『五月の風』

 

 

ん……なんだぁ、誰だぁ、日曜の朝っぱらから電話してくるやつはぁ。

俺は布団のなかでまどろみながら、うなりを上げる携帯を枕元から引き寄せた。

今日はのんびりと昼まで寝てやろうと気合を入れていたのに、そんな俺のささやかな願いを踏みにじる奴は誰なんだよ、と、考えたところで、全身に電気が走った。そんなことする奴で思い当たるのは約1名。やばい、急いで出ないと、俺の財布がまた悲鳴を上げる。

心地よい眠りからいきなり120%覚醒した俺は、携帯の画面を確認した。

 

『長門有希』

 

あれ、ハルヒじゃない。ハルヒじゃないのは朗報だが、こんな時間に長門から電話があるのは、それはそれで何かよくないことが起こった可能性が高い。俺は、覚悟を決めて電話に出た。

はい、

「……買い物に付き合って欲しい」

出だしの三点リーダで誰なのかはわかるが、まずは名乗れ、長門。

「……長門有希。今日、買い物に付き合って欲しい」

いや、だからと言っていまさら名乗る必要はないが、何だって? 買い物?

「そう。10時にいつもの公園に来て欲しい」

ちょっと待て……突然言われてもだなぁ……、

「今日は予定はないはず。昨日そう話していた」

あぁ、そういえば昨日の不思議探索のときに、そんなことを言っていたかも知れないが……、

「是非、一緒に」

わかったよ、確かに今日は暇だ。付き合ってやる。

「ありがとう」

ところで、何を買うんだ? 観葉植物か?

「今、97分。とにかく来て」

わかったよ、わかった。で、どこに行けばいいんだっけ?

「いつもの公園。10時」

あぁ、わかっ、

プツン、プープープー……。

切れた。

俺はしばらく携帯の画面を見つめたまま固まってしまった。買い物行くから付き合えって? 何だよ、長門までハルヒみたいなことしやがる。観察し続けると観察対象に似てしまうのかよ、まったく。

 

50分あれば、まぁ余裕だな、と思って用意しているうちに、あっと言う間に時間が迫り、結局、愛車のママチャリで全力疾走することになってしまった。

やがて、いつもの公園のベンチに制服姿の長門を見つけ、俺はその前で急停止した。

「……す、すまん、少し遅れた……」

211秒オーバー。許容範囲内。気にしないで」

俺は自転車を降りて、スタンドを立てかけた。

「で、と、今日の買い物はなんだ?」

「自転車」

「はい?」

「自転車が欲しい。SOS団で自転車を愛用しているのはあなただけ。なじみのお店を紹介して欲しい」

「なぜに、今になって自転車を……」

「自転車がないと何かと不便であることがわかった」

「最近になってわかったのか」

「そう」

「まぁ、いいけど。それより、自転車乗れるのか?」

「……」

無表情という厚い大地に覆われたその下から、「失念」、の二文字が浮かび上がった気がした。

「乗ったことはない。難しい?」

「コツさえ押さえれば簡単だが。一度乗ってみるか?」

俺は乗ってきたマイチャリのサドルの位置を下げながら、簡単にブレーキだとかペダルだとかの説明をした。

「要はバランスだ。お前なら、大丈夫だろ」

長門は俺の隣にやってきて、自転車のハンドルを持ってブレーキレバーを握ったりしている。

「ハンドルでバランスを取りながら、後は両足でペダルを力強くこいでいると自然に進むはずだ」

「理解した。やってみる」

おい、ほんとに大丈夫なのか? と俺が言う前に、長門は両手でハンドルを持って2,3歩前に進んだ。そういえば、制服のその短いスカートで自転車に乗るのはちょっと目のやり場に困るなぁ、などと考える俺の前で、長門はおもむろに右足を後ろに大きく振り上げながら、サドルにまたがった。一瞬、スカートの影に白いモノが見えたような気がしてドキリとした。

「こらこらこら、スカートでその乗り方はするな」

「……」

「こう、前からだな、そっと座るんだ」

俺の説明に小さくうなずく長門。今の乗り方をすると俺の位置から何が見えるのかに気づいたのか、白い頬が少し赤くなったようだった。

 

サドルを下げていたおかげで、自転車にまたがっていても両足の先が余裕で地面についていた。一呼吸おいた長門は、少し体を前に倒しながら、まず、右足をペダルに乗せ、次に地面に置いていた左足もペダルに乗せて、一瞬、その体勢でまっすぐ静止した。その直後、右足の動きがわからないほど高速かつ激しく踏み込んだかと思うと、ズザーッと激しく地面を削る音と共に、長門はサドルに座ったままの姿勢で右側へ倒れこんだ。何が起こったんだ?

「だ、だ、大丈夫か?」

倒れこんだ長門は、下敷きになった自転車の下からずるずると這い出してきて、スカートに付いた砂埃を払っている。

「痛い……でも大丈夫」

どうやら、あまりに強く右足でペダルを踏み込んだために、後輪は地面の上で溝を掘るぐらいの勢いで空回りし、しかもバランスを崩して右側に倒れてしまったようだ。

「踏み込む力が強すぎたようだな」

「あなたがそうするように言った」

「過ぎたるは及ばざるが如しだ」

「大は小を兼ねる」

「今回は兼ねない」

「……了解した」

 

倒れた自転車を起こし、長門にハンドルを渡しながら、

「難しいか?」

「なんとなくわかった。次は大丈夫」

そう言って今度はちゃんと前から自転車にまたがった長門は、ゆっくりとペダルを漕ぎ出した。足の動きはスムーズだったが、ハンドルがフラフラで、大きく蛇行しながら、最後には花壇の縁石にぶつかってしまった。さすがに倒れることはなかったが、チューリップ畑に踏み込んでしまった。

「おい、大丈夫か、怪我はないか?」

「わたしは大丈夫だが、チューリップに申し訳ないことをした……」

きれいに咲いていた白いチューリップが2本折れていた。仕方ないので折れたやつを直接地面に挿して立てかけてごまかしておいた。すまん、チューリップよ。

 

その後、何度か危ない場面もあったが、さすがは情報統合思念体が誇る我らが有機アンドロイドは、いまや完璧に俺の自転車を乗りこなしている。公園の中をぐるぐる回っているが、なんだかすごく楽しそうに見えるのは俺の気のせいではあるまい。

「さすがだな、長門。完璧だ」

「もう問題はない。指導、感謝する」

「俺は別になにもしてないさ」

「では、わたしの自転車を買いに行く」

「オッケー、じゃ、俺が前に乗るから、長門、交代だ」

「……わたしが前でも大丈夫」

「いいんだよ、こういう時は、女の子が後ろに乗るもんだ」

「わかった」

「一応言っとくが、またがって乗るなよ、横乗りの方がいい」

「なぜ? 横乗りは安定しない」

「俺の気分が安定する」

長門は、わずかに首を傾げて納得できない様子だったが、結局、横乗りする事に同意してくれた。荷台に横向きに腰掛けると、俺のお腹辺りに細い腕を回して、背中にぴたっと寄り添った。

「行くか」

 

10分ほどで、いつもパンク修理とかでお世話になっている、なじみの自転車屋に到着した。店の中には、さまざまなタイプの自転車がディスプレイされている。少し狭い通路をゆっくりと自転車を確認しながら進む長門の後を歩きながら、俺も長門向けの自転車を物色していた。

このあたりはアップダウンが多いから、非力な朝比奈さんだったら少々高価でも電動アシストタイプを勧めるのだが、長門ならその必要もないだろう。マウンテンバイクとか意外に似合いそうな気もしたんだが、結局のところ、俺のチャリと似た形のごく普通のママチャリを選択した。

「色はどうされますか」

店員の問いかけに、長門は、

「白」

と一言で答えた。

「少々お待ちください」

奥の倉庫の方に入って行く店員を見送りながら、

「白、好きなのか?」

「雪の色」

長門は振り返りながら、やはり短く答えた。

雪の色は有希の色か。俺はなんとなく納得した。

 

その後、防犯登録やら保険やらの手続きと支払いを済ませて、店を出たのは、もう昼前だった。

「せっかくだから試運転と行くか?」

新車のハンドルを持ちながら俺の方を見上げる長門の澄んだ黒い瞳が、きらりと輝いた。

「いい天気だし、どこかの原っぱにでも出かけて昼飯でも食おう」

と言うと、小さく頷いた長門の瞳の輝きがさらに増したように感じられた。

近くのコンビニで仕入れた弁当とお茶を前かごに入れると、俺たちは少し高台の公園を目指して、自転車を飛ばした。

 

五月のさわやかな風を受けながら、ショートカットの髪をわずかになびかせて、颯爽とピカピカの白い自転車を飛ばす長門の制服姿が、新緑の木々を背景にくっきりと浮かび上がっている。

「長門―、風が気持ちいいなぁ」

「……」

振り向いた長門は、瞬間、軽く微笑んだように見えた。そして、いきなりスピードを上げて走り出した。

「おい、ちょ、ちょっと待て」

あっという間に小さくなる長門の後姿を追いかけながら、長門とサイクリングに行くなら電動アシスト自転車が必須だと思い知らされた俺は、立ちこぎの全身で五月の風を感じていた。

 

Fin.

 

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五月の風、ふたたび』 に続きます。


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