明かり一つつけない暗闇の中、長門はじっと喜緑江美里と正座のまま対峙していた。キョンたちが来て以降、
この状態のまま四日にらみ合っている。
 窓からたまに飛んでいくヘリコプターのライトが見えた。
 と、ここで喜緑江美里が閉じていた目を開けて、
「どうやら始まったようですね」
「状況を」
 長門が確認を求める。
 現在彼女は情報操作能力を封じられている。情報統合思念体との通信も喜緑江美里によって完全に封じられ、
ただの人の形をしたものに情報だけが封じられた状態にされていた。そのため、外部で何が起きているのか
全く把握することができていない。
「この星の有機生命体には我々では理解できない矛盾した行動を取ることをご存じですか?」
「…………」
「わたしたちにとってはそれは単なるエラーに過ぎません。ですが、実に興味深いことですが、彼らはそれから
目的を達成しようと試みます。そして、場合によってはそれを成し遂げてしまう。通常ではそれはあり得ないはずですが
矛盾行為を仕掛けられた相手がさらなるミスリードを起こし、結果的に願いを成就させる。エラーでエラーを
呼び起こす。情報統合思念体には到底理解できない行為です」
「答えになっていない」
 長門は喜緑江美里のはぐらかした態度に自分の内部にエラーが発生していることに気がつく。
 彼女はさらに、
「現時点ではあなたに具体的な情報をお伝えすることはできません。わたしの主からの命令である以上、
わたし自身には拒否するということ自体ありえませんので」
「理由を教えて欲しい」
「それも言えません。ですが、あなたの主もこの処置に対して対抗手段を執らないところを見ると
半ばあなたの拘束状態を受け入れているのではないでしょうか。恐らく別の派閥との調整段階で
あなたに好きに動かれては困るのでしょうね」
「…………」
 長門は沈黙を続けることしかできなかった。
 不意に気がつく。内部で起きているエラー。それがいらだちというものであることに。
 
~~~~~~~
 
 指令室では、各職員が緊張の面持ちで事態の推移を見守っていた。
 部屋の壁にはスクリーンが貼られ、そこにプロジェクターから日本地図が映し出されている。
各机の上には、十台近い液晶ディスプレイ、さらに多数の電話、そこに各職員が全員マイク付きヘッドフォンをつけ
座り情報の整理と報告に努めていた。
 森園生が指揮を執り閉鎖空間内部で神人と戦っているときにはこのような司令室は存在せず、せいぜいパソコンと
電話が置かれた簡素な部屋に過ぎなかった。当時は閉鎖空間に入った後は超能力者にその対処を任せた状態になるため、
この場から指示を出す事なんてなかった上、通信不能だからできもしなかった。
 だが、通常世界に神人が発生する現状に対応するために新しい最高責任者がこれらを用意させた。
全ては状況把握と各関係部署との連携に努めるためである。しかし、当然のことながら設置されたのは二日前で
誰もこのシステムを使う訓練など受けていない。ここにいる全員が素人の状態だった。
(この状態で対応しなければならないとは……)
 部屋の一番後ろに陣取っている最高責任者の横に立っていた新川は内心で愚痴をこぼした。
このような状況で神人への対処は初めてである以上、どんな事態が発生してもおかしくない。
 つまりは今まで積んできた経験は全て無効になり、今はこの最高責任者の指示に従うしかないのだ。
状況が違うとはいえ、外部からやって来た人間にあっという間に乗っ取られてしまっている。
 そして、その問題はすでに起きていた。
「……超能力者全員との連絡は取れたか?」
『依然三名とは連絡が取れません』
「いつも連絡を取っていないのか?」
『今までと同じ連絡手段を使っていますが……』
「なるほどな……」
 職員と最高責任者のやりとり。いつもは神人が出れば即座に全員に連絡が行き渡り、閉鎖空間へと向かっていたが、
今回は神人発生から10分経とうとしているのに未だに3人と連絡が取れていない。他7名はすでに連絡が取れ
迎撃に向かうと通告があった。
 しかし、神人の歩み、そして世界の流れは止まってはくれない。
『神人と思われる物体は、現在高度20000で室戸岬南東60kmを速度300ノットでなお北上中。
直進した場合、本土までの上陸時間は25分です』
『浜松と小松から航空自衛隊の要撃機が上がったと機関統合情報部から通達がありました』
「やはり上がったか。当然の対応だろう」
 飛び交う情報。各職員の言葉には戸惑い・焦りが混じり、経験不足が火を見るよりも明らかだ。
「本部に連絡。敵の対応は我々が行う。支援要請があるまで手を出さないように言え」
『了解』
「超能力者たちは上がったか?」
『まだ一人も迎撃に向かっていません』
「……遅い。今までの怠慢ぶりがよくわかるというものだ」
 嫌みを言い放つ最高責任者に新川が、
「皆不慣れな状態です。手慣れた自衛隊と一緒にするのは酷でしょうな」
「自らの立場を考えてから言いたまえ。仮にも君たちは世界の命運を握ってきたんだぞ?」
 とりつく島もないことを悟ると、新川はこれ以上の反論をやめておくことにした。ダメと決めつけている相手に
説得することなんて馬に念仏を唱えることと同じだからだ。
 別の話に切り替える。
「システムは構築されたばかりです。監視班から涼宮ハルヒの動向に異常が検知されていないことを考えると、
エラーで神人を誤認しているだけとは考えられないでしょうか」
「この探知システムは空自の自動警戒管制組織から情報を得ている。これが間違いならば、日本の防空体制を
疑うことになってしまうぞ? その辺りは問題ない。要撃機が上がっていることから、防衛省も神人の発生を
確認していると言うことになるからな」
 自信満々に言い返す最高責任者。
 新川は部屋の前面におかれているスクリーンに目を向ける。ここから南方に神人の反応が示され、
それはまっすぐ北上し自分たちのいる場所目指している。一方で東側から航空自衛隊の要撃機の反応が
神人向けてまっすぐ向かっていた。表示されている情報によれば、最初の機はあと20分後に会敵するとされていた。
 と、ここで地図に7つの反応が浮かび上がり、それらが各々神人に向かい始めた。神人に最も近い場所から
二人、やや離れた場所から三人、さらに離れた場所から二人のチームで向かっている。
『超能力者、迎撃に上がりました。神人に近いグループからA/B/Cと呼称します。神人との接触予測時間は
Aが10分後、Bが16分後、Cが20分後です』
「ようやくか。君はどう思うかね?」
 最高責任者の問いかけに、新川は、
「迎撃についてですか。それなら問題はないでしょう。この高度での戦闘は経験はありませんが、そもそも――」
「そうではない。連絡が取れない三人についてだよ」
 痛いところを突かれて、しばらく黙りになる新川。超能力者とこれだけ長時間連絡が取れないという事例は
かつて存在していなかった。構築されたばかりのこのシステムとは違い、連絡手段は携帯電話という既存で
オーソドックスなものを使っているため間違いようがない。さらに――
「報告書を確認した限りでは、超能力者は神人の発生を自力で探知できるそうじゃないか。にもかかわらず
連絡が取れないと言うことは、向こう側がそれを拒否していることにならんか?」
「……憶測ではものは言えません」
「ふむ。確かにその通りだ。使える戦力でどうにかするしかないな」
 最高責任者は椅子に体重をかけて、やれやれと愚痴をこぼした。
 と、ここで戻ってきた森園生が司令室に入ってきた。
「遅れてすみません!」
 走ってきたのか肩で息をしている。
 それに対して、最高責任者は横目でそれを見て、
「……戻ったか。では君のお手並み拝見といかせてもらおう」
 その言葉に、森園生は一旦顔をしかめたが、すぐに引き締め直し近くの机へ行き超能力者たちに指示を出し始めた。
 
~~~~~~~
 
 古泉は超能力を発動させ、上空二万メートルを飛行していた。この高度を飛べるかどうか不安はあったが、
どうやらこの赤い球体が守ってくれているらしい。何の支障もなく飛ぶことができている。
『……こちら司令室。古泉、聞こえる?』
 耳に装着した無線機から森園生の声が聞こえてきた。前回までとは異なり、今回は中央の指令にきちんと
従う必要があるため、無線機を渡されていた。同時に発信器にもなっていて装着次第自分たちの居場所をすぐに
司令室に伝えることができるようになっている。
「ええ森園生さんよく聞こえていますよ。指示をお願いします」
『こちらで誘導します。指示通りに飛んで』
「わかりました」
 そのまま方位や高度を指示されつつ、古泉は飛行を続けた。眼下には雲の切れ目から町の明かりが見える。
彼自身、まさか生身で地球が丸いとわかるほどの高さから見下ろすことになるとは思ってもみなかった。
 ほどなくして、彼のそばにもう一つの光球が出現した。近くにいた男性の超能力者が司令室に誘導されて
ここまで上がってきたのだ。彼も超能力の行使には問題が出ていないようで、ぴたりと古泉のそばにつけてくる。
「この距離で戦闘するのは初めてだ! そっちは大丈夫か?」
「ええ! 恐らく問題ないと思いますよ!」
「俺たちが一番離れているらしい。急ごう!」
「わかりました!」
 そう言葉を交わすと、二人は一直線に海の向こう側にいる神人に向けて加速を始めた。
 
~~~~~~~
 
 司令室では、不慣れな指示が続いていた。苦心のやりとりで何とか最短の場所にいる超能力者のAチーム二人を
神人との接触ポイントまで2分の場所に誘導できていた。
『Aチーム、神人を目視で確認。迎撃に移ります』
「どうやら海上でカタをつけられそうね」
 森園生はスクリーンを眺めながらほっと安堵の表情を浮かべた。まだ二人の超能力者しかたどり着けていないが、
それでも神人の移動速度を落とすことは可能だろう。その間に、残りの者も到着しいつものように倒すことが
できるはずだ。
 だが、最高責任者はまだ楽観視していないようだ。
「たどり着いたのはいいが、倒すことはできるのか? やられる心配もしておいた方がいいと思うが」
「問題ありません。海上であれば、閉鎖空間と変わりなく戦闘行為を行えます。後は彼らに任せれば片付きます」
 最高責任者はそうかと椅子に身体を預けた。
 森園生は確信していた。ここまで来れば大丈夫。あとはいつものように彼らが倒してくれる、と。
 念のため、神人と接触した超能力者にも、
「神人との接触後はあなたたちに任せるわ。こちらからの指示は気にせず対処して」
『了解。まあ後は任せてくれ』
 そこで連絡がとぎれた。声を聞く限り、向こう側にも問題はなさそうだ。これならもう安心して任せられる。
 ふと、ここで連絡の取れなかった三人のことを思い出し、
「三人とは連絡は取れた?」
『いえまだ取れていません』
 森園生にとって現在の頭痛の種はこちらの方だった。超能力者の職場放棄。こんな事態は今までなく、
逆に連絡が取れなくても向こうから勝手に立ち上がって閉鎖空間に入ってくれていたというのに。
 ――間違ってもそれを悪用しようなんて思うなよ?
 ふと、彼女の脳裏に先ほどの自動車内での古泉たちのやりとりが蘇った。
 だがすぐに頭を振ってかき消す。そんなことはない。そもそも神人を倒すのを拒否すれば、最終的には
世界の終わりにつながる可能性もあり、全く意味をなさない行為といえる。
 ……不意だった。指令室内にピーという音が鳴り響く。
「どうしたのっ!?」
『Aチームの超能力者二人の反応が消えましたっ! 神人と接触した直後です!』
 その返答に森園生がスクリーンを見上げると、神人のいた場所に赤い×が二つ点滅し、
一方で神人は全く減速することなく北上を続けていた。
「や……られた……?」
 あまりのことに森園生の頭は混乱で満たされてしまった。あの×マークは発信器の反応が消えた――
つまり、超能力者に何らかの問題が発生した事を意味している。神人が北上を続けている以上、
迎撃に失敗――返り討ちにあったという可能性が極めて高い。
 指令室内の全員――いや最高責任者以外が皆驚愕していた。超能力者が神人に敗北。
またしても今までなかった事態だ。涼宮ハルヒから与えられた立場を考えれば、
それ自体がありえないとも判断していた。
 だが、現実に今目の前で神人の進撃阻止失敗が起きている。
 森園生は持ち前の頭の柔らかさをフル活用させ、強引に気持ちを切り替えた。
「Bチームを急いで神人の元に! 残りも――」
『神人、G岬東5kmを通過後、進路を北西に変更しました! このままでは三分後に市街地に突入します!』
 ここに来て進路変更。森園生に絶望感がよぎる。いや、Bチームの超能力者四人はもう神人の目前に来ている。
ぎりぎりで神人を迎撃できるはずだ。
 しかし。
「空自の要撃機は今どこにいる?」
『神人をすでにレーダコンタクト。すぐに迎撃できる体制にいるようです』
「わかった。なら、こちらの作戦を放棄。以降の対処は空自に移管する。通達を出せ」
 最高責任者の指示。だが、森園生は到底それを受け入れられるわけがなかった。
「待ったください! Bチームはすぐ近くにいます。市街地突入前に対応が可能です!」
「勝てるというのかね? 先ほどは何もできずに二人やられてしまったようだが」
 その最高責任者の指摘に、森園生はうっと言葉に詰まる。確かにAチームは一秒すら神人を抑止できなかった。
Bチームは4人だが可能だという保証はどこにもない。しかし、それは空自の要撃機も同じ事だ。
「現行の兵器で神人を倒した実績は存在しません。それを考えれば、超能力者による迎撃の方が遙かに
市街地への突入を阻止できる可能性が高い!」
「それで失敗して、市街に甚大な被害が出れば責任は我々が負うことになる。そんなリスクは認められない。
幸い空自は神人の迎撃を行いたがっているようだ。だったら、それに任せればいいじゃないか。
それで失敗すれば彼らの責任であって我々のではない」
 保身。彼の頭には今どうやって自分たちの責任を低くできるかだけが詰まっているようだ。
この考えに森園生は激怒しそうになるが、いがみ合っている場合でもない。さらに組織に属する一員としては
上司の命令に逆らうわけにはいかないのだ。
「……わかりました」
 彼女は苦渋のうめき声と変わらない了承を出した。それを確認して、職員が指示を出し始める。
 森園生は一方で古泉たちに連絡を取り始めた。
 ……撤収の指示を。
 
~~~~~~~
 
「撤収!? どういう事ですか!?」
 古泉は森園生からの指示に戸惑いが隠せなかった。神人はまだいる。彼に与えられた能力はそれをずっと告げている。
にもかかわらず撤収? 訳がわからなかった。
『神人の迎撃は航空自衛隊に移管されたわ。わたしたちの仕事は終了よ。あとは彼らに任せるしかない』
「無理です! 神人を倒せなければ、どれだけの被害が出るかわからないんですよ!?」
『いい? これは最高責任者による決定事項なの。わたしたちにそれを覆す権限はないわ。今すぐ地上に戻り、
超能力の使用を停止しなさい』
「できません!」
 古泉にとってこの指示は到底受け入れられるものではなかった。理由は正義感や仕事に対する忠誠心からではない。
自衛隊の能力を馬鹿にしているわけではないが、あの街一つを易々と壊滅できる神人を倒せるとは思えず、
確実に神人は市街地に突入し、大きな損害をもたらすだろう。万一、そうなれば死傷者は前代未聞の規模になる。
そして、いつか涼宮ハルヒは自分の力に気がつき、無意識下で神人を生み出していたことに気がつくかもしれない。
その時が来たら、この大虐殺に等しい行為を彼女は自分の責任だと理解するはず。それの大きな傷に彼女が
耐えられるとは思えない。
 涼宮ハルヒを守りたい。彼の中には強くその感情が芽生えていた。そのためにもどうしても神人を倒さなければ
ならないのだ。
「森園生さん。残念ですが、その命令は聞けません。僕はこのまま神人の元へ向かいます」
『……いい古泉? よく聞きなさい。今超能力者三人と連絡が取れず行方不明なの。神人が出ている状況にも
関わらずよ。この意味――わかるわよね?』
 古泉の目が驚愕に見開かれる。
 つまり超能力者三人が自らの任務を放棄してしまったということだ。連絡が取れないというのは説明にならない。
なぜなら今の自分のように、レーダなどがなくても超能力者は神人の存在を感じることができるのだから。
その存在を知っていながら、何もしなかった。これは明確なる反乱行為だ。
 この状況下で古泉まで命令違反を犯せばどうなるのか。超能力者に対する風当たりはますます強くなっていくだろう。
それこそキョンが指摘ていたエゴによる超能力の行使を疑われる。それがどんな結果を生み出すのか
彼の頭はそれを推測するには十分すぎるほど発達していた。
 しかし、だからといってこのまま見逃すわけにも――
 と、ここで気がつく。話していて注意が逸れていたが、さきほどまで感じていた神人の気配がなくなっている。
 同時に森園生からの通信が入り、
『安心しなさい。神人についてはたった今自衛隊が撃破したのを確認したわ。その存在も完全に消滅している。
もうあなたがそうやっている理由はないわ。早急に撤収して。いいわね』
「……了解」
 古泉はもう訳がわからなかった。通常空間で神人が現れ、超能力が使え、さらに神人の掃討を拒否する超能力者に、
それを倒すなと命令する機関、そして超能力もなしに神人を倒してしまった自衛隊。
 今までと違いする事態に彼はしばらく呆然と月明かりの元を飛んでいることしかできなかった。
 
~~~~~~~
 
『神人の消滅を確認しました』
『空自による攻撃と同時に消滅した模様です』
『現在周辺空域に不明物体は存在していません』
 超能力者による神人撃退失敗に続いて、更なる追い打ちが司令室にいる最高責任者以外の全員を唖然とさせた。
一瞬にして自衛隊による武力行使で神人が消え去ってしまったのだ。
「終わったようだな。どうやら今まで我々は超能力者というものを過大評価しすぎていたのかもしれん」
「……どういうことですかな?」
 横に立っていた新川が疑問の言葉を口にする。最高責任者は続ける。
「今までは閉鎖空間という特殊性のために、神人掃討は超能力者に頼らざるを得なかったということだ。
しかし、今回の一件ではそれらは神人の移動を食い止めることすらできず、自衛隊によってあっさりと
排除ができてしまった。これが現状というものだよ。閉鎖空間というものが存在しなくなった今、防衛省や政府と
つながりの強い機関内部の人間は考え方を大きく変化させていくだろうな。おっと、命令を拒絶した超能力者三人に
ついても大きな再検討の材料とされることだろう」
 この言葉に、新川や森園生は何も反論できなかった。その通りだったからだ。
 と、ここでスクリーンに二つの反応が蘇ったことに森園生が気がつく。先ほど消息を絶ったAチームからの発信が
出るようになっているのだ。
「こちら司令室、二人とも無事なの!?」
『……ああ。一瞬で二人ともやられてしまい情けない限りだ。正直何が起きたのかもわからない。気がついたときには
二人とも海面に向かって落下を続けていた状態だった』
「報告は後でいいわ。神人への対応はすでに完了済みよ。今すぐ最寄りの場所に撤収し、こちらに帰ってきて」
『了解した』
 通信を終え、森園生は大きくため息をついた。二人の無事が確認されたおかげで、最悪の最悪という二番底は
回避できた。今の状況ではこれだけでも非常に大きな救いのように感じられる。
 ここで最高責任者は立ち上がり、
「さて作戦も終了したのでわたしは自室に戻らせてもらうよ。あとの処理はよろしく頼む。こちらは機関の上層部と
いろいろ調整しておかなければならないことができたのでね」
 そう言い残すと司令室から出て行った。
 森園生はただうつむいたままその姿を目で追うことすらできなかった。
 
~~~~~~~
 
「今回の件については、世間への一般公開はなし……か」
「まあ仕方のない話だと言えるね。防衛省の方ではいったい何を撃墜したのかさっぱりわかっていないようだから。
入手した情報の限りでは、ミサイルを使用して攻撃し着弾の確認と同時に神人は消滅したらしい。
それこそ残骸な何もなく、本当にそこに何かがいたのかすらわからないくらいにね」
 森園生の眼前では、下手な恋愛シーンが延々とスクリーンに映し出されている。深夜の映画館。
彼女は今多丸圭一とともにその観客席に座っていた。とはいっても、二人で映画を見に来たわけではない、
「悪いわね。危ない橋を渡らせちゃって」
「気にすることはない。自分の仕事を円滑に進めるためだ」
 森園生は多丸圭一と多丸裕に密かに上層部の動きについて探らせていた。昨日の神人との戦闘の際に
司令室にいなかったのもそのためだった。
「今回の一件で上層部はどう動いているの?」
「第一に超能力者に対する再評価を求める声が強まっているようだ。主に強硬派がその流れを主導している。
多数を占める派閥内にもそれに同調する姿勢が出てきている。まだ動きは流動的だが、こっちの現場に対する
干渉と圧力が強まるのは確実だろうな」
「場合によってはわたしたちの部署を完全に解体して再構築もありえるか……」
「やっかいなのは機関の外側だ。防衛省では、何であれ神人撃退を自分の管轄である自衛隊がやってのけたことに
強気な姿勢を見せている。今までは機関側が閉鎖空間の存在を盾に介入を拒んできたが、
それがなくなった今、向こう側も介入を要求してくるだろう。このまま涼宮ハルヒに対しても接触を図る恐れが」
「彼らはどれだけデリケートな問題か理解していない。そんなことをすれば、何が起きるか……」
 森園生はいらだちをぶつけるように、唇をかんだ。
 多丸圭一は続ける。
「あと、超能力者についてだが、こっちは面倒ごとになりそうだ。特に行方をくらましていた三人については
もっか機関の統合情報部が捜索している。発見後は、こっちには引き渡さず向こうで尋問を行う予定だそうだ。
上層部も恐怖感を感じているんだろうな。今までは閉鎖空間限定だった超能力――あの神人を凌駕できるほどの武力が、
現在では使い放題。さらに反逆に等しい行為を取る者まで現れた。歩く核兵器みたいに見えるんだろう。
できるだけ早急に管理下に置くつもりのようだ」
 今まで自分たちの手の中にあったものが次々と奪われていく。多丸圭一の言葉に彼女はそんな感覚を持ってしまった。
 しばらく二人の間で沈黙が流れる。
 四方に設置された男女の葛藤に塗れた声が周囲を包み込んだ。
 と、多丸圭一が視線をスクリーンへと向けたまま、
「今回の一件、どうもきな臭い感じがしてたまらない」
「どういうこと?」
「あくまでも推論だが、事件を整理すると強硬派に都合のいい形で事態が進んでいるように思えるんだ。
最初の空港爆破事件では、結果として強硬派の息のかかった人間を機関の主流派が牛耳っていた我々の元に
送り込むことができた。これは難しい問題に関わりたくないという主流派上層部にその微妙な立場を求める人間が
いなかったことに加え、組織再編はやむ得ないという情勢を巧みに利用した結果さ。さらに、次の神人襲撃で
今度は我々の無力さが完全に露呈した。政府との太いパイプを持っている強硬派がその後押しを受けて
さらに介入を強めることができるようになった。このままではじきに涼宮ハルヒに対する部署全てを掌握される
ことになるだろう」
「そして、最終的には超能力者全員を掌握し、涼宮ハルヒに自由に干渉できるようになる。
確かに彼らの悲願達成になるわね」
「それだけじゃない。超能力者と涼宮ハルヒを手に入れられれば、もはや機関という組織に留まる理由もなくなる。
それこそ戦力も権力も兼ね備えた強大な組織のできあがりさ。裏から政治を操ったりすることぐらい造作もないだろう」
「でも、だからといって事件そのものを主導しているとまでは言えないわ。この状況をただ利用しているだけに
すぎないだけとも言えるから。そもそも超能力者も有していない彼らがそんなことをできるとも思わない。
TFEI端末が協力しているなら話は別だけど……」
「あくまでも推論さ。今回の事件で一番の得をしているのは強硬派であり、漁夫の利という言葉を排除して考えれば、
最も怪しい存在だと言える」
 その言葉に、森園生は目を細めて不信感を強める。多丸圭一の推論が正しければ、これは完全なる権力争いだ。
機関内での地位向上を狙ってここまでの事態を引き起こしたというなら、もはや狂っていると言わざるを得ない。
 森園生は上映終了を待たずに立ち上がり、
「いろいろありがとう。悪いけど引き続き二人で調査の継続をお願い」
「わかった」
 
~~~~~~~
 
 事態が一気に加速したのは翌日の夕方だった。
 森園生は最高責任者に呼び出された。
「何かご用でしょうか」
「先ほど機関の上層部の会議があってね、そこでの決定事項を伝える」
 その言葉に、森園生の背筋にぞくり嫌な感触が走った。
 最高責任者は続ける。
「検討の結果、現状において神人掃討に超能力者は必要ないと判断され、一時全員を拘束することになった。
すぐに部下に対して指示を出したまえ。行方不明の三名以外はすぐに確保できるだろう?」
「……そんな!」
 愕然とする森園生。連絡の取れない三人であれば、明らかな任務放棄に当たるためそれもやむ得ないと思っていたが、
きちんと仕事をこなしていた者たち全てを拘束するなんて理解に苦しむ話だった。
「待ってください。そんなことをすれば、超能力者たちの危機感を煽るだけです! ただでさえ不安定な情勢下で
彼らの協力まで仰げなくなれば――」
「上層部は彼らを戦力と認知するのはやめたんだよ。むしろ、その逆だ。機関に対して敵性の存在になりえると
判断した。逃げている三名以外、勝手なことをやられる前に機関の完全な監視下に置く。手遅れになる前にな」
「……手遅れとはどういう事ですか?」
 憮然と訪ねる森園生に、最高責任者は、
「三名は反乱分子の可能性が極めて高いのだ。神人の発生を認知しておきながら、それをあえて無視し、
危機的状況下を作り出した。世界の安定を望む機関にとってそれは許し難い行為だ。よく考えてみたまえ。
今まではそんな気配がなかった彼らが、能力の無制限開放状態になったとたんに、一度に三人も離反した。
つまり同様の事例がほかの超能力者にも起きる可能性は極めて高いのだよ。そうなる前に拘束するべきだ」
「しかし――」
「決定事項だ。これ以上の説明はしないし、反論も許さん」
 そう言って彼は食い下がる森園生を一蹴する。
(そんなことをすれば彼らの疑心暗鬼は決定的なものになる。確実に機関に対して不信感を募らせるはずだわ。
でも、上層部が決めた以上どうすれば……)
 知らず知らずに森の手に力が入る。どうにかしなければならないのに、いい手が浮かばない。
そんな自分の無力さにただ歯がゆかった。
 と、ここで電話の着信音が鳴り響く。すぐさま最高責任者が懐から携帯電話を取り出し、話を始める。
最初はいつものように不遜な口調で喋っていたが、会話が進むうちにみるみると顔色が変わっていった。
 五分程度だろうか、森園生に聞き取れない程度の声で続けていた通話を終えると、最高責任者は森をにらみつけ、
「どうやらキミたちが超能力者を野放しにしたツケが出たようだ」
「……どういう事ですか?」
「先ほど機関の統合情報部から連絡が入った。行方不明だった超能力者三名が見つかったようだ。
しかも、発見された場所にはほかの超能力者全員がいて、事実上の籠城を行っている。
どうやら機関に対して反旗を翻す気満々のようだな」
 森園生は驚きのあまり声も上げられなかった。事態は彼女の考えていた状態より遙かに進んでいた。
最高責任者の言うとおり、全員そろっている時点で彼らの意志はほぼ統一されていると見るべきだろう。
もちろん機関に対する不信感でだ。
 ふと気がつく。全員と言うことはそこには古泉もいるはず。なのに、彼女には全く連絡をしてこなかった。
そうなると彼もまた機関に……
 最高責任者は立ち上がると、
「念のためわたしも現場に向かおう。すでに周辺は機関の部隊が押さえている。準備が整い次第、
突入して全員拘束する」
 そう言って彼女の脇を通り過ぎて、部屋から出て行こうとする。
 彼女はとっさに、
「待ってください」
「ん?」
 その呼びかけに足を止める最高責任者。
 森園生は続ける。
「今まで4年間彼らとはともにやってきた間柄です。手荒な真似をして、余計な溝を深めたくありません。
わたしに説得させてください」
「できるのかね? そもそもキミは拘束には否定的じゃなかったのか?」
「組織の決定であれば仕方がありません。わたしにできるのはそのぐらいですから。彼らを説得し、穏便に機関への
投降を促します。ただ一つだけお願いが」
「言ってみたまえ」
 森はキッと最高責任者に決意のこもった視線を向け、
「彼らに対して人道的な扱いを求めます。決して危険物ではなく、人間として扱っていただきたい」
 その言葉に彼はふむとあごに手を当てると、
「わかった。彼らは今までで最大の功労者とも言える存在だ。キミの言うとおり、丁重に扱わせてもらうよ。
もっとも限度というものがあるがね」
 そう言いながら彼女の肩に手を置いた。彼の身体の一部が自分にふれた瞬間、今まで感じたことのないほどの
強烈な不快感が生まれた。
 
~~~~~~~
 
 森園生は機関の施設から飛び出ると、すぐさま自分の自動車に乗り籠城の現場へと向かう。
最高責任者から伝えられている情報によれば、ここから自動車で20分ほどの木造の古びたアパートの一室に
超能力者たちはいるらしい。
 彼女は説得役を申し出たとはいえ、まだ拘束という処置には納得していなかった。
 すぐに携帯電話を取ると、多丸裕に連絡を取る。この性急な動きに疑問があるのだ。
『……ああ、こっちでも確認しているよ。どうやら強硬派がごり押しに近い形で押し切ったみたいだね。
上層部も事を荒立てるのは嫌だったみたいだけど、超能力者を野放しにしている恐怖感の方が強かったみたいだ。
それから機関外――政府からの圧力もかなりあるみたいだね。神人と同レベルの戦力がほっつき歩いているのを
何とかしろと耳にたこができるぐらい言ってきている』
「やっぱり強硬派か……ほかには?」
『今回の事件の首謀者についてなんだけど、やはり強硬派周辺で活発な動きが出ているのがわかったよ。
防衛省や一部国防族との間でかなり金が流れたみたいだし、非公式にTFEI端末と接触していたことまでは
突き止めた。でも証拠とまで行かない。しらを切られればそれまでの情報さ』
「わかったわ。引き続き調査をお願い」
『了解』
 そこで多丸裕との連絡を終え、次に新川につなぐ。
『状況は聞いております。どうやら面倒な事態になっているようですな』
「ええ、このままだと機関と超能力者の対立は決定的だわ。そして、強硬派が事実上の機関の実権を握るのもね。
そこで頼みがあるの」
『なんなりと』
「場合によっては、超能力者たちを説得せずに逃がすわ。今から行って脱出の準備を整えてほしいの。
周囲にはすでに機関の特殊部隊が包囲しているはずだけど、できる?」
『彼らもおおっぴらには動けないでしょう。警察沙汰にはしたくないでしょうからな。突破はそう難しくないかと』
「ならお願い。あくまでも準備だけにとどめておいて。最終的にはわたしがどうするか責任を負うわ」
『……あまり気負わないでください。あなたにまいられてしまえば、あとは強硬派の思うつぼになってしまいますので』
 新川の言葉に、森園生はふっと笑みを浮かべると、
「ありがと。でも大丈夫よ。このくらいでへばるほどヤワじゃないわ。脱出の件、お願いね」
『わかりました。お任せ下さい』
 そこで通話を終えると、森は一気にアクセルを踏み込み、現場へと自動車を加速させた。
 
~~~~~~~
 
 自動車で20分走った後、超能力者たちが籠城しているアパートの前にたどり着いた。
ここのアパートは超能力者の一人が暮らしている場所だった。二階の角部屋、そこに彼らがいる。
 森園生は周囲を見渡す。特に包囲されているような様子はなかったが、あちこちにスモークシールドの
貼られた大型のワゴン車が数台散らばって停車していた。恐らくあの中に機関の制圧部隊がいるのだろう。
配置から考えて、命令があれば即座に突入できる状況と彼女は判断する。
 彼女は懐から携帯電話を取り出すと、通話のボタンを押した。相手は古泉だ。
『…………』
 すぐにつながったが、向こうからは何も声が返ってこない。
 森園生はアパートの敷地を歩きながら、
「わたしよ。古泉聞こえている?」
『ああ、森さんでしたか。これは失礼しました。誰かが森さんを騙ってこっちの様子を探ろうとしているのではないかと
思いましたので』
「そのくらい警戒して当然の状況だから気にしていないわ。それより、そっちはどう?」
『僕を含めてみんなぴりぴりしていますよ。特に行方知れずだった三人の話を聞いてからは特に。
周囲にも不審な車がたくさん止まっていますし、このままだと一悶着あるのは確実ですね』
「いい古泉、よく聞いて。今からわたしがあなたたちの部屋に入るわ。大丈夫、捕まえに来たわけじゃないから。
建前は説得しにきたことになっているけどね」
 森園生の言葉に古泉はいったん待ったをかけると、周りの超能力者達に確認を始める。
 ほどなくして、
『わかりました。森さんなら大丈夫ということでみんなOKしてくれましたよ。ただ張り詰めている状態ですから
できるだけ言動には注意してください』
「それは心得ているわ。じゃあ、いったん切るわよ」
 そう言って携帯電話の通話を終わらせ、アパートの階段を登り、角部屋前に立つ。
 森園生はいったん深呼吸すると、小さめに二度扉をノックした。
 しばらく無反応だったが、ほどなくしてゆっくりと扉が開き、古泉が顔半分だけ覗かせてくる。
 彼女はいったん路上の大型ワゴンの方に視線を向けるが、特に動く気配はなかった。
 すぐさま半分だけ開いた扉からすり込むように、部屋の中に入る。
 玄関のそばのキッチンを抜けて奥の和室に入ると、そこには行方不明だった三人を含めた超能力者全員が
そろっていた。古泉以外は畳に座り込んで警戒心に満ちあふれた視線を森園生に向けてきている。
 彼女は一人一人の顔を見て、余計な人間が混じっていないことを確認すると、
「最初に言っておきたいけど、わたしはあなたたちの味方よ。拘束しに来たわけじゃないから安心して」
 そう安心させようとするが、すぐに一人の男性の超能力者が、
「……信じられるかよ。外にはやばい連中がいるみたいだってのに」
 悪態をつくように言ってきた。
 とりあえず彼女はこのままにらみ合っていても仕方がないので、話を進めることにする。
「まず行方不明だった三人について聞きたいんだけど、今までどこにいたの?」
「それについては話がややこしくなるかもしれませんので、僕が事前に聞いた代表して話します。
第三者の方が感情が混ざらずに的確に説明できると思いますし」
 そう彼女の脇に立った古泉が言う。
 森園生は頷いて了承のサインを送ると、彼はゆっくりと話し始めた。
「話はそんなに複雑ではありません。あの神人が南方から襲来してきた日、三人は何者かによって
拉致されていたんです。それも別々の場所で行われ、一カ所に集められました。単なる偶発的な物取りや誘拐ではなく
明確に超能力者を狙った犯行と断言して良いでしょう。その後五日間に渡り拘束状態が続きましたが、
やむえず超能力を使って拘束状態を脱し、監禁場所から逃げ出してきた。その後ほかの超能力者に連絡を取り、
この場所に逃げ込んだというわけです」
「その後、全員がここに集まった理由は?」
「拉致されたときに、超能力者の扱いについて話しているのを耳にしたそうです。どうやら僕らのことを機関は
危険視していていずれ全員を同じ状態にする必要があると。すぐに全員に連絡して、ここに集まったというわけです。
ばらばらではまた拉致されてしまうかもしれませんからね」
「何でわたしに連絡しなかったのよ?」
 この森園生の言葉に、古泉は困った顔を浮かべて、
「したかったんですが、うかつに連絡してこちらの居場所を突き止められるかもしれないと思いできなかったんです。
いえ、頼りにしていなかったわけではありません。ですが、相手は機関の上層部ですからね。
盗聴でも何でもやってくるはずです」
「確かに……」
 彼女はあごに手を当てて考え始めた・
 拉致。森園生はこの言葉に反応した。この状況下でそんなことを実行する勢力といえば機関強硬派以外にあり得ない。
そうなると、やはりこれは仕組まれたことということになる。いや、もしかしたらこうやって一カ所に集まることさえ
彼らの狙った事だったのか。監禁している間にわざと不安を煽るような情報を与えたのもそのためかもしれない。
次々と彼女の頭に疑惑がよぎっていく。
 古泉は逆に彼女に対して、
「今度はこちらからお伺いしたいんですが、実際のところ機関は僕たちをどうするつもりなんでしょうか?
ここで得た情報は伝聞に過ぎないものが多いので確定したものが欲しいんですよ」
「概ね、あなたたちの把握している通りよ。機関上層部は超能力者の全員拘束を決めたわ。理由は一つに神人討伐に
超能力者は不要であると判断したこと、もう一つに神人と同じレベルの力を持つものを放置し置くわけにはいかないと
いう理由から。実際にこの場所はすでに見つかっていて、今すぐにでも機関の制圧部隊が乗り込んできても
おかしくないわ」
 森園生の言葉に、ここで若い女性の超能力者が一人立ち上がり、
「機関はあたし達を裏切ったのよ! 今まであれだけ協力してきたのに、使えないとわかったとたん
危険人物として始末しようとしているんだわ!」
 抗議めいた声を上げる。
 森園生は沈めるように手を振ると、
「落ち着きなさい。焦る状況なのは理解しているけど、怒鳴ったって始まらないわ」
「ですが、このままではいずれ機関の特殊部隊あたりが突入してきて僕たちが捕まってしまうんでしょう?
その後の扱いがどんなものになるかは大体想像がつきます。超能力が行使できないような酷い扱いを受けるのは
確実でしょうね。どんなに妥協しても、元の生活には戻ることはできないはずです」
 古泉が女性の超能力者に代わって答えてくる。
 森園生は考え始めた。
 計画的に行われた超能力者の拉致。
 演出された超能力者の任務放棄。
 強硬派の介入。
 …………
 …………
 …………
 これらのことから考えて彼女がやるべきことはもはや一つしかなかった。
 すっと彼女は超能力者達の前に一歩踏み出すと、
「実はわたしはあなたたちに黙って拘束されなさいと説得する役目を負ってここに来たの。でも今の話を聞いて
考えが完全に変わったわ」
 その言葉に、室内の超能力者たちはざわめく。説得については最初からあまり乗り気ではなかったが。
 それに構わず彼女は携帯電話を取り出すと、新川に連絡を取り始める。
『そちらの様子はどうですかな?』
「腹は決まったわ。全員ここから脱出させる。このままだと確実に強硬派の思惑通りになるから。
そっちの首尾はどう? 時間がかかるならどうにか突入を遅延させられるように試みるけど」
『ちょっと待ってください。よっこらせっ……と』
 と、ここで突然和室の床の畳が一枚めくれ上がった。そして、そこから新川が顔を出してくる。
一階の住人を追い出して天井を破っていつでも階下に降りられるようにしていたのだ。
 森園生は関心を通り越して半ば呆れ気味に携帯電話の通話ボタンを切って、
「……相変わらず仕事が早いわね」
「慣れていますので」
 新川はにこりともせずに答える。そして続ける。
「さあみなさん、ここから降りてください。一階からさらに床下にあるマンホールを通って下水道に入ります。
その後の機関の息のかかっていない隠れ場所もすでに用意できていますので、ご安心下さい」
 この言葉に超能力者たちの表情が一様に明るくなった。突入目前で絶望的になっていたところに、
脱出ルートが確保されたのだから無理もない。
 超能力者たちは次々とそこから一階へと下りていく。みな森園生に一礼してから去っていった。
信頼してくれているという表情に、彼女もほっと一安心して胸をなで下ろした。
 部屋の中に森園生と古泉しかいなくなった時点で、新川がせかすように、
「さあお二人も早く。外の動きが活発です。どうやらしびれを切らせたボスがやって来たみたいですな」
 だが、森園生はそれに対して首を振って、
「悪いけど、わたしはここに残るわ。誰かが残っていないとまずいでしょ。さ、古泉はとっとと行きなさい」
 その呼びかけに、古泉も真似をするかのように同じく首を振って、
「僕もここに残ります。森さんだけ残すのは何というか――気分的にあまりよくありませんし、
それに一人の超能力者も確保できなかったのでは立場がないでしょうから」
「……本気なの? ここに残っていたらどんな目に遭うかわからないわよ?」
「一人だけなら大丈夫でしょう。万一、僕が捕まった後拷問にでもあえば、その情報がほかの超能力者達にも
伝わるかもしれません。そんなことになれば、ますます捕まえるのが困難になりますからね」
 森園生はふうっと大きなため息を吐くと、説得は無理かと判断し、
「わかったわ。新川、ほかの人たちを早く逃がしてあげて」
「しかし……」
「いいから。こっちのことは心配しないで。多少のことで音を上げない自信ぐらいあるわよ。今までどれだけの
修羅場をくぐってきたのか、今までさんざん話してきたでしょ?」
 彼女の口ぶりに、新川はわかりましたと一言残し、階下に去っていった。すぐさま畳を元の位置に乗せ、
突入後少しでも脱出路の存在を知られないようにしておく。
 …………
 その後静かな沈黙が二人を包んだ。一定の張り詰めた緊張感が五感を鋭くし、刻まれる時計の針の音が
妙に大きく部屋に響き渡る。
 ふと、外でばたばたと大きな足音が聞こえ始めた。さらにワゴン車の扉が開かれる音も四方から聞こえてくる。
 森園生はいよいよかと身構えた。
 と、ここで彼女は一つだけ古泉に今のうちに確認したいことを思い出し、
「そういや、あんたはなんでここに来たの? てっきり涼宮さん達のそばにいるものだと思ったけど」
 その指摘に古泉はくくっとのどを鳴らして、
「だからこそ、ここに来たんですよ。あの人達のそばにいれば、機関内部のごたごたに巻き込んでしまうことに
なりますからね。僕としてはそれは大変不本意――いや、絶対やってはならないことなんです。
この事件は僕の中で片付けて、それで終わりにしたい。それが僕の心からの願いです」
「そう……全く本当に一高校生になったわね。昔とは大違い」
「昔話は勘弁してくださいよ。耳が痛いですから」
 そんなことを談笑しているうちに、玄関の扉が蹴破られ、真っ黒な戦闘服に身を包み、手に小型の自動小銃を
構えた人間が次々と突入してきた。二人とも抵抗の意志はないと両手を挙げて、それを平然と受け入れる。
制圧部隊はしばらく部屋をくまなく調べていたが、ほかの超能力者達たちがいないことを確認すると、
部隊のリーダが森園生に、
「おいほかの連中はどこにやった!? 答えろ!」
「自分で探せば?」
 そうしらばっくれる。だが、すぐに彼女の足下の畳にリーダが気がつくと、彼女を強引にどかせて
そこをあけた。ぽっかりと空いた穴からは階下の部屋の畳が見えることを確認すると、
大きく舌打ちしたリーダは無線機で、
「逃げられた! 一階で待機しているものは突入場所の真下の部屋を探せ! 残ったものは周辺を捜索しろ!」
 そう指示を出した後、すぐに部屋から出て行った。
 代わりにあの最高責任者が部屋の中に入ってくる。激怒に染まりきったその表情はまるで
ゆであがったタコのようだと森園生は思った。
 彼はその表情のまま彼女に怒りの視線をぶつけると、
「……お前は自分が一体何をやったのかわかっているのか……!?」
 そうドスのきいた声を上げてくる。だが、彼女はこの程度の脅しで動揺するタイプではない。
逆に全開の微笑みを見せて、
「さあそれはどうでしょうか。少なくともこれはわたし自身の明白な意志に基づいた行動なので」
 それに対して、最高責任者はちっとわざとらしい舌打ちをし、
「わからんな。どうしてそこまで連中を信じられる? 奴らはあの馬鹿でかい化け物と同じだけの力をもった
存在なんだぞ? しかもいつ暴発してもわからないんだ。管理下に置くのは当たり前のことだというのに……!」
 そう地団駄を踏んだ。
 一方の森園生は少しだけ笑みを崩すと、
「……少なくとも、あんたの思惑通りに事が進むのを阻止できたのは満足しているわ」
 そう言い放った。
 これにはますます額に神経を浮かべた最高責任者だったが、やがてふんっと背を向けると、
「まあいい、一人確保できただけでもよしとしておいてやる。だが、貴様の行動は明らかな反逆行為だ。
機関上層部に報告させてもらう。それ相応の処分は覚悟しておけよ。おいこの二人を拘束しろ」
 そんな捨て台詞を吐くと、そのまま外に出て行ってしまった。
 森園生は古泉とともに手錠をはめられながら、
(まああのいけ好かない男のいうことも理解できるんだけどね。みんな、頼むから暴走したりしないでよ……)
 
 ~機関の動乱 その3へ~
 

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最終更新:2021年12月01日 23:50