言うやいなやテーブルの真ん中に、俺達の目線程の高さでホログラムの正六面体(つまり正確な立方体)が現れた。
 大きさは大体谷口の頭位で、『辺』が仄赤い光の『線』によって、『面』は薄いブルーで色付けされていた。
 藤原はそれを一瞥もせずに、
「これは縦、横、高さによる三次元の姿だが、現在の世界は、まずこのような次元体系によっては作られていない」
「どういうこった」
「それを今から説明すると言っている」
 ペン先を正六面体に向けて
「……次元というものがどのように変貌したのかを、今から九曜の作り出した立方体を用いて説明する。形というのは理論の塊だ。この正六面体の変化は、何が、どうなって、どうなったかを一瞬で表していく。しっかり見ておいて欲しい」
 すると正六面体からは赤い『線』が消え、次に『面』が全部下方へと落下し、中に入っていた『光』が拡散した。そして『面』が一枚浮き上がり、立ち上がった姿で停止し、
「これが現在の世界を形成している理論の元となる概念だ」
「つまり、今は二次元だけしか存在しないってのか?」
「いや、これは二次元じゃない。単位で表すなら一になる」
「だって面じゃないのか。一次元は線だろう」
「これは面とは違うんだ」
「じゃあ何だってんだ」
「正方形だ」
 ああ、なるほどね。屁理屈じゃねえか。 
「屁理屈なんかじゃない。が、理屈でもない」
 藤原はつぶさにテーブル上の正方形を指しながら、
「これは言わば『紙』のようなものだ。現在の世界は次元ではなく、これを基にした理論によって作られている」
「まさか、それこそが時間平面なのでしょうか? そして、この世界はそれが連なることによってつくられていると」
「当たらずとも遠からず、ってところか。これはまだ時間平面ではなく、その素体となる『平方時間体』だ。これを連続させることによって、僕たちの世界の姿が浮かび上がってくる」
 テーブル上の『正方形』が一枚二枚と並んで数を増やし、何百枚にもなったところで全てがピッタリとくっつき、立方体を作り出した。
「これが現在の世界の体系だ。これは一見すると三次元に見えるが、この姿は『平方時間体』の連続によって作り出されている、いわば紙が束ねられて出来ている『本』のようなものだ。僕たちはこれを平方時間連続理論……称して〈STC理論〉と呼んでいる。そして、この理論の元となる平方時間体は次元とは異なる全く新しい概念の形だ。そのため、STC理論は言葉だけでは理解が困難なんだ」
 ――なんかこの話、どっかで聞いたような気がするな……?
「そして『紙』に情報を与え、それを連続させることで現在の世界は作られている。これが時間平面理論であり、つまりこの世界はアニメーションのようなものだという話だよ。そして、アニメで主人公がトランプを引く場面があるとしよう。この場合、どんなカードを引き当てようとも、カードを引くまでの動作は変わらない。主人公がどのカードを引いたかというのが分岐点だ。この連続した情報のことをSTCデータ……この場合は、スクエアタイムチャプターデータの略称で呼んでいる」
 STC理論に、STCデータ…………。



 ――そうだ。四年前、二度目の時間遡行での七夕。あの時、長門が変えちまった世界について大人の朝比奈さんから説明を受けた時に出たワードだ。そのうち解る……それは、今だったのか。それに、
「なあ長門。お前は、世界がこんな姿になっちまってるってのを知ってたんじゃないか? 何で教えてくれなかったんだよ」
 話しかける俺に長門はなにやら訴える眼差しで、
「……情報統合思念体には次元の変容は認識出来なかった。何故なら、時間や空間の概念が殆ど意味を成さない情報統合思念体にとって元々次元構造は不可知の領域であり、知る必要もなかったから。しかし思念体は現在の時間連続体である世界は偽であると理解し、物理法則は公理的集合論によって形成されていると判断していた。それは涼宮ハルヒの情報操作能力が矛盾した理論であったために既存の物理法則が崩壊し、公理を成さなくなったものが発生したため。しかし、無矛盾な公理的集合論の中にいる我々はその矛盾を証明する術を持たず、また思念体の性質上、数学以外の数学を用いての説明も出来なかった」
「つまり?」
「事情により知らなかった」
 大変分かり易くてよろしい。だが、何で長門たちも解らなかったようなことを藤原は知っているんだ?
「TPDDの基礎理論の違いだよ」
 藤原は俺と朝比奈さんを交互に見やり、
「……STC理論によって成立する時間平面理論を基にした時間平面破壊装置とは違い、時量子理論という理論によって僕たちのTPDDは駆動していたからだ。ちなみにこの二つのTPDDの基礎理論は、同じ人物から生まれている」
「つまり、ハカセ君か」
「ああ。川に投げられた亀を見た少年は、水面に広がる波紋を見てSTC理論を、そして、流れる川を泳ぐ亀の姿によって時量子理論を生みだしていたんだ。が、そんなことはどうだっていい。今から話す上での重要なポイントは、世界人仮説によって判明した現在の矛盾の正体……時空改変能力と情報創造能力、そして時空の断裂と『朝比奈みくる』の正体だ」
 俺にとって亀の話は中々の衝撃的な出来事だが、
「確かに、それについて話を聞いた方が良さそうだな。時空の断裂以外が全く意味不明だ。時空改変能力と情報創造能力は別物だってのか? それに……」
 俺は困惑の表情を浮かべっぱなしの朝比奈さんを見て、
「……朝比奈さんが、何だってんだ」
「まず、先程の次元体系が壊れた理由だが、あれを壊したのは誰だと思う」
 相変わらず間髪入れずに話し出す藤原に、
「……涼宮さんでしょうね。そして、もしやそれが起こったのは……四年前では?」
 古泉が割り入ってくる。よし、後はまかせたぞ。藤原は古泉に頷くと、
「そう。簡単に言えば、四年前に涼宮ハルヒは時空間を固定してしまったんだ。時間と空間を、断続的な平面へとね。この能力こそが時空改変能力であり、佐々木も持っていた能力だ。そして時空の『面』が『平方時間体』となって世界を作り出した。が、このままでは世界は成立しない。九曜が作っている『平方時間体』を見てくれ」
 またもや正方形が現れ、
「これは僕たちの世界を構成していた『次元』ではない。しかし、STC理論で成立している現在も、以前と変わらない世界を維持している。それは、今まで世界を構成していた要素がなんらかの形で今も存在しているからなんだ。それがなんだか分かるか? 朝比奈みくる?」
「えう……その……」
 怯む朝比奈さんをよそに、古泉が、
「……かつて世界を維持していた法則は、時の流れを操り世界を思うがままにし、情報や質量を生み出す一つの『力』に統合された。つまり、これこそが情報創造能力の正体なのですね? そしてその力は涼宮さんに付加され、彼女が時空を歪ませている原因となった。時空改変能力と情報創造能力が別のものであるというのは、つまりそういうこと……。なるほど、創造する力とは別の力が時空の隙間に発生する閉鎖空間を作りだしているから、情報創造能力を持たない佐々木さんにも閉鎖空間が発生していたのですか」
「そうだ。そして、時空の断裂は簡単だ。世界が次元によるものとSTC理論によるものとに分断され、過去と未来で時空が変わってしまったために、二つの間に非可逆的過程が発生してしまったんだ。一つ付け加えるなら、僕たちのTPDDが現在使用不可であるように、時間平面破壊装置は次元の中では成り立たない」
「そりゃ何でなんだ? 別に時間平面を破壊しないだけじゃないのか?」
「時間平面破壊装置が動作しないのは、単純にエネルギーの問題だ」
「えっ? エネルギーですか? TPDDにその概念はなかったと思いますけど……」
 藤原はハァと溜息をつき、朝比奈さんを「うう」っと動揺させやがってこのやろう。
「僕たちのTPDDのエネルギー理論は永劫機関による無限のエネルギーが元で、時間平面破壊装置のエネルギー源は、情報創造能力によって生み出される無限のエネルギーだよ。次元にはその力が存在しないため、時間平面破壊装置は起動しないんだ」
 ……待て、そりゃおかしいぞ。
「じゃあ朝比奈さんたちのTPDDは、能力が発現する以前にはどうやって動いてたんだ?」
「えと、そのぅ……わたしは実際に過去に行って任務を行っていたわけではないので……よくわかりません」
 いやー藤原に言ってみたんですけどね。正直、朝比奈さんは良く分かってなさそうだったし。
 それに、藤原は朝比奈さんについてさっき言い含んでいたよな? やっぱり、朝比奈さんには何かあるんだろうか。
「朝比奈みくる側の未来人は、過去になど行っちゃいないさ」
 とんでもないことを言い出した。
「それより、まだ話しておくべきものがある。何故、僕たちは未来から時間平面破壊装置を使って現代まで来れたか分かるか? それは、僕たちの時間平面にも情報創造能力が存在しているからだ」
「……まさか、何百年もハルヒは生きてるのか?」
「それはない。情報創造能力は、涼宮ハルヒとは別の人物に移って存続しているということだが、それが誰なのかは不明だ。……これは相当危険な状況でもある」
 何故だ、とは言わんがな。勝手に喋り出すだろうしさ。
 という俺の予測どおりに、
「もし能力が勝手に消滅してしまえば、下手すると世界が崩壊する可能性がある。それにもし崩壊しなかったとして、能力発現以降と以前の世界が完全に分断されてしまうのは確かなんだ。こうなってしまっては、僕たちが過去に行けず、調整しなければならない歴史に干渉できなくなってしまう。だから、涼宮ハルヒの能力によって世界を調整した上で、能力を消す。つまり次元体系を元に戻さなければならないんだ」
「ああ、そうかい。大体今までの経緯は分かった。お前の話であと残ってるのは……」
 ――ここでキョドキョドしている朝比奈さんについてだ。
「僕の未来はちゃんとした物理法則に基づいて成立している。おかしいのは、STC理論が影響していて、不明の情報想像能力が存在するという点だけだ。これは全ての未来の次元自体が変容しているからしょうがない。そしてこちらの未来の場合、次元理論に戻ったとしても不都合は生じない。が、朝比奈みくるの未来は違う。物質に依存しない世界など物理法則的に有り得ない。それは、エネルギーが無限であるから成立するんだ。つまりこれは……」
 目を若干細めながら朝比奈さんを見つめ、
「――僕たちが正しい未来人の姿で、朝比奈みくるは《涼宮ハルヒが夢に見た虚像の未来人》だということだ。そうだろう? 朝比奈みくる。キミの未来はまだ理論的に色々不十分すぎる。だからは簡単な情報操作すら出来やしない。人型端末の情報操作能力は高次の理論であり、僕たちはそれに足る理論を持っているから、初歩的な情報操作なら造作もない。そして無意識概念集積体については解析が進んでいるため、それが作り出す位相空間にも干渉出来る。わかるか? キミは本来なら存在するはずのない未来人で、キミの規定事項は世界を崩壊させないようにしているだけの行動だ。キミの上層部は未来人の本質を理解しているから、例え自分たちが消える結果になろうとも僕たちに協力している……はずだったが、心の底は違ったのかも知れないな」
「そ、そんな……わたし……わたしは―――?」
 蒼白しながら茫然自失とする朝比奈さん。俺だって気持ちは分かる。突然知らされるには衝撃的過ぎる内容だ。だがな……
「……だからなんだってんだ」
「…………?」「……ふぇ?」
 一驚したように俺へと視線を向ける未来人二人に対し、
「それこそ、意味のないクダラン話だ。そりゃ、ただ家族の中で一人の里親が違っているだけのようなもんだろう。確かに正直ショックではある……でもそれだけじゃねえか。俺たちがこれからやることは何にも変わらん。あんたらの未来に縛られない、自分たちの未来を作っていくことにはな。それに、俺たちは仲間なんだ。たとえ誰にどんな事情があろうが、全部受け入れてやるさ」
 俺の言葉を受けた藤原はお手上げだといわんばかりのポーズを取り、
「……はっ。僕が言っているのは、その一人が家族を捨てて、自分の故郷に帰る道を選ぶかも知れないということだよ」
「…………わたしは、みんなと――」
 哀しそうな目で訴えてくる朝比奈さんに見つめられながら、俺は、この朝比奈さんならきっとSOS団と共に歩む道を選ぶであろうと感じた。
 少なくとも……大きい方ではなく、この朝比奈さんは。
「ふん……まあいい。とりあえず、僕が今回君たちに情報を渡したのは規定事項だ。それでなければ、わざわざここまで赴いてこんな席に着きはしない。が、佐々木。キミには言っておきたいことがある」
「なんだい?」
 微笑みかけながら応答する佐々木に、藤原は予想だにしない言葉をかけた。
「……今回の騒動についてはすまないと思っている。悪かった。僕個人としては、キミには同情すら覚えるよ」
「それは何故かな? 同情されるいわれはないと思うがね」
 あくまで明朗に答える佐々木に、
「……よく屈託もなくそんな言葉を吐けるな。キミは、涼宮ハルヒに彼を奪われたようなものじゃないか」
 佐々木は目をつぶってふるふると否定の動作をし、
「それは違うと思う。臆病なだけだったゆえの僕の責任を、彼女になすりつけようとはてんで思わないね。それに、むしろ涼宮さんは僕を助けてくれたんだと思っているよ」
「何故だ?」と藤原は言い、俺たちもそう思いながら佐々木に注視していると、佐々木はにこやかに、
「涼宮さんには、自分の願望を叶える力があると言っていたね。そしてきっと彼女は、僕と同じ悩みを抱いていて、それを解決したいと思っていたはずだ。そのおかげで、僕はその同じ悩みを解決出来たんだと思う。こんな出来事でも体験しなければ、僕はずっと自分の悩みにすら気付かなかっただろうからね。肝心の彼女がまだ悩みの中にいるのが、むしろ心苦しく思うよ。キョン。涼宮さんを救えるのは、キミだけだ」
 ……そうか。わからんが、もちろん助けるとも。
 しかし、それは俺だけじゃないぜ。長門も古泉も朝比奈さんも、みんなでハルヒを守ってく。それに佐々木、まだ閉鎖空間でのお前との話も済んじゃいないしな。俺は列席した皆に提言するように、
「……もうここらで解散にしないか? 大体みんな話は終わったよな。古泉、俺と佐々木は二人で話しておきたいことがあるから、先に朝比奈さんと長門を連れて帰っててくれ」
「ええ。では参りましょうか。橘さんと周防さんもご一緒に」
 スタスタと古泉に連れられて女性四人は席を去っていく。朝比奈さんは俺に深々とお辞儀をして、パタパタと駆けていった。……なんだかその集団、まるで古泉に騙された女性たちがこれからイカガワシイ場所へ連れて行かれているみたいだぞ。
 とか思っていると、未だに残っている余計なヤツが、
「ふん。もうこれで僕とキミが会うことはないだろう。僕の規定事項はこれで終わった。あとは、君たちの規定事項に従うことにする。僕は、君たちが正しい未来を導くように祈りでもしておくよ」
 じゃあ餞別がわりに一つ聞いておこうかと俺は、
「藤原。物質的なTPDDってのは、つまり俺たちが思い描くような分かり易いタイムマシンなんだろ? 一体そりゃあどんな形をしてるんだ? ひょっとして、アダムスキー型とか、ハマキ型だったり」
「キミの名前は……キョン太郎だったな。キミは浦島太郎でも読んでおくといい。あの御伽噺は時間遡行の話だ」
 ここには三本毛お化けの親戚じみた名前のヤツはいないはずだが、もしこれが俺に言われた言葉であれば、俺は藤原と相撲を取らなきゃならん。……つまり、張り手くらわすぞコノヤロウ。
 俺が藤原にビンタでもしてやろうかと考えていたとき、
「……そうだな、一つ教えといてやる。キミは鶴屋家の山である金属棒を拾ったはずだ。あれは僕たちのTPDDの中枢を成す部品でね。精神感応型独立回路制御装置という語感のもので、これは周防九曜などの人型端末を制御する際の髪飾りの材料になる物でもある。この金属棒の情報構成にはわずかな空白があるため、そこに情報を入力することで、人型端末を制御する媒体へと変化させるんだ。入力する情報は『花』の名前に圧縮され、花言葉の意味が金属棒には付加される」
 ここまで言うと藤原は肩をすくめ、
「まあ、あれは自意識を持つ端末に付けた所で効果は期待できない。能力は制限されるが、自分で髪飾りを取ってしまえるからな」
 背を向けて歩き出した藤原は、そう言いつつ手を振りながら店を去っていった。
 ……思えば、アイツの話は俺たちの助けになるような内容が多かった気がする。
 それに漠然とではあるが、長門や朝比奈さん、古泉たちが俺とのファーストコンタクトの時に語っていた、ハルヒについての見解がある意味で全員正しかった感じだ。しかし……




 なんだ? 何か、妙に引っかかるものがある。藤原の話を良く理解しているわけではないのだが、それでも、俺の頭の中で組み合わさらないものがある。とても重要な――――

「……解らんものを考えたってしょうがないな。なにかあるのなら、そのうち向こうからやってくるだろ」
 そう自分に言い聞かせながら、何故か……

 



 俺には、眼鏡を掛けた長門の顔が思い浮かんでいた。


第四章

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年03月11日 20:20