私の選んだ人 第6話 「真実の言葉」


目を覚ますと、そこはかなり天井が低く狭い場所で、僕は硬めのベッドに寝かされており、柔和な笑顔の森さんが横に座っていた。
ここはどこだ?それにしても狭い。機械類が所狭しと並んでいるし、薬品の匂いが僕の鼻腔を刺激する。
……なるほど、救急車の中。か。

救急車?待てよ?そうだ、僕は死ぬ筈だったのに何故目が覚めた?

毛布の中、自分の体をまさぐり調べる。腹部をに手を伸ばした僕は先程の激痛を思い出し、本能的に躊躇した。でも、もしあのままだったら目を覚まさないな。大丈夫な筈だ。思い切って触ってみる。

……正常だ。
この場合、逆に異常と言える。

確か車に担架で乗せられて、森さんの震えている嫌に冷たい手を必死で握り返そうとしていた事だけは、ハッキリ覚えている。
森さんの手が震えるなんて。……やっぱり優しいな。森さん。
僕は嬉しくなり、自然に少し頬が緩むのを感じる。

「気分はどう?」
森さんが柔和な笑顔をそのままに、明るい声で言った。

「そうですね。敢て形容するならば、悪い夢から覚め現実に戻った時の開放感に非常に良く似ています」
僕はわざと「僕」に答えさせます。
すると彼女は明るい声のまま、こう切り返しました。
「そっちのアンタには用ないわ。一樹。今は他に誰も聞いてないわよ」

ははは、相変わらず痛烈だ。でも、「ああ僕は生きているんだな」と、実感し、更に頬が緩む。
僕はベッドから降りようとして、半身を起した辺りで切り開かれている上に血で汚れているボロ布のみを身に纏っている事に気付き、立ち上がるのを諦め毛布を引き寄せた。下着はまだ着けているようだけど、どうせ血まみれだろう。あまり他人に見せたいものじゃない。特に、森さんには見せたくない姿だ。……まぁ、もう遅いだろうけど。

「ありがとう。森さん。助けてくれて。多分、長門さんに頼んだ?」
「まあ、当然推理できるわね。それは」
と、言いつつも、彼女の顔は少しだけ誇らしげに見える。
「でも、情報統合思念体がよく許可しましたね。交換条件でないと良いんだけど。まあ、機関が交換条件を飲む訳もないか」

森さんの顔は、リラックスしたままだ。僕は少し安心する。
が、待て。彼女の顔の表情は「僕」の発言と同じぐらいの意味しか持たない。さっき見た蒼褪めた彼女の顔なんて、笑った長門さんの顔ぐらい希少価値のある物だ。でもいくら珍しいからとは言っても、森さんのあんな顔は2度と見たくない。僕を心配して蒼褪めてくれたのは正直少し嬉しかった。ただ、その事が返って、薄れ行く意識の中にあって全く残される側の身になって考える事の無かった、自分の不明さを強く恥じさせる。
もうあの様な思いはさせたくない。……出来る限り善処しなければ。

「安心なさい、一樹。交換条件じゃないわよ。なんて事はなかったの。私が何もしなくても結局ギリギリで長門有希はあなたを治していた筈。私は単にあなたをここまで運ばせただけ。情報統合思念体にとっても、SOS団のバランスは絶妙過ぎて今は手が出ないのね。アンタが死んだら向こうも困るって事みたい。きっと元々居なかった事にしても駄目なのね。実際、彼らにはそれが可能なんだから」

今度こそ安心する。どうやら本当の様だ。
「そっか。でも、ありがとう。森さん。もう駄目だと思ったよ」
「そうね。私も正直駄目だろうと思ったわ。長門さんに感謝する事ね。彼女、前もってあなたを治す準備をして待って居てくれたのよ?それにしても全くアンタ無茶しすぎよ。まあ、アンタのお陰であの神人も無事に処理できそうだし、今回だけは特別に怒らないで置いてあげる。ただし、次からはもっとうまくやりなさい」

「まあ、僕の代わりなんて、機関には幾らでも居るだろうけど、僕としては……?」
僕はそれ以上、言葉が続けられなかった。
あの森さんが、陰で「鬼」と呼ばれ恐れられる彼女が、俯き、拳を強く握り締め、固く口を引き結んで、今にも泣き出しそうに小さく震えている。

まるで、小さな子供みたいに。

その森さんは、儚くて、脆そうで、僕の脳天を粉砕した。

僕は真っ白になった。

森さんが不意に僕に抱きついた。
あまりの事に、僕の脳は状況を理解する事を躊躇っている。呆然とした僕は、「服が汚れます」とすら、言えない。それに、言えたにしても、言わなかったかもしれない。
僕の肩に顔を押し付けた森さんの目の辺りのシャツの切れ端が、温かい物でじんわりと湿ってくる。

泣いている?
森さんが?
僕の為に?
僕が助かった事に安堵する余り泣いている。
……そんな筈が無い。

そのぐらいで、感情を抑え切れなくなる人じゃない。
なんだろう。この胸騒ぎは。この嫌な予感は。

森さんの押し殺した嗚咽の隙間から、千切れた言葉が漏れ聞こえる。

……なんで…貴方……

……で……私……

僕は混乱した頭で考える。
何故、自分が選ばれたのか。機関の人間なら誰しもそう思っている。自分の不運さを呪ってそれを口にする。ただ、森さんがそれを口にしたのは初めてだろう。
機関の上部構成員は、その言葉を口にすることを機関法により固く禁じられている。増してや、部下の前で。……これがバレたら彼女は非常にまずいことになる。

しかも、彼女は「なんで、あなたなの」つまり「何故僕が選ばれたのか」と言った。

「機関の関係者同士での恋愛は『禁・則・事・項』よ。そして私はそれを破らない」
彼女の言葉を思い出す。
彼女が破らないと言うなら、彼女は言った通りに破らないだろう。
自分の感情を押し殺し、命令とあらば、自分の愛する人ですら結局手に掛けるだろう。

でも僕は知っている。彼女は本当は優しい人だ。
自分の心を犠牲にしているだけなんだ。
敬愛すべき人なんだ。

もし、彼女が僕を少なからず想っていてくれていたら。と、仮定してみる。
もしそうであっても、彼女がその想いを明確に口にする事は機関が無くなりでもしない限り、一生無いだろう。つまり、彼女が「何故僕が選ばれたのか」と言った理由は、僕と彼女が機関に係わらず全く別の出会いをしていたなら。という意味になる。

でも彼女はそんなロマンチストではない。現実を見る人だ。
だから僕の勘は、違うと言っている。凄く嫌な予感がする。
更に、僕はそれを理解してはいけない。とも言っている。

僕が「何」に「選ばれた」事を指し、彼女がそう言っているのかだけは。


そうしていたのは1分程だろうか。
平静を取り戻した森さんはゆっくり身を起こすと、表情を消した顔、いつもの抑制された声で、
「忘れて。命令」
と、言った。上司の命令は絶対だ。
でも、上司が機関法に違反した場合は話は別だ。それは命令として機能しない。それでも、僕はこの命令を守る。
………守りたいから。

「……了解」
この時の事は、森さんに抱き締められたという喜びでなく、言い知れぬ不安のみを、僕の脳裏に刻み込んだ。




「無事、仲直り出来たご様子で何よりです」
僕がそう申し上げました所、いつものパイプ椅子へ腰掛けた彼は、熱いお茶を啜りながら僕を一瞥しました。一般高校生男子にしてはなかなかの眼力だと賞賛したい所なのですが、森さんを上司に持つ僕にその程度では、残念ながら心地よさを感じる程です。
ああ、説明するまでも無いかも知れませんが、彼の飲んでいるお茶は、メイド姿の朝比奈さんが現在ここに居る全員に淹れて下さった物の1つです。ちなみに涼宮さんはまだいらっしゃっておりません。

「来るなりそれか。古泉。何故それを知っている?……なあ、お前の所は常に俺を監視している訳では無いだろうな?まさかとは思うが、俺の電話を盗聴などしてはいまいな」
「ま、まさか!貴方は機関をその様な目で見ていらっしゃったのですか?……ハァ。余りに寂しい事です」

言いながら、先ず驚いた顔をして見せ、次いで大きく溜息をつきながら、大袈裟に肩を竦め、最後に首を振って置きます。「場合によっては電話に限らず盗聴させて頂いておりますし、他にも、超望遠からの読唇、外出時の尾行、住居侵入など、色々と余罪があります」などと本当の事を言える訳も無いですしね。特に、昨日はその盗聴が必要とされる「場合」だった訳ですから。実際、僕もその録音を最初から最後まで聞かせて頂いておりますし。

「お前のニヤケたツラを見ていると、イマイチ信用できん」
彼はムッとした表情で、またお茶を啜ります。
これでもし彼に信用されでもしてしまったら、返って僕が傷付いてしまいます。甘いと自分でも解っては居るのですが。

その録音の内容ですが、詳細はお二方の名誉の為にも伏せさせて頂きます。
ええっ?是非聞きたいのですか?そうですか。……仕方ありません。では、少しだけ僕の趣味である喩え話にしてみましょう。

どうやら彼は僕との通話の後10分程熟慮した末、涼宮さんに電話した様です。恐らく話題や切り出し方をお考えだったのではないでしょうか。電話を受けた涼宮さんは依然としてお怒りになっておいでで、彼らの会話も出だしは険悪な雰囲気に包まれていました。先発に指輪の話題を出さなかった彼の采配ミスです。しかし30分もすると聞かされているコチラが思わず赤面していまう程に、あたかも本当の所は相思相愛だがお互いそれを隠し果せているつもりの高校生男女間の初々しい会話を想起させる、杏飴やストロベリージャムの如き甘酸っぱさによりコーティングされた微妙な言葉のキャッチボールへと移り変わり、1時間も経った頃には涼宮さんのお心はもう満塁、彼もこれはもうこのままストレートに告白か?と思わせる様な雰囲気まで漕ぎ着け、僕も祝福の言葉まで考え、飛び出す準備万端だったのにも拘らず、結局、スローカーブの大暴投を振り逃げサヨナラに終ってしまった。と言う事ぐらいは、うっかり漏らして置きましょうか。ああ、5割以上喩えになってませんでしたね。これは失策でした。

森さんと一緒に3倍速で聞いたのですが、結局30分近くも掛かりましたよ。流石に森さんは顔色一つ変えられませんでしたが、かなり呆れてはいらっしゃいました。……いえ、実際、僕も聞きながら結構本気で落胆したものです。まぁ、機関の方針としても「そうなる」のはもう少し涼宮さん、彼、長門さん、が精神的に成長してからの方が望ましいという事になっては居るのですが。
それから閉鎖空間についてですが、その電話と時を同じくして、まだ半数は残っていた神人達が急に棒立ちになり、簡単に処理出来たそうです。いえ、僕は全く気にしてなどおりません。危うく無駄死にし掛けた事など。本当に全然平気ですので、ご同情は無用に願います。


少し温くなったお茶を丁度飲み干した時でした。バンッ!と豪快な音と共にドアが開き、
「んっ!皆ちゃんと居るわね!感心カンシン!」
その涼宮さんがいらっしゃいました。ご機嫌麗しいご様子ですが、部室へ入るなり立ち止まって何やら匂いを嗅いでいらっしゃいます。部室が臭うのでしょうか。特に僕には臭いは感じられませんでしたが……。

「あっ!すぐお茶を準備しますねっ」
と、朝比奈さんが立ち上がりつつ、涼宮さんへとお声をかけられます。
「うん。みくるちゃん。景気良くアッツアツのをお願いね!体中のニオイの元のバイキンが絶滅するぐらいの」
「はぁい」
ははぁ、なるほど。なんとなく解って来ました。
「それはそうとキョン」
と、怒ったような顔を作り彼へ詰め寄る涼宮さん。僕の勘では彼女は全然怒ってなどいませんが、とりあえず透視してみましょう。

「今日アンタ、なんか、臭うわよ」
「なっ!?マジか?自分では全然分からんが」
彼は慌てて自分の衣服の袖口や襟のニオイを嗅いで居ます。が、多分全く臭わないかと思いますよ。

彼女のお考えは読めました。昨日の電話が事の発端な模様ですね。お2人は匂いに関する話をされてましたから。まぁ彼に限っては涼宮さんがご機嫌を直される様ならば、話題はなんだろうと良かったのだろうと思いますが。
さて、僕は朝比奈さんを連れて外へ出た方が良いのでしょうか。ですが朝比奈さんはお茶を淹れるのに集中する余り、今の、不穏と言いますか、蜂蜜色と言いますか、その様な雰囲気に全くお気付きになられておりません。まあ些か面白そうですしこのままここで見物と洒落込みましょう。

「自分で分からない?ホントに仕方ないわねっ!団員が悪臭を放ってたりしたら、団長のあたしの責任問題になるんだからね!」
言うなり彼女は彼の緩んだネクタイの輪に手を突っ込むと、それを押し広げ、シャツのボタンを外しに掛かります。
「わっ!おいっ!イキナリ何すんだ!」
「ニオイを消すのよ!ほら、ちょっと!キョン!こら動くなっ!」
彼は無様に椅子から転げ落ちると床に仰向けに引っくり返り、その上に涼宮さんが馬乗りになられました。この光景を見るのは2度目ですね。さて、これはやはり僕らは外へ出た方が……。

「お茶、はいりまひぇぇっ!?」
振り返ってやっと今の事態に気が付いた朝比奈さん。失礼ながらトレイの上から落ちる前に湯呑みを押さえさせて頂きました。今のお2人に水ならぬ熱々のお茶を注すのも如何な物かと思いまして。まぁこの濛々たる湯気を放つお茶の方が、幾分低温である気も致しますが。一応、念の為。

「朝比奈さん、少しお話したい事がありますので、ちょっとそこまでご足労願えませんか?」
額から首までを真っ赤に染め、大きく見開かれた愛らしい眼を泳がせておいでの朝比奈さんは、完全に言葉を失っていらっしゃるご様子ですので、失礼ながらメイド姿の彼女の背中に手を添えさせて頂き、廊下へとご案内差し上げます。ちなみに、床で縺れ合っているお二方のお顔も彼らにしては大分朱色に染まって来ております。まだ夕焼けには程遠い時間帯ですが。何故でしょうね?
長門さんは読書を中断する必要も無いと判断された様です。
昼休みに彼女へは擬態せず昨日の命を救って頂いたお礼を申し上げたのですが、ただ1つ頷かれただけでした。

「ホラッ!キョン!団長自らこの香水をイイ感じにかけてあげようってのに、この!もうっ!大人しくしなさいっ!」
「解った解った!色々言いたい事はあるが、まあいい。一千億歩譲ってそのいかにも女物な香水を使う事には同意してやる。だからそいつを先ず俺に寄越せ!って、お前一体どこに手を」
「だーめ。どうせあんた香水なんて使った事ないんじゃないの?つけすぎて余計にクッサクなるに決まってるんだから…………」

申し訳ありません。ドアを閉めさせて頂きました。


ふぅ。昨日の今日でこれだけ見せ付けられると、思わず苦笑が漏れてしまう。でもまぁ本当に良かった。

丁度開いていた廊下の窓から外を眺める。
小鳥達が囀り、活き活きとした新緑の木々と雑草達が風に揺られ、フェンスの向こうでは陸上部がトレーニングの最中だ。なんだか、何も変わらぬ平穏そのものな日常へ戻って来ると、昨日危うく死ぬ所だったなんて全く現実味が無い。
しかし長門さんは文字通り僕の命の恩人になった。いつかこの借りを返せる時には、必ず返そう。どんな謝礼の言葉を並べ立てても、この感謝の気持ちは伝え切れない。
森さんも僕の命の恩人になったけれど、彼女へは果たして恩を返すチャンスがあるのかどうか。そもそも返す事ができるのか。……甚だ疑問だ。色々な意味で。

「キョンくんと涼宮さん、仲直りしてくれて、ほんとによかったです。あのままじゃ、えっと、困るっていうのだけじゃなくて」
隣に立って外を眺めていた朝比奈さんが僕に声を掛けた。
「ええ。僕もSOS団が好きです」
「うふっ!古泉くんって、たま~にそうやって、じぶんの気持ちをストレートに出しますよねっ!」
ええ、今は擬態していませんので。ね。……朝比奈さんは素でも擬態でも殆ど差に気付かないから助かる。少し寂しいけど。

「それにしても、きのうのアレ、すっごく大変だったんじゃないですか?今日なんだか、古泉くん少し顔色良くないかも」
「ええ、……まあ」

本当に大変だった。でも、結局僕も仲間も全員無事。2人も仲良くしてくれているし、終わり良ければ全て良し。かな。いや、個人的に森さんの言葉が気になっているのを除けば。あれからどうしても気になって考えてしまい、僕は恐らく答えを見つけてしまった。
「彼女」が、「何」に、僕を「選んだ」のかを。
……柱、か。
森さんはきっと、僕に恨まれる事を望んでいるんだろうなぁ。だからヒントを出したんだろう。
……でも、ダメだ。たとえ彼女の為であっても、僕にはそれは出来ない。


「古泉くん」
突然僕の方へ向き直った朝比奈さんが、深く頭を下げながら言った。
「いつも、ごめんなさい。大変なところを全部おしつけてしまって。そして、ありがとうございます」
頭を下げたまま、顔を上げようとしない彼女の栗色の髪が、窓から吹き込む風に遊ばれフワフワとそよいでいる。……困ったな。

「朝比奈さん、どうかお顔をお上げください。お気持ちはとてもありがたく頂戴いたします。ですが僕は誰にも謝って欲しいなどとは思ってませんよ。素晴らしい人達を守るお役に立てるのですから、喜びを感じている程です。それにあなただって、相当に辛い思いをされておいでだ」

「ありがとう……」
そう言いながら上げた彼女の顔は、暗く沈んでいた。彼女の遣り切れない思いが強く滲んでいるその目を直視できず、窓の外に視線を戻す。

今の彼女の立場は僕には耐えられないだろう。無知で居る事、素直で居る事が彼女の与えられた役割ならば、思索する事、偽る事が僕の役割。そこは正反対だ。
しかし、僕が今の僕の立場に耐えられるのか?と、……いや違うな、正しくは今後訪れる可能性のある、重大な取捨選択を迫られる立場に耐えられるのか?と訊ねられたら、答えに窮する。ただ、耐えられないから決断もせずにズルズルと行動を起さないで手遅れになる。というのは僕の性分には合わない。良いにせよ悪いにせよ決断はする。そしてやはり僕はSOS団を取る。いや、取らざるを得ない。だから彼にも「1度までは長門さんの肩を持つ」と宣言してある。2度目は無い。
仲間を見捨てた過去を持つ自分を許す事なんてできないし、どちらにせよ森さんと僕では不釣り合いだ。しかも彼女の僕に対する思いは、同情や贖罪であり、恋愛感情とは違うだろう。それ以前に、機関員同士の恋愛は機関が禁じてすらいる。更に言えば、もし彼女が僕に恋愛感情を持っていて機関がそれを許可したとしても、僕には仲間を見棄てられない。見棄ててしまったら、僕は死んでいないだけで生きているとは言い難い状態になってしまう。

僕が気懸りなのは森さんがどれ程強く責任を感じてしまうか、だ。僕が何を言った所で、僕が彼女を恨んでみた所で、それは結局変わらない。僕が思うにそれこそ運命であって仕方が無かったのだ。最終的には彼女が僕を選択したとはいえ、彼女も選択する立場を押し付けられた身であり、結局誰かが僕のポジションに居た。だから彼女にはまるで責任は無いのだと思うのだけど。彼女は、そこを割り切る事だけはできないだろう。彼女が本当に鬼だったのなら、僕ももう少し気が楽だったのかもしれない。


僕と同じ様に窓の外へ目を向け、僕と同じ様に何事か考え込んでいた様子の朝比奈さんが、また口を開いた。
「……古泉くん。あたしはもしみんなが仲良しじゃなくなっちゃったらって思うと、それがなにより一番怖いんです。それなのに、なにかあっても、いつもあたしには何もできなくて……。あっ、でもあたしたちの世界が、ええと、なくなっちゃう可能性は、もちろん一番怖いですけど。そのほかでっていう意味で……」
そう言う彼女の声は、顔と同じぐらい暗く沈んでいた。
僕には掛けられる言葉が無い。どんな慰めの言葉も白々しく耳に響くだろうから。「与えられた役を出来る限り完璧に演じるしかない」と言うのは、僕も彼女も同じ。彼女はどうするのだろう。もし彼女の未来に置けるSOS団が、悲劇的結末を迎えた歴史を持っていたりしたら。……恐らく、彼女も僕と同じ様に抵抗するだろうな。

「古泉くんは、なにか怖いものって、あります?」
「僕は、死ぬ事が怖い。と、思う様になりましたよ」
「そっかぁ……。古泉くんが言うとちょっと意味深です……。あたしも、怖いかも……」

ただ、未来は決まっている物じゃない。目の前の朝比奈さんの存在がそれを如実に物語っている。歴史が確固たる物として決まっているのなら、過去へ調整役を送る必要なんて無い。何かあってもなんとかなるかもしれないし、そもそもそういう選択を迫られる様な事が起きないかもしれない。転機点なんて突然降りかかってくる物だし、今はそれに怯えていても仕方が無い。僕はただ「覚悟」を決めて置くだけだ。

「大丈夫ですよ。朝比奈さん。僕達がお互いを支え合っている限り、きっと全てなんとかなります。あなたの存在が必要不可欠であった時も何度もありましたし、これからもあるでしょう。その時は、どうかよろしくお願いいたします」
僕はそう言って彼女に頭を下げた。……他人に言葉や態度で自信を与えたり奪ったりする技術も、機関の必修科目だ。はぁ。

「え、あっ、はい。古泉くん、顔を上げてください。……そうですよね。きっとなんとか、なりますよね!」
頭を下げた僕を見て狼狽した彼女はあたふたと手を振り回していたが、僕が顔を上げると彼女の顔は眩い笑みに変わった。

嘘を付いた罪悪感が、僕の胸ポケットの奥に深く刺さった。

僕はその胸ポケットに入れた2つの水溶性カプセルが入れられたケースを押さえ、それがそこにある事を確認する。
機関から支給される白と黒の薬。これを常に身に着ける事が、今の僕の覚悟の証明。
白は飲むと丁度5分で眠るように完全な仮死状態になり、3分後に覚醒する、生きるための薬。
黒は白と同じ様な効果。ただ、そのまま目が覚める事は無い。死の薬。

「オセロ」と呼ばれている。不気味な薬に丁度いい名前だ。



幕間劇 61/2へつづく











































私の選んだ人 幕間劇 61/2


古泉一樹を転校させた時、彼はまだ訓練の途中だった。

涼宮ハルヒの周辺に潜入させる為、私が、彼を抜擢したから。
彼を選んだ一番の理由は、彼がその見た目に反し、非常に義理堅い心を持つという素質。

私は、それを、利用した。

いざという時、共に長い時間を過ごした仲間を簡単に裏切れる様な情の浅い人間を、異常に勘の鋭い涼宮ハルヒが自らの身の回りに置く筈が無かった。
潜入者が、SOS団に強い愛着を持ち、有事の際に機関を裏切る事をも厭わない事。それが、その時必要な人材の条件だった。

そして私は、古泉一樹を、選んだ。

彼の訓練がもっと進んでいたら、彼を選ばずに済んだかもしれない。と、私は時々思ってしまう。
でも、彼を選んだのは、私。

私は、……私は、正しい上司なんかじゃないっ!!!


機関を裏切った者の末路なんて、決まっている。
明文化されていない処罰。裏切り者は、消される。
それから逃れ得る可能性は、無い。

一樹は、私が『神』に捧げた、人柱。

だから、せめて、いざという時は必ず私がこの手でケリをつける。
何があっても、絶対に他の誰にもやらせはしない。
せめてもの、償いとして。


本当はイヤッ!!
私そんな事やりたくない!
そんな日なんて来なければいい……。

……でも、私の勘が背後から囁く。
いずれ必ずその時が来る。と。
私の悪い予感は今まで外れてくれた事が無い。……ただの1度も、無い。
小さな抵抗を続けて来たけれど、きっと駄目だと解ってる。

彼は私を理解してくれた。
孤独に耐え、理解される事も、直接情を掛ける事も、掛けられる事も拒み続けていた私を、彼は理解してくれた。

彼は私を好きだと言ってくれた。
決して報われない恋だと知っていても、私を慕い続けると言ってくれた。
彼の言葉から私は、彼の中に深く根付いた、私への強い愛情を感じた。
意思の介入する余地の無い、強い想いを。私は理解できた。

「見返りを求めず、他者に優しさを与えられる人だから」
そう言った時の彼の瞳の奥は、
「貴方を守る為になら、命すら棄てよう」
そう、言っていた。
あなたを選んだ、この私を。

だから私は、心に決めた。
必ず、私が、この手で。


だから、せめて、『神』よ、
彼の魂に安らぎを。
……その様な物が本当にあるのならば。

だから、せめて、私は、
今の彼を目に焼きつけ、心に刻もう。

私は生きて地獄へ堕ちよう。



第7話「天にて諮る者」へつづく

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