<<前回のあらすじ>>
 キョンたちSOS団団員たちは、無事過去の世界から帰還することができました。明確な理由はサッパリなままですが。
 しかし涼宮ハルヒが時間を巻き戻した理由は判明しました。キョンも、自分が佐々木と一緒に買い物をしていて、その現場を涼宮ハルヒに見られたからだ、と時間遡行の原因を納得できないまでも理解はしました。
 キョンは佐々木と一緒に、涼宮ハルヒの誕生日プレゼントを買いに出かけていたのですが、残念ながら彼女の誕生日はまだまだ先です。
 もうすぐ誕生日おめでとう!になるのは、古泉一樹だったのです。なんという悲しい勘違い。

 

 

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 新車特有の接着剤を思わせるにおいをぷんぷん漂わせる車内で、なんで買いたての車ってこんなにくさいんだろう、と疑問に思いながら助手席に座る私はシートを倒して寝そべった。
 隣でハンドルを握るお手伝いさんに訊いてみたら、このにおいは揮発性なんたらかんたらって言う、要するに接着剤のにおいなんだと教えてくれた。やっぱ私の推理は正しかったわけだね。
 あ~、やんなっちゃうね。就職するのが嫌だってワケじゃないし、これからすぐ就労するってわけでもないんだけどさ。そろそろ本格的に社会勉強を始めなさいなんて親に言われちゃって。面倒だな。
 私に兄か姉がいれば、鶴屋家の家督だってお任せできるんだけど。残念無念なことに、私はひとりっ子で、長女なんだよね。屁理屈こねたってどうせ家を継がされるんだろうな。
 しつこいようだけど、家を継ぐのが嫌ってわけじゃないよ。あくまで面倒くさいって言うだけ。
 まだまだやりたいことはたくさんあるのに、家に居ついちゃったら何もできなくなっちゃうもんね。うちって普通の家とはちょっと違う、いろいろとややこしい特殊な家庭だから。

 

 私ももう二十代半ばのいい年なんだ。今まで好き勝手やっているのを見て見ぬふりしててくれた親に感謝はしてるけどさ。いきなり店を持てなんて言われてもねぇ。
 店を持てと言うと語弊があるかもしれないけど、詰まるところそういうことなのだ。これから近い将来、鶴屋家を切り盛りしていかなければならなくなる身なのだから、今のうちに舵取りの感覚を身につけろってことなんだろうね。
 なんでも今度、うちが関係する会社が新しく喫茶店を建てる予定なんだって。ちょうどいいから私をそこのオーナーにするってお父さんが言い出したんだ。まあ、それなりに経験のある店長なんかが主に取り仕切るんだろうけど。
 まあ、どういう経緯であろうとも喫茶店の支配人にさせられるということには変わりないわけで。ということは、要するに職に就かされるということなのだ。
 あ~あ。やだな。やだやだ。喫茶店の店長ってのも面白そうだとは思うけどさ。もうちょっと気ままな生活を続けたかったよ。まんどくさいよ。まんどくさい。
 そんで、私は今、買い与えられた新車の助手席に乗って喫茶店の設計屋さんの許へ向かっているというわけさ。

 

 車窓には、見慣れた町の風景がすごい速さで前から後ろへ音もなく流れていく。私の人生も、この景色と同じでどんどん前から後ろへ流れていくだけなのかな。
 そう思うと、柄にもなくメランコリックな気分になっていく。
 そういやそろそろ、SOS団のみんなが吸い寄せらるようにたむろする公園だ。今日もみんな集まってるのかな。確か、今日はキョンくんがバイト休みの日だからね。

 重い頭をもたげて車外に目をやると、対向車線のむこう側に見慣れた公園が見えてきた。
 そこは、あって当然の場所。自宅の食卓に自分の席があるように、あの公園には私の席があった。居心地の良い、私の居場所。
 いや、違うか。あの公園に私の居場所があったわけじゃない。あそこに集まるSOS団の中に私の居場所があったんだ。
 名誉顧問っていう、正規の団員からは一歩引いた立場だったけど、ひとりしかいない名誉顧問という肩書きが、私だけのSOS団での立ちアーキタイプだった。
 気が置けなくて、楽しくて、あったかくて。一緒にいてあれほど退屈しない集団は他にないね。SOS団にはもうずいぶん長居させてもらったけど、飽きたなんて思ったことは一度もない。
 それはつまり、私があの団体を気にいっていたということで。
 だから、あの公園を車内から窓越しに眺めていると、自分がどんどんSOS団から離れて行ってもう二度と帰れなくなるような気がしてきて、どうしようもなく悲しい気分になってくるんだ。
 物理的な距離が遠く離れたからと言って、SOS団のみんなの心が離れ離れになってしまうということはないけれど、物理的な距離が離れることで薄れてしまう物もあるに違いない。
 それはとても茫々としたものだろうけれど、私はそれがとても嫌だなと思った。

 

 物思いにふけりながら遠い目で公園を眺めていると、米粒大の大きさの人影が目に入った。見間違えるわけがない。あれは私の竹馬の仲間たち、SOS団の面々だ。はるにゃんは居ないみたいだけど。
 ん? 何してるんだろう。あれは。キョンくんと古泉くんが手に手をとりあってもめてるようだけど。
 その時。私の心の中にむくむくと馴染み深い気持ちがわきあがってきた。そう、溢れんばかりの好奇心だ。
「ねえ、ちょっと停めてもらえるかな!?」
 私の慌てた様子に面食らいながらも、お手伝いさんは車のウィンカーを点滅させて路肩に停車する。
「ごめん、先に行ってて! 遅刻するかもしれないけど、後でバスに乗って行くから!」
 車が完全に停車するのももどかしく、私は早口にそうまくしたてると、背中でお手伝いさんの制止を振り切り、後ろ髪をなびかせて一目散に駆け出した。
 やっぱ私はまだまだ子供だな! あんな楽しそうなみんなを見て、むずむずを我慢なんてしてられないっさ!

 

 

 公園の敷地に飛び込み、全力疾走でいつものベンチまで駆けて行く。たまらなく風が気持ちいい。
 何だかワケありっぽくもめてるみんなの姿を見ていると、走り寄る今のこの瞬間さえももどかしい!
「あろはー諸君! 今日も元気そうじゃないかい。んで、キョンくんと古泉くんはそこで何をしてるのかな!?」
「あ、おはようございます、鶴屋さん」
 困ったふうな表情で手を振るみくるの手のひらにタッチし、ご機嫌斜めっぽいキョンくんの横に回りこむ。
 なんだろう? キョンくんがブレスレットを持ってて、古泉くんがそれを横取りしように見えるんだけど。一体どういう事態なんだろう?
「鶴屋さんからもこいつに言ってやってくださいよ。俺がハルヒのご機嫌とりのために買ったブレスレットを、古泉が奪い取ろうとしているんです」
「奪うだなんて、人聞きの悪い。あなたが涼宮さんにどのようなプレゼントを送ろうとしているのか。興味深いから見せてくださいと言っているだけじゃないですか」
「大きなお世話だって! 何でもいいだろ、お前には関係ないことだ!」
 へ~。キョンくんってば、はるにゃんにプレゼントをねえ。へ~。へ~。やるじゃん。私も若い男の子のお世話をして感謝されておくべきかねえ。
「鶴屋さん、なんだか今日はいつにも増して楽しそうですね」
 キョンくんの手にかかるブレスレットを眺めていると、隣のみくるが魔法瓶のお茶をコップについで差し出してくれた。いつもすまないねえ。
「そうかい? 私はいつも通りだよ。いつものように貴重な時間をめいいっぱい楽しんでるだけさ!」
 湯気をたてるお茶を飲み干し、みくるにお礼の言葉を返す。何か気になることでもあったのだろうか。みくるはなんだか嬉しそうに、意味深な含み笑いを浮かべた。
「どうしたんだい、みくる。私なにかおかしなこと言ったかな?」
「いえ、そういうわけじゃないんですよ。ただ、鶴屋さんの笑顔を見てたら、なんだか私まで楽しくなってきちゃって」
 年齢を感じさせない見た目だけじゃない。こういう素直なところも彼女の隠れた長所で、みくるはとてもかわいいなと思える。
「そう言ってもらえると嬉しいなあ。いつもみくるからはおいし~お茶をもらってるからさ。たまには恩返ししなきゃ!と思ってたんで、丁度よかったよ!」
 いつもの調子で私が笑うと、それにつられてみくるも微笑む。みくるが笑顔になるから、私も嬉しい。

 

 お互いを無条件に信頼し、共感し合い、人間的価値を認め合う。私とみくるはそういう友人同士であると思っているし、みくるも私のことを親友だと思ってくれていると信じている。
 ゴールドバーグは互いを熟知し合い利害を伴わない関係のことを 「第三段階の友情」 と定義したけれど、きっと私たちもそういう関係であるに違いない。
 私はみくるが望むなら、みくるのためになると判断したならどんなことだってしてあげたいと思うし、それに対して見返りやリベートを要求したりはしない。私たちの信頼関係と利害は別次元のものなんだ。
 みくるが笑ってくれるなら、それだけで私は嬉しい。そして、きっとみくるもそう思っているだろうから、私は彼女に最高の笑顔で応えてあげるのだ。ただそれだけのことなのさ。

 

 だから私はSOS団のみんなと一緒にずっといたいと思うし、変わらない関係でいたいと願っている。けど、きっと私には、この居心地のいい場所から離れなければならない時が迫っているんだろうな。いや、実際もう来てるんだけどね。
 言わないと。これからは、SOS団にもあまり顔を出せなくなるって。今のうちに伝えておかないと。
 そうは思うけれど、言葉が出ない。今日からSOS団には来れなくなる、なんて口にするのも憚られる。何て言って良いか分からないし、タイミングが難しい。
 ぐずぐずするのは私の柄じゃないけれど、やっぱ言い出しづらいや。だって、これからも私はこっち側にいたいんだもの。
 けれど、だからと言って親に反発して家出するなんてできるはずもないし。うーむ、困った。
「どうかしたんです、鶴屋さん?」
 困惑が表に出てしまったのか、みくるは私の動揺を敏感に察して心配そうに私を見つめる。まいったな、そういう心配されているような目は苦手なんだよ。
 どう言い訳しようかと頭を悩ませていると、公園の出入口に見覚えのある人影が現れた。
「あ、はるにゃん」
 頭をめぐらせてゆっくりとした足取りでこちらを目指して向かってくる団長さんを指差すと、みくるたちSOS団メンバーたちは一斉にそっちへ視線を移す。ふう。なんとか一時的に誤魔化しきれたか。

 

「遅かったじゃないか、ハルヒ」
 苦い薬を飲もうかどうか決めかねている子供のように小難しい顔をしたはるにゃんがやって来た。これでSOS団は全員集合だね。
「私にもいろいろと事情があるのよ。遅くなることもあるわ。それに、事前に古泉くんを通して連絡してたでしょ」
 どうしても集まらないといけないってワケでもないのに、律儀だねはるにゃんは。それだけみんなのことを気にかけてるってことなんだろうね。
 みくるのお茶を受け取ったはるにゃんはいつになく粛々とした手つきでそれを飲み干し、ぐるりとみんなを見回した。
「今日は重大発表があります。これから有希の部屋に移動させてもらおうかと思うんだけど、有希、かまわないかしら?」
「かまわない」
 いつも通りの淡々とした物腰で首をわずかに縦にふる有希っこ。重大発表って何なのかな。私からも発表があるんだけど、はるにゃんの重大発表後にした方がいいかな。

 

 

 

 有希っちのマンションに到着した後も、はるにゃんは珍しく本音を隠すように世間話をまくしたて、オレンジジュースをちびちびと飲んでいた。
 あまり及び腰なはるにゃんを見たことがないから、この後どんな話が飛び出すのかドキドキだね。ドキドキって言っても、様子から察するにあまりはるにゃんにとっては勇んで伝えたい内容じゃないみたいだけど。
 はるにゃんがタイミングを計っているのに気づいてか、みんなは適当に世間話に歩調を合わせていた。言いにくい話がある時に口が重くなるのは私にもよく分かるからさ。はるにゃんが言いたくなった時に言えばいいさ。
「で、キョン。あんたバイトの方はどうなの? 飽きっぽいあんたのことだから、そろそろ嫌になってきたんじゃない?」
「別に飽きちゃいないぜ。確かに大変ではあるが、むしろ遣り甲斐があって楽しみなくらいだな」
「ふーん。予想以上にがんばってるじゃない」
「まあな」
 気のないふうを装ってはいるが、はるにゃんはキョンくんの近況を聞いて安心したようだね。
 なんだかんだ言ってこの子は友達思いだからねえ。独りでいる期間がけっこう長かったって聞いたことあるから、きっと友情とか連帯感というものの大切さを身をもって知っているからこそ、仲間の心配をしてるんだろう。
「まあ万年下っ端とは言え、キョンもSOS団の一員なんだもの。バイト程度で音を上げるような軟弱者じゃないわよね」
 お前が言うなよ、と言いたげに黙り込むキョンくん。はるにゃんとキョンくんのこのやりとりも、SOS団の名物だよね。
「……じゃあ、もう安心ね。私も肩の荷が下りた思いだわ」
 さりげなく、聞き流してしまうほどあっさりと、はるにゃんはそう呟いた。
「SOS団も、そろそろ解散の時期かもね」

 

 みんな、驚いた表情で、あっけにとられたまま、一斉にはるにゃんを凝視する。
 解散する? なにを? SOS団を? あれ、今日ってエイプリルフールじゃないよね?
「なによ、どうしのみんな? ハトがタバスコくらったような顔して」
「解散って、ハルヒ。お前、SOS団を?」
 さっきまでの思い悩む様子はすっかりなりをひそめ、はるにゃんの仕草には、大きな作業をやりとげた後のような達成感、大変なことを言ってしまった後の開き直りのような感じが見て取れる。
 あまりに自然な流れだったので面食らってしまったが、直感的にこれが公園で言っていた重大発表のことなんだなと気づいた。確かにこれは重大発表だわ。これが本当なら、私の言わんとしていた重大発表は根本的に意味がなくなってしまうもの。
「何よみんな。私そんなにおかしなこと言った? キョンだけじゃなくて、これからみんなもバイトや仕事を始めたら時間を合わせることも難しくなってくるでしょ?」
 はるにゃんの言うこともよく分かるし、理屈だとは思う。それでも、私は、私たちは衝撃を受けずにはいられなかった。
 他の誰かからこんな話が出るならまだしも、一番SOS団を大事にしていた涼宮ハルヒ本人からこんな提案が出されるなんて。
 いや、一番SOS団を大事に思っていたからこそ、自分の納得のいく形で、タイミングを見て終わらせたかったのかもしれないね。
 はるにゃんの性格なら、たとえ本人が正論だと理解できていても、SOS団解散の話を他人に出されたら断固として拒否してただろうし。そして維持の張り合いになって、泥沼になっていたかもしれない。
 彼女は断腸の思いで、苦渋の選択をしたのかもしれないな。
 いつかはSOS団も解散せざるをえない日がくることは当然の成り行き。その成り行きが、偶然今だったっていうだけの理由、ってことかな。
 むしろ私にとっては、SOS団を離れなければならなくなった今の時期だからこそ、SOS団解散のタイミングは絶妙だったと言えなくもないかな。全然うれしくなんてないけどね。

 

「解散するって言っても、今までのことがぜーんぶチャラになるって言うわけじゃないわよ。私たちはSOS団を発展的に解散し、より団員たちのニーズに即した形に進化するの」
 すっかりいつもの調子にもどったはるにゃんは、胸を張って高らかに宣言した。ここまで言い切られると逆に清々しいね。
「まあ、そういうわけだから。みんなもこれからは自分の時間を大事にしつつ、新SOS団の一員という心構えを常に念頭に置いて、団長の私が見ていなくても後ろ指を差されるような行いをせず、模範的な社会人として生きていくのよ」
 はるにゃんはあっけにとられた元SOS団員たちにひとりひとりに、まるで花束を手渡すかのように、慈悲深い目を向けていく。
 気づくと私もあっけにとられた顔をしていたようだ。自分で自分の顔が確認できなかったから気づかなかったけれど、状況把握のために脳みそが少しの間、思考停止してしまっていたようだ。
「ねえ、はるにゃん? それ、本気かい?」
 私の問いかけに答えるかのように、僕たち私たちのSOS団団長は、朗らかな笑顔でにこりと微笑んだ。
 彼女は、きっと本気なんだろうな。と思った。

 

 

  最終回へつづく

 

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最終更新:2020年08月14日 17:55