『長門有希の三日間』
一日目
世の中はゴールデンウィークだ、6連休だ、8連休だとか言って浮かれているようだが、俺たち高校生には関係ない。暦通りに学校に行って、暦通りに休みになるだけだ。大学生にでもなれば、休みと休みの間も教授が休講にしてくれるのかもしれないが、残念ながら北高にはそんな気の利く教師はいない。
一応愚痴ってみたが、今日からはやっと連休だ。ところがだ、朝から北口駅前の喫茶店で爪楊枝のくじ引きを引いているのはなぜだろう。
「ほら、さっさと引きなさい」
そう、不思議探索だ。明日からハルヒは家族と出かけるので、今日中に不思議を見つけ出さないといけないらしい。ということでSOS団の5人が集まっているというわけだ。
「印なしだな」
先に引いた朝比奈さんと古泉は印ありで、3番目の俺が印なしだった。ということは、残り2本は印ありとなしが1本ずつだから、俺は、ハルヒか長門のどちらかとペアになるってことだ。
妙にテンションの高い今日のハルヒとペアになるのは避けた方がよさそうだ、という想いが勝負の神様に通じたのか、俺の次に引いた長門は印なしだった。
喫茶店を出て探索に出発しようとしていると、おもいっきりアヒル口になったハルヒが、
「有希と二人だからって図書館でサボってるんじゃないわよ」
とか言ってるが、軽く聞き流していつもの図書館へ直行するつもりだ。長門だってそれで問題ないはずだ。
「そうだろ、長門?」
「そう。でもその前に少し話がある。聞いて欲しい」
「何か問題なのか?」
「私自身の問題」
そういうと長門はすたすたと先に行ってしまった。
図書館の中で話し込むことはできないので、近くの公園のベンチに座っている。長門自身の問題ということなので、俺は長門から話を切り出すまで待つことにした。
雲ひとつない五月晴れ、今日は晴れの特異日だったっけ? などと考えながら空を見上げていると、長門が話し始めた。
「以前、情報統合思念体により、エラー処理のための各種処理機能が用意されつつあることを説明した」
「そんなことあったかなぁ?」
「新学期直前の不思議探索の時」
おぉ、あの時か。あの後、妙なことを口走る長門に、少しは自重しろ、と説教したことを思い出した。
「昨日、新たなエラー処理機能が用意された」
長門はいつもよりゆっくりと話し始めた。
「私のようなインターフェース端末にとって、この世界で暮らして行くうちに発生する大量のエラーをどのように処理して行くかが問題となっている。朝倉涼子やこの前の私のように、エラーを処理しきれずに異常動作を起こす事態も発生した」
そうだ、その度に俺はひどい目に遭っている。
「そこで、情報統合思念体は積極的にエラー処理に取り組むこととし、わたし用に調整した新しい処理機能が用意され、昨日19時より3日間の予定でテストを開始した」
「ほう、それでその機能はどんなものなんだ?」
「今までは、発生したエラーは隔離、凍結するしかなかった。新しい機能はエラーを解析、処理した上で内部に取り込み、それによりさらにエラー処理能力を上げようとするもの」
やっぱりよくわからん。
「……具体的には、お前はどうなるんだ?」
「端的に言うなら、人間における感情というものを持つことになる」
ベンチから立ち上がった長門は、青空を見上げている。
「新機能のテストのために、故意に大量のエラーを発生させる必要が生じた。私一人では何もできない」
振り返った長門は、ベンチに座っている俺を見つめて、
「もしよかったら、私と3日間つきあって欲しい」
と言って、ぴょこんとお辞儀をした。
「お願いします」
あの長門が「要望する」ではなくて「お願いします」と言ってお辞儀したのを見て、俺はやっと事態が把握できた。情報統合思念体は、なにやら新しい機能を用意して長門を普通の高校生にしようとしているらしい。ということは、ここをうまく乗り切れば、長門はより人間らしくなれると言うことだ。
当然俺は長門に協力する、協力しないでどうする。何でもつきあってやる。
「わかった。わかったから、頭を上げろ」
スッと頭を上げてあらためて俺を見つめた長門は、ぎこちなく微笑んだ。表情作成の機能は、まだ不十分な様子だな。
「ちょうど連休だし、特に用はないし、付き合うよ。なんでも言ってくれ」
俺は立ち上がって長門の隣に立った。
「とりあえずこのことは、俺以外の連中には話さない方がよさそうだ」
「同意する」
「まぁ今日一日、他の連中と一緒の間だけは、今まで通りの無表情にしておくことだ。笑い方の練習は家に帰ってからやってくれ」
「了解した」
「話し方もだ」
「努力しま……する……します」
落ち着け、長門。
その後は、予定通り図書館へ行った。俺が少しばかり睡眠不足を補っている間に、長門は明日出かけるところを探すために、情報誌コーナーに行っていたようだ。目が覚めると、「明日はここに行きたい」と言って、水族館と観覧車のある海辺のスポットの記事を見せてくれた。
「じゃあ、10時に北口駅前でいいか」
長門は誰が見てもはっきりわかるぐらいの大きさで頷いた。
午後の探索は、俺と長門と朝比奈さん組とハルヒと古泉組に分かれた。朝のアヒル口を越えてペリカン口になったハルヒが何かぶつぶつ言っているのを横目に、
「これ以上涼宮さんの機嫌を損ねないように努力しますよ……」
と古泉がハリのないニヤけ顔で言っていたので、
「なんか知らんが、よろしく頼む」
とだけ言っておいた。
「どこに行きましょうか」
と朝比奈さん。あなた方お二人と一緒ならどこでもいいですよ、などと両手に花の気分を満喫していると、長門が答えた。
「買い物に行きたい」
「えっ?」
「服を買いたいので、お店を教えて欲しい」
「え、えぇ、この近くのお店でよければ……」
「いい」
朝比奈さんは、急に長門がこんなことを言い出したので、不思議そうな表情をしているが、俺には理由がわかっている。明日着る服が欲しいわけだ。
「長門さんに似合う服なら、あっちの店かなぁ」
朝比奈さんはあごに手を当てて、うーん、と考えている様子だ。俺はちょっと気になって長門にそっと尋ねてみた。
「お金大丈夫なのか?」
「大丈夫。情報統合思念体より支給されている。本当はカード払いの方が情報操作は容易だが、私の容姿でカードを使うのは怪しまれるから」
では、その現金はどこから、という疑念が消えたわけではないが、これ以上は何も言わないでおこう。
「3つほど隣の駅なんですが、電車で移動してもいいですか?」
「集合時間に間に合わすには、駆け足の買い物になるけど、長門、いいか?」
「いい」
「じゃあ行きましょうか」
俺たちが降り立った駅の周りには小洒落た店が多く、連休ともあってどこもにぎわっている。朝比奈さんの案内で何軒かブティックや雑貨屋をまわったが、どこも長門に似合いそうな服を置いている店ばかりだ。朝比奈さんはちょくちょく買い物に来ているのだろう、結構この辺りには詳しいようだ。
最初のうちは朝比奈さんの言いなりだった長門も、二、三軒目になると、自分から気に入った服を見つけてきては、鏡の前で悩むようになってきた。今も二着ほど持って試着室に入っている。
「どう?」
試着室から出てきた長門は、俺と朝比奈さんに向かって尋ねてきた。
「さっきの方がかわいかったみたい」
「俺は、こっちの方がいいな」
「では、これにする」
と言うとあっという間に試着室に引っ込んだ。
「あれ、いま長門さん、笑っていたような……」
「き、気のせいではないですか、あの長門ですよ」
「うーん、そうかなぁ、おかしいなぁ」
どうやら、一瞬長門がニコっとしたところが目に入ったらしい。朝比奈さんは何か腑に落ちない様子で首を傾げていたが、やがて無理やり見なかったことにしたようだ。
「それにしても、長門さん、たくさん買いましたね」
「結局、4着ぐらい買ったみたいですね」
これで長門の部屋の、あの殺風景なクローゼットの中にも少しは花が咲くってもんだ。
それにしても情報統合思念体は金持ちらしい。今度長門からよろしく伝えておいてもらおう。
帰りの電車に乗るときには、長門は5つの袋をぶら下げることになっていた。まぁ、そのうちの3つは俺が持っているわけだが。ふと気がつくと朝比奈さんも1つ袋をぶら下げているし。いつの間に買ったんだろう?
ひとまず北口駅のロッカーに買ったものを入れておき、俺たちは集合場所へと急いだ。ハルヒと古泉がすでに待っていた。
「キョン、なにか不思議は見つかった?」
「特になにもなかったな」
「ふん、仕方ないわね。じゃ、今日は解散。体に気をつけて連休明けに会いましょう!」
ハルヒが威勢よく高らかに宣言して、今日はお開きとなった。ご機嫌に去っていくハルヒの後姿を、その機嫌取りで苦労したらしい古泉が疲れた表情で見送っている。
「僕も帰ります。素直に神人と戦っていた方が楽だったかもしれません……」
「お疲れ、古泉」
「では、失礼します」
そういうと古泉も重い足取りで帰っていった。
残った俺たちが駅のロッカーから荷物を出していると、朝比奈さんがそっと俺に話しかけてきた。
「今日の不思議探索の中では、長門さんの行動が一番不思議でした……」
「ははは、初めて不思議が見つかったんじゃないですか?」
「ふふ、そうですね」
朝比奈さんは軽く会釈して、
「じゃあ、私も帰ります。お疲れ様でした」
「「お疲れさま」」
タイミングよくハモってしまった俺と長門は思わず顔を見合わせてお互いに肩をすくめてしまった。
その後俺は、今度は買い物袋を4つぶら下げながら、長門をマンションの下まで送って行った。
「じゃあ、また明日な」
「また明日……」
もと来た道を帰りながら途中で振り返ると、長門はまだ手を振っていた。
二日目
今日もいい天気だ。日頃の行いがいいからだな。ご機嫌に自転車を飛ばして、北口駅前に到着した俺は、少し離れたところにある駐輪場にマイチャリを置いて、駅前広場へと急いだ。広場の時計がちょうど10時を指した時に待ち合わせ場所の長門の姿を見つけて、俺は小走りで近づいた。
「すまんすまん」
俺に気づいた長門は、おもむろに左手を腰に当て、右手で俺を指差して、
「遅い! 罰金!!」
と言い放った。
「…………。長門ぉ、お前までそれを言うか……」
「一度、言ってみたかった」
長門は少し微笑みながら、立ち尽くす俺の隣にやってきた。
「夕べは笑顔の練習をした。どう?」
「昨日より、かなりましになったな」
「ありがとう。でも、言葉遣いはまだ練習が不十分。従来の話し方が混じってしまうかもしれないけど許して欲しい」
「いいよ、気にするな。いきなり朝比奈さんのように話されたら、かえって戸惑うし」
「了解」
今日の長門は、七部袖のカラーボーダーのチュニックにスリムなジーンズという、昨日試着室から出てきた時の格好だ。俺が選択しただけあってよく似合っている。
「じゃ、行くか」
「うん」
長門は俺の左手に巻きついてきた。違和感ありありだな。気分はいいけど。
少しばかり電車を乗り継いで、長門が行きたいと言っていたウォータフロントの水族館に到着した。カップルや家族連れでいっぱいの広場を抜けて、入場券を買う列に並んでいると、
「ここは私が払う」
と長門が言い出した。
「私が行きたいと言ったから。そのかわりお昼はあなたの奢り」
まぁ、いいか、そういう割り勘も。少なくとも統合思念体は俺より金持ちだし。
この水族館は、長いエスカレータを上って、建物の中をぐるぐる回りながら降りてくる構造だ。中央にはでっかい水槽があって、外側にはテーマごとの展示や水槽が並んでいる。順路にしたがって降りて行くうちに、さっきまで水面に顔を出していたイルカが水中をすごい勢いで泳いでいるところが見られたりして、なかなか楽しい。
ふと隣を見ると、長門は、水槽の中で静止しているイルカと見つめ合っている。そのイルカが泳ぎ去ったので、俺は長門に尋ねてみた。
「あのイルカ、何か言ってたのか?」
「『ここでの暮らしに不満はないが、できれば広い海でもっと自由に泳ぎたい』と言っている」
「本当か?」
「私にはそう感じる」
長門は青くきらめく水槽をじっと見つめたまま答えた。
やがて一面に大水槽が広がる場所にやってきた。
「わぁ……」
水槽に駆け寄る小さい後姿の向こうから大きな海の中の景色が飛び込んできた。
ゆったり泳ぐ大きなジンベエザメと羽ばたく鳥のようなマンタ、高速に泳ぎ回るマグロやカンパチ、底の方には食べるとおいしそうな魚の姿もちらほらと目に付く。そんな水槽に張り付いて眺めている長門の隣に立って、あらためて全景を眺めてみた。飲み込まれそうだ。
「すごく癒される。海の中はまるで宇宙のよう、だから好き」
「そうだな」
暫くの間、俺と長門は無言のまま大水槽を見上げていた。
水族館を出るともう1時に近かった。いい具合に腹も減ってきた。
「何食いたい?」
「カレー」
「おいおい、またか?」
「うそ。何でもいい。あなたの奢りだし」
「じゃ、ファーストフードにするか」
「いじわる」
長門はちょっとすねたような顔をして笑っている。大丈夫、普通に奢ってやる、だからお前も普通に注文してくれよ。
どこにしようかと、水族館横のショッピングモールにあるレストラン街を少しばかり行ったり来たりして、結局、入った店は中華だった。ちょうどランチメニューがあったので俺の財布には優しかったことは公然の秘密だな。
昼飯の後は、モール内のお店を眺めてまわったり、ゲーセンでエアホッケーやって、長門にボッコボコに負けてしまったりしながら時間を過ごした。何かあるたびに長門はすごく楽しそうに笑うのだが、その笑顔の輝きがどんどん増していくようだった。
夕方近くになって、再びショッピングモールを散策しながら、俺は長門に話しかけた。
「何か欲しいものはないか? 記念にひとつプレゼント買おうか」
少し考え込む仕草をする長門。
「九つの指輪と七つの指輪と三つの指輪を統べる一つの指輪が欲しい」
む、そう来たか。
「……すまん、俺は『中つ国』も『滅びの山』もどこにあるかわからん」
と返して、横を歩く長門を見ると、クスッと笑いながら答えた。
「それは残念」
長門のことだから、本気になれば俺をファンタジーな異世界に送り込むぐらいのことはするかも知れないなどと考えながら、雑貨屋やらTシャツ屋などが並んだ通りを抜け、無事にアクセサリー屋の前にたどり着いた。
長門は、店の中に並べられたケースの中の沢山の指輪を一瞥すると、その中から一番シンプルそうなシルバーのやつを取り出した。
「これがいい」
「それが『一つの指輪』なのか?」
「私にとってはまさしく『一つの指輪』。でも大丈夫、熱しても文字が浮かび上がることはないし、はめても姿が消えることもない」
「ははは、それはよかった」
幸い値段的にも許容範囲だったので、俺はレジで支払いを済ませると、長門の右手を取って薬指にはめてやった。合わせもしなかったのにサイズもぴったりだ。
「ありがとう、うれしい」
そう言った長門は、右手の甲と手のひらを交互にひっくり返しながら、薬指の指輪を大切そうに見つめていた。
「最後はあれ」
長門は夕陽に浮ぶ大観覧車を指差した。
さすがにこの時間になると、列に並んでいるのはカップルばかりだ。そんな周囲に影響を受けたのか、観覧車に乗ると長門は俺の隣に座ってぴったりと寄り添ってきた。
「あんまりくっつくなよ」
「…………」
余計に俺の腕に巻きつく力が強くなった気がする。
俺たち2人を乗せたゴンドラがゆっくりと上っていく間も、長門はずっと俺の腕に巻きついたまま、何も言わずに景色を見ていた。頂上から見た、空と海を真っ赤に染めた夕焼けと、長門の横顔は最高だった。
「……長門」
「しばらく……」
「ん?」
「しばらくこのままでいたい」
俺にもたれかかりながら、小声で例の高速呪文を短くつぶやいた長門は、
「ひとつだけ、わがままさせてもらった」
と、ほんの少し口元を緩めながら話すと、そっと目を閉じた。
なんだろうといぶかしく思ったが、すぐにわかった。
ゴンドラが一回りして一番下まで戻ってきたが、乗り降りを担当する係員は何もしなかったので、俺たちが乗ったゴンドラは、そのまま二周目に突入した。
「……もう一周だけ」
「ま、いいか」
二周目は夜景だった。もちろんそれも最高だった。
三日目
今日の午前中はやることがある、と長門が言っていたので、お昼過ぎに北口駅前で待ち合わせることになっている。昨日の事があるので、ちょっと早めに集合場所に着いた俺は長門の到着を待った。
連休三日目の昼過ぎの駅前広場は、割と閑散としており、客待ちのタクシーも暇そうだ。
しばらくすると長門がやってきた。薄いグリーンをベースとしたロングのTシャツにベージュのキュロット、ライトグレーのパーカーを上着として羽織っている。昨日買った指輪が右手の薬指でわずかに自己主張しているようだ。
制服姿しか見たことのない連中にはすごく新鮮に映るはずだ。谷口もランクを1つ上げるのではないか、と考えたところで、俺の目の前にやってきた。
「少し遅れた。お昼は私が奢る」
「いーよ、昨日みたいに割り勘で」
「ありがとう」
「似合ってるな。一昨日買ったやつだな」
「そう……あなたの見立てがいいから」
「素材がいいんだよ」
長門は首をかしげて少し微笑んだ。すっかり笑顔も板についてきたな。ううむ、谷口よ、表情豊かな長門を見たら、2ランク以上アップすること間違いなしだ。
まずは、駅前の店で腹ごしらえした。
「今日はどこに行きたい?」
「少し買い物がしたい。この前は忙しかったし」
「そうだな、あの時はちょっと慌しかったよな」
朝比奈さんの案内で、怒涛の様にお店を回って、あっという間に5つの買い物袋をぶら下げることになった一昨日のことを思い出した。
「じゃ、行くか」
さっきの話通り、割り勘で払いを済ませて、2日前の道順を今日は長門と2人でたどることになった。
長門はあらかじめ行きたい店が決まっていたようで、賑わう通りの人ごみの間を軽い足取りですり抜けていく。
「おいおい、今日はゆっくり行くんじゃなかったのか」
「あ、ごめんなさい。つい……」
うれしそうに微笑んだ長門は、少し歩みを緩め、俺が隣に並ぶと手を繋いできた。ひんやりした小さな手を握り返しながら、小柄な有機アンドロイドの横顔を眺めていた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「……?」
谷口ランクでAA以上に昇格したはずの長門は、周りのカップルの女性たちの多くよりも確実に輝いている。そんな長門と一緒に歩いていると、なんとなく周囲の視線を集めているような気がして、うれしいような、恥ずかしいような変な感じだ。
「ところで、今日は何を買いにきたんだ?」
「観葉植物」
「えっ?」
「リビングに置いてみようかな、って」
俺は、あのコタツ机オンリーのリビングルームを思い出した。
「確かにグリーンを置くのはいいことだが、その前にテレビとか、そうだな、お前なら本棚とかの方が先に必要じゃないの?」
「テレビはいらない。本棚は別の部屋にあるから」
別の部屋? そうか俺がまだ入ったことの無い部屋があったな。
すぐに長門が欲しがっていた観葉植物のある花屋に到着した。店に入ると、長門は躊躇することなく自分の肩ぐらいの背丈のある先端に細い葉っぱが広がっているやつを指差していた。
「欲しいのは、これ」
「ふーん、なんて言うんだ?」
「ポニーテール」
「なに?」
「ポニーテール。好き?」
いや、確かにポニーテールは好きですよ、萌えますよ。だが、観葉植物は守備範囲外だ。それにしてもこんな名前のやつがあったなんて、長門は俺の好みを知っててわざと言っているのだろうか。俺はふと、髪を伸ばしてポニーテールにまとめた長門の姿を思い浮かべて、心の中でニヤけてしまった。
それにしてもでっかい鉢に入っているのだが、どうやって持って帰るつもりだ?
「あとで送ってもらうことにする。それとも持ってくれる?」
「送ってもらえるならそうしてくれ」
長門はレジで伝票に送り先の住所を書いていた。そっと覗き込むと、コンピュータで打ち出したような活字的な文字が並んでいた。
買い物はこの観葉植物だけだった。一息つくために入った駅近くの喫茶店で、俺はコーヒーを飲みながら問いかけた。
「これからどうする?」
「いつもの図書館に行きたい」
テーブルの上のミルクティーのカップを覗き込みながら長門は答えた。
「もっと他のところでもいいぜ。図書館はこの前も行ったところだし」
「ううん、図書館でいい」
「そうか、ならいいんだが」
ということだったので、俺たちは北口に戻るといつもの図書館に向かった。
図書館に入ると、長門はどこからから分厚い本を探し出してきて、ソファーの椅子に座って読み始めた。俺は気安く読める文庫本を引っ張り出してきて、長門の隣に座った。
「ほんとにここでよかったのか?」
「この図書館は私にとって大切な場所だから……」
そう言う長門は少し遠くを見つめているようだった。
結局、閉館時間の午後6時前まで図書館にいた。その間は特に会話をするでもなく、ただ単に二人並んで読書に励んでいたわけだが、長門がときどき哀しそうな表情をしていたのが少し気になった。
図書館を出た俺たちは、暮れなずむ街の中を特にこれといった目的もなく歩いていた。少し疲れたのか、長門も俺も口数が少なくなってしまった。長門はもともと口数が少ないなんてものじゃなかったのだが、昨日と今日で、過去半年分ぐらいは話したかも知れない。
しばらくすると、長門は俺の方に振り向いた。
「そろそろ帰るから、近くまで送って欲しい」
「え、帰るのか」
「うん……」
もっと一緒にいたかった気がするのだが、さすがに三日間遊びすぎた。
午後7時近くになるとすっかり暗くなってしまった。俺たちは長門のマンション近くのおなじみの公園にさしかかった。葉桜になった桜の木の下を歩いていると、長門が立ち止まった。
「今回のテストはこのあと19時で終了する」
「そ、そうか」
「これから情報統合思念体によって、今回のテスト実施により得られたさまざまな情報に対する解析と検討が開始される。その結果、より高度化されたエラー処理機能が用意されるかも知れないが、それまではテスト開始前の状態が維持される」
ん、それはどういうことだ?
「つまり、今回のテスト終了に伴い、私の中の新型エラー処理機能は削除される。あわせてこの三日間に発生したエラー、およびその処理結果、関連する記憶も削除される」
「まて、三日間のエラー……記憶も消えるのか?」
俺の頭の中で、一昨日からの長門と一緒だった日々が蘇ってきた。最初はぎこちなかった長門だったが、今日になるとすごく自然で心の底からの笑顔を、戸惑いながらも感情あふれた表情を見せてくれたことを……。
「そう。元に戻った状態のまま今回のテスト期間中に発生したエラーと記憶を持ち続けると再び暴走するかも知れない、と統合思念体は危惧している」
「この三日間のことが消えてしまってもいいのか?」
暫くうつむいたままだった長門は、静かに話し始めた。
「私は……いや。あなたと一緒に過ごした三日間のことは忘れたくない。わずかの間だったけれど、一緒に見たこと、一緒に話したこと、一緒に感じたこと。私にとってはすべて大切なもの、失いたくないもの……」
顔を上げた長門の真剣なまなざしに俺は答えた。
「何とか方法はないのか?」
「……統合思念体によってエラー処理機能と記憶が削除される直前に、記憶だけをコピーして取り出すことができる。ただしそれは統合思念体には認められない行為。一種の反抗」
「構うもんか、やっちまえ。今までどれほどお前の親玉に貢献してきたんだ。今回だって体よく実験台にされているだけじゃないか!」
俺は長門の両肩をつかんで声を荒げた。
テストだ、実験だ? 成功してるじゃないか。今の長門は十分エラーとやらをコントロールしている。なぜ想い出まで奪った上で元に戻す必要がある? このままの長門で何が問題だ、くそっ!
視線を落とした長門は右手の薬指にはめている指輪をじっと見つめていた。
「…………三日間の出来事と想い出を、あなたにもらったこの指輪に封じ込める。そして私の代わりに保管しておいて欲しい」
「なぜだ?」
「私が持っていると、何かのはずみで暴走のきっかけになるかも知れないから」
そういうと長門はじっと俺の目を見つめた。
「いつか、エラーを克服することができるまで、持っていて欲しい」
俺は長門の華奢な体を包み込むように抱きしめたくなる衝動をなんとか抑えることができた。
「わかった。大切に預かっておく」
「時間が来た」
長門は俺の前から一歩下がると、右手からはずした指輪を両手で優しく包み込みながら、この三日間、いっぱい見せてくれた中でも一番の笑顔で俺を見上げた。
「三日間楽しかった、ありがとう」
何も言うことができない俺がじっと見つめる中、長門は目を閉じると高速呪文を唱え始めた。と、同時に白い頬を一筋の光が滑り落ちていく。
やがて長門は、両手の中から取り出した指輪を俺に渡すと、以前と同じ無表情に戻って、
「すべて終了した」
と一言だけ言うと、さっと振り返って歩き始めた。俺は、去りつつある小さい背中に声をかけた。
「もし、この指輪が必要な時がきたら、いつでも言ってくれ」
一瞬立ち止まった長門は、そのまま振り返ることなく歩き出した。その姿が公園の街灯の向こうに消えて行くまで、俺は手の中の『一つの指輪』を握り締めたまま見送った。
Fin.