハルヒが何かしでかす前に機関が先手を打ったのかと思ったが、今回は関係が無いのか。
「はい、涼宮さんがドナルドに興味を持ったのは単なる偶然と考えてよろしいかと。何なら機関に連絡してそれなりの対策を講じさせましょうか?」
うっ、やぶ蛇になっちまった。ここでホイホイうなずくと、明日にはドナルドの格好をした新川さんか多丸兄弟に出会いそうだ。それだけは勘弁願いたい。知り合いがあの姿になっているところに遭遇するとトラウマになりそうだ。
考えておきます、そう言って古泉はクラスの女子の大半を一撃で籠絡できそうな微笑を浮かべた。止めろ。俺にそっちの気は無いんだ。やるんだったらどこぞの自動車修理工の前でやれ。
明日の不思議探索はドナルド捕獲大作戦に変更。集合場所も駅前ではなく件のマクドナルドに、とハイテンションなハルヒが一方的に宣言したところで、騒音にめげずに黙々と読書を続けていた長門が本を閉じたので、本日の団活は終了と相成った。
先に言っておこう。俺は運命などという正体不明の現象なんぞこれっぽっちも信じちゃいない。だが、もし運命をつかさどる女神が存在して、古泉の言う偶然をいじくり回して俺達の運命の方向を決定したやつがいるなら、俺はそいつを思い切り殴って・・・やるのはさすがに女神だから気が引けるが、それでも三時間ほど愚痴を言ってやらなきゃ気がすまん。俺たちはその偶然のせいでとんでもない事件に巻き込まれちまったんだ。

 



「遅い。罰金!」
いつもとは違う場所に集まったのに、俺はいつも通り遅れてしまった。俺が遅れることはもはや歴史上の決定事項と化しているようだ。他のSOS団員におごることもまたしかり。こうして俺の財布は今日も悲鳴を上げるのだった・・・・・・べっ、別に泣いてなんかいないぞ!
「さっきからぶつぶつ気持ち悪いわね。早く中に入るわよ。ドナルドが逃げちゃうじゃない」
俺の心の叫びを軽くあしらったハルヒは、鼻息荒く大股で店内にずかずか踏み込んでいった。喧嘩を売りにきたヤンキーじゃあるまいし。
「ドナルドさんってどんな人なのかなぁ。わくわくしちゃいます」
春の妖精を髣髴させる可憐な足取りで朝比奈さんがハルヒの後ろに続く。ドナルドなる道化師はどうせ客をメタボにしたり、壊れやすいおまけを配るろくでもない奴で、あなたのご想像なさっているようなサーカスの人気者のピエロとは似て非なるものですよ、朝比奈さん。
「むぅ・・・・・・ドナルドはいないようね」
客もまばらな店内には当然ながらドナルドの影も形も無かった。力のやり場に困ったハルヒが何を思ったのか、カウンターに乗り込んで立ちすくむアルバイト店員の胸倉をつかみ
「ドナルドはどこ!?隠しても無駄よ!」と熟練クレーマーのごとく怒鳴り散らす。そんな最悪のシナリオが俺の脳裏をかすめたが、幸いにも店員一同による先制攻撃「いらっしゃいませ~」に促された俺達は、あたふたとジュース等を・・・もちろん俺のおごりで、頼んで奥の座席に引っ込んだ。
「こうなったら店長に直接聞いてみようかしら。誠意をこめて話して、みくるちゃんの色気をちょっと足してたらきっと教えてくれるはずよ」
ハルヒは炭酸飲料がたっぷり入ったLサイズの紙コップを、バキュームカーも恐れおののく吸引力であっという間に空にすると、カウンターと朝比奈さんの胸元を交互に見ながら呟いた。それだけは止めてくれ。お前の誠意をこめて話すは拳で語り合う。朝比奈さんの色気は脅迫だからな。校内ならまだしも、こんな街中でやったら確実に警察沙汰になる。この年で自分の履歴書に前科一犯と書くなんて虚しいことはしたくないぞ。
「ナンパ狂いの谷口じゃあるまいし、SOS団の団長たるこのあたしなら警察を呼ばれないようもっと巧妙に事を運ぶわ。
恐ろしいことをさらりと言ってくれるな。この分だとSOS団が指定暴力団に指定される日も近いかもしれん。
「まっ、ともかく昼食時まで待ちましょう。その頃になったら客引きをするためにドナルドが出てくるわ」
お前がそんなこと言ったら、昼頃にはこの店内にいる人間が全員ドナルドに変身しそうで怖いな。古泉曰く、最近では神的能力も徐々に収まっているらしいが、まだまだ油断はできん。ここはあえて昨日疑問に思ったことをつっこんでみる。
「ドナルドの目撃情報があったのは開店初日だけなんだろ。この店に来ればドナルドに会えるという思考が間違っているんじゃないか?」
「んっ、そんなことないわよ。ドナルドは必ずこの店に姿を現すわ!そうよね有希!」
中東の油田のごとく自信がジャブジャブと沸いてくるハルヒも、さすがに不安に感じたのか無理矢理同意を求めるように長門の顔を見た。だが、長門はハルヒの問いかけに答えも振り向きもしなかった。その視線は席に座ってすぐに読み始めたファウンデーションなるやたらと分厚いSF小説ではなく、窓ガラスを貫通して店の外、道路の向こう側の床屋の前に置いてあるクルクル回るシュールな機械に刺さっていた。知ってるか?このクルクル回るやつってサインポールって名前なんだぜ。なんてやってる場合じゃない。長門の視線はサインポールをさらに貫いて、サインポールの後ろにたたずむ赤白黄色三色の派手な色彩をしたピエロにぶち当たっていた。俺達に向けている笑顔は、顔に施された真っ白なメイクと真紅の唇によってよりいっそうグロテスクなものへと昇華していた。えーっと。こいつは・・・・・・
「ドナルドよっ!」
ハルヒは風と共に去りぬ。叫び声に驚いた俺がハルヒを探すと、やつは自動ドアをこじ開けるようにして外に出るところだった。目測だが今の席からドアまでのタイムは確実にフローレンス・ジョイナーのそれを上回っていそうだ。
「追いましょう!」
古泉の声に押されて俺も席を飛び出した。店員に奇異の目で見られつつ外に出たとき、すでにドナルドとハルヒの姿はどこにもなかった。
「こっちです!」
何で分かるんだ?お前は超能力者・・・・・・だったな。俺は古泉に導かれるままに街中を右に左に走り続けた。
「さっきのドナルドは機関の息がかかったやつなのか!?」
10分ほど経つと目的地が分からないまま走るのが苦痛になってきたので、前方を走る古泉の背中に質問をぶつけると立ち止まって俺の方を向いた。俺は汗だくで息が上がっているが、腹立たしいことに古泉は顔から笑顔が消えている以外平生と変わりない様子だ。やっぱりこいつも機関でそれなりの訓練を受けてるんだろうな。そのうちボンドカーを乗り回すようになるかもしれん。
「残念ながら機関の用意したドナルド、くじ引きで負けた森さんが扮したものは店の奥で待機しています。ドナルドの正体が森さんだと気づかせ、涼宮さんの興味をドナルドから何故森さんがドナルドの姿をしていたのか、へと移すことが機関の目論見だったのですが先を越されてしまったようです。せっかく偽の身の上話や森さんの両親役も準備していたんですが、このままだと無駄になってしまいそうです」
なんたるダークホース、ドナルド・森。見てみたい気もするが、見たら二度と森さんの顔を直視できなくなる気がする・・・・・・いや、待て待て。ということは、さっきのドナルドは正体不明ってことなのか?
「それは違う」
「のわっ!?」
突然、耳元に季節はずれの寒風が飛び込む。長門、頼むから人の後ろに立ったときは急に話しかけないでくれ。心臓に負荷がかかる。いつの間にか背後に立っていたヒューマノイド・インターフェイスはナノメートル単位でうなずくと、ごく端的にドナルドの正体を説明した。
「先ほど我々が視認したドナルドは涼宮ハルヒの願望によって具現化されたもの」
なるほどな。ハルヒが退屈する→突拍子もないことを思いて実行しようとする→うまくいかない→スーパーハルヒパワーで自己解決。実に理解しやすい公式。オイラーもびっくりだ。しかし、自分で作ったドナルドを自分で追いかけるなんて滑稽な話だな。例えるなら子犬が自分の尻尾を追いかけて遊ぶ、みたいな感じか?いや、あいつの場合子犬じゃなくてゴジラか。周囲に与える被害が大きすぎる。
「涼宮さんの願望によって生み出されたドナルドですが、その存在が地球環境に及ぼす影響はどの程度のものなんですか?」
ハルヒ心理分析の権威である古泉博士がこの世の現象を全て把握していると評判の宇宙人にコンタクトを試みる。
「基本的に無害。先ほどのドナルドも涼宮ハルヒが追跡を開始して三十七秒後に消滅を確認した。これは願望の度合いが比較的低かったからだと推測されるが、詳細な原因は情報統合思念体内で解析中」
「今回の願望は突発的なものであると考えてよいと?」
「否。涼宮ハルヒの心理状態によっては再びドナルドが具現化される可能性がある。また、次のドナルドも無害であるという保証はない。現状維持を望むなら早急に代替物を用意することが得策」
朝起きて顔を洗おうと鏡を見たらドナルドになってた、なんて考えただけでも背筋が寒くなる。SOS団創設したての世界恐慌一週間前のニューヨーク平均株価指数並のテンションだったハルヒならともかく、今のハルヒはそんなアホらしい願望は持たんと思うが、用心と保身にこしたことはない。ここはどうあっても森さんドナルドに一肌脱いでもらうしかないようだ。
「ならば機関の用意したドナルドを涼宮さんの前に出すしかないようですね」
「推奨する」
長門に断言された古泉は困ったようなニヤケ面になってわざとらしくため息をついた。
「やれやれ。仕事中毒と間違われるほど職務に忠実なあの森さんが、しかも厳粛なくじ引きの結果であったのにも関わらず、あそこまで嫌がるなんて初めてのことでしたよ」
それはお気の毒に。じゃあ森さんのアフターケアは任せたぞ、古泉。俺は結果報告だけ聞いてやる。
「あまり任されたくはないんですけどね。なにせ・・・・・・おっと噂をすれば何とやらです」
すぐそこの路地からハルヒがひょっこり現れてこっちに向かってきた。額を汗で光らせ肩で息をしているが、久しぶりに不思議なものを発見することができてよっぽど嬉しかったらしい、気味が悪いほどの笑顔が顔に張り付いてやがる。
「ごめん、ドナルド逃がしちゃった。あいつ見かけによらず足が速いみたい。次に追いかけるときは麻酔銃と上空からの追跡用のヘリコプターが必要だわ」
お前は動物園から逃げ出した猛獣を捕まえる気か。
「麻酔銃は保健所から借りればいいし、ヘリコプターは空港か自衛隊の駐屯地にでも行ってみくるちゃんの・・・・・・あら?みくるちゃんはどこなの?」
「あ」
いかん。俺としたことが、道化師のことで頭がいっぱいになって慈悲深い女神様の存在を失念してしまうとは!慌てふためく俺たちに雪の女神が道を示してくれた。
「朝比奈みくるは五人分のゴミを片付けるためにマクドナルドに残った。現在わたしたちを探して街を歩いていると思われる」
「ちょっと!みくるちゃんが一人で歩いたら迷子になっちゃうわよ!早く探しに行くわよっ!」
カップラーメンを二十回作れる時間が過ぎた頃、ようやく遠征先のイスラム教国から帰還する十字軍兵士を髣髴させるほど疲弊した朝比奈さんと合流することができた。携帯でお互いに連絡を取り合ったものの「えーっと、すっごく大きな建物の前にいます」や
「あっ、地図を見つけました!・・・・・ごめんなさい。漢字が読めないです」等、美声で伝えてくださる朝比奈ナビの信頼性は駅前の怪しい占い師の恋占いより低かった。
「みくるちゃんが疲れてるから、ドナルド捕獲大作戦は明日に延期!」
普段は朝比奈さんを着せ替え人形にして遊んでいるわがまま団長様も、朝比奈さんの憔悴振りに心の片隅に追いやられてた思いやりが復活を果たしたのかありがたい宣言をしてくれた。ほんの少しだけ俺の中のハルヒ株が上がったね。もっとも、これから上がる可能性は皆無だろうが。古泉は何とか言いくるめてマクドナルドへ誘導しようとしていたが、口八丁では一度心を決めたハルヒを動かすことはできなかったようだ。もともと強く自己主張できない立場にいることだし。
解散後、俺は家に戻り特に何かをするでもなく定年後のサラリーマンのようにテレビを眺めたり、適当に妹の相手をしてはゴロゴロ過ごし、明日の出来レースに備えて早々に布団の中にもぐりこんだ。勉強?受験?知ったこっちゃねえや。

 



レム睡眠とノンレム睡眠の狭間。一日の疲れを癒す極上の羽衣に全身を包まれる至福の時間帯は、無遠慮に侵入してきた着信音とバイブレーションによって見るも無残に蹂躙されてしまった。無視してしまえばよかったのだが、そこは携帯の扱いに慣らされてしまった現代人の悲しい性、脊髄反射的に通話開始のボタンを押してしまった。もし、この電話の主がハルヒだったとしたら無視した場合、次に会うときどんな目に遭わされるか分かったもんじゃない、という深層心理が働いたのかもしれん。
「うー・・・・・・もしもし」
「こんばんは。古泉です」
眠気が反対側の耳から逃げ出す甘ったるい声が鼓膜を優しくなでる。ある意味不機嫌なハルヒの声よりも聞きたくないやつだ。
「機関の仕事に一般市民への安眠妨害があるとは初耳だぞ」
「夜分遅くに申し訳ありません。ですが、少々困った事態になりまして。お手数をおかけしますが、窓の外をご覧になっていただけませんか?」
やけにかしこまった口調がなおさら嫌悪感をそそる。しかも、声の後ろで中国の旧正月のお祭り騒ぎのごとく爆竹が炸裂する音がして何を言っているのか聞き取りにくい。何だ?季節はずれの花火大会でもやってるのか?
「時間がありません。お願いします」
「へいへい」
何だかんだ不平不満を言っても、結局は人に流されちまうんだな、俺って。重たい脚を引きずりながら窓際まで行き、明る過ぎな日本の夜景から睡眠時間を守るために閉められたカーテンを開けた先に待っていたのは、
「・・・・・・ははは、冗談はエイプリルフールだけにしてくれよ」
問、パリは燃えているか?
答、パリではないが俺の街が燃えている。
「気を確かにしてください。緊急事態です。涼宮さんの願望を実現する能力が暴走して大量のドナルドが発生しました」
俺は口を開いたまま古泉の話を右耳から左耳へと流していた。遠方に見える高層ビル群に混じって、真っ赤な炎に照らされた煙が幾筋も立っている。遠くだけじゃない。煙の太さから見てもかなり至近でも火災が発生しているらしい。何よりも恐ろしいのは、これが閉鎖空間とかいう便利空間ではなく、現実の世界で起きているということだ。その証拠に、この壮大で悲壮な光景には時折BGMとして誰かの悲鳴が流れてくるのだ。
「ドナルドたちはマクドナルド以外の飲食店を手当たり次第に襲撃しています。それがウズベキスタン料理店だろうと、潰れかけた立ち食い蕎麦屋だろうと手当たり次第に襲い、ハンバーガーとフライドポテトを駆使して破壊の限りを尽くしています。また、ドナルドは一般市民に対して洗脳を行っています。洗脳されたら最後、理性を失ってマクドナルドに関係することしか考えることができなくなり、ドナルドの手先として利用されてしまいます。これは未確認情報ですが、洗脳を施された人々の中に良い男が混じっていると、遠慮なく掘ってしまうそうですよ。実に羨まし・・・・・・おっと失敬。とにかく、機関があなたの家に迎えの車両を回しています。車が到着するまで家の中に隠れ・・・・・もし・・し・・・・聞こ・・ま・・・・?」
「古泉?どうしたんだ?」
古泉の変態トークは突然ノイズによって中断されてしまった。テレビだったら画面に砂嵐が移るようにしてだ。十秒くらい経って再び言葉がはっきり聞こえるようになったが、聞こえてきた言葉は古泉のものではなかった。
「もしもし。ドナルドです」
口から心臓が飛び出しそうになった。背中を氷の塊が滑っているかのように鳥肌が立ち、心の底まで冷却されたように歯がガチガチ鳴る。
携帯を取り落として、そこで気づいた。我が家の前の道路に赤い携帯を持って立っているドナルドに。そいつは二階の窓にいる俺を見るように顔を上げて、笑った。
「ドナルドは今、男子に夢中なんだ」
日本に生まれたことを心底呪った。ここがアメリカだったらすぐに机の引き出しから護身用の銃を取り出してドナルドに向けてぶっ放してたのに。残念ながら俺の机の引き出しにあるのは、目も当てられないような点数をとった模試の解答用紙だけだ。紙飛行機にして飛ばして運良く目に当てても、狂気の道化師にダメージを与えられるか怪しい。
「ほら、自然に身体が動いちゃうんだ」
泣かなかった俺を褒めてやりたい。ドナルドが俺を殺す、もしくは掘るために歩き出そうとした刹那、視界の端で何かが光った。
「アラァー?」
連続した小規模な爆発音が耳に届いて光の正体が銃を発砲した時に発生した光だと理解する前に、間の抜けた叫びを上げたドナルドは身体が青白い光に変化して、仰向けに倒れながらいつぞや見た神人の崩壊のように細かく分解していき、アスファルトと密着する寸前で消滅した。
呆然とその様を眺めていた俺に状況を飲み込む時間は与えられなかった。その一秒前までドナルドがいた場所に、何度もお世話になった黒塗りのタクシーが心地よいブレーキ音を立てて急停車したのだ。俺はタクシーの中から人が出てくるのを待たずして駆け出した。
「古泉!」
「危機一髪。いや、危機半髪といったところでしょうか。一か八かのP90の長距離射撃が成功していなければどうなっていたか・・・・・・いずれにせよ、到着が遅れてしまい申し訳ありません」
玄関のドアを蹴破る勢いで飛び出した俺を待っていたのは、ポケットやら何やらがごてごてとついた濃紺色の上下一体型ツナギ、ゴーグル付きのヘルメット、果ては妙な形をした銃をかまえている、見慣れた制服姿とは似ても似つかない古泉だった。このままサバゲーの会場に行っても問題なさそうだぜ。だが、そんなことどうでも良い。今のお前は地獄に蜘蛛の糸を垂らしてくれた仏様か、敵に囲まれ孤立した砦に救援に来た騎兵隊に見えるぜ。ありがとうな、古泉。
「何をおっしゃるんですか。あなたが無事であっただけでも十分なのに、お褒めの言葉を頂いただくなど身に余る光栄ですよ」
そう謙遜するなって。一回くらい尻穴を貸してやっても・・・・・・すまん、ただの妄言だ。俺の言ったことは全部忘れてくれ。むしろ忘れろ。だから、そのキラキラ輝く瞳をどこかへやってくれ。反吐が出そうだ。
「うう、残念です」
ついでに涎もふけ、このガチホモ野郎。一瞬でも気を許した俺が馬鹿だった。
はあ。とにかく、今ので正気に戻った。いい加減、変態抜きの状況説明を頼むぞ。
「僕はいつだって本気なのですが・・・・・・分かりました。時間がないのでタクシーに乗りながら説明します。少しの間、ドライブに付き合ってください」
と言って古泉がタクシーの後部ドアを開ける。ああ、もちろん良い・・・・・・ちょっと待て、いかれた道化師がうじゃうじゃ歩き回ってる中に家族を置いてけってことか?
「キョンさんのご家族は我々が責任を持って安全な場所へ送り届けるよ」
あるときは資産家で殺人事件の被害者。またあるときは、機関の敏腕エージェント。しかして今宵の姿は、歴戦の特殊部隊隊員。古泉と同じ格好をした田丸圭一さんがタクシーの中から現れ、俺にウィンクをしてから家に入っていった。続けて田丸裕さんも親指を立てて俺の脇を走り抜ける。まだ返事をしていないのだが、いいや。敵が変態ピエロドナルド・マクドナルドだとはいえ、戦う術をこれっぽっちも知らない凡夫たる俺よりはよっぽど頼りになるだろう。
後顧の憂えがなくなった俺は覚悟を決めて行き先不明、料金不明、生きて帰れる保証すらない黒塗りタクシーに乗り込んだ。

 


「まずはこの動画を見てください」
俺は運転席の新川さんと助手席の森さんに挨拶をする暇もなく、急発進によるGに耐えなければならなかった。座席から身体を引っぺがすと、古泉がノートパソコンを開いて俺の方へ向けていた。そっち系の動画じゃないだろうな・・・・・・っとなんだこりゃ。
「俗にMADと呼ばれている個人が編集や合成を行った動画です」
問題はそこじゃないだろうが。パソコンの画面ではドナルドを奇妙奇天烈な踊りを踊り、ドナルドの声を繋ぎ合わせて作ったと思われる聞いているだけで頭のネジが外れそうな音楽が流れていた。動画のコメント欄には教祖様だの布教和音だの洗脳だの頭が痛くなる単語がずらりと並んでいる。
「古泉。この動画は確かに馬鹿げているしドナルドもいるが、今のくそったれな状況と何か関係があるのか?」
「動画自体は無害です。内容が特異だったので閲覧者が面白おかしくコメントしているだけなので、実際にこれを見て洗脳されたり、マクドナルド教なるものが存在しているわけではありません。わけではありませんが、あなたはこの世界には唯一常識に束縛されることのない力を持つ少女を知っていますね。涼宮さんは昨日我々と別れて自宅へ帰った後、インターネットを通じてドナルドの情報収集を行っていました。そして、たまたまこの種の動画を発見して閲覧して回っているうちに、信じがたい話ですが、涼宮さんの能力と相乗効果を発揮してしまい、涼宮さんは本当に洗脳されてしまったようなのです」
「アラァー?」
タクシーは減速しないまま、、道路のど真ん中を歩いていたドナルドを跳ね飛ばした。さすがは機関の車だ。衝突のゆれも少ないし、フロントガラスだってひび一つ入ってないぜ・・・・・・じゃないよな。うん。もうね、はっきりいってめまいがするね。我らが団長様はいったいどれだけ世間の皆さまに迷惑をかけりゃ気が済むんだ?姿勢制御装置に致命的な欠陥があるせいでどこへ向かっているかも分からないハルヒロケットは、有害物質を盛大に撒き散らしながら飛翔し、墜落するときは燃料に引火して大爆発を引き起こす。自滅するときくらいは一人で勝手にやって欲しいが、そうは問屋が卸さないらしい。
「涼宮さんを中心に半径三十kmが異空間化しています。一時間前、午前二時に確認されたこの異空間は、涼宮さんのストレス発散の場である閉鎖空間とはまったく別のものであり、現実世界に重なるようにして存在しています。ドナルドの発生数から考えて、この空間の内部では涼宮さんの願望は通常の空間よりも容易に実現してしまう傾向にあるようです。もっとも、洗脳されてしまった涼宮さんの願望はドナルドを無限に発生させることだけのようですけど」
つまり異空間はさながらマクドナルドランドになってるってことか。
「ええ、そのように考えてよろしいでしょう。たちが悪いことに異空間はなおも拡大しつつあり、このまま拡大が停止しなかった場合、確実に世界は異空間に飲み込まれてしまいます。これはちょっとしたピンチですよ。男性にとっては貞操のピンチでもありますね」
古泉は星が綺麗だから散歩にでも出かけましょうか、みたいな危機感の欠片もない口調でさらりと世界がドナルドまみれになって滅亡すると言いやがった。お前の仕事場じゃ日常茶飯事なんだろうが、平々凡々な高校生の俺としては一生の内に一回経験するだけで十分だ。化け物退治の専門家はこんなところで油を売っててもいいのか?
「現在、機関だけでなく出動命令の下った県警と自衛隊、演習から帰還途中で付近を航行していたアメリカ海軍第七艦隊がドナルドの対処に当たっています。対処といっても見つけしだい排除せよと命令されているだけですけど。国連でも多国籍軍の派遣が検討されているそうですよ」
俺が寝ている間に国連まで動いているとは。恐るべし機関。今度から機関の悪口は言わないようにしないとな。古泉のホモ野郎!とでも言ったその日の夜には迎えが来るかもしれん・・・・・・ってもう来てるか。
「機関が動いたというよりは、スポンサーである鶴屋家の働きかけが大きいですね。今度鶴屋さんと会ったときはお礼を言ってください」
「おやっさんが本気になったら最強にょろ。キョンくんも頼みごとがあったら遠慮なくあたしに言うといいっさ!キランッ」
うおっ。聞いてはいけない鶴屋さんの悪魔ボイスが頭の中で再生されちまった。もしかすると俺はハルヒと同じくらいでかい地雷の隣で生活してるのか?
「さあ、どうでしょう。本人から直に聞いてみてはいかがです?とにかく、これらは所詮小手先の対処に過ぎません。ドナルドは神人と違って通常兵器でも撃破が可能なのですが、ゴキブリのごとく無尽蔵に湧き出ているので倒してもきりがないんですよ。正直、我々の手に余る存在です。そこで根本的な治療を施すために鍵が、つまりあなたが呼ばれたというわけなんですよ」
タクシーが横転して炎上しているパトカーの脇を通り過ぎ、一瞬だけ古泉の横顔が紅蓮の炎でライトアップされる。こんなくそったれな状況下でも、こいつは俺がどれだけ努力しても真似できそうにない人畜無害な微笑みを浮かべていやがった。くそっ。俺は言ったはずだぞ、平凡な高校生だと。何をすりゃいいんだ?馬鹿正直に去年の春よろしくあいつとキスでもしろってのか?
「それも手段の一つですよ。涼宮さんの洗脳を解くことができるならどのような方法を使ってもかまいません。ですから世界を。いえ、涼宮さんを救ってください。お願いします」
ここでようやく古泉は微笑の仮面を外して真顔になった。うん、これ無理。こいつの真顔はどうもいかん。まだニヤケ面の方がましだ。いい加減、俺の目を見つめる真剣な瞳がウザくなってきたので俺は目を閉じた。すると、どうしたことだろうか。まぶた裏のスクリーンが日常的なSOS団での光景と、非日常的な事件の数々を上映し始める。通常の三倍速での上映だが、どの場面でも中心にいるのはハルヒハルヒハルヒ・・・・・・はあ、わかってるさ。俺には元から選択権など無いってな。ただ、俺は少しばかり天邪鬼なだけなんだよ。だからそう嬉しそうな顔をするなって。
「決心はつきましたか?」
「断る、と言ったらどうする?」
「そのときはSOS団の副部長である不肖、古泉一樹が微力を尽くさせていただきますよ」
「ふん、団長の尻拭いは雑用係の仕事だ。誰にも譲る気はないね」
あーあ、言っちまった。こりゃ、SOS団が存在し続ける限りハルヒの尻に敷かれそうだ。古泉もやれやれといわんばかりに肩をすくめて首を振る。
「あなたって人は、本当に素直じゃありませんね。いつかその性格が深刻な問題を引き起こしても知りませんよ。もっとも、そこが魅力的なんですが」
「こ・い・ず・み」
森さんが微笑んでいらっしゃった。いつぞやの誘拐犯に向けたような妖絶な笑顔を古泉に向けている。ご好意はありがたいが、自分に向けられていないと分かっていても怖い。めっちゃ怖い。チビったかもしれん。対して古泉は微笑みを平然と受け止めるだけでなく、さらに微笑み返している。つくづくこの業界にだけは足を突っ込みたくないと考えさせられるね。
「仕事と私事の区別をつけろ。心配しないでください。ちゃんと心得ていますよ。さて、話を戻しましょう。肝心の涼宮さんですが、我々超能力者の能力によると学校のグラウンドにいるようです。数え切れないほどのドナルドを引き連れてね」
古泉が言葉を切ると示し合わせたかのようにタクシーが停車する。ドアが開いて吸い出された先は、一年生になりたてホヤホヤに長門の電波話を聞かされるために呼び出された光陽園駅前公園だった。
「何人やられた!?」
「三人掘られました!」
あのときの公園と違いがあるなら、銃を構えたおっさんたちが気狂いピエロどもと交戦の真っ最中でとんでもない会話が聞こえてくるってことと、俺の目の前にローターを回しているでっかいヘリコプターがあることだ。
「学校の周囲はドナルドの密度が濃すぎて戦車にでも乗らないと接近は危険です。自衛隊の戦車が到着すれば良いのですが、あいにく時間が無いので機関のヘリで空から向かいます。実のところ、空も安全ではないのですが」
古泉が空を見上げたので俺もつられて首を上に向けると、ちょうど空飛ぶUFOならぬ空飛ぶドナルドに追いかけられた戦闘機が火を噴いて落ちていくところだった。戦闘機はそのままビルに隠れて見えなくなり、数秒間をおいて轟音が響き渡った。闇夜にはジェットエンジンのものと思われる光点と、赤く輝いて飛行するドナルドが複雑な軌道を描いていた。おいおい、マジかよ・・・・・・
「ヘリには航空自衛隊のF-15と第七艦隊の空母から発進したF/A-18が護衛につきます。どうぞ大船に乗ったつもりでいてください」
「今のを見て安心できると思うか?もっと数字のでかい戦闘機を護衛につけろ」
「数字が大きくなれば強くなるというわけではないのですよ。そうそう、ヘリには長門さんも同伴してくれるそうです」
「そりゃ安心だ」
長門のチート能力ならこの異変だってささっと解決できるなって、それじゃあ全然だめだぞ。結果としてまたまた長門に負担をかけちまうことにわけだからな。傍観者を決め込んでいたら知らぬ間に世界を改変された身としては、あいつにかかるストレスは極力軽減してやりたいのだが、なかなかどうして思い通りにならないのだろうか。暴走させてつらい思いはさせたくない。かといって長門の力を借りないと世界は滅茶苦茶になりそうだし・・・・・・ええいくそっ!アーメン・インシャラー・ピーナツバター。どうせ下手の考え休むに似たり。もうなるようになりやがれ。この世にはベストの答えなんてないんだよ。肝心なのは開き直りってことだ。
こうして思考を停止した俺は古泉に導かれるままにヘリコプターのドアをくぐったのだった。

 

 

 


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