そろりそろりと春の足音が聞こえ始めた、三月の何の変哲もない一日のことだ。
 俺の隣には目をキラキラと輝かせるハルヒ。もう半日も俺を引っ張り回しておいて、まだそのエネルギーは衰える様子がない。
 ……おっと、勘違いしないで貰いたいんだが、これはデートじゃない。同じ空の下にはちゃんと朝比奈さんと長門、ついでに古泉も一緒にいる。ただ単に別行動をしてるだけだ。
 俺たちは今日、フリーマーケットに参加している。名目はいつぞやと同じ、部室内の整理。
 なのに、この団長様ときたら下手をすれば部室から持ち出した質量と同じか、はそれ以上の粗大ゴミ予備軍を購入しようとするんだから困りものだ。
 古泉は言わずもがな、朝比奈さんや長門がついていても団長様のご乱心を止めることはかなわないだろうから、仕方なく俺が監視役を買って出た訳だ。
「おい、ハルヒ。行くぞ」
「ん~……」
 そんなこんなで、今も冒頭で言ったように、ハルヒはとあるブツにご執心の様子である。
 その熱量のこもってそうな視線が注がれる先にあるのは巨大な熊のぬいぐるみ。その、どこか愛嬌のある顔付きはこういうのに疎い俺でも知っていた。いわゆるテディベアというヤツだろう、多分。
「そんなもん買っても置く場所ないだろ?」
「う~……」
 聞いちゃいないな。はぁ……お前はトランペットを欲しがる少年か?
 今回の相手はなかなか手強いようで、ハルヒもお店の前から動こうとしない。
 ……だが、今日一日は俺も心を鬼にする。一つ許すと、また一つ、更にもう一つと、あっという間に部室の背景が増えていってしまう。
「ほら、行くぞ」
「あ……」
 俺はハルヒの腕を取り、無理矢理熊とのにらめっこを終了させた。
 
 
「ったく、あんなもん買ってたらフリマに参加した意味ないだろ?」
 物を減らすためにフリマ出ようって言ったのはお前だろ?
「……別に部室に置くために見てた訳じゃないわよ」
「へ?」
「あたしが個人的に欲しかったの」
「…………」
「ああいう自分好みの子に出会うことって少ないから、どうしようか迷ってたのよ」
 ……そうだったのか……だから……。
「でも、さすがにあの値段じゃ無理ね。高校生が簡単に買える値段じゃ……って、あれ?」
 
「……キョン?どこに行ったの?」
 
 
 滑り込むようにハルヒが座り込んでいた場所に駆け込む。さっきまでいた場所だから間違えようはない。
 商品の並びも、店番のお姉さんも全く同じだ。
 ……なのに、なんであの熊だけいないんだ?
「あら、さっきのカップルの彼氏さん?」
「……カップルでもなければ彼氏でもありません」
「じゃ、今から彼女にプレゼントしてポイントアップってところかしら?」
「それも違います……それより、ここにあった大きなテディベアは?」
 見当たらないってことは、まさか……。
「うーん……ごめんね、ついさっき買われていったの」
 少し申し訳なさそうに、店番のお姉さんが苦笑いを浮かべる。
 そんな……あれから五分も経ってないぞ……。
「残念だったわね。まぁ、彼女へのポイント稼ぎには別の手を考えなさいな」
 ニヤニヤと笑う店番のお姉さん。からかわれているみたいだけど不思議と不愉快にはならなかった。人懐っこい笑顔のせいかな?悪い人じゃなさそうだ。
 ……ただし、これだけは訂正しておこう。
「……本当に、そんなんじゃないんです」
「おや?」
「あいつが、寂しそうって言うか、諦めたような顔をしたから……気が付いたらここに戻ってました」
 ……そう。ハルヒはあんな顔をしてちゃ駄目なんだ。あいつだけは常に周りを振り回すくらい元気でいて貰わないと。
「……なんでか分からないけど、そう思った瞬間に足が動いてたんです」
「……なんでか分からない、ね」
「……はい」
 俺の話を聞き終えると、お姉さんは楽しそうに声を弾ませて、こう言った。
「それは恋だね」
「な……!?ち、違いますよ!」
「いーや、間違いない。君はあの子に恋してるんだよ」
「俺がハルヒを好きなんて……」
「ハルヒちゃんって言うのか。彼女のことは嫌いなの?」
「……いえ」
「そうよね、嫌いなら彼女のために戻ってきたりしないよね」
 いつの間にかお姉さんの顔から笑顔が消えていた。
「好きなの?……って、聞いたら違うって言うわね」
 んー……と少し眉を寄せて、お姉さんは続ける。
「じゃあさ、気になる?」
 ……ドクン、と心臓が一際大きな音を立てた。
「……あ」
「……ドンピシャってとこかしら?」
 言葉が出ない。多分今の俺は陸地に上がった魚みたいに息苦しそうな顔をしているだろう。
「……よし!では、お姉さんが魔法をかけてあげよう」
 お姉さんはニコリと今までで一番の笑顔を見せた。
「魔法?」
「この子、あげるわ」
 そう言って差し出されたのは一つの熊のぬいぐるみだった。ハルヒが欲しがってたものよりもサイズは遥かに小さく、片手で持てるほどの大きさだ。
「……こいつをどうするんですか?」
「あのね――」
 
 
「あ、いた!ちょっとキョン!どこをほっつき歩いてたのよ!」
「……いや、ちょっとな」
「もう!あんた探してたせいで全部回れなかったじゃない!」
「悪い悪い……あ~……それでな、ハルヒ」
「なによ?」
「……これ」
「え……ぬいぐるみ?」
「……あぁ」
「わぁ……」
「……」
「……って、こんなもんじゃ誤魔化されないわよ!本来なら罰金ものなんだから!」
「わ、悪い」
「……」
「……」
「……キョン」
「……うん?」
「その……ありがと」
「……ん」
「……さ、さぁ!みくるちゃんたちの所に戻るわよ!思ったより時間過ぎちゃったから、早く代わってあけないと」
「……そうだな」
「さ、急ぐわよ!」
「ああ」
 
『この子にはハルヒちゃんの笑顔を引き出す魔法をかけてあるの』
 
 自分の頬に手を当ててみる。触る前から結果は分かっていたが、風邪でもひいたんじゃないかってくらい熱かった。
 ……くそ、かっこわりい。
 ちらりとハルヒの顔を盗み見る。こちらは少し予想外だったが、こいつの顔も赤く染まっていた。
 ……くそ、可愛いな。
 
『その笑顔を見た時、あなたの心も見えるはずよ』
 
「……ハルヒ」
「なに?」
「……人も多いし、手を繋ごう」
「…………分かった」
 恐る恐るといった感じで、俺とハルヒの手が繋がる。ハルヒの手は驚くほど熱を持っていた。
 ……向こうも同じことを感じているのだろうか?
 
『んじゃ、頑張れ少年』
 
 おい、ハルヒ。実は今日な、魔法使いに会ったんだ。間違いなく本物だったぞ、あの人は。
「なにを一人で楽しそうに笑ってるのよ?」
「……まぁ、面白い話だ」
「……変なの」
 ……流石にこれを語れるほど、俺はお喋りでも素直でもないんでな。またいつか話をしてやるよ。
 ……いつか、な。
 
 
END
 


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