「あんた、最近どうなのよ」
 金曜日の放課後。疲れ切った俺の頭を癒すに一番適した魔法の水――すなわち朝比奈さん印のお茶である――をすすっていると、さっきまでネットサーフィンに夢中だったハルヒが突然訊いてきた。
「あんたって、俺か」
 ハルヒは頬杖をつきながら俺を見ている。
「……どうって、別に好調だぜ」
「あんた学年末テスト何点だったっけ?」
 うっ……なぜそんなことを訊くんだ。それに、返却当日お前が勝手に奪って点数をばっちり確認してたじゃねえか。
「あれで好調なんだ」
 こいつ、なにが言いたいんだ?
「ちょっとやばいわよ、あんた。そろそろ本当に勉強しないと取り返しがつかないわ」
 ……それは俺が重々承知してる。
「ふうん……それじゃ、勉強する気はあるのね?」
「……ま、まあな」
「じゃあ決定! みんなよく聞きなさい!」
 お茶を配っていた朝比奈さんがビクッと反応してハルヒに振り向き、ブックカバーを熱心に読み耽っていた長門の視線がハルヒに向き、詰め将棋をしていた古泉がゆっくりとハルヒを直視した。
「次の不思議探索は中止! その代わり、キョンの家に行って勉強会するわよっ!」
 次の不思議探索……つまり明日、土曜日か。なるほど、勉強会ね……。
 どこか嫌な予感はよぎるが俺の学力アップのためならいたしかたあるまい。俺はお茶を飲み干して、一息ついた。
 
 
 そして明くる土曜日。俺の事情も考慮せず――と言っても特に事情はないんだが――ハルヒが俺の家に一番乗りして、それに続いてゾロゾロと他の3人が入ってきた。
「おっじゃまっしまーす!」
「おじゃましますぅ」
「お邪魔します」
「……お邪魔します」
「おう、入ってくれ」
 
 早速始まった勉強会だが、俺が数学のテキストに取り組もうとしたところでハルヒがシャミセンをいじりながら言った。
「なにか飲み物が欲しいわね、あとお菓子も!」
「悪いが今は切らしてるな」
「そう? じゃー買いに行きましょう!」
 おいおい、言いだしっぺがのっけから勉強放棄か?
「帰ってきたらやるわよ。買出し組と居残り組みをくじで決めましょ」
 ハルヒはどこからかいつもの2本赤印のついた爪楊枝を取り出して、
「荷物持ち用に3人必要ね。2人はキョンの家で勉強してること」
 3人って……どれだけ買うつもりなんだ、こいつ。
「引いて引いて!」
 
 
 結果として、俺と朝比奈さんが赤印で俺らは家に取り残されることになった。わずかな時間の間だが朝比奈さんと時間を共有できるとは、今日はついてるな!
 ……と思ったのもつかの間、朝比奈さんは俺なんか全く気にしてないようで、シャミセンの毛並みを整えたり遊んでやったりしていた。羨ましいぞ、こら。
「にゃあにゃあ」
「シャミセンさ~ん、どうですかぁ~?」
「にゃあ」
「朝比奈さん、ここってどうやって解く……」
「ほ~ら、高いたか~い」
「にゃる」
「……あの……」
「はっ、ご、ごめんなさい! わたしつい……」
 いえ、お気になさらないでください。
「それじゃあ勉強を……あ……れ……」
「……朝比奈さん!?」
 その場で立ち上がっていた朝比奈さんはシャミセンを抱きながら急に倒れこみ、ベッドに横たわった。
「どうしました!? 朝比奈さ……ん……?」
 なんだ。この立ち眩みは。いや、立ち眩みなんてレベルじゃない、なんて睡魔だ……
 俺は、そのままベッドに倒れこみ意識を失った。
 
 
 
「起きろ、おい、起きろ!」
「うん……?」
「キョンくん、起きてください~」
 2つの声が俺を呼びかける。1つは馴染みのある声、朝比奈さんボイスだ。もう1つは……なんだか、いつも聞いているような、久しぶりに聞いたような……
「いい加減に起きろ!」
「……シャミセン……!?」
 俺は飛び上がるように起き上がった。朝比奈さんの上に乗って俺をしっかりと見詰めているのは見間違えようも無くシャミセンであり、シャミセンからでた泣き声は確かに人間の言葉である。
 いや、逆だ。どういうわけか、超巨大化したシャミセンの上に朝比奈さんが乗っている。 
「お前、喋れるのか?」
「キミがそう聞こえているのならそうなのかもな」
 俺は朝比奈さんにアイコンタクトを送る。しかし、返って来たものは自分も何がなんだか解からないといった表情であった。
「お前、いつからそんなに成長したんだ」
 悪いがそのサイズ――体長5mといったところか――じゃもう家では飼えないぜ。
「よく見ろ、キミたちが縮んだのだ」
「そうみたいなんです……」
 俺は辺りを見回す。いつもは膝のあたりほどにしか届かなかった木箱が、今では俺の2倍以上の全長を誇っている。転がっている空き缶も俺と同じくらいのサイズだ。……どうやら本当に縮んでしまったらしい。
「……どうすれば治る?」
「さあな。私が知るか」
「ど、どうしましょうキョンくん……」
「まあそう心配するな。実は私がキミらを呼んだのだ」
 ……それはどういうことだ?
「少々頼みごとがあってな……それにはあなたの力が必要なのだ」
 シャミセンは朝比奈さんを見ながらそう言った。
「ふぇ、わたしですかぁ……?」
「そう。まずはこれをつけていただきたい」
 握っていたシャミセンの手がほどかれ、その中には片目だけのコンタクトレンズがあった。
「コンタクトレンズですか? これでなにを……」
「実は最近、他所の街から巨大で凶暴な猫がきてここを牛耳るようになってな。そいつを退治していただきたい」
「で、でもわたしにそんな力は……」
「あるじゃないか。その目に宿す強力な力が」
 俺は映画撮影のワンシーンを思い出す。その力ってまさかあのデタラメビームのことじゃないだろうな。
「それ以外になにがあるというのだ」
「ふぇぇっ、またあんなことを……」
「話している暇はない。今も私の仲間の猫が困っているのだ。さあ、早く背に乗れ!」
 
 
 あまり状況の掴めないまま俺はシャミセンの背中に乗って――ふかふかでなかなか乗り心地は良かった――猫の集落へ向かった。
 到着すると、明らかに態度のでかい、それも他の猫よりかなり大きい藍色の猫がふんぞり返ってくつろいでいた。うむ、見てるだけで腹が立つ感じだ。
「準備はいいか? 私があの猫に向かって突進する。その時に、そのレンズを使ってあのビーム光線を頼んだぞ」
「ふぁ、ふぁいっ……!」
「行くぞ!」
 シャミセンは日頃の妹との追いかけっこで鍛えた脚力を存分に活かして巨大猫に突進――危うく落ちそうになったのは内緒だ――する。すると巨大猫はビクッと反応して身構える。
「放て!」
「……ミミミ、ミクルビームっ!」
 真っ赤になって絶叫した朝比奈さんの片目から放たれたのは、あの時の光線の1000分の1ほどの威力にしか満たなそうな弱弱しいビームで、それでも猫には十分すぎる威力だったようだ。光線は見事命中し、巨大猫は「ギニャー!」と叫びながらどこかへ消えて行った。
「やったぞ!」
「朝比奈さん、ナイスです!」
「ふぇえ、良かったぁー……」
 ぺたりとその場に座り込む朝比奈さん。それと同時に、そこらじゅうから色々な毛並みの野良猫が沸いて出てきた。その内の一匹が、猫なりに頑張って装飾したのであろう猫まんまをくわえている。
「お前ら、みんなしていきなりどうしたんだ?」
「なにを言ってるんだ、今日はシャミセンの誕生日じゃないか」
 今時の猫はみんな喋れるのか? にゃあにゃあと鳴く時代は終わったのだろうかね。
「そんな、私の誕生日など……」
「水臭いことを言うなよ、キミは僕らにとっても特別な存在なんだ。祝わせてくれよ、なあみんな!」
 猫たちのときの声にも似た歓声が響き、ご近所の間でどれほどシャミセンが人気者だったのかを知らせてくれる。
「みんな、ありがとう……それと」
 シャミセンは俺と朝比奈さんを降ろして俺らを見詰める。
「2人も本当にありがとう。これはその礼だ」
 頑張ったのは朝比奈さんだけで俺はただシャミセンの上でくつろいでただけなんだが……まあ礼と言うなら貰わないわけにもいかない。
「こちらこそ、貴重な体験ができたよ」
 シャミセンが大事そうに渡してくれたのは、小さな貝殻を集めてできたキーホルダーくらいの装飾品だった。
「シャミセンさん、お誕生日おめでとうございますぅ」
「おめでとう、シャミセン」
 シャミセンは照れ隠しのような仕草を見せたあと、
「さて、そろそろ起きる時間だぞ、2人とも」
「え?」
「これからもよろしく。『キョン』」
 
 急に立ち眩みが俺の思考の回転を妨げ、全てがブラックアウトした――
 
 
「ほら、2人とも! 起きなさーい!!」
「ううん……? 俺の部屋……?」
「そーよ当たり前でしょっ、あんたたち勉強ほったらかして昼寝してたわねっ!? ……し、しかも添い寝で……」
 待てハルヒ、これには色々と事情があるはずなんだ。ですよね、朝比奈さん?
「ふふぇ……さっきまでのは夢だったの……? ああ、キョンくんそれ、シャミセンさんからもらった!」
 朝比奈さんが指す方には俺の握り拳があり、それを解いてみるとシャミセンからのお礼が出てきた。
「それじゃ、あれは夢じゃ……」
「……なかったのかもしれませんね!」
 俺がシャミセンからのプレゼントを眺めていると、珍しく俺の方へシャミセンがすり寄って来た。
「シャミセン、ありがとうな」
 シャミセンは、いつものように「にゃあ」と鳴いた。
 
 
 ねこのおんがえし end
 
 
 
 
……これは、緒方賢一さんの誕生日に掲載させていただいたSSです。

他の誕生日作品はこちらでどうぞ。

 
 

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最終更新:2008年03月28日 00:13