五月の風』 の続きです。

 

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『五月の風、ふたたび』

 

 

「うーん、相変わらず手厳しいですね」

別に厳しくなんかないぜ、古泉、お前が弱いだけだ。

いつもの放課後の文芸部室、いつものオセロ対決、いつもの ―俺の圧勝という― 結果、別段変わりない毎日。初夏を思わせるような五月の一日、宇宙人、未来人、超能力者と彼らの注目の的である団長様と共に、午後のティータイムをまったり過ごす俺って、いったい何者なんだろうね。

ほぼ黒一色になったオセロの駒を初期状態に戻しながら、静かに読書にふける有機アンドロイドの姿が目に入った。

「長門、自転車の調子はどうだ?」

読書中の分厚い本から目を上げた宇宙人は、問題ない、と言わんばかりの小さなうなずきを返してくれた。その瞬間、

「有希、自転車買ったの?」

ハルヒの声が響いて、俺はパンドラの箱を開けてしまったことを後悔することになった。

長門はハルヒの方に顔を向けると、

「買った」

と、ひと言だけ返し、その後、ゆっくりと俺の方に向き直ると、あきらかに非難の視線を送ってきた。

「ふーん、それはいいわね。うん、今週の不思議探索は、みんなで自転車で行くことにするわ」

「えっ!?」

「その方が探索範囲も広がるし、なによりサイクリングには気持ちいい季節だしね」

「いや、ハルヒ、あのなぁ……」

「じゃあ、みんな楽しみにしてるわ、今日は先に帰るから、じゃあねー」

団長様は、超ご機嫌な笑顔を振り撒きながら部室を出て行った。後に残された俺たちのこの少し重苦しい雰囲気はどうしてくれるのだ、ハルヒよ。

 

「いやぁ、流石は涼宮さんですね」

「言うことはそれだけか? 古泉」

「恒例の不思議探索もマンネリ化していましたからね。涼宮さんのおっしゃるように、自転車で走るのにいい季節であることは確かです」

まぁそうだ、前の日曜に、新車を買った長門と束の間のサイクリングを楽しんだが、確かに風が気持ちよかった。一緒に原っぱで食べたコンビニ弁当ですら、おいしく感じられたぐらいだし。

うーん、どうしたもんだろう、と思案しようとして、古泉と長門の視線が俺の背後に向けられているのに気づいた。そっと振り向いてみると、そこには、お盆を抱きかかえて、全身で困惑の表情を浮かべているSOS団専属メイドさんが立ちすくんでいた。

「あのぅ、キョンくん、私、自転車は持っていないんです、もちろん乗ったこともないんです」

そ、そうですか、あなたもですか……。うつむいて小柄な体をさらに小さくしている朝比奈さんは、見ているだけで気の毒なことこの上ない。

「未来には自転車はないんですか?」

「えっと、あのぅ、それは……、同じようなものはないんです」

どうやら未来には自転車はないらしい。それじゃ乗れないのも仕方はないな。

「ハルヒに言って、免除してもらうしかないですね」

と哀れな朝比奈さんに声をかけると、長門の声が静かに続いた。

「涼宮ハルヒに事情を話した場合、免除されるより、練習と称した特訓が開始される可能性が高いと思われる」

「ふええぇ」

「うーん、長門さんのおっしゃる通りかもしれないですね」

古泉は仕方ないといった笑みをこぼしている。

「そうだな」

自転車に乗れない朝比奈さんは、ハルヒの格好の獲物だ。自転車の練習とは何の関係もないコスプレまでさせられた上に、何度も転倒し傷だらけになった、いたいけな未来人の姿が脳裏に浮かんで妄想を、いや、涙を誘う……。

 

「わたし、練習します」

朝比奈さんは悲壮な声で決意表明した。

「わたしがんばります。だからキョンくん、乗り方コーチしてください」

なんと、長門に続いて朝比奈さんの自転車教室を始めることになるのか。

「でも、今週末の探索まで、あと3日しかないし、放課後しか時間が……」

しかも、放課後はSOS団の活動がある。これを放棄することはハルヒが許さないだろう。ひとしきり部室で過ごした後となると、本当に残された時間はわずかしかない。

「まず、自転車を買います。いったん帰ってお金持ってきますので、自転車屋さんを紹介してください」

「いや、いきなり買わなくても、俺の自転車で練習すれば……」

「いいんです。先に買ってしまって逃げ道がないようにしたいんです」

どこまでまじめで努力家なんだ、朝比奈さん。

「わかりました。じゃあ、あとで北口駅前に来てください。古泉と長門はどうする?」

「そうですね、よろしければご一緒させていただきます」

「協力は惜しまない」

 

急いで部室を後にした俺たちは、1時間後に北口駅で再会した。

朝比奈さんは、珍しくジーンズ姿に着替えていた。練習で転倒して破れてもいいように、古いやつを用意したそうだ。

古泉と長門と俺は自転車で来た。古泉の自転車は初めて見たが、高そうなロードレーサタイプだった。機関の支給品なのか。

「いえ、これは自前です。それに決して高級品でもないですよ」

そういう古泉は結構サマになっている。ふん、どうせ俺はママチャリが似合うのさ。

「じゃ、行きましょうか」

古泉の自転車には、当然荷台などというものは装備されていないので、朝比奈さんは俺か長門の後ろに乗ることになるのだが、やはり俺の後ろに乗ってもらうしかあるまい。いや、決して俺の背中に朝比奈さんが密着することを望んだからではない、といっておこう。

俺は、この前の長門のときとは異なる感触の記憶を背中にしっかりと焼きつけながら自転車屋を目指した。

 

朝比奈さんには電動アシストタイプが良いと考えていたが、やはり普通の自転車より重いし、予算的にも重いので、結局、長門が買ったものと色違い ―薄いピンクだ― で同じものを買うことになった。数日の間で2台も売り上げに貢献したんだから、といって、チェーンのロックだけおまけしてもらった。

 

五月も後半になると結構日も長くなっている。数日前長門が自転車の練習をした公園にやってきた俺たちは、もうすぐ夕焼けになりそうな空の下、朝比奈さんの自転車の練習を開始した。

「まずは、両足を地面に着けた状態で、地面を蹴って進んでみましょうか」

「はい」

朝比奈さんはおずおずと地面を蹴って進もうとするが、ペダルが邪魔で苦労している。本当は、ペダルをはずしてやった方がいいのだが。

「わたしの時と最初の教え方が異なる」

長門がポツリと言うので、

「お前と朝比奈さんでは、根本的に素質がかなり違うと思うぞ」

最初のひと乗りではド派手に転んだが、その後ほんの5分ほどでマスターした長門と目の前で苦労している朝比奈さんとでは、とてもじゃないが比較にはならない。

よいしょ、よいしょ、と地面を蹴って進んでいる朝比奈さんの姿を見ながら、俺は、昔、妹が補助輪をはずす為に練習していた時のことを思い出していた。ううむ、大人用の自転車につける補助輪なんて売ってないよなぁ、とか考えていた。

その時、古泉が提案した。

「僕が支えますので、一度、ペダルをこいで進んでみますか?」

「えっと、はい。お願いします」

古泉は朝比奈さんの自転車の後ろにまわって、荷台を両手で支えながら、

「ハンドルをしっかりと持って、ペダルを踏み込んでください」

「はい、行きます」

というと、朝比奈さんはゆっくりと進みだした。古泉は荷台を押しながら朝比奈さんの進む速さにあわせて走り出した。

「そうです、その調子です、まっすぐ前を見て」

数メートル進んで少しスピードが乗ったところで、古泉が手を離した。その途端、朝比奈さんは、きゃああぁ、と言う悲鳴とともに砂煙をあげて地面に倒れこんだ。

「大丈夫ですか」

あわてて走り寄る古泉と俺に向かって、

「だ、大丈夫です、これぐらい」

と涙目でつぶやく朝比奈さん。大丈夫じゃないです、もうジーンズに穴が開いているじゃないですか。

その後も頑張り屋の朝比奈さんは、何度も転びつつ練習を続けていたが、さすがに日が落ちて暗くなってきたので、今日は終わることにした。

「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」

と言い残して、買ったばかりなのに傷ついた自転車を押しながら、肩を落として帰っていく朝比奈さんの後姿が夕闇にかすんでいく。明日もがんばりましょうね、朝比奈さん。

 

 

翌日の放課後も、いつものように全員が部室に集合して、変わり映えのしない時間を過ごしていたが、朝比奈さんの練習のためなのか、長門がいつもより早めに本を閉じて帰宅のきっかけを作ってくれた。

一度帰って、かばんを玄関に放り込んで、俺はいつもの公園に急いだ。公園にはすでに長門がきていて、ベンチで本を読んでいた。

「よお、早いな」

「自転車だと便利で早い」

「そりゃ、歩くよりかはな。でも、お前なら、テレポーテーションもできるんじゃないの?」

「残念ながら、物質の瞬間移動は決して容易ではない。言語で説明するのは非常に困難だが、理論的には……」

「いいよ、冗談だ」

俺は長門の説明をさえぎった。どんなに噛み砕いて説明してくれても、俺にわかるはずがない。長門は少し残念そうな表情だった。ひょっとして説明したかったのか?

やがて古泉が、最後に朝比奈さんが自転車を押してやってきた。

 

その日は坂道を惰性で下りながら、ハンドルでバランスを取る練習をしたり、俺と古泉が荷台を支えながら走ったりと、やはり暗くなるまで過ごしたが、朝比奈さんのきれいな肌に傷痕と涙のあとを増やしただけだった。

練習している間に長門が自転車を走らせて買ってきてくれたペットボトルのお茶を飲みながら、明日こそは、と誓いも新たに俺たちは家路についた。

 

 

金曜日の放課後。今日も長門が早めに本を閉じてくれて、練習時間を稼いでくれた。

ハイキングコースの坂道を下りきって、

「じゃ、明日は10時に北口前、自転車で来るのよ」

と言うハルヒを見送った後、残りの団員は今日も公園に集合した。

 

この二日間の練習で、朝比奈さんはかなりいい線まで来ていたが、まだ5メートルも走れなかった。古泉に荷台を支えてもらって走っている朝比奈さんの姿を眺めながら、俺は隣にたたずむ長門に話しかけた。

「もうちょっとなんだけどな」

「これほど苦労するとは想定外だった」

「まぁな。最後の一押し、お前の力で手助けできないか?」

「ここまで練習したのだから、最後まで自力でやるべき。手助けは不要」

「うん、そうだな、長門」

「そう」

厳しいようだが、長門なりの愛情なのだろう。じっと練習を見つめる長門も、無意識のうちに、握りこぶしに力が入っているようだった。

 

「よし、古泉、交代しよう」

「お願いします」

走り続けて少しバテ気味だった古泉と交代して、俺は朝比奈さんの自転車の荷台を支えた。

「朝比奈さん、行きますよ。ちょっと遠くの方、行きたい方向を見て、ぐっとペダルを踏み続けるんです」

「はい」

「せーの!」

俺は、荷台を軽く押しながら走り始めた。最初の頃より、かなりバランスがよくなっているのがわかる。10メートルほど走ったところで、俺はそっと手を離してみた。

「そう、その調子! 前へ前へ!」

そう叫びながら、俺は朝比奈さんの後ろを走り続けた。朝比奈さんはまだ俺が支えていると思っているのだろう、

「キョンくん、どうですかぁ、うまく行ってますよね」

とか言いながら、ひたすらペダルをこいでいる。俺は走る速度を緩め、

「朝比奈さーん、ほら、乗れてますよー、走ってますよー」

と、支えなしで走って行く朝比奈さんの後姿に叫びかけた。

「きゃあぁぁ、やったー、のれましたぁぁぁー」

まだ曲がることもできず、ひたすらまっすぐ遠ざかって行く朝比奈さんの声が、公園に響いていた。

 

こうして朝比奈さんも自転車をマスターした。

「ありがとうございます、本当にみなさんのおかげですぅ」

と泣きじゃくる朝比奈さんの姿を、目を細めて見つめる長門のやさしげな無表情が印象に残る夕暮れだった。

 

 

土曜日、天気予報どおりに快晴、五月晴れ。今日も汗ばむ陽気になるそうだ。すでに集合時間ギリギリになりそうな俺は、陽気の汗と冷や汗を右手でぬぐいながら自転車を飛ばして、北口駅前へと急いだ。

 

「相変わらず、おっそいわねー、キョン!」

「集合時間には間に合っているんだがなぁ」

「言い訳はしないの! でも今日は気分がいいから奢りは免除してあげる」

なにぃ、何だって!? 奢りなしだって! せっかくの快晴なのに雨でも降り出さなければ良いんだが。

ハルヒは今日の天気と同じぐらいの笑顔で腰に手を当てて仁王立ちしている。後ろに控える古泉は、そんなハルヒの姿を見つめつつニヤケ笑いだし、朝比奈さんは疲れた表情で力なく微笑んでいるし、長門はいつものように無表情だった。

「じゃ、行くわよ」

「行くわよって、ハルヒ、自転車は?」

その時気づいたんだが、見たことの有るロードレーサーと、白とピンクのおそろいのママチャリ以外の自転車がないのはどういうことだ。

「ん、あたし? なぜかね、家を出たとたんにパンクしたのよ。だから、キョン、よろしく!」

「よろしくって、二人乗りは道路交通法違反だ」

「みんなやってるわ、気にしないの、些細なことは」

確かに、ここ数日のうちにも、俺は長門と朝比奈さんを乗せたことはあるわけで、それ以上反論することはできなかった。

 

「きっと涼宮さんは、あなたと一緒に乗りたかったんですね、だからパンクを」

「そんな都合よくパンクなんか……」

「するんですよ、なにしろ涼宮さんですから」

古泉のわけのわからない解説を聞いていると、ハルヒがやってきた。

「ほらほら、何話してんの、あっちの二人は準備OKよ」

朝比奈さんと長門は、おそろいの自転車にまたがって、こっちを見つめていた。朝比奈さんは車輪に巻き込んでしまわないか心配になるようなふわーっとしたスカートで、長門は、今日は制服ではなくてスリムなジーンズ姿だった。どんな状況でも絵になる二人だ。すばらしい。

 

古泉が自分の自転車に向かうと入れ替わりに、ハルヒが俺の後ろにやってきた。

「ほら、乗るわよ」

そう言うとハルヒは、荷台のところにすっくと立ち乗りし、俺の両肩に手を置いた。一瞬、横のりして俺の背中に巻きつくことを想像したが、さすがにハルヒは横のりなどという、やわな乗り方はしなかった。どうせならハルヒにも巻きついてもらえれば、3人分の感触を背中に感じることができたんだが、残念。

「用意はいい? じゃ、キョン、発進っ!」

ハルヒは、俺の頭の上で大声を上げて遠くを指差していた。

おい、俺は騎馬戦の馬じゃないぜ。

「つべこべ言わない。そっちの3人もついてきなさーい!」

俺はハルヒの指差す方向に向かって、あとから3人が付いてくるのを感じながら、ペダルを踏み出した。

 

「ねぇ、キョン」

少し走ったところで、肩越しにハルヒが話しかけてきた。

「あんた、有希とみくるちゃんと一緒に自転車買いにいったでしょ?」

「ん、いや、自転車屋を紹介してくれって言われてだな……」

実際、自転車を買っただけでなく、乗れるように練習にも付き合った訳だが、こちらから切り出す必要はあるまい。

「ふーん、じゃあ、あたしの自転車のパンク修理にも付き合ってよね」

「あ、あぁ、わかったよ」

「じゃあ、明日も10時ね、遅れたら罰金だから」

やれやれ、またあの自転車屋か、と思いつつも、走る速さに合わせて風を感じながら明日もいい天気だろうな、と想いを巡らした。

「なぁハルヒ、パンク修理終わったら、どこか行くか、自転車で」

「えっ!?」

「気持ちいいぞ、きっと」

そう言って後ろを見上げると、抜けるような青空を背景に、黒髪と黄色のカチューシャを風になびかせて、満面の笑みを浮かべるハルヒがいた。

その快晴の笑顔も、心地よい五月の風も、俺を上々の気分にさせてくれるのに十分だった。

 

 

Fin.

 

 

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『五月の風、ふぁいなる』に続きます


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