奇妙な浮遊感が全身を包む、これをこの星の有機生命体はなんと表現するのだろうか。

 

感傷。

 

虚しさ。

 

借物の言葉で理由付けを試みる。
だがわたしにはそうしたものを完全に理解することはできない。
ただエラーとしてログが蓄積されるのみ。

 

言語によるコミニケーションを含め他者と直接接触するようになってから約八ヶ月、エラーの発生する頻度は日増しに増え、そのログは膨大なものとなっている。

そしてエラーのログが増えれば増えるほどにあるひとつの仮定が信憑性を増す。
わたしの中にうず高く積みあがったエラーはこの星の有機生命体が持つ、感情というものに酷似しているということに。

 

今日行われた文化祭と呼ばれる行事で、わたしは涼宮ハルヒに請われ楽器の演奏を行った。
四人編成でそれぞれが担当する楽器が奏でる音がハーモニーとなり、一つの楽曲を形成する。
中心にいるのが涼宮ハルヒ。彼女のみ肉声を使い主旋律を奏でる。

 

涼宮ハルヒの歌声は聴いているものにある種の高揚感を与えたようだった。
彼女が歌いだすと聴衆の視線は残らず彼女に注がれ、一曲目の演奏を終えると大きな歓声が沸き起こった。
それはわたしにも少なからず影響を与えた。

 

歌は人の心に響く、と以前読んだ文献の中に記されていた。

 

心とは感情と同義と推測される、つまりその場にいた聴衆は涼宮ハルヒの歌声によって何がしかの感情を喚起され、高揚したものと思われる。
そしてわたしという固体には新しいエラーが生まれた。

 

それがこの星の有機生命体と情報統合思念体によって作られた有機アンドロイドの差。

 

彼らとわたしの。

 

彼らは自身の感情を表情、仕草、声色等によって表現する事ができる。
涼宮ハルヒはそれこそ全身を使って輝かしいばかりに感情を爆発させる。
歌っている時もそうだった、彼女の歌声は感情の奔流そのものの様に空間を走り、聴いているものを高揚させた。

 

わたしには感情というものが理解できない、故にそれを表現することもできない。

 

……では歌うこともできないのだろうか。

 

仮定。

 

試しに今日演奏した曲を口ずさむ、涼宮ハルヒがそうしたように。


   

   星空見上げ わたしだけの光おしえて

 

   あなたはいまどこで 誰といるのでしょう

 

   楽しくしてること思うと 寂しくなって

 

   いっしょにみたシネマ 一人きりで流す

 

   だいすきなひとが遠い 遠すぎて泣きたくなるの

 

   あした目が覚めたら ほら 希望が生まれるかも―――


抑揚のないただの言葉の羅列、ちょっとした雑音ですぐにでも掻き消されてしまいそうな弱々しい声。
それでも真夜中の静寂のおかげで、飾り気のない部屋に迷い込んできた季節外れの羽虫の様に彷徨う。

 

涼宮ハルヒの力強い歌声とは比べるべくもない、歌とも呼べない歌。

これがわたしの限界、仮定は実証された。

きっとわたしの歌声は誰の心にも響くことはないだろう。

 

涼宮ハルヒの歌に聴衆は歓声もって応えた。

 

わたしの歌に真夜中は、その静寂をもって応えた。

 

それが答え。

 

――――遠い

 

――――寂しくなって

 

――――泣きたくなる

 

歌の歌詞が浮かんでは消える。

またエラーが。

 

わたしの存在を象徴するかのような無機質で空虚な部屋。
わたしは一人、膝を抱えエラーを処理する。

 

こうしてエラーの処理を重ね、わたしは少しづつ限界に近づき、それはもう目前に迫っている。

うず高く積みあがったエラーはやがて雪崩となってわたしを飲み込み、支配する。


そこまでは規定事項。

 

その先にはなにがあるのか、まだわからない。

 

その先になら、あるいは。

 


――――あした目が覚めたら ほら 希望が生まれるかも

 


いつかわたしにも感情というものが理解できるだろうか。

 

いつかわたしの歌が誰かの心に響く日がくるだろうか。

 

 

 

 

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最終更新:2008年05月02日 01:02