「そもそも格闘技はウェートが大きいほど有利なものが多いわけだから、体重を減らすというより増やすことを目的としているわけよね。私たちの目的とは逆行しているんだから、格闘技を取り入れたってダイエットになるわけなかったのよ」
 などと屁理屈としか思えない言い訳をしながら、前とあまり変わらない体型で涼宮ハルヒは病院から還ってきた。
 格闘技っていうか、ダイエットにプロレスを取り入れようという方がどうかしているのだ。そしてアマレスのリングで筋肉バスターを使う方がどうかしているのだ。どうせ筋肉バスターを使いたいのなら、NOAHにでも入団するべきだ。
 本気でダイエットのために運動をしようと思うのなら、それ相応の体操などを試みるべきだったのな。ブートキャンプとか。
「はあ? 相変わらず馬鹿なこと言ってるわね。もう1年もSOS団の雑用やってるんでしょ。ちょっとは団内の空気というか、常識を学びなさいよ」
 やれやれと言った調子で、ハルヒは頬杖をつく。なんだよ、団内の常識って。
「普通は退屈でおもしろくないってことよ! 楽しみでもないことを無理してやったって、長続きするわけないでしょ。長続きしないならダイエットになんてなるわけないし、どうせ長く続かないのなら最初からやらない方がマシってものよ!」
 そろそろ関脇あたりに昇進してもおかしくない体型のハルヒはどっかりとパイプ椅子に腰掛け、机の上に無造作に置かれていた生チョコの袋を開封した。
「いい、キョン。私たちSOS団はね、退屈な毎日に終止符を打つべく結成されたエキスパートなの。その私たちが進んでごく普通のダイエットになんて取り組めるわけないでしょ。SOS団の存在意義に関わることだもの」
 チョコレートの大粒を一口でたいらげたハルヒはゴムタイヤのような腕を胸の前で組み、トドのように丸々とした首を上下させてうんうんと頷いた。
「普通な減量をしたって無駄なだけ。無駄なことにいちいちエネルギーを注いでなんかいられないわ」
 いや、どんどん無駄なエネルギーを消費させていかないといけないんだって。
 ていうか、そうやって板チョコにかぶりついて無駄なエネルギーを蓄えていくなよ。

 

 食事制限に続きスポーツまでも失敗したSOS団のダイエット計画。ダイエット界の二大巨頭とも言うべきこのツータイトルを逃してまで、果たして我々に未来はあるのだろうか?
 ハルヒ復活で久々に召集された北高デブの祭典、SOS団プレゼンツ・メタボリックシンドローム対策協議会。第三回を迎えることとなった今回だが、俺たちに希望は見出せるのか。はなはだ疑問である。
 とりあえず協議の内容が減量計画についてなのだから、机の上におやつと称してカロリーの高いお菓子を並べるのは勘弁してもらいたいところである。ついつい手が伸びてしまうではないか。
「私はね。悟ったの」
 見るからに俗物としか思えない外見をしたハルヒが、俗抜けたセリフを口にした。説得力のかけらもない言葉ではあるが、来るべきところまで来て開き直ったという意味では、逆に説得力がある。
「炭水化物ダイエットにしたってレスリングにしたって、楽をして、楽しみながらダイエットをしようという甘さが仇となったのよ」
 チョコレートを食べながら甘さが仇となった、ですか。それはダジャレのつもりで言ってるのか?
「やっぱりダイエットは無理を承知で我慢して、徹底的にやりきるしかないのよ! ダイエットは計画よ! 効率的に脂肪を落とすために、計画を練って取り組むべきなのよ!」
 いつも通りエキサイトしたハルヒは、カルピスの入った湯呑みを長机に叩きつけながら熱弁した。
 だからカルピスはやめろと日頃から……もういいや……。

 


 ~3週目・自己管理ダイエット~

 


 肥満の原因はたくさんあるが、普通一般的に言ってもっとも根本的で直接的な原因は、個人個人の自己管理能力の欠如である。
 世の中にはいろいろな人がいて、中にはやむにやまれぬ事情で肥満体となっている人も大勢いる。たとえば、病気の治療等に使う薬の副作用とかな。
 特別な事情がある場合を除いては、怠惰な生活を送るいい加減さがメタボリック症候群を招いているわけである。苦楽を計る天秤の、楽の受皿に重りを載せすぎた結果なのだ。
 ということは、つまり意識して自己管理を行わなければ肥満たちにスリムボディーは戻ってこないということなのだ。

 

 以上が涼宮ハルヒの弁なのだが、なるほど。言われてみれば一理ある。
「というわけで、みんな。今日から徹底的に自己プロデュースを行ってもらうわよ!」
 言うが早いか、ハルヒは全員に1冊のノートを渡した。ノート自体はどこにでも売っている何の変哲もないA罫ノートなのだが、中を開いてみると1ページ1ページにビッシリとボールペンで書き込みがされている。
「それはこれからSOS団が行う自己管理ダイエットの自己管理ノート。今夜から早速使うのよ。いいわね」
 いいわねって、お前。説明もなしかよ。せめてどう使うべきかくらい聞かせてくれよ。まあ、時間ごとに区切られた表の中に摂取カロリーや運動量なんて書かれているのを見る限り、自ずと使い方は分かってくるが。
「そのまんまよ。夜は22時までに就寝し、朝は6時に起床。起きて朝ごはんを食べて、ラジオ体操。軽く筋トレを行ってから学校へ登校。それから放課後家に帰った後のスケジュールも逐一記入すること」
 お前、この徹底管理を毎日こなせと言うのか……? 理想的すぎやしないか? 分刻みの予定表じゃないか。しっかり勉強の時間までキープしてやがる。
「それを苦痛だと感じるなら、やめればいいわ。あくまでもこれは 『自己』 管理だもの。サボりたければサボればいいわ」
 ハルヒはドラム缶のような首を旋回させ、挑発的な目をこちらへ向ける。
「ただし、サボって今まで通りの生活を続けていたら、確実に痩せないわよ」
 う……それを言われると辛い。常時誰かに見張られているわけじゃないし、必ずしもこのノート通りのキチキチ予定をこなしていかなければいけないわけじゃない。ちょっとくらいサボったって分かりやしないし責められることもない。
 だが、ハルヒの言う通りこれを嫌だと言って拒否すれば、今後俺が元の理想的ボディーを取り戻せる可能性は限りなくゼロに近いだろう。
 そう。まさに今、俺は試されているんだ。自分自身に問いかけられているんだ。楽を取るか、健康を取るか。

 


 どうするかな……もちろん痩せたいという思いはあるんだが、この理想100%スケジュールを完璧にこなせるという自信は……
「わかった」
 俺の後ろ向きな思考を中断させるように、真っ先にハルヒの提案に賛同したのは長門だった。まあ、そうだろうな。長門がハルヒの提案にためらうわけないし、反対するなどありえない。
「承りますよ、団長殿」
 間髪いれず古泉も快諾の意を表示する。こいつも長門同様、ハルヒの提案を反故にするわけがない。
「わ、分かりました。私もやります!」
 ありったけの勇気をふりしぼったという感じで、朝比奈さんも古泉に続いて是を示した。そうだよな。朝比奈さんだって未来からハルヒを見張りにきてるわけだから、ハルヒのご機嫌を損なうようなことは……あれ?
 ひょっとして……まだこのノートに賛成していないのって………俺だけ?
 気づくと、室内に集うトドたちが、熱い視線を俺に向けていた。その目は暗に俺に、『空気読めよ』 と言い寄っているようだった。
「さあ、どうするのよ、キョン。まだやるかどうかを決めかねているのは、あんただけよ?」
 象のように巨躯をゆらすハルヒが、机越しに睨めつけてくる。
「同意を」
 丸々としながらも涼しい顔をした肥満体宇宙人が俺を見つめる。
「もちろん、あなたも元の体型に戻りたいと願っていますよね?」
 机に肘をついてもたれかかりながら、脂汗をにじませる古泉がにやにやと微笑みながら俺をそっち側へ引きずりこもうと狙っているようだ。
「キョンくんも一緒に頑張りましょう! 辛いダイエットも、みんなでやればきっと乗り切れますよ!」
 いろんな肉をゆらしながら、肉感的ヴィジュアルに過剰な磨きをかけた朝比奈さんが俺に期待を込めたエールを送ってくる。
 やめろよ、ちくしょう、そんなに言い寄られたら……俺………

 

 


 最後の最後まで躊躇しっぱなしだった俺だったが、ハルヒの 「優柔不断なやつね、そんなんだから太るのよ!」 と発破をかけられ、結局売り言葉に買い言葉でノートを受け取ってしまったのだった。
 自分で自分が怖くなる。こんなにあっさり担がれてしまうとは……。将来は詐欺にひっかからないように気をつけないと。
 しかし1度引き受けてしまった以上、俺だけが痩せないわけにもいかない。みんなが元の体型に戻って、俺だけこのままじゃ情けなさ過ぎるもんな。
 ええと、なになに。ノートによれば……就寝の2時間内に摂ったカロリーはほぼ全て体脂肪に変換されると考えた方がいい、か。就寝時間が22時だから、夜の8時以降は何も食べない方がいいんだな。
 今までしょっちゅう9時とか10時にお菓子を食べたりしてたからな。あれもやばかったわけだ。
 それにしても。こうして見てみると、本当に事細かだな。ハルヒもこれだけやる気を見せてるんだ。俺もちったぁ頑張らないとな。

 


 あの自己管理ノートを受け取った次の日。俺たちは昼休みに部室へ集まり、昨夜の記録と意見などを出し合っていた。
「予想していたほど大変だとは感じませんでしたね」
 相変わらずニヤケたふやけ顔でそう言う古泉の言葉を肯定するように微笑む朝比奈さんも、昨夜はよく眠れましたと上機嫌だった。
「食べたい物を我慢するって結構つらいですけど、我慢のおかげで体脂肪が減っていくんだって思えば、我慢も苦じゃなくなっていくんですよね。キョンくんもそうでした?」
 その通りですね。なんだかんだ言っても、自分のためなんですし。
 などと朗らかに朝比奈さんのお茶を受け取りつつ、なんとなく手元にあった長門の自己管理ノートに目をやる。
 うわ、おい長門。お前、昨日コンビニのサラダとご飯しか食ってないのかよ? お前ベジタリアンだったっけ?
「雑食。しかし野菜だけでも生きていける」
 そりゃそうだけど……まあ、こいつなら霞を食って生きていくことだって可能だろうから、心配はいらないか。
「ノートに1日の摂取熱量を書き込んだりするのは面倒だけど、具体的な数字が目標としてはっきり認識できるわけだから、意外にやり甲斐があるのよね。今度こそうまく痩せられそうだわ!」
 言ってるそばからせんべい食うなよ。ダイエット中じゃないか、間食はひかえとけよ。
「なに言ってるのよ。これは食事制限ダイエットじゃないのよ。あくまで自己管理なの。ちゃんとこのせんべい1枚分のカロリーもノートに書いて、それ相応のカロリー消費を調整していくから平気平気」
 確かに、ハルヒの言う通りだな。ダイエット中とは言え、あまり神経質になりすぎず間食もできるのがこの自己管理ダイエットの良いところだな。完全に炭水化物をシャットアウトする炭水化物ダイエットみたいに完璧をもとめられるわけじゃない。
 最初はかなり引いてしまった自己管理ダイエットだが、よく考えたらけっこう余裕があるじゃないか。無理をしなくてもやっていけるし、意外とこれは俺みたいな怠け者にも可能な減量方法かもしれないな。
 みんなの顔に笑みが戻った。あんなにも絶望にうちひしがれ、鬱々としていた文芸部室内が、今や明日への希望に満ちた空間へと変貌を遂げていた。
 いける! これなら、俺たちは太る前のあのベストな体型を取り戻すことができると確信できる!
 胸の内から湧き上がってくる嬉しさにかまけ、俺も机の上に置いてあったせんべいを1枚手に取った。いいのさ、せんべいの1枚くらい。ちゃんと把握して、後で調整ができるなら少しの間食くらいはな。

 

 そう思っていた時代が俺にもありました。思えばこの時が1番幸せだった。みんな苦楽を共有しながら、共に夢を見ていられたんだからな。
 ある意味、炭水化物ダイエットやレスリングなんて比べ物にならないくらいの悲劇が待ち受けていることなど、この時の俺には知る術もなかったのだ……。

 

 


 その日の夜。ノートによれば夜の7時から9時までは勉強の時間に設定されているが、勉強する気はさらさらなら無かったのでテレビを観ながらゴロゴロしていた。
 スケジュールを遵守しなかったことに僅かの罪悪感があったが、なに、これはあくまで自己管理のダイエットなんだ。無理に予定を通さなければいけないというわけじゃないのさ。
 それにダイエットなんだ。勉強はダイエットに関係ないし。そうだ、勉強の代わりに腕立て伏せを2,30回やっておこう。あのノート的には勉強なんかよりもそっちの方が意義があるだろうしな。
 自分に言い訳をしながら勝手に納得した俺は、予定通り夜の10時にベッドに入った。夜更かしはいけないからな。

 

 目が覚めると、まだ夜中だった。部屋の時計に目をやると、短針はちょうど2を指していた。
 のどの渇きを覚えた俺は、眠りの余韻を引きずりながらもベッドから抜け出し、のそのそと階段を降りて台所へ向かった。
 さすがにこの時間になると静かなものだ。遠くの方から車だかバイクだかのエンジン音は聞こえるが、それもはるか夢の国の出来事のようにさえ感じられる。
 俺は水道の蛇口をひねり、コップに水を注いで一気に飲み干した。ふう。すっかり渇きが癒えた。
 当初の目的を果し、俺は大きく背伸びをして自分の部屋に帰ろうときびすを返した。が、そこで少しの欲望が腹の底に頭をもたげた。
 ……確か、母さんがチーズ買ってきてたよな。ちょっと小腹が空いたし……でも今はダイエット中だよな……
 ………う~ん、まあいいか! ちょっとくらいなら……おお、うまい! チーズってこんなにうまかったっけ? しばらく間食を我慢してたから、余計においしく感じられるんだろうか。
 1個食べちまったけど、なんか1個じゃ物足りないよな。せめてもう1個、いやいや、あと2個くらいは……。
 むしゃむしゃ。おお、感動的にうまい! やっぱ夜中の間食は最高だぜ! なんか炭酸ジュースも飲みたくなってきたな。

 


「ねえキョン」
 朝のホームルームぎりぎりに教室へ入ると、あらかじめ待ち構えていたように、仏頂面のハルヒが俺に話しかけてきた。なんだかトゲのある口調だな。なんか気にいらないことでもあったのか?
「あんた、ゆうべ遅く間食してたでしょ。それも大量に。ジュースまで飲んで」
 ドキッと心臓が飛び跳ねる。嫌な汗がもちもちの背筋に浮き出てくる。な、なんでこいつがそんなことを……
「まったく。仕方ないわね、あんたも。せっかく皆で減量に成功ましょうって誓い合ったのに。あんただけだいぶカロリー増えちゃったわよ」
 べ、別にいいじゃないか。自己管理ダイエットはあくまでも自分で自分を管理するものなんだろ。お前にそれをどうこう言われる筋合いはない。いやそれよりも、なんでお前がそんなこと知ってるんだよ。
「ふん。だらしないあんたのことだから、そんなことだろうと思ってたわ。妹ちゃんに監視を頼んでおいて正解だったみたい」
 なに、妹だと!? た、確かにうちの妹はこういうイベントにすぐ食いつくヤツだが……
「あんたの言う通り、これは自己管理のダイエットだけど、ダイエットに取り組んでいるのはあんただけじゃないのよ。みんなが互いを信じあって苦しみに耐えているの。あんた、そのみんなの期待を裏切る気? そこまでして間食したいの?」
 ……悪かったよ。あの時は、あれだよ。寝ぼけてたんだよ。ついやってしまったんだよ。
「しょうがない人ねぇ。今回だけわ見逃してあげるわ。今後気をつけなさいよ」
 椅子が後ろに折れるか曲がってしまうかしそうなくらい、ハルヒは勝ち誇ったふうに反りかえる。
 ちくしょう、なんで俺がここまで言われなきゃなんねえんだよ……! ただちょっと多めにチーズを食っただけじゃないか。

 

 

 釈然としない気持ちのまま、放課後俺は掃除当番のハルヒを教室に残し、部室へと向かった。
 帰ったら妹に兄を売らないようにと釘を刺しておかないとな。いや、また同じような間食をするつもりというわけじゃないが、今後何があるか分からないからな。身近に敵は作らない方がいい。
 太い足を引きずって部室にたどり着き、SOS団の根城の扉をノックする。と、中から誰かが口論するような、言葉の応酬が聞こえてきた。口喧嘩というほど激しい物じゃない。
「だから、私は8時以降に間食なんてしてませぇん!」
「私の観測に間違いはない。朝比奈みくるは暴君ハバネロを20時2分に食べた」
「だから、私の部屋の時計が5分遅れてたんですよ。あ、キョンくん! キョンくんからも長門さんに言ってあげてください」
 どうしたんですか、朝比奈さんも長門も。困ったようにお手上げ状態の古泉の様子からして、だいぶお悩みのようですが。
「私が昨日スナック菓子を夜の8時以降に食べたって長門さんが言って、涼宮さんのスケジュール違反だと責めるんですよぅ。でもそれは私の家の時計がちょっと遅れてただけで、私は8時前に食べたつもりだったんです」
 午後8時を境に分争いの間食したしない口論をしてもしょうがないでしょう。8時ってのは予定上の目安であって、8時きっちりがタイムリミットってわけじゃないですから。
 それに、これは自己管理によるダイエットだぜ? たとえ20時を過ぎて朝比奈さんが夜食を食べたって、長門が口出しできる権利はないんじゃないかな。
「そう」
 少し寂しそうにしながら、長門は小柄で太い肉体をパイプ椅子に落ち着けた。まったく、長門も2,3分の差でとやかく言わなけりゃいいのに。融通が利かせられないのかね。
 お前も仲介くらいしてやれよ、古泉。普段からうっとうしいくらいに弁は立つだろう?
「ははは。お恥ずかしながら、実はゆうべ機関の仲間たちと一緒に外食をしてしまいましてね。付き合いだから仕方がないとはいえ、長門さんに反論しづらくて」
 お前もかよ。いや、しかし安心したぜ。規約外の時間につまみ食いしちまったのが俺だけじゃなくてほっとした。
「おやおや。あなたもでしたか。これはこれは。お仲間がいて僕も少し安堵しましたよ。実に心強いです」

 

 長門と妹にも困ったもんだぜと苦笑しながら、その日はそれ以上の揉め事もなく無事終了した。にしても、日常生活を見張られているって嫌なもんだな。とんだ監視体制だぜ。
 常に観られていると思うと何をするにも懐疑的になってしまうし、過ごしづらくなってしまう。嫌々でも勉強しなくちゃいけない、という気になってくる。だからストレスが溜まる。
 イライラしながらも、あれから2日はハルヒのノート通りのスケジュールを送ってきた。だが、そろそろ理不尽さに我慢がならなくなってきた。そうだろ? これは元々自己管理のダイエットのはずなのに、それを監視されているなんて。


 不条理に腹が立ち、俺はそんなファッショな押し付け管理に少しでも反抗してやろうと思い、妹が寝入っているのを確認し、こっそり台所へ忍び込み冷蔵庫に手をかけた。
「ふふふ。俺はあんな紙切れの言いなりになんてならないぜ。しょせん妹が寝入っている隙をねらえば、つまみ食いなんて……うおおお!!??」
「こんばんは」
 長門だ! 何故だか分からないが、俺がこっそりと台所の冷蔵庫の戸を開けると、中からひやりとした冷気と共に体育座りの長門有希がこんばんは!?
「ななななにやってんだ、お前は!? なんでお前が人んちの冷蔵庫の中から……前髪ちょっと凍ってないか?」
「妹の目を盗んで間食を行おうとするあなたの思考を察知し、それを阻止するために空間移動してきた。危ないところだった」
 冷凍みかんのように冷えきった長門の巨体を、なんとか冷蔵庫の中から引きずり出す。きつい、きついな! どうやってこんな巨体がうちの家庭用冷蔵庫に収まっていたんだろう。
「涼宮ハルヒの意に反するような行動は自重するべき。就寝前の時間は、人間のカロリー消費が低下する時間帯。昼間の間食ならともかく、夜間の間食はさけるべき」
 それだけのためにわざわざ俺んちの冷蔵庫に不法侵入してきたってのかよ。お前は……いけね、妹が起きてきた!
「キョンくん、今の音なに? 誰かきてるの?」
 うはっ、こんな時間に小学生が起きてくるんじゃありません! 早く部屋に戻って寝なさい! さもないともったいないオバケが出ますよ! オバケじゃなくて宇宙人ならもう出たが!
「あ、キョンくん、また夜中に冷蔵庫開けてつまみ食いしてる! ハルハルに言いつけてやる!」
 あ、馬鹿、やめろ、それだけは! ぬあ、気づくと長門のヤツいつの間にかさっさと消えてやがる!
「いーけないんだ、いけないんだ!」
 あ、ちょ、待って! 待ってください妹さま! 携帯だけは、携帯でハルヒに通報だけは……! アッー!

 

 


 次の日。にわか不登校児になり学校に行きたくないとダダをこねてみたものの、そんなものが採用されるほどうちの親は甘くない。見事に仮病を看破された俺は、ケツを叩かれるように家を追い出されてしまった。
 はあ……。憂鬱だ。
 学校に着いたら着いたで、予想通り鬼軍曹が待ち構えており、俺のヒップにスパンキングを浴びせかけてきた。俺の尻、大人気。
「なってないのよ、あんたの根性は! しかも妹ちゃんの目を盗んで冷蔵庫を漁るだなんて卑怯なやり方がまた気に食わないわ!」
 俺は謝った。クラスメイトたちの目も気にせず、ただただ頭を下げて謝った。一応でもいいから謝っておかないと後が怖い。

 

 厄日だよ。今日は天中殺だよ。こんなについていない日も珍しいってくらいに嫌な1日だ。
 ため息を漏らしながら昼休み中の廊下を歩き、俺は部室へと向かっていた。せめて昼の長休みくらいは教室から出ないと、ハルヒの視線に射殺されてしまいそうだからな。
 心の平穏を求めて部室の扉を開いた俺の目に、パイプ椅子に座る長門有希と、その長門の前に正座で座る朝比奈さんの古泉の姿が飛び込んできた。
 ……なにやってるんだ? だいたいの想像はつくけれど。

 

「いやあ、参りましたよ。昨晩どうしても外せない機関との付き合いに出かけていたのですが、その現場を長門さんに抑えられてしまいまして」
「私も昨夜、未来から緊急の連絡があったので通信で会話していたのですが、そこでついついジュースを飲んじゃったところを長門さんに咎められてしまって……」
 げっそりとした様子で弱々しく床に座る二人の姿はやたらと痛々しい。でもこれも他人事じゃないんだよな。俺もきっと、傍から見たらこんな感じだろう。そりゃ、冷蔵庫から宇宙人が出てくるとは思わないもんな。
「あなたは冷蔵庫でしたか。僕なんてテレビの中からですよ。某ホラー映画のS子かと思ってしまいました。長門さんがロングヘアーでS子そっくりだったら、失禁していたかもしれません」
「うちなんてベッドの下から出てきたんですよ。都市伝説かと思って、半分心臓が止まってましたよ」
 床に正座した二人の隣に、とりあえず俺も正座することに。なにやってるんだろうな、俺たち。
 俺たちが長門の出現方法について話題に花を咲かせていると、突然長門がわざと大きな音をたてて開いていた本を閉じた。顔は無表情のままだけど、ひょっとして、怒ってる?
「あなたたちには反省が足りない。涼宮ハルヒの機嫌を損ねないよう努力するのは未来人、機関の最優先事項のはず。なのに彼女のスケジュールを鑑みないその姿勢には問題がある」
 なんだか俺たちが悪いことをして担任教師に正座させられているような雰囲気だぜ。岡部にも正座させられたことないのに。

 

 それはそうと。長門の前に正座していると、ふとある考えが頭に浮かび上がってきた。未来人や機関はハルヒのご機嫌を損ねないよう振舞う節があるが、情報統合思念体は必ずしもそうじゃないだろう。
 情報統合思念体は、ハルヒが起こす情報改竄から発生する情報フレアってやつを観測することを望んでいるはず。だったら、ここでハルヒを怒らせて情報を収集しても良いはず。
 なのに、ここまで長門が俺たちのスケジュール違反に口出しするのは、悔しいからなんじゃないだろうか?
 長門本人は真面目にハルヒから言いつけられたスケジュールを遵守しているのに、俺たちはと言うと、自己管理のダイエットだから~、という理由で平気で予定を破ることもある。長門はそれを不公平だと感じたのかもしれない。
 SOS団が結成された当初の長門は人間というより機械に近い印象だった。だが、最近じゃあいつにも人間らしい感情が見え隠れするようになってきた。
 1年前の長門 (眼鏡付) ならきっと俺たちに意見してきたりはしなかっただろう。だが感情を表し始めた今の長門 (眼鏡無) なら、これを不公平と感じて腹を立てていたとしても何の不思議もない。
「未来人も機関も関係ない。決まり事を守るのは人として当然のこと。以後気をつけるように」
 長門のやつ、とうとう 『人として当然』 とか言い出しちゃったよ……絶対これイラっときてるよ。長門マジ怒ってるよ。

 

 その日はハルヒと長門が先に帰ったので、俺と朝比奈さんと古泉は部室に残り、善後策を練っていた。
「長門さんに見張られていたんじゃ、うかうか夕食も食べられませんよぅ……どうしましょう?」
 まったくですね。妹だけでも面倒だったのに、その上長門まで。これじゃ風呂からトイレに至るまでカメラで撮影されてるようなもんじゃないか。
「私や古泉くんには、自分の所属する勢力との兼ね合いとかもありますし。なかなか涼宮さん指定の過密スケジュールをこなすのが難しいんですよ」
 朝比奈さんの盛り上がった頬肉に、じんわりと涙がにじむ。
 俺もですよ。妹と長門のタッグで見張られてますから、うかつな行動をとろうものなら、即行でハルヒにホットラインですよ。
「長門さんの件はともかく、涼宮さんについては対処方法がありますよ」
 お茶を飲み干した古泉が、苦しげにベルトをゆるめてふぅ、と息を吐いた。
 マジか? マジでハルヒの対処法があるのか? 教えてくれ、俺はそれでだいぶ救われるんだ。
「実は機関の仲間に涼宮さんの動向を見張ってもらっていたのですが、どうやらですね。涼宮さんもたまに、夜中に間食しているようなのですよ」
 なんだと!? あれだけ俺に夜間の間食を悪だ何だと言っておいて、自分もカロリー摂取ですか!? なんという悪政!
「その現場を押さえられれば、涼宮さんに突き上げを食らうこともなくなるんじゃないでしょうか?」
 でかした古泉! それは良い情報だ。よし、善は急げと言うし、早速今夜、涼宮家に乗り込もう!

 

 

 気分はすっかり太めのレンジャー隊員。自室のベッドに伏せて古泉からの連絡を待っていると、携帯が振動し始める。きた、古泉からの集合の合図だ!
 家族に見つからないよう、こっそりと家を抜け出した俺は、はやる動悸を抑えながら自転車に飛び乗った。
 涼宮家の前に到着すると、俺の姿を見とがめて塀の脇から手招きする丸い人影が二つ。あの体型、間違いない。太めのレンジャー小部隊だ。

 

「ピンクパンサーの曲がほしいところですね」
 いつの間に作っておいたのか、古泉がハルヒの家の扉に偽造キーを差し込んでロックを外した。機関怖いな。この様子だと、きっと俺の家の偽造鍵も作られてるんだろうな……。
 深夜。早朝と言っても過言でない時間帯に、俺たちレンジャー隊はすり足で涼宮邸内を進んでいく。朝比奈さんがここでドジっ子ぶりを発揮して発見されては元も子もない。朝比奈さんは俺と古泉の間に入ってもらい、いつでも補助できるようにガッチリサポートだ。
 先頭を進む古泉隊長の後に続く俺と朝比奈さんは、まるでスパイごっこに興じる子供ように、不謹慎ながらも胸を高鳴らせていた。
「発見しました。涼宮さんです。今、台所の机に着いて、ハチミツをなめている最中のようです」
 なるほど。目前のキッチンらしき部屋からは、電気の灯りとともにぺちゃぺちゃというネコが水を飲むような、粘着質な音が聞こえてくる。
 鈴木みのるの 『風になれ』 を鼻歌でうたうあの声は、間違いなくハルヒのものだ。
「3,2,1,0! で突入しますよ。いいですか?」
 古泉を中心に密着し、キッチン内を窺う巨体レンジャーたち。真剣な表情でデジカメを構える朝比奈さん。実に頼もしい。
「3……2……1……」
 古泉が、台所の扉に手をかける。その一挙手一動作からも、緊張の色が見て取れる。
「0!」
 弾かれたようにキッチンへとなだれ込む太めの反逆軍! 解き放たれるこの時を幾千年も待ち焦がれたかのように、朝比奈さんのデジカメが雄々しく火を噴いた!
 甘ったるい香りに満ちた涼宮家台所には、あっけにとられた表情で硬直した一匹のくまのプーさんがいた。

 

 

 

「なっていない。全員なっていない」
 翌日、俺とハルヒと朝比奈さんと古泉はパイプ椅子に腰をかける長門の前に正座してうなだれていた。
「涼宮ハルヒも涼宮ハルヒ。あのスケジュールを組んだのは他ならぬあなた自身のはず。それを反故にするということは、我々に対する裏切り行為に他ならない」
 さすがの長門もハルヒのハチミツまでは監視の目を光らせていなかったようだな。きっとハルヒが誰にも見つかりたくないと願っていたから、長門には感知できなかったんだろう。というのが古泉の見解だ。
 ちなみに、それならば何故俺たちがハルヒ宅に押し入り、ハチミツの現場をおさえられたのか。そこまではさすがの古泉にも不明らしい。

 

「ごめんなさい、有希。ついつい魔がさしたって言うか、なんかハチミツがなめたいな~って気分になっちゃってね」
 長門が膝の上においてあった本を、大げさな動作で机に放り出す。ドサっという重みのある音に、ハルヒがビクッと身をふるわせる。うわぁ、長門かなり怒ってるよ。
「とにかく、我々は遊びでやっているわけではない。心の底から痩せようと願い、ダイエットに取り組んでいるはず。全員の手本となるべき団長自らに、軽はずみな行動は執ってもらいたくない」
「ご、ごめんなさい……」
 丸々とした巨体を縮めながら、ハルヒはくぐもった声で長門に謝罪した。
「終わったことをあげつらって責めたところで仕方のないこと。今後気をつけてくれれば構わない」
 普段から大人びた雰囲気を漂わせているだけあって、さすがにこういうセリフを口にさせると本物の学校の先生のように見えてくるから不思議だ。
「本当にごめんなさいね、有希」
 なんなんだ、この状況は。っていうか、なんで俺と朝比奈さんと古泉まで一緒になって正座してるんだろう。
 とりあえずその日は、長門が本を鞄にしまって部室を出て行くことで活動終了という運びになった。

 

 その日の帰り。下校途中で俺とハルヒが分かれた直後に、まるでタイミングを計っていたかのような正確さで古泉から電話連絡がやってきた。
『昨夜はお疲れ様でした。我々機関の力も、なかなかどうして侮れないものでしょう?』
「ああ、大したものだよ。できれば俺のプライベートは保障してもらいたいものだね」
『あはは。別に始終あなたを監視したりはしておりませんよ。人権は可能な限り守る方向で慎重に行動しておりますから、どうか機関のことは大目に見てください』
 何が大目にだ。人の私生活をのぞき見るようなマネをしておいて。で、なんの用なんだこいつは。
『はい。実はですね。我ら機関の調査によれば、あの長門有希も夜間に間食をとっているのでは、という疑惑が持ち上がっているのですよ』
 な、なんだってぇ!? それは本当か!?
『ええ。しかし、長門さんは我々とは別勢力のインターフェース。あまり深く調査することはできません。ですから、あくまでも疑惑、という程度までです』
 疑惑といっても、それなりの理由があってのことなんだろ? それで十分じゃないか。
 それに、お前はハナっからそのつもりで俺に電話してきたんだろ? 長門がひとりでこっそり間食しているようだから、乗り込みましょう、って。
『単刀直入に言えば、その通りです。SOS団は本来、涼宮ハルヒが統率すべき団体。ですが、このままでは涼宮さんが長門さんに席を空けるような事態にもなりかねない』
 その後、2,3論議を行った後。俺と古泉の間で再集結の話が決定されたのだった。再集結するんは、他でもない。あの太めのレンジャー部隊だ。
 それも、今日の小隊長は古泉じゃない。涼宮ハルヒ団長自らが陣頭指揮をとるのだ。

 

 2日連続の押しかけ作戦に、俺の胸は野心に溢れる若き冒険者、そう、インディー・ジョーンズのごとく勇猛にふるえていた。
 今日の相手はSOS団最強の猛者、長門有希だ。万が一長門が開き直って襲い掛かってきても、通常空間では能力を発揮できないメガ超能力者に光線銃を持たないテラ未来人、自らのスーパー能力に気づいていない太い女神の三人組に勝ち目があるとは思えない。
 しかし、やらねばならない。これは聖戦なのだ。俺たちがやらねば、SOS団はSON団になってしまう。そして、世界はピザになってしまう。
 それを阻止できるのは俺と、この太い三連星だけなのだ!
 昨夜と同様、高鳴る動悸を胸に秘め、俺は黒い隠密衣装に身を包み携帯を抱いてベッドに伏せていた。

 

 

 長門のマンション前に、もう太い三連星は集結済だった。
「遅いわよ、キョン」
 太い女神が真剣な目つきで呟きかけてくる。いつになく真剣な顔 (のつもり) で俺もそれに応える。
 俺の脳裏に、ふと過去の記憶がフラッシュバックする。そう、あの日。放課後の教室で朝倉に襲われたあの時の映像だ。
 果たして長門はおとなしく俺たちの言うことを聞いてくれるだろうか。それとも、開き直って襲い掛かってくるだろうか……?
 だが俺たちはそれを恐れてはいけない。恐れは勘を鈍らせる。勘を鈍らせて勝てる相手じゃない。もともと勝てる相手じゃないんだが、気分の問題だ。
「それじゃ、行きましょう」
 メガ超能力者が眉をひきしめ、昨夜同様先頭を切って歩き出した。

 

「涼宮さんには僕の方からあらかじめ釘をさしておきました。長門さんには絶対に見つからないようにしましょうね、と。ですから、涼宮さんが願っている以上、僕らがあらかじめ長門さんに感知される恐れはありません」
 ああ。忍び込む際に物音を立てたり、ドジを踏んで声を出したり、まあ普通に考えてバレるような状況に陥らない限りは察知されないってことだな。
「その通りです。前もって察知されては、情報操作でかく乱される可能性がありますからね。絶対に長門さんが間食をとっている現場をおさえなければなりません」
 隣を見ると、これまた昨夜と同じく果敢にもデジカメを構えるテラ未来人さんが決意にあふれる頷きを返してくれた。
 深夜遅くの時間だが、こんな怪しげな格好をしている姿をマンションの人間に見られたら通報は免れないと緊張していたが、無事誰にも見咎められることなく長門宅の前まで到着できたのだった。ひょっとしたら、これもハルヒのおかげかもしれない。
 上着のポケットから長門宅の合鍵を取り出した古泉は、汗ばみながらもそっと、物音をたてないように扉の鍵を開ける。
 無事扉を開くことに成功した俺たちレンジャー部隊は、いきり立つ部隊長殿を先頭に、抜き足差し足で長門邸内に忍び込む。
 気分はまさにピンクパンサー。

 

 鋼のように硬くなった身体を慎重に操作しながら、俺たち4人はそっと玄関へ侵入する。1人で3人分くらいのスペースをとる俺たちがこの狭い空間に集合するのは困難を極めたが、不可能ではない。
「カレー臭濃厚。どうやら機関の情報はガセではなかったようですね」
 小声で囁き、古泉が身をかがめる。靴を脱ぎ、廊下に足を乗せる。ここで軋む音など立ててしまっては元も子もない。なんとか音をたてないよう、細心の注意を払うんだ。
 先頭を進むハルヒが、フロアルームの戸のノブに手をかける。永遠とも思える密偵の時も、どうやら終了に近づいているようだ。
 スモークガラスの張られた戸の向こうからは、カレーのにおいとズルズルという麺類をすする音が断続的に聞こえてくる。
「どうやらカレーラーメンかカレーうどんを食べているようね。羨ましいわね、有希ったら」
 今にもよだれを垂らしそうな様子で、ハルヒはそっとドアノブを回した。見事なまでに無音の作業だ。
「それじゃ、いい? 私が扉を開いたら、まずみくるちゃんが突入し、デジカメで激写。古泉くんとキョンは私に続くのよ」
「アイアイマム」
 ついにこの時がやってきた。太い三連星が一体となり、そのチームワークを見せる時がきたのだ。もちろん俺も三連星に続く覚悟を固めている。
 無声音でワン、ツー、とハルヒがタイミングを計る。頭の芯が痺れるような緊張感が周囲にガスのように蔓延する。
「スリー!」
 掛け声と同時に扉が開かれ、突入というより文字通り転がり込むといった感じで朝比奈さんが室内へ闖入。瞬きするほどの時間でデジカメのフラッシュが連射される!
「うおおおおおおおお! 長門おおおおおおおおおおおおお!!」
 遅れをとるわけにはいかないと意気込み、俺と古泉も一気に乱入! どすどすと音を立てて床の上を疾駆する!
 そこには、予想通りカレー味のインスタントラーメンを手にした長門がいた。地球の食文化の一つの到達点、インスタント食品を食する宇宙人の姿を、とうとう朝比奈さんのデジカメが抑えたのだ!

 

 長門は、なんて言うんだろう? ものすごい表情で固まっていた。
 驚き、悲しみ、怒り、食欲、デブ。様々な感情をないまぜにした、複雑な面持ちで口の端からラーメンを垂らして床に座っていた。
「……長門?」
 あまりに感情的な表情を浮かべている長門に逆に俺たちが驚き、一応誰何の声をかけてみる。
「はい」
 はい、じゃねえよ。

 

 

 その後は、なんだか居心地の悪かった。黒い衣装に身を包んだSOS団のメンバーたちが、うなだれて正座する長門の前に突っ立っている図なんて一体誰が想像できようか。
「有希、あなた何食べてたの?」
「……カレーラーメン」
 いつものように小声の長門だが、心なしかその声は震えているように感じられた。
「ねえ、あなた昼間私たちに言ったわよね。覚えてる? なんて言ったか覚えてる?」
「はい」
 人間っぽい様子の長門がなんだか新鮮だ。まあ人間というには淡々とし過ぎていているし、無表情すぎるが、少なくともいつもの長門と比べたら感情がありありと見て取れる。
 最悪の場合の状況まで想定してきたって言うのに、なんだか拍子抜けした感じだ。それに、こんな長門を見ていると何故か情けないっていうか、かわいそうな気がして怒れなくなってくる。
 ハルヒも自分の一件もあるからあまり深くは突っ込めないようで、ある程度長門に釘を刺したところで赦してやることにしたようだ。
 まあ、面白い長門の一面も見られたことだし、写真データも撮れたんだ。大収穫さ。
「有希も夜中におなかが減って、どうしてもラーメンが食べたくなったんだろうけど、今度は我慢してね」
「はい」
 はい。

 

 うなだれた格好のまま俺たちをマンションの入り口まで見送った長門に別れを告げ、俺たちはマンションを後にした。
「夜間のマンション突入か。なんかアクション映画のワンシーンみたいで面白かったわね! スリリングだったし、最高だったわ! 有希には感謝しないとね!」
 我らが太めレンジャー部隊の部隊長殿は、とにかく始終ご機嫌麗しい様子だった。

 

 まあハルヒにとっちゃ、単に深夜友人の家に押しかけるだけ、みたいな感覚だろうから。楽しかったんだろうな。俺たちは命がけの突入劇の覚悟だったんだが。
「んじゃ、また明日学校でね!」
 嬉々として手を振り回しながら、太めの女神様は夜闇の向こうへと消えていった。
「ふぅ。今日は疲れちゃいましたね」
 うふふ、と微笑みながら朝比奈さんも小さく俺たちに手をふった。大事に抱えているデジカメがマッチ箱のように見える。
「じゃあ、キョンくんも古泉くんも、また明日。部室で」
「ええ。おやすみなさい」
 かわいらしく頭をさげ、肉感的な未来人の上級生も街灯の灯る帰路へとついたのだった。
「さて。それでは、我々も帰るとしますか」
 そうだな。もう夜も遅い。早く寝ておかないと、明日にひびくからな。

 

 俺と古泉がそう語り合い、さあて帰るとするか。と、歩き出そうとしたその瞬間。突然背後から俺たちの名を呼ぶ女性の声が聞こえた。ゾクっと背筋に冷たいものが走る。
 果たしてこんな夜更けに、SOS団のメンバー以外で俺たちに呼びかける女性とは何者なのか。嫌な予感を感じつつ、ゆっくりと、無言のまま、俺と古泉は肩越しに背後へ振り返った。
「こんばんは、キョンくん。古泉くん。お久しぶり。月のきれいな晩ね」

 

 そこには、地球上で最も大きい、地上最大の哺乳類シロナガスクジラが立っていた。
 ああ、もちろん比喩表現ね。
「ま、まさか……朝比奈さん (大) ですか……?」
 シャツからこぼれる胸元には、頼りない街灯のほのかな明かりに照らされ、確かに小さく、星型のホクロが見て取れた。
 ゲル状かとも思えるあの肉が、胸に相当する部位だったらの話だが……。

 

 

  To be continue...

 

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最終更新:2020年11月12日 02:01