「少し、お時間よろしいですか?」
顔の前で指を組んだ古泉が言った。くそっ。何だかコイツの笑顔のニヤケと困ったが2割増しに見えやがる。
「いいけど、ここじゃハルヒがそのうち来るぞ」
そう言うと古泉は急に思案顔を作った。珍しい、それはいつもの『本当は困ってないんですよ』スマイルでは無く、本当に困っている様であった。
「では、食堂の自販機で」……あそこにはいい思い出が無いのだが。


かつて古泉が実は超能力者なんです宣言をしたここで、あの時と同じ様にコーヒーを飲んでいる。
あの時よりはこいつを信用しているつもりだが、それでも男二人で飲むコーヒーはうまくない。
こら、そこのカップル。いちゃつくんじゃありません。
古泉はというと、ずっと眉根を寄せて手をつけていないコーヒーを見つめていた。
何だか俺から切り出す気にもなれず飲みきったコーヒーの紙コップを手持ちぶたさに折り曲げたりしてみる。
よく分からないが胸の中のモヤモヤが一層増した気がした。畜生。
古泉の顔が今日は少し違って見えるとか、そういう些細なことでも大抵はやっかいごとが起こる前兆なのだ。
果たしてやっかいごとを持ってくるのはハルヒなのか俺なのかそれとも別の誰かなのか。

 

案の定、何かを決心したかの様に顔を上げた古泉はとんでもないことを言ってのけたのだ。

「あなたが涼宮さんの鍵でいる必要が無くなりました」
と。
 

 

 

……何だって?もう一回言ってみろ。
自分の耳を疑いたい。頭の中がぐちゃぐちゃになって何も考えられない。
気付いたら俺は古泉の胸ぐらを掴んで立ち上がっていた。
先ほどのカップルが目を見開いてこっちを見つめている。やめろ。見るんじゃねえ。
「とりあえず、落ち着いて下さい」
そう言った古泉は意外に落ち着いていて更に俺の中を掻き乱した。
落ち着いてなんていれるか。…だってどういう事なんだよ!そんな事を言われたら俺は……俺の存在意義は……?

 

と、ここで思考停止。古泉の胸ぐらから手を離してうなだれた。ハハ、と渇いた笑いがこぼれる。なんなんだ。誰か冗談だと言ってくれ。
「あなたに、いなくなれと言っているわけではありません」
古泉はふうとひと息ついてじっとこちらを見つめながら言った。やめろ。見ないでくれ。
「むしろ僕個人としてはいて欲しい。それは朝比奈さんや長門さん、涼宮さんも同じ気持ちでしょう」
古泉の顔を直視することが出来ない。情けない。ハルヒの「鍵」でいる必要が無くなった。それだけじゃないか。
もともと鍵だなんてわけが分からん物に勝手にされていい迷惑だったじゃないか。

 

「涼宮さんは涼宮さんの中の何か大きなものを改変してしまったようでですね」
「……それは、なんだ」
顔を上げて古泉の顔を見る。
そこにはいつものニヤケスマイルでは無く、ただの男子高校生、古泉一樹がいた。
正直、驚いた。
初めて見るからな。こいつのこんな顔は。照れているような困っているようなそれでいて少し嬉しそうな、そんな顔だ。
ふと今朝のハルヒを思い出す。そういや、今日のあいつもそんな感じだったな。
「お前は……」
なんだ、どうしたっていうんだ。言葉が出かかっているのに、上手く滑り出ない。喉の奥にベッタリと貼り付いて口の外に出るのを嫌がっている。
コーヒー全部飲まなければ良かった。いっそ何かと一緒に飲み込んでしまいたい気分だ。

 

好きなのか?お前は、ハルヒのことを。

俺は目でそう古泉に訊いた。ゆっくりと丁寧に頷く古泉。
「ああ、そうか。そういうことかよ」
いや、花でも投げてやりたい気分だね。これでハルヒも少しは大人しくなるかもしれない。
じっと古泉の方を見つめる。今どんな顔してるかな、俺。

 

 「それで、お前はハルヒを大事に出来る自信あるのか?」
何訊いてんだ、俺は。
 

 


面白くない。非常に面白くない。
何で俺はこんなにイライラしてるんだ?それも分から無くて余計にイライラが募る。
何故かハルヒの顔を見たくなくてあのまま帰ってきてしまった。鞄を部室に置いてきてしまったが、しょうがない。明日の朝にでも取りに行きゃいいだろう。

またあの『青春真っ只中です』って顔をしたハルヒと古泉の顔がちらつく。
畜生。何だってんだ。これは他人の恋愛ではないか。俺はハルヒの何でもないってのに。
カルシウムが足りないのかもしれんな。冷蔵庫を開けてコップに牛乳を注ぐ。もう5杯目とか言うなよ。
俺は至って温厚な人間なんだ。これだけカルシウムを摂取して寝て起きたらこのイライラも収まってるはずだろう。
 

 

 

今、俺は確かに夢を見ている。これ以上無いくらいリアルな夢だ。
「……閉鎖空間か?」
もう慣れたな。この感じも。いや、決して慣れたくはないものだが。
案の定寝間着がわりのスウェットは制服に変わっていて、見つめているのは確かに天井だったが見慣れているものでは無かった。
第一、俺は電気を消して寝たはずだ。この部屋には電気が点いている。
……どこだ。ここは誰の部屋なんだ?
周りを見回すと、なんだ殺風景な部屋だな。机の上は綺麗に片付いていて、あまり使った形跡の無い教科書が並んでいる。
「げ」
嫌なものを見つけてしまった。赤い腕章に団長の文字。まさか、
「あんた、こんなとこで何してんのよ」
振り向くとハルヒが目を見開いて立っていた。うわーお。その顔いいね。そうやってると普通の女の子にしか見えないぜ。
「な、何バカなこと言ってんのよ…泥棒かと思って……」
そうだな。ハルヒも心根は普通の女の子なんだよな。そりゃいつもはあんなのでも、こんな状況になれば怯えるかもしれん。
「殴っちゃうかと………」
訂正。やっぱりハルヒはハルヒだった。なんだ、その手に握られてる金属バットは。
喜々としてバットを振り上げているハルヒの姿が目に浮かぶ。

いかん、何も見なかった事にしよう。

 

「…で、あんたがここにいるって事はこれは夢なのね」
よく分かってるじゃないか。俺は断じてこんな時間にお前の部屋に来ようなんて思わんからな。
「ふん。………ホント、何であんたなのかしら」
「……古泉が良かったか?」
自分の口から勝手に滑り出した言葉に驚いた。大丈夫。これは夢なんだ。何を言っても問題ない。
改めて言うが、ハルヒは思い付く事こそぶっ飛んでいるが思考は至って普通だ。
ハルヒはこれを夢だと思っている。
 
「うーん」
ハルヒは頭を抱えて唸り出した。目をギュッとつぶって溜め息をつく。そして、
「わかんない」
なんだそりゃ。わかんないってこたーないだろ。わかんないってことは。
大体お前は今青春真っ盛りじゃ無かったのか。頬を赤く染めて、なあ?
「だって分かんないものはしょうがないじゃない。それともあんたはそういうことのエキスパートなわけ?」
ギッと俺の方を睨む。ああ、悪かったよ。自慢じゃないが俺は女の子と手を繋いで歩いたこともないんだぜ。
「じゃあほっといてよ」
やれやれ。全くもってわけが分からん。しかしこうも曖昧な態度をとられるとは思わなかったな。

こいつのことだからはっきり「あんたじゃなくて古泉くんが良かった」とか言うかと思ったのだが。

 

神人が襲ってくる様子はとりあえず無い。赤い球体の古泉もいない。
閉鎖空間というよりはまるでハルヒの心の中に入りこんだようだ。いや、閉鎖空間もハルヒの心の中か。
なんとなく、帰る術は分かっていた。ハルヒにただ言えばいい。
そろそろ帰ると。
「え?」
ハルヒは目を見開いて俺のほうを見た。正直うっとくるような顔だ。
そんな顔は本当に好きなやつに見せてやれよ。そんでここに俺は呼ぶな。古泉を呼んでやれ。
そう、くしゃっとハルヒの頭を撫でる。
その瞬間俺の視線は逆転した。

 

 

「ぃでっ」
ガンと左半身を衝撃が襲い遅れてジンと電流が走った。
そこには見慣れた天井があって、俺は寝間着代わりのスウェットを着ていた。
…戻ってきたのか。
俺は溜め息をつく。いやに疲れた。それに喉が渇いたな。

 

なんとなく明日後ろを振り向くのが怖かった。


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