※このお話は『放課後屋上放談』の後日談です※



 いつも通りの休日。いつも通りの不思議探索。長門とペアの組になったので、いつも通り図書館へと向かったのは、まあお約束だよな。
 秋の日の、さんさんとした午後の陽光が降り注ぐその道すがら。俺はふと思いついて、隣に声を掛けた。


「なあ、長門。小説とか文章の書き方のHowTo本でオススメのってあるか?」
「………なぜ」
「俺たちが文芸部室を使い続けるためには、また機関誌を作らなきゃならないだろ? どうせ書かされるなら、基本くらい抑えとけば少しは楽かと思ってさ」


 形式上、俺たちには文芸部室を占有するに足るだけの活動内容を提示する事が義務付けられている。非常に面倒だが社会の必然って奴なので、こればかりは致し方ない。
 致し方ないのなら、いっそポジティブに考えてみるのもいいかもな。そう、もしかして俺には天才小説家としての眠れる才能が秘められていて、本腰を入れて書き連ねてみたならばナントカ賞くらい取れたりするかもしれない。
 …うん、自分でも多分に邪気眼っぽい妄想だとは思うが。俺だって現役の高校生だし、こんなドリー夢を思い描く事だってあるのさ。それでもハルヒみたいなトンデモ能力に比べれば、発現する可能性はまるっきりゼロじゃないはずだ。なあ、長門?


「そう」


 俺の潜在的可能性については微塵も触れる事なく――ナイーブハートがちょっとだけ傷ついたぜ――長門は何も無い空中に文字列が並んでいるかのごとく、しばらくまっすぐに正面を見据えていた。


「該当作は複数」
「じゃあまず図書館にある中で、ページ数の少ない奴を適当に見繕ってくれるか」
「了解した」
「よろしく頼むわ。ハルヒの奴はどうせまた無茶なお題を突きつけてくるだろうし、生徒会長の方は生徒会長の方で、そんなハルヒをさらに焚きつけようとするだろうからな。
 まったく、今から頭が痛いぜ………。ん? どうした、長門?」


 取り留めのない会話の途中。不意に長門が立ち止まったので、俺も足を止めた。長門は俺に答えず、ただじっと黒曜石のような瞳を前へ向けている。その理由は、俺にもすぐに分かった。


「うん? キミたちは…」
「あらあら。こんにちは、長門さん」


 噂をすれば影ってことわざは、こういう時に使えばいいのかね。図書館を目前にした路上で、俺たちは向こうからやってきた生徒会長と喜緑さんの二人連れに、バッタリ出くわしてしまったのだった。

 



 こざっぱりとした麻のジャケットに、足元の革靴までピシリと決めた会長。その半歩後ろにさりげなく付き従っているのは、ざっくりとした白いセーターにベレー帽をちょこんと合わせた、上品な装いの喜緑さん。
 何というか、私服でもなかなか様になっている二人だ。だがしかし、この出会いははたして偶然なのか、それとも必然なのか。見た所、待ち伏せとかしていた訳ではなさそうだが。


「奇遇だな。いや、そうでもないか。文芸部員が図書館に現れるのはごく自然な事ではある。だが、しかし――」


 会長のセリフを信じるならば、どうやら俺たちは図らずもニアミスしてしまったらしい。だが、まだまだ油断は出来ないぞ。なにせ喜緑さんは、おっとりした外見ながらあのカマドウマ事件の発端となったお人だし、会長は会長で、SOS団に難癖を付けるのを生業としていると言っても過言じゃないからな。厄介な敵などではないにせよ、とりあえず警戒しておくに越した事はないだろう。

 はたして。規定された動作のように指先でくいっとメガネを押し上げた会長は、細いあご先に手を当てながらジロジロ値踏みするように俺と長門をかわるがわる見つめ、そしてこう言い放ったのだった。


「気が付かなかったな。キミたちがそういう仲だったとは」

「はあ?」


 何だそりゃ。今度は不純異性交遊か何かで、俺たちを吊るし上げようってのかよ。はーっと大きく溜息を吐いて、俺は会長に向き直った。


「そういう仲ってのがどういう仲の事を言ってるのか、知りませんけどね。たぶん勘違いですよ。俺と長門は、SOS団の活動でたまたま一緒に行動してるだけです」
「ほう、違ったか。人物観察にはそれなりに自信があったのだがな。私はてっきり、休日に二人連れ立って仲良く図書館デートだとばかり」
「勝手に決め付けないでくださいよ。
 ってか、それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか? 俺の目には、お二人こそ休日に仲良く図書館デートって風に見えますけどね、センパイ?」


 ちょっとばかり揶揄するような口調で、俺はそう切り返してやった。相手の痛い所を突くのは、古泉との将棋でそこそこ慣れてるのさ。まあこの人も『機関』との契約で、いつも通りSOS団の敵対者を演じているに過ぎないんだろうけれども。
 ところが、意趣返しのつもりで言い放たれた俺のセリフに。会長は、ふむ、と真顔で一言呟き、そして。


「図書館デートか。その通りだ、と言ったら?」


 答えるなり会長は傍らの喜緑さんの左肩に、ぽんと左手を置いたのだ。そう、彼女を抱き寄せるように。


「うえっ!?」
「…………」


 俺が思わず情けない声を上げてしまったのも、無理はないだろう。
 だって人通りこそ少ないけど、ここ天下の往来だよ? 誰に目撃されてるとも限らない道端でそんなに密着しちゃったりして、もう見てるこっちの方がドギマギするっていうかそれこそ不純異性交遊で告発されたりしたらどうするの!?
 っていうかこの二人、本当に付き合ってたのか? SOS団に関わる時は必ず二人セットですよね、などと春先の新入部員勧誘の際に、冗談めかした調子で訊ねたような事もあったりしたが。まさかそれが事実だったとは。


 ええい、実にうらやま………いやいや待て待て。男子高校生としての本音はさて置き、喜緑さんて確か長門と同じヒューマノイドインターフェースだって古泉は言ってたよな? 会長はその事を知った上で、喜緑さんと…?
 思わず視線を横に泳がせる。が、長門は目の前で寄り添っている会長と喜緑さんをまばたきもせずに見据えているだけで、その表情はいまいち読み取れな――


「この、バカップルめ…」
「い、いま何か言ったか、長門?」
「………別に何も」


 そうしてむっつり押し黙ってしまった長門と、パニクりまくりの俺が固まったままでいると。
 不意に喜緑さんが、にこやかな笑顔のままたおやかな動作で、自分の肩の上の会長の手の甲の皮膚をきゅっとつまみ上げた。


「たたたっ!?」
「会長ったら、おふざけが過ぎますよ? あまり後輩をからかって遊ぶものではありません」

 



「あー、彼の受け答えがあんまり初々しかったものでな。少々茶目っ気が過ぎてしまったようだ。すまん」


 そそくさと喜緑さんから離れた会長は、つまみ上げられた手の甲をさりげなく、ふーふーと吹いていた。あ、いま爪の痕が赤くなってるのがチラッと…。地味に痛かったんだな、きっと。
 つか、さっきまでのってタチの悪い冗談だったのかよ。呆れ顔の俺たちの前で、会長は空気の悪さをごまかすかのようにエヘンとひとつ咳払いを打ち、それから改まって俺と長門に向き直った。


「ところで。先程、SOS団の活動で来たと言っていたが…キミたちはこの図書館をよく利用するのかね?」


 まあ、そこそこですよ。主に利用してるのは長門の方ですけど。


「そうか。ならば、ひとつ助力を願えないか」
「はい?」
「喜緑くんが本を借りたいと言うのでこちらを訪れたのだが、この図書館を利用するのは久々でな。出来れば目当ての本がありそうな場所を案内して貰えるとありがたいのだが」


 ふーむ。別に見ず知らずの仲では無いにせよ、結構ずうずうしいお願いだな。
 一時期は文芸部を潰そうとしたお人でしょうがあなた。それがこういう時には体良く文芸部員を利用しようだなんて、厚かましいにも程があるぜ。


 なんて拒否するのは簡単なんだが、どっこい、だからこそここで恩を売っておくのもひとつの選択肢だろう。喜緑さんなら最短距離で目的の本まで直行しそうだって所が少々引っかかるんだが…会長の手前、あんまりまっすぐに直進しすぎる訳にもいかないのかもしれない。
 何にせよ、この図書館は長門のホームグラウンドみたいな物だ。宇宙パワーなんぞ使わなくっても、長門なら難なく対応できるだろう。それに自分の知識が人様のお役に立てば、長門だって悪い気はしないはずだ。


「ええ、それくらいの事なら別に…なあ、長門?」


 俺の振りに、長門も無言で頷いた。いったい何の本をお探しかは知りませんが、こいつに任せれば万事安泰ですよ。


「それは頼もしい。では長門くん、喜緑くんの事は頼んだぞ」


 鷹揚にそう依頼すると、会長は喜緑さんの方に振り返って…あれ、今なんか目配せとかしてなかったか?
 その喜緑さんは、ここまでずっとにこにこ笑顔で会長の後ろに奥ゆかしく控えていたが、会長の指図に小さく頷いて、すーっと長門の前に歩み寄ってきた。


「よろしくお願いしますね、長門さん」
「…………」


 そう言ってぺこりとお辞儀をすると、長門の手を取って歩き始める喜緑さん。少々戸惑った様子ながらも、引かれるままに長門もついていく。まるで姉妹みたいで、なんだか心和む光景だね。って――。


「会長さんは一緒に行かないんですか!?」
「人の話を聞いていなかったのか? ここへ本を借りに来たのは喜緑くんだ。俺はただの付き添いに過ぎない」


 いや、まあ確かにさっきはそう言ってましたけど…。


「見た所、どうやらお前も同様のようだな。どうだ、ここからは男は男同士という事で、しばらく俺に付き合わんか。茶代くらいは出すぞ」


 唐突な会長の誘いに、俺は内心で緊張を覚えた。もしかしたら俺は、意図的に長門と引き離されたのではないか、と。
 周到な罠に、俺は嵌められつつあるのかもしれない。そう考えて身構えようとした俺だったが、しかし会長の次の一言で、一気に脱力してしまった。


「ひょっとして本当の所はデートの真っ最中だったりしたなら、邪魔した事を謝るが。
 だが長門くんに喜緑くんを任せられて、正直こちらとしては助かった。なにしろ彼女が一緒だと、ヤニを吸わせて貰えなくてなあ…」


 肩を落として嘆く会長の背中には本物の哀愁が漂っていて、俺も一人の男として同情を禁じ得なかった。割と苦労してるんですね、あなたも。


「分かりました。さっきも言った通り、俺と長門はそんな仲じゃありませんし。俺で良ければ茶ぐらい付き合いますよ」


 よくよく思い直してみれば、もし仮に会長が俺に害意を抱いたとして、喜緑さんがそれに協力するとは考えづらいしな。
 いつもいつもハルヒたちにおごらされてばかりの俺だ、たまには人様のオゴリで一服させて貰ったって、バチは当たりゃしないだろう。例のHowTo本にしても、別に急ぐ用件でもないし。
 そんな訳で会長にホイホイついていく事に決めた俺は、すでに遠くなりつつあるインターフェース娘二人の背中に向かって、大声を張り上げたのだった。


「じゃあ長門、しっかり喜緑さんを手伝ってやってくれ! 俺は会長さんとしばらく外でダベってるから!」


 俺の呼びかけに長門は何の返事もせず、首から上だけこちらに振り向いた。喜緑さんに手を引かれ、こちらに無表情な顔を向けたまま、だんだんと遠ざかっていく長門。その黒いつぶらな瞳を見ていると、頭の中で『ドナドナ』の歌が物悲しげに流れたりしたのは何故なんだろうね。

 



「あ、じゃあ俺も同じ物を」
「かしこまりました」


 一礼したウェイトレスさん、いや、こういうお店では女給さんと呼んだ方がいいんだろうか。和服に白エプロン、足元はブーツ、頭には白いヒラヒラした…メイドカチューシャっていうのかね、あれは? とにかくそれでセミロングの髪をまとめた、一言で言えばハイカラな装いのお姉さんが厨房にオーダーを繰り返すのを見送って、俺は正面に向き直った。

 テーブルに伊達メガネを置いた会長は、早くも咥えたタバコの先に火を点けている。って、ちょっと無防備すぎやしませんか? しばらくお預けを食らっていたようですから、無理ないのかもしれませんけど。


「お前、この店を何だと思っている」
「甘味処、ですよね?」


 そう、俺が会長に連れてこられたのは大通りから外れた裏道にある、大正モダン調の小さな甘味処だった。あの時代の言葉では『ミルクホール』とか呼ばれてたんだっけ? 確かに茶を飲ませる場所には違いないが、普通の喫茶店を想像していた俺としては少々面食らってしまった。


「だろうな。普通、野郎が二人連れで甘味処に入ったりはせん。
 大体こういった店は女子どもがたむろしていて、男連中にとっては居心地が悪いものだからな。…俺の言っている意味が分かるか」
「この店はそうじゃない、と?」


 俺の返答に、会長は薄煙の向こうでニヤリと笑ってみせた。


「男でも大の甘党というのは存在する。存在するがしかし、世間一般的にあまり受けはよろしくない。スイーツというのは婦女子向けのファンシーな代物が多いからな。
 もしもの話だが、お前がファミレスに入ったとして、俺が一人でデラックスプリンアラモードをガツガツ喰ってたら引くだろう?」


 引きますね、正直。そういえば中学の遠足の時、弁当に苺と生クリームのサンドイッチを持ってきたクラスの男子が「お前、女かよ」なんてからかわれたりしてたな。


「それが現実だ。そうして抑圧されるからこそ、男性甘党の欲求はさらに高まっていく。考えてもみろ、一人暮らしの男が本物の汁粉を食べたくなったとして、小豆を水で戻したり、金網の上で餅が焼けるまで見ていたりとかやってられるか?」
「さあ、一人暮らしの経験はまだ無いので何とも言えませんが。ただ俺にはまず無理だ、と断言は出来ます」


 要するにここは、そういう隠れ甘党御用達のお店って訳か。
 確かにパッと目に付く限り、周囲には男性客しか見当たらない。テーブルも椅子も重厚な木の造りでちょっと厳か過ぎる感じだし、照明もかなり抑えめ、席と席の間の衝立も大きくて、立ち上がらなければ店の奥まで視線が届かない。どうやらこれは、わざと女性客を寄り付きにくくした店構えみたいだな。


「そうだ、ここは男の甘党にとっての隠れ家でありオアシス。言うなれば――」


 タバコの先で俺の顔を指し示しながら、会長はこう続けた。


「お前らにとってのSOS団と同じだ。わざわざ周囲に互いの秘密をバラし合ったりはしない。だろう?」


 これには俺も、思わず苦笑いを浮かべる他なかった。なるほど、この店を訪れる客たちはある種の秘密を共有し合っている。だから会長も、密告とかの心配なしにリラックスしているんだろう。
 それにしても、なんだかんだでこの人がSOS団の結束を認めてくれていたのが何気に嬉しい。やれやれ、俺もすっかりあのキテレツ組織の中に組み込まれてしまったものだね。


「ライバルとしては認めているさ。だからこそ…。
 ふむ。お前、どうして俺に茶に誘われたか心当たりは無いのか?」
「はい?」
「言っておくが、今日俺たちがあの場で出くわしたのは、単なる偶然だ。
 だが、俺がお前を誘ったのは偶然ではない。ちょっとした思惑があってな。だから喜緑くんには、お前と二人になれるよう配慮して貰ったんだが」


 なるほど、あの時の目配せはそういう意味だったのか。しかし、どういう事だ? 会長が俺とサシで話したいって。
 これが喜緑さんの方なら、「前々からお慕いしていました」なんて妄想も抱けるんだが。まさか会長が俺に告白したりする訳も…無いだろうし…。

 うん、無い! 無いったら無い! 消えろ、数秒前のアホな俺のイリュージョン!


「そうか、無いのか」
「へっ?」
「だから、心当たりの話だ。すると古泉の奴は、まだお前に話を通していないんだな」


 混乱している俺をよそに、一人頷いていた会長は突然、口の端を歪めて悪魔的な笑みを浮かべてみせた。


「せっかくだから忠告しておいてやろう。別に口止めもされていないし」
「忠告、ですか?」
「ああ、そうだ。
 気を付けろ、うかうかしているとお前、俺と同じ目に遭わされるぞ」


 忠告と言いながら、会長に俺の身を心配している風は無い。むしろその表情は、新しいゲームを発見した子供のように楽しげだ。


「分かりませんね。古泉が俺にいったい何をするってんです?」
「なに、いたって単純な話さ。問答無用で生徒会長に祭り上げられる、ただそれだけの事だ。もっとも俺の場合と違って、お前を押し上げるのは『機関』ではなくSOS団のようだが」
「なあっ!?」


 あまりに突拍子も無い会長の爆弾発言に、俺が声を失った所へ。
 お待たせいたしましたー、と女給のお姉さんがお盆を携えてやってくる。運ばれてきた『アイス白玉ぜんざいと焙じ茶のセット』はなんとも甘美な芳香を放っていた…はずなんだが、あいにくと俺の意識はどこか遠い彼方へすっ飛んでしまって、行方知れずなままだった。

 



「おいコラ、せっかくの甘味をそんなしかめっ面で喰ってんじゃない。店にも食材にも失礼だろうが」
「そりゃスイマセン…。けど、とてもじゃないですがじっくり味わってる気分じゃないんですよ…」


 木のスプーンで一口ぜんざいを流し込んで、俺はやっぱりまた、はーっと魂が抜け出るような溜息を洩らしてしまった。ええ、このぜんざいは確かに逸品ですよ? 口に入れた瞬間はずっしりした存在感の冷たい餡が、舌の熱でふわっと広がり、心地良い余韻を残して喉の奥に溶けていく。その後で飲む熱い焙じ茶が、またうまい。
 こんな小ぢんまりとした店なのに、客足が途絶えない理由がよく分かる。まさに知る人ぞ知る名店って奴なんでしょうよ。けどね。


「自分が勝手にゲームの駒にされようとしてるって知ったら、さすがに平然としちゃいられませんって」


 くそ。古泉の野郎、ハルヒと同じ班になったのをいい事に、今頃は余計な入れ知恵を吹き込んでるんじゃないだろうか。ハルヒもハルヒで、あっさり奴の口車に乗せられちまいそうだ。それ程に、会長がバラしてくれた『新会長就任権争奪、SOS団vs生徒会最終決戦計画』には真実味があった。


「ふむ。そんなにイヤか? 生徒会長になるのが」
「嫌に決まってるでしょう!? なりたくもない役職を押し付けられるなんて冗談じゃない!」

「ま、気持ちは分からんでもないがな。損得勘定以前に、自分の進退を自分以外の人間に勝手に決められるというのは腹立たしいものだ。
 一年前の俺も、まさしくそういう気分だった。だからお前には古泉の計画をチクッてやったのさ。同病相憐れむという奴だ」


 にやにやとしながら会長はそう言った。喜緑さんと一緒の時にも言っていたが、どうもこの人は、俺の「初々しい反応」というのが面白いらしい。あんまりいい趣味とは言えませんよ、それ。


「断っておくが、俺の時はお前よりひどかったんだぞ?
 まず、選択の余地が無かった。ズタボロになるまで叩きのめされて、あげく黒塗りタクシーで強制連行だ。目隠しを外された時には、どこか見知らぬビルの中の応接室らしき部屋に放り込まれていたな」
「うへえ…マジですか…?」
「大マジだ。とはいえ、それまで交渉のテーブルに着こうともしなかった俺の方に非が無い事も無いんだが。
 当時の俺はちっぽけな自尊心を守り通すのに必死になってる、チンケな不良学生でな。他人の言いなりになるくらいなら死んだ方がマシだ、なんて青臭い事を考えてたのさ。そんな俺の態度に、『機関』の方もいいかげん業を煮やしたんだろう。
 そうして拉致られて来た応接室で、俺を待ち受けていたのは、小綺麗な顔をした女だった。自分で言うのも何だが、あの頃の俺は本当に要領も悪けりゃ頭も悪くてな。この女が何者か、どんな思惑で俺を召し出したのかなんて事は考えもせず、ただ虚栄心から強がって、憎まれ口を叩いちまったんだ。『何様のつもりだよ、このクソババア!』と。そうしたら――」


 そこまで言いかけた所で、なぜか会長は、しみじみと首を左右に振った。


「いや、『ア』までは言わせて貰えなかったか。そう言いかけた時にはもう、その女――森さんが胸ポケットから抜き放ったボールペンの先が、目の前に迫っていたからな。
 比喩じゃないぞ。本当に“目”の“前”に、だ。隣に控えていた新川さんが森さんの腕を掴んでいなかったら、今ごろ俺はメガネじゃなく、海賊みたいな黒眼帯を付けていたかもしれん」


 今となっては笑い話だがなと片目を瞑って、会長は実際、ハハハと朗らかに笑ってみせた。が、すいません全く笑えません。みんなも目上の人への言葉遣いには気を付けような。

 



『落ち着け、森』
『放して貰える、新川? こういう最低限の礼儀もわきまえないような子供は、きちんと躾けてあげるのが大人の義務ってものだわ。人が下手に出てりゃ付け上がってくれちゃって』
『彼にはいずれ、涼宮ハルヒと真っ向から対峙して貰わなければならないのだ。あまりに従順な羊では困る。多少は骨が無くては』
『だからって、誰にでも噛み付く野良犬でも困るんだけど?』
『それはこれからの調教次第だろう。古泉とて、最初は狂犬のような目をしていたではないか』
『相変わらず、甘っちょろい事を…。
 仕方ないわね、やるしかないか。今さら他の犬を探し出してる時間も無いし。そうと決まったら、あんたもいつまでも床にへたり込んでないで、さっさと立ちなさい。こうなったからには豺狼程度には鍛えてあげるから。
 一応言っとくけど、私たちはあんたに“期待”しているの。その期待を裏切らないでほしいものね』

 



「サイロウ?」
「【豺狼路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん】、要するに森さんは、俺に大悪党になれと迫ったのさ。
 もっとも俺はこの時、腰を抜かして歯の根をガチガチ鳴らしている始末で、とてもその言葉の意味なんぞは理解できなかったが。ただ、俺の認識がこのぜんざいなんかよりもよほど甘ったるかった、という事だけは身に染みて分かった。分かった所で時すでに遅し、俺の命運はもはや尽き果てていた訳だがな」


 白玉だんごをもぐもぐ噛みながら片手間のようにそう言って、会長はちらりと俺を見やった。


「俺のようになりたくなければ。生徒会長の肩書きが重荷でしかないのなら、せいぜい早めに手を打っておくがいい。
 本音の所、俺としてもお前らSOS団とは因縁にきっちり決着を付けて――特に古泉の奴には一泡吹かせてから、卒業したかったんだが。やる気のない奴を相手に勝負しても仕方が無いしな。まあ、好きにしろ」
「…なんだか、ずいぶんサバサバしているんですね」
「うん?」
「勝手に人生を捻じ曲げられたような事を言ってる割に、先輩には恨み節みたいなものがあまり無いじゃないですか。もっと俺をそそのかそうとするんじゃないかって、俺は内心で身構えたりしてたんですけど」


 俺の指摘に。会長は1回まばたきをして、それからクックッと愉快そうに笑い始めた。


「なるほど? パッと見はどうにも冴えない奴だと思っていたが…。古泉がお前の事を高く買っている理由がよく分かる。俺などよりお前の方が、よほど人物観察の才があるようだ」
「今さりげに俺、ひどいコト言われてませんでした?」
「些末な事だ、気にするな。
 さて、そうだな。『機関』を恨んでいないのかという質問なら」


 残り少なくなったぜんざいの器の中でスプーンをくるくる回しながら、会長は妙に爽やかに答えてみせた。


「もちろん恨んでいるに決まっている。古泉の傲慢、森さんの横暴、新川さんの容赦ない教育的指導。どれも思い返すだに虫唾が走るような思い出ばかりだ。だが――」


 うはあ。笑顔でこういう事を言われると、逆にクルものがあるね。
 少々げんなりした気分になりかけてしまった俺に向かって、しかし会長はさらにこう付け加えた。


「だが、だからこそ今の俺がある。それもまたひとつの事実だ。
 男子三日会わざれば…とは言うが、何のきっかけも無しに人は成長したりはしない。屈辱、挫折、忍従。寄りすがっていたアイデンティティーの盾を粉々に砕かれ、目を逸らしていた自分の惰弱な部分に力ずくで向き合わさせられて、その上でこそ見えるようになる物がある。
 端的に言えば、俺は自分がここまで会長職を務め上げられるとは思ってもみなかった。『機関』の支援があったにせよ、それでも俺は、俺自身にそんな才量などあるはずが無いと決め付けていた」


 フフッと笑う会長の、その笑みは俺の見間違いでなければ、愚かな過去の自分へと向けられているように思えた。

 

「単なるチンピラ学生としては、至極当然の考えではあるがな。それ故に俺は、遅刻すると分かっていながらも布団から出られない朝のように、昨日と同じ日常に籠もり続けようとしていたのさ。
 だがその布団は、森さんの手で強引に引っぺがされた。おかげで俺は、どうあっても目を覚まさざるを得なかった。
 それが手段として、正しいかどうかは知らん。ただ結果から見れば、森さんの判断は間違ってはいなかった。それが全てだ」


 うーむ。会長にはそんな意図は無いんだろうけれど、布団から引っぺがすでどうしても妹の顔を思い浮かべてしまうね。アレもいずれ、凛々しく銃を構えるような女傑に成長したりするのだろうか。いやいや、そんなまさか。
 ………あり得ないと断言できないのがコワイ。おっと、馬鹿げた空想に煩悶している場合じゃないぞ。まだ話が途中だ。


「じゃあ、もう吹っ切れたと?」
「あいにくだが、俺は執念深い方なんでな。骨身に染み込んだ怨嗟を、そう簡単に忘れたりはせん。とにかくあの頃は俺の意向など完全無視で、何もかもが事後承諾だったしな。
 だから、感謝はしない。感謝はしないが――」


 ぜんざいの最後の一すくいを口に運び、両目を閉じてその余韻を味わっている風を装いながら、会長はしみじみ呟いた。


「あの時、森さんがこの俺に期待を寄せてくれたのは、俺の人生において最大級に幸運な事だったんだろう。そう思うだけだ」




「…素直じゃないですね」
「ふん。俺みたいなキャラは、おいそれと感謝なんかするもんじゃないんだよ。わざわざ死亡フラグを立てるようなマネを、誰がしてやるか」


 テーブルに片肘を突き、ふてくされた顔で反論する会長に、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。生意気盛りな年頃の甥っ子が、無理して悪ぶっている時の態度になんだかそっくりだ。
 あー、うん。でも分からなくもないですよ、そういう気持ち。


「ほう?」
「俺も、時たま思う事がありますから。あの時ハルヒにあんな事を言ったりしなけりゃ、SOS団なんかに関わらなければ、こんな面倒に巻き込まれずにすんだのにな、って。
 でも、だからって以前の俺に戻りたいとは思いません。ボヤキながらもなんだかんだで、俺は今の境遇を楽しんでるんです。ハルヒやら古泉やらに、アレしろコレしろ言われるのは重荷に感じますけどね、それでも俺は――」
「退屈な自分に戻りたくはない、か?」


 真正面から顔と顔を見合わせて、俺と会長はどちらからともなく、くくくっと含み笑った。谷口なんかには「キョン、お前もよく涼宮の暴虐に毎度毎度付き合ってられるなあ」なんてからかわれるような事もあったりするが、当事者には当事者なりの喜びって物があるのさ。


「さもありなん。人生は期待されてこそ華だからな。
 と、いう訳でだ」


 いつの間にやら新しいタバコを口に咥えていた会長は、片肘を突いたままもう片方の手のライターで、シュボッと火を点けた。そうしてまた、あの悪魔的な笑みを浮かべてみせる。今度は何ですか、いったい?


「俺にとってはここからが本題だ。次期会長選の情報リークに茶菓子までおごってやったからには、少しくらい“期待”させて貰ってもバチは当たらんだろう?」


 うーむ、恩着せがましい事をさらっと言う人だな。それを不快に感じないのは、俺が普段からハルヒに毒されてるせいなのかね。


「ツラの皮が厚いのも、リーダーたる者の資質のひとつだ。人間のやる事にはどうしても失敗が付きまとう。そういう時にリーダーがいちいち落ち込んでいるようでは、話にならん」


 なるほど、その点だけはウチのリーダーも資質は満点です。ビデオ機材やらヒーターやら、口八丁手八丁で調達してきたりね。俺にはとても真似できない芸当ですけど。


「安心しろ、苦手分野は部下に丸投げできるのがリーダーの特権って奴だ」
「それはそれでどうかと思いますが」
「どこがだ、至極真っ当な意見だぞ。むしろ無能なくせにそれを自覚せず、やたらと出しゃばりたがる指導者ってのが一番困る。部下に力量を発揮する場所を与えてこそのリーダーだ。
 おっと、話が逸れたな。本題に戻るとしよう。俺がお前に期待したい点は、ふたつある。まず、そのひとつ目だが」


 ゆっくりと指を1本突き立てる会長の動作に、俺の喉もごくりと鳴った。わざわざ俺を長門から引き離した上で頼みたい用件とは、はたして何だろうね。良からぬ企てなんかじゃなければいいんだが。

 

「馬鹿を言え。お前が長門くんと付き合っているなら、彼女も誘ったさ。そうではないと言うから、こちらとしてもいろいろ配慮してやったんだ」
「配慮って、何をです? どうも意味が分かりませんが」
「むう…以前から古泉の奴にボヤかれる事はあったが、これは相当だな…。まあいい、回りくどい言い方をしても伝わらなさそうだから、単刀直入に言おう。
 要は『時折こうして茶でも飲みながら、情報交換やら悩み相談やらに付き合って貰いたい』、それだけの事だ。俺と江美里が将来的に一緒になるに当たって、な」


 はあ、何かと思えばそんな事ですか。そのくらいなら別に構いませ…んっ?
 エミリさん? えみりえみり…うむ、普段聞き慣れない名前なので一瞬誰の事かと考え込んでしまったが(ほら『朝比奈さん』や『鶴屋さん』みたいに、先輩ってのはたいてい苗字にさん付けで呼ぶものだろ?)、幸い俺の脳内人名辞典の中に該当する項目が約一名分だけあった。
 ただし、その人物は――。


「そうか、助かる。なにしろ相手がTFEI端末だと知っていて、その上で普段付き合いをしているような奴は、ちょっと他には見当たらないからなあ」


 よほど安心したのか、うんうんと一人頷いている会長の向かいで。俺は真逆に、喉から飛び出しそうになる絶叫をどうにか押さえ込もうと必死になっていた。


「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ!?
 しょ、将来的に一緒になるっていうのはつまりその、喜緑さんと…? いやそれより何より、先輩は喜緑さんが宇宙人だって知ってたんですかッ!?」

 



「頼み事をする方として、こういう言い方もどうかとは思うが。なんだってお前という奴は、特定の問題に限ってこうもウスラトンカチなんだ?」
「はあ………」


 呆れるのを通り越して、むしろ感心した風の会長の向かいで。俺は女給のお姉さんが「おかわりはいかが」と注いでくれた湯飲みのお茶をちびちびと飲んでいた。
 別に熱すぎるからじゃない。お店の名誉のために言っとくが、味自体は朝比奈さんの甘露茶とだってタメを張れる。問題なのは会長と話を進めれば進めるほど、俺たち二人の相互認識の差がひどかった事が露呈してしまって、何というか非常にきまりが悪い事だった。


「まったく信じがたい。年頃の男女が休日に二人で出歩いているんだぞ? うわ怪しい!と思うだろうが普通」
「いや、それは…てっきり生徒会の資料集めか何かで図書館を利用しに来たのかと」
「だから俺たちの仲をバラすために、目の前でこれ見よがしにイチャついてやっただろうに。まさか、アレをただの悪ふざけとしか思わなかったのか?」


 はい、ズバリそうとしか思いませんでした。実際問題、俺と長門がSOS団の仲間同士だったものだから、単純にあちらも同様だとばかり思い込んでしまったのだ。

 それなのに俺はほんのしばらく前、「それって『自分たちがそうだから、他人もそう見える』って奴じゃないんですか?」などと会長に向かって偉そうに講釈をたれていたわけで、いやもう恥ずかしいったらありゃしないね。天に唾するとはこの事だよ。
 それでその、改めて確認しますが…先輩は喜緑さんとお付き合いをなさってる訳ですか。


「さっきからそう言っている。だいたいここに来る前にも、俺は『あいつと一緒だとヤニを吸わせて貰えないんだ』とボヤいていたはずだろう」
「ああ、はい。それは憶えてますけど」
「いくら何でも、俺だって半日くらいは我慢できる。…意味は分かるな?」


 えーとそれはつまり、お二人が半日以上一緒に居たという事で…。俺たちが出くわしたのは今日の午後一番の出来事だったから、要するにお二人は昨晩からずっと一緒に過ごしていた、と?
 俺が目線で訊ねると、会長もまた無言で頷いた。うーむ、あの楚々として折り紙付きの箱入り娘のような雰囲気の喜緑さんが、とっくにそのような事をご経験済みだったとは。考えるだに生々しくって、どうにもお尻の下がむず痒くなってしまうね。


「今どき珍しい話でも無かろう。男がいて女がいれば、つがいが生まれるのは生物学的にも自然な事だ。それを恋愛と呼ぶか、単なる情欲の慰め合いと捉えるかは人それぞれだろうがな」


 えらく淡々と会長は言い捨ててみせた。その余裕、俺たちは他人にどう思われようと構わないぜっていうノロケですか?
 はあ、分かりました。あなたと喜緑さんの蜜月っぷりは、まったく疑いようの無い事実のようです。


「さて、どうだか。ひょっとして俺は、あいつの肉感的な罠にあっさり籠絡された大バカ者かもしれん」
「そうやって自分を客観視できるなら、何の心配も要らないでしょうよ。って言うか、あなたが先輩でなかったら頭のひとつでも叩いてやりたい気分です」
「そいつはすまなかったな。その詫びにと言っては何だが、お前に彼女が出来た際には気の済むまでノロケ話を聞いてやろう。いつでも声を掛けてくれ、遠慮は要らんぞ」


 そう言って会長は、紫煙の向こうでからからと笑ってみせた。くそう、森さんたちに鍛えられてるだけあって、こっちの痛い所をズバリと突いて来られるお人だぜ。
 なんとか一矢報いてさしあげたいものだ、と青少年らしい対抗心を胸に抱いたその時。俺はふと、ある疑問に思い当たった。別に会長を槍玉に挙げるような物では無いが、でもちょっとした疑問だ。


「だったら、春の部活説明会の際のアレはどういう事なんです?」
「部活説明会? ああ、涼宮の奴がド派手なチャイナドレスを着込んでたアレか」

「ええ。あの時、先輩は喜緑さんがいる間は普段通りの辣腕会長を演じてたのに、喜緑さんがいなくなった途端、素の口調に戻ってたじゃないですか。
 喜緑さんが先輩の彼女で、ましてやあの人が宇宙人だって事まで知ってたなら、そんな必要は無いはずでしょう? それとも、あの頃はまだそういう関係じゃ無かったんですか?」


 俺の質問に、会長は咥えタバコのまま記憶を探るように、大きな羽根の扇風機がゆっくりと回っている天井を見上げた。


「ふむ。俺が江美里を押し倒したのが確か5月の事だから、その頃はまだ明確な男女の仲ではないな。だが、あいつの正体に関してはとっくに知っていたぞ」
「え?」
「逆に訊こう。お前、江美里がTFEI端末だと誰から聞いた?」
「それは…古泉からですが」
「俺もだ。ならば現生徒会の書記が本来は別の人物で、いつの間にかそのポジションに江美里が入り込んでいた事も知っているな?」


 質問の意図が分からないまま頷く俺の前で、会長は謎解きに挑む名探偵のごとく、指に挟んだタバコをくるくると円を描くように動かしてみせた。


「つまりだ。まず『機関』の中で勘のいい奴が、生徒会の顔ぶれに関して『何かおかしいぞ?』と気付いたんだよ。
 もちろん『機関』は、その裏付け調査に入る訳だが…ここで質問だ。現生徒会のメンバーが、全員『機関』の工作員だと思うか?」

「は? いや、さすがにそれは無いでしょう」
「その通りだ。主要メンバーは俺の息の掛かった連中で固めてはいるが、やはり過半数は一般生徒が占める。
 そんな中で、『機関』が調査を開始したとしよう。お前が調査員だとして、いきなり普通の生徒に『書記の人って、実は別の人物だったりしませんでした?』などという、ふざけた質問が出来るか?」
「………あ」


 言われてみればその通りだ。たとえば俺の部屋でハサミが無くなったら、俺はまず妹に、勝手に使わなかったかどうか訊ねてみる。そう、一番身近ですぐ確認を取れる人物に、だ。
 『機関』が生徒会のメンバーについて調査を行ったなら、外部協力者で生徒会に詳しい会長にまず事情を訊ねるのは、理の当然なのだ。


「そうして事実が判明すれば、もちろん俺にも警告が下される。『喜緑江美里の動向に注意してください』と、そう俺に伝えてきたのはやはり古泉だったがな。
 正直、俺はうんざりしたよ。会長役だって嫌々やらされてんのに、生徒会の中に宇宙人が入り込んでるから今度はその監視もしろ!と来たもんだ。俺の人生はとことん呪われてるのかと、あの頃は雑誌の裏広告のオカルトグッズを買う事さえ真剣に考えてたほどさ」


 トントンと会長の手の中のタバコの先が、灰皿の縁を叩く。燃え尽きて白んだ灰が、はらはらと崩れ落ちる。


「だのにまさか、その宇宙人をベッドに組み敷くようになるとはな。
 人生ってのはまったく訳の分からんものだ。おかげで俺は、ちまちまとつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなっちまったよ」


 フフッと軽い笑みと共にうそぶいて、会長は改めてタバコをひとしきり吸い、白く長い煙をふーっと吐いた。
 たったの二言三言で片付けはしたけれど、俺たちSOS団の中でもいろいろあったように、会長と喜緑さんの間にも葛藤やら衝突やら何やら、いろんな出来事があったりしたんだろうね、たぶん。


「ともかく端的な事実として、俺は春の時点でとうに江美里の正体は知っていた。無論、江美里の方も俺の素性は見抜いていたから、俺たち二人の間で演技をする必要など無い。そこまではお前の言う通りだ。
 では、なぜ俺は尊大にふんぞり返った物言いをしていたのか? 簡単な事さ、その場に居たもう一人の人物に対して、自分の仕事ぶりをアピールする必要があったからだ」
「もう一人の人物…。あっ、それってまさか?」
「気が付いたか? そうだ、古泉だよ」

 



「改めて説明するまでも無いだろうが。
 俺は『機関』の外部協力者だ。対して、古泉は涼宮ハルヒの言動に逐一対応する、現場の最高責任者。例えて言うなら古泉は支店長で、俺はその店の雇われバイトといった所だな」


 その例で言うなら、喜緑さんはさしずめ、株式会社情報統合思念体の派遣社員って所ですか。


「ああ。そして『機関』と統合思念体は、同業他社のごとき関係だと言える。
 さて、ではその支店長の前で、バイトくんと他社の派遣が節操なくイチャついていたとしよう。お前ならいい気分になるか?」
「個人的な気分の問題はさておき、仕事に関しては多少不安を覚えますね」
「だろうな、俺だってそう思う」


 わざとらしく眉をひそめ、会長は大仰に腕を左右に広げてみせた。


「俺と江美里は生徒会の同志ではあるが、それ以前にやはり『機関』の協力者であり、情報統合思念体のインターフェースだ。
 その立場を忘れて公私の区別無く振る舞っていれば、俺は『機関』に不審がられるだろうし、江美里の方も統合思念体から存在を疑問視されかねないだろう。『お前、ちゃんとお仕事やってんの!?』とな」
「じゃあ、そうならないために?」

「ま、そんな所だ。
 人前で行動している時、特にそれぞれの組織関係者と接している間は、俺も江美里も一線を画した行動を心掛けている。そして古泉も、俺たちが白々しい演技をしている事くらい承知しながら、しかしお前らの前では単なるSOS団の副団長として、こちらも素知らぬフリを通している訳だ。
 言っておくが、別に俺たちは特殊な例なんかじゃないぞ。誰しもが勤務時間中は私を殺し、望まれる自分を演じている。そうしなければ、単純に働きづらくなるからな。
 極論を述べるなら、『働く』とは『ペルソナを付ける事だ』とさえ言えるだろう。何もかも正直にブチ撒ける事が、必ずしも円滑な人間関係をもたらす訳じゃない」


 なるほどね、ようやく合点が行った。あの時、喜緑さんが居る時と居ない時で会長が態度を変えていたのは、古泉に対する「自分はきちんとケジメを付けてます。手を抜いた仕事なんてしてませんよ」という意思表示だったのだ。
 しかしまあ、何と言うか。


「シビアな話ですね」
「何であれ、仕事ってのはシビアな物さ。ましてや『機関』の連中はこの世界の存亡の一端を担おうってんだ、シビアにもなろうよ。
 むしろ変に正義や善意を振りかざされるより、俺としてはビジネスライクな付き合いの方がよほど信用できる」


 飄々と述べたその直後。しかし一転、会長は狼のごとく白い歯を見せて、にいっと笑ってみせた。


「逆に言うなら、やるべき事さえキッチリやっていれば、誰にも文句は付けられんのだからな。
 生徒会運営の中でちょっとばかり役得を享受しようが、プライベートの時間に江美里にチャイナ服やら何やらを着せようが、それは俺の自由って訳だ」


 着せたんですか。いや、どこかツッコミ所を間違えてる気もするが。


「例の説明会の時の涼宮は、かなり扇情的だったからなあ。俺もスラックスのポケットの中で自分の腿を思いっきりつねって、どうにか冷静なフリを保っていたほどさ。
 って事で、江美里にお願いしてみたんだが。あいつの方も、意外とノリノリだったんだぞ? 最初の内こそ非難じみた眼差しをしていたが、いざ服を手渡してみると『困った人ですね』とか何とかぶつくさ言いながら、自発的に髪を左右でお団子にまとめていたし」


 おお、分かっていらっしゃる。やっぱりチャイナの基本はダブルお団子ですよね。ポニテのそれも捨てがたいですけど、お団子髪から下に伸びる、白いうなじの稜線もなかなか…。
 って、何を言わせるんですか! う、羨ましくなんかないんだからねッ!?


「くくく、無理をするな。チャイナが嫌いな男などおらん。
 ことに江美里とチャイナの組み合わせは、珠玉と言っていい。見て良し愛でて良し、俺一人がこの艶麗さを独占して良いものかと、思わず自問自答してしまうくらいだ。もちろん他の野郎共なんかには、一目たりとも触れさせる気は無いが――」

 



「すいません、激しく胸焼けを催してきたのでそろそろ帰っていいですか」
「あああ、スマン! ちょっとばかり調子に乗りすぎた!」


 俺が腰を浮かせる様子を見せると、会長は慌てて引き止めてきた。勘弁してくださいよ、彼女ナシの身にとってあなたの独白はかなり毒です。


「そう言ってくれるな。常日頃から冷徹なカミソリ会長役を強要されているせいで、これまでは彼女自慢をしたくっても、こうして臆面もなく話せる機会などほとんど無かったんだ。
 それでもノロケ話程度なら、まだ我慢は出来る。人前でうっかりニヤケ笑いなんぞ浮かべてしまわないよう、ポケットの中で腿をつねっていれば済む話だ。だが――」


 と、そこで会長は不意に、大真面目な表情に戻った。


「だがもし今後、俺たちに何らかの不遇が生じたなら?
 俺の方に要因がある分には、まだいい。たいていの事なら江美里がフォロー出来るだろう。しかし江美里にとって不測の事態が生じた時、俺にはいったい何が出来るんだ?」
「それで、俺に相談役になってほしいってんですか」
「ああ。あいつを口説き落とすまでは、俺個人の裁量でどうにかやってきたが。それでも世間一般の恋愛に比べて、俺たちのそれには普通じゃない場面が度々あった。
 これから先は、さらに未知数だ。病気や妊娠などの体調不良から過度のストレスが掛かったりすれば、いかにTFEI端末と言えども自己保全を果たせなくなる可能性は否めない。ならばそうなる前に、一通りの情報収集だけでもしておくに越した事はないだろう」


 確かに会長の言には一理ある。長門は間違いなくSOS団の誇る万能選手だが、それでも去年の冬にはあいつが言う所の「エラーの蓄積」から、自分をコントロールできなくなってしまった。
 それに朝倉涼子が最初に俺を襲ったのも、確か「上の方が現場の状況を理解してくれない」とかいう理由からだっけな。


 もしも、あの時。事前に「現状に飽き飽きしている」という朝倉の心情を汲み取って、そのストレスを和らげる事が出来ていたら、あいつと共存する未来もあり得たのだろうか?
 どこでどうフラグをいじればそういう流れになったかは見当も付かないし、今更な繰り言だって事は分かってる。それでも俺の言動によって、これから起こり得るかもしれない喜緑さんの暴走を未然に防げたなら、それはすごく意味のある事だ。けれども。


「まだ分からない事があります。どうして俺なんですか」
「うん?」
「先輩はさっき、『相手がTFEI端末だと知っていて普段付き合いをしているような奴は、他に見当たらない』と言っていましたけど。
 古泉だって、俺と同じように長門と接していますよ? おまけに『機関』の情報網までバックにあるんですから、俺なんかよりあいつの方が、よほどそっち系の知識について詳しいはずです。
 先輩にとっても、古泉は身近な存在だった訳でしょう? だのになぜ今、わざわざ俺に話を持ちかけて来たんです?」
「ふむ、もっともな疑問ではある。だがその答えは、案外単純だ」


 だいぶ短くなってしまったタバコの先を、灰皿の底にぐりぐり擦り付けながら。会長はあっさりと俺の問いに答えてみせた。


「確かに情報量だけなら古泉は頼りになるさ。それは認める。『機関』という組織に対して、それなりの発言権さえ持っているしな。
 しかし根本的な部分で問題があるだろう。そう、ズバリ言えば――

 あいつは、うさんくさい」

 
 ………なんだって?
 口角を歪めて、吐き捨てられた一言。思いもかけない会長の侮蔑の言葉に、俺は自分でも意識していなかった衝動が体の奥から湧き立つのを覚えた。そしてその衝動に突き動かされるまま、気が付けばガタン!と、俺は今度こそ本当に席を立っていたのだった。

 



 恥ずかしい話、俺は自分の事を、どちらかと言えば思慮深い方だとばかり思ってたんだが。実際はそうでもなかったみたいだ。勢いよく立ち上がった俺は会長に向かって両手を伸ばし、そして、


「よく…よく言ってくれました!」


 ポカンとした表情の会長の手にその手を重ねて、感謝感激の一言を告げていた。


「ああ?」
「いえね、俺だって前々から古泉の事はうさんくさいうさんくさいと思ってたんですよ。あの笑顔からセリフからキザったらしいポーズのひとつひとつまで、とにかくうさんくささの見本市みたいな奴じゃないですかあいつは。ただ――」


 それでも話している内にだんだん落ち着きを取り戻してきた俺は、いったん席に腰を戻して湯飲みのお茶をぐっと飲み干し、うつむき加減に言葉を続けた。


「ただ、俺のツレで谷…。いえ、本人の名誉のためにTとしておきますが、このTが事あるごとに古泉をこき下ろすんですよ。
 『なんだあの野郎。ツラも良けりゃ足も長いのに、その上野球まで得意だってのかよ。うさんくさいったらありゃしねえ』とか。
 『くっそ、こっちは体張って池にまで落ちてるってのに、あの野郎だけ主役でオイシイ目みやがって。なんだよあの貼り付けたみてえな笑顔に白々しい演技は。ああうさんくせえ』とか。

 実際の所、俺だって似たような事は考えてたんです。いえ、古泉の裏の顔を知っている分、むしろ俺の方が強くそう思っていたかもしれません。でも谷…じゃなかったTのセリフを隣で聞いていると、どうしてもそれが『モテない野郎のみっともないひがみ根性』にしか思えなくて、それで…」
「それでこれまで、自分の本心を口にするのがはばかられてきた、か?」


 ポン、と肩に手を置かれて顔を上げてみると、そこには驚くほど穏やかな会長の微笑があった。


「分かるぞ、その気持ち。ことに奴を除けば、お前以外のSOS団員は全員女だものな。とてもじゃないがそんなセリフ、口には出来なかったろう」
「せ、先輩…」
「だがお前が古泉に抱いていたその感情は、決して間違っちゃいない。れっきとした彼女持ちである、この俺が保障してやろう。
 そして今この場では、何の遠慮をする必要もない。いい機会だ、俺と一緒に鬱屈した想いの全てを吐き出してしまえ。さあ!」
「は、はい!」


 会長の言葉は蜜のように俺の心に染み渡り、そのささやきに促がされるまま、俺たちは他のお客さんの迷惑にならないよう密やかに声を張り上げたのだった。


「古泉一樹はうさんくさい!」「古泉一樹はうさんくさい!」
「「古泉一樹は、うさんくさい!!」」

 



「――とまあ、ここまでは冗談半分としてもだ。いや古泉の奴がうさんくさいのは事実だが」


 喉が渇いただろう、と会長が追加注文してくれた抹茶セーキをストローですすりながら、俺は改めて会長の話に耳を傾けていた。わざわざお店で粉を挽いているそうで、抹茶の鮮烈なほろ苦さが舌に心地良い。甘さ控えめな分、お茶請けに生キャラメルが添えてあるのがまた憎いね。


「俺が古泉を当てにしないのは、まったく単純な理由だよ。将来のために布石は打っておきたいが、しかし下げたくもない頭を下げるほど現状で苦境に立たされている訳でもない。だから奴には頼らない、それだけの事だ。
 もちろん本当に窮した時には、恥も外聞もなく古泉にすがるさ。あいつが頼りになるというのもまた事実だからな。だが今はまだ、その時期じゃない。ならば切り札はここぞという時まで取っておく。
 要するに俺にとって、あいつは最も借りを作りたくない部類の人間なのさ。それはおそらく、お前にとっても同様だろう?」
「…………」


 含み有りげな会長のセリフに、俺も無言で頷いた。
 試験勉強の時期とか、ついつい古泉を頼りたくなってしまう瞬間が俺にもある。『機関』の力でテストの中身を事前入手してくんないかなー、とか。けど、それはダメだ。友情と仕事の一線を踏み越えてあいつを利用するような真似をしたら、その瞬間から俺と古泉はSOS団の仲間じゃなくなっちまう。
 俺はうっかりあいつに借りなんて作りたくないし、逆にあいつの弱みを握りたくもないんだ。文芸部室で打つオセロがフェアな勝負でなくなったら、放課後の時間がつまらなさ過ぎるだろ?

 

 この一年で俺が最も会話を交わした相手はといえば、なんだかんだでやっぱり古泉なのだ。あいつが口にする案はたいていロクな物じゃないが、それを試金石に俺が自分の考えを導き出している点は否めない。毎回ぶつくさと文句を言っちゃいるが、今の俺にはあいつとの対等な口論が、朝比奈さんのお茶の次くらいには必須になっているのだ。

 きっと会長にとっても、古泉は「張り合い甲斐のある相手」で、だから変に迎合するような真似はしたくないんだろう。こうして陰口を叩きたくなるような、そしてそれを飄々と受け流すくらいの、小憎らしいあんちくしょうなポジションが古泉にはお似合いなのさ。


「まったくだ。ただし俺とお前とでは、少々事情が異なる」


 こちらも追加注文の黒蜜きなこパフェを口に運びながら、会長はそう付け加えた。にしても、この期に及んでそんなクドそうなのを召し上がられるとは。本物の甘党なんですねあなたって人は。


「ビールよりはカルピスソーダが好きな方だ。中元でも送る気になったら考慮しておいてくれ。
 それはさておき。先程も少し触れたな、『機関』と情報統合思念体は同業他社のような関係だと」


 ああ、そんな事も言ってましたね。だから先輩と喜緑さんは、あまり大っぴらにはイチャつけないんでしたっけ。


「まったく、ややこしい事だ。生徒会では同僚であり、私事では恋人同士の二人が、職務上はライバル関係だってんだからな。
 シェークスピアも爆笑だぜ。まあ『機関』と統合思念体が明確に敵対していない分だけマシだとは言えるが」


 こめかみの辺りを指先で抑えながら、会長はそう呟いた。その苦み走った表情は、どうやらアイスの冷たさだけによるものではないらしい。と、会長は不意に、切れ長の目をまっすぐこちらへ向けた。


「敢えて訊こうか。もしも『機関』と統合思念体が敵対したなら、お前はどちらの側に付く?」

 



「…答えなきゃいけませんか、それ」


 多分、俺は仏頂面を浮かべていたんだろう。当然だ、あまり愉快な質問じゃない。そんな俺の顔色に、会長はくっくっとイタズラが成功した時の子供のように楽しげな笑みを洩らした。


「いいや、無理にとは言わん。こんな質問、状況次第で答えなどいくらでも変わるものだ。たいして意味は無い」


 じゃあどうしてわざわざ、と訊ねようとしたその矢先。会長の瞳がぎらりと凄みを帯びた、ように思えた。


「だが俺はもう決めた。江美里の味方をすると」

「え?」
「もしも『機関』と江美里が対立するような事態になったなら。俺は江美里の側に付く。そう決めた。だから俺は外部協力員のままで『機関』の内部にまで踏み込みはしないし、古泉とも必要以上に馴れ合ったりはしない。
 互いに銃を向け合うような状況になった時、その方が楽だ。俺も、古泉もな」


 パフェをひょいひょい頬張りながらの、ごく普通の口調。だのにその言葉の裏には、どこかピンと張り詰めたものが漂っていて。俺は思わず、ごくりと息を飲んだ。


 状況が切迫していれば、人はその場の勢いでキスくらいまでは出来る。…思い返すと胸の内で何かがぐるんぐるん回転したりするので、あまり触れたくないんだが。ともかくそれは実体験に基づく事実だ。

 俺みたいなボンクラでさえその程度は出来るのに、どうして世の中には踏ん切りがつかず恋に悩み続ける人が尽きないのかと言ったら、告白してフられたらもちろん心が痛いし、成功したらしたで、今度は自分のセリフやら行動やらに責任が生じるからだろう。健全な青少年なら、こっそりmikuruフォルダを覗く程度の事は誰だってやっていると思うが。しかし実物の朝比奈さんに手を出すなんて事は、俺にはまったく夢想だに出来ない。そんな覚悟はまだ俺には無い。


 先の会長の一言に、俺はその覚悟を垣間見た。
 それは俺にとって、純粋な驚異だった。女性経験の有無とかはさておいても、この人は“大人”なのだ。俺なんかよりも断然、ずっと。

 たった一年の歳の差で、人間こうも違うものだろうか。こんな上級生になれるのなら、生徒会長をやってみるのもいいかもしれないとさえ一瞬思ってしまったほどだ。それほどに会長の宣言は男前で――。


「感心してくれている所、悪いがな。あいにくと俺があいつに手を出したのは、ほとんど成り行きだったぞ」
「は、はいっ!?」

 



「責任だの覚悟だの、いちいち考えてなんかいられるか。目の前に憎からず思っている女がいて、うまいこと喰えそうな雰囲気だったら、なるようになっちまえってのが男の本音だろう」
「そ、そんな事でいいんですか?」


 思わず声を上擦らせてしまう俺の前で、会長は自信満々に頷いてみせた。


「言ったはずだ、俺はつまらん事で悩むのが馬鹿らしくなったと。
 悩んで考えて最善策を思い付けるなら、それでもいい。だが、その場の勢いで突っ走った方が良い目が出る時もある。『ああ、もうこいつでいいや!』という直感が、案外バカにならん」
「そんなものですかね」
「そんなものだ。理屈ではなく直感だからこそ、自分を信じられる。
 もちろん、誰しもがそうしてうまく行くなどという保障は無いぞ。だがとりあえず、俺たちはうまく行った。そもそも色恋沙汰に方程式など存在しないんだ。おかげで宇宙人相手でも、こちらが優位に立てる。…もっとも近頃は江美里の奴も、女の手練手管をあれこれ身に付け始めているんだが」


 俺の脳裏に、喜緑さんに手の甲をつねられていた際の、本気で引きつっていた会長の表情が浮かぶ。と、それを打ち消すかのように会長は、ビッ!と銀色のスプーンの先を俺の顔に向けた。


「とにかくだ。方程式など存在しない以上、自分が正解だと信じてさえいればそれでいい。俺はまだまだ野心溢れるお年頃なんでな、覚悟やら責任やらの重苦しい理屈に拘束されるよりは、単純に『こいつとつるんでると面白そうだ!』ってな衝動に身を委ねたいのさ。
 あいつは確かに宇宙人だが、だからってスルーしちまうにはちょっと惜しいくらいのイイ女だ。なら俺は手を出す。他の野郎なんかにくれてやってたまるか。
 動機なんざそれで十分なんだよ。でもって手を出してみたら、幸か不幸かあいつも俺を受け入れてくれたんでな。今さら手放すのも惜しいし、せっかくだからこのまま二人、行き着く所まで行ってみるのさ。
 後悔はするかもしれん。だが後戻りはしない。俺は――」


 縦長のガラス器に残ったパフェを、ぺろりと平らげて。会長は柄の長い銀のスプーンを器に放り、そのついでみたいにこう告げた。




「江美里と共にある未来を選ぶ」




 ガラス器の中で、転がるスプーンがカラカラと澄んだ音を立てる。その音と共に、会長のストレートな一言は俺の胸に響き渡った。

 



 まったく、何なんだろうねこの人は。最初に生徒会室で顔を会わせた際に、いきなりタバコを吸い始めた時にもえらく驚かされたものだが。
 計算高いようでいて、そうでもない。ふっと無防備に自分をさらしてくる瞬間があって、その都度ドキッとさせられる。
 結構ワガママで図々しくて狡猾で自分本位な独断専行型なのに、どこか憎めないというか。なんとなく、その大っぴらさが痛快だったりもするんだよな。もしかして喜緑さんも、この人のそういう所に惹かれたりしたんだろうか。


 なんて事を考えていたら、ふと気が付いた。そうか、会長ってどことなくハルヒに似てるんだ。
 いや、もちろんこの人はインチキパワーなど無い普通の人間なんだけれども。両面性を秘めたそのスタンスというか、根っこの部分が似ている気がする。だからこそ、ハルヒの敵役に抜擢されたのかもしれない。
 トラやライオンはその成長過程で、周りの兄弟たちとケンカをする事で狩りの仕方なんかを憶えていくそうだが。おそらくハルヒにとって、会長はまさしくちょうどいいケンカ相手なんだろう。なんだかんだで会長を向こうに回してタンカ切ってる時のあいつは、目をキラキラ輝かせてるもんな。


「…分かりました。って言うかここまで聞いといて、今さら知らんぷりってのもナシでしょう」
「うん?」
「相談役ってのは、どうにもこそばゆいですけどね。たまの茶飲み話くらいなら付き合わさせて貰いますよ。
 ついでに、もうひとつの俺に期待したい事ってのも聞かせてください。毒喰わば皿まで、こうなったら何でも承りましょう」


 そう伝えて俺は、にいっと会長を真似た笑顔を浮かべてみせた。
 踊るアホウに見るアホウじゃないが、向こうがこれだけあけすけに話をしてるのに、こっちだけだけ勿体ぶってたら格好悪いだろ? まがりなりにもこの人はさっき、俺の境遇に理解を示してくれたんだ。だったら俺だって、この人のお役に立ってさしあげたいじゃないか。
 それに俺の方としても、長門に関してはいまだに謎な部分が結構多かったりする。会長との情報交換は、割と貴重かつ重要な機会なんじゃないのかね。と、この瞬間までの俺はそんな前向きな事を考えていたんだが。


「ほう、大きく出たな。では遠慮なく要望させて貰おう。
 実の所、こちらの案件は少々厄介でな? お前をどう頷かせようかと、いろいろ算段していたんだが。ふむ、案外難問ほど簡単に片付くものだ」


 申し出に傲然とそう答えて、会長が俺以上のニヤニヤ笑いを浮かべている様に、俺は早くも後悔の念を覚えていた。
 うへえ。もしかして俺、ちょっとばかし早まっちゃいましたか。まさかとは思いますけど、俺の安請け合いを引き出すためにここまで内情から何からぶっちゃけてきたって事はないですよね?


「クックックッ、さあな。
 まあそんなに身構えてくれるな。厄介と言っても、別にお前を七転八倒させようって訳じゃない。単に、具体的な対処法を示唆できないというだけの話だ」

「はあ。なんだか曖昧ですね」
「言葉にすれば単純なんだがな。ともかくこの件も、俺と江美里の将来に大きく関わるのは間違いない。だからよく聞いてくれ。いいか、俺がお前に期待したいもうひとつの用件、そいつは」


 先程と同様に、いやそれ以上に勿体をつけて会長は2本の指をぴっと突き立て、そして厳かにこう言った。


「『涼宮ハルヒを安定させ過ぎるな』って事だ――」

 



 はて? ハルヒの奴を安定させ過ぎるな?
 退屈させるなって話なら、さんざん聞かされましたけどね。孤島とか雪山とか、それこそ『機関』のアホみたいな金の使い方には呆れたものです。


「まったくだ。俺も最初に口座に振り込まれた『外部嘱託費』の金額を見た時、驚いて、一瞬喜んで、すぐに恐ろしくなった。この内のどれだけが口止め料なんだろう、とな」


 そう言って会長は、やれやれと天井を見上げてみせる。この人のバイト料も、どうやら一介の高校生としてはビビるくらいの額らしい。


「そのくせ普段から厳粛な生徒会長役を要求されているせいで、おちおち散財も出来やしない。こういった店で甘味をむさぼるのがせいぜいだ。
 いや、この程度のボヤキならまだマシか。最悪なのは、俺が本当に『機関』に敵対しなければならなくなった時だからな。さっきは江美里に味方すると言ったが、しかし俺だって出来れば『機関』に弓引くような真似はしたくない。ぶっちゃけ森さんが恐いし」


 ええ、俺もそれには完全同意です。そもそも宇宙人と超能力者が相争うなんていう、いかにもめんどくさそうな事態はご免こうむりたいですよね。


「だからこそ、今の内に最悪の事態に備えておく必要がある。
 って事で、話を戻すが。『涼宮の能力が次第に安定してきている』という話は古泉から聞いているな?」
「はあ、聞いたような憶えはあります。閉鎖空間の発生頻度も収まってきているとか」
「そこまではいいんだ。問題なのはその先…」


 眉根を寄せてトントンと指先でテーブルを叩きながら、会長はこう続けた。


「つまり、涼宮の能力が安定し過ぎて消え失せてしまった場合だ」

「はい? ハルヒの力が消えてしまった場合、ですか?」
「ああ。その時いったい何が起こるか、お前は考えた事があるか」


 むう。薄ぼんやりとそんな可能性について思いを馳せてみた事が無かった訳じゃないが、そこまで突き詰めて考えてみた事は無かった。
 高校生ってのは日々何やかやと雑多な用事に追い回されるもので、さらに俺の場合、その大半に直接的にせよ間接的にせよハルヒが絡んでくるものだから、ハルヒの力が消失するなんて事態は現実的に考えづらかったのだ。今こうして会長と向かい合っているのだって、ハルヒ絡みだと言えばそう言えなくもないしな。


「うーん、でも『機関』としては万々歳なんじゃないですか? 閉鎖空間の発生原因が無くなる訳ですから。
 未来人としてはどうなんでしょう。次元断層の壁ってのがどの程度の存在なのか、俺にはいまいち計りかねますけど。まあ障害が無くなる分には問題ないんじゃないですかね。あー、でもそれで朝比奈さんがあっちの時間に帰る事になって、憩いのお茶が飲めなくなったりするのはちょっと勘弁…」
「のん気な奴だな。まだ事の重大さを理解していないと見える」
「はあ」
「いいか、茶が飲める飲めないどころの騒ぎじゃないんだ。もし明日、涼宮の変態的能力がなくなってみろ。
 下手をすればその日の内に、人類が滅亡しかねん」


 は? 人類が、滅亡?
 唐突にはなはだしくスケールアップしてしまった話に、俺は思わず二、三度目をしばたたかせ、会長の顔色をそっと窺ったりしてしまう。だが口元をぐっと結んだその大マジメな表情は、この話が決して冗談なんかではない事を端的に表していた。

 



「いったい何でまた、そんな事に?」
「一言で言えば、スタンスの相違という奴だな。お前も指摘した通り、『機関』の方は涼宮の力が消滅したとして、たいして問題は無い。新しい職探しに奔走する必要はあるかもしれないが。
 未来人の方もおそらく同様だろう。だが、統合思念体側はそうはいかん」


 落ち着いて語るためか、会長はそこでお冷やの水を一口含み、ふーっと長く息を吐いてから話を続けた。


「ズバリ訊こう。統合思念体にとって、涼宮の力とはいったい何だ?」


 ええと、長門はなんて言ってたっけか。あの頃は単なる電波話だとばかり思い込んでいたし、長門があり得ないくらい大量のセリフを一気に喋った衝撃の方が大きくて、正直うろ覚えなんだけども。確か…。


「確か『自律進化の可能性』でしたっけ?」
「その通り。連中にとってのイレギュラー因子、推測不可能な情報フレアの発生源。それが涼宮だそうだな。
 そして統合思念体がなぜそれを欲するかと言えば、連中がどうやら進化の袋小路に嵌まりかけていて、その閉塞した状況を打開するヒントが涼宮だと睨んでいるため、らしい。
 進化の可能性が得られなければ、天下の情報統合思念体と言えども、いずれ緩慢な死に至る。情報生命体にとっての死ってのが何なのかは、俺にもイマイチ理解できんが。多分、ひどい鬱病みたいな物なんだろう。
 ともかく、その特効薬が涼宮だという訳だ」
「どっちかと言えば劇薬っぽい感じがしますけどね、あいつは」
「同じような物さ。統合思念体にとって唯一の希望だという点では、な」


 冗談めかして会長はぱちりと片目を瞑ってみせるが、その笑みにはやっぱりどこか余裕が無い。その理由は、俺にも何となく分かりかけてきた。


「要するに、もしもハルヒの力がなくなったら、情報統合思念体が将来に絶望して大暴れすると?」
「絶対にそうだとも言い切れんのだがな。まあ可能性の問題だ。
 大まかに言って、統合思念体の出方についてはふたつのパターンが推察される。ひとつは涼宮の子孫に同様の能力所有者が現れる可能性に賭けて、静観を続ける。これは多分に穏便な方針だな。そして、もうひとつは」
「ハルヒがもう一度能力を発揮せざるを得ないよう、直接的な刺激を与えてみる。ですか」
「そういう事だ。壊れて映らなくなったテレビを、ダメ元でバンバンぶっ叩いてみるように、な」


 うーむ、返す言葉も無いね。
 テレビじゃないが俺も子供の頃、家の扇風機を壊した事がある。接触が悪かったのかスイッチを押してもしばらくすると勝手に止まっちまうんで、頭に来てバシバシと空手チョップを繰り返していたら、打ち所が悪かったのか煙を吐いてそのままお亡くなりになってしまったのだ。
 そういう経験を持つ俺にとって、情報統合思念体がヤケクソで暴挙に出る可能性はまったく否定できない。もっともこんな理由で滅亡させられたりしたら、人類としては迷惑この上ないだろうが。


「でも、じゃあ俺に一体どうしろって言うんです?」
「そこだ、問題は。さっきも言ったが、具体的な対処法は無い。臨機応変に対応してくれとしか言えん」
「深刻そうな問題の割に、えらくいいかげんですね」
「仕方あるまい。人間の感情というのは、下手に突つけば逆に作用してしまう面が多々あるからな。ことに涼宮というのは、『素直』の対義語として辞書に載りかねんような女だ。なまじっかなアプローチは逆効果だろう」


 こりゃまたひどい言われようだね。敢えて否定はしないけどさ。


「差し当たって、大至急対処しなければならない問題でも無いしな。俺が言ってるのは、要するに訓告だ。
 涼宮の精神は中学の頃に比べて格段に安定しつつあるが、いまだに閉鎖空間は発生するし、ひょんな事から無意識な情報改竄を行ったりもする。非常に微妙な状態だと言える。
 あるいは絶妙な、と言うべきか? これから先、涼宮の精神が荒れ果てるような事があれば、この世界が閉鎖空間に飲み込まれないとも限らんし、かといって安定し過ぎて涼宮の能力が失われても、今度は統合思念体が癇癪を起こしかねん。
 面倒な話ではあるが、お前にはその天秤のバランスを…」
「あのー、生意気言って申し訳ないんですけど。取り越し苦労って奴なんじゃないですかね、それって」


 会長の話はまだまだ続きそうだったが。気が付くとそれを遮って、俺の口は勝手に反論の言葉を発していた。

 



「なに?」
「俺は一応、入学当初からのハルヒとの付き合いですが。あいつの中身はたいして変わったりはしていませんよ。安定してきたってのは確かにそうなんですけど、言ってみればあいつはコマみたいな物で」
「コマって、ジャイロ効果のコマか?」
「ええ、炎のコマのコマです。ほら、コマって回転が不安定になると軸がブレて、左右にぐらぐら揺れるじゃないですか。
 北高に入学したばかりの、半端な奴は近寄ってくんな!って四六時中目で周りを威嚇してたハルヒは、まったくもってそんな感じの奴で。あの頃と比べたら、今はずいぶん穏やかになったように見えるかもしれません。でもそれは、ブレてた軸がしっかり座ってきただけの事なんです」
「…………」
「あいつは今でも、馬鹿みたいなスピードでギュンギュン回転し続けているんですよ。それこそ何かあったら、周りの邪魔者を全部弾き飛ばしてすっ飛んで行けるくらいの勢いで。

 こないだ『迷子の仔ネコ探してます』なんて張り紙を引っぺがして部室に持ち込んできた時も、ギラギラとえらくパワーに溢れた光をあの大きな瞳一杯にみなぎらせてましたし。だからその、当座の間は心配なんてしなくていいんじゃないですかね。ハルヒの力が無くなるなんて事は」


 俺の論説が一区切り付いた後も、会長はしばらくポカンとした表情のままだった。ううむ、もしかして呆れられてしまったのだろうか。
 よくよく考えてみれば、あいつはコマみたいな物だとか、目がギラギラ光ってるとか、完全に俺主観の理屈だものなあ。それなのにこんな事を申し上げるのは、少々心苦しいのだが。


「それとですね、安請け合いしといて悪いんですが…。
 すいません、その2番目の用件の方は引き受けられません。っていうか俺にはどうも無理そうです」


 自分の非力さをごまかすようにポリポリと頬を掻きつつ、俺は会長にその理由を告げていた。


「ハルヒの力が偏らないようにとか、そういう余計な事を考えてるとギクシャクして、かえって怪しまれちまいそうなんですよ。あいつは妙に勘が鋭いですから。
 俺はそういう演技ってのは苦手ですし、それに」
「それに?」
「青臭い事を言わせて貰えば、俺は打算や都合でハルヒと付き合いたくないんです。いえハルヒだけじゃなく、朝比奈さんや長門や古泉、全員そうですけど。
 俺はあくまで単なる団員その一として、SOS団の一員でありたい。自分の意思と自分の責任で、あいつらと一緒に居たいんです。つまらないこだわりかもしれませんけど、それが俺の――」


 ささやかな誇りなんです、と言ってはちょっと格好つけすぎだろうかと、一瞬口ごもった俺の前で。腕組みをして答弁に耳を傾けていた会長が、そうか、と一言だけ低く呟いた。
 その肩は微かにだが、小刻みに震えている。むう、やはり気分を害されてしまったのだろうか、と俺が罪悪感を胸に覚えかけた、その時。


「くっくっ…ハッハッハ! こいつは傑作だ!」


 バシバシと自分の膝をぶっ叩きながら、突如として大笑いを始めた会長に。今度は俺の方が、ポカンと丸く口を開ける番だった。

 



「いや、まったく。ついさっき『考え過ぎるよりその場の勢いで突っ走った方が良い目が出る時もある』と、自分で言ったばかりだというのにな。
 なまじ知性を頼りにしてしまうと、自分が頭でっかちになっている事に気が付かないものだ。自戒しなければ」
「仰ってる事の意味がよく分かりませんが…。お怒りじゃないんですか?」
「ああ? うん、まあな。
 怒るというよりは呆れている。涼宮はコマみたいな物だとか、目に光があるだとか、そんな理屈にならない理屈をよくもまあ堂々と並べられたものだ、と。
 まだしばらく涼宮の力は無くなったりしないだろう、ともお前は言ったな。そいつは『特別な理由など無いが、何となくそう思ってしまうのだから仕方がない』という奴か?」


 ニヤニヤと問いただしてくる会長の前で、俺は耳の先を赤らめながら、小さく頷くより他なかった。改めて指摘されてみると、我ながらずいぶんアホな事を口走ってしまったものだ。まるでどこかの似非スマイル超能力者みたいだぜ、おい。


「だが、理屈としては到底成り立たない理屈。だからこそ真実味がある」
「はい?」

「俺が懸念していた危機感を、しかしお前は絵空事のように受け止めた。だからそんなセリフを口に出来たんだろう?
 自分の了見に照らし合わせて涼宮を推し量ろうとしていた、俺の小賢しい理屈などよりも。涼宮の傍で、素の涼宮と接し続けてきたお前の直感の方がよほど正しいかもしれん、という事さ」

 

 くくく、とまだしばらく忍び笑いを洩らしながら、会長はどさりと椅子の背もたれに上体を預けた。


「構わんさ。それがベストの応対だと信じるなら、お前の好きにしろ」
「え、いいんですか?」
「俺はお前に訓告を与え、その上で臨機応変に対処してくれと告げた。つまりは面倒事を丸投げした訳だ。である以上、お前に『結論:特別な事はしません!』と答えられたなら、こちらとしても文句は言えんだろうよ。ただし」


 目でこちらを牽制しながら、会長は思わせぶりにテーブル上の伊達メガネのフレームを、人差し指の先でトントンと叩いてみせた。


「別にお返しという訳でも無いんだがな。こちらも前言撤回だ。お前、次期会長選に立候補して俺と戦え」
「はあ?」
「勝っても負けても、お前とは面白い勝負が出来そうだ。何しろお前は人の上に立つ資質、すなわち自分のペースを保つ器量というものを内に備えているからな」


 有無を言わさぬ口調でそう迫ってくる会長に、俺は思わずごくりと生唾を飲んでしまった。つか、自分のペース? 何ですかそりゃ?


「人は案外、己のペースってのを保てないモノだ。
 自分のペースくらい自分で決められるぜ!なんて顔をしている奴のほとんどが、その実は周囲と足並みを揃える事でペースを整えているように見せているだけ。一人で先行するような状況になると、途端に我を見失ってしまう」
「マラソンか何かの話ですか?」
「おおよそ似たような物さ。臆病風に吹かれて尻込みしたり、物事が順調に運びすぎても逆に妙な不安に囚われて、勝手に自分で自分にセーブを掛けてしまったり。
 功名心に駆られるあまり周りが見えなくなった挙句、オーバースピードで自滅するアホウもいるな」


 軽口を叩くような感じで会長はそう語っていたが、気が付くとその鋭い瞳はスッと細められ、俺を正面から見据えていた。


「だが、お前にはそういう揺らぎが無い。未来人、超能力者、宇宙人たちに囲まれてもマイペース。神の力を前にしてさえマイペース。
 気負わず、驕らず、卑屈にならず。常に自然体。あの超常集団の中でなお、お前はただ純粋にSOS団の活動を楽しみたいと言うのだからな。そんなセリフを平気でほざけるのは相当のバカか、それとも」


 口の端を挑発的に歪めながら、会長は大仰にこう言い放った。


「恐るべき胆力を備えた大人物か」

 



「…お言葉を返すようですけど、俺から言わせれば宇宙人を平気で口説いちまう先輩の方がよっぽどだと思いますが」
「ふふん、ならばなおの事だ。俺とお前、どっちが上か試してみようじゃないか。男の勝負って奴だ。そそるだろ?」


 そう来たか。この先輩が人を誉めそやす時は要注意だってのは、俺にもそろそろ分かってきてはいたけどね。
 やれやれと肩をすくめてから、俺は改めて会長に向き直った。


「とりあえず、俺の口からは何とも言えませんね。そもそも会長選やら何やらの話は、ハルヒが乗り気になったらってのが前提条件のはずですし」
「ほう、即答は避けるか」
「お好きなように受け取ってください」
「仕方がない、この件は保留にしておこう。しかしお前、思ったよりも慎重派だな」
「単にものぐさなだけですよ、俺は」


 会長はずいぶんと俺を持ち上げてくれているようだけれども。特大閉鎖空間に連れてかれた時や雪山で遭難した時、それからあまり思い返したくは無いがハルヒの居ない改変世界に放り込まれた時も、俺の心は焦りと苛立ちであっさりテンパっちまってたもんな。
 長門たちのヒントやら手助けやらがなかったら、今頃こうしてのんびりお茶したりも出来なかったでしょうよ。そんな俺なんかが生徒会長になっていいものかと、やっぱり疑問に思ったりもしますんで。


「裏を返せば、それほど皆に『助けたい』と思わせるだけの人的魅力がお前にあるという事だろう」
「そう無責任に人をおだてないでくださいよ」
「ふむ、どうもお前は自分を過小評価し過ぎるきらいがあるな。涼宮らの力を前にして利己心を制御できる高潔さというのは、ちょっと普通は持てやしないぞ」
「そんなものですかね」
「これだけ言われても、まだ自覚できないか。まあいい、そういう人間であればこそ涼宮もお前を鍵として選んだのかもしれ………ん?」


 益体もない会話の途中で。会長は突然ハッとした表情を浮かべ、うつむいて何やら考え込み始めた。


「まさか…? いや勘ぐり過ぎだとは思うが、しかし偶然で片付けるにも…」


 長い足を組み、眉間の辺りに細い指先を当ててクールに沈思黙考しているその姿は、そっち系の女子がキャーキャー騒ぎ出しそうな風情ではあるのだけれども。あいにく俺にはそういう趣味は無いので、ただ何事が起きたのかといぶかしんでいた。いやホントに、いったい何をそんなに真剣に考え込まれていらっしゃるんです?


「…最初に言ったな。俺たちが今日出くわしたのはただの偶然だと」
「へっ? ああ、はい」
「実は昨晩、喜緑くんに俺の趣味について訊かれてな。中坊の頃、伝奇小説にハマってた事を教えてやったら自分も読んでみたいと言いだしたので、散歩がてら二人であの図書館へやってきたんだが――」


 おもむろに口を開いたと思ったら、会長の話はここまでの流れとは全く関係が無くって。少しばかりまごついてしまう俺に向かって、会長はさらに、何かを探るような口調でこう訊ねてきた。


「お前、ラヴクラフトって名に聞き覚えはあるか…?」

 



「ラヴクラフトって、クトゥルフ神話のですか?」
「ほう、知っていたか」
「詳しくはありませんけどね。そういう世界観のゲームなら結構ありますし。
 それに、伝奇小説でしたっけ? 俺の中学の頃のツレにもそっち系が好きなのが居て、菊地秀行とか借りて読んだりはしてましたよ」
「うむ、エログロやら少し淫靡っぽいのに興味を持ち始めた年頃の男子が通りがちな道だよな。
 ともかく、知っているのなら話は早い。ラヴクラフトはアメリカの怪奇小説家で、いわゆるクトゥルフ神話体系の大元を作った人物なんだが」


 思わぬ共通項に安堵したのか、会長は幾分落ち着きを取り戻した様子で話を始めた。


「このラヴクラフトが、実はオカルト嫌いの科学万能主義者だった事は、世間ではあまり知られていない」
「え、そうだったんですか?」
「『ネクロノミコン』やら何やらにしても全くの虚構、単なる空想の産物だと明言しているからな。
 世の中に悪魔や怪物なんて居ない、全ては科学で説明できるのだと主張しながら、一方で彼は『クトゥルフの呼び声』などを執筆していた訳だ」
「まあ、有り得なくはないですよね。男の少女マンガ家なんてのもいるんですから」
「そうだ、有り得なくはない。有り得なくはないんだが、しかし」


 いつの間にか会長の語調は、低く抑えられた物になっていた。まるで、口にしてはいけない秘密を語るかのように。


「それでも、やはり奇妙な事ではある。書いた当人が全くの創作物だと主張し、ラヴクラフト自身が没して風化するほどの年月が経ちながら、いまだに世界中の様々な場所で――それこそ東洋の極端のこの国でなお、クトゥルフ神話が根強く語り継がれているというのはな。
 もちろん、要因はいろいろ推測される。ラヴクラフトはクトゥルフ神話に関して著作権を行使しなかったから、その世界観を基にしたいわゆる同人的なスピンオフ作品が多く世に出たし、お前も言った通りゲーム等の題材としても使い易かったんだろう。ギーガーのように、映像面で影響を受けている人間も少なくないしな」


 ああ、『エイリアン』のデザインとかそんな感じですよね。


「それでも、俺にはやはりなんとなく疑問だった。いくら理由を並べ立てようとも何故か心の片隅に引っ掛かっている、そんな疑問だ。だが今お前と話していて、ふと思った」


 ちらりと俺の顔を見やってから、会長は熱に浮かされたように言葉を継いだ。


「不思議や奇跡の類を否定していたからこそ、ラヴクラフトは宗教家たちのように変に誇張したりせず、客観的にそれらを受け止められたのではないか、と。だからこそ、ラヴクラフトは“書き手”として選ばれたんじゃないのか、と」
「選ばれた? 何にです?」
「人智の及ばぬ力に、だ。
 そして良識では否定しながらも、ラヴクラフトも心のどこかでそれらに惹かれていたのかもしれない。それ故に、ラヴクラフト自身がどれだけフィクションだと吹聴しても、その記述の奥に潜むモノに人々は魅了されてしまうのかもしれない、とな」


 そう言って会長は、憧れとも憐れみとも名状しがたい感情がこもった瞳で俺を見据える。その視線に、俺も背筋の辺りがざわつくのを覚えた。


「それは…一体どういう…?」
「なに、単なる思い付きだ。大して意味など無い。俺にはそれを確かめる術は無いし、確かめようとする意思も無いしな。
 だがもしそうだとすれば、お前もまた――」


 と、そこまで言いかけた所で。会長は左右に頭を振った。


「いや、やめておこう。運命の一言で物事を片付けてしまうのは、俺の趣味じゃない」
「…………」
「それにラヴクラフト自身の幸、不幸も、本人以外には分からないしな。神か悪魔か、いずれに魅入られたにせよ、結局はそいつの受け止め方次第だろうよ」

 



 会長のセリフに、俺はどんな言葉を返せば良いのか分からなかった。身につまされるようでもあるし、他人事のようでもある。
 朝比奈さんも長門も古泉も、そして会長もさっき俺の事をハルヒの『鍵』だと呼んだが、俺にはそんな自覚が無い以上、何とも言えないのだ。でもまあ、そうですね。


「俺にもラヴクラフトが何を考えて小説を書いてたかなんて事は分かりゃしませんし、同じようにハルヒがどうして俺をSOS団に引きずり込んだのかもサッパリです。単に前の席に居て、使い走りにちょうど良かっただけかもしれませんが」


 コホンとひとつ咳払いを打って、俺はらしくもなく持論を語った。


「ただ、俺は今の状況を割と楽しんでますよ。俺の欲目で無けりゃハルヒも、朝比奈さんも長門も古泉もそれなりに現状を楽しんでるようで、だったらそれでいいんじゃないかって俺は思うんです」

「ふむ、物事を前向きに受け止めるのは結構な事だ。だが、理想郷はいずれ崩壊するものだと相場が決まっているぞ?」
「分かってます。だから俺は、みんなと共有できる時間を大切にしていきたい。
 さっき先輩が言ってた、男と男の勝負ってのも悪くはないですけどね。でも俺はやっぱり“SOS団のみんなと”今を楽しむのを優先させたいんです」


 俺の言い分に、会長は片肘を突いた手に頬を乗せて、ふうむと唸った。


「そいつはつまり、SOS団の総意があれば会長選への出馬もアリって事か」
「さあ、どうでしょう。ただ一言だけ言わせて貰うなら、俺は――」


 そらとぼけていた際の会長の仕草を真似しながら、俺は質問にこう答えて差し上げた。


「死ぬまでの間にとことん人生を楽しんでやろうっていう先輩の生き方、嫌いじゃないですよ」


 ぐうたらな俺としては憧れるだけですけどね。と最後にそう付け加えると、会長は口の端にニヒルな笑みを浮かべてみせた。


「フン、喰えない奴だ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
「良かろう、今は預かっておいてやる。だがいずれ必ず、高い利子を払わせてやるからな?」


 悪徳高利貸しじみた小芝居を交えながら、会長はそんな脅し文句を口にした。いいね、こういう男同士の気が置けない軽口の叩き合い。なんだか青春してるって感じがするぜ。
 と、そんな余韻に俺が浸っていると。


『聞きわけのない女の頬を~♪ 一つ二つ張り倒して~♪』


 椅子に掛けられていた会長のジャケットから、唐突な歌が流れ始めた。って、先輩の携帯の着メロ『カサブランカ・ダンディ』ですか? 何というか、いい趣味してらっしゃいますね。


「放っとけ、ささやかな自己欺瞞だ。
 あー、いや何でもない、こっちの話でな。ふむ、いつの間にやらもうそんな時間か。少々話が弾み過ぎてしまったようだな。分かった、では先の図書館前で待ち合わせよう」


 訊ねるまでもなく、電話のお相手は喜緑さんだろうね。俺の前だからか、やけに素っ気なく応答すると、会長はピッと通話ボタンを切った。


「いかんいかん。俺とした事が、うっかり時を忘れて話し込んじまった。急ぐぞ、女を待たせるとロクな事が無い」


 携帯をしまうなり早口でそう告げて、席を立った会長はさっそくジャケットを羽織ろうとする。通話中のあの余裕ぶった態度はどこへやらって感じだが、その辺は触れぬが華だろう。
 確かに女性は待たせるモンじゃない。特に宇宙人の二人連れは。要するに俺の方も、こんなナレーションなんか口にしてる場合じゃないって事さ。
 取り急ぎ今後の連絡のためのアドレス交換だけ手早く済ませると、小心な男二人は伝票を手に、そそくさと会計へ向かったのだった。

 



「あら、お待たせしてしまいました?」
「いいや、我々もちょうど今し方、こちらに着いた所だ」


 昼に俺と長門が、会長と喜緑さんにバッタリ出くわした路上で。今度は俺と会長が、図書館から戻ってきた長門と喜緑さんに出くわしたのは、それからしばらく後の事だった。
 ちなみに伊達メガネを掛けた会長は何喰わぬ顔で受け答えているが、俺たちがここまで来るのに競歩並みのスピードでの慌ただしい行軍だったのは、一応秘密にしておこう。喜緑さんたちにはとうにお見通しかもしれないけれども。


「で、用件の方は済んだのかね?」
「ええ、長門さんのおかげでつつがなく」


 それでも健気に横暴会長のペルソナを演じようとする先輩の質問に。喜緑さんは微笑みながら、脇に下げた小さなポシェットを撫ぜてみせた。


「ならば私からも礼を言っておこう。長門くん、キミの働きに感謝する」
「………いい」


 遠目からでは視認できないほどの規模で首肯した長門の、その表情がどことなく誇らしげな事に、俺は気が付いた。ふーむ、もしかしてもしかすると、喜緑さんのために長門が貸し出しカードを作ったりして差し上げたのだろうか。
 その辺りを目線でそれとなく窺ってみると、はたして長門は…げっ!?


「あのなあ、長門」
「なに」
「Vサインを掲げるのは別に構わんが、だったらもう少し自慢げにしてくれ。無表情だと何か恐い」

「そう。涼宮ハルヒからは、手柄を勝ち誇る時はこうするべきとだけ教わった。今後の採用に於いて検討の余地あり」


 無機質にそう答えると、長門はしばらくチョキの形にした自分の右手を、ためつすがめつ眺めていた。あー、うん。Vサインってそんなに気張って出すもんじゃないんだけどな。まあ頑張れ。

 つか、ハルヒもハルヒだ。長門の一般常識力を高めてやろうという試みは褒めてやるが、教えるなら教えるで最後まできちんとケアしてやれ。自分がVサインを出す時には、これ以上ないほど勝ち誇った笑みを浮かべてるだろうに。あいつが将来どんな母親になる事か、どうも心配だな。


「そんなに心配なら、生涯見守ってやれば良かろうに」
「へっ、いま何か言いましたか?」
「訊くな。おそらく答えるだけ無駄だ。
 では喜緑くん、我々はそろそろ行くとしようか」
「はい、会長」


 一方的に話を切り上げて、会長はさっさと踵を返した。それに応じて、喜緑さんもしずしずとこちらに歩み寄ってくる。そして…。


「っ!?」


 あまりの衝撃に、今度は俺も「げっ」と言うのさえ忘れてしまった。長門ですら、両の瞳を真ん丸にしていたのではないだろうか。
 会長の隣までやって来た喜緑さんは、なんとそのまま会長の腕に、スッと密着するように身を寄せたのだ。それはごく自然に、まるで切り離れていていた影が元の場所に戻ったかのように。

 



 とはいえ、自然だったのはあくまで喜緑さんの方だけで。

 

「あー、喜緑くん」
「なんでしょうか、会長」
「少々距離が近すぎるのではないかな? 北高生徒会役員として、公衆の面前でふしだらな真似は控えるべきだと思うのだが。見たまえ、可愛い後輩たちも突然の事に動揺しているだろう」


 そう言っている本人が一番動揺してるっぽい会長が、少々引きつった表情で釘を刺す。けれどもその程度は予想の範疇だったのか、喜緑さんはこの苦言を平然と受け流していた。


「ええ、会長の仰る通りです。
 でもせっかくの休日に、半日も図書館に放ったらかしにされて。わたしはずいぶん心寂しい思いを強いられました。あなたにはそれをねぎらう義務があるかと存じますが」
「私としては同じマンションに住む者同士、キミと長門君に親睦を深め合う機会を提供したつもりだったのだがな」
「その間、あなた方は二人だけで美味しい思いをされていた訳ですよね?」


 うわ、これはキツい。喜緑さんの詰問に、俺は思わず会長に同情してしまった。
 もしもの話だが、俺が一人でプリンを食べている所を妹に見られたなら。妹は絶対に「あーっ! キョンくんばっかりずるーい!」と叫ぶだろう。たとえそのプリンが俺の小遣いで買った物だとしても。女ってのはそういう理不尽極まりない生き物なのだ。
 でもって今回は本当に、会長だけが甘味やらタバコやらを満喫していた訳で、完全に弁解の余地が無い。そうして下からやんわりと詰め寄ってくる喜緑さんに、たじろぐ会長を眺めながら。俺は胸の内で、ひょっとして、と考えていた。


 あの可愛げの欠片も無いシャミセンでさえ、俺の部屋に谷口や国木田が遊びに来て対戦ゲームなんかをやっていると、本棚の上からじろーっと俺を見下ろしている時がある。主人の興味が自分以外に注がれているというのは、あの自堕落ネコにとっても何となく気に障る事であるらしい。

 ひょっとして今の喜緑さんも、似たような気分なんじゃないだろうか。この突然にして大胆な接近には、ひどく驚かされたが。それは会長との先の電話で「うっかり時を忘れるほど話が弾んでしまった」と聞かされた事によって、些細な対抗心みたいな物が芽ばえてしまったせいかもしれない。
 そう、甘味の件なんかはおそらく口実で。喜緑さんとしてはちょっとだけ会長を困らせてみたいのだ、多分。会長もその辺は察しているらしく、無下にあしらえない様子だったが、それでもこの人は毅然と喜緑さんを見据えていた。


「彦星と織姫の寓話に倣うまでもなく。節度を忘れれば、足元をすくわれるものだ。それが分からぬキミでもあるまい」


 おお。確かにあの二人が年に一度しか逢えなくなったのって、イチャイチャしすぎて天帝に怒られたからだっけ。
 メガネの奥で瞳を鋭く光らせながらの、会長の冷淡な勧告に。喜緑さんは自分の非を悟らされたのか、親に叱られた子供のようにシュンとうつむいてしまう。その物悲しげな様相に、会長もやれやれと空を仰ぐ。そうして視線をあらぬ方向へ逸らしたまま、会長はそっと片方の腕を喜緑さんの肩に回したのだった。


「………今日だけだぞ」

 



「はい♪」

 一転してにっこり笑顔の喜緑さんと、対照的に憮然とした表情の会長。喜緑さん的にはしてやったりという所か。しかしながら、会長の方も別にまんざらでも無さそうに見えるのは俺の気のせいかね。


「それでは、我々はこれで失礼させて貰う。
 いずれまた会おう。その時は敵同士かもしれないがな」
「ごきげんよう、お二人とも」


 会長は尊大な捨てゼリフを、喜緑さんは上品な会釈を残して、二人は夕焼けに染まる街並みへ帰って行った。はあ、なんというかパワフリャな先輩方だったな。ホントに俺、あんな人たちを相手に一戦しなけりゃならないんだろうか。どうにも勘弁願いたいね。
 と、そんな感慨を抱きながら、寄り添って1本になった影が遠く尾を引くのを眺めていると。


「なんだ、長門か」
「…………」


 気が付けば、長門がきゅっと俺のシャツの裾を掴んでいた。振り向くと、長門は下からジ~~~ッと俺の目を覗き込んでくる。


「どうした、何か言いたい事でもあるのか?」


 質問に、長門はちらっと会長たちの方を見やって、それからまた一歩、それこそ密着しそうな距離まで俺の方へ歩み寄り、再びジ~~~ッと俺を見上げてきた。ああ、なるほどそういう事か。すまないな、長門。気の利かない男で。

 

「俺たちも早く戻らなきゃな。
 集合時間に遅れたら、またハルヒにどやされちまう。そういう事だろ、長門?」


 俺の脳内では「謎は解けたぞワトソン君!」とどこぞの名探偵っぽい人が自信満々に頷いていたのだが。どうやら長門にとって、それは正解ではなかったらしく、


「この、ウスラトンカチ…」


 極微小に頬を膨らませた長門はくるりと背を向け、小声で何事か吐き捨てると、俺を路上に置き去りにしたままズンズンと歩いて行ってしまった。
 おかしいな、あの状況で長門が俺に促す行動なんて、他に無いと思うんだが。おーい、とにかく待ってくれよ、長門!


 スタスタスタスタと一心不乱に歩を進める長門は、それこそ競歩の世界記録でも叩き出しかねない勢いで、俺も慌ててその後を追おうとする。ところが俺が本気で駆け出そうとした、その矢先。長門がピタリと両足を止めたため、俺はあやうくその背中にぶつかりそうになってしまった。


「こ、今度はどうしたんだ、長門?」
「うかつ、渡すのを忘れていた」
「渡すって、何を」
「これ。依頼されていた本」

 



 依頼? 俺そんなコト言ったっけ、と首をひねりかけた所で。長門がカバンから取り出した本の表紙を見た俺は、ああ、とようやく自分の発言を思い出した。


『君にもスラスラ! 小説書き方入門』


 そうだ、図書館へ着くまでの間に、オススメのHowTo本はないかって長門に訊ねてたっけ。それにしても、何というか一世代前のセンスな表題の本だな。その分安心して読めそうではあるけれども。
 何よりこいつの推挙だ、内容に間違いはあるまい。サンキューな、長門。


「…………」


 お礼にも無言のままだったが、コクリと頷いた長門は少しだけ機嫌を直してくれたようで、俺もホッとした。しかしそれも束の間、俺はすぐに、妙な既視感に意識を囚われてしまう。
 待てよ。小説の書き方だって?



『ラヴクラフトはアメリカの怪奇小説家で』
『不思議や奇跡の類を否定していたからこそ、宗教家たちのように変に誇張したりせず、客観的にそれらを受け止められたのでは』
『だからこそ、ラヴクラフトは“書き手”として選ばれたんじゃないのか。もしそうだとすれば、お前もまた――』



 甘味処での会長との会話の一部が、耳の奥で断片的にリフレインする。なんだ? いま何かが1本の線でつながりそうな感覚が…?


「どうかした?」
「あ、ああ。いや何でもないんだ、長門」


 気が付くと、長門が無表情ながら心配そうに小首を傾げていて。俺は弁明のため、慌てて両手をブンブンと振ってみせた。ああ、今のは単なる白昼夢さ。それより、早く集合場所へ向かおうぜ。このままじゃ本当にハルヒにどやされかねん。


「………そう」


 長門は一瞬何かを言いたそうな顔をしたが、適切な表現が見つからなかったのか、それとも集合時間に遅れない事を優先させたのか。ともかくあちら側に反転して、またサッサカ歩きだした。その小さな背中を追って、俺もまた歩み始める。


 そうさ。運命とか選ばれるとか、そんな事はどうでもいい。会長にも断言した通り、俺は今の状況を割と楽しんでいるんだ。
 仮に将来、この少しばかり非日常的な日常を小説に書き著すような機会が巡ってきたとして。単純に楽しんで書けたなら、それでいいじゃないか。その後で書いた作品がどう評価されようとも、全ては読者任せさ。そうだな、タイトルは『涼宮ハルヒの憂鬱』なんてのがいいだろうか。


 ただ、もしその小説ががまかり間違って大勢の人に読まれるような事になって、「もしかして、これって本当にあった話なんじゃないんですか?」などと訊ねられたとしても。俺はやっぱり、こう答えるだろうね。


「まさか、そんなはず無いでしょう。こいつは単なるフィクションですよ」


と。
 秋風に木の葉が舞う並木道を、そんな益体も無い夢物語を胸の内に描きながら。俺はハルヒたちが待つ公園へと、足早に歩いて行ったのだった。




本名不詳な彼ら in 甘味処   おわり


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