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一章.古泉一樹の能力


「いい加減、貴方には自分がいかに涼宮さんに影響を及ぼすのかを理解していただけていたと思っていたのですが」
「すまん」
「ついに僕は、普通の人間というカテゴリーから外れてしまいましたね。いやはや、困ったものです」
あのバカ空間で赤玉になってアホみたいなのと戦ってる奴のどこが普通なんだ。
「この三次元、現実空間内での話ですよ。僕は涼宮さんの機嫌が悪い時以外は、
何の超常的能力も持ち合わせていない、いたって普通のどこにでもいる男子高校生でしたからね」
いや、それを差し引いてもお前は普通なんかじゃない、
お前みたいなのがそこら辺にゴロゴロと転がっていたら、今頃俺の胃はマシンガンで撃ち込まれた射的の的のごとく、
ストレスで穴だらけになってる頃合だ、とは俺の胸中だけの言葉である。
何故かって?想像してみるといい。
チラシ配りをしたら女性二十人のうち十八人は見とれながら受け取ってしまいそうなニヤケハンサム面が僅かな怒りと呆れ、困却で砂の牙城のごとく崩れている様を。
朝比奈さん(みちる)誘拐時の森さんには到底及ばんが、それでも相当壮絶な絵面だぞ。
何故美形の怒った面はここまで迫力が出るんだろうな。
ええい、俺はそんなお前の顔なんかを拝みたいなどとアホな事をと思ったことは一マイクロメートルたりともないんだがな。
そんな事考える余裕があるぐらいだったら、俺は地上に舞い降りた愛くるしい天使、もとい朝比奈さんの事を思い浮かべてるね。
お前の入る余地はどこを探しても存在せん。してたまるか。
お前は普段通り、ニヤニヤ笑ってハルヒ専属イエスマンでも勤めてりゃいいんだ。
それが俺にとっての平穏であり、お前らの大好きなハルヒの望みでもあるんじゃないのか。
お前が笑顔を崩すのは厄介事の前兆だからな、これ以上厄介事が増えられたらたまったもんじゃない。
ただ、あまりイエスマンばっかりやられても困るがな。お前もたまには反抗を覚えろ。
ハルヒに煮え湯を飲ませてやれ、信頼してる副団長様に反旗でも翻されようものなら、あいつも少しは懲りて大人しくなるんじゃねえのか。
いくらあいつでも、少しの反抗ぐらいで閉鎖空間を発生させまくるほどのアホじゃないはずだ。多分。そう信じたい。
「……すまん」
今回の件については確かに俺に非がある。厄介事を持ち込んじまったのは紛れも無い俺なのである。
だがそれに納得しているわけでは無い。だってそうだろ?
悪意など皆無の何気無い日常会話の所為でこんな状態に陥ってしまうと誰が予想出来ようか。
予想出来た奴は予知能力者か、妄想癖の強い可哀想な奴か、ただの電波野郎だ。
実際に身近に予言者みたいな、宇宙人製の対有機生命体コンタクト用なんたらインターフェースってのが存在するが、その事に関してはスルーさせていただきたい。
電波などという生易しいもんじゃない、完璧に頭イッちまってる奇天烈な女もいるが、それに関してもスルーに徹する。
俺が完全に開き直りの悟りを開こうとしていると、
「これからは更に忙しくなりそうですね」
古泉がこれ見よがしについた疲れの色の強い嘆息が俺を現実へと引っ張りあげた。
やたらと気取った手つきで髪を撫で付ける作り物めいた笑顔には、諦めの気配がふんだんに詰め込まれている。
「………」
クソ、金曜日の俺をテキサスの暴れ馬にくくりつけて荒野を引きずり回され全身擦過傷の刑に処したい。
こんな事態に陥ると予め知っていたのなら、俺は長門に予知能力の譲渡を頼み込んででも回避していただろうに。
今の長門には同期とやらを制限したために予知も予言も出来ないのだが、それはまあいい。
とにかく、ますます俺の回りの非日常の匂いは調子付いてしまったわけだ。


ったく、どうしたら俺は日常的日常を再び味わうことが出来るのだろうな。
俺はまだ平穏な日常へ回帰するという偉大で荘厳なる願望を無くしたわけではないぞ。
その願望すら上から塗りつぶしてぐちゃぐちゃにかき乱す女が身近にいる限り、俺に平穏はいつまでたっても訪れんのかもしれんが。
俺はそんなもん認めんぞ。徹底抗戦だ、断固拒否だ。
いつまで耐えられるかは不明だがな。

さて、何故俺が半ば開き直りながらも、いつぞやの傍迷惑な映画撮影時と同じような謝罪をこの超能力野郎なんぞにしているのか。
それを説明するには、一昨昨日の金曜日、朝のホームルーム前のヒトコマまで遡らねばならない。
あの時はまさか、古泉に糾弾紛いの事をされる事になろうとは雀の糞ほどにも思っていなかったからな。
そのヒトコマとは、ハルヒと俺の何気ない日常会話の一つである。
じゃ、回想スタートだ。



どこか好きになれない灰色の空の下、俺を筆頭に全北高生徒の最大の敵である地獄の坂道を、
毎朝恒例と言っても差し支えの無い妹の襲撃により痛めた腹をさすりながら上りきった俺を迎えたのは、嫌な記憶を彷彿とさせるダウナーモード突入中の涼宮ハルヒであった。
俺にだって学習機能というものはある、この状態のハルヒと関わるとろくな事が起きん。
というわけで、俺はダウナーハルヒを見なかったことにした。賢明な判断だよな?
これは俺の今までの悲惨な経験則から導き出した行動なので間違いでないはずだ。
俺は苦労の果てにこの経験則を手に入れたのだ、簡単に覆されでもしたらたまったもんじゃない。
俺は知らずのうちに忍び足になりながらも、ハルヒを刺激しないようにそっと椅子を引いて着席した。
つもりだった。が、うっかり椅子をハルヒの机にぶつけて派手な音を出してしまった。ぐあ、抜かった。
俺は恐る恐るとハルヒを見やる。だが、意外な事に、ハルヒは無反応だった。
虚ろな目でぼんやりと暗雲立ちこめる窓の外にいるカラスと睨めっこしているだけで、俺の存在を認知しているかどうかすら訝しい。
これは一体どうしたことだ?
普段あれだけ破天荒な女が大人しいのは実に喜ばしいことであり、願わくばずっとこの状態であって欲しいが、しかしこの鬱ぎ込むハルヒというのも相当気味が悪い。
もしや、この五月半ばとは到底思えないほど機嫌の悪い空模様も、ハルヒが原因なんじゃないだろうな。
古泉や長門に聞けば具体的な説明までしてくれそうだ。聞かないけどな。
どうしたんだハルヒ、父親の痴漢現場、またはそれに近似した場面でも目撃したか。
それとも親戚から送られてきた河豚を刺身にして、抜ききれてなかった毒にでも腹をやられたか。
お前の胃袋はユニコーンの蹄ぐらいには丈夫だろうと勝手に思っていたんだが。
正直、このままずっと背後からダウナーオーラを発され続けたら、俺の精神的疲労度が凄まじいことになりそうだ。
「キョン」
俺がトランキライザーとしてスイートエンジェル朝比奈さんを脳内に召還していると、地を這ったドスのきいた声が俺を妄想の世界から現実へと招引した。
そのあまりの抑揚の無さと低さ、陰鬱さに身の毛立つ。何なんだ、本当に。
おっかなびっくりと背後を振り返ると、ハルヒの大きな瞳と目が合った。瞳の奥には憂鬱の色がくすぶっている。
「何だ?」
刺激しないよう返答すると、ハルヒは深呼吸するかのように盛大な溜息をつきやがった。
忙しない手つきでカチューシャのリボンを弄くっている。
「そろそろ宇宙人や未来人や異世界人や超能力者の一人や二人や百人ぐらい出てきてもいい頃だと思わない?」
これっぽっちも思わんね。
お前はこれ以上俺の周りに奇妙奇天烈なプロフィール持ちの人間を増やすつもりなのか、とは言わなかった。
こいつは自分を中心に宇宙人と未来人と超能力者が取り巻いていることを知らない。
俺としては教えてやっても構わないというか実際に教えたんだが、そんな俺の親切心は無下にされて怒鳴られただけだからな。
異世界人とはまだお知り合いにはなっていないが、このまま永遠に赤の他人であってほしいというのが俺の本音である。
「今日、夢を見たのよ」
返事もしていないのに、ハルヒは言葉を続ける。俺はこのまま聞き役に徹することにした。
「もうことこまかには覚えてないけど、すっごい楽しい夢だったわ。宇宙人未来人異世界人超能力者はもちろん、霊能力者や幽霊とかも入り乱れてみんなで遊んだのよ。ああ、楽しかったなあ」
どんなカオスな状況だそれは。まさかとは思うが俺もその夢の中に出演してたりしないだろうな。出演してたなら出演料払え。
ハルヒはずるずると腕を伸ばし、机の上に突っ伏して脱力した。ここまで弱ったハルヒを見るのも久しぶりだな。
「目が覚めたときは絶望したわ。所詮全部夢だってね。

はあーあ、いつだかアンタが言ったみたいに、有希やみくるちゃんや古泉君が本当にそういう存在だったらいいのに……」
本当にそういう存在なんだけどな、お前が気づいてないだけで。しかしハルヒは本格的に憂鬱ロード邁進中だ。
このままでは一年前のように世界改変を試みたとしても何らおかしくない。
朝比奈さんと古泉、長門の顔が脳裏をよぎる。三人の為にもそれだけはなんとしても阻止せねばならん。
俺としても世界改変なんてのは全力で回避したい。
去年の十二月の長門による世界改変時のように奔走するのは精神的にキツイからな。
俺はハルヒの憂鬱を解消するべく、ハルヒの話に付き合ってやることにした。
で、お前は三人に一体何を望んでるんだ?
「そうねえ…みくるちゃんは自分の存在する未来を守るために過去に来たってのがいいわね」
「へえ」
『彼女は彼女が帰属する未来空間を守るためにこの時空に来ている』
映画撮影の時の長門の言葉が想起される。全くもってその通りなのが恐ろしい。これがハルヒパワーか。
「有希はそうね、宇宙人的なコスモパワーでなんか色々面白いことやってるの。うん、それいいわね」
その色々面白いことの具体的内容を聞く気にはなれないな。
ハルヒは言ってるうちに少しはテンションが上がったのか、腕を組みうんうんとしきりに頷いている。
そう、ここで話を切り上げればよかったんだ。そうしたら少なくても数日は平和にいられたはずなのだ。
しかしこの時の俺は、そうだな、魔が差したとでもいうべきか。
谷口に勝るとも劣らないほどのアホをやらかしてしまったのだ。
「古泉は?」
聞かなきゃよかった、と今の俺はつくづく思うね。この時の俺は本当の大うつけ者だ。
ダーツの的になってもいいくらいの自己嫌悪が湧きあがる。
ハルヒはよくぞ聞いてくれましたという顔で、得意げに語り始めた。さっきまでのダウナー気分はほとんど払拭されたようだ。
「古泉くんはね、テレポートとか空中浮遊とか、そういう超能力で巨悪と戦ってるのよ!」
ん?何かおかしい。ハルヒの中の古泉像は、俺の想像していたハルヒ的古泉像と異なっていた。
確かにあのスマイル少年は、赤玉を作り出して害虫退治をしたり、
赤玉になって害虫駆除ラケットを持った人間から逃げ惑う蝿のごとく飛びまって神人イコールハルヒという巨悪もどきと戦ってはいるが、別に幾種類もの超能力を多用したりなどはしていない。
それしか能が無いはずだ、あいつは。ハルヒ空間限定能力者だ。
テレポーテーションだとか予知能力だとか、そんな能力は持ち合わせていない。赤玉になれば空中浮遊は出来るみたいだがな。
ハルヒはどうやら本気でそうなって欲しいらしく、
「予知能力とかがあっても面白いわよね、エレクトロン焼夷弾みたいなのを作り出して爆発させたり…」
ブツブツと古泉の超能力について呟いていた。
エレクトロン焼夷弾って何だ?普通の焼夷弾とどう違うんだ。
それにしてもまずい、どうやら俺は…押しちゃいけないボタンを押しちまったっぽい!すまん、古泉!
「あーあ、三人がそういう存在なら本当に面白いのに!」
ハルヒは先の言葉を大声で繰り返し、また机に突っ伏した。ダウナーへ逆戻りだ。
クラスの視線がこっちに向く。おい待て、みんなしてまたか…というニュアンスの溜息をつくな。俺まで見るな。
思えば、俺はこの時から嫌な予感と後悔はしていた。後付けじゃねえぞ。

その後チャイムが鳴り響き、ハンドボール馬鹿の岡部が遅刻ギリギリで教室に飛び込んで来て、
ダウナーハルヒの雰囲気にギョッとしながらもどうにかホームルームを進め、そのまま授業に突入した。
ハルヒは授業中もずっとメランコリーで、授業中俺の背中を突っつくことも、椅子を足でこつんと蹴ることも、ノートの切れ端にバカと書きこんで投げつけてくることも無く、
休み時間にどこかへ飛び出していくことも無く、ただずっと、物憂げな顔で灰色の空を眺めていた。
クラスメイトのどうしたんだアイツ的な視線が突き刺さってきて痛い。谷口、国木田、そして阪中よ。俺に聞かれても困る、俺だって知りたい。
ハルヒ本人に聞いてくれ。まともな答えが返ってくることは無いがな。
流石に心配になり、声をかけたりもしたが、ハルヒは鬱陶しいと怒鳴ることもなく、ひたすら上の空を貫き通した。
それは放課後になっても変わらず、ハルヒはSOS団の活動を急遽休みにし、とぼとぼと生きるのに疲れた盲導犬のように帰宅したのだった。
俺もなんだかメランコリーとかいう名前の幽霊に取り付かれた気分になりながらも家時につき、家での時間をいつものように過ごすものの、
ハルヒのあの様子がどうにも頭にこびりついて離れなくなり、眠れない夜を過ごしたのである。



そして週明けの今日、ハルヒは学校を休んだ。
岡部曰く、土曜日に39度という高熱を出したらしい。あのハルヒが。
今は大分熱は下がったようだが、今日は様子見のため欠席なのだそうだ。
今日は後ろが静かすぎて違和感の連続だったな。
そして俺は現在、今日も変わらずモノクロな空の下、食堂の野外テーブルにて野郎二人で顔をつきあわせている。
いつだかの古泉の正体告白時と同じ場所、同じ飲み物だ。話してる内容もハルヒ関連。
だが決定的に違うのは、そうだな、古泉の雰囲気だな。
目の下には濃い隈、怒りと呆れと困却のオーラ、ヘタクソな笑み。
「まさか、この身に新たな超能力が宿ってしまうとはね」
そう、案の定、古泉に新たなる超能力が宿ってしまったのである。
予知能力とやらは俺ではなくこの無料スマイル少年に宿ってしまったわけだ。
しかも面倒な事に、古泉の身に宿ったウィーナー先生もひっくり返って悶絶しそうな能力はそれだけではない。
このエスパー少年は、自身の使う超能力のレパートリーを広げさせらてしまったのだ。抗う時間すら与えられずに。
その原因は言うまでもなく、ハルヒの唐変木な力であり、その引き金になったのは俺の無用心な発言だ。
今の俺は罪悪感に苛まれている。潰されそうだ。くそ、誰か向精神薬と酒を持ってこい。
古泉にいらない能力を与えてしまい、さらに負担をかけてしまった。
新たな超能力の誕生により、古泉はさらに普通からかけ離れてしまった。
いくら俺でも、これで罪悪感を感じずにいられるか。
「僕の身に宿った新たな能力は念力、予知、空中浮遊、瞬間移動、人間探知、精神感応の六つ。断言します、これだけですよ。
人間探知というのは、僕の半径五百メートルに以内にいる人間を探知することが出来るというものです。
瞬間移動は二百メートル以内だったら、頭に場所を思い浮かべるだけで移動が可能です。
ほとんどの能力は自由自在に使いこなせるんですが、予知能力と精神感応だけは勝手が違うようでして。
予知能力は何の前触れもなく頭に情報が入ってくるんですよ、僕の意思とは関係無くね。
精神感応能力は実を言うと未発揮の状態でして、どのような条件、状況下で行使が可能になるのかは僕自身把握しきれてません」
それなのによく自分にそのテレパシーとやらが宿ったなんて解ったな。
「解ってしまうのだからしょうがありません」
いつだかの台詞を使いまわすな。俺の奢りのコーヒーを飲んでから、いつもの恵比須顔とは違う、グロッキーな笑みで古泉は説明した。
本来古泉は説明好きで、いつも俺はそれにうんざりさせられていたんだが、今回ばかりは説明すら億劫になってるようだった。回りくどさがほとんど無い。
俺としては数学の解説書が小学生でも解るレベルまで細かく解説されてるのと同じくらいありがたいがな。
念力、予知、空中浮遊、瞬間移動。そのうち瞬間移動だけは実際にこの目で見た。
何故なら、古泉はこの場所に瞬間移動してきたからだ。
いきなり目の前に古泉が出現した時は、思わず情けない悲鳴をあげちまったからな。
周りに誰もいなかったのが幸いだ。まあ、誰もいなかったからこそ古泉も瞬間移動をしてきたんだろうが。
存在を忘れかけていた減糖済みコーヒーを煽る。くそ、生ぬるい。
「実は、こんなことも出来るんです」
念のためか、あたりを警戒するように見回したかと思うと、古泉は掌を上向きに構え、カマドウマの時と同じハンドボール大の赤い光球を出した。
どういうことだ、それはハルヒ空間限定の能力じゃなかったのか。
「あの姿になることも可能です。可能になってしまったのですよ」
古泉は赤い光球を消すと、真剣な顔つきになり、
「ここ三日間大変だったんです。閉鎖空間が春先のように多発しているんです、それも絶え間なくね。今は治まっていますが、朝方まで僕は閉鎖空間で戦ってました、疲れましたよ。
それに加え、僕だけは現実空間でもこの力を駆使することが可能になり、新たな能力も宿りましたからね。
一昨日、昨日と『機関』で様々な検査を受けました。正直言いますと、もう疲労困憊という按配でして」
もう一度コーヒーを飲み、また相好を崩した。いかにも作り物めいた笑顔。
俺としてはもう申し訳なさでいっぱいだ。すまん、古泉。
まさかとは思うが、えーとなんだっけか、エレキトンだがエルクトレンだか、そんな感じの名前の焼夷弾とやらを作り出せたりはしないよな?
「エレクトロン焼夷弾のことですか?いえ、さすがにそれはありません、僕の能力はいま列挙したものだけです」
そりゃ良かった。いや、全く良くなんかないんだが、でも良かった。
焼夷弾まで作り出されたら、古泉は完璧に歩く兵器と化してしまう。

いや、赤玉になったり作れたりする時点で兵器も同然だがな。うかつな発言をしたらぶっ飛ばされるかもしれん。
「ご馳走様でした」
飲み終えたのか、古泉がコーヒーをテーブルに置いた。
俺もさっさとこの生ぬるいコーヒーを飲んじまおうと手を伸ばしたが。
「やべっ」
うっかり缶コーヒーを落としてしまった。生ぬるい液体が俺を襲う。こりゃ制服クリーニング行き確定だな。
ただでさえ横暴傍若無人女に搾取されまくってて持ち金少ないってのに。
俺が週末のSOS団集会が原因で寒くなっている懐を案じていると、
「……あ?」
今にも俺のズボンを汚そうとしていたそれが空中で静止した。何だこりゃ。
「火傷はありませんか?」
俺が目を見張ってコーヒーを眺めていると、古泉がノミの脳みそほどにも心配なんかしてないような声音で尋ねてきた。
そこでようやく俺は、古泉の超能力の仕業という考えに達した。ふむ、便利な能力だな。
「すまん、大丈夫だ。まあ、どっちにしろぬるいから火傷はなかっただろうがな」
コーヒーが缶の中へと戻っていき、缶がテーブルの上へと戻っていった。ついでに温かくなっていたら万々歳なんだが。
戻ってきたコーヒーを口に含む。うーむ、ぬるい。当然だけどな。
今度こそコーヒーを飲み干してから、古泉を見やる。
古泉は、片手で頭を抑えながら整った面に皺を刻み込んでいた。
話の通じない不良生徒を相手にして疲れきった新米教師みたいな面だ。こいつが教師になったとしたら俺は不良になるかもな、あまりのうざさで。
どうした、と俺が声をかけようとしたその時だった。
ぴろりろぴろりろ。どこかで聞いたことのある音が響いたかと思うと、
古泉がブレザーの胸ポケットから携帯を取り出し、液晶ディスプレイを眺めて溜息をついた。
「閉鎖空間か」
尋ねたくもなかったが一応聞いてやると、その通りです、と古泉にしては珍しく面倒くささ全開の返答が戻ってきた。
「涼宮さんの熱がぶり返してしまったのでしょうかね。すみませんが、九組の担任に僕は早退したという旨の伝言を頼んでもよろしいですか?」
それは構わんが、理由聞かれたらどうすんだ。
「適当に誤魔化しておいてください…と言いたい所ですが、大丈夫です。九組担任も『機関』のエージェントの一人ですから」
マジかよ。
古泉は薄く笑って、それでは、と席を立ち、そっちの方向を見もせずに缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れた。ナイス・シュート。
お前にしちゃ随分乱暴な仕草だな、疲れでお前の言う本性とやらが出てきてんのか。
いつもの意味も無いスマイルと敬語のオンパレードよりも、そういう意外と乱暴な所の方が好感持てるぞ。
疫病神にのしかかられてるんじゃないかというくらい暗い背中を向けながら去っていく古泉にすまんと合掌をしていると、古泉はいつもより陰り五割増しのスマイルで振り返った。
「そうそう、先ほど携帯が鳴る前に、突如予知能力が発揮されて数分後の未来を垣間見てしまったのですが、
貴方はこの後下駄箱で長門さんと出会うようですよ。長門さんのご様子に異変が見られましたがね」
気になる一言を言い残し、俺が瞬きをした瞬間にその場からかき消えた。瞬間移動か。
なんだあいつ、なんだかんだで与えられた能力フル活用してんじゃねえか。
俺もさっさと退散して九組に向かうべく、席を立って缶コーヒーを捨てた。
それにしても、長門……か。異変だと?
長門の最近徐々に色付いてきた表情が瞼を掠める。まさか今回も何かが起きて、長門の力を借りてしまうことになってしまうんだろうか。
せっかく少しずつ感情を覚えてきてるのに、余計な負担をかけさせたくはないんだがな。あの終わらない夏の日のように。



下駄箱を開けると、またもや手紙が鎮座していた。何だ、まさか俺はまた懸案事項を抱えなければならんのか。
封筒を手に取ると、『キョン君へ』の文字が読み取れた。
この少女漫画風のファンシーな封筒と、丸っこくて可愛らしい、それでいて几帳面な文字には見覚えがある。
封筒を裏返し、差出人の名前を見ると、やはりな。
そこには朝比奈みくると記入されていた。
朝比奈さん(大)、今度は俺に何をやらせようっていうんですか。
正直に言おう、俺は朝比奈さん(大)のやり方に好感など抱いちゃいない。むしろ反感オンリーだ。
あの日、二月十四日に朝比奈さん(大)に抱いた暗い感情を、俺は忘れてなどいない。忘れるものか。
彼女が、俺みたいなただの一般人には到底言えないような様々な未来的事情を抱えているのは俺にだって解るさ。
きっと彼女にも彼女なりの葛藤があるのだろうし、俺だって一応納得はしている。
だがな、やはりどこか反抗心は抜けないわけだ。というわけで今の俺は、非常にこの封筒の中身を開けたくないという反抗心に満たされている。
だが、やはりそれじゃ駄目なんだ。この手紙を開けなければ事態は動きを見せないままだろう。
気は進まないどころか後退する一方だが、しょうがない、
男子トイレの個室に駆け込んで開封しようと動いたところで、背中に何かがコツンと当たり、俺は文字通り飛び上がった。
反射的に振り返ると、超能力者の予言通り。
長門有希が、そこに立っていた。
相変わらず気配が読めない。これは何回経験しても慣れそうにないな。
「よ、よお長門」
「……これ」
俺が自分の順応能力に限界を感じていると、長門は人間の子供にいじめられて心の傷ついた犬のような空虚な瞳で俺を見上げ、本を差し出してきた。
お前が本を貸すってことは、やっぱり厄介事が起きようとしてるのか、長門。
それは長門にしては珍しく、PTAの会報誌並みに薄っぺらい本で、
これならとっくの昔に本を読むという行為を放棄した俺でもさくさくと読み進められそうな、ちょうどいい厚さだ。
長門は俺に対する気遣いを覚えてくれたのか?
「あなたが情報統合思念体の協力を必要と判断した時に読んで」
長門はいつも以上に感情の篭らない声で言うと、念を押すように言った。
「必ず、古泉一樹と共に」
情報統合思念体、古泉と共に?なんのこっちゃ。
俺がその言葉の底意を読み取ろうと思考に潜ろうとした隙に、長門はそのまま踵を返し、ぱたぱたと忙し気な足取りで去っていった。
……何だ?今の長門には何か違和感を感じた。
まず、表情。長門が無表情なのは朝比奈さんが可愛らしいのと同じくらい当たり前のことなんだが、
それでも最近の長門は無表情の中でも少しずつ感情が窺えるようになっていた。
これは気のせいじゃないと胸を張って言えるね。なんなら明日の朝比奈さんのお茶を飲む権利を賭けてもいい。
長門には感情が生まれはじめているからな、去年の冬の事件を起こしたってのがその証拠だ。
だが今の長門は、そうだな、無理に感情を押し込めているように見えた。俺の気のせいじゃなければな。
それに早足。長門が早足で歩くところなど俺は初めて見たぞ。
むしろ早足よりも逃げ足というのが適切かな。そう、長門は逃げ足で去っていった。あの長門が。
確実に、長門に何か異変が起きている。どういうことなんだ、これは。古泉が言っていたのはこれのことか。
俺はしばらく呆然としていたが、手元の本の存在を思いだして擦れて読みづらくなったタイトルを解読した。
そこに書かれていた文字は、
マザーグース
有名な、イギリス童謡の総称だった。


ハルヒの変調。古泉に新たに宿った能力。朝比奈さんの手紙。長門の異変、謎の言葉、童謡。



これは一体、何の予兆なんだ。
この時、俺はまだこれら全てが非日常への抵抗手段であることに気づかなかったのだ。

そう、



ハルヒにSOS団を追放されるその日まで。


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