私の選んだ人 幕間劇 31/2


僕の名前は処刑人。
僕の両手にはずっしり重い両刃の斧が握られている。

目の前に断頭台がある。
とても大きく、黒く、禍々しい。

皆はその断頭台を指して「名無し」と呼んでいる。
「名無し」の下には、僕の一番大切な人が立っている。
僕が視線を向けたから、彼女はそこに立たされた。

僕は逃げ出せないよう「名無し」に命綱という名のロープで繋がれていて、そのロープは更にギロチンの刃へと繋がっている。

処刑台の下を見ると、僕の仲間が居る。

皆は「名無し」を指差し楽しげに笑い合い、僕に手招きしているが、背後に迫る重大な危機に気が付いていない。
僕は助けに行こうとするが、「名無し」に繋がれた僕の命綱は短すぎて、届かない。
仲間の半分には手が届き、残った半分の内1人は安全。でももう1人に手が届かない。

僕は握り締めた両刃の斧と命綱を見比べる。
これでこのロープを切れば、皆を助けられる。

これでこのロープを切ると、僕の一番大切な人が傷付く事になる。
これでこのロープを切ると、僕は死ぬ事になるだろう。

切らなければ、仲間が1人死ぬ事になるだろう。
切らなければ、仲間全員が傷付く事になるだろう。
切らなければ、結局僕は生きてはいられないだろう。

僕は今すぐ選択しなければならない。
僕は両腕を振り上げる。

僕には、彼女へ残す言葉は無い。
僕にはその権利が無い。



第4話「閉じられた環」へつづく






























私の選んだ人 第4話 「閉じられた環」


放課後、僕が文芸部室に向かって廊下を歩いている時だった。
「強力な閉鎖空間が発生した」という感覚が、地震のような波動として伝わって来た。かつて感じた事のない程の威圧感に全身の皮膚が粟立つ。これは第1回不思議探索の日の夜に感じたものよりも大きい。

急いで携帯を取り出す。
即座にメールが着信する。

From 店長
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Dランクの仕事
迎えは5分後


Dランク。この1年、その規模の閉鎖空間は無かった。
まず怪我人が出ることは無いと断言出来るのは、Bランクまで。Cからは運が悪いと誰かが怪我をする。ちなみにEでは今の所必ず重傷者が出ている。何故なら、D判定の閉鎖空間で激闘の末、重傷、重体者すら出し、どうにか空間を処理をした後からランク変更される事が殆どだからだ。

まあ、死者は今まで1度も出た事が無い。それには理由が2つある。
1つ目。神人は人を直接攻撃しないから。神人の身体は生物に当たっても通り抜けるだけ。そもそも神人は生物を攻撃しようとはしない。
2つ目。閉鎖空間内での負傷は、その閉鎖空間消滅と同時に完全に治癒するから。

つまり涼宮さんは無意識的にも、死者が出る事は全く望んで居ないのだ。

それでも怪我人が出てしまうのは、大抵神人の破壊によって飛散する建造物等の破片に因る物で、神人の密集具合と行動パターンによっては回避が難しくなるからだ。僕ら攻撃能力者には赤い球状のシールドを作り出す能力も与えられていて、その防御能力は非常に高いものの完全無欠ではない。そして怪我が治っても疲労までは回復しない為、大きな怪我をしてしまうと戦力としては使い物にならなくなる。

それからもう一つ。閉鎖空間を消滅させても死んでしまった場合は生き返ることは無い。これは既にマウス実験で判明している。死者が蘇る事は有り得ないと涼宮さんの中の無意識の常識が決めたからだろう。本当の事を言うと、ここまで非常識な設定を作ったならいっそ生き返るようにして欲しかった。
つまり、閉鎖空間を消滅させるまで持たないような大怪我を負うか、即死した場合には、本当に死んでしまう。
即死した場合には本当に死ぬって、妙な文章だけど。
まあ、だからランクの高い閉鎖空間は機関からの報酬も高い。命を張っているんだから当然だ。

ちなみに能力者に欠員、つまり誰かが死ぬと新しい人間が選ばれ同様の力を与えられる事は判っている。前に能力者が1人病死した時、新たに1名が能力に目覚めたから。裏を返せばこれ以上能力者の人数が増えて楽になる事も無いという意味でもある。


しかし、Dランク。か。……嫌な予感がする。
一応部室に顔を出して、今日は帰ると皆に挨拶する必要があるな。
涼宮さんはもう居ないかもしれない。もし居たら、まぁ、そこもある意味、閉鎖空間だろう。

そのまま歩き続けて文芸部室の前まで来た時、予想通りというかなんというか。廊下まで響く涼宮さんの怒声が聞こえてきた。

「ああ!もーういいわよッ!今日は解散ッ!!」
内側に向けドアが猛然と開き、彼女が飛び出して行った。声を掛ける暇も無くそのまま走り去っていく彼女の頬から、光るものが零れ落ちたのが見える。
さて、あの涙の原因を突き止めるか。と、その前に擬態して置かなければ。予めいつもの笑顔を浮かべます。

開いているドア越しに部室を覗きました所、椅子に座り腕組みをして明らかに怒っている様子の彼と、本から顔を上げて彼を見つめている長門さん、トレイを抱えて床に座り込み、小さくなって身を震わせている朝比奈さん。という、これもまた予想通りといった風の状況になっております。
ハァ。思わず溜息が漏れてしまいますね。

「どうなさったのですか?と、訊くまでもないご様子ですね。僕はまたバイトが入りました。こちらはなんとかして来ますので、後はヨロシクお願い致します」
と、申し上げた所、
「後とは、何の事だ!」
と、彼が仰いました。いけませんね。完全に頭に血が上っています。

今は何を言っても、火に油だと思われますので、僕は仕方なく肩を竦めて見せ、ドアを閉め、その足で校門へ向かう事に致します。

擬態終了。と。
ふぅ。相変わらず、世話の焼ける人達だ。
しかし今度の喧嘩の原因はなんだろう。犬は食わなくても、僕は喰わなければならない。その原因が僕らの生命線になる事があるからだ。

特にDランクともなれば涼宮さんが今考えている事が、もしかしたら能力者1人の生死に係わる事になるかもしれない。今まで死人が出ていないからと言って油断してはならない。危ない時も幾度かあった。
それに、結局治るにしたって痛い思いをするのは楽しい経験じゃない。



校門に着くと、黒塗りの偽装タクシーが既に停車しており、ゆったりとハザードランプを点滅させていた。
運転席の新川さんは直ぐに僕に気付くと、客席のオートドアを開いた。

「いつもわざわざお出迎え、ありがとうございます」
と、乗り込みながら新川さんに声を掛けると、

「コイツが俺の仕事だからなァ。マァァお前と違って戦えねぇ俺は、差し詰め世話なく這いずり回る働き蟻、ンで命を張るお前は兵隊蟻って所だろう」

彼がいつもの調子で返した。
ドアが閉まり、新川さんの運転する車はいつもの様にスムーズなスタートを切る。
……これを彼の執事擬態姿しか知らないSOS団の皆に聞かせたら、相当驚くだろうな。まあ、今の彼も擬態なんだけど。
「新川さんが働き蟻ですか?働き蟻はその実殆どが遊んでいて、一握りだけが働いているそうですよ?第一、何でも出来る新川さんにはまるで似合わないですね」
「ヘッ。俺にとっちゃァ運転が遊びさ。ただ、酒がまるで飲めねぇのが玉に瑕だな」
愉快そうに彼が言う。後ろから見ていても目尻に皺が寄っているのが解る。

こんな事を言ってはいるが、彼は機関に入ってすぐに煙草も止め、酒も1滴も口にしていない。機関に入る以前から結婚していて子供も居るらしい。新川さん、多丸兄弟、僕の4人は森さんの直属の部下で、機関での位置付けとしては一応同格だが、新川さんは様々な分野のエキスパートで森さんの右腕。陰で「金棒」等と呼ばれている。対する僕は、SOS団へ潜入させる目的で訓練半ばにして森さんの直属に異動させられただけで、能力的には新川さんどころか多丸兄弟にも全く及ばない。

それはそうと先に断って置きますが、多丸兄弟は合宿時も特に擬態はしていませんでしたので。いえ、あの時は洋館にメイドと執事がセットで必要だっただけでして、「機関の人間は他人を騙すのが趣味だ」等と思われても心外ですから。
嘘を付くのは、どうしてもその必要がある時だけです。本当です。僕だって、本当は擬態なんてしたくないんです。

ちなみに新川さんも森さんに対しては執事の時の擬態になり、言葉も綺麗で慇懃な態度になる。というよりも、相手によって口調や態度がガラリと変わる彼は擬態パターンもかなりの数持っているとの事で、僕の未熟な擬態の様に意図せず切り替わってしまったりはしない。擬態パターンによっては運転が下手になる代わりに足が速くなったり、狙撃がSWATクラスになったりするから驚きだ。音楽の趣味まで違う。彼の擬態は自由に切り替えられる多重人格と言った方が近いかもしれない。

彼はいつも僕や多丸兄弟に対しては今の擬態だが、今の所僕が見た事のあるどの人格も中身はかなり紳士だった。愛妻家でもあるようだ。多分「本当の彼」の人格は、家族にしか見せないのではないかな。

「今回は結構遠いぞ。ここから悠に30分は掛かる。ヘリで出た連中はそろそろ着く頃合だな。しかしDだって?何時もながら王女様にも困ったモンだぜ。ンで王子様の野郎はどうした?」
「先程かなり頭に血を上らせてましたので、とりあえず出てきましたが」
「ナンだよ。また王子様がやらかしたってぇのか?」
「恐らく」

と、携帯にまたメールが着信した。


From 店長
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森より伝言:ランクをEに変更


「どうしたよ?」
と、新川さん。
「森さんからの伝言で、Eランクに変更だそうです」
チッ。と新川さんが舌打ちし、ミラーに写る彼の目が険しくなった。

Eランク。機関の能力者が最も恐れる言葉。
分類上E以上は現在存在しない。最悪のランク。
森さんから伝言が来た。という事は、森さんが閉鎖空間内に同行していると云う意味だ。
つまり、森さんのアナライザーとしての能力が必要とされる事態。異常事態。
恐らく今回の神人は、既知のパターンでは戦えない厄介な相手。
もしかしたら、僕も負傷するかもしれないな。


……森さん。
約1ヶ月半前のあの日以来、僕の予想に反し大した理由も無く彼女に呼び出される機会が増えた。何故だろう。僕の気持ちは彼女に取って重荷でしか無い筈なのに。彼女が僕をどう思っているのかは知らない。でも、いずれにせよ重荷な筈だ。だから極力避けられる物と覚悟していたのだが。彼女の態度も言動も以前と少しも変わらない。

ただ、表情が少し違う。
アルカイック・スマイルとでも云うのか、微妙な微笑を僕に向ける事が多くなった。彼女のその微笑は、とても美しい。僕は何度か見入ってしまった。でもその度に僕の胸の奥底で何かがざわめく。
彼女には透視は通用しない。何を考えているのか僕には知りようがない。

彼女はまた、悩みを自分の奥底に封印し、耐えている気がしてならない。
そしてその原因を作ったのは僕だ。
だから僕も彼女に対し、出来る限り今まで通りに接している。彼女への想いは隠そうと努力している。

相手を救えないような中途半端な優しさは罪だ。
僕はあの日懺悔した事で、本物の罪人になった。
それを受け容れる事が出来るようになるまで、かなり時間がかかった。


僕は、とりあえず彼に電話することにした。喧嘩の原因を調べなければならない。
彼はもう落ち着いただろうか。今回は声だけだ。擬態までは必要無いな。

『なんだ、古泉。もうバイトとやらは終ったのか?』
彼の息が荒い。恐らくあの坂道を下っているのだろう。

「ご冗談を。まだ部室を出てから15分程しか経っていませんよ」
『そうか。…………で、何の用だ?』
「先程の喧嘩の真相を教えて下さい。お力になりますので」
『ああ、アレはただのアイツの勘違いだ。お前の力なぞ必要ない。っていうか寧ろやめろ』
「……勘違い。ですか?それは一体」
ちょっとした勘違いぐらいでEランクの閉鎖空間は発生し得ない。
涼宮さんと彼の関係に対し致命的な勘違いであるか、彼が勘違いだと思っているだけの真実である可能性が高い。

『あ~。なんだか知らんが、中学時代仲は良かったがタダの友達に俺がゆ……って、なんでお前にこんな話をせねばならんのだ。根も葉もない噂だ。俺は何も知らん』
「ゆ、の先が非常に気になるのですが」
『くどいぞ。古泉。知らんと言ったら知らん』

駄目だ。こうなったら彼から何かを聞き出すのは無理だ。仕方ない。それに、推測可能な気もする。
「お願いですから、涼宮さんと仲直りを」
『やはりそう来るか、古泉。なんで俺がお前にそんな』
「お願いです!大事な事なんです。もしかしたら僕は……」
勢いでそこまで言ってしまってから、僕は言葉に詰まった。擬態して置くべきだった。

「……いえ、なんでもありません」
続きは言えない。
『……』
「それでは。……また、明日。部室でお会いしましょう」

携帯を切る時、小さく「おい待て、古泉」と言う彼の声が聞こえた。僕のただならぬ雰囲気を察したのだろう。

しかし、「中学時代、仲は良かったがタダの友達に、俺がゆ……」か。
佐々木さんだな。相手が男友達なら「只の友達」なんていう表現はしない。そして、彼は中学時代他に女性との交友関係は無かった。
で、佐々木さんに、ゆ……という勘違いが、涼宮さんにあれ程激しい反応を引き起こさせたのだから、それはかなり危険な言葉に違いない。

「誘惑」「指切」「指輪」……。
僕が、憂鬱だ。「ゆ」から始まる言葉は他にも色々あるが、恐らく指輪だろう。
彼が彼女に指輪を、多分、プレゼントした。という、彼曰く「根も葉もない噂」が立った事が、今日、恐らく国木田氏辺りを通して涼宮さんに伝わり、結局今回の事態になった。もしくは、ペアリング……だけは、本当に勘弁して下さいよ。絶対に無いでしょうけれども。
とりあえず朝比奈さんに確認してみるかな。

「もしもし、朝比奈さん、今お時間よろしいですか?」
『あ、ええと。……はぃ。今一人です』
「彼が彼の友人の女性に、指輪をプレゼントしたという噂についてですが」
『え?もう知ってたんですか?』
やはり、当たりか。

「本当の話なのでしょうか」
『キョン君は、そんな事をした覚えはないって、言ってましたケド』
「では、何故彼は涼宮さんと喧嘩に?」
『う~ん。涼宮さんは不安だったんだと思うんですけど、ちょっとだけ変な聞き方だったかな?でも、キョン君も、お前には関係ないだろうって。それで』

想像通りの展開をしたって事か。恐らく、涼宮さんの遠回りな質問に対して、事態を理解していなかった彼は適当な生返事を続け、先に彼女が爆発し、それに対する彼の「お前には関係無いだろう」との一言を、彼女が既成事実の開き直りと受け取り、且つ、彼の言い方で傷付いた。そして言い争いになり……と。そんな所だろう。

「解りました。有難う御座いました」
『いえ。……アレですよね。頑張ってください』
「ええ。ご心配有下さり難う御座います。それでは」
『はい。また明日』

はぁ。涼宮さんのガラス製メスの様に鋭利な勘も、彼の恋愛感情に対してだけは急に一般女子高生レベルになる。まあそれはそれで女性としては魅力的なのですが……ね。しかも彼は彼で恋愛感情全般に対して常に豆腐の角程度の鈍さだ。全く、あの二人は。

「……わけェなァ。ンなモン婚約指輪でもねぇんだし。大体、他人の過去をイチイチ気にしててもしょうがねぇってのによ。ンで王子様にもしっかりして頂きたいモンだな」
新川さんが溜息混じりに言った。

過去をイチイチ気にしていても仕方がない。……か。しかし自分の過去は気にしてしまうな。
それにしても本当に面倒臭いな。高校生ってヤツは。



閉鎖空間内。
僕が、今回臨時の神人対策本部になったビルの屋上に到着すると、僕と同じ攻撃能力者達がそれぞれ思い思いの姿勢で休憩を取り、水分とエネルギーの補給をしている所だった。インターバル中だ。
空気全体がまるで帯電しているかのような緊張感が、その場に居合わせる全員から放たれている。とても気さくに話し掛けられる様な雰囲気ではない。

腕組みをして、ペンキの剥げかけた鉄製のフェンス越しに真っ直ぐその目を神人へと向けた、何時もの様に完璧な容姿の森さんに近づくと、そのままの姿勢で彼女の方が先に口を開いた。
僕も、灰色世界を背景に、与えられた衝動に突き動かされ暴れる蒼い巨人達の動きから目を離さず、凛と響く彼女の声に意識を集中する。

「やっと来たわね。古泉。見ての通り今は休憩中。では状況説明。神人は現在17体。撃破数ゼロ。範囲も拡大中だから、そろそろまた増えるかもしれない。既に2名が重傷を負って戦線離脱。2名共治療は終え、命に別状は無いが、復帰はさせられない。それにしても危ない所だった」
「既に17体も?それに撃破数ゼロ?ですか?閉鎖空間発生からはまだ40分以下で、状況が開始されてから25分以上が経過しているのでは?」
インターバルは25分に1回、5分間だ。今休憩中ならば、既に25分間は戦闘した筈だ。そして閉鎖空間が発生してから40分で神人が既に17体とは。最初から相当数居たに違いない。

「そう。本体が明らかになっていないの。既知のパターンは全て試行した、にも拘らず、ダメージを全く与えられていないというのが現状。でも、問題はそれよりも今までに無い神人の行動パターンの方ね」

神人1体1体にある弱点のような物を僕たちは「本体」と呼ぶ。本体と行動パターンは、大抵の場合同じ閉鎖空間内の全ての神人に共通している。本体を弱点と呼ばないのは、点でない事が多いからだ。例えば、「彼」を招待して見せた時の神人は表皮全体が本体だった。いつもアレだと楽なんだけど。

「成る程。わざわざ森さんが呼ばれた理由はそれですか。行動パターンが違うというのは?」
「それなんだけど、時折り体全体が前面と背面の区別が無いかの様に入れ替わるのよ。戦線離脱した2名は、今回の神人のその反転直後の建造物への攻撃による破片により負傷。まあ当然だけど。本体を見つけられないのは、どうもその辺りにタネがある気がするんだけど。とにかく、かつて無い程、危険」

破片で負傷したのが当然。と言うのは、これは先程も言ったが、神人自体は生物を傷つける事ができないからだ。従って、戦闘中に負傷するのは大抵飛来した物体に衝突してしまうケースなのだが、軽い物でも速度が速ければ凄まじい破壊力を持つ事は、銃弾を思い浮かべて貰えれば簡単にご理解頂けると思う。シールドを展開していても、余りにも高速な物体や、速度は遅くても重量のある物体は、消したり受け流せない場合があり、負傷してしまう。
ただ、飛行中は体感する時間経過速度が遅くなる上、神人の動作はある程度予想できる為、その破片の飛び散り方も大体予測が付くし、先に神人の影に避難すれば比較的安全だ。

しかし、前面と背面の区別が無いかの様に入れ替わる?それはタイミングによってはかなり危険だ。
今、涼宮さんの精神がどれ程不安定なのかを如実に物語っている。
彼が早い所なんとかしてくれる事を期待しよう。涼宮さんが落ち着けば神人の攻撃性も衰える。

「本体が見つけられない「タネ」が、その反転にあると森さんがお考えというのは、体の左右どちらかに本体があり、しかも攻撃を受けると体の前面と背面を反転する事で左右を入れ替え、本体を守るという事ですか?つまり、神人が防御行動を取る。と?」
「そう。防御と言うよりあれは寧ろ防衛ね。そして本体は肘から先のどこか一箇所の核のタイプね。点在型じゃなくて。私の勘だけど」
……なんて事だ。防御行動を取る神人なんて聞いた事すらない。予想以上の非常事態だ。

「恐ろしく厄介ですね。肘から先か。森さんの勘がそう云うのでしたら、そうなのでしょう。なるほど。指に限定してしまっても良いかもしれません」
「何か情報を掴んでいるのか?古泉」
そう言って、彼女は今日初めて僕に目を向ける。僕は自分の気持ちを目に表さないように意識を集中し、真っ直ぐ目を見返す。

「ええ、涼宮さんの今回の怒りの原因が「指輪」らしいので。まあ結局は、やはり彼との口論がきっかけですが」
「そう。でも手は狙い難くて厄介ね。とりあえず指については報告して置くわ。私もソレ、当たりだと思う」
「はい」
彼女が「でも手は狙い難くて厄介ね」と言った時、微かに彼女の手が震えたのを僕は見逃さなかった。僕ら攻撃能力者を心配しているのだろう。本体がどうやら「指」のどこかで、しかも「反転」する神人。容易に危険が想像できる。

「作戦行動は、あと……35秒後に再開される。その後古泉は1分間空中待機し、神人の動きを観察した後、臨機応変に対応。とにかく死なないように。機関は、今あなたに死なれると困る」


「了解」
機関は。……か。彼女はその部分を強く発音した。



灰色の世界に産み堕とされた蒼く輝く巨人達は、今、何者にも邪魔される事なく無人の建造物群に向け怒りをぶつけている。
巨人の腕が叩きつけられる音、倒壊するコンクリートが地面にぶつかる音、金属が擦れる音、ガラスが砕ける音。
風も無く、動物も昆虫も存在せず、人為的な音からも無縁なモノクロ世界に響く、なんとも言えない不協和音。

僕はこの音が嫌いだ。涼宮さんの悲鳴のように感じられる。

「時間だ。行け」

森さんの命令で、攻撃能力者全員が赤い光に包まれ、順次飛び出して行く。
僕も意識を集中させ、浮き上がる。
身体が浮いた事に慣れたら、加速する。
周囲の動き、神人の動きが遅く感じられるようになり、ビルの合間を縫うようにして飛行する先頭の仲間を追う。

とりあえず、1体だけ少し離れた神人に向かう模様だ。
仲間の後を追っていると、突然ビルの谷間が切れ、灰色の瓦礫に覆われた広大な広場に出た。ポツリポツリと建造物が残されているが、殆どが粉々に砕かれている。
中心には1体の蒼い巨大な人型が立っている。
その全身からは強力な怒りを発散させている。

赤い光球は散開し、小隊ごとに分かれた。
僕は、先ず空中待機1分と命令されているので、俯瞰で見ることの出来る位置まで上昇して空中停止し、時計を確認する。


3つの赤い光球が神人の右手を目掛けて突撃したのを合図に、攻撃が開始された。

神人の右手がゆるゆると振り上げられ、点から線になった3本の赤い光は狙いが外れる。
別の3つが左手に目掛けて飛ぶ。
神人の右手が斜めに振り下ろされ、1つのビルの上半分を吹き飛ばした。左手は後ろに引かれる。
爆散する破片を嫌って3本の赤い線は方向転換し、左手まで到達しない。
瓦礫の灰色の粉塵が煙幕の様に蒼い巨人の右半身を覆う。

神人は今度は投げやりな動作で左腕を伸ばし、いきなり振り回す動作に入る。
と、そこを目掛けて2本の赤い光が奔っていた。
すると、元々そうであったかのように神人の前面と背面が入れ替わり、2本の光は虚空を貫く。
神人は動きを止めずそのまま左腕で薙ぎ払う。
赤い光は四方八方へ飛び散り、逃げる。
神人の左腕は、寸前まで僕が予想していた神人の攻撃目標と反対側のビルの中に、予想と反対側から吸い込まれ、そのビルの天井が弾ける。そこから白い靄に包まれた黒い破片が1つ、まるで意思を持っているかのように僅かに弧を描きながら僕を目掛けて飛んできた。

何が起きたのか、一瞬理解が遅れた。
が、考えるよりも早く僕の身体が反応し、全力で左斜め上方に移動を始めている。

音速を超えた事により自身の発生させた衝撃波で崩壊を始めた黒い金属の破片は、移動中の僕のシールドに触れると20度程外側に向け軌道修正し、右腕の側50cm辺りを通り抜けた。それを白い尾と細かい破片が追って行く。僕のシールドを激しい衝撃が襲っている。そのかなり後から、ガアン!と、近くに落ちた雷鳴の様な轟音が、逃げる僕を追い抜いて行った。

耳鳴りがし、一瞬平衡感覚を失う。眩暈がする。
……危ない。危なかった。
汗が手や脇、背中からじっとりとした汗が吹き出し、衣服を不快に湿らせる。

今の様に何かの拍子に恐ろしい速度で飛び出してくる破片が偶にあり、僕達は皆それを恐れている。今のはシールドが無ければ衝撃波で即死していた。避けるのが一瞬遅くても似たような結果になっていただろう。
しかし今のが森さんの言っていた前背面反転による「防衛」か。確かに僕らに対する反撃としても素晴らしく効果的だ。神人が先程の仲間の攻撃を防御しようとして反転したのだとすると、怪しいのは左手か?

とにかく今回は一瞬たりとも集中を切らせる訳に行かない様だ。
深呼吸し、時計を確認する。あと……16秒間は待機か。
汗ばんだ手を開き、なるべく身体をリラックスさせる。全身が緊張していては集中力は長時間持たない。

……ふぅ。

神人の左右の手の何処かに本体があるとして、それに攻撃を仕掛けた瞬間に反転するのならば、神人がほぼ左右対称な体勢の時に左右同時に攻撃するしか無い。幾ら反転しようと、どちらにも攻撃していれば本体を破壊できるだろう。
但し、それには正確に本体の位置を把握していなければならない。正確な位置を見極めるのには、3人同時攻撃では駄目だ。1人でやらなければ。そして、指を1本ずつ正確に狙う。指輪だから先ず第3指か4指が怪しい。後は、どの程度まで近付いた時点で反転するかが問題か。

1分経った。出撃の時間だ。

左手から狙ってみる事にしよう。最初の目標はあえて第5指。それによってどれ程本体に近付いたら反転するのか、範囲が少しは絞れる筈。
もしかしたら、左手に近付いただけで自動的に反転するのかもしれない。その場合は相当厄介な事になるな。

神人が建物に向け右腕を振り下ろし終わるのを確認してから、僕は意識を神人の握られた左手の下側に向け、最大速度で突撃した。
巨人の左腕の肘から青い光の中に入り込む。

幻想的に蒼く光り輝くトンネル。
ゆらゆらと海面の様に揺れる模様、青白く輝く巨人の血潮。
ここから見上げる空は、真夏の快晴よりも、どこまでも青い。

神人の手首を通り、左手第5指を貫き、反対側に抜ける。

どうやら今回は反転しなかったようだ。よし。一度上昇し距離を取る。またタイミングを計ろう。
見ていると5つの赤い光が神人の右手の周囲を旋回し、突撃を繰り返している。やはり右手では無いな。反転していない。

近くに破壊するのに丁度いい建造物が無くなった神人が、ゆらりと歩き始める。
まずい。せめて本体が確定するまでは他の神人から離れていてくれた方がありがたいのだが、この方角に行くと他の神人達と合流してしまう。急がなければ。
のんびりとした歩調で歩く神人は、しかしその巨大さ故にかなりの速度で移動する。新たな獲物を見つけた神人が、立ち止まり、のったりとその巨大な右腕を持ち上げ始める。

チャンスだ。左手の高度に合わせて降下しよう。
神人の右の拳が1つのビルに向けて落ちる。
轟音が轟き、ガラスの破片が放物線を描き、キラキラと輝きながら地面に降っていく。

今だ。次の目標は左手第4指。突撃する。
巨大な青い拳が目前に迫る。
神人の体内に再突入する。
……寸前に目の前の青い光が消えた。

その代わり、神人の左手があった場所の裏に、半分鉄骨の剥き出しになったコンクリートの柱が浮いていた。

柱は、動いていた。僕の方に向かってスライドして来ていた。他の神人が死角から飛ばしたのか?
僕も、その方向へ向かって飛んでいる。
まずい。ぶつかる。
咄嗟に右に方向転換する。しかし速度が出ているため急には変わらない。

柱はゆっくり回転しながら近付いてくる。

まずシールドに衝撃があった。
シールドが鉄骨を削って行く。
削りきれない分が、少しずつシールド内に食い込んで来る。

ヂッ

もう少しで、なんとか避け切れるという所で、左脇腹を僅かに掠ってしまった。シールドも消えてしまったが、なんとか身体が真っ二つになるような事は無かった。……助かった。とりあえず本部に戻って、得た情報を知らせなければ。それから一応治療を。これでまず左手第4指に本体があると考えて、

……あれ?

シールドが展開できない。
方向転換も出来ない。おかしい。
このままだと墜落してしまう。

減速もできない。

まずい。思ったより負傷が激しいらしい。
なんだか、意識が。……まずい。

ぼんやりと、2つの赤い光が左右に現れ僕と並んで飛行を始めたのを感じた所で、辺りが白い光に飲まれた。



気が付くと目の前に灰色の空が広がっており、どうやら床に寝かされて居る様だと気付くのに暫く掛かった。
足音を響かせ、森さんと救護班が駆け寄って来る。救護班の1人が僕の隣に素早く屈みこむと、キラっと光る何かを取り出す。すると森さんが言った。
「私がやるわ」
森さんはそれを受け取ると、僕のシャツを切り開き始めた。彼女の顔の表情は見えない。見えても透視できないけど。

そうだ。本体を。伝えなければ。しかし口を開けたが声が出ない。

伝えなければ、まずいのに。本体の位置を。
もう一度口を動かしてみるが、やはり音にならない。すると森さんが真剣な眼差しで僕の目を覗きこんだ。

「どうした?古泉」
森さん、本体の位置が解りました。左手の第4指の付け根です。
彼女は振り返ると、僕から今見えない誰かに向かって切迫した声で言った。
「本体は、左手第4指の付け根。右手側も同時に攻撃するように」

「本体は左手第4指付け根。右手側も同時攻撃。了解」
誰かが復唱した。良かった。流石森さんだ。
「よくやった一樹」
森さんが小声で言う。機関の人間の前で、名前で呼ばれたのは初めてだな。

仰向けに寝ているので、僕からは、僕の体は見えない。
見えるのは、救護班の真剣な眼差し、
森さんの無表情な白い顔と、
森さんが切り開いた僕のシャツの赤い切れ端。
痛みは感じない。でも、体の感覚がおかしい。
さっきから暖かい物に圧し掛かられているような感触がある。
森さんがあちこち触ってみているのとは、別に。

突然、左下腹部に激痛が走る。
「ぅッ!」
思わず呻き声が漏れた。なんだ。声、出るじゃないか。でも自分の声じゃないみたいだ。

痛みで反射的に閉じてしまった目をまた開いた時、いつも、自分の目の表情すら意思で制御している森さんの顔が、ハッキリと蒼白になっていた。
素早く首を巡らせ、僕の目を見る彼女の顔は驚愕の表情すら浮かべている。

その時僕は理解した。
ああ、僕の人生は今日、もうすぐ終るんだ。……と。
神人を全て倒し終わるまで、僕の身体は持たないらしい。

恐怖は感じない。これなら誰も裏切らないで済む。
ただ、今だという事が残念だ。
少し早過ぎる。

彼女に心を読まれないよう、僕は目を瞑る。


SOS団の皆の顔が脳裏に浮かぶ。
楽しかった。
あんなに楽しい高校生活になるなんて、思ってもみなかった。

彼は、今日中に涼宮さんと、仲直りしてくれるだろうか。

……こうなるから。

こうなるから、涼宮さんとは素直に仲良くしていて欲しい。お願いだ。
あなただって、本当はそうしていたい筈なのに。
彼女の前で、ウソ臭い微笑を顔に貼り付けるしかない僕を、誰が責められようか。

長門さん、朝比奈さん。お先に失礼致します。


不思議な高校生活、もう少し、楽しんで、居たかった。



まあ、最後に、森さんが、近くに、居て、くれるの だけは い い  か








第5話「:古泉一樹」へつづく

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最終更新:2020年06月10日 02:48