高校生活二度目の夏休みを間近に控えたある日のことだ。
 この日、文化祭映画第二弾『長門ユキの逆襲 Episode 00』撮影に向けた打ち合わせを終えたSOS団の面々の中、俺とハルヒだけが部室に残っていた。
 帰り支度をするハルヒは、夏服セーラーの襟元を煽ぎながら、
「かー、あっついわねえ。あたしたまに思うんだけど太陽って意思持ってんじゃないかしら? んで地球を一方的に恨んでんのよ。夏が暑いのは太陽の逆恨みのせいね」
 じゃあ冬はどうなんだよ。
「一年中怒りっぱなしじゃ疲れるじゃない? だから秋と冬にクールダウンすんのよ」
 一年中妙ちきりんなオーラを四方八方に放射し続けているどこぞの団長様と比べりゃいくらか理性的かもしれんなそりゃ。
 などとすっかり慣例化した無意味漫才を展開しつつ、俺とハルヒは部室を出て、昇降口から黄昏の陽が燦爛と輝く屋外へ出た。
 ハルヒは額に手の甲を当てつつ、
「古泉くんたち、先に帰しちゃったけど大丈夫だったかしら? これで日射病になったりしてたらあたしの責任だわ。特に有希なんか病弱だし心配」
 長門なら余裕で団員中最強の耐性を持ってるはずだが、二度ダウンしたところを目の当たりにしたからか、ハルヒの中じゃすっかり病弱キャラで定着してるらしい。
 まあ確かに、あいつはあいつで丈夫ってわけでもないっちゃ、ないが。
「古泉がついてたし大丈夫だろ」
 何かあったとき朝比奈さんや長門を助ける役割を譲っちまうのは業腹ってものだが。

 ほんの二日ばかり前に気象庁が梅雨明けを発表したとたん、やれ一斉放射だ待ってましたとばかりに太陽は己が熱量を大地へ放射し、二年連続の猛暑へ早くも順調な滑り出しを見せている。
 見せなくてもいいのに。
「あー、雨でも降んないかしらねえ。こうパアーッっと」
 両手を広げて息巻くハルヒに、
「雲なんかほとんど見えねえじゃんか。天気予報じゃ降水確率10%だったしムリだろ」
 冷静な見解を述べる俺。
 正門を出る頃、俺たちはそのようなやりとりをしていた。

 の、だが――、
「ちょっとキョン! どうなってんのよこれ!」
「知るか! とにかく走れ!」
 二分後、俺たちは坂の下へ猛然たるロケットダッシュを敢行していた。
 降ったのである。夕立が。それもちょっとありえんくらいにデカいのが。
「ハルヒ! コンビニまでダッシュだ! 安全地帯はすぐそこだ!」
「解ってるわよ! うっさいわね!」
 そう言うやハルヒはカモシカも瞠若する速度で俺の前に出て、そのままグングン突っ走る。やれやれ、さすがは体育10だ。

 坂の下に一軒だけあるコンビニにはビニール傘が売っているはずで、折り畳み傘を持ち合わせていない俺もハルヒもなんとか防護武装を整えられるはずだったのだが。
「はあ!? 閉店ですって? 何考えてんのよもう!」
 ドッグレースの競争犬のように息荒くシャッターを叩くハルヒ。俺も幾ばくか同情したい心境である。
 コンビニは張り紙と共にシャッターを下ろして閉店していた。不況の煽りだろうか。格差社会とか言われて久しいもんなあ。
 ああ、帰りに買い食いできる数少ないスポットだったんだが。ここ。
「傘、買えないじゃない」
「買ったところで、この雨じゃ役に立ったか解らんけどな」
 俺は散弾銃のような雨粒降り注ぐ空を仰いで言った。今や雷まで轟く始末だった。
 ……あ、どっかに落ちた。
 ハルヒは腕組みすると嘆息して、
「しょうがない、雨宿りね」

 樹齢一万年の大樹のごとき逞しさで、突如発生した雲母はみるみる体積を増した。
 ところどころ天気雨になっているらしく、雲の切れ間からは夕映えの空が青から橙にグラデーションして見えた。風流だな。
「あー、さっぶ」
 ハルヒの声がしたので、俺は顔を横向けた。人のこと言えないが思いっきり濡れ鼠である。雨露でセーラーが肌に張り付いて際どいところが――、
「どこ見てんのよバカ!」
 平手を食らった。別に見たくて見たわけじゃねえやい。
「キョン、タオルか何か持ってないの?」
「ねえよ。あったら使ってるわい。つうか、この分じゃ鞄の中もぐしゃぐしゃかもしれんな」
 するとハルヒは俺そっくりの仕草で肩をすくめて、
「もう使えないったらないわね。念のため訊いてあげるけど折りたたみ傘もないんでしょ? どうせ。だからあんたはいつまでもヒラなのよ。雪の中主君のために草鞋温めてた秀吉を見習いなさいよ」
 こじつけもいいとこである。突然の雨に傘用意してないだけでヒラだってんなら、今頃この地方のサラリーマンは誰彼問わず軒並み平社員に降格である。
 ハルヒはくしゃみをひとつして、
「気象予報士も何やってんのかしら。ちゃんと予告してくれたら傘持ってきたのにさ。今すぐ国家資格を剥奪すべきね」
 パドック予想を一回外したくらいで資格取られたらこの世に気象予報士はいなくなっちまうだろうが。

 そのようにして延々ボケとツッコミを繰り返すも、なかなか雨は上がらなかった。ついでに雷がわりと近場に落ちて、俺たちは肝を潰した。
 雨がコンビニの庇を叩く音をBGMに、またハルヒの声がする。
「ねえキョン。あんた、小さい頃何か怖いものとかなかった?」
「急に何だ? オフクロに頼まれたお使いの金を使い込んで叱られるのに恐々とした覚えならあるが」
「さすがキョンね。その的を射ないところ。普通幽霊とか超常現象とか、そういうものに対するトラウマを語るでしょうが、ここは」
 五十歩百歩だと思うのは気のせいか。
 火力無限のディーゼル機関みたいに弁舌すべらかなハルヒは、不意に声のトーンを二段階ほど落とした。
「あたしね、小さい頃は雷が苦手だったのよ。小さい頃っても本当に昔ね。まだ小学校にも入ってない頃」
 ハルヒは片手で髪の先を触りながら、
「だから、雨が降るたんびにそればっかり怖がってたみたい。母さんが言ってただけだから、自分じゃあんまり覚えてないんだけどね」
「今は平気なのか?」
「見りゃ解るでしょ。全然平気。この世の不思議を探してるのに雷が怖いなんて笑い種じゃないの」
 それもそうか。
「でもね」
 ハルヒは遠くの空を眺めていた。俺もつられてそちらを見た。
「SOS団が、いつか、突然なくなっちゃったりしたらって思うと、少し怖くなる」
 俺は吐胸を突かれたような感覚を覚えつつも、そのまま空を見続けた。
「キョン。あんた、そろそろ予備校行くんじゃないの?」
「……あー、そうだな。オフクロにせっつかれてはいる」
「そうよね」
 ハルヒは一呼吸の間を置いて、
「解ってるのよ。みくるちゃんだって来年には卒業しちゃうし、いつまでも続くわけはないんだってね。でも、もしもね、今突然なくなっちゃったりしたらって思うと、あたし……」
「心配すんな」
「え?」

 俺はここでハルヒの方を向いた。何でもない風を装いつつ、
「仮に予備校行くことになっちまったんだとしても、俺はあの部室に通い続けるさ。それに、朝比奈さんの卒業はもう少し先だ」
 ハルヒは不安がるような嬉しいような、はたまた怒ったような目で俺を見ていたが、
「そう。……そうよね」
 何となくこそばゆい心境になった俺は、鼻の頭を掻きつつ、
「それ以前に、なんかキャラじゃないぞ。そういうの」
「何ですって!?」
 ハルヒの鉄拳が肩口まで上がった。すぐさま俺は空模様を確認して、
「あ、ほら、雨上がりそうだ。駅までダッシュ!」
「待てコラバカキョン!」
 まだ小雨の降る坂道を、俺とハルヒは再び駆け出した。

 (おわり)

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