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ハァと深い溜め息をつく。部室に向かう足取りが重いのは気のせいではないはずだ。
ずっしりとした鉛をつけた足を酷使して部活棟へ向かう僕。
頭の中では涼宮さんの晴々しい笑顔とキョン、と彼女に呼ばれる彼の顔が交互に浮かんでは消える。
ハァ。
僕はもう一つ大きく溜め息をついた。
 

 


「古泉、状況が大きく変わったわ」
夜中だというのに電話越しに伝わる森さんのテンションはいつになく高かった。
また酒に酔っているのだろうか。この前のように無理矢理家から引きずり出して夜通しカラオケに付き合わされるのだけは勘弁してほしいのですが。
「何言ってんのよ、ふざけている場合じゃないわ」
どうやら酒には酔っていないらしい。そういえば酔うと僕のこといっちゃんって恥ずかしい愛称で呼ぶんでしたっけ。この人は。
「では、なんでしょうか。また閉鎖空間が発生しましたか?」
そんな気はしなかったのだけど。
森さんは電話の向こうで首を振る。まるで大人が解けないなぞなぞを出した子どものように、ヒントが欲しい?と首を傾げる彼女を容易に想像することができた。
「あんたは感じないの?」
はて。何のことでしょう。今僕が感じているのは、森さんが僕に向けている心の視線ですが。
 
 ……訂正。
それは森さんのものだけではなかった。
世界中、いや全宇宙の視線が僕に集まっていた。
背中を嫌な汗が伝う。
『彼』はいつもこんな気分だったのだろうか。
……鈍感で良かった。これは決して心地の良い気分ではない。急に吐き気が襲う。
 
「涼宮ハルヒの鍵は今や彼ではない。」
森さんの声がいやに遠い。

「あんたよ。古泉一樹」
 
 
 
と、いつの間にか記憶が昨日の夜中まで飛んでいたようだ。気付けば目の前に見慣れた木の扉が現れていた。
ゴクリと唾を飲む。ノックをする手が震える。
もし、彼の声で「どうぞ」とでも返されようものなら今日は帰ろう。そうしよう。それがいい。
 
 「…どうぞ」
意外にも返ってきた声はあまり聞き慣れない、つまりあまり口を開かない彼女、長門有希のものだった。
ホッとして扉を開ける。……何となくではあるが一番彼女に会いたかった。そういえば昨日鍵を掛けたのは僕だった。完全密室の部室に入れるのは彼女くらいしかいない。
長門さんは僕をその碁石の様な瞳でじっと見つめ、
「話がある」
とだけ言った。寧ろこっちから話したいこともたくさんあるのですが。

 

ガチャン
触ってもいない鍵が独りでにかかる。こんな事が出来るのはここには一人しかいないはずだ。
僕といえばその能力は閉鎖空間オンリーだし、それにここが例え閉鎖空間でも鍵を触らないでかけるなんてマジックめいたことは出来ないだろう。試したことは無いけれど。
「情報遮断物質を放出。バリアモード。ここにはいかなる生物も近寄らない。近寄れない。…例え涼宮ハルヒでも」
単調なリズムで長門さんがこちらに近づいてくる。
「安心して」
瞳はさっきから僕のそれを捉えたままだ。なんだか息が詰まりそうだな。上げていたはずの口角がピクリと歪んだ。
「昨日の23時52分、情報統合思念体は涼宮ハルヒの新たなイレギュラー分子構造体の発生を感知した」
そして僕の胸にトンと人差し指を置く。
「その対象は、あなた」
 
 グラリと足元がよろける感じがした。
だがここで尻餅をついてはあまりにも格好が悪いので必死に足元に力をこめる。
森さんだけでなく、長門さんまで…
一体どうしたと言うのだ。つい昨日まではその役目は彼だったはずなのに。
頭の中が混乱する。なぜ僕なのか?それじゃあ彼は?
長門さんがとりあえず座るように、とパイプ椅子を引いてくれた。ああ、情けない。
長門さんの煎れてくれたお茶は、なるほど。彼が以前言っていたように確かに美味しくはあったがどこか味気が無いものであった。
でも、今はそんなお茶でさえ僕を落ち着かせるには十分だ。それだけ混乱しているのだ。
珍しく窓際の定位置では無く、僕の目の前、つまりは彼の定位置に彼女は腰を降ろした。
あの分厚いハードカバーは閉じて脇に寄せてある。またSFか。僕は推理ものが好きなんだけれどな。
「そのイレギュラー分子構造体とは何物でしょうか」
視線を分厚いハードカバーから彼女の漆黒の瞳に移す。油断していると吸い込まれてしまいそうだ。
少し首を傾げてショートカットを揺らす。
そしてほんの少しだけ迷うように宙に目を泳がせて
「分からない」
とだけ言った。
僕は表情はそのままで内心で舌打ちをする。
分からない、なんてことは無いはずだ。それは彼女が『彼』に対して抱いている感情と何一つ変わらないのだから。
その言葉を飲み込んで、改めて笑顔を作る。今更彼女の前でそんな事をする必要もないのだが、如何せん癖になっているようだ。困ったものです。
「エラーだからですか」
「そう」
バチリと目が合う。怯みそうになるが手を強く握り締めて堪える。
ここで負けてしまっては全てがうやむやにされてしまう気がした。

 

「涼宮ハルヒは私達の昨日の話を聞いていた」
ドクンと心臓が跳ねる。
昨日。彼女は昨日の放課後僕がここで話した事を言っているはずだ。
誰にも明かした事の無い胸の内を、何故か昨日この小柄な少女に打ち明けてしまったのだ。
「あなたは彼と彼女の関係に精神的圧迫を感じていた」
そう。
「それは今回涼宮ハルヒから感知された情報と非常に似て非なるもの」
それは、
「所謂、恋愛感情というものに帰するから」
わたしには理解できないと小さく付け足した。
ぐっと胸が締め付けられる。
そうだ、僕は。

 

「あなたは涼宮ハルヒに機関と呼ばれる組織の一員として、ではなくまた別の認識を抱いてい」
「好きなんだからしょうがないでしょう!!」
長門さんが何かを言い切る前に僕は叫んだ。
僕を見つめる黒く吸い込まれそうな双眸が少し驚いた様に瞬く。そして、
「それは昨日聞いた」
と抑揚の無い声で呟いた。

 

沈黙。
何故彼女に話してしまったのだろう。僕は昨日の僕に問いかける。
 

 

 

きっかけは何てこと無かった。

例のごとく団長席に胡坐を掻き、彼を呼びつけては無理難題を押し付ける。
何てこと無い、いつもの部室。彼は嫌々パソコンの前に座りマウスを動かし始める。
何てこと無い。でも確かに感じる二人の間に何か別の空気がある気がした。きっと気のせいではないはずだ。
始めからあった。と言えばあった。僕はそれを始めから知っていた。
ただ気付かないようにしていただけだ。
その空気が日に日に濃くなっていくことを。僕の中に暗い嫉妬心が芽生えていくことを。

 

「古泉くん?」
涼宮さんがパソコンの陰から此方を伺う。眉根を寄せて、一体どうしたんですか?
「物凄く顔色悪いわよ」
朝比奈さんがおずおずと鏡を差し出す。本当だ。真っ青になった唇が某国民的アニメの卑怯くんのようだ。
彼も此方を心配そうに見つめていた。普段はこんな顔見れないからラッキーかもしれない。
なんて馬鹿なことを考える。本当にヤバいかもしれない。なんだか頭が痛いような気さえしてきた。
「古泉くん、もしかしてバイトきついの?」
いやいや、高校入学以前に比べれば全然。なんて言えるはずも無く、力なく首を振る。
 
パタンと長門さんが本を閉じる。今日の団活はこれで終了。
彼がチェスをしまい、朝比奈さんが湯のみを片付ける。僕も早く帰ろう。そう立ち上がろうとした。
クイッと袖口を引っ張られてつんのめる。…なんですか?長門さん。
「残って」
いや、体調もあまり宜しくないので早めに帰りたいのですが…ってちゃっかり涼宮さんに鍵借りないでください。あーあ。
「じゃあ、有希。あんまり古泉くんにおイタしちゃダメよ。なんか体調悪そうなんだから」
そうやってニヤリ、と笑う涼宮さん。…何か勘違いをしていらっしゃいませんか?
「それじゃあ」
「またな」
「じゃあね」
と口々に交わされる別れの言葉と共に部室に残される僕と長門さん。
で、一体何のご用事でしょうか。
頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべて尋ねる。ここしばらくは涼宮さんの能力も落ち着いてきているというのに。
「あなたに話がある」
「はて」
「…言ってしまえばいい。わたしになら大丈夫」
何のことを言っているのでしょうか?
「あなたは3年前から涼宮ハルヒを知っている」
そう。
「そして私達の中で一番近くにいた」
そう。
「彼よりも」
そう。
「それなのに」
 
何故、僕では無いのだろう。
ジョン=スミスは僕では無い。彼だ。
彼は言った。あの、SOS団が存在しない世界での僕は涼宮ハルヒに惚れ込んでいた。と。
何故、あの世界の僕がそうであるのにこの世界の僕は違うのか。いや、違わない。
それどころか僕は3年前、この力を与えられた時から彼女に惹かれていた。
前だけを向いて決して後ろを振り返らない、何かを信じようとして信じないその瞳に強く惹かれていた。
なのに、何故。
何故、彼なのだろうか。
今の彼女にはジョンなど関係は無い。彼がいればいい。
ずっと、思ってきたのに。

 

「あ」
意図せずに頬を涙が伝う。格好が悪い。無理矢理ブレザーの袖で拭うが後から後から溢れてくる。
長門さんの眉が少しだけ歪んだ気がした。気がしただけかもしれない。
僕に鍵を渡して閉めておいて、とだけ言った。
 

 

 

回想終了。
長門さんはドアノブの方に視線をやる。
「その会話を涼宮ハルヒが聞いていた」
そうですか……いや、なんだって?自分の耳を疑う。まさかとは思うがあのニヤリ、は。ああ、油断していた。
この恥ずかしい告白を本人が聞いていたというのか。いや、それ以前に聞かれると色んな意味でまずいことを言っていたような気もする。
額に脂汗が浮かぶ。
「その後の彼女の意識をトレースした」
何てやつだ。
「聞きたい?」
正直言うと聞きたいですね。
すると、長門さんは涼宮さんをまねた声色で涼宮さんの心を読み上げた。

 

「何で、古泉くんじゃないんだろう。なんでキョンなんだろう。
キョンなんて、いつも他の娘ばっかりにデレデレしてあたしのことなんて見てもくれないのに。
古泉くんはいつも見てくれていたのに。
なんで気づかなかったんだろう。ああ、馬鹿。あたしったら大馬鹿」

 

そして普段の彼女に戻る。
「これがこの事態の元凶」
冗談でしょう。というか、冗談だと言ってください。
それじゃあ、今の涼宮さんは。
「はじめに言ったはず。対象は、あなた」
ああ。困った。でもどこか嬉しがっている自分がいる。

 

「バリアモード解除。じきに彼がここに向かう」
パタパタと聞きなれた足音がこちらに近づく。僕は自分の定位置について指を組んだ。
「わたしはこのまま帰る」
長門さんが振り返る。ショートカットの頭が小さく揺れる。
「…検討を祈る」
少し微笑んだ気がしたのは気のせいだったのだろうか。

 

>>to be continued

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