人間は遠い昔から、あの大空に無限の夢を見てきた。
 白く、そして時には黒くたなびく雲の群れ。夜にはそこに目を奪われるほどに美しい星々を撒き散らし、心を妖しくかきたてる月を浮かべる。
 何者も畏敬の念を抱かずにはいられない雄々しい太陽。そして誰も逆らうことのできない神の雷。青々とした、澄み渡った空は常に変化を続け、川底の小石を撫でる水のように我々地上の動植物を包み込んできた。
 だからこそ人は鳥に憧れ、翼に信仰を抱いた。偽の翼で大空を我が物にしようとした愚かなイカロスは、だから侵すことのできない大いなる神の領域に力及ばず散ったのだ。
 人は神には及べない。ここで言う神とはハルヒのような例外は別として、大自然のことだ。物理法則ってやつだな。
 人は神に及ぶべくも無い。天を目指した長大な塔は砕け、神をたぶかそうとした愚かな人間は惨めな罰を受けた。
 人は飛行機や飛行船など、物理法則に忠実に従った方法で神にお伺いをたて、許されて初めて空を飛ぶことができるのだ。
 自ずから飛行することとは、まさに万物を超越した超自然的存在にしかかなわない偉大なる行為なのだ。

 

 

「飛んでる、飛んでるっておい! ㌧㌦!」
 頭の中がゴッチャになってぐるぐる回っている! こんな状況で俺たち肉団子5兄弟は何をすれば良いというのか!?
「落ち着きなさいよ、キョン! 私たち、ついに宇宙人と遭遇したのよ! そして宇宙船に招待されたのよ! これは類まれなる貴重な体験よ! 今のうちにこの感覚を胸のうちに刻んでおきなさい!」
 ダメだ、この肉団長は。突如として現れた巨大宇宙船に吸い上げられているというのに、このアクシデントに対して何の不安も持っていないというのか?
 こいつに本物の宇宙人を見せて満足させ、迷いの樹海を脱出しようと目論んでいたのに……。これは計算外の出来事だぜ。まさかこいつがタコ型宇宙人だけじゃなく宇宙船まで呼び出してしまうとは!
「弱りましたね。まさか宇宙船に招かれてしまうとは。まあ、被検体として解剖されることはないでしょうが……」
 そう言いながら俺の隣をふわふわ浮き上がっていく風船人間は、SOS団副団長こと古泉一樹だ。
 解剖なんてされてたまるかよ。ハルヒだってさすがにそこまでは望んでいないだろうから、おそらく友好的な宇宙人だとは思うが。
「みんな、気合を入れて宇宙船を乗っとるのよ! ヘマしたら、捕まってキャトルミューティレーションされるか、頭に変な金属欠片を埋め込まれて宇宙人のスパイにされちゃうわよ!」
 勘弁してくれよ。頼むから余計なことは考えずに町に帰ることだけを考えててくれ。
 こうして5体のトドは、あっけなく巨大宇宙船に収容されてしまったのだった。

 

 

 ~1ヶ月目 ・ 痩せたい理由~

 

 

 宇宙船に格納された俺たちは、まとめて小さな灰色の壁に覆われた無機質な部屋に放り込まれた。くそ、タコどもめ。いづれ鉄板であぶっておいしくいただいてやる。
「宇宙人め。こんなところに連れてきやがって」
 縦長の直方体の形をした部屋の中は空気がこもっているのか、やたら蒸し暑かった。蒸し返す部屋の中でだらだらと汗をかいていると、それが蒸発して周囲に漂い、刺激臭とともに室内の温度を引き上げる。なんという悪循環!
 ちくしょう、出しやがれ! 俺たちを蒸し団子にするつもりなのか!?
「とにかく、ここを脱出しないことには話が始まらないわね」
 ハルヒはぴったり閉じられた扉を内側からどんどんと叩きながら、舌打ちとともに悪態をついた。
 そんなハルヒのぬりかべのような後姿を眺めながら、俺は長門にひそひそと耳打ちした。
「なあ、まだ情報統合唐揚体とは連絡がとれないのか?」
「情報統合唐揚体ではない。情報統合思念体。まだアクセスすることは不可能」
「これって宇宙船なんだろ? お前たちの仲間じゃないのか?」
「これは涼宮ハルヒが形而下的イメージにより生み出した宇宙人。形而上的願望により彼女と接触した我々とは、そもそも存在の根本が異なる。仲間という語義が同種という意味ならば、それは間違った認識であると言わざるをえない」
「私もまだ未来世界と連絡をとることができません。私たちがいるこの空間も、まだ亜空間であると推測されます」
 まいったな。朝比奈さんはともかく、長門はあてにしてたんだが。古泉はどうだ? ここはハルヒが望んで生み出した空間なんだろ? 前のカマドウマの時みたいに、赤い玉を出したりできないのか?
「やればできそうではありますが、エネルギーが不足しています。空腹過ぎて体力が出ませんよ」
 くそ、やはり絶望的な状況であることには変わりなしか。食料さえあれば古泉の超能力で宇宙人をなぎ倒せそうな気もしたんだが。

 

「キョン、古泉くん! 体当たりよ! この扉をぶち破るの!」
 ぶち破るって、ハルヒ……お前な。こんな硬そうな金属扉を体力下降状態の俺たちが開けられると思ってるのか?
「やってみないとわからないじゃない。このまま手をこまねいて人体解剖を待つのみって言うのも嫌じゃない。やれることを全部やって、悔いの残らないようにしないと!」
 そうか。そうだな。そうだよな。このままこんなクソ暑いサウナの中で、あんなタコどものいいようにされてたまるか。絶対に脱出してやろうぜ。
「そうそう。その意気よ。やつらに捕まっちゃったら、きっと麻酔なしで開腹されちゃうんだから。そんなの絶対にごめん被りたいじゃないの。だから頑張るの!」
 おい、ちょっと待て。やるから。体当たりでもトラースキックでもなんでもやるから、余計な妄想を膨らませるだけは勘弁してくれよ。最悪でも麻酔ありにしてくれよ、頼むから。

 

「いい? そんじゃ、行くわよ!」
 肩を寄せ合ってクラウチングスタートの体勢をとった俺たちは、一様に緊張の息をはいて互いの武運を祈りあった。
「はっきょ────い!!」
 その掛け声はやめてくれよ……
「のこった!!」
 合図と同時に、はじかれたように扉へ飛び掛る5体の巨大なゴムマリ。速度、威力、質量ともに最高のタイミングだぜ!
 固形物が砕けるような音をたて、俺たちを閉じ込めていた金属の扉がいきおいよく開かれる。かくして5人の太い英雄たちは再び野に放たれたのだった。
「きゅーきゅー!」
「きゅきゅ、きゅー!」
 扁平に広がる無機質なロビーのような空間が俺たちの眼前に広がる。そこに立っていた、例の幼児本に出てきそうなタコ型宇宙人たちが混乱したようにきゅっきゅっきゅと騒ぎたてる。
「目指すはコクピットか司令室! きっと宇宙船の中央あたりにあるはずだから、1秒でも早くそこを制圧するのよ!」
 ハルヒの怒号をかき消すように、重大な事態を報せるブザーが大音量で船内に響き渡る。おそらく俺たちが脱走したことを報告するアラームに違いない。
「私とキョンは右、古泉くんはみくるちゃんと有希をつれて左の通路を行ってちょうだい!」
「了解です! ふたりとも、お気をつけて!」
 迷うことなく団員たちへ指示を出すハルヒ。やっぱこういう時にはこの決断力が頼りになるぜ。
 上司との連絡をとれなくなった長門と朝比奈さんのことは心配だが、古泉がきっとなんとかしてくれるに違いない。ふたりになんかあったら許さないぜ、古泉!
「おやおや、手厳しいですね。善処しますよ!」
 襲いくるタコどもに体当たりをくらわせ、2,3匹まとめてふっとばす古泉を見ていると、あっちはきっと大丈夫だろうと思えてくる。よし、俺も負けていられないぜ!
「うおおおおおぉぉぉおおおおぉぉぉぉ!」
 硬質プラスチックのような床を蹴り、ハルヒとともに駆け出す。2つのボーリング玉となった俺たちは、並み居るタコどもを次々と吹き飛ばして宇宙船内を突き進んでいく!
 その姿はまさに2台の大型トラック! 俺たちを止めようと飛び出してくる土星人はことごとく大きすぎる質量差の前に為す術なくはねとばされ、憐れにも白い壁にスルメのように叩きつけられる。
 今ばかりはこの身がメタボ体型であることに感謝してもいいと思えるぜ。この圧倒的なまでの質量、重量感あふれる脂肪があるおかげで、宇宙人たちをぶちのめせるのだから!
 にしても、このタコ宇宙人弱いな。ちょっと当たっただけで、こんなにも簡単にぶっ飛んでいくなんて。これもハルヒのイメージなのか?

 

 

「はあはあはあ、ようやくそれっぽ場所までたどり着いたわね!」
 疲れた身体を休めながら、俺とハルヒは今まで見かけたドアとは明らかに異質な、物々しい扉の前に立っていた。
「よし、相手に反撃の余裕をあたえずにこのまま突入よ! 後少しの辛抱だから、頑張りましょう!」
 ああ、そうだな。ここさえ占拠すれば……宇宙船の操作方法は分からないが、長門ならなんとか分かるかも。
「準備はいい? 一気に踏み込むわよ!」
 流れる脂汗を拭いもせず俺とハルヒが扉の前に立つと、氷のように冷たく立ち竦んでいた扉は音もなくスライドして開いた。これは自動ドアだったのか。
 少し意表をつかれて一歩を踏みとどまった俺たちは気づく。部屋の中から、そして廊下の左右からも。タコ型土星人たちが光線銃っぽい物を手 (触手) に構え、俺とハルヒを睨んでいたのだ。
 しまった、罠だったのか!?

 

「ようこそ、勇敢なる地球人たちよ」
 ハンドアップ状態で苦虫をかみつぶす俺とハルヒの前へ現れたのは、周囲のタコどもとは明らかに雰囲気の異なる、上官っぽい感じのイカだった。このイカは、日本語が話せるのか。意思の疎通ができて助かるぜ。
 まさかタコの次がイカとは……。やれやれ、ハルヒのイマジネーションの貧困さ加減にも困ったもんだ。
 何が困ったかって? 簡単なことだ。そのイカは、白い胴体から生えている10本の触手すべてに光線銃を構えていたのさ。
「ちょうど良いモルモットが手に入ったかと思ったが、予想以上にこの星の高等生物は蛮行が好きなようだ。これほどまでに我が隊が屈辱の辛酸をなめさせられるとは思わなかった」
 隊ってことは、あれが軍兵なのか? えらくひ弱なんだな、土星人って。さすがに銃を出されちゃ手も足も出ないが。
 どうする、ハルヒ? このままじゃまた捕まってあの白い部屋行きだぜ?
「そんなのはゴメンよ。でも、さすがにこの数相手に戦う余裕はないわね。相手も素手ならいいんだけど、飛び道具を持たれていたんじゃ勝算は薄いわ……」
 俺たちを取り囲む廊下のタコたちが、じりじりとその包囲網の枠を狭めてくる。反撃の糸口をつかめず、俺とハルヒはそのプレッシャーに圧されるように背を合わせ、絶体絶命の状況に歯がみする。
 俺たちに少しづつにじり寄ってくるタコたちは、イカ司令官からの合図が下り次第一斉に銃の引き金を引く気なのだ。
「これは……さすがに万事休すね」
「おいおい、諦めるなんてお前らしくもないぜ。最後の最後まで、希望を信じていこうじゃないか」
「そうね。このまま何もせず、ただ黙って敗北を招くなんて私らしくないものね。最後まで助かると信じて、あがきましょう」
 背中越しに、ふるえるハルヒの厚い肉が感じられる。
 そうかお前も怖いんだな、ハルヒ。俺もだぜ。怖いさ。だがな、俺は信じてるんだ。お前がいれば、きっと道は開かれるってな。
 頼りにしてるぜ、ハルヒ!
 また一歩、タコたちが前へ踏み出す。俺たちはわずかに膝を丸め、駆け出せる体勢に入る。万分の一にでも助かる可能性があるなら、こうするべきなんだ。
「死ね、野蛮な地球人どもめ!」
 イカがヒステリックに触手を振り上げる。同時に、きゅーと声を発してタコたちが銃を構える! その瞬間、俺とハルヒは腰に溜めていたエネルギーを解放して駆け出した!

 

 一瞬頭の中が真っ白になった。何が起こったのか理解しかねたが、次の瞬間には何が起こったのかを感知した。
 銃を構えた土星人たちの足元が突如爆発し、ことごとくタコたちが爆風でふっとんだのだ! なんだ、これは、ハルヒが起こした奇跡なのか!?
「な、何事だ!? 何が起こったんだ!?」
 爆破の威力で舞い上がった粉塵は周囲を覆い隠し、俺たちの視界を奪い去る。
 もうもうと立ち込める煙の向こう側から狼狽したイカの声が聞こえてくる。これがやつらの作戦じゃないのだとしたら、まさか……!
「涼宮さん! 大丈夫ですか!?」
 煙の中にシルエットとして見えていた丸い人影が熱を持ったほこりの遮断を越えて俺たちの前に現れる! 古泉、無事だったのか!
「あなたも無事のようで、安心しましたよ」
 頼もしくも俺の横に並ぶ古泉の手の中には、見覚えのある赤い光球が!
「キョンくん、涼宮さん! 私たち、この宇宙船の食料庫を見つけて、食料を奪ってきたんです! さあ、これを食べて体力を取り戻してくださぁい!」
 全身がたゆんたゆんした朝比奈さんの投げてくれた食料を、俺は手にするのももどかしく口でキャッチして一気にかみ砕く!
 宇宙人の食料というからどんな物かと思ったが、パンのような物だし、けっこういける味だ。これもハルヒの好みか?
 それにしても久しぶりの食事だぜ。どんな食材かは知らないが、まるでストンと胃袋にたまるように腹に重みが感じられ、一瞬のうちに栄養価が全て体内に吸収されたように元気が湧き上がってくる!
 いける、これならいける! 脆弱な宇宙人ごとき、俺たちファットマンブラザーズの手にかかれば容易く圧殺できると確信できるぜ!

 

「武器を」
 長門が俺とハルヒに、倒れているタコ型宇宙人の手から奪った光線銃を手渡す。むくれた顔をゆがませ、ハルヒが不敵に微笑む。こいつ、やる気だ!
「これさえあれば、SOS団に敗北の2文字はないわよ! 憎き土星人たちに、目にもの見せてくれるわ!」
「い、いかん! ドアを閉めろ! あの猿どもを中に入れてはいかん! 宇宙空間まで搬送して、放り出してやるんだ!」
 まずい、開いていたドアが再び閉まっていく! さっきは自動で開いたが、今度はどうだか分からないぞ!
「駆け込むのよ!」
 パンを口に放り込み、腹の肉をたぷんたぷんと揺らしながらハルヒが走る! しかしドアに駆け寄らせまいと、イカ型宇宙人が10本の触手に握っていた光線銃を発射した!
「危ない!」
 床に倒れこむように、間一髪で銃から放たれた光線を避けるハルヒ。危機を回避できたのを確認してホッと安堵したのも束の間、次第に閉まり行くドアと高らかに響くイカ野郎の哄笑が俺たちを嘲る。
「あのドアが閉まってしまっては、僕らに勝ち目はありません!」
 倒れたハルヒの横を駆け過ぎ、古泉がパンを口につっこんで徐々に狭くなる扉に突っ込んでいく! これがラストチャンスなんだ、絶対にものにしなければ! 俺も古泉に続く、長門も朝比奈さんも、立ち上がったハルヒも走り出す!
「愚かな地球人め! お前たちにこの光線銃の集中砲火はかいくぐれまい!」
 出た、イカ野郎の光線銃10発同時発射! どうする古泉、あれがある限り、俺たちはドアに近づけないぜ!?
「愚かなのはあなたですよ! 同じ手が我々に何度も通用するとは思わない方がいい!」
 イカの銃が構えられる直前、野球ボールのような古泉の身体が宙に浮かび上がる。その手の中にはあの赤い光球!
「ふんもっふ!」
 イカの光線銃が白い光を放つ前に、古泉の光球がドアの向こうへ打ち込まれる!
「ぎゃ────────っ!!」
 赤い閃光と爆風をともない、司令室からイカのものと思われる断末魔が響き渡ったのだった。

 

 

「どうだ、操縦できそうか!?」
 香ばしいタコやイカの焼けるにおいが漂うコクピットで、俺たちは操縦席らしきシートに座った長門に尋ねる。
「解析中」
 むっちりした尻がシートからはみ出す長門の隣に立ち、いらついた様子のハルヒが 「もどかしいわね!」 と叫び、長門の手の先にあるコンソールパネルに手をあてる。おい、お前なにやってんだ!? せっかく長門がなんとかしてくれてるのに!
「うっさいわね、こういうのはテレビのリモコンと同じで、適当にピコピコやってりゃうまくいくもんなのよ!」
 宇宙船の操縦と家庭用テレビの操縦を同レベルに考えるって、どんだけだよ!? 後は長門に任せてお前は後ろでイカでも食ってろよ!
「うるさいうるわい! 私に任せておけば万事解決オールオッケーなの! この赤いボタン押したら、きっと着陸するはずよ! えい!」
 アッー! お、おま、なんてことを! 赤いボタンって言ったら危険度100%と相場が決まtt
 その時だった。突然、ガクンと宇宙船の地盤が大きくゆらいだ。

 

『エンジンキンキュウテイシ システムレッド ドウリョクキュウミンニハイリマス バイバイサルサン』


 明らかにヤバイ系のブザーが鳴り渡る。そして現状を報せるアナウンスの機械音が俺たちに窮状を教えてくれた。
「え、ええ!? ここ、この宇宙船、エンジン停まっちゃうって言ってますよ!? ってことは、まさか、つ、墜落!?」
 ちょwwwエンジンが緊急停止とか言ってるぞwwwご丁寧に日本語でwwwどう考えてもこれはお前の押した赤いボタンの恩恵だろ!?
「うっさいわね、男が細かいことでグチグチ言わないの!」
 細かいことじゃねえだろ! おい長門、なんとかエンジンを復旧できないのか?
「不可能。そもそも復旧の方法を解析していては、墜落までに間に合わない。今は早急に脱出することが得策と思われる」
 脱出!? だ、脱出って、どうやって!? パラシュートがどっかそのへんに積んであるって言うのかよ!?
「何してるのよキョンも有希も! ほら、さっさと脱出するわよ! じゃないと、墜落に巻き込まれちゃう!」
 人の危機感を極限にまでかきたてるブザー音にせきたてられるように後方を振り返ると、ハルヒがパラシュートの袋を片手に手を振っていた。パラシュートあったのかよ!? あ、いや、驚かないぞ。ハルヒのやることなんだからな。
「涼宮さん、さあ、早く脱出してください!」
 『EXIT』とアルファベットがふられた脱出口が、古泉の指差す方向に口を広げてごうごうと風を巻き込んでいた。非難口までご丁寧に構えていたとは。なんだか、ここが宇宙船のコクピットじゃなくて市民体育館の一角のように思えてきた。
「団長である私は最後よ! 先にみくるちゃんと有希、それから古泉くんとキョンが脱出して!」
「ええ!? でで、でも私、パラシュートなんて使ったことないし、不安で、不安で……」
 涙目のまま脱出口の前で震え始める朝比奈さん。気持ちはわかりますが、今は非常事態なんです! 急いでください!
「先ほど僕がお教えした通りにやれば、絶対に大丈夫ですから!」
「ひぅぅ、それでも怖いですぅ」
「それじゃあ僕が先に行きますから、僕に続いてください。それならいいですよね?」
 立っているのが精一杯というくらい揺れ動く宇宙船内。ガラスの外を見ると、どんどんと高度が下がっている。このままじゃ、脱出が間に合わないのではという不安が胸に去来する。
 パラシュートを背負った古泉が真剣な面持ちで片手を挙げる。
「それでは、失礼。先に行かせていただきます……って、あれ? あれれ?」
 熟年のパラシューターのように渋く決めて脱出口から外へ飛び出そうとした古泉が、出口の前で困ったふうに立ちつくす。
「どうかしたのか、古泉?」
「いえ、あの……」
「なんだよ、早くしろよ、後がつかえているんだ!」
「………すません。腹が、おなかがつっかえて出られません……」
 我が耳を疑ったね。

 

 腹がつかえて脱出できない!? どんな理由だよそれ!?
「いえ、本当なんですよ。この脱出口、思ったよりも狭くてですね。よっ! はっ! ほっ! ……ど、どうやっても、横を向いても縦を向いても……う~ん!」
 鏡餅のような腹を右往左往させて脱出口に詰まっている古泉。この緊急時になにやってんだ、馬鹿野郎! 腹なんて引っ込めろ! それが無理なら肉を切り落とせ! 今すぐ! あああ、どんどん高度が下がっていく!!
「そう言われましても」
「ええい、まだるっこしい!」
 もたもたすることが大嫌いなハルヒのイライラが限界まで達したようだ。つりあがった目で、脱出口に詰まってウネウネダンスを踊る古泉のブリブリヒップを蹴り飛ばす!
「うほっ!」
 その勢いで一気に宇宙船外へ弾き出される古泉。そのピンボールのような巨体は、夜闇の中を下へ下へと降下して行き、豆粒ほどの大きさになったところでぱっと白い落下傘の花を咲かせた。
「無事に古泉くんは脱出できたようね。さ、次はみくるちゃんよ!」
 まだ決心が固まらないよう朝比奈さんはガクガクと震える足取りのまま、しかし果敢にも脱出口の前に立つ。
「大丈夫! 絶対に大丈夫だからね、みくるちゃん! 私たちもすぐに続くから、ね。先に行ってて」
 古泉の光球の爆発で破損していたのだろうか。背後のコンソールパネルの一部が音を立てて破裂した。その音に背を押されるように、朝比奈さんは脱出口へ身を乗り出す。
「はひぃん、お、おなかが……肉がつっかえて出られませぇん」
「あんたもかい!」
 脱出口の前で芸人のようにバタバタする朝比奈さんへ、すかさずハルヒのツッコミが入る。こう言っちゃなんだが、俺もハルヒと同意見ですよ、朝比奈さん。
「キョン、ちょっと手伝って。時間がないから、このまま有希も一緒に脱出させるのよ!」
 ハルヒの言っていることがイマイチ理解できずに呆けていた俺に、ハルヒは長門の腕を持つように指示を出す。
 全てを納得して俺が長門の腕を持つと、ハルヒが長門の足を持つ。担架をかつぐレスキュー隊員のように、俺とハルヒは長門をハンモック状にゆさぶった。
「いくわよ、みくるちゃん!」
 ぶんぶんと振り回され、最大まで位置エネルギーを加えられた長門の串かつみたいな肉体は、手足の枷をはずされたことで解き放たれ、もがく朝比奈さんの背に激突。その勢いでスポンと音を立てて2人の身体は暗い夜の空に消えていった。

 

 

「さて。これであらかた片付いたわね」
 激しく揺れる宇宙船の中で、俺とハルヒはパラシュートのパックを背に装着していた。慣れない作業の上に気ばかりが焦ってうまく背負うことができなかったが、なんとか背に装備することができた。
「ねえ、知ってる? パラシュートって、100個に1個くらいの割合で開かない物があるんだって」
 こんな状況なのに、まだ冗談を言う余裕が残っているんだな。俺をビビらせようったって、そうはいかないぜ。というわけで、お先にどうぞ団長さん。
「何言ってるのよ。団員の無事を確認してから最後に脱出するのが、団長の役目よ。あんたもほら、さっさと行きなさいよ。腹がつかえるんなら、背中を押してあげるから」
 ほら、と言って俺を脱出口へと導くハルヒの手をとった。
 俺もきっと、この狭い脱出口に腹がつっかえてひとりじゃ出られないだろう。しかしそれは俺だけじゃな。お前もそうだろ?
 ハルヒは、神妙な顔をしてうつむいた。
「わ、私は大丈夫よ! あんたはつっかえるでしょうけど、私は見た目より細いのよ? これは着ぶくれしてるだけなんだから!」
 俺はハルヒの両肩をつかみ、言い聞かせるようにその目を見据える。
 こんなところで宇宙人なんかと心中する気かよ!? ダメだぜ。いくらデブチンになっても、お前はSOS団の団長だ。リーダーがいなくなっちまったら、俺たち団員は一体どうすりゃいいんだ!?
「それは私だって同じよ! あんたが……雑用係のあんたがいなくなっちゃったら、私はどうすればいいのよ!?」
 雑用なんて探せばいくらでもいるだろう? それこそ俺が二階級特進するようなことがあれば、準団員の谷口か国木田あたりを引き込めばいい。少なくとも俺よりはいい働きするだろうぜ。
「ダメよ! あんたじゃなきゃ、絶対にダメなの!」
 機関部がいかれちまったのだろうか。宇宙船のあちこちから破裂音が巻きあがる。危険を報せる赤いブザーが、まるで色濃い夕焼けの中にいるかのように、俺たちの身体を包み込んでいる。
 宇宙船の落ち行く先に、小さく家々の屋根が見え始める。本格的に不時着の時が迫っているのだ。早く脱出しなけりゃ、俺もハルヒも……くそっ!

 

 芋虫のように太い指で俺の身体を押すハルヒの腕をつかむ。やわらかいその手を、強く、ぎゅっと握った。
「なあ、ハルヒ。痩せてりゃ……俺たちが前のようにスリムな身体だったなら、こんな脱出口、すんなり通過できたのにな」
「……今さらそんなこと言ったって、仕方ないわよ」
 黒々とした夜の闇を、明々とした町の光が下方から照らし出す。ここがどこなのかは知らないが、眼下に、高層ビルがもうそこまで迫っていた。
 言うべきか。言わざるべきか。ほんの数瞬の躊躇の末、俺は覚悟を決めた。
「なあ、ハルヒ。SOS団を結成して、俺たちはいろんなことをしてきたよな。SOS団の知名度をあげようと躍起になったり、不思議探索やったり草野球やったり。思えば、町中を駆け回ってたっけ」
「それがどうしたのよ……」
 宇宙船に、身体が跳ね上がるほどの激震が走る。どうやらビルの頭頂部に激突したらしい。
「俺、黙っていたけどアスリート萌だったんだ。引き締まった四肢で駆け回るお前の姿が、いつもまぶしかったのを覚えている」
「はあ!?」
 俺とハルヒは折り重なるように部屋の隅まで吹っ飛ばされた。ビルを脳天から叩き折りながら落下を続け、とうとう宇宙船は水平を維持できなくなってしまったようだ。
「うぅぅ……さ、最後だ。これが、最後だから。だから……言わせてくれ……」
 床にぶつかり割れるように痛む頭を抑え、俺は隣に転がるハルヒの手を強くにぎった。
 こうなったらもう、どうなってもいい。宇宙船がぶっ壊れようが、俺たちが押しつぶされて消えてしまおうが。ただ一言。一言だけ、そうなる前に口にしたい言葉がある。
 それは……

 

「ハルヒ。もう一度、お前のひきしまった腹筋が見たかった」

 


  ───────。

 


 あれほど激しい音をたて、世界の終わりを告げるように鳴り響いていた地響きが、ぴたりとやんだ。
 不思議と心は落ち着いていた。わずかに、動悸の音が耳に入る程度の興奮。何故だか全身を満たす安堵感。
 俺は突然宙に放り出されたような感覚に包まれ、閉じていた瞳をそっと開いた。
 そこには山篭り前まで毎日見ていた、数日ぶりの懐かしき我が部屋の内装があった。

 

 寝ぼけ眼のまま部屋を抜け出した俺は階段を降り、洗面所へ向かった。
 パジャマを脱ぎ、電灯に照らされた鏡の前で俺は生まれたままの姿をさらけ出す。たったひとり、風呂場で催すストリップショーだ。
 バランスよく伸びた腕。すらりとした両の脚。細い首筋。しまった輪郭。影をうつす鎖骨。
「……痩せてる……」
 なんだか、とてもおかしくなって整わない笑い声をもらした。
 俺、人生のうちで何度、夢オチを経験すりゃいいんだろうな。

 

 


 あれが夢だったのか。それともハルヒお得意の夢オチだったのか。相変わらず俺には確かめる術もない。今朝のニュースを見る限りでは、世界中のどこにもUFOが墜落したという速報は入っていないようだしな。
 ま、今さえよけりゃそれでいいや。難しく考えたって仕方ない。あの1ヶ月が全て悪い夢だったとしても俺はいっこうにかまわないからな。
 だから、俺は教室に入ったところで、ハルヒが自分の席でクロームダンベルを担いでいるのを見て、そっと苦笑した。
 どうしたんだ。朝っぱらから筋トレか?
「まあね。ゆうべ変な夢を見てね。なんかじっとしてられなくて、ダンベル持ってきたの」
 ジャイアント馬場やアントニオ猪木も、力道山の下でダンベルを常備して身体を鍛えたって言うし。いいんじゃないか?
「ふーん。ま、いいけどね。私はただ、最近運動不足だなって思って、自主的に健康管理のために筋トレ始めたの。それだけのことよ。他意はないわよ」
 口をへの字に曲げてまくしたてるハルヒの様子が、とても滑稽でおもしろかった。
「ねえキョン。あんた、腹筋とか割れてる方が好みなの?」
 はあ? なんだそりゃ?
「別に。ただちょっと訊いてみただけよ」
 そう言ってガムシャラにダンベルをリフトアップするハルヒの二の腕はたくましく、とても美しく見えた。

 

「いやはや。それにしても酷い目に遭いましたね。あっはっは」
 その割には、ずいぶん愉快そうに笑うじゃないか、古泉。
 昼休みだというのに、ハルヒ以外のSOS団の団員たちは暇を持てあましてか呼ばれてもないのに文芸部室に勢ぞろいしていた。
「それにしてもみんな、無事に痩せられてよかったですね。UFOの一件がなかったことになっているのも、ホッとしました」
 メイド服を着て急須にお湯を注ぐ朝比奈さんの姿は、やはり小柄でキュートな今の姿が一番似合っていますよ。
「危ないところだった。後2分ほど涼宮ハルヒの情報干渉が遅れていれば、あなたともども涼宮ハルヒは生命活動を継続できなくなっていた」
 けっこうギリギリだったからな。もう少しで宇宙船に圧殺されるところだったよ。
 やはり長門は、こうして窓辺の椅子に腰を下ろして静かに読書している細身の文芸部員って立ち位置が似合ってるよ。
 あの脱出口を出られなかったことがショックで、きっとハルヒも本気で痩せないといけないと意識できたのだろう。命がけの状態だったもんな。あんだけの思いをすれば、相撲取りだって痩せたいと思うよな。
 笑い半分にそれを口にすると、古泉と朝比奈さんから意外そうな目線を向けられた。俺、何か変なこと言ったか?

 

「私、お茶の水を汲んできますね」
 かわいらしく小さな手を振ると、朝比奈さんはポットを片手に部室を出て行った。
「これで世界がピザ化する事態は回避できたようですね。ひとまず安心と言ったところです」
 パイプ椅子にもたれかかり息をはくと、俺は天井を見上げながら背筋を伸ばした。
 これで朝比奈さん (大) のいる未来世界も、正常な世界に戻ったんだよな。いやあ、めでたしめでたしじゃないか。
「………」
 気づくと、長門が物言いたげな表情で俺の方を見ていた。どうかしたのか? お菓子でも食べたいのか?
 長門はゆっくりと手を持ち上げ、俺と古泉に振り向くようジェスチャーで指示した。後ろを向けっての? 後ろって……
 俺と古泉は疑問を感じながらも、長門の指差しに従い部室の入り口へ視線を向ける。
 そこには、ボディービルダーも真っ青なほどに筋肉隆々の肉体を持つ超絶肉体美な女性、朝比奈さん (大) が恨めしげな表情で立っていた。

 

 …………。

 

 え、またこのパターンですか?

 


  SOS団のメタボ ・ 完

 


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