高校生活ももう三年目に入ってしまった。受験シーズンはまだだけど、僕は相変わらず文系科目が苦手で、
こうしてここで英語の長文読解問題に悪戦苦闘してるところで…
あ、申し遅れました。国木田です。キョンと違って頭の中でモノローグを流すのは初めてだから…
えっと、そうだ。『ここ』っていうのがどこかって言うと、僕の志望する大学の図書館。
学生以外も利用できるから、モチベーションと集中力を保つ為にここで勉強しているんだ。
ダメだなぁ、こうやって自分が置かれている状況の描写さえスムーズにできないなんてね。
でもこれ、意外と僕の弱点克服に役立つかもしれない。
一年の時は散々だったキョンの現代文の成績がめきめき上がってるのは、
こんな感じでいつも頭の中で物語調の語りをしてるからだって本人が言ってたしね。ちょっと変な奴だよ。
っていうか僕は涼宮さんの教鞭のお陰だと思うけどなぁ…あの二人、いつになったら付き合うんだろう。
佐々木さんの時といい、キョンはほんとに鈍いからなぁ。
ダメダメ、集中しないと。えと…んー。やっぱり英語は難しいや。
単語や文法事項は塾で叩き込まれたから覚えてるんだけど、文の構成を読み取る能力が致命的に足りないみたいだ。
僕も涼宮さんに教えてもらおうかな。キョンに怒られちゃうかな…
ダメだっ、集中切れちゃった。ちょっと休憩しよう。
ずっと机に向かってると肩がこるしね。うぅー…ん…あ。
「…ありゃ?」
えっと…
「どっかで見た事あると思ったら国木田くんじゃないかっ。久しぶりだねっ」
伸びをしてふと前をみたら、鶴屋さんがテンションは高校時代そのまま、
ボリュームを落とした声で語りかけてきた。び、びっくりした…
思わず固まっちゃったよ。
気を取り直して話しかけてみよう。
鶴屋さんはここに進学してたんですね。知りませんでしたよ。
「そうだよっ。あたしも去年の今頃はここに来て勉強してたなぁっ。
精神と時の部屋みたいだよねっ。静かでさっ。知ってるかな?」
ご、ごめんなさい、分からないや…。
それより鶴屋さ「そっかぁ。ジェネレーションギャップってやつだね。いやぁ若くてうらやましいよっ」
一年しか違わないじゃないですか…あの、眼鏡…かけてますね。
「そうなんだよっ。
受験期に視力落ちちゃってさっ、でもあたしは目に異物入れるのがやだから眼鏡にしたんだっ。
どうかなっ?」
異物って、コンタクトのことかな。結構繊細なんだ…あははっ。ちょっと意外かも。
「何笑ってんのっ?そんなに変かな眼鏡」
い、いえ何でもないですよ。似合ってると…思います。
目を合わせられない。こういう時、あの古泉って人がちょっと羨ましくなる。
「へへっ、ありがとっ。いいねぇなんかその反応♪
こないだキョンくんに会ったときに同じこと言われたんだけど、
キョンくんは乙女心がわかってるよーでわかってないからねぇ」
言って鶴屋さんはいたずらっぽく笑う。眼鏡をかけた大人びた顔と、
子供っぽい仕草にちょっとくらっと…
わわ、そんな事考えてる場合じゃないんだ。僕には受験がっ!
「どうしたの?顔が赤いけどっ」
な、何でもないですっ。
「そうかい、ならいいけどっ」
ふぅ…この人と喋ると心拍数が上がるなぁ。
気を紛らわそうとテキストに目を落とす。ん、これは関係代名詞のthat?
それとも接続詞?あれどうやって見分けるんだっけ…
沈黙を破ったのは鶴屋さんだった。
「じゃあたしはそろそろいこっかな」
え…そ、そうですか…
あれ?
顔を上げてみると、行こうかなと言いながら席を立ってるわけでもなくほお杖ついて僕を見ている鶴屋さん。
彼女の顔が、いたずらっぽい笑み-あの顔は危険だ-に変わる前に僕は目を伏せた。
「ふふっ、嘘だっ。国木田くん、お姉さんが英語教えてあげよう」
ほ、ホントですか?でも何か予定があるんじゃ…
これ以上鶴屋さんと話すと何だか色々ダメになりそうな気がする。
でもさっき鶴屋さんがそろそろ行くと言った時僕は…
「大丈夫っさ。なんもないよっ。さっき国木田くん頭抱えてうなったり、
かと思えば一人でほほえんだりしてて顔上げて君だって気付くまで変態だと思ったからねっ。
よっぽど英語に苦戦してるんじゃないかい?」
う…そっか。見られてたんだ。すごく恥ずかしいや。
うん、決めた。一人じゃはかどりそうもないし、…まぁ色々他にも理由があるし、お言葉に甘えようかな。
「それにあたしが帰るって言ったらちょっと残念そうだったしねっ」
ニヤニヤしながら僕の心を読む鶴屋さん。何も言い返せなかった。
じゃ、じゃあお願いします。
テキストを横向きにして、鶴屋さんにも見えるようにする。
ってあれ?
「それじゃやりづらいでしょっ。よいしょっ」
えっと、鶴屋さんが隣に座ってきた。落ち着かないよ…
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みんなから飄々としてるって言われる僕だけど、鶴屋さんの前では違う人格が現れるみたいだ。
よく考えれば二人きりでこんな風に話すのは初めてだし、鶴屋さんは僕が訳を間違うたびにその…
頬をつついてきたりして…
僕の心拍数は上がりっぱなしだった。
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気付けばもう6時だ。閉館時間まではまだあるけど、家に帰らないといけないなぁ。
母さんがご飯を用意してくれているだろうし、女の子…鶴屋さんもいるし。
「そろそろ帰ろっか。文章一個訳せたしねっ。コツはわかったかい?」
フィーリングですよね。
「そうっさ。漱石さんがI love youをあなたといると月が綺麗だーなんて訳したのは知ってるかい?」
知りませんでした。
いきなりあいらぶゆーだなんて、ちょっと…いやかなりドキッとした。
鶴屋さんの教え方はホントに抽象的なんだけどわかりやすくて、
優しいんだけど厳しくて、僕はまた教えてほしいなぁ、なんて思ってしまう。
教えてほしい。鶴屋さんの事も。ってあれ…ダメダメ!何考えてるんだろ…
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帰り道は途中まで一緒だったので、僕は鶴屋さんに心臓の音がバレないように靴を鳴らして歩いた。
頭上には月明かり。
鶴屋さんのフィーリングトランスレーション法に影響されてちょっと詩人になった気分だ。
ふと横を見ると、青白い光に照らされた彼女の横顔が目に入る。
その顔がこちらに向く前にまた前を向く。この動作、何回繰り返したかな。
前方に見覚えのある大きい門が見えてきた。ここでお別れかぁ。また図書館に行けば、会えるかな…
「んじゃ国木田くんっ、がんばるんだよっ!」
手を振って、門の中へ行ってしまう…待って。待って!
「…むむっ?」
再びこちらに戻って来てくれた。衝動的に呼んじゃったけど…どうしよう。
頭の中で、葛藤する声が聞こえる。言ってしまえ、いや言うな。
「…?」
不思議そうな顔で、鶴屋さんが僕の顔を覗き込んでくる。
「つ、鶴屋さん」
「なんだいっ?」
「あなたといると…っ月が綺麗ですっ」
言ってしまったっ!恥ずかしくて足が動かない…今すぐ逃げ出したいのに。
明日からあの図書館には行けないや…どこで勉強しよう。
と考えている僕の頭に、ぽふっ、と掌が乗せられた。
「よくできましたっ」
顔を上げる。月明かりに、彼女の赤い顔が浮かぶ。
「来年まで、デートは図書館ばっかりになるねっ。でも今は我慢だっ!んじゃおやすみ!またね!」
…さらっと爆弾発言を残し、今度こそ門に入っていく。
今のは…えっとオッケーってことなのかな?んんん?うーん…
立ち尽くして考えてもわからない。
…やっぱり僕は文系科目、ダメだ。明日も図書館で勉強しよう。
おしまい