*間違い探しのような感じで楽しんでいただければ幸いです。
 


 半スリープモード解除。
 現在日時、8月17日0時0分。
 時間逆流停止、時間流再進行を確認。
 セルフチェック開始。有機身体に損傷なし。個体情報に欠損なし。記憶リセット防止措置は成功と認められる。ただし、個体情報にエラー蓄積を確認。強制削除不能。蓄積エラー容量は許容範囲内と判断。現在、個体全機能は正常に動作中。
 パーソナルネーム長門有希より、情報統合思念体へ。指示を求む。
 
 不干渉原則を維持し、観測を継続せよ。
 
 了解した。
 世界構成情報、前シークエンスまでの平均値との差異0.0002%。当面の任務に影響なしと判断。
 主要観測対象の現在位置を特定。
 シークエンス103、観測開始。
 
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
 
 お盆を過ぎた夏の盛り。
 俺は家の居間でダラダラしながら別に見たくもない高校野球をテレビで眺めていた。昼まで寝ていてついさっき起きたばかりということもあり、山と積まれた夏休みの課題に立ち向かう気力など微塵もあるわけがなく、ただダラダラと過ごしていたのである。
 テレビに映る試合はたまたま俺の地元チームが出場しているものだったがボロ負けだった。はっきりいってこの状態から逆転するのは不可能と思えるありさまだったが、それでも俺は地元チームを応援していた。熱心に、というわけではなかったが。
 テレビを眺めながら、ただなんとなく最近の出来事を回想する。
 俺は妹を連れて母親の実家がある田舎まで避暑と先祖供養を兼ねて遠出して、久しぶりに顔を合わせたイトコやらハトコやら甥やら姪やらと二週間ばかり川や海や山や草原で心ゆくまで遊び倒してやって、昨日帰ってきたばかりだ。
 昔は、従姉妹のねーちゃんに同じように遊んでもらったものだ。あのころのねーちゃんは、取り立てて美人というわけでもなかったが、俺には輝いて見えた……。
 おっと、初恋の思い出に浸るなんて、俺のガラじゃねぇぜ。
 なんて思った瞬間に、携帯電話が着信音をがなり立て始めた。
 素早く表示を見ると、電話の主は涼宮ハルヒに相違ない。
 また、何か疲れる出来事に巻き込んでくれるに違いないという確信を抱きつつ通話ボタンを押した。
『今日あんたヒマでしょ』
 というのが第一ハルヒ声だった。
『一時ジャストに駅前に全員集合だから。ちゃんと来なさいよ』
 それから、早口な声で持ってくるべきものを告げて、
『それとあんたは自転車で来ること。それから充分なお金ね』
 と、言ったきり、あっさり切っちまいやがった。久々の会話だというのに、時候の挨拶も抜きならハローもなしだ。ついでに出たのが俺かどうかの確認すらしやがらねえ。
 まあ、ハルヒらしいけどな。
 涼しげな音がテレビから響いて目を遣ると、敵チームの得点はとうとう二桁に達しているところだった。金属バットに硬球が当たる音が容赦なく俺に告げる。
 夏も終わりが近い。
 クーラーをガンガンに効かせた閉めきった部屋に、ミンミンゼミの大合唱が壁からしみ出すように漏れ届いていた。
「しょうがねえな」
 しかしハルヒの奴、夏休みが始まるや否や合宿と称して俺たちを変な島に連れて行っただけでは不充分だったのか。このクソ暑いのにいったい何をしようと言うんだ? 俺は冷房の効いている場所から動く気は全然しないぜ。
 そう思いつつ、俺は言われた通りのブツを出すために洋服箪笥へと向かった。
 
 
「遅いわよ、キョン。もっとやる気を見せなさい!」
 涼宮ハルヒがビニールバッグを振り回して、ご機嫌さんな顔で俺に人差し指を突きつけた。こいつは何も変わっちゃいない。
「みくるちゃんも有希も古泉くんも、あたしが来る前にはしっかり到着してたわよ。団長を待たせるなんて、あんた、何様のつもり? ペナルティよ、ペナルティ」
 集合場所に現れた最後の人物は俺だった。ちゃんと十分前に来たってのに、他のメンツは急なハルヒの呼び出しをあらかじめ解っていたような速度で集合したらしい。おかげで毎回俺が奢るハメになるんだが、もう慣れたしあきらめたね。
 ふと朝比奈さんに目を向けると、彼女は両手でバスケットを持っていた。何か期待していいようなモノが入っていそうな気配を感じ、俺はなんとなく楽しい気分になる。いつまでもそんな気分に浸っていたかったのだが、横から邪魔者が声を割り込ませてきた。
「お久しぶりですね。あれからまた旅行にでも出かけていたのですか?」
 古泉一樹は輝かんばかりに白い歯を見せつつ俺に向かって指を立てた。
 俺はそれを無視して、視線をその横に転進させた。
 長門有希の無情に無機質な姿がそこにあった。汗腺があるのかどうかも疑わしいほど、汗一つかかずに直立している。
「…………」
 動かないネズミのオモチャを見るような目つきで長門は俺を見上げ、ゆるりと首を傾けた。会釈のつもりだろうか。
「それじゃあ、全員も揃ったことだし、出発しましょ。市民プールにレッツゴー!」
 ハルヒは誰の意見も聞かずに一方的にそう宣言した。まあ、基本的に俺以外の三人はハルヒに意見するなどという無駄な行為をしないので、毎度耳を貸されないのは俺の意見だけということになる。
 常識的に考えて理不尽そのものなのだが、確かに常識的な人間なのは俺だけだからそうなる運命なのかもしれん。いやな運命だな。
 俺が運命と宿命の違いについて考えているうちに、いつの間にか、俺がハルヒと長門を乗せて自転車を漕ぐことが規定事項となっていた。
 長門は荷台にちょこんと座り、ハルヒは後輪のステップに足を乗せて俺の両肩をつかんでいる。
「ほら、キョン! なにボケっとしてるのよ! 古泉くんに置いていかれるわよ! さっさと漕ぎなさい!」
 見れば、古泉は既に朝比奈さんを自転車の荷台に乗せて走り出していた。
 おのれ、古泉。いますぐ交代しろ。
 俺は心の中でそう叫びつつ、ペダルに力を込めた。ぐっ。さすがに二人分の体重はきついぜ。
 くそ、帰りは絶対、朝比奈さんとの二人乗りを満喫してやりたい。この俺のママチャリだってきっとそう思っているはずさ。
 
 
 市民プールはいっそのこと庶民プールと看板を書き換えたほうがいいのではないかというくらいのチャチな所で、なんせ五十メールプールが一つと、お子様用の水深十五センチくらいのでっかい水たまりしかない。
 こんなプールに泳ぎに来ようという高校生はよほど行く場所に困った奴だけであり、すなわち我々だけであった。あとは、見事にガキとその母親しかいない。どうも俺の視神経を楽しませてくれるのは朝比奈さんだけのようである。
「うん、この消毒液の匂い。いかにもって気がするわ」
 太陽光の下、真紅のタンキニを体に貼り付かせたハルヒが目を閉じて鼻をくんくん鳴らしている。
 ハルヒに続いて更衣室から出てきた朝比奈さんは、まるで子供みたいなヒラヒラしたワンピースで、長門は地味で飾り気のないスクール水着みたいなやつである。
 この二人の水着もハルヒが選んだものだろう。自分の衣装には無頓着なくせに、他人の(特に朝比奈さんの)衣装にはうるさい奴だからな。
「とりあえず荷物置く場所を確保して。それから泳ぎましょ。競争よ、競争。プールの端から端まで誰が一番速く泳げるか」
 実に子供っぽいことを言い出して、準備運動もせずにさぶんとプールに飛び込んだ。あちこちに書いてある「飛び込み禁止」という言葉が読めないのか、こいつは。
「早くきなさーい! 水が温くて気持ちいいわよ!」
 俺は肩をすくめて朝比奈さんと目を合わせ、手近な日陰に敷布やバッグを置くために歩き出した。
 
 団員全員強制参加となった五十メートル自由形競争は、長門の連戦連勝。
 そのあと、女子ユニット三人は、小学生グループと一緒になって水球ごっこ。俺と古泉は、そんな彼女たちの様子をただ眺めていた。
 遅い昼食は、朝比奈さんお手製の幕の内弁当。オークションに出せば五十万円は下るまいというほどの価値がある感動的な味であった。
 そして、黙々と食べ続ける長門を残し、男子小学生の集団と一緒に水中ドッヂボール。
 
 それから一時間ほど後、俺と古泉は水から上がってプールサイドに腰掛けた。
 どうにも場違いだ。ハルヒは何を思ってこんな何もない市民プールを選んだのだろう。造波プールくらい増設しろとは言わないが、もっと快活な高校生グループが出かけそうな場所がありそうなものだが。
 じりじりと焼き付く陽光に、肌が大急ぎでメラニン色素を増強しようとしているのが解る。
 そういや長門も日に焼けたりするのかなと思って姿を探すと、小柄な短髪無言娘はさっきの日陰にぺたんと座り込んだまま、怜悧な瞳を宙に固定させていた。
 いつもの姿だ。どこに行っても変わりなく、土偶のように静止している長門の姿である……のだが、どこか違和感を覚えた。
 一瞬だけ長門が退屈そうにしているように見えたのである。
 しかし、俺はすぐにその考えを振り払った。あの長門に限って、それはありえないだろう。
 そんなことを考えていた俺の足元から唐突に、
「この二人があたしの団員よ。何でも言うことを聞くから、何でも言っちゃいなさい」
 目をプールに戻した俺は、女子児童の群れを引き連れて俺たちの足元までやってきたハルヒを発見した。
 元気溌剌な小学生たちの相手に疲れたのか、朝比奈さんは顎まで水面に付けて軽く目を閉じている。小学生以上に悩みなく絶好調なハルヒはキラキラ輝く瞳を俺と古泉に向けて、
「さあ、遊ぶわよ。水中サッカーをするの。男二人はゴールキーパーやってちょうだい」
「それはどんなルールのどんなスポーツだ」
 突っ込みはあっさり無視され、俺はしぶしぶ立ち上がった。古泉も微笑を振りまきつつ子供たちの輪に加わっている。
 俺は近くに浮いていたアヒル型浮き輪を押し返しつつ、ハルヒがオーバーヘッドキックの要領で蹴り飛ばしたビーチボールを追いかけた。
 
 
 ふんだんに遊び果て、ようやく俺たちは市民プールを後にした。帰りも俺は曲芸三人乗り、古泉は青春タンデムである。こうやって人の心って荒むんだな。
 ハルヒが気ままに示す方角に自転車を漕いでいたら、集合場所の駅前に舞い戻ることになった。
 ああ、そうだったな。俺は全員に奢らなければならないのだったな。
 喫茶店に落ち着いた俺は冷たいおしぼりを首に巻いて椅子にもたれ込んだ。すかさず、
「これからの活動計画を考えてみたんだけど、どうかしら」
 テーブルに一枚の紙切れが厳かに降臨し、俺たちに見ろとばかりに人差し指が突きつけられる。破いたノートのA4紙切れ。
「何だ、これは?」
 俺の質問に、ハルヒは自慢たらしい表情で、
「残り少ない夏休みをどうやって過ごすかの予定表よ」
「誰の予定表だ」
「あたしたちの。SOS団スーパースペシャルベストサマーシリーズよ!」
 ハルヒの手書き計画書には、次のような日本語が書いてある。
 
○『夏休みにしなきゃダメなこと』
 ・夏期合宿。
 ・プール。
 ・盆踊り。
 ・花火大会。
 ・バイト。
 ・天体観測。
 ・釣り。
 ・昆虫採集。
 ・肝試し。
 ・その他。
 
 夏休み熱。
 たぶんそんな熱病がどっかの密林からチョロチョロと出てきたんじゃないだろうか。蚊だか何だかを媒介にしてウツるんだきっと。
 ハルヒの血を吸ったその蚊に同情するね。食あたりで落下してるだろうからな。
 上記のうち、夏期合宿とプールには大きなバッテンマークが重なっていた。どうやら終了済みという印らしい。
 するとだ、あと以下これだけのメニューを二週間足らずでこなさないといけないわけか。しかも「その他」って何だ。まだ何かするというのか。
「何か思いついたらするけどね。今んとこはこれくらいよ。みくるちゃんは何かしたいことある?」
「えーと……特にありません」
 さらにハルヒは長門と古泉の要望も聞こうとしたが、長門は黙って首を振り、古泉も微笑みながら固辞した。
 毎度のことながら、俺の意見は聞かれもしない。まあ、俺も要望はないけどな。
「明日から決行よ。明日もこの駅前に集まること! この近くで明日に盆踊りやってるとこってある? 花火大会でもいいけど」
「僕が調べておきましょう」
 古泉が買って出た。
「おって涼宮さんに連絡します。とりあえずは盆踊り、または花火大会の開催場所ですね」
「任せたわよ、古泉くん」
 上機嫌にハルヒはチョコレートパフェのアイスを一口で飲み込み、宝島の在処を示す地図でも仕舞うような手つきでノートの紙をたたんだ。
 
 
 翌昼、俺から惰眠を奪い去ったのはまたしてもハルヒからの電話である。
 盆踊り会場が見つかった。時間は今夜。場所は市内の市民運動場。
 縁日もセットだそうだ。
 そりゃいい。盆踊りなんて真面目に踊る気はさらさらないからな。眺めてるだけじゃ、暇をもてあますところだった。
 そして、いつもどおり駅前集合だ。余裕をもって家を出たつもりだったが、また俺が最後だった。
「みんなで浴衣を買いに行くの」
 スケジュールの手始めはそうなっているらしい。
「みくるちゃんも有希も浴衣持ってないんだって。あたしも持ってない。この前商店街を通りかかったら下駄とセットで安いやつが売ってたわ。それにしましょう」
 ちなみにいうと、古泉は既に浴衣姿だ。それも『機関』の支給品か? 土台がいいと何でも似合うわな。忌々しい。
 俺は普段着で行かせてもらうことになった。浴衣を着るのは旅館ぐらいで充分だ。俺の浴衣姿なんか見ても楽しいもんじゃない。
 
 婦人服衣料の量販店に飛び込んだハルヒは、朝比奈さんと長門のぶんも勝手に選んでずかずか試着室へと向かった。長門以外の二人は着付けの仕方を知らなかったため、女の店員に着せてもらうことになったのだが、これがやけに時間がかかる。
 俺と古泉はただあてどもなく女物の洋服が立ち並ぶ棚の周囲をウロウロとしてようやくのこと、三人が鏡の前に出そろった。
 ハルヒは派手なハイビスカス柄で、朝比奈さんは色とりどりのチューリップ柄、長門はそっけなく地味なアジサイ柄であった。それぞれの浴衣姿はそれぞれに趣があって、俺はなぜだか視線を向ける先に困った。
 女店員は「どっちがどの娘の彼氏なのかしら」と言いたげな表情で俺と古泉をちらりちらーりと眺めている。朝比奈さんの彼氏は俺だと名乗り出たい気分だったが、さすがにそれは自重した。
「みくるちゃん、あなた……。可愛いわ! さすがはあたしね。あたしのやることに目の狂いはないのよ!」
 ハルヒはまるで我がことのように自慢げである。
 確かに、朝比奈さんのお姿はハルヒ押し付けコスチュームの中ではトップクラスにマシな代物だった。
 滅茶苦茶似合ってるし。まるで俺の妹が浴衣着ているような雰囲気すら漂っていて、それにしては帯の上部分がアンバランスに膨らみすぎているが可愛ければ何でもアリだ。
 すべてを許してしまえる神々しさが朝比奈さんの体躯から放出されている。たとえ彼女が銀行強盗の主犯となったとしても、俺は弁護側の席に座るね。ハルヒだとどうかは解らないが。
 気づけば時間もちょうどよい頃合いで、俺たちは市民グラウンドへと隊列を組んだ。
 
 日没前なのにすでに賑わっている盆踊り会場には、どこからともなく市民たちが沸き溢れ蠢きあっていた。よくもまあこれだけ集まれるものだ。
「わあ」
 素直に感嘆しているのが朝比奈さんで、
「…………」
 どうやったって無反応なのが長門である。
 盆踊りで本当に踊っている奴をあんまり見たことがないのだが、今回もそうだった。しかし盆踊りね。なんだかすごく久しぶりに見るな。
「みくるちゃん、あっちでヨーヨー釣りやってるわよ。行きましょ。でかいやつはプラス三百ポイントだからね」 
 勝手なルールを決めて、ハルヒは朝比奈さんの手を引いてヨーヨー釣りの水槽へとダッシュしていく。
「僕たちもやりましょうか。何個釣れるか、一勝負いかがです?」
 ゲーム好きな古泉が提案し、俺は首を振った。水風船なんか持って帰っても、妹が破裂させて部屋を水浸しにするのがオチだ。それよりも、そこかしこで食欲増進を後押しする芳香漂う屋台のほうに興味があるね。
「長門はどうだ? 何か食うか?」
 笑わない目が俺を見つめ、ゆるやかに視線が移動。そこにあったのはお面売り場である。そんなもんに興味があるのか。こいつの趣味も解らないな。
「まあいいか。とりあえず一周してみようぜ」
 スピーカーが唸るように響かせているイージーリスニングみたいな祭囃子。それに誘われるように、俺は長門をお面の屋台へと連れて行くことにした。少しばかり古泉が邪魔だと感じつつ。
 
「大漁だったけど、たくさんもいらないから一個ずつ貰ってきたわ。みくるちゃんは全然釣れなかったんだけどね。あたしの分をあげたの」
 朝比奈さんの指には水風船がぶら下がっていた。紐のゴムをしっかり握りしめている朝比奈さんの仕草がいちいち可愛らしい。もう片手に握りしめているのは綿飴で、俺は妹にも買って帰ってやろうかと考えた。たまには妹のご機嫌取りもいいだろう。
 一方ハルヒは、左手で水風船をボンボンさせながら右手にお好み焼きのトレイを持ち、
「少しだけなら食べていいわよ」
 と言って差し出してくる。俺がソースでベタベタのお好み焼きを味わっていると、
「あれ、有希。そのお面どうしたの?」
「買った」
 長門がお好み焼きのトレイをじっと見つめながらそう呟く。
 長門が頭に横掛けしているのは昔マニアの間で流行った鬱アニメのヒロインのものだ。確かなんとかレイだったかな。あいにく俺はそっち方面に詳しくないのでね。
 何か波長の重なるものがあったんだろ。浴衣の袂からガマ口を出して所望したのがそれだった。
 なんとなく長門には世話になっているような気がしたのでそれくらい買ってやってもよかったのだが、無言のうちに長門は拒絶して自分の金を出していた。そういや、こいつの収入事情はどうなっているんだろう。
 櫓の周りでは炭坑節にあわせて浴衣婦人と子供たちがユラユラと踊っている。どこかの老人会と婦人会と子供会のメンツばかりのように見えた。単に遊びに来た奴は盆踊りで生真面目に踊るなんてことはしないだろうからな。俺たちもしない。
 朝比奈さんは、どこか未開のジャングルに行って現地人から歓迎の踊りを披露されたような顔で踊る人間たちを見つめ、
「へぇー。はぁー」
 感心するような小声を出していた。未来には盆に踊る風習はないのかね?
 ハルヒを先頭とする俺たち一団は、それから縁日のひやかしを専らとし、後はハルヒの「あれ食べよう」とか「これやってみましょう」という言葉にただ付き従う従僕となった。
 ハルヒはやたらに楽しそうで、朝比奈さんもそのようだったから俺も楽しいことではあった。驚いたことに、古泉までが作り笑いではない微笑を浮かべて楽しそうに見えた。長門が楽しがっているかどうかは俺には解らない。
 
 夏で、夏休みだった。
 
 浴衣姿の三人娘を眺める俺は、それだけですべてを許してしまえる気がしていた。
 だからハルヒが、
「花火しましょう花火。せっかくこんな恰好してるんだし、まとめて今日やっちゃいましょ」
 そう言い出したときも、ほとんど全面的に賛同したくらいだ。
 露天で売っていた花火セットを購入した我々は、近くの河原へと移動を開始した。
 それから一時間後、線香花火に目を丸くする朝比奈さんや、ロケット花火を両手に持って走り回るハルヒ、にょろにょろとのたくるヘビ玉をいつまでも見つめ続ける長門など、写真に収めたくなるような光景がそこにあった。
 来る途中で、カメラを買っておくべきだったな。
 川の水を浴びせかけた花火の残骸をコンビニ袋へ片付けている古泉を横目に、ハルヒは指で唇の端を押さえるようにしていたが、
「じゃあ、明日は昆虫採集ね」
 何が何でもリストに挙げた項目は消化するつもりらしい。
「虫網と虫カゴ持って全員集合のこと。いいわね。そうね、全員で採った数を競うの。一番多く虫を捕まえた人は一日団長の権利を譲ってあげるわ」
 その称号がもらえるなら、俺はハルヒに腹がはちきれるまで奢ってもらうとしよう。
「うーんと……、カブトムシ限定! そう、これはSOS団内カブトムシ採り合戦なのよ。ルールは……種類はなんでもいいから、一匹でも多かった人の勝ち!」
 一人で言い出してやる気になっているハルヒは、団扇を捕虫網に見立てて虫を追うモーションをシャドープレイしている。網とカゴか。家の物置にあったかな。昔使ってたやつ。
 そうしてやっと自宅に帰り着いたとき、俺は綿飴のテイクアウトを忘れていたことに気付いた。
 
 
 翌日、雨でも降ればいいとテルテル坊主に五寸釘を刺していたのに、とんでもない日本晴れが到来した。
「カブトムシって食べられるのかしらね。天ぷらにしたら美味しいかも。あ。あたしタマに思うんだけど、天ぷらが美味しいのって、ひょっとしたら衣が美味しいだけなんじゃない? だったらカブトムシもそうかもよ」
 お前一人で喰ってろ。
 いい年した高校生が五人も集まって、それぞれ虫取り網とカゴ持参で歩いている図というのも異様だよ。
 昼前に集合した俺たちは、緑を求めて北高へ至るルートを踏破していた。なんせ我々の高校は山の中にあるので、無駄に木々が生えくさっており、森や林を根城とする昆虫たちの絶好の住処にもなっているのだ。
 だが、一匹がペットショップで何万円の値がつくこのご時勢に、そう簡単にカブトムシが見つかるわけもなく、捕獲対象はあっさりセミに切り替えられた。
 標的がセミになったあとは、入れ食い状態だった。わたわたこわごわ網を振り回す朝比奈さんでさえ収穫があったくらいだから、ここいらのセミは人間がこの世で最も警戒すべき動物だとは認識していないのかもしれない。
 そうやって捕獲しまくったため、虫カゴはあっという間に満杯になった。
 どうすんだよ、これ?
 そんな俺のモノローグを感じ取ったわけではないだろうが、ハルヒはこう言った。
「やっぱキャッチアンドリリースの精神が必要よね。逃がしてあげたら将来、恩返しに来てくれるかもしれないし」
 俺は人間大のセミが家の扉をノックしている姿を思い描いてげんなりする。
 一方的に捕まえて逃がして、それで恩返しに来る奴がいたら、そいつはまさに虫なみの知能だ。どうせならリベンジしに来るほうがまだいい。
 ハルヒは虫カゴのフタを開けると、前後に揺り動かした。
「ほら! 山に帰りなさい!」
 俺もハルヒに倣う。
 カゴから湧き出るセミたちは、可愛い悲鳴を漏らしてしゃがみこんだ朝比奈さんの上で舞い踊り、棒立ちの長門の頭をかすめて、あるものは螺旋を描き、あるものは一直線に、夕焼け空へと遠ざかっていった。
 
 
 またその次の日は、アルバイトが待ち受けていた。
 ハルヒがどこからか取り付けてきたアルバイトで、有り難くも俺たちに斡旋してくれたのである。
 その一日だけのアルバイト内容とは、モデル撮影会だった。しかも、ウェディング衣装の。
 女子団員や古泉の野郎はともかく、俺なんかには場違いもいいところだ。
「何言ってるの。あんたみたいな冴えない男が隣にいるからこそ、花嫁が映えるんじゃない」
 もしかしなくても、それは褒めてねぇよな。
 なまじ当たってるだけに、反論の言葉が出てこないことが口惜しい。
 俺は似合いもしない衣装を着せられ、花嫁をとっかえひっかえして、写真を撮られた。
 朝比奈さんが顔を赤らめながら隣に来たときは卒倒するかと思ったね。純白のドレスに身を包んだ朝比奈さんは、まさにこの世に舞い降りた天使といったところで、俺はそのまま昇天しそうになった。
 ハルヒや長門も綺麗だったのは事実だが、別に言葉に出して言うべきものでもないさ。
 俺が終わると次は古泉の番だった。くそぉ。やっぱ土台がいい奴は違うぜ。古泉は誰が隣に来てもお似合いといった感じで、俺は心の中で延々と呪詛の言葉を吐き続けていた。
 バイト代は、三着のウェディングドレスに化けた。
 おいおい、いいのかよ。ウェディングドレスといえば、結構な値段がするものだろ。
「みくるちゃんも有希も、これは大事に仕舞っておきなさい! これを着るのはここぞというときだけにするのよ!」
 ウェディングドレスは普通は結婚式の日にしか着ないものだぞ、ハルヒよ。
 俺は撮られた写真が親類縁者の目に触れることがないことを祈願しつつ、その場をあとにした。
 
 
 その翌日は天体観測の番だった。
 実施場所は長門のマンションの屋上である。ごつい天体望遠鏡を古泉が持ってきて、三脚に備え付けていた。午後九時をまわったところ。
 空はすっかり暗くなっており、古泉は楽しそうに微笑みを浮かべてセッティングに余念がない。
「幼い頃の僕の趣味がこれだったんですよね。初めて土星の衛星を捉えたときは、けっこう感動しましたよ」
 長門は相変わらずの様子で、ただじっと屋上で立ちつくしている
 順番に望遠鏡で火星の模様を眺めたり、月のクレーターを観察しながらの時が流れた。
 不意に姿が見えなくなったなと思って探してみると、朝比奈さんは屋上の転落防止柵にもたれるようにして膝を抱えていた。ハルヒに連日連夜引きずりまわされてたからな。疲れてるのだろう。そのまま眠らせてあげよう。
 劇的な変化もない夜空に飽きたのか、ハルヒは、
「UFO見つけましょうよ。きっと地球は狙われているのよ。今も衛星軌道くらいに異星人の先遣隊が待機してるはずよ」
 楽しげに望遠鏡をぐるぐる回していたが、それにも飽きたのだろう。朝比奈さんの横に座り込んで、小さな肩によりかかってすうすうと寝息を立て始めた。
 古泉が静かに言った。
「遊び疲れたのでしょう」
「俺より疲れてるとは思い難いけどな」
 夜風にそよがれつつ、俺は二人並んで眠りこけているハルヒと朝比奈さんを眺めていた。こうしていればハルヒも朝比奈さんに引けを取らないよな。こっちのほうがいいって奴もいるだろう。それは間違いない。
「最近、調子はどうだ?」
「大変充実してますよ。友人とともに心行くまで遊び倒せる日々。中学時代の僕には到底考えられませんでしたね」
 古泉は心底嬉しそうな表情でそう答えた。
 俺も共感できない部分がないとはいわんが、もう少しゆったり過ごせる日があってもいいと思うがね。
「例の灰色空間はどうだ?」
「あの涼宮さんを見れば解るでしょう。少なくても団活が再開してからは一度も発生してませんよ」
 まあ、そうだろうな。
 古泉は音を立てないように天体観測セットを片付け始めた。
 ふと視線を向ければ、長門が棒立ちで天空に顔を向けていた。無表情なのは相変わらずなのだが、何かおかしいような気がした。
 
 
 さらに翌日。
 今度は釣りだった。
 県境の川で開催されるハゼ釣り大会に参加することとなったのである。
 よくもまあ、こう都合よくイベントが見つかるものだ。
 結局、ハゼは一匹しか釣れず、見たことのない小さな魚がエサをついばむばかりだったが、ハルヒの楽しみは投げ竿を振り回すことにあったみたいなのでぶーたれたりはしなかった。
 間違ってジョーズを釣り上げるよりはよっぽど有り難いことだと俺は安堵し、エサのゴカイを見るなり青くなって遠くに逃げた朝比奈さんの手作りサンドイッチを心置きなく喰っていた。
 
 
 それ以降もハルヒの目指すノルマ消化態勢は誰にもポーズボタンを押させない勢いで、俺たちは動きずくめだった。
 本物の花火大会にも行った。浜辺でやる尺玉打ち上げ花火。三人娘は再び浴衣に衣替えして、どんどこ打ち上がってはバンバン破砕する火炎の華を(長門はどうだか解らないが)堪能した。
 ハルヒは、まったく似ていないキャラ顔花火を指差して笑っていた。無駄に派手なことがハルヒは大好きなのだ。
 そういうときだけハルヒの笑顔には邪気の欠片もなく、年齢よりも幼い感じがして俺はひょいと目をそらした。見つめていたら俺が変なことを考えてしまいそうであったからだが、まあ、その変なことなんてのが何かは俺にも解らない。
 衣装は偉大であるって事だけ学習できた気分だ。
 
 また別の日は、バッティングセンターに繰り出した。
 ハルヒはいつぞや野球部からガメてきたデコボコバットでホームランを連発し、朝比奈さんはひたすらバントの練習をさせられていた。
 以前の草野球大会の出来事が尾を引いているようだった。来年も参加するつもりなのか、ひょっとして。
 
 
 今日は八月三十日、場所はいつもの喫茶店である。
 ハルヒの握ったボールペンがすべての行動予定にバツマークをつけていた。
 昨夜、わざわざ丑三つ時を選んで広大な墓地まで出向き、ろうそく片手に彷徨するという肝試しが最後のレクリエーションだ。
 幽霊が挨拶しに出てくることもなかったし、人魂がふらふら散歩していることもなく、朝比奈さんが無益に怯えているところくらいしか見るべき所もなかったね。
「これで課題は一通り終わったわね。うーん、こんなんでよかったのかしら。……でも、うん。こんなもんよね。ねえ、他に何かしたいことある?」
 すっかり疲れ果てていた俺は余計なことは口に出さず、他の三人はハルヒに意見するようなことはしない。
「まあいいわ。これで終了。明日は予備日に空けておいたけど、そのまま休みにしちゃっていいわ。また明後日、部室で会いましょう」
 ハルヒは席をたってそのまま自動ドアをくぐって行ってしまった。
 なんとなくダウナーだったような気がするが、これぐらいで古泉がアルバイトに駆り出されることはあるまい。さすがのあいつも残り少ない夏休みが名残惜しいのだろう。
「いやはや、明後日には学校ですか。いささか残念ですね」
 古泉は本当に残念がっているのか疑いたくなるような微笑を浮かべてそう言った。
「そうですね」
 朝比奈さんが相槌を打つ。
「さて、我々も行きますか」
 古泉が去り、朝比奈が軽く会釈をして去っていく。
 俺も伝票を手に取り席をたったが、長門だけは席に座り続けていた。
「長門」
 俺の声に、夏用セーラー服を着た有機ヒューマノイドが顔をあげる。
「…………」
 無言の無表情が俺を見つめ返す。拒絶することも受け入れることも知らない、無機の双眸が白い顔の上で開かれていた。
 変な感じに気になった。長門がノーエモーショナルなのはいつでもどこでもだが、具体的に指摘はできないものの最近の長門は何かおかしいものがあるように思ったのだ。
「いや……」
 呼び止めたのはいいが、よく考えたら言うべき言葉がないのに気付いて俺は少しばかり狼狽した。
「何でもないんだけどな。最近どうだ? 元気でやってるか?」
 なんてバカなことを訊いているんだ俺は。
 長門はパチリと瞬きをして、分度器で測らないと解らないくらいのうなずきを返した。
「元気」
「そりゃよかった」
「そう」
 ほんの少ししか動かないほぼ凝固顔が、変に緩んでいるような……いや逆か、ことさらに固まっているような……。なんでそんな矛盾する意見が出てくるのか俺にも解らん。人間の認識能力なんかそんなもんじゃないか? と言って逃げておこう。
 結局それきり言葉は続かず、俺は適当な別れの言葉を漏らすように言って、なぜか逃げるように長門から背を向けた。
 なんだか解らないがそうしたほうがいいように思えたからだった。そして、会計をすませ店を出て自転車に乗って家まで戻り、晩飯喰って風呂入ってテレビを観ているうちに寝た。
 
 
 八月三十一日深夜。
 俺は机に向かって夏休みの課題の山と格闘していた。
 ああ、そうさ。ハルヒに振り回されているうちにすっかり忘れていたのだ。
 俺は眠い目をこすりつつひたすらシャープペンを走らせ続けていた。
 ふと時計を見れば、まもなく日付が変わろうとしている。今夜は徹夜確実だ。
 何かを呪いたい気分で毒づいていると、突然、携帯電話が鳴り始めた。
 電話をするには非常識な時間であり、そんな常識を持っていないアホはハルヒくらいしか俺の周囲にはおらず、怒鳴りつけてやろうとして携帯電話のボタンを押した俺の耳に届いたのは、
『……ぅぅ(しくしくしく)……ぅぅぅぅ(しくしく)』
 女の泣き声であった。素晴らしくもゾっとした。これはヤバイ。聞いてはいけないものがかかってきた。
 いっておくけど、肝試しはとっく終わったぜ。延長戦はお断りだ。
 携帯電話を放り投げようとした一秒前に、
『キョンくーん……』
 嗚咽にまみれてはいたが、紛れもなく朝比奈さんの声がそう言った。
 さっきと違う意味でゾクリときた。
「もしもし、朝比奈さん?」
『あたしです……あああ、とても良くないことが……ひくっ……うく……このままじゃ……あ……
 
   ・
   ・
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   ・
 
 現在日時、8月31日23時59分。
 時間逆流開始予測時刻まで、あと50秒。
 記憶リセット防止措置開始。
 あと40秒。
 措置完了。
 あと20秒。
 思考プロセスの混乱回避のため、思考機能を半スリープモードに移行。
 あと10秒。
 移行完了。
 5、4、3、2、1……。
 時間流停止、時間逆流開始を確認。
 

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最終更新:2020年07月24日 15:24